森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

『LL教室のリズム歌謡大百科』をひっさげて、文学フリマ東京39に出店します!

このたび、『LL教室のリズム歌謡大百科』という結構なページ数の本を作りまして。

いわゆる出版社からのメジャーデビューではなく、自費出版ではありますが、2024年12月1日に東京ビッグサイト 西3・4ホールで開催される「文学フリマ東京39」でリリースすることになりました!

 

今のところここでしか手に入らないものですので、興味がある方はぜひJ-19ブースにお立ち寄りください。

 

というか、文学フリマハッシュタグなどでここにたどり着いた方には、「LL教室」ってものも「リズム歌謡」なるものもいちいち意味不明だと思います。

まったくそのとおりかと思いますので、よろしければ下記をご覧ください。

 

 

Q. LL教室って何?

A. LL教室とは、かつてラジオ日本で放送されていた「マキタスポーツラジオはたらくおじさん」という番組で出会った3人によって結成された音楽批評ユニット。

 

メンバーは、risetteというバンドで『pop'n music』への楽曲提供や、マキタスポーツの音楽ネタなどの活動を支えている放送作家の森野誠一。

コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』『学校するからだ』といった著作や「ミュージック・マガジン」誌などでの音楽批評など幅広く活動する矢野利裕。

洋楽の日本語カバーやリズム歌謡を中心にレコードをディグしたり『マツコの知らない世界』に出演し酸辣湯麺について熱く語るなど独自の活動を繰り広げる会社員のハシノイチロウ。

 

過去には、ダースレイダーグレート義太夫星野概念ヒダカトオル杉本清隆清浦夏実、長谷川裕 (順不同・敬称略)といった方々をゲストとして招き、90年代J-POPやリズム歌謡に関するトークイベントを行ってきた。

近年では神保町の美学校にて音楽批評の通年の講座やオープン講座も担当。

 

Q. 歌謡って?そんな大昔の音楽について考える意味ある?

A. 『LL教室のリズム歌謡大百科』に収録した巻頭対談から一部抜粋したのでぜひお読みいただきたい。

リズム歌謡とは何なのかという一般的な説明から、今この時代にリズム歌謡を考える意義についても掴んでいただけるのではないかと。

 

(以下引用)

ハシノ:リズム歌謡とは何かというと、大体1950年代半ばから60年代後半にかけて、日本のポピュラー音楽シーンの中で起こった一連の動きです。一番最初はマンボですね。アメリカでマンボが大ブームになり、ペレス・ブラードという人が「マンボNo.5」を大ヒットさせた影響で、その流れが日本にも来て、日本中のダンスホールや、米軍が集まるお店などでマンボが爆発的に流行りました。その後「国産のマンボを出そう」という流れになり、美空ひばりトニー谷といった人たちが競ってマンボのレコードを出しました。それをきっかけとして、マンボが下火になると、次はスクスクやパチャンガなど、さまざまな新しいリズムを次々と仕掛けていくという商売の形が定着したんですよね。マンボ以降も、毎年のように、あるいは1年に何度も「上半期はこれ、下半期はこれ」みたいな勢いで新しいリズムが登場する形が、約10年ぐらい続きました。

レコード会社が「これが今年のニューリズムです!」と打ち出し、当時の人気歌手に歌わせるというスタイルが一般的で、たとえば、美空ひばりの「ひばりのドドンパ」、小林旭の「アキラでツイスト」など、歌手名とリズム名がセットになった曲名が典型的です。

 

矢野:敗戦後の日本という生々しい状況のなか音楽を輸入していたんですよね。日本のポップスをなんとか作ろうとするなか西洋や海外の音楽的要素を借りてくるわけですが、そのゆえに「本格感」がなくて軽薄な感じがあるから、ロックファンなどからは「流行歌でしょ」「一発屋でしょ」などと見られることも多かった。LL教室はそういう音楽ファンから軽視されるようなところに注目して面白さを見出す性格というか好みがあるので、そういう観点からもリズム歌謡に関心がありました。僕自身は昔からリズム歌謡を聴いていましたが、最近ではリズム歌謡の話は普通にされるようになりましたね。ポピュラー音楽研究者である輪島裕介さんの著者『踊る昭和歌謡』(NHK新書)のインパクトも大きかった。その意味では、この10年ほどでまた違った状況になってきているとは思いますが、とにかくリズム歌謡というのは日本の音楽を考えるうえで実は重要だと思っています。

 

ハシノ:海外で流行っている新しい音楽を輸入して国産のものにするっていう形の「狭い意味でのリズム歌謡」というムーブメントは、60年代末からは消滅していきます。その後は、輸入する必要がなくなるぐらい日本のポピュラー音楽の層が厚くなってきて、国産音楽で十分まかなえるようになったということと、ビートルズボブ・ディラン以降の「自作自演こそ尊い」という流れが出てきたことで、こうした企画モノみたいなものは居場所がなくなります。ただ、この構造自体は日本の音楽にずっと根づいているもので、たとえば最近リバイバルで注目されている風見慎吾の「涙のtake a chanse」がブレイクダンスを広めたように、リズム歌謡的な構造は、いわゆる典型的リズム歌謡ではない音楽の中にもあると思います。

 

矢野:いわゆる「リズム歌謡」と呼ばれるものは50年代後半から60年代前半の企画モノを指すけど、別にそれ以降も外国の音楽の形式とかジャンルを参考にして自分の音楽を作るっていう構造自体は続いているわけですよね。だから極端な話、日本の音楽はすべてリズム歌謡的な側面がある。僕がこれに気づいたのは、『マキタスポーツラジオはたらくおじさん』を聴きながら小室哲哉について考えたときです。小室哲哉は、TRFを組んだときに「Tetsuya-Komuro Rave Factory」の略ですが、ユニット名に「レイヴ」とわざわざ付けている。あるいは、H Jungle with tのときに「ジャングルとはこうなんです」みたいなことをいちいち説明している。流行りのリズムを外国から持ってきて「これからの時代はこのリズムに注目!」て言っている小室の感じを思い出していたら「小室もリズム歌謡もやってることは一緒じゃん!」って思ったんです。そもそも小室は、J-POPでいち早くトレンドを取り入れるみたいなところがあります。そう考えるとヒップホップにしてもオルタナティヴロックにしても、外国のトレンドをいち早く取り入れて先取りするようにやっていく音楽は全部リズム歌謡的だな、と思うようになりました。いまの2024年の最新曲に至るまで日本の音楽は全部リズム歌謡に聞こえる(笑)。

 

ハシノ:そうですね。いかにも企画モノを歌わされている人とかだけじゃなくて、「自分の内面からにじみ出るものを曲にしてます」みないなアーティスティックなイメージの人も、結局は何かしらの参照元があるはずで、その上に自分の音楽を載せている構造はまあ変わらないんですよね。日本の場合、その参照元がほとんど輸入品なので、広い意味ではすべてがリズム歌謡的な構造で語れちゃうなっていうのは、やっぱりあるんですよね。

 

