森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

『人志とたけし: 芸能にとって「笑い」とはなにか』杉田俊介

2020年12月に出た『人志とたけし: 芸能にとって「笑い」とはなにか』という本。

このタイトルを見ただけで、あ、まさにそういうの読みたかったやつだ!とピンときた。

同じように感じる人は少なくないようで、発売から2ヶ月たった今でも、大型書店では平積みされていたりする。

今回はこの本の紹介と、それを踏まえた自分なりの松本人志論です。

 

人志とたけし: 芸能にとって「笑い」とはなにか

人志とたけし: 芸能にとって「笑い」とはなにか

 

 

『人志とたけし: 芸能にとって「笑い」とはなにか』は、批評というフィールドで『長渕剛論』『ジブリ論』『ドラえもん論』などの大ネタに取り組んできた杉田俊介氏の最新刊。

現代的なお笑い芸人や芸能界の専門家ではないとみずから断りつつ、批評家だからこその遠慮のないやり方で松本人志ビートたけしを中心にお笑い芸人という存在を語っている。

 

そして後半では、著者といろんな識者との対談を通じて、お笑い芸人がここまで世の中の隅々にまで影響を及ぼしている現代についていろんな角度から迫っている。

対談の相手としてマキタスポーツさんと矢野利裕くんもいる。

 

お笑い芸人のビートたけしや映画監督の北野武については、これまでもたくさんの人が論じてきたけど、それに比べて松本人志についてはお笑い界の外側からの批評というとあまりされてこなかったと思う。

特に、映画監督としての松本人志についてはちゃんと論じるべき対象だと思われていなかったんじゃないだろうか。

 

そういった意味でこの本はすごく画期的だし、また批評の内容においても、監督した4本の映画を丁寧に批評した上でこのように語っているなど、かなり大胆にバッサリいっている。

 

松本人志の笑いには、どこか、不気味な空虚さがあるように思ってきた。上も下も、真も偽も、善も悪もかき混ぜて、一瞬でダイナシにして、すべてを「うんこ」ですらない「うんこちゃん」にしてしまうという笑い。

 

最近の松ちゃんはなんであんな感じなのか?っていうのは自分もずっとモヤモヤしていたので、この松本人志論にはすごく刺激をうけた。

 

その上で、若干感じ方が違うなと思ったところがあったので、せっかくの機会なので自分なりに松本人志について考えてみました。

 

松本人志を特別な存在にしたもの

お笑いの世界において今では当たり前すぎて誰も気にしていないようなことの多くが、実はダウンタウンから始まってる。

 

たとえば弟子入りではなくスクールに入って芸人になること、「サムい」「噛む」「引く」といった用語の日常使い、芸能界における芸人のポジションが今の感じなのもダウンタウンの影響が大きい。

 

そういった意味では、現代のお笑い芸人は知らずしらずのうちに全員がダウンタウンの影響を受けているといっても過言ではない。

 

特に70年代後半から80年代前半ぐらい生まれの世代のお笑い好きにとって、松本人志は特別な存在だった。

ダウンタウンによってお笑い界の価値観がどんどん刷新されていく様子を目の当たりにしてきたから。

 

関西ローカルの「4時ですよ〜だ」(1987年)にはじまり、全国区に進出してからの「夢で逢えたら」「ごっつええ感じ」「HEY! HEY! HEY!」に至るあたりの快進撃は、関西のとんがった若者にとって、欽ちゃんとかウンナンに代表される東京のヌルいお笑いをどんどん駆逐していく爽快感があった。

 

そして神格化が極まったのが、ザ・ハイロウズ日曜日よりの使者」にまつわる伝説。

日曜日よりの使者

日曜日よりの使者

  • provided courtesy of iTunes

自殺を考えるほど思い悩んでいた甲本ヒロトが、たまたまテレビで「ごっつええ感じ」を見て、自分はまだ笑えるんだと救われた気持ちになった、そのことを歌にしたのが「日曜日よりの使者」であるというもの。

 

実際、この曲はその後「ごっつええ感じ」のエンディングで流れるようになり、また松本人志ハイロウズのアルバムのジャケットを描いたり、松本人志の結婚式のサプライズゲストとして甲本ヒロトが登場して「日曜日よりの使者」を歌ったりしている。 

 

この伝説は当時かなり広まって、ダウンタウンってすごいんだな、お笑いってすごいんだなっていう感覚を世の中に植えつけた。

全員が同じ土俵で競い合ってM-1で日本一を決めるようなアスリート的な仕事であるのと同時に、人の命を救うことができるすばらしい仕事でもあるんだと。

 

現代のお笑い芸人の仕事がちょっとした神聖さを帯びているのは、この伝説の影響があるんじゃないかと思っている。

その結果、お笑い芸人があらゆる場所で重宝されるようになって、吉本興業が政治の中心にまで喰い込むような状況になっているのではないか。

 

ロブスター(初回生産限定盤)

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  • アーティスト:THE HIGH-LOWS
  • 発売日: 2020/10/28
  • メディア: CD
 

 

メガネロックとの同時代性

本書で何度も言及されているように、ダウンタウンNSCの一期生。

 

それまでの昭和のお笑い芸人は、落語だろうが漫才だろうが、師匠に弟子入りして修行するというルートでしかデビューできなかった。

 

なので、吉本興業が芸人の学校を始めたというのは当時わりと議論を呼んだ。

お笑いなんて学校で勉強するようなものではない、そもそも芸人として成功するような規格外の人間はちゃんと学校に行けるわけがないなどと揶揄されたりもした。

 

矢野利裕くんも対談の中で言っているように、学校というのは実力主義

師匠弟子筋の縁故ではなく、ましてや血筋でもなく、あくまで実力があるものが認められるべきだという松本の主張と親和性が高い。

ダウンタウンがその一期生、つまり師匠がいない最初の芸人であるというのはすごく象徴的だと思う。

 

マキタさんは松本人志がやったのはお笑いの規格化、スポーツ化だと指摘している。

声の大きさとか、おもしろい顔とか、そういうフィジカルに依存するものはレベルが低くて、センスや間といった技術で勝負することをよしとする価値観。

そんな思想が「M-1グランプリ」や「すべらない話」などにも色濃くあらわれていると。

 

90年代には、この思想によって救われた若者は関西を中心にほんとうにたくさんいた。

クラスの中でおもしろいとされてるイケてるグループのやつらよりも、教室の片隅で目立たないけど自分のほうが圧倒的にセンスがあるしおもしろいんだと、そしておもしろいことは正義なんだというふうに、背中を押してもらえた。

リアルタイムの世代以外にはなかなか伝わりづらいけど、この思想に心酔する「信者」がたくさん生まれたもんだった。

 

 

いわゆるお笑いの民主化とでも言うべき思想は、お笑いじゃなく音楽を志した自分のような人間にも、すごく共感できた。

松本人志が教室の片隅の若者を勇気づけ「信者」を増やしていったのとほぼ同時期に、音楽の世界でも同じことが起きていたから。

 

それまでの日本でロックの世界で憧れの対象だった存在というと、矢沢永吉だったりCharだったり氷室京介だったりと、だいたいみんなフィジカルが強くて華があってオスとしての魅力があるか、または遠藤ミチロウとか江戸アケミみたいな人間離れした存在感があるかって感じだった。

 

しかし90年代になると教室の片隅にいるタイプでもバンドをやるのが普通になり、華々しさよりもセンスが評価される時代になる。

その時代の空気のなかで出てきたのが、くるりナンバーガールのようなバンド。

若い人にはもはや想像しにくいだろうけど、フロントマンがメガネをかけているバンドは当時めちゃめちゃ衝撃的だった。

 

これは松本人志がお笑いの世界でやったこととすごく似ている。

 

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全方位的にうんこちゃんのままでいられるのか

松本人志には、たとえば北野武と比べたとき、幅広い教養もなければ、知性もなく、それ以前にそもそも、人間たちが日々営む政治や芸術、文化や科学などに対する関心や興味が一ミリもないかに見える。

 

『人志とたけし』の中ではこんなふうに書かれていた松本人志

たしかに、映画についてはそうかもしれない。

 

