森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

『夢と生きる バンドマンの社会学』を読んで、音楽で食えなかったバンドマン崩れが音楽で食うを考える

『夢と生きる バンドマンの社会学』…。

かつては本気でバンドで食っていくことを目指していたいわゆるバンドマンの成れの果てであるわたくしにとって、気になりすぎるタイトルの本が出た。

 

 

人生を賭ける夢に出会えたことの幸福と困難――。いつの時代にも少数派ながら「卒業したら就職する」という、普通とされる生き方を選ばない者がいる。夢は諦めに終わるのか、形を変えて続くのか? 数年にわたる二十代から三十代のバンドマンへの貴重なインタビュー調査をもとに現代の「夢追い」のリアルな実態を描き出す。

こんな紹介文を書かれたら見過ごすわけにはいかない。

 

さらに目次に目を通すと、「フリーターか正社員か――夢追いに伴う働き方の選択」「集団で夢を追い続けることのリアリティ――「音楽性の違い」とは?」「ライブハウス共同体の生成・波及・限界」といった、リアルすぎてヒリヒリしまくる文字列が躍っている。

 

なかなかいいお値段でしたが、即購入。

 

「正しい生き方」とは何なのか?

本書は大学の博士論文に加筆して書籍化されただけあって、いわゆる学問的なお作法に則った内容で、バンドマンあるある的な気軽な読み物ってノリではない。

2010年代後半の名古屋のライブハウスシーンにいたバンドマン30人ぐらいを対象に、バンドを始めたきっかけや今の目標、場合によってはバンドを諦めるきっかけなどについて、じっくり話を聞いているので、少ないサンプルから適当につまみ食いしたみたいな雑さは皆無。

 

そして、社会学の論文ということもあり、最終的にはバンドマンという生き方を現代の日本社会に位置づけて、社会の側の課題を問う構成になっている。

 

元バンドマンとか周辺の人が書いたものではこの視点がなかなか出てこないので、すごく新鮮でした。

 

というのも、本書の中でも重要なテーマになっていることだけど、バンドで食っていくという「夢」を追う選択をしたことで、「まっとうな人生」から道を踏み外すことになるっていう、そういう世間の認識ってあるじゃないですか。

夢を追うというワガママを通すからには、不安定な人生になるというリスクは自己責任で背負うしかないと。

 

自分が当事者だったときも自然とそう思っていて、大学4回生になるときに就職活動を一切しないという選択を自分の意志でして、卒業後フリーターとしてバンド中心の生活になったし、逆に、その時点で就職を選んだメンバーはバンドを辞めていった。

上方落語界の巨匠、桂米朝が弟子入り志願者に言った「芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」という言葉を心に刻んでたものだった。

 

当事者は自分の人生を切り開くことに精一杯だし、元バンドマンはうまくいかなかったのは自分のせいだと捉えるから、なかなか社会構造の側に課題があるっていう方向に気持ちが向かないじゃないですか。言い訳っぽく聞こえちゃうし。

 

しかし本書は、不安定なフリーターとして本気でバンドをやるか、まっとうな正社員としてバンドを諦めるか、その2択しかない社会のあり方に疑問を投げかけてる。

 

帯文で強調されていた「正しい生き方」とは何なのか?という一文。そこが本書のキモでした。

 

音楽で食えるために必要なこと

本書に登場するバンドマンたちは、十数年前の自分とまったく同じように、どうすれば音楽で食えるようになるのかを必死に追求していた。

 

そして、ごく身近なところから、メジャーデビューしたりテレビに出たり雑誌の表紙を飾ったり大きな会場でライブをするバンドがあらわれるようになると、まだ売れてない自分たちとの違いをめちゃくちゃ考える。

 

売れてる奴らはどこが違うのか。

売れるためには何が必要なのか。

 

売れるためにはまず、「いい音楽」をやっているってことが大前提になるんだが、そもそも「いい音楽」って何だろうとか、「いい音楽」が売れるとは限らないとか、売れるためには自分でもいいとは思えない音楽をやる必要があるかもしれないとかで、大前提の時点ですでに一筋縄ではいかない。