森野:一般的にですけど、音楽を作り始める初期衝動とか憧れって最初はあるんですよ。自分はこう見られたい、みたいな自我の強い表現とかが。でもそういうのを模索する一方で、職業音楽家となってくると、ニーズに応えるっていうことも出てきますよね。この話は細かくなってしまうので端折りますが、職業としての”規格”みたいなものと、表現としての”自我”みたいなものの葛藤をどう折り合いつけて表現していくか?っていうところだと思うんです。かつてのCDとかレコードだと、A面は売れ線の曲にして、B面はちょっと実験的なことをやってみるとかあったけど、今はサブスクでそういう時代でもなくなってるからね。手品の種明かし以降の手品みたいな、分かったうえでやらなきゃいけないことが多いから、音楽家に求められるレベルはとても上がってるように思います。だから若い人でもリズム歌謡的な解釈にしても、もっと要求が高いし、それに応えられてる人たちが今音楽をやってるなって感じますね。

 

矢野:これだけいろんな音楽があふれている時代で音楽を作ると、どうしたって何かに似ちゃうっていうのはありますよね。渋谷系の時期は「もうどうしたって似ちゃうんだから、むしろあからさまに引用する」という戦略もあったでしょう。なにを引用するかというところにアーティスト性を出していた。でも、それももはや前提条件になってるから、もう開きなおるようなかたちで演技的に振る舞う。Vaundyなんかその演技性がアーティスト性になっている感じがします。でも、これもリズム歌謡ですよね。リズム歌謡の歴史をいま知っておくのは、そういう意味でも助けになると思います。

(以上引用)

 

Q. 『リズム歌謡大百科』ってどんな内容?

A. 主な内容としては…

・『ポップンミュージック』シリーズの音楽を多く手掛けた杉本清隆さんをゲストとして招いたトークイベントの文字起こし

・昭和〜平成にかけてリリースされたリズム歌謡88曲のディスクレビューとジャケット写真

・リズム歌謡年表

・LL教室3人それぞれによるコラム

 

ここ10年ぐらいずっとリズム歌謡について考え続けているLL教室。

ニッチすぎる分野ではあるので、いろんな趣味嗜好の人々が集まることでおなじみの文学フリマの中でも、ひときわ間口が狭いであろうことは自覚しています。

しかし、LL教室が日頃から言ってるような「すべてのJ-POPはパクリである」「日本の音楽は全部リズム歌謡に聞こえる」「ジャンルに貴賎なし」といった観点に立つとき、リズム歌謡を考えることは、結局はJ-POPも含む日本のポピュラー音楽全体をとらえる視野を手に入れることであると思っています。

 

ぜひ文学フリマ東京39のJ-19ブースにお越しください。

子連れで楽しめるフェス5選

音楽の楽しみ方のひとつのスタイルとしてすっかり日本に定着したのが、フェス。

 

主催する側も参加する側もなにもかも手探りで開催された1997年の第1回フジロックから数えると、すでに四半世紀の歴史があるわけで、フジロックサマソニ、ロッキン、ライジング、エアジャムといったフェスに当時10代や20代で参加していた層が、いまや30代〜40代を迎えている。

そして、その中には音楽好き同士で結婚して子供をもった人たちがたくさんいる。

 

自分自身もその一人として心から思っているのは、フェスってむしろ子連れの音楽好きにとってめちゃくちゃありがたい存在だなってこと。

 

 

ライブハウスとかホールの公演って、当たり前だけどお目当てのアーティストを見に行く場所なので、そのアーティストに興味がない家族、特に子供を連れて行くのは難しすぎる。

 

そうなると自分ひとりで行くことになるし、夫婦揃って見たいアーティストの場合、ライブの間は子供を誰かに見ててもらう必要があるとかいう問題が生じる。

 

その点、フェスはライブ以外の要素がすごく大きいので、音楽に興味が薄い子供も連れて行きやすい。

フジロックなら川遊びとかドラゴンドラサマソニだったらお笑いとか、ロッキンなら遊園地といった音楽以外のアトラクションが充実してるし、多くのフェスではフェス飯や夜のキャンプも大きな楽しみのひとつになる。

 

なので、うちの子供たちも、親と音楽の趣味はあまり合わないけど、フェスに行くと行ったら嫌がらずについてきてくれるのである。

ライブハウスに行くとなると、妻へのワンオペのお願いとかもろもろ調整が必要になるんだけど、フェスの場合は普通の家族旅行と同じノリで行ける。

 

そんなわけなので、長男が生まれてからのこの10年ほど、ほとんどのライブはフェスで見てきたと言っても過言ではない。

 

 

今日はそのなかでも、特に子連れ音楽好きにオススメのフェスを紹介したい。

 

THE CAMP BOOK 

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富士見高原リゾート(長野県)でだいたい6月ぐらいに開催。2日間。

おもなステージは3つあり、君島大空とかRHYMESTERとかtoeとか民謡クルセイダーズとか水曜日のカンパネラとかTHE BLUE HERBといったあたりの、知名度と実力を兼ね備えた国内アーティストが中心のラインナップ。

また、珍盤亭娯楽師匠やmonaural mini plugや柳家睦とラットボーンズやTURTLE ISLANDといった個性的な面々の比率が高いのも個人的に好きなところ。

 

このフェスが子連れにオススメなのが、こぢんまりとしたサイズ感。

端から端まで歩いて10分ほどの会場で客も何千人もいないし迷子のリスクがほとんどない。

 

そしてフリー卓球台!あとふわふわのエアー遊具!スキー場のリフト!

小学生ぐらいまでなら、このあたりのアトラクションで勝手に遊んでてくれる。

 

さらに、夜はキャンプなんだけど、会場のすぐ隣にある宿泊施設の温泉に入れるっていう。

温泉好きな子供ならここでさらにテンション上がってくれます。

 

客層としては結構コアな若い音楽好きが目立つけど、子連れも多い。

今年はなんと小学生に大人気の小島よしおが登場した。


FUJI&SUN

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富士山こどもの国(静岡県)でだいたい6月ぐらいに開催。2日間。

おもなステージは3つあり、メインステージではくるりnever young beachceroアジカン、KIRINJI、奥田民生あたりの大物ヘッドライナー格をかなり間近で見られる。

一方で、他のステージではDos Monosやmaya ongaku、角銅真実、EYE、鎮座DOPENESSU-zhaanといったラインナップをこれまたかなり間近で見られる。

 

しかし、何よりこのフェスが子連れにオススメなのが、会場そのもの。

なんとヤギとかウサギがいる牧場があり、フェス開催中もふれあい可能なので、動物好きな子供ならそこで遊んでてくれたら大人はライブが見れるっていう。

他にも広大な芝生の広場とかクモの巣ネットとか溶岩の岩場とか、小学生ぐらいまでならずっと遊んでいられる遊び場が多数。

 

前述のTHE CAMP BOOKよりひとまわり規模が大きいので、迷子リスクも少し増すし、森の中に入り込んでしまったりしたら大変だけど、ある程度の年齢だったら子供同士で遊ばせておける感じである。

 

朝霧JAM

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朝霧アリーナ静岡県)でだいたい10月ぐらいに開催。2日間(チケットによってもう1泊可能)。

フジロックを主催するSMASHが、大規模なフジロックに対比してちょうどいい規模の良心的なフェスとして開催している。

おもなステージは2つあり、コーネリアスや羊文学、toeキセルハナレグミといった国内アーティストと、BADBADNOTGOOD、Night Tempo、YO LA TENGOといった海外アーティストが混在しているのが特徴的。

 

