森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

フジロック2023の3日目でサハリンと大阪千日前と会津磐梯山と架空の80年代を行ったり来たり

めちゃくちゃに暑かった2023年の7月。

まとまった雨の日は一日もなく、毎日毎日35℃の晴天が続いた。

 

 

そんな7月の最終週に、今年もフジロックが開催された。

例年この時期はまだ梅雨明けしてなかったこともあったし、苗場の山は外界よりも一層不安定な気候だし、多少の雨は覚悟して行くのがフジロックだという感覚がこれまでの経験から染み付いているんだけど、今年に限ってはまったく心配していなかった。

そして案の定の晴天。

 

コロナ禍による開催中止を経て、去年も開催はされたものの、観客も運営もおそるおそる…っていう感じだったんだが、今年は本格的にあのフジロックが帰ってきた!というムードが会場に満ち満ちていた。

会場に向かいながらそんな空気をたっぷり味わって、ゲートをくぐる前からすでに幸せいっぱいでございました。

 

最近は加齢による効果でいろんなことで感動しちゃう体質になってきてるんだけど、フジロックについても、昔は好きなアーティストのライブがたくさん見られるっていう喜びだけだったのが、もはや、この場所があることや、たくさんの人が集まって楽しそうにしてることや、そういった環境そのものに対してまずは胸がいっぱい。

 

 

昔は前夜祭から月曜の朝までフルで遊び倒していたもんだったけど、幼い子供を家に残して三日三晩自由に過ごすのはちょっとむずかしいので、最近は三日のうちの一日に狙いを定めて行くのが恒例になっている。

ということで、2023年は最終日に行ってまいりました。

 

 

 

1997年に苗場に移ってから、ステージ数や会場のレイアウトなんかは基本的にずっと同じなんだけど、完全に同じなわけではなく、少しずつ変化していってる。

今年からの変化といえば、まずは「FUJI ROCK PLUS」という名のVIPチケットの導入でしょう。

 

「不便を楽しめ」というフジロックらしさには反するよなという葛藤はありつつも、古株のフジロッカーはもう世代的に50歳前後になってきてるわけで、個人的にはアリだと思う。

買わなかったのは、自分にはまだ早いかなというだけ。

一日だけ参加するスタイルだからだと思うけど、今年もまだまだ足腰いけました。

 

 

あとは現地の話じゃないんだけど、ここ最近当たり前のようにあったYouTubeでの中継が今年はなかったというのも大きな変化だったな。

 

自分が行かない日の中継がなかったのは普通に残念ではあったけど、よく考えたらむしろなんで今までタダで見せてもらえてたんだって思う。

来年から何らかのかたちで中継を復活させるなら、1日1,000円とかだったらたぶん払う人は何万人もいるんじゃないかな。世界規模を考えたら百万単位かもだし。

 

AM10:00

苗場に到着。

当日券を買ってリストバンドを巻き、ゲートのところでセルフィーを撮影するという恒例行事からスタート。

 

グリーンステージでnever young beachが始まったのを横目にさらに奥地へ移動し、ホワイトステージへ。こちらではHomecomingsが演奏中。

本当はもっと奥地にさっさと行きたかったんだけど、大きなステージに怯むことなく、いつもの気持ちいい感じでライブしてるHomecomingsにしばし釘付けされる。

 

 

AM11:40

ホムカミに後ろ髪を引かれながらフィールド・オブ・ヘブンへ。

そう、今年のフジロック最大のお目当てである民謡クルセイダーズに間に合わなくなるので。

 

ここ数年、民クルのライブには行けるだけ行きたくて、奥多摩のキャンプ場とか葉山の海の家とか鶯谷のライブハウスとかいろんなところに足を運んできたんだけど、実は初めてライブを見たのが2018年のフジロックだった。

悪天候などあって疲れ切っていたにもかかわらず、深夜のパレス・オブ・ワンダーで初めて見た民クルは本当にすばらしかった。

 

2022年のフジロックにも出る予定だったんだけど、直前にコロナでキャンセルになってしまい、今年はそのリベンジのような意味合いでもあり、めちゃくちゃ楽しみにしていて。

 

開始直後こそオーディエンスの数がまばらだったものの、曲を経るごとに増えていき、また熱気も増し増し。

おそらく初見の人が多そうな雰囲気だったんだけど、日本人ならなんとなく馴染みのある民謡と、強制的に足腰を踊らせにくるビートの掛け合わせは、フジロック(特にヘブン)に来るような人に刺さらないわけがない。

 

クンビアありサルサありマンボありレゲエありブーガルーあり、ありとあらゆるカリブ産のダンスミュージックの美味しいところを駆使してくる民クル。

民謡って基本的に西洋音楽とは別ものとして発展してきたので、五線譜に落とし込めなかったり四拍子で割り切れないところがあったりするし、ラテン音楽シンコペーションや裏拍が強かったりクセがあるんだけど、民クルはそのあたりの料理の仕方が本当に上手。

DJ目線で使えるビートをディグする感覚でやってるようなところもあるなと思う。そのセンスがたまらない。

 

ということで、まだ昼なんだけどこの時点で元は取れた感。以降はすべて余生の楽しみということになります。

 

 

PM1:00

フェスといえばごはん。

とにかく体力勝負なのと空き時間がタイムテーブル次第ということで、フジロックでは1日3食という規則性は完全に失われる。

食べられるときに食べるのでだいたい5食ぐらいになりますね。

ということでまずはビリヤニ

 

そして食べながらぼんやりスターダスト・レビューを観戦したんだが、やっぱり苦手でした。

ちゃんと聴いたことがないままにたぶん苦手なんだろうなと思ってきたんだけど、あのフジロックに呼ばれるからには、何か食わず嫌いなところがあったのかもしれないと反省して、いい機会だしちゃんと向き合ってみようと思ったんだけど、やっぱり苦手でした。

 

気を取り直して、再びヘブンに戻り、OKI DUB AINU BANDへ。

2010年にリリースされた「サハリン ロック」って曲がめちゃヤバくて、その時期の渋谷クアトロでのライブも最高で、そこからしばらく追ってたバンド。

 

 

 

一言でいうとアイヌの伝統楽器を使ってダブを演奏するバンドなんだけど、ドラムが沼澤尚だったりエンジニアが内田直之だったりキーボードがHAKASE-SUNっていう鉄壁のメンバーを擁している真ん中でトンコリっていう弦楽器が映えまくるっていう、ちょっと世界中に類を見ない音になっている。

 

本来は南国ジャマイカで生まれたダブっていう音楽形態が、ポストパンクの時代にイギリスに渡って、寒々しいダブもアリっていうことが発見されたんだけど、OKI DUB AINU BANDはさらに北にダブを持ち込んだ。

しかもアイヌ音楽という、それまでロックやポピュラー音楽の文脈に置かれたことが一度もないものを料理するために使ったところもすごくて、結果、北海道の深い森とか湖を感じさせる音になっているんだよね。

何年か前に行った支笏湖の静かな森と、土産物屋で口琴を教えてくれたアイヌのおばあさんを思い出す。

 

PM3:00

時間を持て余したのでぶらぶらしつつまたご飯。

スリランカ屋台メシ コットゥロティ」とかいう、エスニック料理はそこそこ食べてきた自負のある自分でも完全に初耳なやつを食べてみる。

が、ちょっと期待外れ。

 

ROTH BART BARONを遠目に見て、民クルのメンバーがやってる民謡ユニット こでらんに〜も遠目に見て、体力を温存。

 

PM4:00

ホワイトステージで100gecsを待機。

はちゃめちゃに散らかったハイパーポップで数年前から話題になっていたアメリカ出身のデュオ、100gecs。

 

エクストリームな打ち込みビートの上でヘヴィーメタリックなギターが鳴ってるタイプの音は個人的に大好物で、古くはMINISTRYやKMFDMやラムシュタインATARI TEENAGE RIOTあたりの系譜ですね。ドイツ勢が多いんだけど日本だとhideとか。

最近だと出自は全然違ってそうだけどSkrillexはその流れで聴いてた感覚があり、100gecsも自分の中では繋がってる。

 

そのSkrillex、2018年にグリーンステージに出たときはYOSHIKIが登場したりでど派手なパフォーマンスを繰り広げてたので、ホワイトステージの100gecsにもかなり期待してたんだよね。

 

ところが、100gecsはステージに出てきたのはメンバーの2人のみ。ちょっと変わった衣装でギーク感を醸し出していたものの、基本的にハンドマイクで歌うだけで音はカラオケ。

 

たとえば音源ではサンプリングで鳴らしていた音もライブでは人力でやるみたいな、そういう工夫(2017年のTHE AVALANCHESみたいな)は一切なかった。

なので正直いって数曲で飽きてしまった。

 

