森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

『どうする家康』放送開始記念!これから大河ドラマを一生楽しむための味わい方を解説します

2023年の新しい大河ドラマ『どうする家康』がはじまりましたね。

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2022年の『鎌倉殿の13人』が、大河らしからぬ大胆な題材だったり演出だったりで話題になったところだけど、『どうする家康』はどんな感じになるだろうか。

 

実は近年の「攻めた」大河と言われた2019年の『いだてん』や2016年の『真田丸』や2012年の『平清盛』の翌年には、それぞれ『麒麟がくる』『おんな城主 直虎』『八重の桜』という、割と保守的なタイトルが放送されている。

 

この振り子の法則が今回も当てはまるようであれば、『鎌倉殿』の翌年である今年は、保守なターンなのかもしれない。

 

この大河は誰狙い?

NHKという放送局がおもしろいのは、日本全国津々浦々どこでも視聴できる公共放送で、赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで幅広くターゲットにしつつ、同時に地上波の中では最先端カルチャーやアートに対するアンテナがどこよりも高いっていう、相反する面があるところ。

 

そんなNHKらしさはもちろん大河ドラマや朝ドラでもたびたび発揮されてきたんだけど、ただ、たまにそのバランスが崩れて、メインの客層である高齢者がついてこれないところまでいってしまうことが時々発生する。

 

最近だとドラマ内で時系列が激しく交錯する『いだてん』は視聴者を選ぶようなところがあって、後期高齢者のうちの両親は早々と脱落していた。

とがったクドカン演出よりも、無難すぎるほど無難な大河のほうが、彼らは安心して見られるとのことだった。

 

SNSの盛り上がりを見ていると忘れがちなんだけど、大河ドラマってメインの客層はやっぱりそっちなんだよな。

 

それでいうと、『どうする家康』はターゲットにしている層がすごく明確。

 

まずは大河ドラマのメイン層である高齢者をしっかりと掴みつつ、これまで大河ドラマを見たことがない若い女性を松潤効果で狙いにいってるといった感じでしょう。

 

何よりもまず、主人公が徳川家康っていう、日本で義務教育を受けていたら100%知ってる大物っていう時点でめっちゃ守りの姿勢だし、しかも演じるのが松潤っていうことで視聴率の獲りにいき方も安全牌そのものだし。

 

その上、織田信長岡田准一豊臣秀吉ムロツヨシ武田信玄阿部寛と、有名なライバル大名たちに濃い人たちをあてて、これでもかというほどわかりやすいキャラ設定になっており、「まんが日本の歴史」っぽさがある。

 

さらに、大河ドラマ恒例の、本編が終わったあとに流れる歴史の舞台を紹介する2分ぐらいのコーナーがあるんだけど、ここって歴代ずっとNHKアナウンサーのナレーションと無人の映像のみだったところが、今年は松重豊のナレーションと松潤が登場するようになっていて、そんなところにもNHKの意気込みを感じるんだよな。

 

 

大河ドラマの味わい方

そんなわけで、去年か今年から大河ドラマを見るようになった方々は非常に多いと思われるんだが、なんといっても一年間、約50話の長丁場になるわけで。

 

せっかく見始めた大河から途中で脱落してしまわないように、大河ドラマを見続けてきたわたくしから、独特の味わい方をいくつかお伝えしようかなと思っております。

 

で、最初に結論から言いますと、平成以降の大河ドラマで重要な軸になっているのは、ズバリ親子と夫婦。

いろんな時代をテーマにしたドラマが作られてきたんだけど、この2つはだいたい共通していたはず。

 

歴史上の人物の一生をドラマ化するにあたっては、戦とか政治とかの公的な活躍だけを描いてもドラマとしては成立すると思うんだけど、大河ドラマは主人公の家庭のシーンをかなりしっかりやる。

歴史好きおじさんだけが喜ぶだけの武張ったものにしてしまうのではなく、ホームドラマ好きの男女にも楽しんでもらえるつくりになっているんだよね。

そこで大事なのが親子と夫婦って要素。

 

親子の軸

大河ドラマってだいたい一人の主人公の波乱万丈の一生を描くものなんだけど、波乱万丈になるからには、生きているうちに日本社会が大きく変化して、主人公はだいたいそこに巻き込まれて揉まれて成長していくようにできている。

 

日本の歴史でわかりやすく社会が変化するといえば、幕末か戦国時代。

この2つの時代はとにかく大河ドラマの舞台になりやすい。

 

で、ドラマの中で主人公が新しい世の中を作ろうとしたり、否応なく巻き込まれていったりするにあたり、旧世代の価値観を代表する存在として出てくるのが、主人公の親。

大河ドラマを習慣的に見ている高齢者が自分を投影するために、愛情深く主人公を見守りつつも新しい価値観には戸惑うばかり、みたいな親キャラは必要なんだよね。

 

『青天を衝け』の「とっさま」役の小林薫とかね。


 

夫婦の軸

日本に今のような一夫一婦制が定着したのは明治時代になってから。

大河ドラマの舞台になるような時代には、イエ同士の関係性を安定させたり跡継ぎを産んでイエを存続させることが結婚の最大の目的だったので、恋愛結婚なんてものはまず存在しなかったし、当主は側室をもつのも当たり前のことだった。

 

しかし、大河ドラマの視聴者は当たり前だけどみんな一夫一婦制で恋愛結婚してきた現代人なので、結婚に関する価値観が登場人物とは大きく違う。

 

その差を埋めて、安心して見ていられるようにするため、史実ではどう見てもバリバリの政略結婚だったとしても、ドラマの中ではお互い好き同士として描かれるのが一般的だったりする。

側室をもつことについても、主人公はあまりその気がないが家臣たちが強く勧めるので仕方なくそうする、といったような描き方になっていることが多い。

 

現代人の価値観で見てもドン引きさせないような描き方でありつつ、史実には沿わせるという、かなり難易度の高いストーリーさばきが求められるところなので、ぜひ大河ドラマをみるときには結婚の描き方にこそ注目してほしい。

 

そういったチャレンジがうまくハマると、えもいわれぬ味わいになることがある。

たとえば全体としてあまり評判がよかったとはいえない『江〜姫たちの戦国〜』において、宮沢りえ演じる淀が、秀吉に心を許す流れは印象深かった。

 

人命の軽さと身分の感覚

現代人の価値観とのギャップでいうと、恋愛観と同じかそれ以上に落差があるのが、人命の軽さや身分の感覚。

 

戦国時代や幕末の日本人って、みんなびっくりするほど簡単に死ぬし、殺す。

また、当時の感覚では身分の差があることが当然であり、高い身分の者の命のほうが重いとされてきた。

 

ただここもあまりリアルに描きすぎると、見ている現代人は完全に置いていかれることになるだろう。

「信長様のやり方はおかしい」みたいなセリフを主人公や周辺の誰かに吐かせることで、見ている側が共感できる余地を用意していたりするし、主人公は身分による差別を受けることはあっても差別する側にはまわらないようにもできている。

 

主人公はあくまで、人の命の重さや身分の差を現代人と同じように考えているようなキャラ設定にされることが一般的であり、間違っても「何百人死のうがかまわん!」とか「身分をわきまえよ下賤が!」とか言わない。

 

大河ドラマを見続けていると、見事にここのラインは守られているなといつも感心する。

 

規定演技のこなし方

大河ドラマは基本的に、国民的な知名度がある時代や人物を扱う。

 

かつては『山河燃ゆ』や『琉球の風』といったマニアックなテーマで制作された大河ドラマもあったけど、近年は、新島八重井伊直虎といったあまり知られていない人物を主人公にすることはあっても、舞台が幕末や戦国時代なので結局織田信長勝海舟みたいな有名人は登場するからわかりやすいよねっていうパターンが多い。

 

そうなってくると、歴代の大河ドラマの中で、歴史上の有名なエピソードが何度も描かれることになるし、有名な人物をいろんな人が演じることになる。

 

そういった有名なエピソードをどのように扱うかは、大河ドラマの大きな味わいどころのひとつ。

たとえば『真田丸』での関ヶ原の戦い本能寺の変の扱いが話題になったのも記憶に新しいところでしょう。

 