朝霧といえば、天気が良ければ巨大な富士山が一望できる素晴らしいロケーション。

 

あとはテントの中からメインステージを見られる場所にキャンプサイトがあるので、雨が降ってしまっても屋根の下でライブを楽しむことができるのもうれしい。

幼い子供がいてもライブをあきらめずに済む。

 

もちろんキッズエリアも充実しており、和太鼓ワークショップや木材を活用したおもちゃなどが盛り沢山。小学生ぐらいなら勝手に遊んでてくれる。

 

GREEN ROOM FESTIVAL

横浜赤レンガ倉庫(神奈川県)でだいたい5月ぐらいに開催。2日間。

主なステージは3つあり、Awitch、PUMPEE、KREVA、STUTSといった有名ヒップホップ勢や、海外アーティストも招聘しつつ、Def Tech、UAなどのサーファー文化圏のエコロジー方向に強いという傾向が見て取れる。

 

大自然でキャンプするフェスではなく、みなとみらい線で快適に行き帰りする感じのフェスなんだけど、チケット不要で無料で見られるステージがいくつかあったり再入場もできるので、親がメインステージを行ったり来たりしつつ子供はまったり水遊びみたいなことが可能。

混雑はある程度覚悟しないといけないが、キッズ向けコンテンツは年々充実してきている印象。

 

森道市場

ラグーナビーチ(愛知県)でだいたい5月ぐらいに開催。3日間。

会場がかなり広くて、遊園地エリアと海エリアに分かれている。

おもなステージは5つぐらいあり、Charaフジファブリックスチャダラパー水曜日のカンパネラ、カネコアヤノといったメジャーどころから、moreruや水中、それは苦しいまで、かなり幅広い。あまり他のフェスでは見られないアーティストが多いイメージ。

そんなラインナップの幅広さを反映して客層も幅広く、東京から来たおしゃれな若者と地元の子連れが混在していて楽しい。

 

このフェスの特徴は、なんといってもプール。プールに浸かりながらライブが見られる。

自分が行ったときには、ドレスコーズの退廃的で雰囲気たっぷりのライブをプールから見て頭がクラクラしたもんだった。

あとは遊園地のアトラクションもあるしビーチにも行けるので、子供たちの満足は保証されたようなもんである。


以上、我が家が行ったことのあるフェスの中から、子連れにオススメのものをご紹介しました。

 

まとめると、フジロックサマソニやロッキンやライジングサンといった大規模フェスは避けて、子供向けのコンテンツやエリアが充実している中小規模のフェスが狙い目ってことです。

 

子供ができてからすっかりライブとかから足が遠のいてしまってる大人たちはたくさんいると思いますが、実はフェスまじでオススメ。

ここで紹介したフェスはどれも子連れだらけなので安心してどうぞ。

 

ラインナップ的にも30〜40代の音楽好きはむしろメインターゲットだったりするし。

 

 

たぶん上記以外にもいいフェスが全国にはまだまだあると思うので、よかったらオススメ教えてください。特に西日本は全然カバーできていないので。

 

『AKIRA REMIX』をきっかけに考えたい、芸能山城組による映画『AKIRA』の音楽は何がすごかったのか(そして久保田麻琴リミックスがいかに最高か)

先日リリースされた『AKIRA REMIX』がほんとに大好きで、最近はずっとこればっかり繰り返しリピートしているので、今回はそもそも『AKIRA』のすごさから振り返りつつ、リミックスの適材適所っぷりまで見ていきたい。

 

 

AKIRA REMIX』は、映画『AKIRA』のサウンドトラックの楽曲を、久保田麻琴小西康陽らがリミックスしたもの。

 

1988年公開の『AKIRA』は、原作者である大友克洋みずから監督と脚本も手がけて、当時としては桁外れの予算で作り上げた近未来ディストピアSFアニメ大作。

公開から30年以上たった今もアニメ界や映画界にとどまらず、世界中のクリエイターに影響を与え続けている。

 

 

こんな感じでオマージュが大量に存在する超有名なバイクのシーンをはじめ、全編を通してカッコイイ要素ばかりなんだけど、その中でも無視できない存在感を放っているのが、芸能山城組による音楽。

 

AKIRA』の映画化にあたり、音楽は当初シンセサイザーの大御所、冨田勲が予定されていたらしいが、近未来にシンセサイザーという組み合わせがありきたりすぎると感じた大友克洋が、みずから芸能山城組に熱烈にオファーしたという。

 

監督直々のオファーの甲斐あって、バリ島のケチャやガムランジェゴグ、日本の祭り囃子や能楽や声明、またアフリカや東欧など世界中の民族音楽を取り入れた芸能山城組の音が、2019年のネオ東京の狂騒的で退廃的なムードや、超能力者の神秘的だったり悪夢的だったりするビジョンを、見事に表現しきっている。

 

 

映画『AKIRA』といえば、金田や鉄雄といったキャラクターが縦横無尽に躍動するおもしろさに誰もがまずは心を奪われるんだけど、作品としての魅力はそこだけにとどまらない。

 

ネオ東京という巨大な都市で、暴走族や革命家や軍隊や政治家や宗教家といった人間たちがそれぞれの思惑でうごめいていることで生じる、そして大半の住民が特に思惑もなく享楽的に生きていることで生じる圧倒的なエネルギーが、この作品を特別なものにしている。

 

たとえば根津のこんなセリフも。

あらゆる面でこの街は飽和状態にある。熟し過ぎた果実じゃ。中に種を宿したな。

あとは果実を落としてくれる風を待てばいいのじゃ。アキラという風をな。

 

つまり、一人ひとりの人間はただただ必死に生きているだけにすぎないのに、都市とか文明とかいう巨大なものを生み出してしまう、人間というものの本質的なおもしろさ、そういったものを表現するところまで至る必要があったわけで、音楽も単に「近未来だからシンセサイザーね」っていう発想では全然足りなかった。

 

 

「近未来だからシンセサイザーね」だと、このあたりの二番煎じになってしまうっていう。

 

 

ブレードランナー』も『トロン』も、公開当時はこのシンセサイザーが未来っぽさを強調してくれていたんだけど、90年代にはすでに古臭く感じられるようになってしまっており、2024年にもなると、古臭さが一周して逆にレトロものとしてアリっていう地点に至ってしまってる。

 

ダフト・パンクが一周してアリにした例↓

 

 

 

80年代のシンセサイザーのように、その時代の最先端な音楽を使って未来を表現すると、わりとすぐに古臭くなる。

ならばいっそのこと、新しいとか古いとかの軸の外側にある音楽を使うことで、陳腐化しないし神秘的になるっていうのが、『AKIRA』の音楽の革新性。

 

民族音楽って、それぞれの土地で何百年、下手すると千年単位で受け継がれてきたものなので、80年代がダサいとか逆にアリとか、そういう物差しとはスケール感が違う。

 

また、特定の作曲家や演奏者が作ったものではなく、その土地で何世代も受け継がれる中で少しずつ形になってきたものっていうところも、『AKIRA』が持つメッセージ性と響き合っている。

 

たとえば、キヨコに憑依されながら話すケイのこんなセリフ。

アキラって、絶対のエネルギーなんだって。

人間って、一生の間にいろんなことをするでしょう?

