日本を含む全世界で大ヒット中の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』。
うちの小学生&未就学児も大満足だったし、小ネタ満載でスーマリ直撃世代の親にとっても楽めたしで、大ヒットも納得のアクション娯楽大作だった。
任天堂とイルミネーションが組んで制作してるだけあって、おさえるべきところを心得てるっていうか、アクションシーンのアイデアと爽快感、多少のツッコミどころはありつつもダレない展開、多数のキャラたちがそれぞれ雑に扱われてないところなど、さすがだなと思わせられるしっかりしたつくりだった。
監督と脚本家は『レゴ・ムービー2』や『ティーン・タイタンズ』をやってた人たちだそうで、どちらもうちは親子で好きな作品。子供向けでありつつ一緒に見てる親も退屈しない絶妙な毒っ気にその手腕を感じた。
あと今回の映画の特徴としては、ピーチ姫の活躍でしょう。
「スーパーマリオブラザーズ」といえば、悪のクッパ大王にさらわれたピーチ姫をマリオとルイージが救出するっていう、いにしえからの騎士道物語にのっとった設定なわけで、普通にいけば今回の映画でもそうなっていておかしくないんだけど、そこをあえて、戦う姫として描いた。とても現代的ですよね。
さらわれたピーチ姫を救出するストーリーがわかりやすく伝わる当時のCM。
(余談だけどこのピーチ姫の声は山瀬まみで、電気グルーヴの「電気ビリビリ」で言ってるセリフはこれがネタ元)
残念だったところ
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、大まかにはよくできた家族向け映画でございました。
ただ、かなり気になってしまったのが、音楽の使い方。
この映画、劇中で使われる音楽には2種類あって、まずはスーパーマリオシリーズなどの任天堂のゲーム音楽や効果音をすごく巧みに引用して作られたいわゆる「映画音楽」。
オリジナルを作曲した任天堂の近藤浩治が、膨大なアーカイブの中から映画向きと思われる音源をピックアップ(テーマ曲はもちろん、効果音に到るまで!)。完成した楽曲リストが、『ワイルド・スピード』シリーズなどで知られる作曲家 ブライアン・タイラーに手渡され、ハーモニーやリズムをアレンジ。8ビットのピコピコサウンドが、壮大でエモーショナルな映画音楽へと生まれ変わった。
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』、ゲームBGMが壮大な映画音楽に 秀逸な既存ポップスのセレクトも - Real Sound|リアルサウンド
そして、既存のロックやポップスの名曲をそのまま使っているもの。
たとえば、マリオが修行するシーンではボニー・タイラーの「Holding Out for a Hero」(麻倉未稀が日本語カバーした「スクールウォーズ」のあの曲)が、マリオカートの場面ではAC/DCの「Thunderstruck」が、といった具合に、超有名曲がここぞという場面で流れる。
前者の映画音楽については何もいうことなく、スーパーマリオの世界へ没入させてくれて大満足だったんだけど、そのぶん、既存曲が流れてくるところでいちいち醒めてしまった。
だって、家族向けといっても選曲のセンスがあまりにもベタすぎないか。
たとえばクッパの登場シーンで布袋寅泰の「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY/新・仁義なき戦いのテーマ」なんて、あまりにも擦られすぎてるでしょ。
もともと布袋自身も出演した映画『新・仁義なき戦い』のテーマ曲だったものを、タランティーノが『キル・ビル』で使って一気に知名度があがったわけだけど、そこからの20年間で東京オリンピックなど数々の場面で使われまくってるわけで、それをまだ使うのかよってね。
しかも、物語の舞台はキノコ王国っていう、ファンタジーの世界なわけでしょ。
マリオとルイージが謎の通路を通ってふしぎな世界にたどり着いたというワクワクドキドキの導入があって、見てる側がせっかくその世界に没入しようとしてるのに、そこで手垢がついた有名曲が流れてくるのってどうなんだろう。
そこがどうしても気になってしまった。正直醒めた。
イルミネーションのお家芸
ただ、劇中に既存の有名曲を流すのは、イルミネーションのお家芸ではある。
『怪盗グルー』シリーズや『ペット』では、マイケル・ジャクソンやローリング・ストーンズやビージーズやビースティ・ボーイズがガンガンに流れるし、『シング』では、エルトン・ジョンやスティーヴィー・ワンダーの名曲を登場人物が歌いまくる。