しかし、ほんとうに松本人志は人間として全方位的にそういう感じかというと、そうとも言い切れないと思っている。

 

なぜなら、あらゆる権威を引きずり下ろしているかのように見えていても、実は昔からひとつだけうんこちゃん化してこなかった世界があるから。

 

それは落語。

 

特に桂枝雀に対してはずっとリスペクトの気持ちを表明している。

 

今は亡き桂枝雀は、後の人間国宝桂米朝の弟子として早くから頭角をあらわし、爆笑王の名をほしいままにした人。

 

有名な「緊張と緩和」のロジックのように、お笑いの構造について理論化を試み続けた人だし、他の上方の落語家と比べて古典落語のアレンジが強烈だったし、たしかに上方落語界にとっては革命児だったと思う。

 

そういう面では、松本人志が今後もしかしたら古典に回帰していくような展開があるとしたら、いい参照元たりえるかもしれない。

 

しかし「落語はやらへん。特別なもの。人の部分ができない」という言葉は、松本人志にしては珍しく謙虚。他のジャンルに対するおそれのなさとは非常に対照的だと思う。

 

千原ジュニア月亭方正といった松本ファミリーの面々が落語に手を出す一方で、かたくなに演じる側には行こうとしないのは、この謙虚さがあるからだろう。

 

映画とか報道に対しては愛がないのでうんこちゃん化に躊躇がないけど、落語のような本当に好きなものに対しては恥じらってしまう。ここになんとも言えないほつれを感じる。

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誰が引導を渡すのか

人間って、若い頃は権威に対する挑戦者を気取るけど、 年をとるにつれて古典や教養のよさに気づいていく傾向がある。

 

師匠がいない芸人として異端児扱いされながらも、既存のヌルいお笑い界を破壊していったあの頃のダウンタウンは挑戦者だったし革命家だった。

 

しかしその革命は成功し、中国やキューバのように革命政権が体制側になって何十年もたった。

才能ある若手は毎年のように出てくるけど、みんな松本人志が作り上げたシステムの中ではいあがってきた人たちではあるので、今のところ体制はまったく揺らいでいない。

あいかわらず松本人志は神格化された状態でいる。

 

 

1996年、セックス・ピストルズが「カネ目当て」だと公言して約20年ぶりに再結成。初めての来日公演が実現した。

往年のファンは、生でピストルズを見られるうれしさと、カネ目当てだとうそぶくおっさんバンドの醜態を見せられる厳しさに引き裂かれ、なんともいえない気持ちだったみたい。

アルバム1枚で華々しく散っていったかつての自分たちの伝説を、みずからぶち壊してまわるかのようなやりかたはまさに「うんこちゃん」だった。

 

そして、この来日ツアーの武道館公演でオープニングアクトをつとめたのは、くだんのザ・ハイロウズ

かれらは「ベイ・シッティ・ローラーズ」と名乗り、ベイ・シティ・ローラーズのコスプレで「Saturday Night」のド下ネタ日本語カバーをやった。

つまり日本のバンド代表として正面からいくのではなく、本気じゃないですよという姿勢を見せた。

 

ピストルズに対する愛は前提にありつつも、醜い姿をさらしている再結成ピストルズに対してベイ・シティ・ローラーズの下ネタ日本語カバーをもって遇することに決めたハイロウズ

そういえば「シッティ(shitty)」は日本語に訳すと「うんこちゃん」だ。

 

このハイロウズのような手つきでもって松本人志に引導を渡す若手が出てきてもいいんじゃないかなと想いました。

 

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配信もある

杉田俊介氏とマキタスポーツさんと矢野利裕くんの3人は、『人志とたけし』について2021年2月にトークイベントもやっていて、アーカイブが2021年2月26日まで視聴できる。

 

お笑い芸人がお笑いを語ることと、批評家がお笑いを語ることの違いについて、また後者にしかない価値がすごく大事っていうことを矢野くんが語ってたりして、書籍での対談を補うような重要な議論がいろいろ出ていて超オススメです。

 

www.loft-prj.co.jp

うちの子には「育ちがいい」子供になってほしい

育ちがいい

「育ちがいい」ってなんだろう。

自分自身、いままでの人生でわりとそう言われることが多かった。

他人を疑わないところとか、辛い目にあっても愚痴らないとか、そういう性質に対して言われたこともあるし、新聞を読むとか、ごはんをよく噛んでゆっくり食べるとか、習慣みたいなことに対して言われたこともある。

 

だけど、自分自身ではあまりよくわからない。

本当に育ちがいい人々は、もっともっと洗練されてるし、もっと生まれながらに下駄を履かされてるし、幼い頃から意識的に育てられてると思っている。

東京生まれで親の地位が高かったり文化的な職業だったりするようなのが本物でしょうって。

 

一方で、たしかに地元で小中高とずっと生きてる同級生たちとは、趣味趣向とか生き方みたいなものがいつの間にか大きく隔たってしまったというのも事実。

そういうズレってどこで生じるんだろうか。

 

「育ちがいい」は、ずっと謎だった。

 

「自分の考え」なんてものはない

いままで生きてきて、たくさんの人間と出会って会話したりプロフィールを見たりしてきた中で、なんとなくパターンが見えるようになってきた。

 

いかにもレゲエが好きそうな人がちゃんとレゲエ好きだったり、いかにもゲーム好きそうな人がちゃんとゲーム好きだったり、いまでは予想がだいたい当たる。

で、あまりにもそのまんますぎると人間的に薄く感じてしまうことすらあって、逆にプロフィールからはみ出すような意外な一面が見えるとそれだけで好きになってしまうこともある。

 

これは自分自身も例外ではなくて、マツコ・デラックス氏に「ロッキング・オンの編集部にいましたよね」っていじられ方をしたのは、それが笑いに繋がるから口に出されたってことでしょう。笑えるほどいかにもそういうタイプに見えたってこと。

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マツコの知らない世界」2020年11月24日放送

髪型とかファッションとか、ひとつひとつ完全に自分の意志で選んでいるはずなのに、最終的にいかにもな感じに仕上がるっていう謎。

 

あと、SNSを見てると、こういうニュースに対してこの人はこういう反応をしそうだなっていう予想がだいたい当たる。

 

これらのことから、結局人間には「自分の考え」なんてものは本当はないんじゃないか?って考えるようになった。

 

自分の意思でやっていること、自分のセンスで選んだもの、自分の考えでたどり着いた結論、そういったものは実は全部、外部の環境によってそれを選ぶしかないようになっているんじゃないかって。

その環境にはもちろん「育ち」とかも含まれるだろうって。

 

文化資本 

NHKEテレでやってる『100分de名著』っていう番組がある。

古今東西の名著といわれる書物を、専門家が25分×4回の番組で解説するというもの。専門家に対して一般の視聴者のレベルを代表しつつ芯を食ったコメントをする聞き手として伊集院光

 

社会学部の大学生だった頃に、書名や扱われている重要な概念ぐらいは聞きかじったというレベル、だけど自分で読み通す根性はなかったなという名著のエッセンスをわかりやすく教えてくれるっていうんだから、自分のような人間には本当にありがたい番組なのです。

 

その番組で先日取り上げられたのが、フランスの社会学ブルデューが1979年に書いた『ディスタンクシオン』。

 

ブルデューによると、人が何か特定の音楽や絵を好きになったり趣味をもつことには、階級や職業といったものが強く影響しているという。

ある音楽や芸術作品と運命的な出会いをしたと本人が思っていても、実はそれまでに培われたセンスや考え方感じ方によって、その作品を強く感じ取ることができただけだと。

つまり親がパンク好きだから子供もパンク好きになったみたいな単純な話ではなく、パンクが好きになる子供には家庭環境や学歴なんかに共通点があるみたいな話ね。

 

で、そのセンスや考え方感じ方は家庭や友人関係や教育のなかで育まれるもので、運命的な出会いみたいなものは基本的にはありえないらしい。ブルデューはこれを「ハビトゥス」と呼んでいる。

これは芸術作品を鑑賞するセンスの話にかぎらず、あらゆる物事のとらえ方や振る舞いについても当てはまるらしい。

 