大河ドラマには時代考証というスタッフが存在しており、歴史上の出来事を嘘なく描けているかチェックするようになっている。

たとえば、本能寺の変のとき秀吉は備中高松城を攻めていて徳川家康は堺にいたってことは歴史上の事実として明らかなので、それと矛盾する脚本は書けないということ。

 

ただ逆にいえば、史実にあること以外は自由に解釈できるということでもあるので、明智光秀本能寺の変を起こした動機だったりとか、その日のテンションみたいな部分に関しては脚本家の腕によって幅をもたせられる。

 

歴代の明智光秀で個人的に印象に残っているのが、『利家とまつ』でショーケンが演じたやつ。

 

『鎌倉殿の13人』では、源平合戦の規定演技を、三谷幸喜がどのように処理するのかが見ものだった。

源平ものといえば歌舞伎や講談などで千年以上も語られまくってきた有名エピソードの宝庫なんだけど、その中でストーリーの本筋に関係ない「扇の的」とか、嘘っぽい「安宅の関勧進帳」とかはばっさり省略されていましたね。

 

 

『どうする家康』の規定演技

さて、徳川家康という人も、江戸時代を通じて神格化されており、あることないこと含めいろんな有名エピソードをもっているわけで、『どうする家康』ではそのあたりをどう描くのか注目したい。

 

特に、最初にしてもしかしたら最大の悲劇になりそうなのが、瀬名(有村架純)の最期。

信長の娘が告げ口したとおりの悪人として描くのか、それとも完全な言いがかりであんなことになってしまったとするのか。

 

あとは石川数正松重豊)のまさかのあの展開についても、これまでいろんな説が言われてきた事件なので、今回はどういう解釈になるのか、とか。

 

もちろん武田信玄との対決だとか、本能寺の変の前後の立ち回りとかも見ものだし、これを書いてる第3話の時点では出てきていない本多正信石田三成といった重要人物がどういうキャラになるかって観点もあるし、まあいろいろ期待ですね。

 


松潤はタヌキになるのか

大河ドラマって、主人公の一生を描くにあたり、青年期から晩年までを同じ俳優が演じるのがセオリーになっている。

志半ばで死んでしまう坂本龍馬織田信長あたりは別として、だいたいみんな最終回にかけて年老いて死んでいくわけで、そういうところもきっちり演じるものなんですね。

 

つまり、あの松潤がですよ、秀吉亡き後のドロドロとした権力争いを演じるっていうことです。

 

平清盛』の松山ケンイチとか『鎌倉殿』の小栗旬は、権力を手にした後におかしくなっていく「老害」的な感じを見事にやってたんだけど、徳川家康の一般的なイメージとしてよく言われる「タヌキ親父」な面を、松潤はどれぐらいやるのかっていうね。

 

今のところ三河の弱小大名としての家康は、いろんな災難に巻き込まれたりして「どうする?」と問われる側なんだけど、これが豊臣秀吉の晩年、内大臣になったあたりからの家康の立ち回りといえば、むしろ自分が争いの中心になって周囲に「どうする?」と圧をかける側にまわるじゃないですか。

豊臣につくのか徳川につくのか、どうする?って。

 

そのとき松潤はどんな感じになるのか、ちょっと想像もつかないんだけど。

やっぱりタヌキをやるんだろうか。

 

それとも、一般的には周囲を巻き込む側だったとされているタヌキ期についても、実は内心ヒヤヒヤし続けていて、「どうする?」って問われていたっていう新解釈を見せてくれるんだろうか。

 

「豊臣恩顧の大名たちを引き連れて上杉征伐の名目で江戸まで出てきたのはいいけど、ちょっとみんなに怪しまれてきてる…どうする?」とか、「もしも豊臣秀頼関ケ原まで出陣してきたら、今はこっちに味方してる福島や黒田もみんな寝返りかねない…絶体絶命…どうする?」とか、「このまま大坂城を攻めたら孫の千姫の命が危ない…かといってこんな大軍勢をいつまでも大坂に集めていたら外様大名が不穏な動きをするかもしれない…どうする?」とか。

余裕しゃくしゃくだったように思われる晩年のエピソードも、こうやってドラマチックに「どうする?」な感じに描いてくれたらフレッシュでおもしろいかもしれない!

 

とまあ、妄想はこれぐらいにして、今日の話をまとめると、『どうする家康』に限らず大河ドラマに共通する味わい方としては、①恋愛観や身分の感覚など現代人と落差がある部分をどう感情移入できるように描くか、②歴史上の有名エピソードや有名な人物をどんな解釈で描くか、という、集約するとこの2点ってことです。

 

この2点を頭の片隅において時々思い出しながら大河ドラマを味わえば、きっと年末まで楽しく完走できるはず!

 

 

恋愛至上主義社会のサウンドトラックとしての松任谷由実、その功績を今こそ考える

松任谷由実のデビュー50周年ということで、様々な動きがあった2022年。

 

 

1980年の未発表トラックを元にAI荒井由実と共演した新曲「call me back」が話題になったり、その「call me back」が収録されたベストアルバム『ユーミン万歳!』が数々の記録を塗り替えたり。

ユーミン万歳! - Wikipedia

 

六本木ヒルズでは過去50年の資料や映像、コレクションなどを集めた特別展が開催されたり。

 

 

さらには「NHK紅白歌合戦」への出場が決まったり。

 

FM局や地上波テレビといったかつての主戦場からネットまで、あらゆるメディアを駆使した話題作りはお見事というほかない。

 

国民的シンガーソングライターが全力で話題作りをしてくれた影響で、ここ最近いろんな人たちがユーミンについて語る姿を目にすることが増えた。

 

そこで気づいたのが、ユーミンの語られ方の変遷。そしてその偉大さにもあらためて気づいた次第です。

 

世代によるイメージの違い

2020年の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に松任谷由実がゲスト出演した際に、とても興味深い企画があった。

 

 

その企画というのが、10代〜20代、30代〜40代、50代〜60代のそれぞれの年代ごとに、ユーミンのイメージや好きな曲を聞くというもの。

 

10代〜20代にとっては、ジブリ映画で使われた「ルージュの伝言」「ひこうき雲」と、教科書にも載っている「春よ、来い」のイメージが強いらしい。

 

30代〜40代にとっては、ドラマの主題歌としての「Hello, my friend」「真夏の夜の夢」「春よ、来い」のイメージ。

 

そして、50代〜60代にとっては、リアルタイムに自分たちの青春を彩った「中央フリーウェイ」や「卒業写真」が愛されているということだった。

 

幅広い世代に絶大な知名度を誇っていつつも、世代によってこんなにもイメージが異なるなんて、他のアーティストではなかなかあり得ないことだと思う。

 

非常に興味深い結果だなと感じるんだけど、各世代が選んだ曲やその理由はすべてとても納得感がありつつも、全体として見たときに大事な要素が抜け落ちていることにも気づいてしまった。

 

そう。80年代の、何ならもっとも勢いがあった時期のユーミンを、どの世代も語っていないのである。

 

80年代の勢いはなかったことに?

1981年の『昨晩お会いしましょう』以降、毎年12月頃にニューアルバムをリリースし、すべて1位になるという時代が90年代前半まで続いていたあの頃が、売り上げ的にも社会的な影響力の上でも、ユーミンのキャリア史上最強だったわけですよ。

 

今回のベストアルバムの収録曲としては「真珠のピアス」「守ってあげたい」「ノーサイド」「青春のリグレット」「リフレインが叫んでる」「カンナ8号線」あたりがこの時代なので、人気だけでなく作品としての質ももちろん高くて、脂が乗り切っていたんです。

 

にもかかわらず、2020年代に国民が思い浮かべるユーミンのイメージに、この時代のことが含まれていないという。

 

これ、めっちゃ不思議じゃないですかね?

