森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

かえせ!ブーガルーを

2020年5月25日に起こった白人警官によるジョージ・フロイド殺害事件をきっかけにして、黒人差別への抗議行動が「Black Lives Matter」を合言葉としてアメリカ全土に広がっている。

アメリカを代表する企業がこの運動に賛意を表明する一方で、トランプ大統領が問題の本質を見ずに武力鎮圧を呼びかけたことで火に油を注ぎ、前国防長官に批判されたり、一部で発生した放火や略奪の犯人はアンティファだとか、いや騒ぎに便乗した無政府主義者だとかいろんな話が飛び交っている。

白人至上主義者にシンパシーをもつ大統領がいる国なんて、ひとりのアジア人として恐怖しかないので、この機会にまともな社会になってもらいたいと思っているけど、これを書いてる6月8日時点ではまだこの抗議の落としどころは見えていない。

 

デモで逮捕されたブーガルーとは

日々いろんなニュースを目にしている中で、個人的にすごく気になったのが、「ブーガルー」という存在のこと。

今回のデモに便乗して暴力を扇動したとかいう、極右グループの呼び名らしい。

 

 

気になっていろいろ調べてみたところ、2019年頃から言われだしたネット上のミームらしい。4chanっていう、日本の2ちゃんねるにインスパイアされたアメリカの掲示板とかFacebookの極右グループとかで使われだしたんだと。

ネット上の内輪ノリでアロハシャツを身に着け、銃器で武装してる白人たち。


彼らはアンチ・リベラルで、いわゆる加速主義を信奉していると言われている。

加速主義っていうのは、資本主義やテクノロジーを極限まで突き詰めることでこの社会を崩壊させ、その先にある新しい時代に到達しようとする考え方。 

要するにラディカルであり極右とかいっても決して「保守」ではないんだと思う。 ネトウヨまとめサイトにかぶれてしまった挙げ句、謎の全能感を手に入れてしまったタイプの大学生のあの感じのアメリカ版って認識してる。

 

そんなやつらが自称してる「ブーガルー」って言葉は、じゃあどこから来てるのかっていうと、『BREAKIN' 2 - ELECTRIC BOOGALOO』(邦題『ブレイクダンス2 ブーガルビートでT・K・O!』)っていう1984年のダンス映画のタイトルかららしい。 

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このタイトルをネタ化して、たとえば南北戦争の続編を『Civil War 2: Electric Boogaloo』と呼んだりするふざけ方が広まっていったんだってさ。

 

ダンスとしてのブーガルー

映画『BREAKIN' 2 - ELECTRIC BOOGALOO』に出てくる「エレクトリック・ブーガルー」っていうダンスは、いわゆるポッピングダンスの一種で、ロボットダンスみたいなもの(ダンスに詳しくないのですごく雑な説明)。

 


この動画に出てるブーガルー・サムっていう人が創始者なんだって。

マイケル・ジャクソンにも教えたっていう伝説のダンサーだそう。

 

じゃあエレクトリックじゃないほうのブーガルーはあるのかっていうと、この動画でJBが踊っているのがそう。

ブーガルーは「マッシュポテト」とか「ツイスト」とかと同じようにダンスの一種として定着しており、1967年には「ブーガルー・ダウン・ブロードウェイ」って曲がヒットしたりもした。 

 

60年代からあるダンスをエレクトリックに進化させたのがブーガルー・サムで、それが映画で取り上げられ、80年代をネタ化するネットのノリが取り込み、極右の自称になったという。

そんな流れが見えてきた。

 

音楽ジャンルとしてのブーガルー

しかし、もともと「ブーガルー」っていう言葉はですね、1960年代にニューヨークのラテン系コミュニティを中心に大ブームになった音楽ジャンルのことでもある。

 

音楽ジャンルとしてのブーガルーとは、ラテン系の人々がやっていたマンボやチャチャチャといったラテン音楽と、黒人のリズム&ブルースやファンクが混ざり合って生まれた音楽なんですよ。