何かを発見したり、作ったり、家とかオートバイとか、橋や街やロケット…

そんな知識とかエネルギーって、どこから来るのかしら。

猿みたいなものだったわけでしょう?人間って。

その前は爬虫類や魚、そのもっと前はプランクトンとかアメーバ…

そんな生物の中にもすごいエネルギーがあるってことでしょう?

 

 

今回の『AKIRA REMIX』は、そんな芸能山城組大友克洋の思いをしっかり汲んだ上でフレッシュなリミックスを施している久保田麻琴の仕事がとにかくすばらしい。

 

久保田麻琴といえば、70年代のデビュー以降、裸のラリーズ夕焼け楽団、サンディー&ザ・サンセッツ、細野晴臣とのデュオといった数々の作品で各時代にいくつもの代表作を生んでいるミュージシャンでもありつつ、世界各地の音楽を紹介するプロデューサーとしても超一流。

個人的には、気になる音楽を掘っていった先に「久保田麻琴」という名前を目にするっていう体験を、今まで何度も味わってきた。

 

そんな久保田麻琴の『AKIRA REMIX』での仕事に近いものとしては、2012年にやった江州音頭のリミックス。

ここで一部が試聴できますが、元の素材の本質の部分を掴んでちゃんと尊重しつつ、ふつうにフロア映えするレベルでフレッシュに手をいれていて、めちゃめちゃカッコイイ。

 

 

 

 

 

毎年8月に西新宿の三井ビルで行われている芸能山城組のケチャまつり。
ジェゴグによる「金田」の演奏もあり、ガムランやケチャなど一日中楽しめる祭典。

ネオ東京の風を感じたいみんなにオススメです。

 

 

フジロック2024最終日にALI→キム・ゴードン→ターンスタイルを選んで連続正解大満足

今年もフジロックに1日だけ行きました。

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2012年ぐらいまでは毎年、前夜祭から月曜の朝までフルで参加してたんだけど、子供が生まれたりして身軽でなくなったこともあり、ここ数年は金土日のラインナップを眺めて検討し、ここだという1日に狙いを定めて日帰りで行くようになってる。

 

で、結局いつも金土日のうち、日曜に行ってる気がするんですよね。

そして1日の大半をフィールド・オブ・ヘブンで過ごしてる。

というのも、最終日のヘブンに出てくるアーティストって、多国籍で、ジャンルの幅も広くて、それでいてクオリティは保証されているのである。

なかなかグリーンやレッドの方まで下山する気になれないんだよね。

 

 

今年もそのつもりで自分内タイムテーブルを組んでいたんだけど、初っ端から入場に手間取って菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールに間に合わないことが確定してしまうという痛恨のミス。

 

仕方なく外れ1位でbetcover!!を指名したんだけど、これはこれで前から見たかった人たちなので問題なし。

betcover!!は最近まで中国をツアーしていて、各地で盛り上がっている様子をSNSを通じて目にしていたんだけど、ライブ終了後にまわりで聞こえてきた言葉がぜんぶ中国語だったことでその人気をはじめて実感できた。

漠然と「海外で人気」っていうんじゃなく、中国とか特定の国で人気っていうあり方が現代っぽくておもしろい。

 

 

続いてホワイトステージに向かい、スペインのバスク地方からやってきたESNE BELTZAを見た。

調べたらこのバンドは2009年にフジロックにはじめて登場していて、そのときも見てた。

当時のフジロックには、マヌ・チャオの流れをくむラテン系ミクスチャーバンドが必ず何バンドか出演していたんだけど、彼らもそのひとつ。

音楽的にはレゲエ、スカ、ラテン・ロックなどがパンクの美学で統合されていて、思想的には左派民族主義っていう傾向があったよね。ESNE BELTZAもバスク独立運動のアクティビスト。

 

90年代末から00年代にかけてのロックフェスには、スカ〜スカコアのバンドがたくさん出ていて、全然知らないバンドでもあのビートを鳴らされたら無条件に身体が踊りだすっていう雰囲気があった。


そういえばロックフェスの王道のラインからスカが消えて久しいなと、みんなあんなに大好きだったはずなのにって思ってたら、ESNE BELTZAに続いてホワイトに登場したHEY-SMITHが見事にその路線を受け継いでいた。

 

 

昼ご飯を食べながら、ヘブンにてCHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN。

いろんなフェスに引っ張りだこなのは、細野晴臣の孫っていう話題性だけじゃなく、育ちのいい雑食性とでもいうべき音楽性によるものでしょう。

我が家が行きそうなフェスに呼ばれそう系なので、これからも何度か見る機会があると思う。今後が楽しみ。

 

 

アトミック・カフェトーク沖縄県知事玉城デニーが来るというので、チョコパを切り上げてアヴァロンへ。斎藤幸平・ジョー横溝津田大介とともに、ステージに立っているのを確認。

沖縄県知事っていう、超絶複雑な方程式を解かされる重い仕事に何年も取り組み続けられるパワーが、至近距離から感じ取れた。

それにしても小池百合子玉城デニーに言い放ったとされる差別発言はほんとに外道だなと、そしてその見下した態度が沖縄の現状にそのまま反映されてるんだよなと、そんなことも思い出した。

 

 

再びヘブンに戻って、インドネシアからやってきたALI。

個人的に今年のフジで見るのがもっとも楽しみだった一組。

 

クルアンビンをきっかけに世界的に注目を集めている、70年代のタイや東南アジア音楽のリバイバル

彼らはクルアンビンよりも踊れる要素が強いのと、東南アジアだけじゃなく、中東や北アフリカのエッセンスも入っているのが特徴的。

そう。ところどころ、エムドゥ・モクターのような北アフリカトゥアレグ族っぽいフレージングや、アルトゥン・ギュンのようなトルコのアナドル・ロックっぽいサイケデリック感が上手に取り入れられてるんだよね。

 

70年代のロックスターのような出で立ちで、渋く演奏するライブでの振る舞いもカッコよかった。オススメ。

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この日はずっと曇り空で、ときどき雨がパラつくものの、本降りになることはないという天気。

天気予報を見てある程度の雨は覚悟してたのが拍子抜けするほど。

 

 

舞茸天丼を手に入れて、THE JESUS AND MARY CHAINのためにホワイトへ。

最後の30分ほどを、PA席の真裏で音だけ聴きながら満喫。

そういえばこの日は、ジザメリ、ライド、オエイシスと、真夏のクリエイション祭りでもあったんだなと。

【知りたい】オアシス、プライマル、マイブラ……クリエイション・レコーズの伝説を振り返る (2018/01/05) 洋楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 

 

またまたヘブンに戻り、日曜のヘブンらしいアクト、YIN YINへ。

オランダ出身なんだけど、日本を含む非西洋のエキゾチック要素を取り入れた音楽性が特徴。

個人的に好きなタイプなはずなんだけど、ちょっと体力的にしんどい時間帯だったこともあり、座って見てたらうたた寝してた。

戦場のメリークリスマス」をカバーする彼らのセンスにエキゾチシズムの匂いを勝手に感じ取ってしまって、テンションが下がったのかもしれない。

 

この時点で18時。

まだまだこの後に控えているあれこれに備えて、旧オレンジコートあたりの草地で本格的に仮眠。一日中晴れてる日だったらこの時間帯はかなり冷え込んで長袖必須な感じなんだけど、この日はまだ半袖で大丈夫だった。