自分が100gecsだったら、ANTHRAXのスコット・イアンみたいな、ゴリゴリのメタルギターを弾けるけど遊び心がわかってる人をギタリストとして帯同して、音源よりもメタル度を高めたアレンジにしたりとか、もう少し低コストでいくとしても映像に凝ってみるとか、YOSHIKIを出せとは言わないけど何かしらはできたと思うんだよなー。

期待していただけにこの飽きは残念でした。

 

↑スコット・イアン…ゴリゴリにメタリックなリフを弾きつつラップもしちゃうスキンヘッド

 

PM6:00

続けて同じくホワイトステージに登場したのがBLACK MIDI

こちらは圧倒的なバンド力で激ヤバでした。

 

何よりもまずドラマーの手数の多さや尖り具合がすごくて、その鬼神っぷりを見てるだけでも十分楽しい。しかもただ手数が多いっていうだけじゃなく、クラッシュシンバルでバシャーン!って白玉を打ったときの破壊力もすごくて、そこに関してはBOREDOMSのYOSHIMIっぽい。

 

そしてギター2本とベースの絡み方やトリッキーな楽曲構成もヤバヤバで、そこに関しては『ディシプリン』期のキング・クリムゾンとか、90年代の変態ベーシストバンドのPRIMUSあたりを彷彿とさせる。

 

つまり最強に最強を掛け算した状態であり、今日2度目の個人的ピークがやってきてました。

夕方以降は夜中まで温存するはずが気づいたら汗だく。

 

↑PRIMUS…BALCK MIDIの狂いっぷりはこのバンドを思い出させた

 

PM7:00

あたりはすっかり暗くなっていた。

ホワイトからグリーンに通じるボードウォークを歩いていると、遠くから聴こえてくる音がバンドサウンドっぽい。

でもこの時間帯はBAD HOPのはずでは…?と思いながら歩いてグリーンステージに到着。

 

先日解散を発表した川崎出身のヒップホップグループ、BAD HOP。

MCによると他のアーティストがキャンセルになって急遽オファーが来たらしい。

 

いまや日本語ラップシーンを代表する存在になった彼らだけど、フジロックはいわばアウェイ。そこで何かカマしたいってことで、なんと初の試みとして豪華メンバーによる生バンド編成でやることにしたのだった。

 

特にリズム隊はRIZEの2人で、ラウドなバンドサウンドにラップを乗せるという2000年前後に流行ったミクスチャーロックのスタイルを完全に踏襲しており、30代後半以上のキッズは大喜びのやつ。

 

https://i2.wp.com/mag.digle.tokyo/wp-content/uploads/2023/07/badhop-news-mv-scaled.jpg?resize=768%2C512&ssl=1

BAD HOP、フジロックで特別バンド編成を披露!金子ノブアキ、KenKen、masasucksらと圧巻のパフォーマンス

 

昨今のY2Kリバイバルの流れに繋がってるのかどうかわからないけど、若い人には新鮮に聴こえたのであれば、今後この流れがひとつのトレンドになってくるかもしれない。

 

ただ当時と違って最近はトラップのビートに合う3連符のラップが主流なので、そのあたりがどう消化されるのかは見もの。

 

このあたりでシュラスコ丼を食べた。

 

PM9:00

キャリアの長いベテランが数年ぶりにフジロックに出演することはよくある。

苗場食堂に登場した赤犬も、実に16年ぶりのフジロック出演。

 

25年ぐらい前にハシノがやってたバンドが神戸で自主イベントをやった際に赤犬に出てもらったこともあり、昔から好きなんです。

(ちなみにそのイベントには、キングブラザーズクリンゴンやからふうりん(キセルの前身バンド)にも出てもらった。われながらすごいセレクト)

 

前回のフジロック出演時はディスコを基調としたミクスチャーといった音楽性だったけど、ここ10年でイメチェンし、現在は昭和〜平成の夜の匂いがする演歌歌手がやってそうな感じになっている。

裏ではヘッドライナーのLIZZOがグリーンステージを盛り上げてたり、ホワイトではWEEZERがやってたりするだろう時間帯に、あえてここに集まった少数精鋭(とはいえ苗場食堂の前は大混雑)を相手に、チークダンスありズンドコあり宇宙歌謡ありの大盤振る舞い。

30周年記念公演の告知ポケットティッシュもゲットしました。

 



PM10:00

赤犬の余韻を引きずりつつグリーンステージへ。

さっきまでの半径10メートルのコアな世界も最高だったけど、そこから急に全世界規模のポップスター様を目にすると、すぐにはピントが合わずにクラクラする。

 

全員女性メンバーのバンド編成で、映像も駆使して、そして何よりも本人の存在感で、数万人を捕らえて離さないのはさすが。

それでいて、ファンが掲げるメッセージボードにいちいち反応してあげたりする細やかさもあるっていう。

 

この後、スタッフからの例のパワハラ内部告発があって揉めてるわけですが、真偽の程がわからない段階であれこれ言うのはお行儀よくないのは承知の上ですが、一般論として、全世界を相手にエンパワメントするのが適切なスケール感の人間っていうのは、身近な人にとってはたぶん相当つきあうのが難しい感じなんだろうなと。

美空ひばりやJBやマイケル・ジャクソンなんかのエピソードを見てるとそう思う。

 

日曜のヘッドライナーの終演後にグリーンステージに鳴り響くジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を背中に聴きながらレッドマーキーへ。

 

何だったか覚えてないけど何らかのフェス飯を食べながら、きゃりーぱみゅぱみゅを遠目でウォッチ。

有名曲を惜しげもなく連発していてとにかく華やかで楽しい。

外国人オーディエンスも盛り上がってた。

 

AM0:00

だいぶ疲れてたけど、今日の最後のお目当てであるGINGER ROOTのためにきゃりー終了後のレッドマーキーを最前列付近まで前進。

 

2010年代にトロ・イ・モワを中心に盛り上がったチルウェイブを受け継ぎつつ、さらにヴェイパーウェイヴ要素を強めて、その結果、映像も含めて日本の80年代文化をどっぷり取り込んだ奇人GINGER ROOT。

 

架空の80年代日本でGINGER ROOTが「キミコ」っていうアイドルをプロデュースしてるっていう設定を作品にしたアルバム『nisemono』が話題になった。

 

 

この映像へのこだわりはライブでも発揮されていて、ライブの様子をカメラマンが撮影していて、その様子がステージ後方のスクリーンに昭和の生放送の質感で映し出されるっていう趣向。

しかも、例の女性マネージャーだとか、キミコ本人まで生でステージに登場したんだから大盛りあがり。

中森明菜「スローモーション」をカバーしたりもして。

憎たらしいほどによくわかってる。

 

でですね、そういう仕掛けだけじゃなく音も実にしっかりしており。

リズム隊の2人はタイトかつ適度にライブ感もあるいい演奏をしていたし、ライブアクトとしても良質でした。

それがもっともよく出ていたのが、先日亡くなった坂本龍一への追悼の意味が込められていたとおぼしき後半のYMOメドレー。「東風」や「Tighten Up」 を本家と同じ3人編成でやり切ると、自分も含めてみんな大歓声。

 

この時期のGINGER ROOTを見れてほんとによかった。

 

たぶんいろんな人が言及してるだろうけど、80年代の質感へのガチなこだわりっぷりがものすごく藤井隆と通じるものがあって。

両者をなんとか引き合わせたいよね。TBSラジオのアトロクあたりで実現しないかな。

 

というわけで、約15時間の苗場を満喫しまくりました。

来年もフジロックよろしくお願いします!

 



『離婚しようよ』からマジで民主主義を学んだ(あと元ネタをたくさん見つけた)

Netflixオリジナルドラマ『離婚しようよ』がおもしろくて一気見しました。

 

親の地盤を引き継いだものの不倫や失言でバッシングされまくったボンクラ国会議員の夫(松坂桃李)と、複雑な家庭で育ち朝ドラの主演で国民的女優になった妻(仲里依紗)が離婚しようとする全9話。

 

宮藤官九郎大石静の共同脚本ってことで、ラブストーリーでありながら軽やかに笑えつつ芯を食った社会派でもあるという、絶妙なバランスのドラマに仕上がっている。

 

あくまで、一組の夫婦の離婚がメインテーマではあるんだけど、ドラマに奥行きや盛り上がりをつけるための舞台装置としての選挙や世襲議員といった要素が思いのほか効果を発揮していて、個人的にはもっぱら政治ドラマとして楽しめました。

 

今どき自分の人生や結婚や出産や離婚を自分の意思だけでは決めさせてもらえない世襲議員という存在は、よく考えたら起伏の激しい恋愛ドラマにはぴったりだった。そこに目をつけた宮藤官九郎大石静はすごい。

 

元ネタは現実の政治状況

ドラマの舞台となっているのは、愛媛県

ロケ地は松山市今治市大三島)なんだけど、一応「愛媛5区」っていう、実際には存在しない選挙区の話ってことになっている。

(現実の衆院小選挙区は愛媛4区までしかなく、次の選挙からはさらに減って3区までになる)