だいたいサルサはもちろんハウスもヒップホップもみんな、黒人音楽とカリブ海の要素がミックスされてアメリカで生まれたもの。20世紀の新しいダンスミュージックはいつもその接点から生まれてきた。ブーガルーもそういった流れの中にあるってことで。

 

音楽としてのブーガルーの特徴は、コアなラテン音楽よりも若干シンプルで、エレキギターやドラムが使われていたりすること。そして曲によってはソウルやファンクの要素がかなり強く見受けられる。

また、急にブームになったジャンルによくあることとして、人材不足から若手を青田買いしてレコーディングさせることが多かったらしく、演奏に青さや勢いが感じられる。そういうところもいい。

 

自分もだいたい27歳ぐらいの頃、ブーガルーやラテン・ジャズの暑苦しさとザラッとした質感、アッパーでいてどこかもの悲しい雰囲気に痺れてしまい、ロックバンドで日本語でこういうのをやたらかっこいいのでは?って思って実際にバンドを組んだりもした。後に日本の要素が強まって音楽性が完成するんだけど、結成時のそのコンセプトは今でもすごく気に入ってる。 

 

 

日本におけるブーガルー

1950年代に世界的にマンボが大流行し、日本にもそのブームは飛び火した。

美空ひばりの「お祭りマンボ」やトニー谷の「さいざんす・マンボ」など、人気歌手がマンボのレコードをリリースし、ダンスホールでは新しいステップとして大流行。

 

数年してマンボのブームが落ち着いた後も、歌謡界はこのスキームに味をしめたのか、毎年のように海外から新しいリズムを輸入してブームを仕掛けるようになる。

「ドドンパ」などという出どころの怪しいものもありつつも、「ロカンボ」「カリプソ」「ツイスト」「アメリアッチ」など、60年代に入ってもニューリズムの輸入は続き、小林旭橋幸夫がヒットを飛ばしていた。

 

そして1968年になると、そんなニューリズムの一種として日本にブーガルーが入ってきた。

そこまでのブームにはならなかったが、「アリゲーターブーガルー」や「ブーガルー・ダウン銀座」などのレコードがリリースされた。

 

時代は下って90年代になると、当時の歌謡曲のなかでリズムが強いものがクラブでかかるようになり、一連のニューリズムものが「リズム歌謡」と呼ばれるようになって再評価が進む。

ブーガルーもその文脈で再発見され、クレイジーケンバンド渚ようこといった人たちがブーガルーの楽曲をリリースしたりした。

 

かえせ!ブーガルー

ここまで見てきたように、ブーガルーという言葉には少なくとも半世紀以上の歴史があり、しかもその歴史は黒人とラテン系のカルチャーに深いレベルで根ざしている。

つまり、白人の極右グループが軽々しく自称するようなワードではないってこと。

 

まあ、そういう複雑な文脈を内輪ノリで軽々しく踏みにじること自体が快楽のひとつになっているんだろうし、まじめに怒るだけ思うツボなのかもしれないが、それにしても腹が立つ。

 

ブーガルーの大御所であるジョー・バターンは、下記の記事において、ブーガルーという言葉を極右が使っていることをそんなに気にしていないと述べている。無知ゆえの誤用だろうと。

また、ネット上の極右カルチャーに詳しい研究者のJames Stone Lundeも、所詮ネットのミームだし流行はそんなに長く続かないだろうという見解。

しかし、ブーガルーって言葉は、心ある音楽好きがワクワクするようなものだったはずなのに、思いもよらないところからしょうもないケチがついてしまったことは事実。

洋の東西を問わず、過去の文化に敬意を払うことをしないくせに右翼だとか保守だとか名乗るタイプはほんとに嫌だなあと思いました。

 

 

音楽好きの親にオススメしたい、曲がいいキッズむけ映画×6

うちの子、4月から保育園が休園になってしまって、1ヶ月ずっと家にいる。

 

5歳と2歳の男児という、そりゃもうじっとしてることが絶対不可能なお年頃なので、親としてはあの手この手を駆使して巣ごもりに協力いただいている次第。

 