たとえば、60年代のロンドンが舞台になってる『ミニオンズ』では、エリザベス女王が乗った馬車でのチェイスシーンでキンクスの「You Really Got Me」が流れたり、ニューヨークが舞台の『ペット』ではビースティ・ボーイズの「No Sleep Til Brooklyn」が流れたり。
いちいち選曲のセンスが冴えてるし、ストーリーの文脈にも合ってるし、イルミネーションは音楽の使い方が上手だっていうイメージがあった。
それだけに、今回の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』では、イルミネーションのお約束をかたちだけなぞったみたいな感じがして、そこが残念だったんだよな。
既存曲使いの成功例
映画の中で既存の楽曲を使う手法は、クエンティン・タランティーノが『パルプ・フィクション』でやったあたりから流行ったはず。
タランティーノ以前には、音楽が売りの映画って、その映画のために書き下ろされた曲を使うのが一般的だったけど、タランティーノは既存の埋もれた曲をセンスよく引用して、当時それはDJっぽい手法だと言われていたりもした。
最近だと『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ベイビー・ドライバー』あたりが、その路線の継承者だと思う。選曲のセンスの良さも含めて。
あと、選曲のセンスだけじゃなくて、ストーリー上の必然性や文脈がハマってるかどうかも同じぐらい大事。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は、母親の形見のウォークマンに入っていたカセットテープの曲として、ELOや10ccやランナウェイズやマーヴィン・ゲイといった70年代の名曲が使われる。
『ベイビー・ドライバー』にしても、主人公は事故の後遺症のために常にiPodで音楽を聴いているという設定があった。
いずれの作品にも、主人公に音楽なしには生きられない切実さがあり、おそらくそれは監督自身が持っている切実さからきているはずで、映画を観ている自分の中にある同じ切実さに強く響いてきたもんだった。
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』には残念ながらそういった要素はなく、ただ盛り上がりそうだからといういうだけで有名曲を使っているようにしか感じられなかった。
しかし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ベイビー・ドライバー』のような設定は、実はイルミネーションの別の作品にはある。
それが、2017年公開の『怪盗グルーのミニオン大脱走』。
この作品の悪役であるバルタザール・ブラットは、80年代に一斉を風靡した子役だったが成長とともに人気が凋落し、芸能界への逆恨みをこじらせて大泥棒になったというキャラ。
自分の人生が輝いていた80年代に囚われてしまっているため、マイケル・ジャクソンやヴァン・ヘイレンやa-haやネーナといった80年代MTVヒットを自分のBGMとしている。
バルタザール・ブラットが抱えている逆恨みの哀しさと、80年代MTVヒットの底抜けの能天気さのギャップが、この作品に奥行きを生んでいるのです。
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はどうすればよかったか
イルミネーション作品の音楽使いの成功例にならえば、ジャック・ブラック演じるクッパにせっかくピアノの弾き語りをさせたりしているわけで、そのあたりの設定をうまく活かせていたら…とは思った。
だがしかし、『ザ・マリオブラザーズ・ムービー』のやりたいことや狙っている層からするとそこまでやる必要はないだろう。
であれば、やはり中途半端にイルミネーションのお家芸をなぞるのではなく、スーパーマリオシリーズのゲーム音楽だけに絞っていればよかったのではないか。
その上で、既存曲をかっこよく使いたいとしたら、こういうのはどうでしょうか。
この映画の舞台は大きく2つ。
現実世界のニューヨークと、ピーチ姫やクッパがいるキノコ王国。
マリオやルイージはもともと住んでいるニューヨークからキノコ王国に迷い込んでしまうんだけど、最後はまたニューヨークに戻って最後のバトルシーンが繰り広げられる。
であれば、キノコ王国のシーンではゲーム音楽をベースにした映画音楽オンリーにして、最初と最後のニューヨークのシーンではド派手に既存曲を使えばよかったのではないか。
それでこそ、2つの世界を行き来していることを音楽の使い方からも表現できたんじゃないか。
特にAC/DCの「Thunderstruck」みたいな大ネタなんて、むしろラストバトル直前の緊張感を高めるのにぴったりでしょう。