10〜20代がこの時代のことを知らないのは当然だとしても、少なくとも40代後半とか50代にとっては、ど真ん中のはずなので。

 

ではなぜそんなことが起こっているのか、そして80年代がどういう時代だったのか、そのあたりをもう少し掘り下げてみたい。

 

バブル期の象徴としてのユーミン

80年代後半のバブル期には、「若者たるもの恋愛するのが当たり前」「レベルの高い恋人を手に入れることが何より重要」「クリスマスに独りでいるなんて耐えられない」的な、恋愛至上主義的なメッセージがトレンディドラマやファッション雑誌などを中心に強く打ち出されていた。

 

しかも、ブランド物の洋服と中古じゃない自家用車と一人暮らしのマンションとかが揃っていないと、恋愛市場のスタートラインに立たせてもらうことすらできないらしいとかで、当時小中学生だった自分もあと数年後には自分もそんな戦場に送り出されるのかと戦々恐々としていたものだった。

 

そんな恐ろしくも華やかな時代を象徴していたのが、イケイケ時代の松任谷由実

 

毎年12月頃にアルバムをリリースするごとに100万枚を売り上げ、アルバムごとに掲げていたコンセプトがそのままその年の日本人における恋愛のモードとして流布されるほどの話題となっていた。

たとえばアルバム『Delight Slight Light KISS』のリリース時に「テーマは純愛です!」というご託宣がユーミン様から発せられると、世の中がなんとなく、これからは純愛だ!みたいな感じになるほど。

 

映画『私をスキーに連れてって』における「恋人がサンタクロース」のような感じで、松任谷由実の楽曲は恋愛至上主義社会のサウンドトラックみたいな存在だった。

 

 

恋愛至上主義の終焉とともに忘れ去られたもの

バブル期って、日本人は金儲けし過ぎだって世界中から警戒されていたぐらいで、ほんとに日本中が浮かれていたんだろう。

若者の恋愛至上主義もそういう熱気が生んだ副産物みたいな面はあるんじゃないか。

 

そんな良くも悪くもイケイケだった当時と、すっかりくたびれてしまってる2020年代とでは、何もかもが変わってしまった。

 

若者は車を買わなく(買えなく)なり、リスクが大きすぎる恋愛なんかよりも推し活のほうがよっぽど低リスクで充実感を得られることに気づいてしまった。

 

そして、身にまとう服や乗っている車で自分の値打ちを誇示することも、恋人がいないと人間として劣っているかのようにみなすことも、女性がつきあっている男のステータスで競い合うことも、男性がつきあっている女性のルックスで競い合うことも、すっかり時代遅れになった。

 

そして、80年代の恋愛至上主義の価値観のほとんどが時代遅れになったことに引きずられるかのように、荒井由実松任谷由実の50年のキャリアのうち、その時代の楽曲たちは、近年あまり語られなくなってしまった。

 

今回のデビュー50周年をめぐる一連のユーミン語りの多くにおいても、相変わらずその時代の話は手薄で、「質の高いシティポップ作品を生み出した八王子の天才」みたいな文脈や、「世代を超えて届く普遍的な作品を作り続けた偉大な人」みたいなものが多く目につく。

 

だけど、『金スマ』で「卒業写真」への思いを熱く語る50代〜60代は、かつてはそれと同じかそれ以上の思い入れを「真珠のピアス」や「シンデレラ・エクスプレス」に持っていたはずなんだよな。

 

なのにみんないつの間にか、その頃の自分を無意識のうちに記憶から消してしまったらしい。

別に黒歴史として意識的に隠してるってことではなく、隔世の感がありすぎて、現在の自分と地続きのところに『SURF&SNOW』な時代があったことをちゃんと思い出せなくなってしまってるんじゃないだろうか。

 

その結果、ユーミンの好きな曲としてエバーグリーンに美しい「卒業写真」を挙げるようになってしまったのではないか。

 

 

そんな中、80年代ユーミンを真正面から取り上げて異彩を放っていたのが、こちらの朝日新聞ポッドキャスト

恋愛至上主義社会のど真ん中にユーミンが鳴り響いていた頃の空気感について知りたい若い人にはぜひ聴いてほしい。

ユーミン: ArtistCHRONICLE【恋愛しないといけない空気感 バブル前後、ユーミンが若者に与えた影響】』

 

そして、超重要な論考がこちら。

ユーミンの罪』という挑発的なタイトルの新書を著した酒井順子による、恋愛至上主義社会の象徴としてのユーミン論。

「除湿機能」「助手席感」「業の肯定」というキーワードで、松任谷由実のすごさを表現している。

 

あらためてフェアに功績を考える

そもそも荒井由実より前、女性の作詞家っていうと、安井かずみ岩谷時子など片手で数えられる程度しかいなかったわけですよ。

女性歌手が歌っていた歌も99%以上は男性作詞家が書いていたわけで、女性リスナーが流行歌を通じてインストールする恋愛観はそうやって作られていた。

女性蔑視とまでは言わないまでも、どうしたって男目線で描く女歌には限界があるだろう。

 

そんな時代に、都会的でおしゃれでありながら、清少納言なみの繊細なセンスでめちゃくちゃリアルな女性目線の歌を生み出したのがユーミンという人。

 

そして、やはりちゃんと考えないといけないのは、恋愛至上主義っていう価値観がなぜ当時あんなにも輝いていたのかっていう部分。

 

たとえば弱肉強食の新自由主義はたしかにキツいけど、持て囃されるからには理由があって、それは、それまでの非効率で頭の固い経済政策をぶっ壊すというビジョンを示したからじゃないですか。

恋愛至上主義にもそれと同じ構図があって。

 

それはつまり、女は男に従属するものだとか、結婚は家と家の話だとか、女のくせに自由に遊ぶなんてはしたないだとか、そういった古臭い価値観から開放してくれる面が多分にあったと思う。

 

もしかしたらユーミン本人にとっては、女性も男性もなく自分の意志を持っていることは当たり前のことだし、男性に守ってもらう無力な存在だなんて感じたことなんて一度もなく当たり前のように「守ってあげたい」と言っただけなのかもしれなく、特に世の中に対するメッセージがあったわけではないのかもしれない。

 

しかし結果として、好きな男は自分で選んでいいんだよ!受け身じゃなくどんどん自分からアプローチしちゃいなよ!っていう開放感を多くの女性に与えることになった。

 

つまり本人の資質によって、天然で時代を半歩先に進めていく存在だったんだと思う。

 

ユーミン『恋人がサンタクロース』を反省 「社会の呪縛になった」 (2016年12月16日) - エキサイトニュース

 

 

そういえば今年の紅白歌合戦においても、紅組の一員としてではなく、特別枠での出演なんだよね。

決して紅白の権威そのものを否定するようなラディカルな立ち位置にはならないんだけど、かといって押し付けられることに甘んじることは絶対しないっていう。

 

そういうところに「らしさ」をとても強く感じる。

 

 

 

 

シティポップの最終防衛ラインが突破されるとき

シティポップとは何か

ここ数年日本のシティポップが世界中で人気らしいという話が、ネットニュースなどを通じて一般レベルにまで伝わってきている。

単におもしろい社会現象としてだけでなく、いわゆる「日本スゴイ」言説の一種としても受け入れられている感じもある。

また、国内でのシティポップ再評価は、自分が観測してきた限りでも10年以上前からあり、たとえば2011年のceroの1stアルバムについてはそのような語られ方をしていた。

 

ただ、これら一連のムーブメントにおいて、「シティポップ」という言葉が具体的にどのあたりのサウンドを指しているか、実は語ってる人によってバラバラなんですよね。

 

「シティポップ」という呼び名が出てくる前から、山下達郎シュガー・ベイブとか、細野晴臣のティン・パン・アレイ周辺の再評価がゼロ年代にあって、その流れで大貫妙子吉田美奈子大滝詠一あたりがシティポップってイメージを個人的には持っていたんですよ。

なので、シティポップというくくりが音楽シーンの中で使われるようになって、いろいろ紹介されていくなかで、林哲司角松敏生あたりが含まれるということになってきたとき、最初は違和感があった。

 

その違和感がどこからきてるのかと考えたときに、大きく2つあるなと。

 

ひとつは、シティポップって、商業的には成功していないけど高度な音楽性のためむしろ後世への影響が大きいものっていうイメージがあったので、リアルタイムで普通に売れていた曲が含まれてくることへの違和感。

 

もうひとつは、鈴木茂のギターとか林立夫のドラムとか松任谷正隆の鍵盤とか、そういう名プレイヤーによる生っぽい質感の音こそがシティポップっていうイメージがあり、80年代中盤以降の加工されたドラムや打ち込みのリズム、シンセサイザーの音色がシティポップっぽいと言われるとどうしても同意しづらいってこと。