巣ごもりをしのぐ屋内の娯楽がいろいろあるなかで、やっぱりどうしても王道は動画コンテンツですよね。

5歳のほうはもうリモコンの操作を覚えてしまって、いっちょまえに音声入力なんかも駆使して、自分が観たい動画をうまいこと見つけられるようになってきてるし。ほっといたらもう誇張じゃなく一日中ずっとテレビの前にいる。

 

じゃあどんな動画を鑑賞させるかっていう話なんだけど、どうせなら親も一緒に楽しみたいじゃないですか。

 

特にこちとら音楽好きの親としては、どうせなら音楽がいい映画なんかを観といてもらいたい。映画を観ていない時間でも、ドライブ中なんかに「あの映画のあの曲を流してくれ」とリクエストが入ったりするので、そこで流れる曲は親も好きな曲だとありがたいんだよな。

 

それが戦隊モノの曲とかだったら、そりゃそういうのが好きな親もいるけど、自分としては結構キツいものがあるわけで。

 

そんな思いを抱いた音楽好きの親御さんって多いと思う(音楽フェスの子連れ率の高さをみてる限り)ので、今日はうちの親子ともにハマった、音楽がいいキッズむけ映画をご紹介します。

 

ミニオンズ』(2015年)

 

黄色いミニオンのキャラでおなじみの怪盗グルーシリーズは、かのファレル・ウィリアムスが主題歌を提供しており、特に第2作「怪盗グルーのミニオン危機一発」の主題歌「ハッピー」は世界中で大ヒットした。

既存曲の使い方も気が効いてるんだけど、音楽好きに特にオススメなのが、シリーズのスピンオフ的な位置づけの「ミニオンズ」。

怪盗グルーシリーズの前日譚となるこの作品は、1968年のニューヨークとロンドンがおもな舞台。ということで、劇中では60年代ロックの定番どころが流れまくる。

 

タートルズ「ハッピー・トゥゲザー」

ローリング・ストーンズ「19回目の神経衰弱」

スペンサー・デイヴィス・グループ「アイム・ア・マン」

ドアーズ「ブレイク・オン・スルー」

ミュージカル「ヘアー」より「ヘアー」

キンクス「ユー・リアリー・ガット・ミー」

ザ・フー「マイ・ジェネレーション」

ビートルズレヴォリューション」

 

とくに「アイム・ア・マン」はパトカーと銀行強盗のカーチェイスシーンで、「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、エリザベス女王ミニオンたちが王冠を奪い合う馬車チェイスのシーンでカッコよく使われており、長男は3歳の頃から「ゆりりがみ!」と口ずさんでいた。

 

ミニオンたちが敵から逃れてロンドンの下水道から地上にでたところがちょうどアビーロードで、横断してきたビートルズ(顔は映らないけど1人だけ裸足だったりで明らかにそうとわかる演出)に踏みつけられるとか、ニヤリとさせるギャグも満載。

 

怪盗グルーのミニオン大脱走』(2017年)

同じく怪盗グルーシリーズからもう一作、シリーズ第3作目となるこちらをオススメ。 


悪役が80年代に一斉を風靡した元子役スターという設定で、そいつが気分を盛り上げるために80年代ポップスの定番どころをこれでもかとカセットテープで流しまくるんですよ。

マイケル・ジャクソン「BAD」

ヴァン・ヘイレン「ジャンプ」

a-ha「テイク・オン・ミー」

ネーナ「ロックバルーンは99」

オリビア・ニュートン・ジョン「フィジカル」

マドンナ「イントゥ・ザ・グルーヴ」

 

まさにMTVヒッツという感じなので、この映画をきっかけに曲に興味をもったら、YoutubeでそれぞれのPVをみせてあげるのもオススメ。

やっぱこのあたりの曲って時代を超えてキャッチーだし映像もアイデアに満ちてるしで、子供の心も一瞬でつかむよね。

うちの長男はマイケル・ジャクソンとa-haは一時期どハマリしていた。

 