そして身についた知識やセンスや振る舞いのことを「文化資本」と呼ぶ。

普通の意味での資本といえば経済力のことだけど、それの文化バージョンってこと。

 

この「文化資本」って概念、「育ちがいい」にすごく似ている気がする。

 

世襲は仕方がないかも

ブルデューによると、上流階級に生まれた人は家庭環境や周囲の同じような階級の人々から上流階級的な教養や振る舞いを学んで文化資本にすることができるけど、貧困な環境で生まれ育った子どもたちはみずから親と同じような職業や生き方を選んでしまう傾向があるんだって。

そういえば東大生の親は年収が高いっていう話もあった。

 

これはかなり身も蓋もない話で、庶民の家に生まれたらどうがんばってもムダっていう解釈になってしまってもおかしくない。

でもどちらかというと、みんな同じ条件でフラットに戦っているようにみえても、実は文化資本っていう下駄を履いてるやつと裸足のやつがいるよっていう、そこちゃんと考えないとダメだよねっていうノリで使うべき概念らしい。受験戦争とか典型的にそういうことだと思う。

 

これは別に、学習塾に通える経済力がある家庭が有利だっていうだけの話じゃなく、実際に高学歴な大人がまわりにいるとその大人の普段の姿から知識を身につける楽しさを知れて勉強好きになる、みたいな話でもある。

逆に、身近にそういう大人がおらず、大学に入ってからの具体的なイメージがないまま、単に入れる偏差値の大学を目指すだけだと受験勉強はしんどいと思う。

 

芸能人の子息が芸能人になる確率や、政治家の子息が政治家になる確率が高いのも、これと同じ話でしょう。

田舎の高校生にとっては、芸能人になる具体的な道なんて見えないし、どれぐらい遠くにある目標なのかも全然わからないし、そのためになにをすればいいのかも漠然としすぎている。

一方、親や親族に芸能人がいる場合、具体的なサンプルが身近にゴロゴロしていて、どれぐらいの実力が必要かとか、どういうコースで潜り込めるのかとか、どういうタイプは大成しないかとかまでもリアルに把握できるので、どう考えても有利。

 

漠然と「世の中を良くしたい!」とか「総理大臣になりたい!」と思って猛勉強している庶民の子よりも、どの団体や有力者を動かせば何票とれるとか、どうやって貸しを作ってどうやって返してもらうかとか、どういう身振り手振りが人の心を動かすかとかを幼いときから間近に見てきた子のほうが、どう考えても政治家になりやすい。ただでさえ親の票田を受け継ぐことができる上に文化資本まであるんだから、二世議員はものすごく有利。

 

外野からは世襲とかコネに見えてる話も、実態はそういう面も大きいのではないか。 

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勉強する習慣

ここまで「文化資本」ってもののおそろしさを味わってきたわけだけど、自分自身、子育て真っ最中の親のひとりなので、俯瞰して見てるだけではいられない。

 

格差が再生産される身も蓋もない世の中の仕組みがあるとわかったとして、でもそこからは誰も逃げられないので、親である以上どちらにしても自分の子供に文化資本を渡す役割は果たすことになるわけです。

それはつまり、親の蔵書で埋まった本棚やレコード棚、親が見ているテレビ、親が休日に出かける場所、親が仲良くしている人間といったものが、そのまま文化資本になっていくということ。

 

とはいえ、変に焦ってむりやりピアノを習わせたりとか親が背伸びして意識高い人たちと交流し始めたりとかそういうつもりはない。

相変わらずフェスに行ったり大河ドラマを見たり車で古い洋楽を流したりする親であり続けるでしょう。

 

ただ、ものを考えることの「構え」みたいなものは意識して伝えていきたいなと思った。

 

映画評論家の町山智浩氏とラッパーのダースレイダーさんがYoutubeアメリカ大統領選挙やトランプ支持者が連邦議会に乱入した事件について話していた。

 

いわゆるQアノン的な陰謀論にハマってしまう人はアメリカにも日本にもたくさん出てきてしまっているが、そういった人の特徴として、町山さんは「勉強をする習慣がない人」と評していた。

 

知らないことに出会ったとき、自分で調べて確認することができるかどうか、そういう習慣があるかどうかが、陰謀論にハマってしまうかどうかの分かれ目だという。

この「勉強」という表現にはちょっと注意が必要で、ネットで真実に目覚めてしまった人は、その手の動画やブログをまじめに勉強し続けた結果、引き返せないレベルまで陰謀論に浸かってしまうことが多い。

つまり、なんでもいいから勉強すればいいということでもなく、大事なのは知らないことに出会ったときの態度なんだろう。

 

Qアノンに限らず、反ワクチンとか地震兵器とかそういうのを信じてしまう人をSNSやリアルで見ていて思うのが、ある物事に対して感情的・直感的に何かを感じたとして、その感覚を別の角度から見たりしないってこと。証拠に基づいて判断するとかロジカルに思考するとかよりも、最初に感じた印象をそのまま重視する。

ブルース・リーの「考えるな、感じろ」を座右の銘にしてやたら強気だったりして。

 

たとえば目に見えないウイルスが飛沫や手すりから伝染して深刻な症状に繋がるっていう話は、科学的には疑いようのないことなんだけど、感覚的にリアルに受け取りづらい人がいる。そんな人は「コロナはただの風邪」とか甘い言葉を吹き込まれてコロッといってしまったりする。

目に見えないウイルスを警戒して専門家の注意を聞いて気を張って生きていくのってストレスがかかるので、無意識にそこから逃げて耳障りのいい情報だけを集めてしまう。

これは非常によくない。育ちがよくない。

 

よくわからない事態に遭遇したときの考え方の「構え」も文化資本のひとつなんだとしたら、優先度高めでうちの子に渡しておきたい。

 

自分で「自分の考え」だと思っているものは、本当にそうなのか、変なバイアスがかかってないか、そこをちゃんと省みることができる人間に育ってほしいものである。

 

 

 

ビートルズの新譜が一気に6枚リリースされた件について

ビートルズの新譜が出てますが?

今年リリースされたビートルズの新しいアルバム、みなさんはもうチェックしただろうか。


まあほとんどの人がチェックしてないと思う。

 

そんなものリリースされてたっけ?という反応でしょう。

 

しかし、間違いなくリリースされています。しかも一気に6枚も。

 

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これAppleMusicのビートルズのアーティスト・トップページです。

つまりれっきとした公式。

オノ・ヨーコやポール・マッカトニーがお墨付きを与えてるはずのやつで、あの赤盤・青盤や「アンソロジー」と並ぶ公式ベストアルバムの地位を得ている。

 

そのわりに、世の中はまったく静かだったよね。

 

去年『アビイ・ロード』50周年記念エディションが出たときは結構なニュースになってたし、さかのぼれば1995年の『アンソロジー』がリリースされたときはもっとお祭り騒ぎだった。

ニュースステーション」で特集が組まれたりしてたよね。音楽好きにとってだけでなく、全国民的なイベント扱いだった。

ビートルズって解散から何十年を経ても世界中に愛される特別な存在なんだなと、強く心に刻まれたものだった。

 

 

それに比べて、この6枚の扱いはどういうことなのか。別に熱狂的ファンというわけでもない自分ですが、ビートルズの新譜ってそれぐらいの重みのあるもんなんじゃないの?って思う。

 

アルバムとはなんぞや 

ここ数年、AppleMusicやSpotifyなどのサブスクで音楽を聴くようになって、音楽に対する接し方や考え方がいつの間にかいろいろ変わってしまったみたい。

ふとした瞬間にその変化に気づかされて驚くことがある。

 

でもあともう何年かしたら当たり前になりすぎて、それまでのことを忘れてしまうだろう。

そうなったらもう自分でもサブスク以前の感覚をリアルに思い出せなくなってしまうだろう。

 

今から35年ぐらい前にCDが登場してそれまで主流だったレコードが廃れたときにも、いろんな変化があった。

 

自分は世代的にレコードで新譜が出ていた時代をギリギリ知ってるし、CDが主流になっていくときに音楽好きの大人たちがどんなことを嘆いたり心配したりしていたかを知ってる。