 

小1時間ほど眠って、寝起きでふらふらとヘブンへ。

何ら過不足のない鉄壁のオリジナルファンクのレジェンド、ミーターズさんたちにより、眠気が一気に飛ぶ。

 

 

そしてここからが今日のハイライト。

ホワイトステージの前方に早めに陣取り、キム・ゴードンにむけて待機。

 

ソニック・ユースの中心人物として80年代から活躍する米オルタナティブ・ロック界の最重要人物が、70歳を超えてソロとして再始動。

しかも、発表された新曲が、現代的なトラップのビートにお得意の気だるく不穏なヴォーカルとノイズギターが乗ってくるという、自分の専門分野をフレッシュな要素を加えてアップデートした感じですばらしかったので、ライブにもそりゃ期待しますよね。

ホワイトステージ前方を占める往年のファンたちもみんなそんな感じだった。

 

20代ぐらいの、つまり孫世代のバンドを従えて登場したキム・ゴードンは、ときにギターを弾きながら、ときに手ぶらで、音源よりもさらにノイジーで暗黒な音を出し続け、その姿はとにかくめちゃくちゃにかっこよかった。

ギターの子のノイズの出し方なんてちょっとサーストン・ムーアっぽかったりもして。

 

フジロックでの映像は上がってなかったけど、これとかは近いので参考に。

 

 

キム・ゴードンにやられてしばらく呆然としていたんだけど、ちょっと時間があったのでミーハー心のままにグリーンステージに行ってちょっとだけノエル・ギャラガーを見て、またホワイトに戻る。

 

そして今日のお目当てその2、ターンスタイルが登場。

ハードコアの世界にはそんなに詳しくないんだけど、たぶんアメリカにおいては80年代が人気のピークで、そのあとはグランジやミクスチャーやポップパンクに発展的に分散していったため、彼らはハードコア勢としては何十年ぶりとなるヘッドライナー級バンドってことになると思う。

 

彼らのMVのYouTubeのコメント欄には、こんな感じの中年ハードコアファンからの喜びの声がたくさん。

 

 

みんな自分の年齢を書いてから感想を述べてるのが可笑しいんだけど、その気持ちはすごくよくわかるんだよね。

自分がキッズだった頃にハードコアやオルタナにガツンとやられたあの感じを、彼らは何十年ぶりにまた味わわせてくれたっていう。その喜びを表現するためには、まずは自分の年齢を書かざるを得ないっていう。

気持ちわかりすぎる。

 

ターンスタイルはとにかくまず曲がいい。単に激しいだけじゃなく、起伏やキャッチーなリフやフック、トンチキなネタ感のあるアイデアなどが1曲の中に詰め込めれており、それに加えて、なんていうかDIY感というか自由なバイブスがすごくあの頃を思い起こさせてくれる。

たとえば、ビースティ・ボーイズがハードコア曲をやってるときのあの感じとか、ガチのハードコアとガチのレゲエ曲を行ったり来たりするバッド・ブレインズのライブのあの感じとか、そういう、USハードコアの個人的に好きな面の継承者って感じがする。

 

 

ライブはとにかく楽しかった。助け合いありきの統制の取れたモッシュピット(とはいえタオルとかスニーカー片足とかスマホとかはみんな結構なくしてたけど)でニコニコしながらぶつかり合う。

最後にはステージに上っていいよってことになって、たぶん100人ぐらい上がった状態で「HOLIDAY」をやった。

ホワイトステージにアーティスト公認で乱入が発生したのはイギー・ポップ(ストゥージズ)以来だろう。

 

あとは家に帰るだけのギリギリの体力しか残ってなかったので、あら恋や250は断念。

お疲れ様でした。

 

孤高そうでそんなに孤高じゃないブランキー・ジェット・シティの音楽性を分析してみた

2024年7月、24年前に行われた解散ライブの映像を突然Youtubeで配信し、同時にサブスク解禁や過去作のアナログ盤リリースを発表したBLANKEY JET CITYブランキー・ジェット・シティ)。

 

https://content-jp.umgi.net/products/to/toct-95012_GyO_extralarge.jpg?12052017115530

 

ブランキーは、1990年のデビューから2000年の解散までの10年間に10〜20代を過ごした世代にはかなり大きなインパクトを与えているんだけど、リアルタイムのインパクトと比べて、解散後はあまり言及される機会がなかったと思う。

 

自分自身も、多感な年頃に「悪いひとたち」〜『C.B.Jim』の衝撃をリアルタイムで味わって当時はかなり聴き込んでいたにもかかわらず、正直この四半世紀はブランキーのことを思い出すこともほとんどなかった。

 

あまりにも独特すぎるアーティストって、独特すぎてマネしづらいがゆえにフォロワーが生まれにくく、フォロワーによる再評価がされないから忘れられがち、っていうパターンなのかと推察してますが。

 

とにかくそんな状態だったので、2000年以降に10代になった世代にとってはブランキーってよくわからない存在かもしれない。

また、当時ブランキーの存在は認識していたけどいまいちよくわからなかったという人も割と多いと思う。

やはり孤高のバンドってイメージが強いし、また実際そこそこ孤高だったとも思うし。

 

ただ、ブランキー・ジェット・シティの音楽性って、実は分析してみると他の日本のロックバンドと意外な共通項が見つかったりする。

 

同じアーティストに影響を受けた異母兄弟のような存在が実は多いので、ブランキーを初めて聴く方々も、20年ぶりに聴く方々も、このブログを手がかりに、サブスク解禁に備えて各自予習をおすすめします。

 

ブランキーとジッタリン・ジン

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「プレゼント」や「夏祭り」といった名曲が世代を超えて愛されているジッタリン・ジンは、ブランキーと同じく90年代バンドブームの代表的なバンド。

 

ジッタリン・ジンといえば、女の子のほろ苦く甘酸っぱい世界観のバンドと思われており、無骨そのものといったブランキーとは対極にあるようでいて、実はロカビリーを音楽性の芯に持っているという共通項がある。

 

どちらのバンドもグレッチのギターによるロッキンなフレーズが特徴的で、50年代のエディ・コクランや80年代のネオロカビリーを代表するストレイ・キャッツあたりの影響。


ジッタリン・ジンの曲のなかには、そのままブランキーがカバーしても違和感がないものもちらほら。

 

一見似てないけど、ブランキーとジッタリン・ジンは異母兄弟と言っていいでしょう。

 

ブランキーゆらゆら帝国

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80年代にあったロカビリーのリバイバルをさらにエグい方向に発展させたのがサイコビリー

中村達也加入前、ブランキーの前身バンドはサイコビリーだったという。

 

そのサイコビリーの代表的なバンドであるクランプスの、怪奇で狂気でダークな雰囲気を日本で取り入れたバンドのひとつが、ゆらゆら帝国

 

もちろんゆら帝にはサイケやGSやガレージなどたくさんの要素が入っているんだけど、この2曲を聴き比べれば、クランプスの影響もあることは明らかでしょう。

 

 

サイコビリーは具体的にどんな歌詞なのかほとんど知らないけど、ブランキーゆら帝に共通するのが、ちょっとゾッとするような少年の目線の歌が多いところと、死のイメージ。

 

すなわちブランキーゆら帝は、サイコな父をもつ異母兄弟。

 