映画としては、80年代の過去の栄光にこだわり続ける哀れな悪役のBGMとしてこれらの曲が機能しており、キャッチーな反面もの悲しくも聴こえてくる。非常によくできた使い方。

 

『ペット』(2016年)

怪盗グルーシリーズと同じくイルミネーション製作の『ペット』は、日本語吹き替え版をバナナマンの2人が担当したことでも話題。

飼い主がいない間のペットは何をしているかというと…っていう好奇心をそそるおはなし。たとえばクラシック音楽好きの飼い主が出かけるやいなや、ペットの犬が自分の好みであるメタルを爆音で流してヘドバンしまくっていたり。

 

予告編にはベースメント・ジャックスの「ドゥ・ユア・シング」が使われてるし、本編では冒頭からテイラー・スウィフト「ウェルカム・トゥ・ニューヨーク」が流れ、犬たちが散歩するシーンでは「ステイン・アライブ」、孤独な猛禽類が友達を求めるシーンでクイーンの「マイ・ベスト・フレンド」が流れるなど、シーンに応じた適材適所な選曲が光ってる。

 

特に終盤近く、犬とウサギが仲間を救うためバスを運転してブルックリン橋を爆走するシーンで流れるビースティ・ボーイズの「ノー・スリープ・ティル・ブルックリン」のハマりっぷり。

 

そしてエンディングでそれぞれの家路に帰っていくペットたちの姿をバックに流れるのが、先日惜しくも亡くなったビル・ウィザースの「ラブリー・デイ」。大冒険の余韻を感じつつ日常に戻っていく感じにものすごくマッチしていて、何度みても幸せな気持ちになれる。

 

『レゴ®ムービー2』(2019年)

レゴでできたキャラクターがCGアニメで大活躍する『レゴ®ムービー』の続編。

2014年の前作は、その手があったか!という衝撃のメタ展開と、その展開が生み出すラストで、たくさんの大人たちを感動させた知る人ぞ知る作品になった。

特に、かつてレゴさえあれば一人で何時間でも遊べた子供であり、かつ乱暴な弟がいて、かつ現在子育て中っていうわたしのような人間にはですね、本当に本当にオススメ。

 

続編である今作は、前作の展開をさらに発展させたストーリーになってて、ギャグのキレも引き続き最高だし、こちらも映画としてまずふつうにオススメ。

それでいて、音楽好きの親にとってはさらに楽しめるようになってる。

 

予告編ではビースティ・ボーイズの「インターギャラクティック」が流れるし、途中でワイルドな仲間キャラが合流するシーンではモトリー・クルー「キックスタートマイ・ハート」が流れるし、まあご機嫌。

 

そしてなんといっても、エンドロールで流れるのが、ベックがこの映画のために書き下ろした新曲。クールなトラックにナンセンスな言葉遊びの歌詞。

この映画むけってことで肩の力が抜けて風通しのいい佳曲が生まれたのかなって感じ。

 

『スポンジ・ボブ/スクエアパンツ ザ・ムービー』(2004年)

スポンジボブ」といえば、キャラクターはかわいいけど内容はかなりブラックでグロいギャグアニメ。

2004年にはじめての劇場版が製作されたんだけど、エンドロールで突然に米国オルタナティブシーンの大物の楽曲が立て続けに流れてびっくりする。

ウィーン「オーシャン・マン」

フレーミング・リップスSpongebob And Patrick Confront The Psychic Wall Of Energy」

ウィルコ「ジャスト・ア・キッド」

 

特にフレーミング・リップスの曲は、タイトルもそうだけど歌詞も映画のストーリーに即して、登場人物のスポンジボブとパトリックに語りかけるような内容。

「ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ」のあの感じにも通じる、フレーミング・リップスらしい曲になっている。

 

あと、トゥイステッド・シスターの「アイ・ウォナ・ロック」の替え唄を歌ってギターを弾きまくるシーンもあって、かつてメタル少年少女だった親の血が騒ぎます。

 