 

ちなみに実際の松山市は愛媛1区で、前回の選挙で当選した塩崎彰久って人は自民党のバリバリの世襲議員

じゃあ松坂桃李演じる東海林大志の元ネタはこの人なのかってことなんだけど、おそらくそうではなく、このキャラクターには他に複数のモデルが存在する。

 

(気づいた限りのものを書き出してみたので、他にもあったらぜひ教えてください)

 

小泉進次郎(神奈川11区)

まずはわかりやすいところから。

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イケメン枠だけど発言に中身がない世襲議員という評判や、妻が芸能人ってところなど、東海林大志っていうキャラは基本的にこの人がベースになっていると思われる。

 

世間的に一流とされる大学ではない学歴かつアメリカ留学もしたっていうところも一緒。

 

安倍晋三(山口4区)

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大志の母親、峰子(竹下景子)は、東海林家という政治家一族の業の深さを象徴する存在。

 

このキャラクターは、どう考えても「ゴッドマザー」と呼ばれた安倍洋子を思い出さずにはいられない。

昭和の妖怪と呼ばれた総理大臣岸信介の娘として生まれ、外相などを歴任した安倍晋太郎と結婚し、安倍晋三の母となった人。

 

 

このインタビューによると、ドラマの中の峰子かそれ以上のレベルで選挙にコミットしていたみたいだし、どうやら晋三から「ママ」と呼ばれていたらしいこともわかる。

 

安倍晋三夫妻の私邸があった渋谷区富ヶ谷のマンションの、別のフロアに住んでいたという。

そこも含めて、強烈な母親に頭が上がらなかったらしいところがドラマと一緒。

 

麻生太郎(福岡8区)

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小泉や安倍の呑気なボンボン感と比べてちょっとエグみが強すぎるので、一見、東海林大志っぽくはない。

 

しかし、「踏襲」を「ふしゅう」、「未曾有」を「みぞうゆう」など、漢字の読み間違いがとにかく多かった総理大臣時代の麻生太郎

 

また「子どもを産まなかった方が問題なんだから「セクハラ罪という罪はない」などいった女性蔑視な失言も多く、東海林大志のボンクラな人間性のモデルになっているはず。

 

戦後の日本をつくった総理・吉田茂の孫という、かなり強めの世襲議員


平井卓也(香川1区)

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愛媛5区の名門である東海林家は地元メディアも牛耳っており、親族が伊予毎朝新聞のオーナーという設定。

これは同じ四国の香川1区と四国新聞の関係をどうしても想起させる。

 

香川県でトップのシェアを誇る四国新聞は、初代デジタル大臣を努めた自民党平井卓也の親族がオーナー。

 

新聞社のオーナー一族で世襲議員でもある平井卓也と、同じ選挙区で激しい一騎打ちを繰り広げたのが立憲民主党小川淳也

その小川淳也は庶民派アピールとして、「パーマ屋のせがれ」を自称する。

 

そう、山本耕史演じる想田豪が「パン屋のせがれ」って設定もこれが元ネタですね。

 

 

東海林大志というキャラクターは、おそらくこのあたりの自民党世襲議員たちの要素をミックスして、おもにダメな部分を誇張してつくられていると思います。

 

パチアート恭二にもモデルが存在する!

錦戸亮演じる、パチプロにして謎のオブジェを制作するアーティスト、加納恭二。

 

何にも執着せずふわふわしていた彼が、ドラマの終盤に化ける。

愛媛5区の選挙で味わった祝祭感やむき出しの人間ドラマに魅せられ、日本全国を駆け巡って選挙の取材をするライターになったのである。

 

国政選挙だけでなく、沖縄の地方選挙にまで出向いて取材しているシーンも出てくるんだけど、実は、そんなことをやっている人は実在する。

 

畠山理仁(みちよし)という人。

 

「選挙の現場に『ハズレ』なし。骨の髄まで楽しんでもらいたい」。フリーランスライターの畠山理仁(みちよし)さん(49)は、そう言い切る。国政選挙から全国の知事・市長選、米大統領選まで、寝食を忘れて追っかけを続けること25年。激戦を取材しつつ地元の名産を味わう「選挙漫遊」を通じ、「民主主義のお祭り」のパワフルな魅力を発信してきた。

フリーランスライター 畠山理仁さん選挙の追っかけ25年、そんなに面白いですか? | 深デジ | 神戸新聞NEXT

 

 

恭二がブログで書いてることは、畠山さんがいろんな場所で書いたり話したりしてることをベースにしているのは間違いないと思う。

 

『離婚しようよ』から民主主義を考える

『離婚しようよ』がしっかりしているのは、政治家とか選挙といった題材を、上っ面じゃなくきっちり消化しているところ。

 

全9話あるうちの前半あたりでは、なんとなくおもしろネタとして政治家を取り上げてるだけなのかなと、半信半疑で見ていたんだけど、選挙戦が大詰めになってきた6話あたりから雰囲気が変わってくる。

 

いや、相変わらず笑って泣ける離婚ストーリーではあるんだけど、それと同時に、民主主義とは?政治家の役割とは?みたいなところにも触れてくるっていう、すごい状態になります。

 

もっとも重要だと思ったのが、公開討論会のシーン。

公開討論会には、愛媛5区には東海林大志と想田豪だけでなく、「赤シャツ」という第3の候補者も登場する。

この赤シャツ、おそらく政党や団体の支援を受けていない、独立系候補。昔の言い方だといわゆる「泡沫候補」ってやつ。

 

クドカン脚本によくある、お前もいたのかよ!っていうオチの要員(荒川良々が演じてそうな)として機能しつつ、世の中に訴えたいことをちゃんと持ってる候補者であることもわかってくる。

 

前述の畠山氏の選挙取材は、赤シャツ的な独立系候補にも公平にちゃんと取材するっていうスタイルが特徴的。

なので、2022年の参議院選挙では、なんと東京選挙区に立候補した34人全員に取材してその主張を紹介していた。

 

独立系候補って、奇をてらった政見放送や選挙ポスターから、頭がおかしい人だとかただの目立ちたがりだとか思ってしまいがちなんだけど、こうやってみると、それぞれに切実なテーマを掲げていることがわかる。

 

赤シャツが主張していた松山空港の件も、実際の政治問題になっている。

 

 

とはいっても、どう考えても当選する可能性がないのに、300万円の供託金を払って選挙に出るなんて無駄だろうって思うよね。自分もかつてはそうだった。

 

たしかに赤シャツの主張に賛同して投票した有権者はごくわずかで、当選にはほど遠い。

しかし、たとえば99対1という結果になった場合、99の側が好き勝手していいわけではない。小さい声だからといって1を無視していいってことではない。

それだとマイノリティはいつまでたっても報われないことになってしまう。

 

民主主義は多数決だって解釈してる人は多いけど、本当はそんなに単純ではない。

99と1のどちらにとっても納得できる落としどころを見つけ出すのが政治家の仕事であり、それはとっても泥臭くて大変な仕事でしょう。

 

公開討論会で赤シャツの主張を東海林大志が引き取ったあのシーンに、民主主義のお手本を見た。

 

おまけ(さらに細かい話)

政党

東海林大志が所属する「自由平和党」はもちろん、日本の世襲議員のほとんどが所属している自由民主党がモデル。

 

一方、想田豪が幹事長をつとめる野党第一党「改革の会」は、日本維新の会と、かつての民主党がモデルになっていると思われる。

税金の無駄遣いをなくせという主張は、現在の維新の主張でもあるが、政権交代した頃の民主党の「事業仕分け」を思い起こさせるシーンもあった。

また、終盤に政権交代を成し遂げた改革の会が、野党時代に主張していた勢いが失われてすっかりおとなしくなるっていうのも、民主党政権っぽい。

 

橋下徹

論戦に圧倒的な自信を持っていて、ときには汚い手段もとるっていう想田豪のキャラは、おそらく橋下徹がモデルになってるんだろうけど、実は他のキャラクターにも橋下徹の有名エピソードが反映されている。

 

それは、弁護士のヘンリーが「出馬は200%ない」って答えたシーン。

2007年、当時テレビの人気者だった弁護士の橋下徹が、大阪府知事選挙に出るのかと聞かれ、「2万%ない」って明言したにもかかわらずシレッと立候補したんだよね。

現実の数字ほうがドラマより100倍デカかったっていう。

 

比例復活(ネタバレ)

『離婚しようよ』で一点だけ気になったのが、総選挙で想田豪に100票差で敗れた東海林大志が浪人になってしまう展開。

小選挙区で落選しても、比例復活できるはずでは?と思った。

 

衆議院選挙は小選挙区比例代表並立制

つまり、小選挙区比例区の両方に立候補することができ、小選挙区で敗れても小選挙区での惜敗率が高ければ比例で復活当選することができるのです。

 

