森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

ヘヴィ・メタルはなぜ滅んだか(メタルの墓)

黄金時代

信じられないかもしれないけど、ハードロックとかヘヴィ・メタルが若者むけ音楽のど真ん中だった時代がたしかにあった。

ピークは1980年代の中盤ぐらい。

 

後にレジェンドとか神とか呼ばれるようになるバンド(アイアン・メイデンとかジューダス・プリーストとかボン・ジョヴィとかモトリー・クルーとか)が働き盛りで、たとえばアメリカで抱かれたい男ナンバーワンといえばヴァン・ヘイレンのデヴィッド・リー・ロスであり、日本でも少女マンガに出てくる憧れのセンパイが長髪で革パンのバンドマン(アルフィー高見沢みたいな)だったりした。

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ダイヤモンド・デイヴことデヴィッド・リー・ロス

 

基本的にみんな派手で豪快で大味なノリで、細かいことは気にしない感じ。

歌ってる内容も、ワイルドなパーティー生活、オンナ、酒、ドラッグみたいな世界か、もしくは悪魔、狂気、殺人みたいなテーマ。

 

 

 

言ってしまえば能天気な、陽気な人たちがロック音楽のマジョリティだった。

 

あの日までは。

 

 

あの日(1991年9月24日)

「あの日」とは、1991年9月24日。あのアルバムがリリースされた日。

 

ネヴァーマインド

 

そう。ニルヴァーナのメジャーデビュー・アルバム「ネヴァーマインド」が、ハードロックとかヘヴィ・メタルの黄金時代を一瞬にして終わらせてしまった。

 

このアルバムが爆発的に売れまくり、同じようなシーンで活動していた他のバンドたちも注目されていき、そのうち「グランジ」とか「オルタナティブ」とか呼ばれるジャンルを形成していく。

サウンドガーデンソニック・ユース、マッドハニー、ダイナソーJr.、L7、フェイス・ノー・モア、ジェーンズ・アディクションパール・ジャムスマッシング・パンプキンズなどなど。

 

その結果、昨日まで世界の中心にいたはずのロックスターたちが、あっという間に古い人たちになってしまった。

ロックスターたちの派手な衣装や超絶技巧のギターソロ、破天荒な生き様などはすべてダサくなった。

 

歌われる歌詞の世界観も一変し、内省的で観念的でおおむね低血圧で暗い。

アメリカの景気が悪くなっていったこともあり、そういう歌詞のほうがリアルだと感じられる時代になっていたのだった。朝までパーティーだぜとかそういうんじゃないんだよね、って。

 

 

妄想:兄貴が東海岸の大学に行ったアメリカの田舎の高校生

1992年頃のアメリカ中部のとある田舎町の、こんな高校生を妄想してみる。

 

今年から東海岸の大学に進学している2つ上の兄貴が、夏の休暇で久しぶりに帰ってきたとする。

2人は去年まで、オジー・オズボーンやっぱ最高だよなとか言いながら爆音でメタルを流して頭を振っていた仲良し兄弟。

久しぶりに兄貴とメタルの話ができると思ってワクワクしてた弟。

フレディ・マーキュリーの追悼コンサート観た?ガンズとメタリカデフ・レパード最高だったよな!」とか言い合いたい。

 

ところが、帰ってきた兄貴の様子がちょっとおかしい。

長髪で黒いTシャツを着て家を出ていった兄貴が、髪を切ってネルシャツを着て帰ってきた。

地元のダチと無茶な飲み方をしたとかそういう話を一切しなくなり、代わりにブッシュ政権批判を口にするように。あの兄貴が。

挙句の果てに、弟の部屋に貼ってあるモトリー・クルーのポスターを見て、「お前まだこんな頭カラッポの幼稚なやつ聴いてるのかよ」と言い出す始末。

 

東海岸の大学で兄貴は変わってしまった。

 

でも確かにMTVで観たニルヴァーナは正直かっこいいと思ってしまったし、自分の気持ちに近いことを歌ってる気がした。それに比べてモトリー・クルーは確かに幼稚かもしれない。

ニルヴァーナがインタビューでメタルのことをバカにしてるのを読んで悲しい気持ちになったけど、そういえばクラスのイケてる奴らはラップを聴いてるし、気になるあの娘はR.E.Mっていうバンドが好きって言ってた。

 

…当時アメリカ中いたるところでこんな光景が繰り広げられてたのではなかろうか。

 

 

メタル界の反応

こんな感じでニルヴァーナやそっち系のバンドたちに若いリスナーをどんどん奪われていく一方のハードロック/ヘヴィ・メタル界。

自分たちのアーティストとしてのイメージ戦略とか築き上げてきたブランド、世界観が一夜にしてダサいものとされてしまった。

 

地上の覇者として君臨してきた恐竜たちが隕石落下による気候変動でバタバタと絶滅していったかのように、半年前までイケイケだった大物バンドが活動休止やメンバー脱退などの混乱状態に陥っていった。

おそらく、ライブの動員やCDのセールスが明らかに激減していったんだと思う。

それはもう心中察するに余りある。

 