ブランキーBUCK-TICK

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ブランキーにおけるロカビリー〜サイコビリーの要素は、グレッチのギターとリーゼントといったルックスからもわかりやすいんだけど、実はそれは構成要素の半分にすぎないと思ってて。

ブランキーをロカビリー〜サイコビリーの範疇にとどまらない独特の存在たらしめているのが、残りの半分の「ゴス」な部分。

 

耽美的でダークで文学的なゴシック・ロックは、80年代初頭のイギリスで一世を風靡し、数多くのバンドをシーンに生み出した。

浅井健一が影響を受けたと語っていたバウハウスも、そんなゴシック・ロックを代表するバンドのひとつ。


他にも、初期のザ・キュアーの繊細さとか、ザ・カルトの硬質なサウンドなんかは、かなりブランキーっぽいので、ブランキーは実質ゴスのバンドといっても差し支えない。

 

「死」のイメージの取り扱いについても、サイコビリーとゴスではぜんぜん違ってて、言ってみればドクロの指輪と遺影ぐらい違うんだけど、ブランキーは後者寄り。

 

そして、日本におけるゴスの帝王といえばもちろんBUCK-TICKなので、ブランキーBUCK-TICKは異母兄弟。

 

ブランキーLUNA SEA

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ブランキーのデビューアルバムの『Red Guitar And The Truth』というタイトルは、U2の「All Along The Watchtower」(原曲はボブ・ディラン)の歌詞から引用したという。

 

初期U2のヒリヒリした質感やシリアスな世界観は明らかにブランキーに受け継がれていると思うし、たとえばこのあたりの曲なんてそのままブランキーのアルバムに入っていてもおかしくない。

 

で、そのU2サウンド面での特徴であり後世のギタリストにめちゃくちゃ影響を与えたのが、アルペジオの音がたくさん追いかけてくるような付点8分ディレイ奏法。

弾いた音に対して遅れて音が鳴るエフェクトをディレイっていうんだけど、そのディレイの間隔と音量をうまく調整するとU2のあの音になるんですよ。

 

この奏法、日本ではLUNA SEAがいろんな曲で取り入れてる。

つまりブランキーLUNA SEAは異母兄弟。

 

 

ブランキーNUMBER GIRL

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ここまで見てきた影響元は、だいたい80年代までのロックが中心で、このあたりがブランキーの音楽性の骨格になっているというのは確かにそうなんだけど、実は同時代のトレンドにもちゃんと反応していた。

 

同時代、すなわち90年代の10年間はそれはもう目まぐるしかったので、ブランキーも最終的にはレディオヘッドに傾倒したり打ち込みを取り入れたりもしたわけで。

 

そうなっていく前の90年代前半といえば、世界的にニルヴァーナのブレイクにともなうオルタナティブ革命の嵐が吹き荒れた時代。

 

オルタナティブ・ロックのサウンド面の特徴は、静と動の極端すぎるコントラストだとか、ファズ系の歪みだとか、ノイズや破綻を曲の要素に取り込んでいくところとか。

 

このあたりのオルタナ感を、ブランキーは元の音楽性と調和させつつ新鮮さをもたらす要素としてうまく取り入れていたと思う。

 

これとかブランキーがカバーしたらめっちゃ似合いそうでしょ。

 

そんなオルタナを日本においてもっとも体現していたのが、福岡市博多区からやってきたNUMBER GIRL

 

ピクシーズとハスカー・ドゥという代表的なオルタナのバンド名にちなんだ「Pixie Du」っていう曲もあるぐらい。

 

すなわち、ブランキーNUMBER GIRLも異母兄弟。

 

 

意外と孤高ではない

ここまでみてきたように、ブランキー・ジェット・シティには音楽的な異母兄弟がたくさんいた。

 

ブランキーってアーティスト/プレイヤーとして個性が強い3人の集まりだったことは確かだけど、やはりミュージシャンというのは誰にでもルーツがあるし、また同時代の影響を受けながら進化していくもの。

 

これはわれわれLL教室が常々イベントや講義などの場で伝えてきたことでもあるんですが、誰の影響も受けていないからエラいとか、パクリだからダメとか、そういう話ではないんですよね。

 

Apple Musicによる「100 Best Albums」を年代/ジャンル/ジェンダーで分析してみた

2024年5月、Apple Musicが「100 Best Albums」(史上最高のアルバム100枚)を発表した。

このランキングには、Apple Musicの再生回数は一切考慮されておらず、Apple Musicが誇る専門家チームのほか、ファレル・ウィリアムスなどアーティストや、作曲家、プロデューサー、業界のプロフェッショナルがキュレーションしたものだという。

 

音楽の聴き方としてサブスクがすっかり定着し、また、プレイリストをきっかけに楽曲単位で人気が集まっていくようになって久しいけど、ここであえてアルバムという単位で音楽に向き合ってみては?というApple Musicからの提案なんだろう。

 

 

この手のオールタイムベスト的な企画は、過去にいろんな音楽番組や雑誌などで行われてきて、音楽好きの間でよく話題になるんだけど、今回のApple Musicのやつはその中でも結構攻めてるなと思った。

いや、攻めてるというか、時代の流れを感じるというか。

 

男女比

この手のランキングって、過去のすべての年代やジャンルから選んでいると言いいながら、結局ビートルズボブ・ディランといった白人/男性/ロックが上位を占めがちだったんだけど、今回は1位がローリン・ヒル、2位がマイケル・ジャクソンときて、ベスト10にロックバンドはビートルズニルヴァーナしか入ってない。

 

男女比を見てみると、男女混合グループ(トーキング・ヘッズフリートウッド・マックなど)を除いた96組のうち、女性が29人で約3割。

 

これを多いと見るか少ないと見るかだけど、少なくとも過去のこの手のランキングではもっとも女性の割合が高いはず。

 

と言ってもパリテ的に下駄を履かされてる感じでもなく、ミッシー・エリオットビョークジョニ・ミッチェルやマドンナといったそうそうたる面々には文句のつけようがないし、さらに近年のビリー・アイリッシュビヨンセテイラー・スウィフトといった存在が音楽シーンを活性化させていることの反映だと思う。

 

 

年代とジャンル

次に、年代とジャンル別に分けてグラフ化してみた。

 

こうして可視化してみると、各ジャンルの栄枯盛衰がはっきりわかる。

たとえばロックにおいては、60年代にビートルズが切り開いた道を多くのアーティストが深めていった70年代〜80年代。一度は行き詰まりかけたところをニルヴァーナレディオヘッドオルタナティブなやり方で再活性化させた90年代。しかしそれ以降はパッとしない…っていうね。

ヒップホップにおいては、80年代の先駆者に続いていろんな才能が西海岸でも東海岸でも南部でも一気に開花したのが90年代。

シンガーソングライター(グラフではssw)の名盤は、時代の空気が内省的になるタイミングと呼応するように生まれているらしい、とか。

 

あと、アルバムっていう単位で音楽を聴く文化の良し悪し。

よく言われるように、これはビートルズの功績が大きくて、100枚のうちビートルズ以前のものはマイルス・デイヴィスコルトレーンニーナ・シモンだけ。

そのため、アーティストとしては偉大でも、ライブ中心だったりシングル中心の活動で、名盤と呼ばれるようなアルバムがない人は選ばれてない。ジェームズ・ブラウンとか、フェラ・クティとか、ジェフ・ミルズとか。