 

※このあたりのことは名著『シティポップとは何か』で詳しく書かれているので、ぜひ。今回のこの話の超重要参考文献です。

 

いくら個人的な違和感を抱えていても、世の中はそれとは関係なく進んでいくもので、シティポップの概念は今ではかなり広くなっている。

 

ここでは便宜上、シュガー・ベイブやティン・パン・アレイあたりを70年代シティポップ、林哲司角松敏生あたりを80年代シティポップと呼んで話を進めていきたい。

 

どこまでがシティポップか

林哲司角松敏生あたりの80年代シティポップが再評価されているこの時代、本人たちの次にこのことを喜んでいるのが、中古レコード・CD業界であろう。

 

なんといっても、杏里とかオメガトライブといった80年代シティポップのレコード・CDなんてものは、ちょっと前までは100円コーナーでも手に入るものだった。

不良在庫の山になるだけなので、中古レコード店ではなんなら買い取り拒否されてたんじゃないか。

 

それが今や「シティポップ」のタグをつけることで世界中から引き合いがくるようになったわけで。

中古レコード・CD業界にとっては、大量に抱えた在庫を売り尽くすまたとないチャンスと認識されているんじゃないだろうか。

 

2022年11月における杉山清貴オメガトライブのCDの相場。隔世の感あり

 

こうなると、できるだけ多くのレコード・CDに対して「シティポップ」のタグをつけたいと思うのが、商売人としての自然な感情であろう。

 

何がシティポップなのかという明確な定義がない以上、「おたくで買ったレコードを聴いてみたけどこれは全然シティポップじゃなかった!詐欺!」などと買った人から訴えられることもないし、このブームが続く限りはシティポップの枠はなし崩し的にどんどん拡大していくに違いない。

 

かつてシティポップを再発見したイノベーター層はもう何年も前に次のモードに移行していたとしても、もっとも人数が多いレイトマジョリティ層がシティポップという概念に気づいてきたここ数年が商売としてはもっともボリュームゾーンになるんだろう。

 

過去のいろんなブームの例に違わず、このフェーズになってくると、ブームの担い手はセンスや愛情よりも大規模なビジネス展開の能力を持った人々になってくる。

つまり、細かい差異に目くじらを立てるよりも、あれもこれもシティポップってことにしておいたほうが儲かるしいいじゃないかっていうマインドがますます支配的になってきそう。

 

つまり、今まではシティポップだとされてこなかったあれこれが、シティポップ扱いされてしまう現状が観測できるんじゃないか。

そして、そこまで行ってしまったらさすがにブームももう終わりだろうな、っていうひとつの目印になりそう。

 

そんな、シティポップの「最終防衛ライン」を、いまここで設定しておこうと思う。

2023年にこのラインを誰かが超えてくるかどうか見張っておきたい。

 

最終防衛ラインその1:TUBE

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左が細野晴臣鈴木茂山下達郎『Pacific』のジャケット。右がTUBE『Beach Time』のジャケット。

 

TUBEがシティポップと呼ばれてしまう懸念は、個人的には何年も前から感じていた。

オメガトライブがシティポップならTUBEもそうだろっていう。

 

純粋にかれらの音楽的な背景をみていくと、AORフュージョン、あとビーチボーイズ的なコーラスやリゾート感のある軽いラテンフレーバーなど、それこそ山下達郎にも共通点が多いわけで。

 

いかにもビーイング系な産業ロック臭が全体的にあるので、そのまま刺身にはできないけれど、薬味などでうまく脱臭する調理ができれば、シティポップとしておいしくいただけるんじゃなかろうか。

 

90年代を生きた我々にとっては、生身のTUBEが発していた軽薄さの印象が強すぎて、今のところシティポップとは呼びたくないって気持ちになるってだけで、このあたりの曲だけ切り出して外国人に紹介したら普通にシティポップとして扱ってくれそうじゃないですか。

 

 

 

なのでこの防衛ラインは割とたやすく突破されそう。

 

最終防衛ラインその2:C-C-B

いかにも80年代なテクノポップ楽曲の一部は、すでにシティポップ扱いされている。

すでにいろんなプレイリストや紹介記事では、テクノポップ〜初期ユーロビート〜ブラコン的な音でさえもシティポップ扱いされてきているわけで。

おそらく若い人を中心に、文脈ではなく音の質感によって、それらにシティポップらしさを感じてるんじゃなかろうか。

 

そしたらC-C-Bだって立派にシティポップじゃないかって思うんですよね。

 

デビュー当初は和製ビーチボーイズ路線のバンドだったC-C-Bは、松本隆筒美京平コンビによる「Romanticが止まらない」(1985年)が大ヒットし、その後もテクノポップ楽曲でお茶の間レベルでのヒットを量産した。

 

 

 

このあたりの曲は、Night Tempoがこんな感じ↓でリミックスしてくれたりなんかしたら、一瞬で世界中の好事家に見つかってレコードが高騰しそうじゃないですか。

 

 

なので、この防衛ラインが突破されるのも時間の問題かも。

 

最終防衛ラインその3:TMネットワーク

さて、いよいよここが本当に本当の最終防衛ライン。

 

プログレッシブ・ロックで音楽に目覚めたという小室哲哉シンセサイザーシーケンサーという武器を手に入れ、産業ロックやニューロマンティックといった当時のトレンドを取り入れて独自の音楽性を確立したのがTMネットワーク

つまりバックボーンにはシティポップ要素は皆無と言っていい。

 


サウンドだけでなく、人脈的(内田裕也ファミリーだったりエイベックス周辺だったり)にもヴィジュアル的にも歌詞の世界観もシティポップとは縁遠いので、さすがにここまで到達することはないだろうと思える。

 

しかし、曲単位で聴いていくと、その確信もだんだん揺らいでくるんだよね。

 

 

このあたりの曲なんて、亜蘭知子や杏里なんかと一緒に外国人のDJミックスに紛れ込んでいても違和感ないと思う。

 

あやうし最終防衛ライン。

 

それに何よりも、アニメ『シティーハンター』のエンディングで流れる「Get Wild」のイメージ。

アニメとシティポップって、リアルタイム世代の日本人にとってはむしろ真逆の存在のように感じられるだろうけど、Youtubeなどを通じて80年代の日本のカルチャーに触れた海外の若者にとっては、両者はむしろ強く結びついているらしい。

 

Get Wild」という曲自体はシティポップ感は薄いけど、『シティーハンター』の強烈な印象によって最終防衛ラインを超えてきてしまう可能性がある。

 

 

シティポップはどこまでいくのか

以上、まったくありえないわけではないけど、今のところ一般的にはシティポップ扱いはされていないっていうアーティストを3組取り上げてみたわけだけど、あらためて聴き返してみると、現在シティポップとされているものとサウンド面での距離はほとんどないように感じる。

 

ぶっちゃけ、80年代中盤以降のサウンドまでもがシティポップ扱いされるようになってからは、もはや自分にとってはそのラインがよくわからなくなっているっていうのが大きいんだけど。

 

とはいえ別に解釈が拡大し続けていることに目くじらを立てたいわけではなく、現象として非常に興味深いなと感じている次第です。

 

(この3組が突破されたら、次は安全地帯かチャゲアス古内東子か…)

『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』を読んで思い出した、「ヴィジュアル系」という言葉がまだなかった頃の話

先日こんな本を読みました。
 

 

J-POPについて考えることを生きがいにしている人間として、そして、高校時代の学園祭バンドでXとLUNA SEAのコピーをやったのが初舞台だった人間として、ヴィジュアル系のことはいつも頭の片隅で意識し続けてきた。

 

しかしその一方で、頭の片隅にあったのは概念としてのヴィジュアル系であって、実在のものとしてちゃんと楽曲などを認識できていたのは正直LUNA SEAまでだったというのも事実。

あとはゼロ年代前半にちょっとだけバイトしていた中古CD屋で、当時のヴィジュアル系のCDの一部が高値で取引されていたのを認識している程度だった。

 

2000年代以降のシーンの動向はちゃんと追えておらず、いつかちゃんとチェックしないとなとずっと思っていたのです。

 

なので、このタイトルと漆黒の装丁を見かけて速攻購入したわけ。

 