しかし今回紹介してる他の映画でもそうだけど、21世紀のアメリカ映画において、80年代のハードロック/ヘヴィメタルは特別な記号になってる。

特にキッズ映画に欠かせない、無軌道で暴力的で騒々しいノリが、80年代のハードロック/ヘヴィメタルとの親和性が抜群ってことなんだろう。

 

その手の記号的シーンを観すぎたせいで、うちの子たちにとってギターは最終的に破壊するものってことになってる。

 

バンブルビー』(2019年)

2007年に第一作目が公開されたトランスフォーマーシリーズのスピンオフ。

トランスフォーマーといえばもともと日本生まれの変形ロボット玩具なんだけど、ハリウッドが細密なCGで映画化したもので、人気シリーズ化した。

 

車や飛行機に変形するロボット生命体が大戦争を繰り広げるハードな本編に対し、スピンオフとなる今作は、1987年のアメリカの18歳の少女を主人公に据えた成長譚になっている。

 

今作では、敵にやられて音声が出なくなったバンブルビーは、カーラジオやカセットテープの歌の歌詞で会話することを覚える。主人公はスミスをはじめとするニューウェーブ周辺のロックを愛聴しており、劇中で流れまくる。

スミス「ビックマウス・ストライクス・アゲイン」

スミス「ガールフレンド・イン・ア・コーマ」

デュラン・デュラン「セイブ・ア・プレイヤー」

ティアーズ・フォー・フィアーズ 「ルール・ザ・ワールド」

シンプル・マインズ「ドント・ユー」

ボン・ジョヴィ「夜明けのランナウェイ」

この数シーン後にロボット同士の壮絶な潰しあいが出てくるとは思えない、甘酸っぱいボーイ・ミーツ・ガール場面。

 

世界的にカセットテープに注目が集まっていた2010年代後半、映画の中でもカセットテープやウォークマンが効果的に使われるトレンドがあった。

ベイビー・ドライバー』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』なんかが代表的。

まあこの2作は内容的にキッズも大丈夫とは言いがたいので、今回の記事では扱いませんが。

 

まとめ

こうしてみると、ここ数年のハリウッドのファミリー向け映画にはある勝ちパターンというかセオリーがあるっぽいのが見えてくる。

すなわち、親世代が反応する80〜90年代の曲を効果的に使い、子供の心はハードロック/ヘヴィメタルを使った破壊的なバトルとかカーチェイスシーンでガッチリつかみ、親は親目線で観ることができてちゃんと感動できるように脚本が練られていること。

これやられちゃうと、うちみたいな家族はテキメンにもってかれるね。

 

おかげで親子で同じ映画と音楽に夢中になれて、円満に巣ごもり生活を過ごせてます。

今回挙げた作品はほぼ常に大手動画配信サイトで観ることができるので、みなさまのご家庭でもぜひ。

この映画も!っていう情報提供もお待ちしてます。

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50年前の日本はヤバかった。サブスクで聴けるGS(グループサウンズ)まとめ【必聴プレイリストあり】

日々のお籠もりお疲れ様です。

こんなときは家にあるレコードとかCDを久々に棚からひとつかみしたくなりがち。

そして必然的に自分の音楽遍歴を見つめ直すことになりがち。

 

自分の場合、ここ最近ずっとGS(グループサウンズ)ばかり聴いていました。

GSっていうのは、1960年代後半から3年ぐらい続いた空前のバンドブームのこと。

1964年のビートルズの日本デビューに触発され、雨後のたけのこのようにたくさんのロックバンドが日本全国に誕生したのである。その多くは各地のジャズ喫茶や米軍基地でステージをこなしていた。

その中からレコードデビューしたバンドだけで100を超えるという。

 

それだけたくさんいたので玉石混交なのは仕方がない。

音楽にうるさい横須賀の米兵をうならせた叩き上げの実力派から、ブームに便乗したい芸能事務所がでっち上げた即席バンドまで実にバラバラ。

また、リスナー層がおもに10代の少女だったため、過度にメルヘンチックな歌詞世界だったり、ほとんどムード歌謡になってるような音楽性だったり、衣装も王子様みたいな感じだったりで、音楽好きを自称する男性や世間の大人たちからは十把一絡げにバカにされていた。