100票差で負けたんだったら惜敗率は最高のはずで、まっさきに復活できるんじゃないか。

 

あの展開で浪人になるとしたら、東海林大志の名前が比例名簿に載っていないっていうパターンだけでしょ。でも自民、いや自由平和党の伝統からはそんなことありえないしなーと、そこだけかなりモヤモヤしました。

 

共産党のキャッチコピー

あと、日本共産党が最近のポスターで「自由と平和」を掲げている。

「自由平和党」っていう自民党をモデルにした政党の名前に、共産党のコピーをもってくるっていうひねり方、狙ってやってたとしたらクドカンすごい。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-04-29/2022042901_02_0.jpg

 

選挙をさらにおもしろく味わう方法

『離婚しようよ』をきっかけに、選挙や政治がおもしろそうだと気づいた方には、このあたりもオススメです。

 

『セイジドウラク

「政治を道楽として楽しむ」ポッドキャスト番組。

TBSラジオ記者澤田大樹と選挙ライター宮原ジェフリーという濃すぎる政治オタクの2人が、選挙や政治にまつわるいろんな小ネタやそもそもの話を語る。

 

選挙カーの後ろを「本人」というタスキをかけて追いかけるスタイルは、名古屋市長の河村たかしが始めた、とか、公職選挙法上、告示前にやってはいけないこととやっていいこととか、そんな知識が詰まった番組なので、これを聴けば『離婚しようよ』のいろんなシーンがさらに味わい深くなるでしょう。

 

 

『なぜ君は総理大臣になれないのか』と『香川1区』

前述した、小川淳也平井卓也の香川1区における激しい選挙戦に密着したドキュメンタリー映画

小池百合子希望の党が日本中を大混乱に陥れたあの選挙戦が『なぜ君〜』で、その次の選挙が『香川1区』で扱われている。

 

田舎のお年寄りと話し込み、家族総出でエモい選挙戦を戦う立憲民主党の小川陣営と、企業や団体のパワーを背景に戦う自民党の平井陣営が対照的。

 


ヒルカラナンデス』

時事芸人のプチ鹿島とラッパーのダースレイダーの2人が、コロナ禍に始めたYouTube番組。

毎週金曜の正午から配信しており、先日ついに150回を迎えた。

 

石原伸晃下村博文菅義偉二階俊博平井卓也といった重鎮の政治家たちのふるまいに笑いをまぶした鋭いツッコミを入れるスタイルが評判となり、フジロックに出たりドキュメンタリー映画にもなった。

 

「民主主義」とか「代議士」といった言葉のそもそもの大原則に立ち返って語れる2人なので、おもしろおかしい語り口が上滑りすることなく刺さってくる。


 

「オルタナ」って何なのか説明が難しかったのでがんばってみた

J-POPや邦ロックの楽曲やアーティストについて話すときにしばしば見かける「オルタナ」という言葉。

 

昨年、美学校で担当している講座の中で、話の流れで「オルタナ」について解説することになったんだけど、その場ではうまく伝わるような説明ができなくて、それ以来自分の中での宿題になっていた。

 

たしかに「オルタナ」って概念は難しいんですよ。

Wiki的な説明はいくらでもできるんだけど、それだけだと掴めない時代の空気みたいなものとか、時間の経過で変わってしまった部分などもあるので。

 

今回はがんばってそのあたりを語りほぐしていければと思います。

 

ひとことでいうと「じゃないほう」

音楽の世界でオルタナといえば基本的にはオルタナティブ・ロックのこと。

 

この「オルタナティブalternative)」って言葉を、しっくりくる日本語でひとことで訳すと、「じゃないほう」。

では、何に対しての「じゃないほう」なのか。

 

それは、主流派じゃないほうってことです。

 

この言葉が生まれたのは1980年代のアメリカ。

当時のロックの主流派といえば・・・

 

超絶ギターテクで速弾きブームを巻き起こしたエディとセクシーなフロントマン、ダイヤモンドデイヴを擁するヴァン・ヘイレンや・・・

 

全世界でアルバムを1億枚以上も売ったイギリスのデフ・レパードや・・・

 

なかやまきんに君のあの曲でもおなじみのボン・ジョヴィなど・・・

 

これらのポップなハードロックバンドたちが、折からのMTVブームも味方につけてど派手に売れまくっていた。

 

産業ロックじゃないほう

音楽評論家の渋谷陽一は、そんな80年代の主流派バンドたちを、巨額のお金が動くビジネスモデル(産業)としてのロックといったような意味合いで、「産業ロック」と名付けた。

 

当時、レコードが何千万枚単位でバカ売れしていたとはいえ、みんながみんな主流派のロックに満足していたかというと決してそんなことはなく、アメリカやイギリスの感度の高い大学生あたりを中心に、毒にも薬にもならない退屈な産業ロック「じゃないほう」の自分たち向けのアーティストを支持するシーンが草の根で広がっていったのです。

 

大資本のメジャーではなく、インディペンデント(=インディー)なレーベルからリリースされた、ソニック・ユースピクシーズやR.E.Mといったバンドたちが、やがて「オルタナティブ」と呼ばれるようになる。

 

(ちなみに初期にオルタナティブ・ロックと呼ばれたバンドはみんなアメリカのバンドではあったけど、同時期のイギリスではニューウェーブハードコア・パンクポスト・パンク周辺のシーンが同じような役割を果たしていた)

 


 

つまり、オルタナティブというのは、産業ロック「じゃないほう」のロックという意味合いで出てきた言葉なのである。

 

1991年の革命

あくまで「じゃないほう」として、サブカル的な尖った存在だったオルタナなんだけど、1991年に革命が起きて、音楽シーン全体に巨大な地殻変動が起こる。

 

 

Smells Like Teen Spirit」でニルヴァーナがブレイクしたことにより、その周辺のバンドたちも続々とメジャーレーベルからリリースして脚光を浴びるようになり、全米が、いや全世界が一斉にオルタナティブ・ロックに夢中になったのだった。

 

一方でそれまでイケイケだった主流派のバンドたちは一気にダサい存在になってしまい、音楽性やイメージ戦略を時代に寄せて生き残ろうと必死に迷走を始める始末。

それはまさに革命だった。

 

ヘヴィ・メタルはなぜ滅んだか(メタルの墓) - 森の掟

(↑かつての主流派たちの涙ぐましい迷走はこちらで詳しく紹介してます)

 

やがて、90年代後半にもなると、レッド・ホット・チリ・ペッパーズオフスプリング、リンプ・ビズキット、マリリン・マンソンレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなど、オルタナティブなシーンの出身ながら超大物になっていくバンドがいくつも出てくる。

 

 

なので、この頃になると、オルタナだったバンドがむしろ主流派になっている。

 

そうなると、そもそもあくまでオルタナっていうのは「じゃないほう」っていう立ち位置の話だったんだけど、その定義が通用しなくなり、単にサウンドを形容する言葉に変容していく。

 

元々「じゃないほう」のバンドがおもに鳴らしていた音、すなわち荒く歪んだギターとかパンク由来のスピード感とか加工しすぎない生々しいドラムとか、そういった音を出しているバンドのことを「オルタナ」と呼ぶようになる。

 

オルタナ的な音を出していれば、どメジャーな売れ線志向であっても、オルタナと呼ばれたりするようになった。

 

なので、1991年の革命を実体験してきた世代と、後追いの世代では、「オルタナ」って言葉でイメージするものがかなり違ってしまってるんだよね。

 

ローファイのジレンマ

ここまではリスナー層や音楽性について見てきたわけだけど、さらにオルタナの「品質」にも注目してみたい。

 

オルタナティブと産業ロックをざっくり比較するとこんな感じ。

 

産業ロックは万人向けに磨き上げられたがゆえに、高品質すぎて毒にも薬にもならないレベルに達していたのに対して、オルタナは荒削りで生々しく、それゆえに聴いている若者の心を激しく掴むことに成功した。

 

自分も90年代に多感な時期を過ごした世代なので、オルタナをこじらせた結果、「演奏がうますぎるとダサい」「音質がキレイだと嘘っぽく感じる」みたいな、「ローファイ」至上主義な狂った価値観を持ってしまい、その後苦労したもんだった。

 

ところが、どんなジャンルのミュージシャンにも通じる普遍的な話なんだけど、人間だから昨日よりも「良く」なりたいと思うのが自然だし、場数を踏めば踏むほど技術的には向上していくもの。

 

荒削りさを売りにして登場したオルタナ勢も、バンドを長く続けているとどうしても熟成されて整ってくるし、若気の至り的な音楽性を10年20年とやり続けるのは精神的に大変なのです。

 

時代や人脈の都合でたまたまオルタナのシーンから出てきたものの、本来の人間性としてハイファイ志向の人も当然いるし、真の意味でオルタナであり続けるのは難しい。

 

