多彩すぎるがゆえの都市伝説
筒美京平が亡くなった。
昭和40年代からずっと第一線で活躍し続け、膨大な数のヒット曲を残した偉大な作曲家だっただけに、ここ1ヶ月のあいだに非常にたくさんの人々が、筒美京平についての文章を発表した。
一般紙のお悔やみ記事やミュージシャンのツイートなども含めると、他にもまだまだあって枚挙にいとまがない。
それらの記事で筒美京平を語る上でいろんな人が共通して言っているのが、「職業作曲家」だったということ。
意図的であれ無意識であれ作曲家としての個性がにじみ出てしまうタイプではなく、その歌をうたう歌手のイメージだったり時代の空気だったりにぴったりと寄り添うタイプであり、あくまで影の存在に徹したんだと。
昭和40年代から平成までの時代を第一線で駆け抜け、いろんなタイプの歌手にいろんなタイプの曲を書いてきたので、筒美京平のメロディにはこれとった特徴らしい特徴がないとも。
そのため、「筒美京平」というのは一人の人間のことではなく、何人かのチームの呼び名なんじゃないかという都市伝説が音楽業界でささやかれていたという話もある。
たしかに、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」と小沢健二の「強い気持ち強い愛」を同じ人が書いたというのは、時代の離れ方も曲のタイプ的にも全然違うので、よく考えるとすごい話だと思う。
長い間、筒美京平ご本人の写真や言葉が表に出ることがほとんどなかったこともあり、都市伝説はかなり説得力があったんだろう。
筒美京平は何人いたのか
その都市伝説について松本隆は、「筒美京平は一人しかいない」と証言している。
筒美京平とのコンビで「木綿のハンカチーフ」や「卒業」などの大名曲をたくさん手がけた松本隆が言うんだから本当にそうなんだろう。
ただ、その上で思うのは、筒美京平という一人の作曲家の中に、いったい何人分の才能が入っていたのかということ。
先ほど、作曲家としての特徴らしい特徴がないという評を紹介した。
有名な歌謡曲の作曲家は筒美京平のほかにもたくさんいるけど、だいたいみんな得意な領域を持っていたり、メロディに癖があったりする。
得意な領域というのは、たとえばYOSHIKIにとってのクラシカルだったりメタルだったりというもの。ふつうは自らの出自となるジャンルやその周辺を中心にした領域で力を発揮するもんだと思うし、作曲を依頼する側も強みを見て依頼するだろう。
メロディの癖というのは「作家性」という言い方をされることもあるけど、たとえば椎名林檎が楽曲提供した曲は、TOKIOが歌ってもともさかりえや石川さゆりが歌っても、どこか椎名林檎っぽさが出る(意識して出そうとしているパターンもある)。
わかりやすくするためにYOSHIKIや椎名林檎の名前をだしたけど、いわゆる職業作曲家でも得意分野やメロディの癖はある程度ある。
しかし、筒美京平という人には、そういうのがないのだという評価。
この話は「だから筒美京平という人はすごい」という流れに繋がるし、たしかに「ブルー・ライト・ヨコハマ」と「強い気持ち強い愛」みたいな事例を見るにつけ、とても説得力がある。
その反面、説得力はあるけど、そこで考えるのを止めてしまうのはもったいないな、とも思った。
膨大な筒美京平の作品群をよく見てみると、なんとなくこのあたりに強みがあったんじゃないかというのがいくつか見えてくるわけで。
それらをざっとカウントしてみると、筒美京平は8人いたというのがわかった。
別の言い方をすると、一流の職業作曲家8人分の才能が、筒美京平という一個人の中に詰まっていたということ。
一人目の筒美京平、スウィンギンでモッドなロック京平
筒美京平の作曲家としての最初のスマッシュヒットが、1967年のヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」。
ヴィレッジ・シンガーズは当時大ブームだったグループサウンズ(GS)のバンドで、他にも筒美京平はキャリアの最初期にグループサウンズの曲をいくつか書いている。
ざっくりいうとグループサウンズには、沢田研二のタイガースに代表されるメルヘンチックで耽美な面と、マチャアキのスパイダースに代表されるロックンロールな面の二面性があった。
筒美京平はオックスの「スワンの涙」のようなメルヘンチックな曲も手がけつつ、同じオックスでも「ダンシング・セブンティーン」のようなグルーヴィーな曲や、ファズギターが効きまくったロックチューンをいくつも残している。
GSではないけど、いしだあゆみの「太陽は泣いている」もこの路線に位置づけられる。
ジ・エドワーズ「クライ・クライ・クライ」
ザ・ヤンガーズ「ジン・ジン・ジン」
オックス「オックス・クライ」
ザ・ガリバーズThe Gullivers/赤毛のメリーAkage No Mary (1968年)
二人目の筒美京平、しっとり陰翳礼讃なお座敷京平
筒美京平の代表曲のひとつ、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」。
この曲は典型的な筒美京平のお座敷サイドのメロディだと思う。
いわゆる「都節音階」っていう、三味線や琴でよく使われるミ・ファ・ラ・シ・ドの5音でできた日本古来の音階がある。「さくらさくら」「通りゃんせ」が代表的。