そのあたりの議論を一旦脇においたとしても、いい音楽をやるには一定以上の楽器の演奏能力や歌唱力が求められる。ここにも、上手ければいいわけではないとか、いろんなややこしい話がある。

さらに、人前に出るからには、ルックスやパフォーマンスなどフィジカルな魅力もあるに越したことはない。

 

といった感じで、売れるバンドマンに必要な資質ってたくさんあるのだが、ここまでに挙げたのがアーティスト的な要素だとしたら、これ以外に、実はマネジメント的とでも呼ぶべき要素も存在する。

 

 

事務所やレコード会社の目に止まるまでの段階のバンドは、基本的にセルフプロデュースでやっていくしかない。

 

いま会社員として思うことは、会社には商品やサービスを売るためにいろんな部署があり、それぞれの道のプロが働いている一方で、バンドという組織で音楽という商品を売っていくにあたって、必要な仕事をすべてメンバーだけでやらなきゃいけないなんて、相当ハードだよなってこと。

 

営業(イベント企画や対バン選びとか)も、マーケティング(昔はチラシ今はSNS)も、経理(スタジオ代や物販とかチケット売上の管理)も、人事(モチベーションの維持やスキルアップ支援など)も、経営企画(レコーディングやイベントや物販で収支をあわせる)も。

 

どんなにかっこいい音楽をやっていても、その音楽を広めるためにライブ活動やSNSなどをやってないと売れようがないし、メンバーの中に最低ひとりでもお金にルーズじゃない奴がいないと続かないし、尖りまくったあげく1回のライブで燃え尽きてしまったりもする。

 

そもそも純粋に音楽だけやりたいって思って正社員の道を捨ててるような奴らの集まりであるにもかかわらず、バンドをやっていくために音楽そのもの以外に必要な能力が多すぎるんだよな。

これはまじで実際に自分がバンドマンにならないと気づかないことだった。

 

逆に言うと、やってる音楽はパッとしないのに、異様に人脈があったりTシャツがオシャレだったりするだけで生き延びることに成功しているバンドも実際に存在する。

生き延びるために何でもやるっていう覚悟があるというのは、それだけでも価値があることなんだけど、それは果たして音楽をやってるのか運営をやってるのかとは思う。

 

ひとつ言えることは、一度ちゃんとバンドマンをやってそれなりの場所で切磋琢磨したことがある人間だったら、どんな組織に入ってもそれなりにちゃんとできると思う。

体育会系の大学生が就活に有利みたいな、それこそ夢のない話になってしまって恐縮なのですが。

 

それでもバンドは

組織を「運営」できないとバンドは続けられない。

 

2000年代頃までは、それでも、音楽で世に出るためにはまずはバンドをやるのが王道のパターンだった。

 

しかし現代においては、ボカロやDTMを駆使してたったひとりでヒット曲を生み出すことが可能だし、SNSがあるから地道なライブ活動も必須ではない。

 

一昔前なら、バンドができないっていう理由で埋もれてしまっていた才能が、特に地方とかだとたくさんいたんだろうなと思うけど、現代はそういう人たちもちゃんと出てこれるようになったので、それはいいことなんだろうと思う。

 

誰かの弟子になって師匠にしごかれる以外にデビューする道がなかった昭和の漫才師と、養成所で育ってデビューする現代の漫才師は、おそらく人種が全然違うはずで、それと同じく、世に出てくるミュージシャンの人種もここ十年ほどで大きく変化したことでしょう。

 

バンドっていう形態は、コスパも悪いし、音楽そのもの以外の要素も多いしで、そのルートを避けて世に出てくる人の気持ちもわかりつつ、それでも、バンドにしかない良さっていうのは確実にあるので、これからも生き残ってほしいなと思いました。

 

 

※バンドにしかない良さについては、コロナ禍の紅白を見て書いたこの記事で詳しく語ってます。