レコードにはA面とB面があるので、A面をどう締めくくってB面をどう始めるのか、A面とB面で雰囲気を変えるのか、それも大事な味わいどころだった。

それがCDになると、B面の1曲目というものはなくなって、ただの6曲目とかになった。

それを味気ないと嘆く大人は当時たくさんいた。

 

あとCDはジャケットが小さいので、アート作品という側面は薄れたとも言われていた。もちろん、音質についても、CDの音は温かみがないっていう声は多かった。

 


ただ、CDからサブスクへの移行は、レコードからCDどころじゃない大きな変化をもたらしている。

みんな自然に受け入れているけど、ちょっと考えたらすごいことがたくさん起こってる。

 

たとえばレコードであれCDであれ、1枚に収録できる時間に限界があったけど、サブスクにはそれがない。

その気になれば1,000曲入りのアルバムをリリースすることもできる。A面B面からCD何枚組に変化し、ついに無限へ。

 

あと「所有」という概念も変わった。

AppleMusicやSpotifyには毎月1,000円ほど払ってるけど、そのお金で買えるのはあくまで聴く権利だけ。

友達に貸すことやファイルとしてサンプリングしたり加工することもできない。

 

なので、去年の電気グルーヴのように、レコード会社の一存でサブスクから引き上げられてしまうと、みんな聴くことができなくなり、電気を聴くことがCDやレコードを所有している人だけの特権になったりした。

そういうことが起きる。

 

「アルバム」という概念とか、音楽を所有することとか、実はいま音楽好きにとってけっこう根源的な部分に大変化が起こっているわけ。

今回のビートルズの新譜の件もそこにつながってくる。

 

それってもはやプレイリストでは

2020年にAppleMusicやSpotify上にあらわれたビートルズの新譜は12/25時点で下記の6枚。

 

『At Home with the Beatles

The Beatles - Study Songs, vol.1』

The Beatles - Study Songs, vol.2』

The Beatles - Meditation Mix』

The Beatles - Got to get you into my life』

The Beatles for Kids - Morning, Afternoon & Night』

 

内容は、それぞれのテーマに沿ってビートルズの既存曲が1枚にまとめられたもの。

たとえば『for Kids』には「オブラディ・オブラダ」「イエロー・サブマリン」といった、子供が好きそうな人懐っこい曲が集められてたり。

ただそれだけのことで、特に新しいミックスだったり未発表テイクだったりするわけではなく、あくまで既存曲をテーマにそって集めてみましたっていう程度。

それって、サブスクならアルバムじゃなくてプレイリストでやれよって正直思う。

 

これをわざわざアルバムとしてやる意味がわからなかったんだけど、もしかしたら意味がわからないのはサブスク版しかみてないからで、CDでは豪華ブックレットとかキッズむけの特典がついていたりするのかなと慮ってみたり。

一応調べてみたんだけど、フィジカルでは特典つきとかそういうこともなく、むしろ上記6枚はフィジカルではリリースされないらしい。

 

ますます公式ベストアルバムとしてリリースする意味がわからない。

ジャケットも適当な感じだし、見た目にも中身にもがんばりが感じられないっていうか。

これってただのプレイリストじゃないの?

サブスクにおけるアルバムとプレイリストの違いって何?

 

マニア史上最大の危機

この、限りなくプレイリストに近いんだけど公式なアルバムとして発表された6枚のことを、世界中のビートルズマニアの方々はどう捉えているんだろう。

 

 

ビートルズに関しては、各国でリリースされたEPとかプレスされた時期とかにこだわってレコードを収集しているマニアは世界中に存在しているわけで、何なら海賊盤までも守備範囲にしてるわけで、そういう人たちはビートルズに関するものならなんでも集めたいだろう。中身が既存曲かどうかなんて関係ない。

 

行くとこまで行ったら1200万円っていうことにもなる。


そんなノリのマニア諸氏にとって、今回のリリースはどういう扱いになるんだろう。

コレクションの対象になるんだろうか。

 

あ、でもサブスクで買えるのはあくまで「聴く権利」なんだった!

つまりフィジカルでリリースされないアルバムは永遠にコレクションすることができない!!

1200万円払ってもムリ!

 

お金に糸目をつけずにレア盤を買い漁ることができる大富豪のマニアでも、所有できないアルバムまではどうしようもない。

これは完全に詰んだな。

 

 

数えてみたら筒美京平は8人いた【プレイリストあり】

多彩すぎるがゆえの都市伝説

筒美京平が亡くなった。

 

昭和40年代からずっと第一線で活躍し続け、膨大な数のヒット曲を残した偉大な作曲家だっただけに、ここ1ヶ月のあいだに非常にたくさんの人々が、筒美京平についての文章を発表した。

 

 

 

 

 

一般紙のお悔やみ記事やミュージシャンのツイートなども含めると、他にもまだまだあって枚挙にいとまがない。

 

 

それらの記事で筒美京平を語る上でいろんな人が共通して言っているのが、「職業作曲家」だったということ。

 

意図的であれ無意識であれ作曲家としての個性がにじみ出てしまうタイプではなく、その歌をうたう歌手のイメージだったり時代の空気だったりにぴったりと寄り添うタイプであり、あくまで影の存在に徹したんだと。

昭和40年代から平成までの時代を第一線で駆け抜け、いろんなタイプの歌手にいろんなタイプの曲を書いてきたので、筒美京平のメロディにはこれとった特徴らしい特徴がないとも。

 

そのため、「筒美京平」というのは一人の人間のことではなく、何人かのチームの呼び名なんじゃないかという都市伝説が音楽業界でささやかれていたという話もある。

たしかに、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」と小沢健二の「強い気持ち強い愛」を同じ人が書いたというのは、時代の離れ方も曲のタイプ的にも全然違うので、よく考えるとすごい話だと思う。

長い間、筒美京平ご本人の写真や言葉が表に出ることがほとんどなかったこともあり、都市伝説はかなり説得力があったんだろう。

 

筒美京平は何人いたのか

その都市伝説について松本隆は、「筒美京平は一人しかいない」と証言している。

 

筒美京平とのコンビで「木綿のハンカチーフ」や「卒業」などの大名曲をたくさん手がけた松本隆が言うんだから本当にそうなんだろう。

 

ただ、その上で思うのは、筒美京平という一人の作曲家の中に、いったい何人分の才能が入っていたのかということ。

 

先ほど、作曲家としての特徴らしい特徴がないという評を紹介した。

有名な歌謡曲の作曲家は筒美京平のほかにもたくさんいるけど、だいたいみんな得意な領域を持っていたり、メロディに癖があったりする。

 

得意な領域というのは、たとえばYOSHIKIにとってのクラシカルだったりメタルだったりというもの。ふつうは自らの出自となるジャンルやその周辺を中心にした領域で力を発揮するもんだと思うし、作曲を依頼する側も強みを見て依頼するだろう。

メロディの癖というのは「作家性」という言い方をされることもあるけど、たとえば椎名林檎が楽曲提供した曲は、TOKIOが歌ってもともさかりえ石川さゆりが歌っても、どこか椎名林檎っぽさが出る(意識して出そうとしているパターンもある)。

 

わかりやすくするためにYOSHIKI椎名林檎の名前をだしたけど、いわゆる職業作曲家でも得意分野やメロディの癖はある程度ある。

しかし、筒美京平という人には、そういうのがないのだという評価。

この話は「だから筒美京平という人はすごい」という流れに繋がるし、たしかに「ブルー・ライト・ヨコハマ」と「強い気持ち強い愛」みたいな事例を見るにつけ、とても説得力がある。

 

その反面、説得力はあるけど、そこで考えるのを止めてしまうのはもったいないな、とも思った。

膨大な筒美京平の作品群をよく見てみると、なんとなくこのあたりに強みがあったんじゃないかというのがいくつか見えてくるわけで。

 

それらをざっとカウントしてみると、筒美京平は8人いたというのがわかった。

別の言い方をすると、一流の職業作曲家8人分の才能が、筒美京平という一個人の中に詰まっていたということ。

 

一人目の筒美京平、スウィンギンでモッドなロック京平

筒美京平の作曲家としての最初のスマッシュヒットが、1967年のヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」。

ヴィレッジ・シンガーズは当時大ブームだったグループサウンズ(GS)のバンドで、他にも筒美京平はキャリアの最初期にグループサウンズの曲をいくつか書いている。

 