自分はターゲットじゃなかったけど膝は連打

2000年代以降のシーンの動向が掴めるんじゃないかという期待を抱いて読み始めたんだけど、そういう話は最後の方で少し触れられていただけだった。

そういった意味では自分はこの本のターゲットじゃなかったってことにはなったんだけど、ただ、主張されている内容に関して膝を打つこと多数で、期待とは違う方向で結果的に非常に実り多い読書体験になりました。

 

歴史を語るということは、たくさんある出来事や人物のどこを重要視するかという語り手の歴史観が反映される。

琵琶法師が弾き語る平家物語と、鎌倉幕府が公式に「吾妻鑑」に書き残した歴史とでは、同じ源平合戦でも全然見え方が違うように、ヴィジュアル系の歴史も、どういう観点で語るかでまるで違ってくる。

 

これまで何度か目にしてきたヴィジュアル系の誕生から発展の流れが書かれたものはどれもしっくりこない感じがあったんだけど、本書はもっとも納得感があるものでした。

 

本書の良さをざっくりまとめると、まず当時自分が感じていた空気感に近いってことと、あと洋楽邦楽含めヴィジュアル系のジャンルの内外との影響関係についてクリアに解説されていたということ。

ヴィジュアル系というと、日本独自のガラパゴス的な閉じたジャンルだと思われがちなんだけど、実は人脈的にもサウンド的にもかなり開かれているんだよね。

 

奇抜な見た目に印象が引っ張られすぎて、サウンドそのものを純粋に評価する観点が少なかったからなのかもしれないんだが、自分のような同時代のバンドマンからすると、ヴィジュアル系ってそんなに遠くにあるものだと感じていなかった。

 

ということで今日は、「ヴィジュアル系」という言葉がまだなかった90年代に高校生バンドマンの目から見えていたことについて書いてみようと思います。

 

ヴィジュアル系」という言葉がまだなかった頃

わたくし1976年生まれでして、世代的にロックというものを意識した時期はバンドブームが始まっていたタイミングだった。

 

夜のヒットスタジオ」にユニコーンが登場して「大迷惑」をやったり、ドラマ『はいすくーる落書』の主題歌がブルーハーツだったり、たまの「さよなら人類」がお茶の間に届く大ヒットになったりしていた1989年前後。

 

毎月のように目新しいバンドがたくさん登場するなかで、ラジオか何かで耳にしてカッコいいなと思って8cmシングルを買ったのが、BUCK-TICKの「悪の華」。

そしてちょっと年上の不良っぽいセンパイたちが夢中になっていたBOOWYはそれらと入れ替わるように解散した。

ちょっと怖いような見た目のバンドのポスターやチラシが楽器屋に置いてあったり、他のバンド目当てで読んだ音楽雑誌にもそういったバンドがおどろおどろしく紹介されていたりして、後にそれがジャパメタやハードコアやポジパンっていうものだと知る。

 

ヴィジュアル系」っていう言葉がまだなかった頃、そんな断片的な情報から、なんとなくそれらがお互いに影響しあっていたり繋がっているような印象を受けていた。

 

チェッカーズとか男闘呼組みたいなグループがお茶の間にとっての「バンド」であり、ブルーハーツプリンセスプリンセスはそういったものよりは若干マイナーで若者向けな存在なんだけど、同年代の会話の中には普通に出てくる。

で、それよりさらにもう一段深いところにいくとXやBUCK-TICKがいるって感じ。過激で毒々しいキーワードと都市伝説っぽい武勇伝に彩られたそれらのバンドは、どうしようもなく十代の男子を惹きつけてしまったものだった。

 

(自分はそこで筋肉少女帯と落語と深夜ラジオっていう路線に行ってしまったので、ど真ん中というわけではなかったんだけど、片足は入っていた自覚はある)

 

メガネ革命前夜にバンドやりたい男子高校生が考えていたこと

初めて人前でライブをやったのは、1993年。高2の文化祭。

ほんとはNIRVANAをやりたかったんだけど他のメンバーに却下され、結局XとLUNA SEAをやることになった。あと洋楽派への妥協案としてガンズをやったんだった。

 

90年代前半の高校生男子がバンドを始めるのって、もともとクラスの人気者だったような奴が文化祭の前に突然バンドに目覚めるパターンが多くて、つまり音楽性とかクリエイティビティとかが先立ってることはほとんどない。

 

よりモテたいとか目立ちたいとかカッコよく振る舞いたいとかがまずあるので、その当時のロールモデルに従うことが最適解だと気づいた奴にとっては、ロールモデルが髪を逆立てて化粧してるんだったら、素直にそれに従うだけ。

その姿でライブをやってモテたのであれば、それが正解になる。

 

男性バンドマンが化粧してステージに立つという文化は、もともとはイギリスのニューウェーブやハードコアのバンドに影響を受けてはじまったものが、BUCK-TICKなどの先行例が出たことで、モテるための手段として一気に広まったんだと思う。

 

https://ogre.natalie.mu/media/news/music/2010/1225/lunacy_art.jpg?imwidth=750&imdensity=1 

 

あと、当時はギターヒーローに憧れて速弾きの練習をずっとやってる奴がたくさんいた。

 

『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』でもたっぷり語られていたけど、ギターヒーローが使っているのと同じモデルのギターが楽器屋にたくさんあった。

普通のギターをカスタマイズした見た目が「シャア専用ザク」に憧れた小学生の頃の気持ちを刺激してくるんだよね。

 

今では信じられないかもしれないけど、ギターヒーローへの憧れがきっかけになってる奴が、音楽やりたい若者の半分ぐらいを占めていた。

軽音楽部はギタリスト志望だらけで、ベースとドラムは複数のバンドをかけもちするのが当たり前。なんならヴォーカリストも不足気味なほどだった。

 

なので、90年代前半のことを語る上で、布袋寅泰とHIDEというギターヒーローは超重要なんですよ。あと本書で熱く語られていた今井寿も。

 

https://ogre.natalie.mu/media/news/music/2018/0429/bucktick0428_5.jpg?imwidth=750&imdensity=1

 

ところが、1998年頃から男子高校生が憧れるバンド像が大きく変わってくる。

 

ひとつは、くるりナンバーガールアジカンといったバンドの登場。

フロントマンがメガネっていうのは、当時はものすごく衝撃的だったわけ。

ここから、元からクラスの人気者だった奴がさらにモテるためにバンドを組んだ的なヴィジュアル系の方向ではなく、日頃は目立たないメガネくんが学祭で突如化ける路線が確立された。

その路線はその後も、サンボマスター神聖かまってちゃんサカナクション星野源あたりに受け継がれていく。

 

もうひとつは、Hi-STANDARDモンゴル800175Rといったパンク勢の台頭。

元からクラスの人気者だった奴らも、ヴィジュアル系ではなくパンクをやったほうがモテる時代に突入したのである。

青春パンクのブームが一段落したあとも、クラスの人気者は今度はDJやダンサーやラッパーを志すようになり、ヴィジュアル系に戻ってくることはなくなった。

 

ましてや、ギターヒーローに憧れてひたすら速弾きを練習するギター小僧なんてものはほぼ絶滅した。

 

この1998年のメガネ革命&パンクブームで成立した価値観は、その後「邦ロック」という名前を与えられ、2022年現在にも基本的には引き継がれている。

 

そんな今となっては、バンドやりたい高校生男子にとってヴィジュアル系がもっとも身近だった時代があったなんて想像するのはなかなか難しいと思う。

 

ヴィジュアル系が音楽的に最先端だった時期

手っ取り早くヴィジュアル系のコピーをやりたがった当時の男子高校生は音楽性とかクリエイティビティとかは度外視していたという話をしたけど、だからといって、ヴィジュアル系の先達たちがクリエイティブじゃなかったということにはならない。

 

むしろ、どんなジャンルでもそうだけど、ジャンル名が生まれる前から手探りで道を作っていた人たちはみんな、クリエイティビティと野心の塊なわけで。

 

『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』でもたっぷり触れられていたけど、犬猿の仲だったジャパメタとハードコアの橋渡しになったXや、ヴィジュアル系に特徴的なダークでゴシックな世界観の原型をほぼ作り上げたBUCK-TICKなんかの開拓者っぷりは、すごすぎてちょっと比較対象が見当たらない。