この都節音階をそのまんまじゃなく、ニュアンスとして匂わせることで、日本っぽい陰影があるメロディをつくるのが筒美京平の得意技のひとつ。
それでいて、いなたいメロディでありながらベースがグイグイ弾いてたりアレンジが垢抜けていたりするのが筒美京平っぽさでもある。
奥村チヨ「中途半端はやめて」
平山三紀「ビューティフル・ヨコハマ」
欧陽菲菲「雨のエアポート」
五木ひろし「かもめ町 みなと町」
三人目の筒美京平、アメリカンポップスの歌謡化に長けたオールディーズ京平
50年代のアメリカン・ポップス、いわゆる「オールディーズ」を日本人の琴線に触れるかたちにローカライズするのも筒美京平の得意技のひとつ。
浜口庫之助や中村八大といった、筒美京平よりもひと世代上の作曲家たちが開拓してきた「和製ポップス」という領域を、より垢抜けたかたちで受け継いだという面。
この路線はおもに70年代に見られたけど、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」もこの路線だと思う。
南沙織「17歳」
佐川満男「フランス人のように」
平山三紀「真夏の出来事」
四人目の筒美京平、ピースフルなフリーソウル京平
筒美京平で1曲といわれて尾崎紀世彦「また逢う日まで」を挙げる人は多い。
筒美京平は全キャリアを通じて黒人音楽からの影響がとても強いわけですが、「また逢う日まで」も典型的にそう。
この時代のソウル音楽のグルーヴやブラス中心のピースフルなアレンジを、お茶の間むけに届けた功績は大きい。
堺正章「ベイビー、勇気を出して」
平山三紀「いつか何処かで」
岡崎友紀「風に乗って」
五人目の筒美京平、和モノDJがディグするグルーヴィーな京平
同じく黒人音楽の影響下にある作品群だけど、よりリズムが強くて踊れてかっこいいアレンジがほどこされているのがこのあたり。
お茶の間に届ける歌謡曲にしてはちょっと攻めすぎてるような気もするけど、国民的大作家である筒美京平がこの路線でたくさんいい曲を残してくれているのは、後世の和モノDJとしては非常にありがたい。
郷ひろみ「恋の弱味」
南沙織「夏の感情」
平山三紀「真夜中のエンジェルベイビー」
六人目の筒美京平、Dr.ドラゴン a.k.a. ディスコ京平
70年代後半の世界的なディスコ・ブームは日本にもほぼリアルタイムで波及。
時代の流れに敏感な筒美京平は、Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスという変名ユニットでいちはやくディスコブームを取り入れた。
その後もディスコ調(つまり当時の黒人音楽の最新形態)の歌謡曲ヒットを連発する。
ディスコは筒美京平の得意分野のひとつと言えるだろう。
浅野ゆう子「ムーンライト・タクシー」
桑名正博「哀愁トゥナイト」
近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」
七人目の筒美京平、テクノポップを消化したエイティーズ京平
ディスコブームの数年後には、YMOが世界的にブレイクしてテクノポップの時代が到来する。
坂本龍一や細野晴臣は、歌謡界からのオファーに応じてテクノポップな歌謡曲をたくさん書くことになるんだけど、筒美京平も負けじと参戦し、榊原郁恵の「ROBOT」やC-C-Bの一連の楽曲を生み出す。
常に時代の空気を敏感に察知して生き残ってきた筒美京平は80年代的なプラスティックなサウンドも見事に乗りこなし、あらたな得意分野を作り出した。
サウンドの変化だけでなく、メロディ自体も70年代の陰りのあるラインよりは、メジャーキー中心のカラッとした路線でヒットを飛ばすように。
少年隊「ABC」
八人目の筒美京平、トップランナーのまま伝説になった生涯現役京平
90年代になると、筒美京平楽曲で育った若者がアーティストや音楽関係者として世の中に出てくる。
そして、楽曲制作にあたって「憧れの」「伝説の」筒美京平を起用する。
だいたいそういう起用のされかたをする大御所って、オファーされた時点では一線を退いていたり、または往年の音楽性のままで止まっていたりするもんで、逆に古さを求めてのあえてのオファーだったりもする。話題作りのためだったりとか。
ところが、筒美京平は枯れないまま90年代を迎えているので、起用にしっかりと応えてJ-POPとしての強度がすごい商品を作れてしまう。
小沢健二「強い気持ち強い愛」
藤井フミヤ「タイムマシーン」
NOKKO「人魚」
TOKIO「AMBITIOUS JAPAN」
8人いました
以上、わりと大雑把にまとめてみただけでも8人の筒美京平がいた。
それぞれの得意分野の楽曲をまとめて聴いてみると、じつはそれなりに特徴というか癖があったことがわかる。
他にも、歌メロを追いかける単音ギターのオブリガードのつけ方とか、あえてダサめのコーラスを入れたりといった部分も特徴的なだと思っていて。
得意分野が多すぎるのと、第一線にいる期間が長すぎるせいで作家性が見えづらかっただけで、実は8人それぞれに個性的な筒美京平なのでした。
後世に語られがちなのは四人目や七人目の筒美京平なんだけど、リアルタイムでもっとも時代に寄り添ってたのは二人目なんじゃないかと思ってる。
個人的には一人目と五人目の筒美京平が好き。