(たとえばデビュー当時の椎名林檎は完全にオルタナティブ・ロックな音像やセンスをまとっていたけど、その後いろんな才能を開花させていってオルタナの枠に収まらなくなった)

 

そういった意味でも、同時代じゃない世代の人が後追いで「オルタナ」の感じを掴むのは難しいと思う。

あらためて書き出してみると、かなり刹那的なものだったんだなと。

 

日本のオルタナ

日本では90年代後半ぐらいからオルタナと呼ばれるバンドが有名になり始める。

ナンバーガール、ブラッドサースティ・ブッチャーズ、GOING STEADYくるりなど。

 

 

現在のいわゆる邦ロックのバンドで、直接的にも間接的にもこのあたりに影響を受けていないって人はほぼいないので、サウンド面だけでいうと邦ロックは全員がオルタナってことになってしまう。

 

しかも、オルタナと呼ばれていたアーティスト自身が音楽性をどんどん変えていくし。くるりを筆頭に。

 

なので余計に2020年代の日本で「オルタナ」っていう言葉のニュアンスが難しいことになってるのです。

 

いろいろ書いてきたけど、やっぱり難しい。

 

なので、日本で一番有名な、主流派になったオルタナの話を最後にします。

 

https://image.itmedia.co.jp/nl/articles/2109/22/yosaito0922-13.jpg

 

この2人。

ダウンタウンオルタナだった。

 

誰かに弟子入して修行し、スーツを着て舞台に立ち、老若男女に向けたわかりやすいネタをやるのが漫才の当たり前だった時代に、誰の弟子にもならずにNSC一期生としてデビューし、わかるひとにだけわかる笑いをやったのが初期のダウンタウン

 

「漫才なんて学校で教わるもんとちゃうやろー」などと、当時の大人たちにはずいぶんと揶揄されたもんだったし、当時漫才の神様的な存在だった横山やすしにはその漫才のスタイルを「チンピラの立ち話」と批判された。

 

松本人志「お笑い界の伝統」をあえて批判した訳 守るべきは権威ではなく「面白い」かどうかだけ | テレビ | 東洋経済オンライン

 

しかし、ダウンタウンは現在ではお笑いというジャンルのあり方そのものに大きな影響を与え、若手漫才師はほぼ全員が彼らの影響下にあるといっても過言ではない状態にまでなっている。

 

つまり今ではお笑い界の主流派ど真ん中の存在になっているんだけど、元々はオルタナだった。

音楽の世界でも同じようなことが起こったんだなと、そんな感じで理解しておいてもらえると良いかと思います。

 

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は音楽の使い方だけが残念だった

日本を含む全世界で大ヒット中の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』。

 

うちの小学生&未就学児も大満足だったし、小ネタ満載でスーマリ直撃世代の親にとっても楽めたしで、大ヒットも納得のアクション娯楽大作だった。

 

 

任天堂とイルミネーションが組んで制作してるだけあって、おさえるべきところを心得てるっていうか、アクションシーンのアイデアと爽快感、多少のツッコミどころはありつつもダレない展開、多数のキャラたちがそれぞれ雑に扱われてないところなど、さすがだなと思わせられるしっかりしたつくりだった。

 

監督と脚本家は『レゴ・ムービー2』や『ティーン・タイタンズ』をやってた人たちだそうで、どちらもうちは親子で好きな作品。子供向けでありつつ一緒に見てる親も退屈しない絶妙な毒っ気にその手腕を感じた。

 

あと今回の映画の特徴としては、ピーチ姫の活躍でしょう。

スーパーマリオブラザーズ」といえば、悪のクッパ大王にさらわれたピーチ姫をマリオとルイージが救出するっていう、いにしえからの騎士道物語にのっとった設定なわけで、普通にいけば今回の映画でもそうなっていておかしくないんだけど、そこをあえて、戦う姫として描いた。とても現代的ですよね。

 

さらわれたピーチ姫を救出するストーリーがわかりやすく伝わる当時のCM。

(余談だけどこのピーチ姫の声は山瀬まみで、電気グルーヴの「電気ビリビリ」で言ってるセリフはこれがネタ元)

電気グルーヴの"電気ビリビリ"をApple Musicで

 

残念だったところ

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、大まかにはよくできた家族向け映画でございました。

ただ、かなり気になってしまったのが、音楽の使い方。

 

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

 

この映画、劇中で使われる音楽には2種類あって、まずはスーパーマリオシリーズなどの任天堂ゲーム音楽や効果音をすごく巧みに引用して作られたいわゆる「映画音楽」。

 

オリジナルを作曲した任天堂近藤浩治が、膨大なアーカイブの中から映画向きと思われる音源をピックアップ(テーマ曲はもちろん、効果音に到るまで!)。完成した楽曲リストが、『ワイルド・スピード』シリーズなどで知られる作曲家 ブライアン・タイラーに手渡され、ハーモニーやリズムをアレンジ。8ビットのピコピコサウンドが、壮大でエモーショナルな映画音楽へと生まれ変わった。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』、ゲームBGMが壮大な映画音楽に 秀逸な既存ポップスのセレクトも - Real Sound|リアルサウンド

 

 

そして、既存のロックやポップスの名曲をそのまま使っているもの。

たとえば、マリオが修行するシーンではボニー・タイラーの「Holding Out for a Hero」(麻倉未稀が日本語カバーした「スクールウォーズ」のあの曲)が、マリオカートの場面ではAC/DCの「Thunderstruck」が、といった具合に、超有名曲がここぞという場面で流れる。

 

前者の映画音楽については何もいうことなく、スーパーマリオの世界へ没入させてくれて大満足だったんだけど、そのぶん、既存曲が流れてくるところでいちいち醒めてしまった。

 

だって、家族向けといっても選曲のセンスがあまりにもベタすぎないか。

 

たとえばクッパの登場シーンで布袋寅泰の「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY/新・仁義なき戦いのテーマ」なんて、あまりにも擦られすぎてるでしょ。

もともと布袋自身も出演した映画『新・仁義なき戦い』のテーマ曲だったものを、タランティーノが『キル・ビル』で使って一気に知名度があがったわけだけど、そこからの20年間で東京オリンピックなど数々の場面で使われまくってるわけで、それをまだ使うのかよってね。

 

しかも、物語の舞台はキノコ王国っていう、ファンタジーの世界なわけでしょ。

マリオとルイージが謎の通路を通ってふしぎな世界にたどり着いたというワクワクドキドキの導入があって、見てる側がせっかくその世界に没入しようとしてるのに、そこで手垢がついた有名曲が流れてくるのってどうなんだろう。

 

そこがどうしても気になってしまった。正直醒めた。

 

イルミネーションのお家芸

ただ、劇中に既存の有名曲を流すのは、イルミネーションのお家芸ではある。

 

『怪盗グルー』シリーズや『ペット』では、マイケル・ジャクソンローリング・ストーンズビージーズビースティ・ボーイズがガンガンに流れるし、『シング』では、エルトン・ジョンスティーヴィー・ワンダーの名曲を登場人物が歌いまくる。

 

たとえば、60年代のロンドンが舞台になってる『ミニオンズ』では、エリザベス女王が乗った馬車でのチェイスシーンでキンクスの「You Really Got Me」が流れたり、ニューヨークが舞台の『ペット』ではビースティ・ボーイズの「No Sleep Til Brooklyn」が流れたり。

いちいち選曲のセンスが冴えてるし、ストーリーの文脈にも合ってるし、イルミネーションは音楽の使い方が上手だっていうイメージがあった。

 



 

それだけに、今回の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』では、イルミネーションのお約束をかたちだけなぞったみたいな感じがして、そこが残念だったんだよな。

 

既存曲使いの成功例

映画の中で既存の楽曲を使う手法は、クエンティン・タランティーノが『パルプ・フィクション』でやったあたりから流行ったはず。

タランティーノ以前には、音楽が売りの映画って、その映画のために書き下ろされた曲を使うのが一般的だったけど、タランティーノは既存の埋もれた曲をセンスよく引用して、当時それはDJっぽい手法だと言われていたりもした。

 

最近だと『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ベイビー・ドライバー』あたりが、その路線の継承者だと思う。選曲のセンスの良さも含めて。

 


あと、選曲のセンスだけじゃなくて、ストーリー上の必然性や文脈がハマってるかどうかも同じぐらい大事。

 

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は、母親の形見のウォークマンに入っていたカセットテープの曲として、ELOや10ccやランナウェイズやマーヴィン・ゲイといった70年代の名曲が使われる。

 

ベイビー・ドライバー』にしても、主人公は事故の後遺症のために常にiPodで音楽を聴いているという設定があった。

 

いずれの作品にも、主人公に音楽なしには生きられない切実さがあり、おそらくそれは監督自身が持っている切実さからきているはずで、映画を観ている自分の中にある同じ切実さに強く響いてきたもんだった。

 