このあたり、ヴィジュアル系ととてもよく似ていると思う。

 

短命に終わったGSブームだったが、メンバーが自作した曲を自演するというビートルズ形式が日本に定着したのはGSがきっかけだったし、作家が提供した楽曲についてもそれまでの芸能界のしきたりだった専属作家の作品ではなくフリーの才能がたくさん登用されたことで、筒美京平阿久悠すぎやまこういち村井邦彦といったのちの大作家が世に出るきっかけにもなったし、ブーム終焉後も歌手や俳優やミュージシャンや作家としてたくさんの人物を輩出したりもした。

ざっと挙げるだけで、沢田研二萩原健一岸部一徳岸部シロー堺正章、井上順、ムッシュかまやつミッキー吉野、ルイズルイス加部、鈴木ヒロミツ山口冨士夫大野克夫井上堯之馬飼野康二寺尾聰、安岡力也、加瀬邦彦アイ高野井上大輔クニ河内柳ジョージ…。

 

またリアルタイムではあまり音楽的に評価されていなかったGSだが、のちに多くのミュージシャンがGSからの影響を公言したりGSの曲をカバーしたりしていく。ユーミンがGSの追っかけをするために八王子から都心に通い詰めていたことは有名だし、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド近田春夫クレイジーケンバンドなどなど、愛にあふれるGSのカバーをやる人は常に存在してきた。

特に1990年前後には「ネオGS」のシーンが盛り上がり、それまで一部のマニアの間でしか知られていなかった曲が「カルトGS」としてCD化されたりした。

自分なんかはネオGS以降のリスナーなので、カルトGSシリーズや海外の怪しげなコンピや和モノDJのミックステープでいろんな曲を知っていったクチ。一時期はかなりGSや和モノシーンに夢中になっていたもんだった。90年代末あたり。

 

それからも定期的にGSが聴きたくなる時期は巡ってきたし、レコード屋に行けばとりあえずGSの7インチを探してみることは習慣になってるんだけど、この数週間はかなり大規模なマイGSブームが到来したんですよ。

やっぱりなんだかんだ世情が不安定だしリモート勤務で息が詰まるしで、無条件に元気になる音楽を身体が求めてるんだと思う。

 

せっかくなので、この軽薄でがむしゃらで夢見がちで熱いGSのパワーをおすそ分けしたく、AppleMusicとSpotifyの2大サブスクでプレイリストを作ってみました。 

GSに関してはいろんな人がいろんな切り口でこれまでもコンピを編集してきたわけだが、今回は自分なりに3つの切り口でまとめてみた。

 (Spotifyには存在しない楽曲がいくつかあったので、両方聴ける人にはAppleMusic版を推奨します)

 

プレイリスト1:Beat of Group Sounds

まずはここから聴いてください。 

ジャンルで言うとガレージとかサイケとかブリティッシュビートとかR&Bあたりの、海外のマニアにも人気が高い楽曲たち。

とにかくもう昭和の若さが爆発してる。「若さ」っていうのは彼ら自身の年齢の若さもそうだし、日本におけるロックバンドという形態そのものがフレッシュでベンチャーで手つかずのジャングルって意味での若さもそう。

英米のカッコイイロックを、どうやって日本向けにローカライズするかという、創意工夫が最高。

日本語ラップ黎明期のK.U.F.U.精神が大好きな人にはわかってもらえるはず。

 

プレイリスト2:Cover of Group Sounds

次はGSバンドによるカバー曲を集めたこのプレイリスト。

今みたいに楽器の奏法が手軽に学べるわけでもなく、エフェクターすらほとんどない状態で、レコードで聴いた海外のサウンドにみんながみようみまねで挑戦してる感じね。

GSはそこがもう最高に愛しい。

あとは日本語カバー率が高いのもうれしい。

自分がゴーゴーガールになったつもりで部屋で踊りまくりましょう。

 