 

ヴィジュアル系の音楽的なルーツは、ほぼほぼ80年代のイギリスにあると言えるんだけど、実は同時代の欧米のロックのトレンドにも敏感だった。

 

90年代の世界的なロックのトレンドといえば、グランジ、ミクスチャー、ブリットポップ、ガレージリバイバル、メロディックパンク、いわゆるデジロック(インダストリアル)あたりが挙げられるんだけど、このうちミクスチャーやデジロックに関してはヴィジュアル系が率先して取り入れていた。

ヴィジュアル系が手を出さなかった残りの要素はだいたい下北沢のバンドがやった)

 

特にHIDEは、マリリン・マンソンやホワイトゾンビといったリアルタイムでそのあたりのジャンルを牽引していた米国の第一線アーティストと交流し、日本のお茶の間にエッセンスを注ぎ込んでいた。

アメリカの人気女性グランジバンドL7のリズム隊と一緒にテレビ出演したり。

 


ピンクスパイダー」「DOUBT」「FROZEN BUG」あたりの曲は、今聴いても世界レベルのサウンドになっていると思う。

 

シティポップの流行もさすがにもう一段落する頃だろうけど、その次にこのあたりの音が流行ったりしないかなー!

 

 

 

 

仁義なき『鎌倉殿の13人』

2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がめちゃくちゃおもしろい。

 

物語の前半は、源頼朝が北条氏の力を借りて関東で挙兵し、源義経らの活躍により都から平家を追い出して政権を握るという、有名な源平合戦もの。

特に歴史に詳しい人でなくても、「いいくにつくろう鎌倉幕府」とか「牛若丸と弁慶」とか「耳なし芳一」のようなかたちで馴染みがあるはず。

 

ただ、よくある源平合戦ものだと平家が滅んだ時点で物語はおしまいになるんだけど、『鎌倉殿』の場合、そこでちょうど折返しぐらい。

 

後半はひたすら、政権内部での凄惨な内紛が続く。

 

『鎌倉殿の13人』っていうタイトルは、合議制で幕府を運営することになった13人という意味なんだけど、13人揃ったのは一瞬だけで、1人また1人と殺されていく。

 

わたくし、「三谷幸喜が『鎌倉殿の13人』っていうタイトルで大河ドラマを担当することが決定!」っていう2020年1月のニュースに対して、こんなツイートをしていました。

 

 

はい。ほぼ予言どおりの展開になったよね。

そして小池栄子北条政子は最高ですね。

 


実録ヤクザもの

いろんな人が指摘していますが、『鎌倉殿の13人』って、『仁義なき戦い』などの実録ヤクザ映画にとてもよく似ている。

 

「実録もの」っていうのは、それまでの高倉健鶴田浩二がやっていたような勧善懲悪な任侠ものではなく、保身や裏切りがうずまく生々しい権力闘争を実話ベースに描いた作品のこと。

 

 

たしかに、実の弟や数少ない仲間でさえも危険だと思ったら殺してしまう『鎌倉殿の13人』の頼朝のキャラクターは、『仁義なき戦い』で金子信雄演じる山守組長を思い起こさせる。

 

しかし、それ以外にも『鎌倉殿の13人』と実録ヤクザ映画には大きな共通点がある。

 

それは、「力」というものを扱っているということ。

 

ヤクザも坂東武者も、集団で暴力を駆使する存在。

そういうわかりやすい「力」の話でもあるんだけど、一方で、年がら年中刃物を振り回しているわけではない。

21世紀からすると野蛮で非効率に見える時代だけど、それでも不良中学生とかとは違うので、1人ずつと殴り合って倒した相手を家来にしていくような非効率なことはしない。

 

そういう直接的な暴力はいざというときだけ行使することにして、普段は「権力」「抑止力」みたいな目に見えない「力」を使って、直接殴り合わずに相手を従えていく。

 

「抑止力」は、こいつに手を出したら大変なことになりそうだと相手に思わせる力なので、実際にはそんなに強くなくても手に入れることができる。

ただ、実態のない抑止力は相手に疑われてしまったら終わり。ヤクザは相手にナメられたら終わりだとか、みんなに落ち目だと思われたら一気に落ちぶれるとかいうのはそういうことなんでしょう。

 

直接的に暴力に訴えたとき、金子信雄演じる山守組長よりも菅原文太演じる広能のほうが強いはずだし、途中からは人望の面でも圧倒的に広能にあるはずなんだけど、山守のほうが常に「力」を持っている。

家来が1人しかいない源頼朝が、なぜ坂東武者たちにお互いを殺し合わせるような命令が可能で、坂東武者はそれに従うのか。つまりなぜ源頼朝に「力」があるのか。

 

山守も頼朝も、この「力」の使い方を熟知しているがゆえに、ずっとトップに君臨できたんじゃないか。そして、「力」の怖さを熟知しているがゆえに、弟だろうと部下だろうと邪魔になったら躊躇なく始末してしまえる。

 

21世紀の社会にあって戦後の広島や800年前の鎌倉にないもの

戦後の広島や800年前の鎌倉の物語を、別世界のこととして楽しんでいる21世紀のわれわれ。

そこにはどんな違いがあるかというと、ひとことでいうと「法」だと思う。

 

コンプライアンスの名のもとに営まれている21世紀の社会では、誰も「力」を好き勝手に使うことはできない。

誰かが何らかの「力」を持つ根拠として、法律がある。

気に入らない相手を殺したり、脅して従わせたりする行為は、刑法にふれることになる。

警察官や自衛隊だけが武器を持って誰かを制圧したり捕らえたりできるのは、そういう法律があるから。

 

だから、みんないじめっ子に怯えながら暮らす必要はないし、報復をおそれて相手を根絶やしにする必要もない。

人類が長い時間をかけてやっとこんな状態を手に入れることができたおかげで、みんな自分の仕事や家庭に集中できるようになったんじゃないでしょうか。

だって政治や裁判そっちのけで、あいつがおれの命を狙ってるんじゃないかとかばっかり考えてるあの鎌倉の体制って、見るからに生産性めっちゃ低そうでしょう。

 

 

そりゃあ戦後の日本にももちろん法律はあったし、平安時代にも一応それっぽいものは存在したんだけど、今と比べると法律の外側の領域がめちゃくちゃ広かったんだろう。

だから、法に守られていないむき出しの集団同士が、「力」の使い方次第で一気にのし上がれたりあっさり潰されたりする。

 

そのダイナミックなありさまが、実録ヤクザものや中世日本を舞台にした作品のおもしろさなんだと思う。

 

大義名分というフィクションの力

歴史を動かす目に見えない「力」のうち、もしかしたら最強のカードは「大義名分」ってやつかもしれない。

 

理由なく誰かを攻撃することは、たとえ鎌倉時代であっても、味方でさえもドン引きしてしまうおそれがある。

しかし、何らかの大義名分さえあれば、人は簡単に攻撃的になれてしまう。

 

先に手を出したのは相手なので、とか、全体の秩序を守るためにはみんなを代表して我々がやるしかない、とか、神の名において非人道的な敵を許すわけにはいかない、とか。

 

ここ日本ではずっと、天皇を味方につけることが大義名分になり続けてきた。

中国や他の国の皇帝と違って、目に見える「力」を持っていない天皇が滅びずにこれたのは、大義名分を与える存在として便利だったからでしょう。

天皇を倒して自分がトップに立つよりも、天皇大義名分をもらって敵対する勢力を制圧するほうが効率よかった。

 

源頼朝も、後白河法皇(の子)からの平家打倒の指令を受け取ったことが、挙兵の大義名分になった。

大義名分があることで坂東武者を従わせることが可能になったわけで。

 

そう、平家を倒すまでは、比較的ここが明確だった。

 

しかし、鎌倉の内紛には大義名分がほぼない。

謀反の疑いとか言うけど、根拠として弱いし命令に従う側も後ろめたさがつきまとってしまう。そこらへんの後味の悪さが、ここ最近の『鎌倉殿の13人』中盤の味わいどころでしょう。

 

そして、ドラマの終盤ではいよいよ後鳥羽上皇との対立が激化していく。

かつて頼朝に大義名分という「力」を与えてくれた朝廷。

ひたすら仲間内で殺し合い続ける鎌倉側が、大義名分という最強カードをもつ朝廷にどう立ち向かうのか。

 

回をおうごとにかっこよさが増す北条政子がここからどんな活躍を見せるのか!