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』には残念ながらそういった要素はなく、ただ盛り上がりそうだからといういうだけで有名曲を使っているようにしか感じられなかった。

 

しかし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ベイビー・ドライバー』のような設定は、実はイルミネーションの別の作品にはある。

 

それが、2017年公開の『怪盗グルーのミニオン大脱走』。

この作品の悪役であるバルタザール・ブラットは、80年代に一斉を風靡した子役だったが成長とともに人気が凋落し、芸能界への逆恨みをこじらせて大泥棒になったというキャラ。

 

自分の人生が輝いていた80年代に囚われてしまっているため、マイケル・ジャクソンヴァン・ヘイレンやa-haやネーナといった80年代MTVヒットを自分のBGMとしている。

 

バルタザール・ブラットが抱えている逆恨みの哀しさと、80年代MTVヒットの底抜けの能天気さのギャップが、この作品に奥行きを生んでいるのです。

 


 

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はどうすればよかったか

イルミネーション作品の音楽使いの成功例にならえば、ジャック・ブラック演じるクッパにせっかくピアノの弾き語りをさせたりしているわけで、そのあたりの設定をうまく活かせていたら…とは思った。

 

だがしかし、『ザ・マリオブラザーズ・ムービー』のやりたいことや狙っている層からするとそこまでやる必要はないだろう。

 

であれば、やはり中途半端にイルミネーションのお家芸をなぞるのではなく、スーパーマリオシリーズのゲーム音楽だけに絞っていればよかったのではないか。

 

その上で、既存曲をかっこよく使いたいとしたら、こういうのはどうでしょうか。

 

この映画の舞台は大きく2つ。

現実世界のニューヨークと、ピーチ姫やクッパがいるキノコ王国

マリオやルイージはもともと住んでいるニューヨークからキノコ王国に迷い込んでしまうんだけど、最後はまたニューヨークに戻って最後のバトルシーンが繰り広げられる。

 

であれば、キノコ王国のシーンではゲーム音楽をベースにした映画音楽オンリーにして、最初と最後のニューヨークのシーンではド派手に既存曲を使えばよかったのではないか。

 

それでこそ、2つの世界を行き来していることを音楽の使い方からも表現できたんじゃないか。

 

特にAC/DCの「Thunderstruck」みたいな大ネタなんて、むしろラストバトル直前の緊張感を高めるのにぴったりでしょう。

 

(語彙力)を超えて

しばらく前からSNSなどでよく見かけるようになった(語彙力)という言い回し。

 

好きなアイドルとか作品とかキャラクター(つまり推し)に対して、その素晴らしさを説明したいんだけど自分の拙い語彙力ではとても表現しきれない、といった意味合いで使う。

 

用例

えっ·····ヤバい(語彙力)

いい感じのカフェ(語彙力)行きたい〜〜〜

◯◯様!尊い!好き!(語彙力)

(語彙力)(ごいりょく) | numan

 

これって本気で自分の語彙力のなさを嘆いているわけではなく、それぐらい推しが尊いということなので、ある種の謙遜のような、つまり自分を下げることで相手を上げるという構造になっている表現なんだろう。

 

「どんなに言葉を尽くしても足りない」的な表現は昔からあったし、英語にだってほぼ同義の「speechless」っていう言葉があるので、インターネット以降の感情というわけではない。

speechlessの意味・使い方・読み方|英辞郎 on the WEB

 

古今東西、人間は尊さの前で言葉をなくしてきた。

 

とはいえ、(語彙力)っていう言い回しが重宝される状況っていうのは確かにあって、近年ますます使い勝手がよくなっていってるのも事実。

 

本当に言葉で言い表せなかったのか

(語彙力)っていう言い回しには、どうしてもある種の安直さを感じてしまう。

 

つまり、自分の言葉で推しの素晴らしさを言葉で説明しようとしていろいろ苦しんだ結果、自分が知っている言葉では言い表せなかった、というルートをたどった末に(語彙力)に行き着いたのか?っていうこと。

そうではなく、ハナから言葉で表現するつもりもなく、簡単な言葉で何か言った感じになれる(語彙力)に頼っているんじゃないかと。

 

誠実な(語彙力)と安直な(語彙力)があるとして、最初は誠実に言葉を尽くして、どうしても言い切れないときだけ(語彙力)を使っていたような人も、おそらく徐々に安直な(語彙力)に流れていってしまっているっていうのもありそう。

 

どっちのルートをたどっても結局アウトプットが(語彙力)になるんだったら、そこにかける労力は少ないほうがコスパいいもんな。

 

あと、安直というか安心を求めて(語彙力)を使うっていう心理もあるでしょう。

 

どんなに配慮したつもりでも明後日の方向からクソリプが飛んできてしまうこのご時世、ましてや自分の推しの話題で炎上なんてしてしまった日には推しにも迷惑がかかるし…って感情はすごくよくわかる。

 

何かしら説明のための具体的な言葉を使うと、その具体性という出っ張りが揚げ足取りの余地になってしまうリスクがあるけど、(語彙力)という、揚げ足の取りようがないツルっツルのほぼ球体の言葉にはそのリスクがないということ。

 

また、クソリプでなくても、知識面でツッコミを食らうのも鬱陶しい。

ならばと、下手に客観的なことを言うのではなく、すべてを「個人の感想です」の枠内に収めておくという、さながら薬事法を気にしながら健康食品のコピーを書くコピーライターみたいなマインドでSNSに向き合ってる人は多いでしょう。

 

自分の好きなものについて具体的に何か言うっていうのは、リスクだけ高くて得るものが少ない、そんな時代。

 

でも、自分の「好き」を他の誰かと共有したい、伝えたい、っていう気持ちは多くの人が持ってる自然な感情なはずで。

そんなときに、(語彙力)のような、すでに推しの良さをわかってる仲間うちでしか通用しないフレーズしか持っていないと、やはり困るのではないでしょうか。

 

(語彙力)を超えて

じゃあどうすればいいか。

 

批判とか炎上とか気にすることないよ!思ったことをそのまま言葉にすればいいんだよ!みたいなのはただの開き直りにすぎなくて。

 

やはり、実際の「語彙力」を身につけることが大事だと思うんですよね。

 

その推しアーティストは、同時代の他のアーティストと比べてどこがどうすごいのか、同ジャンルのアーティストと比べてどこがどうすごいのか。

 

または、偉大なる先輩からどんなバトンを受け継いでいるのか、次世代のアーティストにどんな影響を与えたのか。

 

どんな時代の空気を身にまとって登場したのか、デビュー後どんな成長を遂げたのか。

 

楽曲構成、コード進行、アレンジ、歌詞、演奏技術、歌唱力、パフォーマンスといった要素のどこが特にすぐれているのか、独自性があるのか、おもしろみがあるのか。

 

「語彙力」というのはたとえばそういった切り口のこと。

「批評」と言い換えてもよいでしょう。

 

あ、これって、別に冷静になろうっていう話ではなく、熱量と批評性は両立します。

むしろ、熱量と批評性を両立させて誰よりも熱く誰よりも深く語ることができたら、誰も気安くクソリプなんて飛ばせなくなるでしょう。

 

美学校オープン講座「ポピュラー音楽批評」のご提案

(語彙力)って気軽に言っちゃうのではなく、本当の「語彙力」で推しを語りたいという皆様。

 

LL教室のオープン講座「ポピュラー音楽批評」はいかがでしょうか!!

クリティカルで奥行きのある「語彙力」を半年かけてガシガシお渡ししていきます。

 

毎月第2日曜の夜、神田神保町美学校で開講しますが、オンラインでの受講も可能!

前期は九州や海外からも受講していただきました。

 

リアルタイムで受講できなくても、アーカイブ受講もできますし、われわれ講師への質問もDiscordで随時受け付けています。

 

 

年齢や音楽の趣味やライティングの経験などは問いません。前期も受講生の方のバックボーンがものすごく多様で、われわれもむしろその多様性を楽しんで講義できました。

 

前期の受講生の方々が個人テーマとして持ち込んでくれたのは、BUMP OF CHICKENスピッツDA PUMPSound Horizon桑田佳祐星野源などなど。

 

基本的な教養として1960年代〜2020年代の歌謡曲〜J-POPの通史を解説しつつ、受講生の興味関心が強い領域や、LL教室として重要だと考えているトピックを深堀りしつつ進めていきました。

 

音楽の聴き方・語り方がガラッと変わるような視点をたくさんご用意してお待ちしてます!

よろしくお願いします!

