J-POPや邦ロックの楽曲やアーティストについて話すときにしばしば見かける「オルタナ」という言葉。
昨年、美学校で担当している講座の中で、話の流れで「オルタナ」について解説することになったんだけど、その場ではうまく伝わるような説明ができなくて、それ以来自分の中での宿題になっていた。
たしかに「オルタナ」って概念は難しいんですよ。
Wiki的な説明はいくらでもできるんだけど、それだけだと掴めない時代の空気みたいなものとか、時間の経過で変わってしまった部分などもあるので。
今回はがんばってそのあたりを語りほぐしていければと思います。
ひとことでいうと「じゃないほう」
音楽の世界でオルタナといえば基本的にはオルタナティブ・ロックのこと。
この「オルタナティブ(alternative)」って言葉を、しっくりくる日本語でひとことで訳すと、「じゃないほう」。
では、何に対しての「じゃないほう」なのか。
それは、主流派じゃないほうってことです。
この言葉が生まれたのは1980年代のアメリカ。
当時のロックの主流派といえば・・・
超絶ギターテクで速弾きブームを巻き起こしたエディとセクシーなフロントマン、ダイヤモンドデイヴを擁するヴァン・ヘイレンや・・・
全世界でアルバムを1億枚以上も売ったイギリスのデフ・レパードや・・・
なかやまきんに君のあの曲でもおなじみのボン・ジョヴィなど・・・
これらのポップなハードロックバンドたちが、折からのMTVブームも味方につけてど派手に売れまくっていた。
産業ロックじゃないほう
音楽評論家の渋谷陽一は、そんな80年代の主流派バンドたちを、巨額のお金が動くビジネスモデル(産業)としてのロックといったような意味合いで、「産業ロック」と名付けた。
当時、レコードが何千万枚単位でバカ売れしていたとはいえ、みんながみんな主流派のロックに満足していたかというと決してそんなことはなく、アメリカやイギリスの感度の高い大学生あたりを中心に、毒にも薬にもならない退屈な産業ロック「じゃないほう」の自分たち向けのアーティストを支持するシーンが草の根で広がっていったのです。
大資本のメジャーではなく、インディペンデント(=インディー)なレーベルからリリースされた、ソニック・ユースやピクシーズやR.E.Mといったバンドたちが、やがて「オルタナティブ」と呼ばれるようになる。
(ちなみに初期にオルタナティブ・ロックと呼ばれたバンドはみんなアメリカのバンドではあったけど、同時期のイギリスではニューウェーブやハードコア・パンク、ポスト・パンク周辺のシーンが同じような役割を果たしていた)
つまり、オルタナティブというのは、産業ロック「じゃないほう」のロックという意味合いで出てきた言葉なのである。
1991年の革命
あくまで「じゃないほう」として、サブカル的な尖った存在だったオルタナなんだけど、1991年に革命が起きて、音楽シーン全体に巨大な地殻変動が起こる。
「Smells Like Teen Spirit」でニルヴァーナがブレイクしたことにより、その周辺のバンドたちも続々とメジャーレーベルからリリースして脚光を浴びるようになり、全米が、いや全世界が一斉にオルタナティブ・ロックに夢中になったのだった。
一方でそれまでイケイケだった主流派のバンドたちは一気にダサい存在になってしまい、音楽性やイメージ戦略を時代に寄せて生き残ろうと必死に迷走を始める始末。
それはまさに革命だった。
(↑かつての主流派たちの涙ぐましい迷走はこちらで詳しく紹介してます)
やがて、90年代後半にもなると、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、オフスプリング、リンプ・ビズキット、マリリン・マンソン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなど、オルタナティブなシーンの出身ながら超大物になっていくバンドがいくつも出てくる。
なので、この頃になると、オルタナだったバンドがむしろ主流派になっている。
そうなると、そもそもあくまでオルタナっていうのは「じゃないほう」っていう立ち位置の話だったんだけど、その定義が通用しなくなり、単にサウンドを形容する言葉に変容していく。