ざっくりいうとグループサウンズには、沢田研二のタイガースに代表されるメルヘンチックで耽美な面と、マチャアキのスパイダースに代表されるロックンロールな面の二面性があった。

筒美京平はオックスの「スワンの涙」のようなメルヘンチックな曲も手がけつつ、同じオックスでも「ダンシング・セブンティーン」のようなグルーヴィーな曲や、ファズギターが効きまくったロックチューンをいくつも残している。

GSではないけど、いしだあゆみの「太陽は泣いている」もこの路線に位置づけられる。

 

ガリバーズ「赤毛のメリー」

ジ・エドワーズ「クライ・クライ・クライ」

ザ・ヤンガーズ「ジン・ジン・ジン」

オックス「オックス・クライ」


ザ・ガリバーズThe Gullivers/赤毛のメリーAkage No Mary (1968年)

 

二人目の筒美京平、しっとり陰翳礼讃なお座敷京平

筒美京平の代表曲のひとつ、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」。

この曲は典型的な筒美京平のお座敷サイドのメロディだと思う。

 

いわゆる「都節音階」っていう、三味線や琴でよく使われるミ・ファ・ラ・シ・ドの5音でできた日本古来の音階がある。「さくらさくら」「通りゃんせ」が代表的。

この都節音階をそのまんまじゃなく、ニュアンスとして匂わせることで、日本っぽい陰影があるメロディをつくるのが筒美京平の得意技のひとつ。

それでいて、いなたいメロディでありながらベースがグイグイ弾いてたりアレンジが垢抜けていたりするのが筒美京平っぽさでもある。

 

奥村チヨ「中途半端はやめて」

平山三紀「ビューティフル・ヨコハマ」

欧陽菲菲「雨のエアポート」

五木ひろし「かもめ町 みなと町」


(294)かもめ町みなと町(五木ひろし)



三人目の筒美京平アメリカンポップスの歌謡化に長けたオールディーズ京平

50年代のアメリカン・ポップス、いわゆる「オールディーズ」を日本人の琴線に触れるかたちにローカライズするのも筒美京平の得意技のひとつ。

浜口庫之助や中村八大といった、筒美京平よりもひと世代上の作曲家たちが開拓してきた「和製ポップス」という領域を、より垢抜けたかたちで受け継いだという面。

この路線はおもに70年代に見られたけど、松本伊代センチメンタル・ジャーニー」もこの路線だと思う。

 

南沙織「17歳」

麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき

佐川満男「フランス人のように」

平山三紀「真夏の出来事」


「17才」南沙織

 

四人目の筒美京平、ピースフルなフリーソウル京平

筒美京平で1曲といわれて尾崎紀世彦また逢う日まで」を挙げる人は多い。

 

筒美京平は全キャリアを通じて黒人音楽からの影響がとても強いわけですが、「また逢う日まで」も典型的にそう。

この時代のソウル音楽のグルーヴやブラス中心のピースフルなアレンジを、お茶の間むけに届けた功績は大きい。

 

郷ひろみ花とみつばち

堺正章「ベイビー、勇気を出して」

平山三紀「いつか何処かで」

岡崎友紀「風に乗って」


花とみつばち (1974)

 

五人目の筒美京平、和モノDJがディグするグルーヴィーな京平

同じく黒人音楽の影響下にある作品群だけど、よりリズムが強くて踊れてかっこいいアレンジがほどこされているのがこのあたり。

お茶の間に届ける歌謡曲にしてはちょっと攻めすぎてるような気もするけど、国民的大作家である筒美京平がこの路線でたくさんいい曲を残してくれているのは、後世の和モノDJとしては非常にありがたい。

 

郷ひろみ「恋の弱味」

欧陽菲菲「恋の追跡(ラヴ・チェイス)」

南沙織「夏の感情」

平山三紀「真夜中のエンジェルベイビー」


「恋の追跡」  欧陽菲菲

 

六人目の筒美京平、Dr.ドラゴン a.k.a. ディスコ京平

70年代後半の世界的なディスコ・ブームは日本にもほぼリアルタイムで波及。

時代の流れに敏感な筒美京平は、Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスという変名ユニットでいちはやくディスコブームを取り入れた。

 

その後もディスコ調(つまり当時の黒人音楽の最新形態)の歌謡曲ヒットを連発する。

ディスコは筒美京平の得意分野のひとつと言えるだろう。

 

岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」

浅野ゆう子「ムーンライト・タクシー」

桑名正博「哀愁トゥナイト」

近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」


近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」

 

七人目の筒美京平テクノポップを消化したエイティーズ京平

ディスコブームの数年後には、YMOが世界的にブレイクしてテクノポップの時代が到来する。

坂本龍一細野晴臣は、歌謡界からのオファーに応じてテクノポップな歌謡曲をたくさん書くことになるんだけど、筒美京平も負けじと参戦し、榊原郁恵の「ROBOT」やC-C-Bの一連の楽曲を生み出す。

 

常に時代の空気を敏感に察知して生き残ってきた筒美京平は80年代的なプラスティックなサウンドも見事に乗りこなし、あらたな得意分野を作り出した。

サウンドの変化だけでなく、メロディ自体も70年代の陰りのあるラインよりは、メジャーキー中心のカラッとした路線でヒットを飛ばすように。

 

C-C-BRomanticが止まらない

小泉今日子なんてったってアイドル

少年隊「ABC」

本田美奈子Oneway Generation


1987 少年隊 ABC

 

八人目の筒美京平トップランナーのまま伝説になった生涯現役京平

90年代になると、筒美京平楽曲で育った若者がアーティストや音楽関係者として世の中に出てくる。

そして、楽曲制作にあたって「憧れの」「伝説の」筒美京平を起用する。

 

だいたいそういう起用のされかたをする大御所って、オファーされた時点では一線を退いていたり、または往年の音楽性のままで止まっていたりするもんで、逆に古さを求めてのあえてのオファーだったりもする。話題作りのためだったりとか。

ところが、筒美京平は枯れないまま90年代を迎えているので、起用にしっかりと応えてJ-POPとしての強度がすごい商品を作れてしまう。

 

小沢健二「強い気持ち強い愛」

藤井フミヤ「タイムマシーン」

NOKKO「人魚」

TOKIO「AMBITIOUS JAPAN」


中川 翔子 『綺麗ア・ラ・モード』

 

8人いました

以上、わりと大雑把にまとめてみただけでも8人の筒美京平がいた。

それぞれの得意分野の楽曲をまとめて聴いてみると、じつはそれなりに特徴というか癖があったことがわかる。

他にも、歌メロを追いかける単音ギターのオブリガードのつけ方とか、あえてダサめのコーラスを入れたりといった部分も特徴的なだと思っていて。

 

得意分野が多すぎるのと、第一線にいる期間が長すぎるせいで作家性が見えづらかっただけで、実は8人それぞれに個性的な筒美京平なのでした。

 

後世に語られがちなのは四人目や七人目の筒美京平なんだけど、リアルタイムでもっとも時代に寄り添ってたのは二人目なんじゃないかと思ってる。

個人的には一人目と五人目の筒美京平が好き。

 

 

筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1997 2013Edition

筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1997 2013Edition

  • アーティスト:筒美京平
  • 発売日: 2013/12/25
  • メディア: CD
 

中小企業が多すぎると思ってる人に知ってほしい50年前のヒットチャート

中小企業が統合・再編されるべき理由

菅総理は中小企業の統合・再編を促進すると表明したらしい。

中小企業は大企業に比べて労働生産性が低く、日本の成長の足を引っ張っているからだとか。

菅氏、中小企業の再編促す 競争力強化へ法改正検討 :日本経済新聞

 

現在、日本の企業における中小企業の割合は99.7%で、そう言われるとたしかに多すぎるように感じる。

また、大企業に比べて中小企業は賃金が低いので、中小企業で働く人が多いということは低賃金で働く人が多いということになり、本来なら潰れるべきダメ企業が社員を低賃金で酷使することでズルズルと生き延びてるっていう指摘には説得力がある。

 

たしかに、やる気のないおっさんが惰性でやってる不衛生で味もいまいちですべてが微妙な食堂よりも、清潔で一定レベルの味が保証されていて季節ごとの新商品みたいな工夫もあってよくできてる大手のファミレスのほうに入りたいと思う。子連れだと特に。

 

巨額の制作費を集めてつくられるハリウッド超大作映画とか、最近のソニー任天堂のゲームとか、洗練されたApple製品とか、そういうものも、大規模な組織と潤沢な資金がないと生み出せないだろう。

 

ひとつの組織になってるほうがノウハウは溜まるし効率的だし、どかっと投資もできるでしょう。メリットはわかる。

 

中小企業は本当に再編すべきなのか

それでも、いわゆる中小企業は世の中に必要なんじゃないかと思う。

 

たとえば1000社あった企業が再編されて30社になったとすると、その30社のなかに、自分の好みにあうものがひとつもないって可能性がすごく高くなる。

 

1位から30位までしかない音楽チャートってどう?