めちゃめちゃ楽しみ。

 

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ヘヴィメタル=モンゴル発祥説

今年もフジロックに行ってきました。

初日(7月29日)のみだったけど、午前中のTHE HUからDOPING PANDAヒルカラナンデス、THE BASSONSオリジナルラブ、SKYE、Awitch、ハイエイタス・カイヨーテ、ヘッドライナーのVAMPIRE WEEKENDから深夜のおとぼけビ~バ~まで、たっぷり満喫。

 

今年になってやっと各地でフェスとかライブが再開されたので、いろんなアーティストの生のパフォーマンスを目にする機会に飢えていたところでした。

そんなモードで見た中で強く印象に残ったのが、Awitch、ハイエイタス・カイヨーテ、おとぼけビ~バ~。

いずれも音源ではよく知っていたんだけど、生身のパフォーマンスの力がすごかった。

卓越した技術と場の空気を支配するオーラに、何も考えずに気持ちよく圧倒されていた感じ。

 

一方で、今年のフジロックでもっとも知的に刺激されたのが、モンゴルのバンド、THE HU(ザ・フー)。

度々ヘヴィメタルを話題にしてきた当ブログとしては、ここには触れざるを得ないかと思っています。

https://img.hmv.co.jp/hybridimage/news/images/19/0703/1034/body_162009.jpeg

 

フジロックでのTHE HU

金曜の昼間のグリーンステージに登場したのは、レザーに身を包んだ黒い長髪の男たち。

メンバーによってはかなり朝青龍っぽかったりもする。

 

ぱっと見はアジアのヘヴィメタルバンドって感じなんだけど、手に持っているのがギターではなく、馬頭琴っていうモンゴルの伝統的な弦楽器。

しかもただの馬頭琴ではなく、メタルっぽい装飾がされている。

普通の馬頭琴との違いは、アコースティックギター布袋寅泰モデルのエレキギターぐらいの距離。

 

そんな感じのメタル馬頭琴と、ドラムやベースも加えて、全体の音像としてはしっかり現代的なヘヴィさを持ったロックになっていた。

 

ほぼ何の前情報もなくそんなバンドを目の当たりにして、最初は正直ちょっと理解が追いつかずにポカーンとしてしまったんだけど、発せられる音がしっかりかっこよく説得力があったもんで、すぐに夢中になっていた。

 

THE HUのサウンドの特徴としては、重心がかなり低く重いこと。メタルといっても速度ではなく重さを追求していて、巨大なサイか何かの動物が、のっしのっしと歩いているような感じ。

そして歌声もあくまで低くうなるようなモンゴル独特の発声で、バンドサウンドとよくマッチしていた。

 

この低くて重いノリ、メタリカのブラック・アルバムみたいだな〜って思いながら見ていたら、なんとそのブラックアルバムの中でも特にのっしのっし感が強い「SAD BUT TRUE」をモンゴル語でカバーしたのだった!

 


 

このカバーを見て確信したんだけど、この人たちモンゴル文化とメタルの融合に関して相当に意識的にやってる。

 

 

ちなみにこれが1991年にリリースされた歴史的名盤、メタリカの通称『ブラックアルバム』。THE HUがカバーした「SAD BUT TRUE」は2曲目です。

 

 

調べてみた

帰ってからTHE HUのことをいろいろ調べてみたんだけど、まずはリリースされているアルバムでは、一般的にメタルっぽい音の要素はあまりないってことに気づいた。

今どきのバンドにしては音圧とか歪みがかなり控えめだし。

 

 

こんなサウンドで、それでもジャンルとしてはメタルだなってみんなが感じるのには、理由がある。

 

それはやはり、重心の低さと重々しさ。

モンゴルの伝統音楽がもともと持っていた要素が、メタリカのブラックアルバムに備わっているメタルの要素とめちゃくちゃ相性がよかった。

 

まずモンゴルの伝統的な歌唱法や、その歌声のキーに揃えた弦楽器の音域。

そしてどっしりしたリズムも、伝統的な音楽とロックの混合をいろいろ試した結果として生まれたものだろう。

 

 

調べてみると、THE HUは、プロデューサーの構想による「匈奴ロック」のコンセプトに基づいて結成されたらしい。

このプロデューサー、80年代には自らアーティストとして活動もしていた人で、その後、モンゴルの伝統音楽とロックの融合について何年も考え抜いた末に、伝統楽器のプレイヤーたちに声をかけてTHE HUを結成したという。

 

 

 

やはりライブを見て感じたとおり、相当に意識的にやってる人たちだった。

 

いろんなジャンルや伝統楽器をヘヴィメタルに取り入れてみるっていうことは、これまでにも世界中のいろんなところで試されてきた。

ありとあらゆる楽器がメタルの中に取り入れられてきたし、世界中のいろんなローカルの音楽(たとえばブラジルのサンバや、日本の民謡なども)もメタル化されてきた。

 

その中でうまくいったものとそうでないものは当然あるんだけど、うまくいったケースは、もともとのその楽器やジャンルの特性がメタルと親和性が高かったものが多いと思う。

逆に、親和性が高くないもの同士をむりやりくっつけても、どうしても違和感が残ってしまう。

 

THE HUの場合、そこがものすごくうまくいったんだと思う。

うまくいきすぎて、もはやヘヴィメタルという音楽がモンゴル発祥なんじゃないかっていう気すらしてきた。

 

ヘヴィメタル=モンゴル発祥説

普通に考えるとありえない「ヘヴィメタル=モンゴル発祥説」について、ほんの少しでも可能性があるんじゃないかと思えるパターンを妄想してみた。

賢そうな人が書いてたらうっかり信じる人が出てきそうなラインを狙いました。

 

タタールのくびき

モンゴルとヨーロッパの直接の接点といえば、13世紀にチンギス・ハーンやその子孫が現在のロシアやウクライナ一帯を征服した、いわゆる「タタールのくびき」が最初。

このとき、征服民族であるモンゴル人の文化がヨーロッパに入ってきたはずで、その要素が正当なクラシック音楽とは別に地下水脈のように20世紀まで受け継がれ、ヘヴィメタルというカウンターでサブカルチャーな音楽の誕生に影響を与えたって説。

https://kotobank.jp/image/dictionary/nipponica/media/81306024010087.jpg

 
②ヒッピーの東洋かぶれ

ヘヴィメタルが生まれたのは60年代末。当時の欧米の若者は、西洋文明への反抗心もあって、ヨガや禅などの東洋の神秘的なカルチャーに魅せられていた。

ヒッピーの中でも、ヨガとか禅なんてベタだよな!っていう逆張り精神の持ち主が、チベット仏教に関心を持ち、さらに深掘った結果モンゴル文化に出会ったりして。

ブラック・サバスのトニー・アイオミは、ヘヴィメタルという音楽の原型をほぼ1人で作り上げたといっても過言ではないような人なんだけど、たとえばこの人の友達がヒッピーをこじらせてアジアを放浪してたりして、モンゴルで買った伝統音楽のカセットをトニー・アイオミに渡してたりして。

ロックンロールをさらにエクストリームに発展させたい!って野心を持ったトニー・アイオミ青年にとって、天然の歪み成分が多く含まれたモンゴル音楽は魅力的だったに違いない。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Tony-Iommi_2009-06-11_Chicago_photoby_Adam-Bielawski.jpg

 
③古代中国

かつて秦の始皇帝を苦しめたモンゴル系騎馬民族のメ・タール将軍は、重金属の楽器を演奏する楽団を従軍させていたという。

当初は部隊の士気を高める目的で演奏されていたが、やがて楽団が奏でる音楽にあわせて、兵たちが高速で首を振る兵怒蛮銀具(へっどばんぎんぐ)という戦法が編み出され、秦の軍勢を大いに苦しめた。

この音楽が第2次世界大戦の際に英国に伝わり、ヘヴィメタルのルーツになったことはあまりにも有名である。

民明書房刊『音楽はじめて物語』より

https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-a7acd4182298dce6f1f5b07e1152815f-lq