このまま為す術なくジャンル全体が終わっていってしまうのか。

気の毒だけどそれも時代の宿命なのかもしれないと思われた。

 

 

しかし、座して死を待つバンドだけではなかった。

環境の変化に合わせていこうと必死にあがくやつらもいた。

 

 

必死にあがいたバンドたち

モトリー・クルーの場合

華やかなL.A.メタルの代表選手。ワイルドでセクシーな不良な彼らは、一方でビジネス感覚にも秀でており、ちゃっかり生き残りをはかっていく。

<before>

1987年のアルバム。「ガールズ・ガールズ・ガールズ」ってタイトルそして革ジャンといかついバイク。

 

<after>

1999年のアルバム。オルタナ感をかもしだすロゴ。「スーツを着た豚と星条旗」っていう、中学生が見ても「何かの風刺なんだろな」って理解できるジャケ。

 

デフ・レパードの場合

キャッチーな楽曲で全盛期には数千万枚アルバムを売ったイギリスのハードロックバンド。80年代を象徴するようなキラキラした音なので、グランジの影響をモロに被った。

<before>


Def Leppard - Pour Some Sugar On Me

1987年の大ヒット曲。スタジアムが似合うスケールの大きいロック。

 

<after>

ジャケの雰囲気からかなりグランジに寄せてきてる。曲も民族音楽っぽかったりダークだったり。ベテランの意地にかけて時代にキャッチアップしようという心意気は伝わってくる。

 

 

ウォレントの場合

いわゆるL.A.メタルの中でも後発組だけど、キャッチーな楽曲ですぐに注目されたバンド。

<before>

1990年の大ヒット作。このジャケにして邦題が「いけないチェリーパイ」っていう、何をか言わんやである。

<after>

1992年のアルバム。たった2年でここまでイメージを変えてくるんだからすごい。スケボーとかバスケが好きなストリート系キッズがジャケ買いしてしまいそう。

 

エクソダスの場合

アメリカ西海岸のスラッシュメタルシーンを代表するバンド。切れ味するどいザクザク感がクセになる。

<before>

1989年のアルバム。色使いといい表情といい、最高に頭悪そうで大好きなジャケ。音もまあそんな感じ。

 

<after>

1992年のアルバム。さっきと同じバンドとは思えないぐらい「アート」してるジャケ。音も明らかにグランジを意識した重さ。

 

 

他にも事例はたくさんあるけど、共通して言えるのは、能天気さ/豪快さ/ポップさ/陽気さといった要素を消して、リアルで/ダークで/シリアスで/ストリート感を演出しようとしていったってこと。

そうすることで、「大学生の兄貴にバカにされない」音楽に脱皮しようとしたわけ。

 

もちろん、昔からメタルシーンを支えてきた古株たちはこの流れに反発する。

日本のメタル専門誌「BURRN!」も、上記の<after>のアルバムは軒並み低評価。

コアなファンは離れてしまい、思ったほど今どきのキッズにも刺さらず、路線変更はうまくいかなかった。

 

 

全体として、90年代のアメリカでは、恐竜は一旦ほぼ滅んでしまう。

(東欧とか南米とかアジアなどの地域では、比較的メタルはしぶとく生き残ったりもしてて、それはおそらく「兄貴が進学した東海岸の大学」的カルチャーが少ないから)

 

その流れは1994年にカート・コバーンが死んでニルヴァーナが解散した後も止まらず、騒がしい音楽で暴れたい高校生のニーズは、オフスプリングとかリンプ・ビズキットとかマリリン・マンソンあたりが汲み取っていくことになる。

 

映画「レスラー」

2009年の映画「レスラー」は、全盛期を過ぎたおっさんプロレスラーの話。

めちゃめちゃいい映画なのでみんな観るべきなんだけど、注目すべきは映画の中で主人公とストリッパーが意気投合するシーン。

 

80年代はよかったよな。

ガンズ・アンド・ローゼズモトリー・クルーがいて。

なのにニルヴァーナが出てきてダメになった。

90年代は最悪。

 

上記の恐竜たちと主人公がオーバーラップして、メタル好きには二重に泣ける。

思えばプロレスも、90年代になってリアルな格闘技に押されて下火になった時代があった。

「ロープに振られて戻ってくるなんてダセー」ってのと、「ギターソロで速弾きするなんてダセー」って気分は似てる。

 


レスラー

 

ロックの焼け跡派

かくいう自分も、十代の前半をメタル全盛期として生き、後半をグランジオルタナ全盛期として生きた世代。価値観の変わり目をリアルタイムで味わったし、どちらにも同じぐらい思い入れがあって、どちらか一方を否定することができない。

 

小学校時代に終戦を迎えて軍国主義から民主主義に180度振り切った昭和の焼け跡世代と同じで、流行っていうものに対するある種のニヒリズムが根底にあるし、戦後民主主義の申し子を自認しつつも同窓会では結局みんなで軍歌を歌っちゃうみたいなノリで、なんだかんだメタルのほうが無条件に盛り上がってしまう。

 

 

焼け跡派の野坂昭如が「火垂るの墓」を書いたような気持ちで、この「メタルの墓」を書きました。