それか30アーティストしか活動してない音楽シーンは?

自分のような人間には耐えられない。

 

心のベストテンに常時ランクインしている曲は、売上でいうと50位あたりかそれ以下のものばかり。

 

生産性の低いアーティストが淘汰され、上位30組に潤沢な資金が投入されると、たしかにその業界が生み出す利益は今より大きくなるかもしれない。

韓国のBTSやBLACK PINKのように、世界で通用するアーティストが生まれてくるかもしれない。

でもそれは、一定以上の多様性がないと好みが満たされない自分のような人間にとってはつらい世の中になることは必至。

 

それに、リリース当時はまったく売れなかったけど後の時代に絶大な影響を与えてる名盤ってたくさんある。

 

たとえば、今から50年前の1970年の年間シングル売上げTOP30を見てみよう。

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この中には、その後に売れっ子になったり音楽シーンに絶大な影響を与えたりした和田アキ子吉田拓郎忌野清志郎RCサクセション)も小田和正オフコース)もいない。

みんな1970年にシングルをリリースしているんだけど、売れっ子になるまでにまだ時間が必要だった。

 

  

 

逆に、TOP30の楽曲のうち、50年後まで残っているものがどれだけあるんだっていうね。

この時代の音楽が好きでよく聴いてる自分のような人間でも、まったく知らない曲がたくさんある。 

 

 

これって別に音楽の話だからってだけでもなくて、ビジネスの世界でも松下幸之助スティーブ・ジョブズの伝記を思い出すまでもなく、次世代のトップ企業はいつでも小さく生まれて挑戦するもの。

やる気がある中小企業は、今現在もうかっていなくても淘汰したらダメだろうと。

 

政府として具体的にどうやって統合・再編するつもりなのかわからないけど、将来の吉田拓郎とか忌野清志郎を潰さないでうまくやれるって言い切れるんだろうか。

 

儲かってないと本当にダメなのか

じゃあ、儲かってなかったり将来性がなかったりする中小企業は潰してもいいのか。

儲かる見込みのない「ゾンビ企業」はさっさと退場させて、新陳代謝させるべきなのか。

「ゾンビ企業」の増加警戒、終了時期が焦点-日銀コロナ対応オペ - Bloomberg

 

これ、3年とか5年たっても芽が出なかったら才能がなかったってことだから音楽なんかやめてまともに就職しろっていう意見に似て、一見ものすごく説得力がある。

 

でも、ほんとうにそれでいいのかって思う。

 

生産性とか成長とかのものさしで見たときに劣等生になる企業って、あえて儲からないようにしてるパターンがある。

たとえば、儲けは度外視して、若者に腹いっぱい食べさせようとバカみたいな大盛りで出てくる学生街の定食屋。この店はおそらくずっと利益は薄いまま何十年もやってる。なので数字の上では再編されるべき中小企業ってことになるだろう。

逆に、より儲かるように、飲食店がイスの座り心地を悪くしたって話あるでしょ。イスの座り心地が悪いと、客は食べ終わったらすぐに店を出るから、回転率があがる。そのほうが儲かる。

 

 

山下達郎っていう人は、音質へのこだわりが強すぎるため、中野サンプラザとかNHKホールよりも大きい会場では絶対にライブをやらない。

どうせライブをやるなら会場は大きければ大きいほど利益はあがるんだけど、あえてそれをやらない。何十年もそのスタンスを貫いている。

 

生きていく以上、食べていく必要はあるけど、必要以上に儲けるよりも自分たちのスタイルを大事にしたいってタイプの企業やアーティストたち。

そういう存在をたくさん抱えているほうが、世の中は絶対によくなると思う。

 

才能はあるけど信念を貫いてあえて儲からないようにしているケースは、大企業よりも上場していない中小企業に多い。

上場してしまうと、「儲かるようにしろ」という株主からのプレッシャーがかかるので、信念を貫くことが相当難しくなるから。

 

 

才能がないとダメなのか

じゃあ、才能があってあえて儲けてないところはいいとして、才能がなく儲かってない企業はゾンビってことでいいのか。 

 

そうなるとどうしても「才能」って何かねっていう話になるので、またさっきの50年前のヒットチャートに話を戻したい。

 

今から50年前、すなわち1970年っていうのは、日本の音楽シーンの転換期だった。

 

1960年代前半の日本において、音楽で飯を喰うっていうことはすなわち、半分ヤクザなザ・芸能界で偉い作家先生の弟子になったりして、歌手としてデビューさせていただくことだった。

それが1960年代後半から徐々に変化していき、ヤクザな世界の外側で、自分でつくった歌を歌って生きていくことができるようになった。

 

前述の吉田拓郎忌野清志郎はそういう新しい時代の象徴的な人たち。

果たしてこの2人、ザ・芸能界しかなかった時代に歌手としてデビューするための才能はあっただろうか。

 

ゲームのルールは変わる。

勝つことができるための才能は時代によってコロコロ変わるので、いま現在のルールでうまく儲けられてないからといって、上からの力で潰していいわけがない。

 

やる気も才能もないと本当にダメなのか

今は儲かっていなくても、将来ビッグになる可能性がある中小企業がいる。

ずっと儲かっていなくても、品質を重視してあえてそうしてる中小企業がいる。

それらは統合・再編してしまったらもったいないよねという話をしてきました。

 

では、将来ビッグになる見込みはなく、品質を重視してるわけでもなく、特にやる気も才能もない中小企業は生きてる価値がないんだろうか。

 

それも違うと思う。

 

 

台湾に夜市ってあるじゃないですか。

毎晩毎晩、街のそこここに小さな屋台が無数に登場する台湾の観光名所。

あそこに大企業が入っていろいろ洗練させたら、おそらく台無しになるだろう。ごちゃごちゃしてること自体に価値が生まれてるんだと思う。

 

地下アイドルのシーンってあるじゃないですか。

歌唱力とかダンスとか楽曲とかのレベルがほんと玉石混交で、ひどいものは本当にどうしようもないんだけど、有象無象がひしめいていること自体が謎の磁場になっているんだと思う。

 

才能がある人もない人もいて、やる気がある人もない人もいて、ごちゃごちゃして活気が生まれて、っていう環境がどうやら好きなんですよね。そっちの世の中のほうがいい。

 

  

だいたい、中小企業が多いことが問題なんじゃなくて、生産性が低いとか賃金が低いとかが問題なんであって、解決するための手段は中小企業を減らすことじゃなく、たとえば下請けいじめや中抜きができなくなるような法改正とかじゃないか。

 

中小企業に比べて大企業の生産性が高いのは事実だとして、その理由のなかにアコギな要素があるんだったら、そこを是正するのが政治の仕事なんだと思う。

 

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シティポップと百姓

80年代前後の日本映画やマンガや雑誌のインタビュー、コラムなんかを観たり読んだりしていると、2020年との価値観の落差にぎょっとすることが多い。

 

ジェンダーや障害や人種といったセンシティブな領域に対する配慮のない言葉遣いももちろんだけど、同じぐらいびっくりさせられるのが、田舎に対する見下し。

田舎や農業や方言といったものを、恥ずべきものとして見下すような言動がとにかく多い。

そういった価値観の象徴として、「百姓」という言葉が、かなり攻撃力の高い侮辱ワードとして機能していた。

 