 

概念としてのクラブ/民藝J-POPとしての「糸」〜『オトネタ大賞・2022上半期』をふりかえって

先日、マキタスポーツさんのYoutubeチャンネルで配信された『オトネタ大賞・2022上半期』に出演しました。

 

『オトネタ大賞』は、元々はライブハウスでマキタさんがやっていたイベントだったんだけど、コロナ禍になってからは動画配信の企画に姿を変え、半年に1回のペース続いている。

 

出演は、芸人・俳優・ミュージシャン・小説家として活躍中のマキタスポーツさん、ラッパーのカンノアキオくん、そしてわたくしハシノの3人。

世代も出自もバラバラな3人だけど、音楽に対して批評的な目線で語るのが大好きっていう共通点があり、毎回それぞれが持ち寄った議題で盛り上がっています。

 

先日の『オトネタ大賞・2022上半期』はアーカイブが見られるので、よかったら洗い物や筋トレでもしながらご覧ください。

 

www.youtube.com

 

今日は、この配信の中で取り上げられたテーマについて、個人的に感じたことなどをさらに掘り下げたり広げたりしてみようと思います。

 

平成J-POPの歌世界に存在した「概念としてのクラブ」

2022年上半期に話題になったアニメ『パリピ孔明』において、エンディングテーマ曲として使われていたのが、ミヒマルGT「気分上々↑↑」のカバー。

 

パリピ孔明』は、三国志の時代から現代に転生した諸葛孔明と、アーティストを目指してクラブで活動する英子によるサクセスストーリーなんだけど、90年前後から始まった日本のクラブクルチャーの2022年におけるパブリックイメージはこのあたりなのか、っていう観点でも興味深いものがありました。

 

オトネタ大賞の中でも話したんだけど、90年代〜00年代ぐらいまでのJ-POPには、クラブ由来の言葉が歌詞に散りばめられていたし、音楽性の面でもクラブから生まれた新しい音楽をお茶の間向けに仕立て直すことで発展した部分がかなりあった。

 

その手法でもっとも成功したのが小室哲哉であり、SPEEDやDA PUMPあたりの存在もそうで、クラブやDJやストリートなカルチャーという何となくのイメージを日本全国津々浦々に広めることに貢献した。

またキック・ザ・カン・クルーリップスライムといったメガヒットしたヒップホップ勢もそう。

 

その土台に、ゼロ年代以降に流行したEDMという音楽のスタイルと、「パリピ」という呼称が接続され、日本人のクラブのイメージが少し更新されつつ継承されていった。あと『フリースタイルダンジョン』によってMCバトルというものも一般的に存在を知られるようになった。

 

なんとなく共通認識があるけど、実際のクラブに行ったことはない。そんなマジョリティ層に向けてうまく作られたっていうのが『パリピ孔明』のヒットの背景だと思います。

 

www.youtube.com

 

大カバー時代

長年音楽を聴いていると、時代によっていつの間にかなくなったもの、増えたもの、変わったものに敏感になる。

 

今回のオトネタ大賞でも中島みゆきの「糸」がやたらカバーされていると話題になりましたが、ここ10年ぐらいのJ-POP界の傾向として、とにかくカバーアルバムが多い。

世は大カバー時代に突入しているといっても過言ではないでしょう。

 

思い起こせば90年代までは、基本的にJ-POPの第一線の歌手はあまりカバーをやらなかった。

 

90年代っていうのは、アーティストが「個性を発揮」して、自分の「等身大の言葉」で、「リアルな」音楽を自作することこそが良しとされた時代だった。

作品の質が高いかどうかよりも、リアルかどうかに価値があった。

質が高すぎるからリアルに感じられない、みたいな、逆転した価値観すらあった。

 

浜崎あゆみは自分の言葉を歌っているから良いのだ、と言われていた時代なので、プロの作詞家は仕事が激減していたと思う。

そんな時代には、人の曲をカバーすることに意義を見出せなかったよね。

 

そんな90年代が終わり、いつの間にかそんな価値観がなくなっていくと、カバーアルバムが増え始める。

 

ただ、長いスパンで考えると、これは90年代という特殊な価値観の時代が終わって、元に戻ったとも言える。

 

70年代にもカバーアルバムって多いんですよ。

森山良子とか勝新太郎とか沢田研二とか美空ひばりとかフランク永井とか、挙げればキリがないぐらい、いろんな歌手がカバーアルバムを出しているし、デビューして間もない歌手のファーストアルバムは、シングルが2曲ぐらい入ってる以外はすべてカバー曲っていうのがごく当たり前だった。

 

「夢は夜ひらく」とか「ブルーライトヨコハマ」とか「サニー」とか「竹田の子守唄」とか「精霊流し」あたりの曲は、とにかく大量のカバーが存在する。

 

近年のカバーアルバムの流行は、その頃と同じ匂いがするんだよね。

 

昔マキタさんと、みんなオリジナリティを重視しすぎるよねっていう話で盛り上がったことがあって。

アーティストが自作自演に重きを置きすぎることに、お互いちょっと疑問を抱いていたんでしょうね。

 

そういうのが一段落ついて、みんな気兼ねなくカバーをやれるようになったんだろうか。

 

リスナーの側も、「リアルかどうか」がどうでもよくなってるんだろう。

元々そんなところにこだわる必要がなかったといえばそうだろうし。

 

「民藝J-POP」の心象風景

かつて当ブログでこんな記事を書いた。

 

guatarro.hatenablog.com

 

NHKのど自慢』で歌われる曲は、ヒットチャートや音楽批評筋のトレンドとはまったく関係なく、独自の世界になっているというところから、これらの曲を「民藝J-POP」と名付けたんです。

 

「民藝J-POP」というのは、聴き手にとって日々の生活の中で具体的に機能している音楽のこと。

NHKのど自慢』において、歌い終えたあと「なぜこの曲を?」と司会者に聞かれたときに、出場者はみんな、具体的な思い出だったり誰かへのメッセージだったりを語れる。

その曲がその人の生活の中で果たしている役割が明確だということ。

 

残念ながら書いた当時から今まで特に世の中的な話題になっていないんだけど、個人的にはこの概念をすごく重視していて、いろんな場所で語っていきたいと思っている。

 

音楽雑誌とか、音楽マニアのSNSとか、キリンジの「エイリアンズ」が2位になるランキングの文脈では絶対に出てこないんだけど、こういうものこそがいわゆるサイレントマジョリティなのではないでしょうか。

 

で、今回の「オトネタ大賞」で話題になった中島みゆきの「糸」は、2022年における民藝J-POPの頂点だと思っています。

配信の中でカンノくんが言っていたように、結婚式の定番ソングになっているというのは、まさに民藝の機能美だと思うし、あとコメントをいただいた中にあった、本家の「糸」を聴いたことがないという話も、もはや作者の手を離れて国民のものになったという証だと言える。

 

「糸」が強いのは、小さな子供からお年寄りまであらゆる世代を包括するし、TPOを選ばないところ。

思えば、昭和の歌謡曲や平成のJ-POPにおいて、みんなが知ってる曲って、基本的に恋愛モノだし、なんならちょっと公序良俗に反していたり際どい内容だったりするじゃないですか。

 

冷静に考えてみたら、国民的歌手の代表曲が「天城越え」だなんてヤバくないですか。

さそり座の女」だの「ホテル」だの「さざんかの宿」だの…。

ちびまる子ちゃん山本リンダを熱唱する姿を苦々しく見てるお母さんの気持ちがほんとによくわかる今日このごろ。

 

それに比べて、平成〜令和の民藝J-POPは実に健全。

 

さらに「糸」が絶妙なのは、「川の流れのように」や「あの鐘を鳴らすのはあなた」みたいな大仰なものではなくて、ごく普通の生活者の日常生活の中にフィットするサイズ感っていうところ。

 

円安や低成長がズルズル続いている時代だけど、みんな一緒にゆっくり貧しくなるんだったらこの体制は安泰だろうし、革命でも起きないうちは「糸」のカバーがリリースされ続けることでしょう。

 

配信の中でカンノくんが言っていたのはこれですね。

ハードロックバンドをやっているお父さんが娘の結婚式で歌った「糸」。

www.youtube.com