 

 

 

(最後に、語彙力がないのにマウンティングしたい欲望を抑えられない音楽評論家はこうなるっていう実例をどうぞ)

 



 

 

 

シティポップブームの終わりの終わりに届いた9000通のFAX

マーケティングの世界には「イノベーター理論」という考え方がある。

 

商品やサービスが登場してから世の中に普及していくまでの流れについて、最初は新しもの好きの「イノベーター」が手を出し、次に「アーリーアダプター」が注目し始め、その段階を超えると一気にマジョリティに広まっていくというパターンになると分析したもの。

https://s.yimg.jp/images/ads-promo_edit/site/column202209/innovation-theory_sakuzu1.jpg

商品やサービスに限らず、ブームというものもこんな感じで始まって終わっていくことが多い。

四半世紀以上に渡っていろんなサブカルチャーを見ていると、このブームはそろそろマジョリティに届き始めるぞとか、このメディアで扱われるようになったらもう終わりが見えてきたなとか、そんな栄枯盛衰をいくつも目にすることになる。

 

音楽シーンの栄枯盛衰でいうと、だいたい最初はライブハウスやクラブといった現場に集うイノベーター層が半分冗談ぐらいのノリで始めた何かがあって、それを耳の早いコアな人たちが話題にして、それをアンテナが高めのメディアが取り上げ、その際にやっとジャンル名がついて、大学生や都会のリスナーがアーリーアダプターとして飛びついてくるまでの流れっていうのがある。

 

そこまでいくと、これは商売になるぞと嗅ぎつけたメディアに取り上げられることで、アーリーマジョリティ層に届き始める。

そこまでは一応音楽好きの人たちによって支えられてる状態なんだけど、次の段階として「今話題の〜」みたいな枕詞に弱い、特に積極的に情報を取りに行かない人たちに届くようになり、そこらへんがレイトマジョリティ。

 

で、最後に、基本的に流行に対してまったく興味がないかむしろ斜に構えている人々にさえ認知されるようになってくるといよいよブームは終わりで、この段階ではアーリーマジョリティはすでに別のことに興味がいってる。

ちなみにイノベーターはもっと早い段階でとっくに飽きて別の新しいことをやってる。

 

ゼロ年代後半からのいわゆる「シティポップ」のブームも、上記のような流れを経て、この度いよいよレガード層に届いた。

つまりブームは終わりです。

 

いや、もう何年も前にシティポップブームは終わっているじゃないかっていう人もいるかと思いますが、それはアーリーアダプターに囲まれて暮らしている人々にとっての実感だったわけで、世間というものはもう少し歩みが遅い。

本当に巨額のお金が動くのはアーリーアダプターが離れてからだったりするわけなんだけど、それでももう、いよいよ終わりの終わりに差し掛かっていることが今回明らかになりました。

 

NHKあさイチ』におけるシティポップ特集

2023年2月27日に放送された『あさイチ』において「こんなにおもしろい!80年代“シティ・ポップ”の世界」という特集が放送された。

これが、10年以上続いてきたシティポップブームの終わりの終わりになります。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。

 

 

あさイチ』は平日朝8時15分からNHKで放送されている情報番組で、現在のメインキャスターは博多華丸・大吉の2人。

この時間帯にNHKを観ているのは、高齢者だったり専業主婦だったりが多い。

うちの両親もそうだけど、これまでシティポップという言葉を耳にしたことがなかった人たち、すなわちイノベーター理論におけるレガード層。

 

そんな番組でシティポップがどのように扱われたのか。

 

まず、華丸大吉の絶妙なアシストにより、「シティポップっていう言葉は初めて聞いたけど当時ニューミュージックって呼んでたアレのことか」という補助線が引かれて、ピンときていなかった視聴者の興味関心をひくことに成功した。

その後も万事その調子で、音楽シーンの動向に普段まったく興味がない人にも見てもらうための企画をいくつか仕込んで、番組は進行していく。

 

ただ、わかりやすさを重視するあまり、言葉の定義や歴史的事実に対しては非常に大雑把すぎる紹介だったと言わざるを得ない。

 

「シティポップ=80年代音楽」「シティポップ=ニューミュージック」みたいな定義で話を進めるので、そうじゃないものがたくさんあるし、そこはわかりやすさのために犠牲にしていいところじゃないっていう指摘はどうしてもしたい。ベン図をちゃんと描いてほしい。

 

また、シティポップの再評価が海外のアーティストやディガーから始まったという紹介は、端的に間違い。

NHKはまずこれを読んでから構成してほしかった。

 

朝の情報番組ならではの熟練の技

番組ではシティポップに関するトピックをいくつか紹介していく。

 

まずは、「1,500人を対象にいろんなジャンルの音楽を聴きながら計算問題をやらせたら80年代ポップスを聴いたグループがもっとも血圧や心拍数に効果があった」という調査結果を紹介し、「シティポップは身体にいい」という主張をする。

 

で、音響の専門家に竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」の波形を分析してもらい、シティポップは低音から高音まであらゆる音域がバランス良く出ていて、これは波の音など自然界の音と最も近い、そして「プラスティック・ラヴ」のBPMは104で、これは普段の心拍数と同じなので聴いていて自然体になので身体にいいんです!っていう解説をさせていた。

 

あとすごかったのが、シティポップブームによって中古レコード市場が高騰しているって話題で、実際に地方在住のリアルタイム世代の人が出張買取してもらう現場に立ち会って、査定額いくらでした!あなたの家にもお宝が眠っているかも?みたいな着地にしていた。

 

ほとんど『ためしてガッテン』的なノリなんだけど、これぞレガード層の引きつけ方って感じで、日本中のあらゆる年齢層を相手に番組を制作しているNHKの熟練の技が冴え渡った瞬間だった。

 

他にも、シティポップ楽曲の歌詞をAIにテキストマイニングさせて頻出単語を分析させたり、AIにシティポップをたくさん聴かせてそれっぽい曲を生成させてみたり、なんか最先端っぽいテクノロジーを使って説得力みたいなものを醸成する、情報番組の王道スタンスが全体的にあった。

 

一方で、博多華丸・大吉の2人やゲストの牧瀬里穂や進行役のNHKのアナウンサーは、80年代あるあるとか懐かしさによる共感によって盛り上がりを作っていくスタイル。

 

つまり、視聴者の中で多いであろう50代前後の世代にとっては、リアルタイムでよく知っているものに対して若者や外国人が新しい価値が与えているっていう、古くて新しい話題だったということ。

 

「ニューミュージックがシティポップという名前になって若い人に人気らしい」っていう知識を得ることができて、身体にいい音楽を知らず知らずのうちに聴いていたんだという安心感を持つことができて、当時のことをよく知っているという優越感も持つこともできて、思わず子や孫にLINEしたくなるような見事な番組づくりだったと思う。

 

FAX投票で選ばれたシティポップベスト5

番組では、80年代前後のシティポップの好きな曲で視聴者からリクエストを募集して、特集の最後にベスト5を発表することになっていた。

 

個人的には、このリクエスト募集には半分ヒヤヒヤ半分ワクワクしていたんだけど、というのも、「シティポップ」という概念をついさっき知った視聴者がどんな曲をリクエストしてくるかがまったく見えなかったから。

 

番組ではここまで「シティポップ=80年代音楽」「シティポップ=ニューミュージック」っていうちょっと雑な伝え方をしていたので、当時ニューミュージックで売れていたアリスとか甲斐バンドとか長渕剛とかがランクインしちゃうんじゃないかって。

生放送ならではのヒリヒリ感を勝手に感じて盛り上がっていたのだった。

 

かつて弊ブログでこんな記事を書いて、シティポップ概念の無軌道な拡大っぷりに警鐘を鳴らしていた者としては、最終防衛ラインが突破される瞬間を見逃すわけにはいかないでしょう。

 

9時のニュースを挟んで発表された結果はこんな感じ。

 

1位 大瀧詠一君は天然色

2位 寺尾聰ルビーの指環

3位 稲垣潤一「ドラマティック・レイン」

4位 松原みき「真夜中のドア」

5位 荒井由実「中央フリーウェイ」

 

拍子抜けするほどちゃんと視聴者にシティポップの定義が伝わっていたらしく、番組作りの手腕に再度おそれいった次第。

この特集によってレガード層にきっちりシティポップが伝わり、いよいよブームも最終段階に入ったことは間違いないんだけど、意外と終わりの終わりまで防衛ラインは突破されなかったんだな。

 

 

…いや、このランキング、各順位の票数が発表されていないので、番組側で趣旨に合わないアリスや甲斐バンドへの投票を除外している可能性がありますね…。

 

ひょっとして世界を影で操る爬虫類人間に票が盗まれているのでは!

レコード価格の高騰によって暴利を得ているユダヤ資本家がいるはずだ!

マスゴミによる情報操作を許すな!

 

などと、思わず陰謀論者になってしまいそうなほど、1位から5位までの並びがよくできすぎている…。

 

ちなみに3/6(月) 午前9:54 までNHK+で見逃し配信が視聴可能なので、ぜひみんなもブームの終わりに立ち会ってみてください。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023022708615

 

『チェンソーマン』が1997年にアニメ化されていたらエンディングは誰だったか?全12話分をリスト化!