侮辱ワードとしての「百姓」

たとえば1977年の映画『幸福の黄色いハンカチ』では武田鉄矢が演じる若者が「この百姓が!」と罵るシーンが複数回あったし、1980年の『狂い咲きサンダーロード』でも「百姓」と罵ってる。

人気絶頂だった田原俊彦がいわゆる「ビッグ発言」などでバッシングされるムードのなか、殺到する記者に対して「百姓」と罵ったという話もある。

 


幸福の黄色いハンカチ(予告)

 

現在でも「百姓」はテレビやラジオでは使わないような言葉になっているんだけど、当時のニュアンスがわからないとなぜダメなのかわかりづらい。

 

その結果、Yahoo!知恵袋にはこういった質問がかなりたくさん寄せられている。

百姓 という言葉はなぜ放送禁止用語なのですか? - 百姓は差... - Yahoo!知恵袋

 

侮辱ワードっていうのは、言われた側が傷つくからこそ攻撃力を発揮するわけで、「百姓」に攻撃力があったということは、みんな「百姓」と呼ばれたくなかったんでしょう。

 

なぜ昭和の日本人は「百姓」と呼ばれたくなかったのか

ではなぜ昭和の日本人は「百姓」と呼ばれたくなかったのか。

 

誰かを「百姓」と罵るとき、田舎、農林水産業、野暮、情報弱者といったニュアンスが込められている。

「百姓」のイメージを体現するキャラとして登場したのが吉幾三

 

つまり、その逆の、都会、第三次産業、洗練といったものをみんなが目指していた時代ってことでしょう。

で、都会、第3次産業、洗練を目指すのは現代も同じだけど、なんていうか当時の日本人には必死さを感じるわけ。

 

東京生まれのごく一部の人を除き、80年代前後の圧倒的大多数の日本人は、自分が「百姓」とくくられる側に属しているという、負い目みたいなものがあったんじゃないかと。

 

というのも、お互いに「百姓」と罵り合っていた1980年の20歳は、1960年生まれ。

実はその時代の日本の労働者の32.7%が第一次産業つまり農林水産業にたずさわっており、1960年生まれのざっくり3人に1人ぐらいは「百姓の子」なわけ。

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/img/g0204_01.png産業別就業者数の推移(第一次~第三次産業) 1951年~2019年 年平均 (総務省労働力調査」)

 

そんな1960年生まれの「百姓の子」が大人になった1980年には、日本の労働者の過半数第三次産業の仕事をするようになっており、第一次産業は10%にまで減少している。

つまり、その20年間で「百姓」離れがすごい勢いで加速した。

 

おりしも高度成長期で、都会の工場や商社やメーカーが大量に人手を求めていた時期であり、そういった社会のニーズに応じるかたちで「百姓の子」が「百姓」離れしていった。

そしてそういう「百姓の子」はみんな、「木綿のハンカチーフ」よろしく、必死で都会に染まろうとがんばっていたんだと思う。

 

昔からそこにいた都会人や一足先に田舎から出てきた先輩たちは、続々と上京してくる「百姓の子」の垢抜けなさ、必死に洗練されようとあがく様を揶揄したくもなったであろう。

そこで「百姓」という言葉が、かなりの攻撃力をもつに至った。

 

あらゆる差別の構造に共通するあるあるとして、生粋の都会人よりも、先に都会に出てきた元「百姓の子」のほうが、自分が都会人であることを誇示する必要にかられて、新規の「百姓の子」により厳しくあたったであろうことは容易に想像できる。

幸福の黄色いハンカチ』の武田鉄矢の無駄に攻撃的なスタンスは、そういうことなんだと思う。

 

なぜ平成・令和の日本人は「百姓」と呼ばれても傷つかないのか

ではなぜ、平成・令和の日本人は「百姓」と呼ばれても傷つかないのか。

いつから傷つかなくなったのか。

 

2000年の20歳は、すでに相手を罵るときに「百姓」とは言わなかった。

2000年の20歳は1980年生まれ。

 

その時代の日本の労働者のうち、第一次産業にたずさわっていたのは10%であり、そこからの20年間でさらに5%にまで半減した。

しかも第一次産業にたずさわる人は5%いるといっても、そのほとんどが高齢者なので、今や「百姓の子」はほとんど見つからないレアな存在になっている。

 

親の代から都会に住んでいる、または地方在住だけど親の代で百姓をやめた「百姓の孫」たちが日本人のマジョリティを占めている状況。

「百姓の孫」たちにとって農林水産業や田舎の生活といったものは、がんばって抜け出すべきものではなく、夏休みに数日間だけ滞在するもの。

 

田舎暮らし、アウトドア、土いじりといったものは、一昔前に「百姓」にまつわるダサいものとされていたが、今やポジティブなものとしてとらえられるようになった。

つまり「ザ!鉄腕!DASH!!」でTOKIOがやっているようなこととそのとらえられ方。

 

多くの日本人が都会に出てきたわけではなく、(過疎化が進みながらも)相変わらず地方在住の若者も多いんだけど、地方在住であることが別に恥ずべきことではなくなっている。

 

そこには、インターネットの普及により、都会と地方の情報格差がほとんどなくなったことも影響しているだろう。

ネットを駆使して情報収集や発信をするにあたり、地方在住であることは何らマイナスにならない。

 

90年代までは、タワーレコードやクラブやミニシアターがある都会と、ギリギリTSUTAYAがある地方ではかなりの情報格差があった。

しかし今やそれらの情報はほぼネット上で得られるようになり、地方のハンデはかなりなくなっている。

 

もはや、「百姓」という言葉に相手を罵る攻撃力はほぼなくなった。

 

百姓の対義語としての「シティ」

ここ最近、1980年前後の洗練されたサウンドが「シティポップ」と呼ばれて再評価されている。

山下達郎大貫妙子吉田美奈子大滝詠一南佳孝といったあたりから、角松敏生杉山清貴あたりまでの、ソウル〜AORな音が、2010年頃から日本の若手ミュージシャンや海外の好事家たちに面白がられるようになった。

 

 

シティポップの担い手はその多くが東京出身者であったという興味深い事実もあり、その名前が表すように、「百姓」が喚起するイメージの対極にあった。

 

しかし、実は当時「シティポップ」という呼称は一般的ではなく、少し大きなくくりで「ニューミュージック」と呼ばれていた。

ニューミュージックというくくりは、アリスやイルカやさだまさしも入ってくるような巨大な概念。キリンジもゆずも「J-POP」だよねっていうのと似ている。

 

その巨大なニューミュージックというくくりの中から、「百姓」成分を取り除いたものが現在シティポップと呼ばれているんだとすると、当時むりやりくくられていた側としては、ニューミュージック扱いされることに忸怩たる思いがあったんじゃないかと思う。

松任谷由実が言ったとされる選民意識バリバリの発言には、そういった側面があるんじゃないか。タモリのニューミュージック批判もそういう文脈でとらえることも可能だろう。

 

一方、そんなシティポップが再評価されている2020年においては、「シティ」であることにあまり意味はなくなっている。

リアル百姓や百姓の子が日本からほとんどいなくなったことで、「百姓」は現実味のない概念になり、もはや洗練された音楽にとっての仮想敵ではなくなったということかもしれない。

 

むしろ、漠然としたファンタジーな概念となった「田舎暮らし」は、令和の時代にシティポップ・リバイバルな音をやってるアーティストと親和性が高いとすら言えそう。

現代のシティポップと呼ばれるバンドの多くが、アウトドアなフェスに引っ張りだこだったりするし、もはや「百姓」と「シティ」は対義語ではなくなったように思える。

https://spice.eplus.jp/images/Wlv4uTwuchUq7oNVTvY9Re72zkh72gWtyFOyz9ekKFYJx87x3tqUWFs3WQXCVkLz/

 

GREENROOM FESTIVALのnever young beach

 

 

 

ちなみに、かつてニューミュージックの非シティ部分を担っていたようなメンタリティをもつJ-POPのアーティストや楽曲を、わたくしハシノは「民芸J-POP」と名づけて観察している。

  