 

評価基準の全体的な傾向

この手の評論家筋が選ぶランキングでは、大衆的な大ヒットアルバムよりも、難解だったり音楽性が高いと言われているものが上位に入りがちなんだけど、Apple Musicの「100 Best Albums」はおそらくそのあたりのバランスをかなり考えて選ばれていると思う。

 

売れた枚数×革新性で導き出される、世の中に与えたインパクトの総量で選んでいるっていうことかもしれない。

世界中で何千万枚も売れたマイケル・ジャクソン(2位)やAC/DC(90位)やイーグルス(99位)は、ただたくさん売れたから選ばれたわけではないし、数千万枚売れていても選ばれていないアルバムもたくさんある。セリーヌ・ディオンとかアバとか『サタデー・ナイト・フィーバー』とか。

 

40代ぐらいでそこそこ英米の音楽を聴いてきた大人だったら、100枚の大半をうっすらでも認知はしているってレベルだと思う。

 

 

その結果、評論家筋が選ぶランキングに入りがちな玄人好みのアーティストがかなり選ばれてない。

キャプテン・ビーフハートとかノイ!とかジェフ・ベックとかジョイ・ディヴィジョンとかトータスとか。

何より驚いたのが、この手のランキングで何なら1位になってもおかしくないキング・クリムゾンクリムゾン・キングの宮殿』が、選ばれてない。

 

 

プログレッシブ・ロック勢からはピンク・フロイドの『狂気』が28位に入っているのみという。

 

いくらアルバムという存在を見直そうという趣旨っていっても、1曲20分ある組曲をスピーカーの前に正座して聴くみたいなプログレの世界は、サブスク時代のリスナーには敷居が高すぎるだろって判断が、Apple Music側に働いたのかもしれない。

 

ゼロ年代は冬の時代だったか

あと、年代別でみるとゼロ年代が極端に少ない。

 

たしかに、CDバブルがはじけて音楽業界全体が冷え込んでいた時代だったことは事実だけど、本当に前後の時代に比べて名盤が少なかったんだろうか。

 

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 IFPI GLOBAL MUSIC REPORT 2024

 

 

以前にこのブログで、「関ジャム」のJ-POPランキングで10年代が少なかった理由を推察したことがあったんだけど、このランキングにもその傾向のうちいくつかが当てはまりそう。

 

理由① 選者の世代の偏りが反映した

→選者がリスナーとして多感な時期に出会ったアルバムは高く評価されがち。

 

理由② 古いと伝説になり、近いと記憶が新鮮、結果として間が埋もれる

→リリースされて時間がたったものは「伝説」として評価が定まりやすく、一方で近年のものはまだ記憶が新鮮で想起されやすい。そのどちらでもなく中途半端な時期のものは埋もれがち。

 

足りてない多様性

一見すると、ジャンルやジェンダーなど各方面に配慮されていて多様性があるように見えるラインナップだけど、英語圏に極端に偏ってることは否めない。

 

歴史の深さでも音楽性の高さでも市場規模でも、中南米はデカいはずなんだが、ボブ・マーリー(46位)とバッド・バニー(76位)とリアーナ(55位)が選ばれてるのみ。

驚くべきことに、ブラジル勢が1枚も選ばれていない。

エリス・レジーナも、マルコス・ヴァーリも、セルジオ・メンデスも、アントニオ・カルロス・ジョビンも、ジョアン・ジルベルトも。

 

あと自分が日本人だということを差し引いても、YMOが入っていないのはどうかと思う。

 

 

また、選者はみんな洗練された大人なんだと思う。

なのでメタルやパンクといった子供っぽいロックはほとんど選ばれていない。

 

ガンズ・アンド・ローゼズ(52位)とメタリカ(69位)が渋々といった感じで入っているだけで、ザ・クラッシュ(35位)も「単なるパンクを超えた名盤」みたいな評価で選ばれている。

 

ダムドやバッド・ブレインズはもちろんのこと、セックス・ピストルズ勝手にしやがれ』すら入ってないのにはちょっと驚かされるし、何よりもブラック・サバスが後世に与えた影響を軽視しすぎなのではないか。

 

それとも、この企画を幅広い世代に楽しんでもらいたいという趣旨には、メタルの過激な歌詞や世界観はそぐわないとでも言うのだろうか。

だとしたら、N.W.A.(70位)や50セント(82位)の犯罪的なリリックはいいのかよっていう話だし。

 

やはり、単にこういった音楽が今の時代のリスナーには刺さらないだろうっていう話なんだろうか。

 

はからずも、多様性への配慮によって割りを食う「弱者男性」みたいな構図を感じてしまった。

 

これが漏れているのはどうかと思う名盤

色んな音楽を聴いてきて思うのは、名盤とされるアルバムには、ジャンルや時代にかかわらず共通する手触りみたいなものがあるってこと。

アーティスト自身がノッていて、時代の空気とも完全に呼応してるときるとき特有のオーラっていうのがあるなと。

 

名盤って、ただの名曲の寄せ集めではなく、アルバムを通して飽きのこない流れがあり、聴き終わったあとには独特の満腹感があったりする。

 

そういう自分の中での名盤の基準に照らしたときに、Apple Musicの100枚にこれが漏れているのはどうかと思うっていう名盤ベスト3を最後に紹介してみたい。

 

『ニューヨリカン・ソウル』

1997年リリース。マスターズ・アット・ワークが、プエルトリコ系ニューヨーク人という自らのルーツに向き合った大作。

ロイ・エアーズサルソウル・オーケストラといったレジェンドをゲストに迎え、ハウスミュージックをベースに、サルサやジャズやディスコやファンクをまとめ上げている。

曲の良さも歴史的意義も、何もかもが美しい。

 

『スクリーマデリカ』プライマル・スクリーム

1991年リリース。ガレージロックやサイケデリックをやっていたグラスゴーのバンド、プライマル・スクリームが、アンドリュー・ウェザオールと組んで突然アシッド・ハウス化したアルバム。

現代のクラブカルチャーに繋がるセカンド・サマー・オブ・ラブ時代の象徴的な一枚であり、アルバムを通して漂う妖しいアシッド感はシラフでも十分ヤバい。

そう。「ヤバい」をいい意味で使う用例は、こういう音楽に対する評価の言葉として使われだしたんだよな。

 

『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』レッド・ホット・チリ・ペッパーズ

1991年リリース。そうなんですよ。『スクリーマデリカ』とニルヴァーナメタリカもこれも、全部同じ年にリリースされてる。ロック史における異常な当たり年。

レコード会社を移籍し、前作から加入したジョン・フルシアンテがいよいよ本領を発揮して最強の布陣になったレッチリが、ロサンゼルス郊外の幽霊屋敷に泊まり込みで制作したのがこのアルバム。

幽霊屋敷のバイブスとメンバーの創造性が化学反応を起こして大爆発してる。

いまこそ日本のR&Bについて考える〜オルタナティブR&Bの背景など

さまざまな音楽ジャンルに由来する成分で構成されている、J-POPという概念。

アーティストによって、また時代によって、どの要素が色濃く表に出てくるかが変わってくるのがおもしろいところなんだけど、われわれLL教室にとっては、ここ最近「R&B」という成分がどうにも気になってきていた。