元々「じゃないほう」のバンドがおもに鳴らしていた音、すなわち荒く歪んだギターとかパンク由来のスピード感とか加工しすぎない生々しいドラムとか、そういった音を出しているバンドのことを「オルタナ」と呼ぶようになる。
オルタナ的な音を出していれば、どメジャーな売れ線志向であっても、オルタナと呼ばれたりするようになった。
なので、1991年の革命を実体験してきた世代と、後追いの世代では、「オルタナ」って言葉でイメージするものがかなり違ってしまってるんだよね。
ローファイのジレンマ
ここまではリスナー層や音楽性について見てきたわけだけど、さらにオルタナの「品質」にも注目してみたい。
オルタナティブと産業ロックをざっくり比較するとこんな感じ。
産業ロックは万人向けに磨き上げられたがゆえに、高品質すぎて毒にも薬にもならないレベルに達していたのに対して、オルタナは荒削りで生々しく、それゆえに聴いている若者の心を激しく掴むことに成功した。
自分も90年代に多感な時期を過ごした世代なので、オルタナをこじらせた結果、「演奏がうますぎるとダサい」「音質がキレイだと嘘っぽく感じる」みたいな、「ローファイ」至上主義な狂った価値観を持ってしまい、その後苦労したもんだった。
ところが、どんなジャンルのミュージシャンにも通じる普遍的な話なんだけど、人間だから昨日よりも「良く」なりたいと思うのが自然だし、場数を踏めば踏むほど技術的には向上していくもの。
荒削りさを売りにして登場したオルタナ勢も、バンドを長く続けているとどうしても熟成されて整ってくるし、若気の至り的な音楽性を10年20年とやり続けるのは精神的に大変なのです。
時代や人脈の都合でたまたまオルタナのシーンから出てきたものの、本来の人間性としてハイファイ志向の人も当然いるし、真の意味でオルタナであり続けるのは難しい。
(たとえばデビュー当時の椎名林檎は完全にオルタナティブ・ロックな音像やセンスをまとっていたけど、その後いろんな才能を開花させていってオルタナの枠に収まらなくなった)
そういった意味でも、同時代じゃない世代の人が後追いで「オルタナ」の感じを掴むのは難しいと思う。
あらためて書き出してみると、かなり刹那的なものだったんだなと。
日本のオルタナ
日本では90年代後半ぐらいからオルタナと呼ばれるバンドが有名になり始める。
ナンバーガール、ブラッドサースティ・ブッチャーズ、GOING STEADY、くるりなど。
現在のいわゆる邦ロックのバンドで、直接的にも間接的にもこのあたりに影響を受けていないって人はほぼいないので、サウンド面だけでいうと邦ロックは全員がオルタナってことになってしまう。
しかも、オルタナと呼ばれていたアーティスト自身が音楽性をどんどん変えていくし。くるりを筆頭に。
なので余計に2020年代の日本で「オルタナ」っていう言葉のニュアンスが難しいことになってるのです。
いろいろ書いてきたけど、やっぱり難しい。
なので、日本で一番有名な、主流派になったオルタナの話を最後にします。
この2人。
誰かに弟子入して修行し、スーツを着て舞台に立ち、老若男女に向けたわかりやすいネタをやるのが漫才の当たり前だった時代に、誰の弟子にもならずにNSC一期生としてデビューし、わかるひとにだけわかる笑いをやったのが初期のダウンタウン。
「漫才なんて学校で教わるもんとちゃうやろー」などと、当時の大人たちにはずいぶんと揶揄されたもんだったし、当時漫才の神様的な存在だった横山やすしにはその漫才のスタイルを「チンピラの立ち話」と批判された。
松本人志「お笑い界の伝統」をあえて批判した訳 守るべきは権威ではなく「面白い」かどうかだけ | テレビ | 東洋経済オンライン
しかし、ダウンタウンは現在ではお笑いというジャンルのあり方そのものに大きな影響を与え、若手漫才師はほぼ全員が彼らの影響下にあるといっても過言ではない状態にまでなっている。
つまり今ではお笑い界の主流派ど真ん中の存在になっているんだけど、元々はオルタナだった。
音楽の世界でも同じようなことが起こったんだなと、そんな感じで理解しておいてもらえると良いかと思います。