異世界ファンタジーとしての円高ラテン歌謡【プレイリストあり】

海水浴場も花火大会も海外旅行もない2020年の夏。

夏を満喫しようにもいろいろ禁じられている中で、そのくせ気温ばかりがうなぎのぼりしやがって、40度が突飛な比喩じゃなく現実のデータになっている8月。

 

それでもつい習慣的に夏向きのプレイリストなんてつくっちゃったりする。

 

今の気分的に、80年代後半からのバキッとした音像がしっくりくる。それでいて、いわゆるシティポップとは一線を画したい。ということで、J-POPと呼ばれるようになる以前の歌謡曲の中から、ラテン度の高いものをピックアップしてみました。

 

プレイリスト(全22曲)

ラテンテイスト満載の「好景気」「円高」「恋愛至上主義」な昭和50〜60年代の歌謡曲を詰め込んだプレイリストはこちら。

 

なんと中原めいこ「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」が入ってないのでSpotifyは1曲少ないです。

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異世界としての昭和50〜60年代

いかがでしょうか。

いずれも80年代のバキッとした音でごきげんなラテンをやっていて、90年代のJ-POPと地続きなノリを感じられるかと思います。

 

しかしこれが2020年の夏のムードにあっているかというと、見事にあってない。

やはり世の中が完全に浮かれまくっていた昭和後期の空気は、今年の夏に再生するには少々まぶしすぎるようで。

  

ならばいっそのこと、「異世界もの」としてこれらの楽曲を味わってみようかなというのが今回のご提案です。

 

そう、昭和50〜60年代という異世界

 

日本中の土地の値段が上がりまくった結果、山手線の内側の地価の合計額でアメリカ合衆国が全部買えるとか言われていて、株価もうなぎのぼり、そこらへんに成金がたくさんいた世界。

 

また、昭和40年代まで1ドル360円だったのが、昭和60年頃には1ドル150円ぐらいになった。海外旅行の値段がほぼ半額ぐらいになった感覚なので、一部の富裕層のものから、誰でも手が届くものになっていく世界。

 

そして、雑誌やドラマ、歌謡曲の世界では恋愛至上主義を盛んに煽りまくる。

18歳になったら免許をとって新車(できれば外車)を買って、DCブランドの洋服を着て、夏はサーフィン、冬はスキーができて、クリスマスにはシティホテルの部屋を予約して、みたいなことが一通りできてはじめて、恋愛市場のスタートラインに立つことが許される、みたいな煽り。

実際にそんなことができていた若者がどれぐらいいたかは別として、そんな価値観がメジャーだった世界。

 

昭和50〜60年代の日本って、2020年とはあらゆる面で異なる異世界だった。

 

異世界に憧れるっていうこと

人間というものは異世界に憧れるもので、現実の世界では法的にもモラル的にも能力的にも経済的にも許されていないことを、空想の世界で思う存分やってみたいっていう願望を抱きがち。

 

さえない主人公が異世界に転生して大活躍するみたいな最近のラノベやマンガもそうだし、たぶん江戸時代に軍記物がはやったのも、平和な時代に存在意義を失った武士たちの憧れが反映されたんじゃないだろうかとか。

いつも刀を携行してないといけないのに抜いたら理由にかかわらず切腹ものって、理不尽すぎるでしょ武士。てゆうかそもそも刀で誰かを斬るなんてシチュエーションが日常にまったくない。なのに先祖代々そういうものと決まっているっていうだけの理由で抜けない刀を持たされてる。

そんなみずからのアイデンティティについてまじめに考え始めたら辛くなりそうだから、ご先祖様たちが思う存分刀を振り回して斬りまくっていた時代の話を読みふけってる、みたいな。

 

つまりこのプレイリストも、決してノスタルジーじゃなく、あくまで異世界として、剣と魔法の世界とか、任侠の世界とか、魏呉蜀の時代とか、はるかかなたの銀河系とか、そういうのと同じものとして味わってみたらおもしろいかもしれない。

 

異世界ファンタジーな歌詞

なにしろ、この異世界ファンタジー謡曲は歌詞がすごい。

いくつか引用して味わってみましょう。

 

鉄腕ミラクルベイビーズ「TALK SHOW」

これ曲名やアーティスト名を見てもピンとこないかもだけど、聴いたらわかる世代にはわかるでしょう。そう、「ねるとん紅鯨団」のテーマ曲。

恋愛リアリティショーの先駆けとでもいうべき番組のテーマ曲なだけあって、歌詞の異世界感がすごい。

男なら立ってゆけ
女はただ寝て待て
頭よりも素肌で
SO SO SO SO
let's get body talk!

冒頭からこの勢いで、終始こんな感じ。

男は立派になれ
女なら華になれ
想い出 弄(まさぐ)るたび
Ai Ai 愛がうずいてる

 

「当時の武士は主君のために命を捨てた」とかと同じぐらいの距離感の異世界

 

酒井法子「ビンボ・ナンボ・マンボ」

まずこれ曲調はマンボじゃないよなっていうのはありつつ、そんなことがどうでもよくなるぐらいの破壊力。

私の彼は すごく貧乏
バイトかけもちして フゥフゥハッ
左ハンドル 無理しちゃったんだわ
お支払い 月々 フゥフゥハッ

すごく貧乏だけどローンを組んで外国車を買ったんだと。

異世界すぎて頭がクラクラしてくる。

 

これは、こっちの世界と価値観が違いすぎるのか、それとも貨幣価値が違いすぎるのか、どちらなのか。

吉川英治の「三国志」に、かくまった劉備をもてなすために人肉をふるまった話がでてきて、吉川英治も書いててドン引きしてるレベルだったけど、それに近いものなのか。

それとも、この異世界における「すごく貧乏」は、バイトかけもちしてローンを組まないと外国車が買えないレベルってことで、ふつうの人はみんな即金で新車を買っていた世界なのか。

 

なにぶん異世界のことなので、ファンタジーとして楽しむしかないな。

2020年の日本からはいろいろ隔たりがありすぎる。 

 

夜の街から太陽の下へ

今回の昭和50〜60年代異世界ファンタジー謡曲のプレイリストですが、曲調はラテンテイストで統一感を出してみた。

 

戦後からずっと、マンボやチャチャチャなどのラテン音楽は日本の歌謡曲に深く根付いてきた。そして常にダンスや「夜の街」とともにあった。 意外なことに、当時は太陽の下の音楽じゃなかったんだよな。

太陽の下の音楽は、若大将でありベンチャーズであり、いずれにせよ8ビートだった。

 

典型的な夜の街ラテン

 

それが70年代になると、ニューヨークのラテンコミュニティから始まって南米を中心に広がったサルサの大ムーブメントがあり、日本にもその余波は及んでくる。

このあたりから、日本におけるラテン音楽のイメージも変わってきたのではないか。

 

たとえばジャズ・フュージョンがイケてる音楽として認識されてくるんだけど、それらの音楽にはラテン〜ブラジルの要素が盛んに取り入れられていた。


また、恋愛至上主義の教祖として君臨していた松任谷由実は、荒井由実時代からラテン要素を取り入れた楽曲をリリースしていた。

 

これらの影響で、昭和50年代の太陽の下の恋愛模様からはベンチャーズが駆逐され、ラテン音楽のイメージが浸透していく。

 

円高の影響で海外旅行が庶民の娯楽として一般的になってくると、さらにそのイメージは加速する。 

ココナツやハイビスカスやサンゴ礁が広がる赤道直下の南の島、われわれ現代人が忘れてしまった大切なものを思い出させてくれる褐色の肌の陽気な現地の人たち、そういったものに出会うことができるツアーが訴求される。

実際の目的地はグアムやサイパンプーケットとかなのでラテン音楽とはまったく縁もゆかりもないんだけど、なんとなく南国っていうことで大雑把にひとくくりされて、航空会社のCM音楽とかにもラテンテイストが入ってくる。

 

こうして完全に太陽の下の音楽になった昭和50〜60年代のラテン歌謡曲

この系譜はJ-POPにおけるTUBEや大黒摩季ポルノグラフィティあたりに受け継がれていくんだけど、いずれも、かつては夜の街の音楽だったっていう名残りがほのかに漂ってるのがおもしろいなと思う。