 

世の中的にもそのような空気を感じるようになってきたこともあり、先日、こんなイベントをやりました。

 

イベントの様子はほとんどすべてYoutubeで公開されているので、上記イベントページからご覧いただくとして、ブログではイベント内で話しきれなかったことや、もっと個人的に考えてきたことなどを書いてみようかなと。

 

R&B的なものとの出会い

自分の意志でいろんな音楽を聴いてみようと思い始めたのはたしか1988年頃。

当時はR&Bとかソウルとかいう呼び名よりも、ファンクって総称されていたと思う。

 

久保田利伸とか米米CLUBとかが、こういうのがファンクっていうんだよとお茶の間を啓蒙していたり、とんねるずがプリンスやボビー・ブラウンのパロディをやっていたのを通じて認識していたって程度で、自分の意志でちゃんと聴いていたわけではなかった。

 

自分自身はむしろ、ロック音楽によって価値観や鑑賞眼の土台の部分を構築してきた自負のある人間でして、R&B周辺のことは、常に横目に見ている感じだった。

 

すなわち、10代と1990年代がほぼ重なる世代として、ハードロック/ヘヴィメタルの全盛期にこれがロックなのかと認識し、そこから1991年のオルタナティブ革命で価値観が180度変わるのを多感な時期に目の当たりにし、セカンド・サマー・オブ・ラブの残滓とブリットポップの狂騒を雑誌やクラブイベントで味わってきたようなタイプってこと。

もっとわかりやすく言うと、中学生でBURRN!誌を愛読し、高校生でロキノンクロスビートを読むようになり、大学に入ったら雑誌を卒業してクラブやフェスに行くようになった、かなり典型的なパターンのロックキッズ。

 

そんなわけなので、R&Bは、もっと大人になってから後追いで聴くようになったんだった。

 

ロック的価値観から見たR&Bの不思議さ

そんなふうに、おもにロックによって音楽の鑑賞眼や価値観の土台の部分を構築してきた人間として、R&Bの世界には不思議に思うことが多かった。

 

どっちが偉いとかじゃなく、この違いはどこからくるんだろうって。

 

 

たとえば、60年代以降のロックは、基本的に自作自演。アーティストの内面から作品が生み出されているからこそリアルで、そこに価値があるとされてきた。

またビートルズ以降はずっと、バンドと歌手が一体化しているのが一般的で、作詞作曲とアレンジと演奏と歌唱は、基本的に自分たち自身で完結するものだった。

 

しかし、R&Bの世界では作家陣と演者はずっと別々の存在で、スティーヴィー・ワンダーやプリンスみたいな自作自演家は例外的。

どちらかというと、ベリー・ゴーディ・ジュニアとかジャム&ルイスとかベイビーフェイスといったプロデューサーやソングライターがお膳立てしてるのが一般的じゃないですか。

 

そして例外的な自作自演家はギターやピアノを弾きながら歌うが、大半のR&B歌手は楽器を持たずに歌い、歌うこと以外のパフォーマンスの要素としては、ダンスが大きな比重を占めている。

マイケル・ジャクソンは踊るけどジョン・レノンは踊らない。

ジェームズ・ブラウンは踊るけどオジー・オズボーンは踊らない。

 

 

ロックの世界では、「3大ギタリスト」なんてものもあるほどで、演奏技術に秀でたプレイヤーは称賛される。もちろんドラマーもベーシストも、偉大なプレイヤーの名前を何人でも挙げることができる。

しかし、R&Bの世界では偉大なプレイヤーの名前を言えるだろうか。

 

ローリング・ストーン誌が発表した、偉大なドラマー100人の中には、ロック界からもジャズ界からも、そしてR&B界からもバランスよく人選されていたんだけど、R&Bの偉大なドラマーって、一部のコアなファン以外にはほとんど知られてない。

 

R&B界のプレイヤーが埋もれてしまいがち問題は、『永遠のモータウン』って映画でも取り上げられたほど。

みんなが知ってる名曲の有名なフレーズなのに、演奏してる人の名前を誰も知らないっていう。

 

じゃあ、R&Bは演奏面でたいしたことないのかっていうと、当たり前だけど全然そんなことはない。

 

むしろ、ローリング・ストーンズスタイル・カウンシルレッチリなんかが典型的だけど、ロック・ミュージシャンはずっと、R&Bに憧れて、なんとかあのかっこよさを自分たちのものにしたいと格闘してきたわけじゃないですか。

 

ロック側から見ると、R&Bは、すごい武器を持っているのに、それを見せびらかさないっていうか、固執してないっていうか、当たり前のものとして淡々としてるような印象がある。

 

 

 

もとは兄弟のように成立したR&Bとロックの、この違いはどこからくるのか。

それぞれのジャンルが本質的にもっているものなのか、それともちょっとした時代的なタイミングによるものなのか。

R&B界にビートルズ的存在がいなかったからなのか。

ロック界にマイケル・ジャクソン的存在がいなかったからなのか。

 

オルタナティブR&B

で、ここで気になるのが近年の「オルタナティブR&B」の流れ。

 

ここまで挙げてきたようなR&Bの特徴みたいなものが当てはまらなくなってきているような最近のR&Bは「オルタナティブR&B」と呼ばれているんだけど、この流れはどこからきたのか。

 

 

現在進行系の動きなのでなかなか捉えきることが難しいんだけど、一応LL教室としてはこう解釈していますというのが、下記の部分。

 

<先日のイベントの切り抜き>

 

 

で、講義の中で話しきれなかったこととしては、先進的なサウンドを志向するタイプのバンド音楽がR&Bに寄ってきている傾向があるじゃないですか。

 

ここ数年、LDH界隈みたいな典型的にR&Bっぽい人ではなく、内省的でミュージシャン気質の人たちがR&Bをやるようになり、それらがオルタナティブR&Bと呼ばれるようになっているんじゃないかと思っていて。

 

その傾向の背景にありそうだと思っているのが、楽器を手にとってバンドで何か新しいことをやろうとする若い人にとって、もはやロックのフォーマットはワクワクしなくなってるってこと。だいぶ前からそうだったけど。

 

欧米ではとっくにロックバンドがチャートから消えてるし、日本でも邦ロックやその影響下のアニソンは売れているけど、それにしたってお決まりの型が成立しきって久しいわけで。

 

そんなときに、J・ディラ的なもたったビートとか、丸サ進行みたいなアンニュイなコード進行とか、8ビートじゃない多様なリズムパターンとか、つまり単調なロック的構造から脱することができる可能性を、R&Bから感じるミュージシャンが多くなってるんだと思う。

(で、そういうタイプのミュージシャンは、Y2Kのポップ・パンク・リバイバルには乗ってきてないんじゃないか)

 

 

この説、10年後ぐらいに見返してみても、大きく外すことはないんじゃないかと思っています。

 

LL教室といっしょに答えを探しませんか

LL教室はこんなことを考えたり話したりするのが得意だし好きな3人組です。

美学校の「ポピュラー音楽批評」の講義を担当してます。

 

R&Bに限らず、J-POPも邦ロックも日本語ラップもすべてひっくるめて日本のポピュラー音楽をいろんな角度で掘り下げていく半年間になります。

 

皆様といろんな音楽の話ができるのを楽しみにしてます!