2022年10月~12月に放送されたアニメ『チェンソーマン』。

 

米津玄師の主題歌『KICK BACK』や、週替りで様々なアーティストが手がけたエンディングなど、音楽面のクオリティの高さでも話題になった。

 

 

MUSIC | アニメ『チェンソーマン』公式サイト

などなど、令和の深夜アニメのコア層にしっかり訴求しつつもエッジの効いた、かなり気合の入った豪華ラインナップになっていた。

 

syudou曲の「うっせえわ」感やano曲の「LOVEずっきゅん」感にニヤニヤしつつも、各アーティストが『チェンソーマン』の世界観をそれぞれに咀嚼した作品に仕上げていて、こんなに毎週エンディングが楽しみなアニメははじめてだった。

 

2022年12月で終わった1期(全12話)では、原作の5巻までがアニメ化されていたので、おそらく遠からず2期も制作されることでしょう。

 

そしたらエンディングは誰がやったらおもしろいだろう?と想像するのはそれだけでもめちゃ楽しいんだけど、今回はそこにもうひとひねり加えてみたい。

 

というのも、主人公デンジたちが所属する公安警察のあの制服が、90年代のいろんなものを想起させるんですよね。

 

 

https://job77.net/gazou/hoka/141102_sumisu300_2.jpg

 

https://pbs.twimg.com/media/FIL8uwraUAMN0NY?format=jpg&name=small

 

https://livedoor.blogimg.jp/teenagekicks0311/imgs/5/9/59711b00.jpg

 

 

アニメのオープニングの元ネタになっていることがちょっと前に話題になった映画『レザボア・ドッグス』は、1991年に公開された。

あとネオモッズとかガレージ・パンク・リバイバルなどもあり、90年代ってあの公安警察みたいな細身の黒スーツが流行ったんだよね。

 

で、調べてみたらそもそも『チェンソーマン』って1997年が舞台なんだって。

チェンソーマン - Wikipedia

 

ってことで今回は、アニメ第2期のエンディングテーマを1997年のアーティストが担当したら?っていう妄想企画です!

全12話分考えてみた!

 

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTミッシェル・ガン・エレファント

1996年にデビューしたミッシェル・ガン・エレファントは、ガレージパンクやモッズ、パブロックといったUKロックの要素をカッコよく取り入れ、またたく間に90年代後半を代表するロックバンドになった。

 

1998年に開催された第2回フジロック・フェスティバルでは、メインステージに抜擢された数少ない日本のバンドのひとつだった。

 

スタイリッシュな細身の黒スーツ、歪んでやさぐれた音楽性、なおかつ若干の非日常感と、『チェンソーマン』の世界観と共通する部分が非常に多い。

 

 

電気グルーヴ

チェンソーマン』以上にハードコアな描写が話題になったNetflixの『DEVILMAN crybaby』の主題歌を手がけた電気グルーヴ

あと『墓場鬼太郎』もあったし、大人向けアニメとの相性がすごくいい。

 

1997年の電気グルーヴは、傑作アルバム『A』をリリースし、音楽的にも売り上げ的にもノリにノっていた時期。

 

チェンソーマン』に楽曲提供するとしたら、キックが歪みまくったガバ路線が似合うと思います。

 

 

Corneliusコーネリアス

1997年のコーネリアスは『FANTASMA』をリリースして音楽性が大きく深化したんだけど、『チェンソーマン』的にはその前の『69/96』のヘヴィメタリックで悪魔的なイメージがぴったりくる。

 

『69/96』の頃のコーネリアスは、後にいじめ問題で炎上することにも繋がってくる、90年代の悪趣味カルチャーに浸かっていたんだけど、『チェンソーマン』ってすごく当時の匂いがするんだよね。

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BUCK-TICK(バクチク)

1987年のメジャーデビュー以降、一度もメンバーチェンジせず活動休止もせずに現役で活躍しているBUCK-TICK

初期の頃から一貫している「病み」や「狂気」のモチーフは、ヴィジュアル系というジャンルの形成に多大なる影響を及ぼした。

 

悪魔崇拝的なこの曲なんて、映像ごとそのまま『チェンソーマン』に使える。


 

HIDE

Xのサイケデリックで狂気な面を代表していたHIDEは、1994年のソロデビュー以降、さらにその路線を推し進める。

H・R・ギーガーがデザインしたソロアルバムの仮面だったり、テレビ出演時のパフォーマンスなどのヴィジュアルは、『チェンソーマン』に直接的にも間接的にも影響を与えていそう。

 

楽曲面ではこのあたりとかがめっちゃ『チェンソーマン』的なんだよな。

 

BUDDHA BRANDブッダ・ブランド

1997年といえば、日本語ラップの伝説のイベント「さんぴんCAMP」の翌年であり、キングギドラシャカゾンビYOU THE ROCK★らが続々とアルバムをリリースしていた時期。

 

中でも、アメリカ仕込みのフロウとトラックのセンスがすごかったのがBUDDHA BRAND

 

病んでる狂ってるということをことさら強調するあたり、『チェンソーマン』的でもあるなと。

 

悪魔みたいなやつが出てくるMVもあるし。

 

人間椅子

バンドブーム期のデビュー以来ずっと、江戸川乱歩の怪奇や東北地方の暗さといったモチーフを、ブラック・サバス直系のドゥームなサウンドで歌い続けてきた人間椅子

 

1997年頃は一時的にインディーズに戻っていたが、すぐに再メジャーデビューを果たす。

 

人間椅子は徹底して和の世界観なので、『チェンソーマン』の悪魔とはちょっと違うように見えるけど、この曲なんかは和洋の壁を超えた禍々しさに満ちている。

 

サイケアウツ

ジャングル、ドラムンベース、2STEPといったダンスミュージックに、アニメやゲーム音楽をサンプリングするという独自の音楽性で、1990年代の関西で異彩を放っていたサイケアウツ

 

今でこそナードコアは一般的な存在になっているけど、当時アニメやゲームといったオタクカルチャーはクラブに行くような人種からは蔑まれており、サイケアウツは時代を先取りしまくっていたと言える。

 

 

サイケアウツのハイパーなドラムンベースはすごく『チェンソーマン』の世界観に似合うので、ぜひ抜擢されてほしい。

 

SEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HERシーガル・スクリーミング・キス・ハー・キス・ハー

小山田圭吾のトラットリア・レーベルからリリースしていたバンド。

フロントマン日暮愛葉の日本人離れしたやさぐれ感がすごくかっこいいんだけど、どことなく『チェンソーマン』の、特に姫野っぽいなと思って。

煙草が似合うところとか。

 

ゆらゆら帝国

1997年のゆら帝は、メジャーデビュー直前。

 

初期のサイケデリックでガレージな音楽性や、自分の中に悪魔的な何かが入り込んでいるような感覚って、ものすごく『チェンソーマン』っぽい。

「人間やめときな」「悪魔が僕を」「夜行性の生き物3匹」など、タイトルを列挙してみるだけでも伝わるでしょう。

 

特にこのあたりの曲なんてぴったりだと思うんですよね。

 

 

SUPER JUNKY MONKEY(スーパー・ジャンキー・モンキー)

1990年代に数多く存在したいわゆるミクスチャー系のバンドからは、SUPER JUNKY MONKEYを取り上げたい。

 

ハードコアパンクスラッシュメタルに近いハードな音楽性ってこともあり、メンバー全員女性ながらもモッシュやダイブが当たり前の激しいライブを繰り広げていた。

 

若干のSFチックな歌詞も『チェンソーマン』っぽいと言われたらそんな感じしませんか。



Blankey Jet Cityブランキー・ジェット・シティ

前述の人間椅子と同じくバンドブーム期にデビューし、アルバムごとに凄味を増していったブランキー

1998年の第2回フジロック・フェスティバルではメインステージに登場している。

 

アニメのタイアップに乗ってくる様が全く想像できないけれど、死の匂いがするヒリヒリした感覚とかピュアな不良性がデンジっぽい気がする。

 

 

まとめ

こうして並べてみると、1997年の音楽シーンの豊かさ&幅広さ&好き放題っぷりがよくわかる。

しかもここに挙げたアーティストのほとんどがメジャーでそこそこ売れていたわけで、CDバブルで生まれた経済的な余裕がこのあたりのアーティストに還元されるっていう好循環があったんだよな。

 

なお、この翌年である1998年には、椎名林檎ナンバーガールくるり宇多田ヒカルバンプオブチキンキリンジアジカンスーパーカーらが登場してくる。

 

この98年以降のアーティストが現代J-POP、邦ロックに与えた影響がとにかく大きいので、その前年までのシーンの雰囲気ってどうしても相対的に語られてないんだけど、忘れ去られるには惜しいカッコいい人たちがたくさんいたのである。

 

そして、やっぱり『チェンソーマン』の世界観との親和性が高いアーティストが多いし、1997年が作品の舞台に設定されている理由がなんとなくわかった気がする。

 

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