プレイリスト3:Dream of Group Sounds

最後にこれ。

GSが女子供のものだと見下される要因となったメルヘンチックな歌謡曲路線の曲。

メンバー本人も、作家からこういう曲を提供されて渋々演奏していたりもする。レコードにはしたけどライブでは一切演奏しなかったりとか。

だけど、GS愛が深まっていくと、この路線もふつうに愛せるようになるんだよな。

サブカルな楽曲派を気取ってアイドルを聴き始めたものの、いつの間にか現場でヲタ芸を打ちやすい曲も好きになっちゃう、あの感じに似てる。

自分が女子高生になったつもりでうっとりしまくりましょう。

  

サブスクで聴ける代表的なグループ

少ないとは、いえすでにサブスク化されているグループもいくつか存在する。

当時アルバムをリリースするところまでいった人気グループが10ちょっといたんだけど、そのうちの半分ぐらいはサブスク化されてるってことになります。

 

ゴールデンカップス

メンバー全員ハーフだというふれこみでデビューした、横浜の不良バンド。

とにかく演奏がキレまくってる(特にベース)のと、カバーのセンスが秀逸。

それでいて作家に提供された歌謡曲シングルも悪くないという、音楽好きにとっては最強のGSバンド。

全アルバムがサブスクで聴ける。ほんとにいい時代になったと思う。

 

テンプターズ

ショーケンこと萩原健一がボーカルをつとめる人気バンド。

謡曲的メロディとロックなビートが同居する佳曲が多い。

それでいてメンフィス録音のラストアルバムはGSというよりソフトロックやソウルとして素敵なやつだったりする。

 

カーナビーツ

ギターがとにかくファズを多用するため、海外のマニアから人気が高い。

ドラム&ボーカルのアイ高野が甘い歌声で歌うスタイルは後のCCBにも影響を与えているかも。

 

モップス

アメリカ西海岸のサイケデリック文化を本格的に日本に輸入したバンド。

鈴木ヒロミツのワイルドな魅力とサイケな曲調がマッチしている。

海外のマニアからの評価が高い。

GSブーム終焉後もロックバンドとして活躍し続けた。

 

オックス

GSの少女趣味な面を象徴するようなグループ。

キーボードの赤松愛の失神パフォーマンスが有名で、教育界やPTAの目の敵にされていた。


謎の海外コンピ

90年代にヨーロッパでリリースされた謎のコンピが何種類か存在している。

権利関係がどうなってるのか本当に謎なんだが、なんとちゃっかりサブスク化もされていた。

スパイダースの「なればいい」が「Nati Bati Yi」と表記されていたり、モップスの「ベラよ急げ」が「Haiku」と表記されていたり。

アナログのみで流通していた時代にはバレてなかっただけかもしれないので、もしかしたらそのうち聴けなくなるかもしれない。

 

サブスク化されていない有名グループ

今回のプレイリストはサブスク化されてる楽曲のみで選曲しているので、GSの本当の実力の半分ぐらいしか発揮できていないということはご理解いただきたい。

有名どころでいうと、沢田研二岸部一徳がいたタイガースと、堺正章や井上順やムッシュかまやつ井上堯之大野克夫がいたスパイダースという、GSを代表するグループが公式にはサブスク化されていない(謎の海外コンピに一部の曲が収録されているのでそこから選びましたが)。

タイガースはGSのクラシカルでメルヘンチックな面を代表する曲がたくさんあるし、スパイダースにはブリティッシュなビートが効いたムッシュ作のかっこいい曲がたくさんある(ぜひ「恋のドクター」とか「メラメラ」とかを探し出して聴いてください)。

また、ネオGS以降に再評価されたダイナマイツも超重要。今回は海外コンピから「トンネル天国」を選曲したけど、「恋はもうたくさん」「のぼせちゃいけない」「恋は?」など他にもかっこいい曲はたくさんある。

 

そして、何よりも重要なのが、シングル数枚しかリリースしていないたくさんのグループたち。90年代のカルトGS再評価の流れで注目されたかっこいい曲がたくさんあるのです。

ムッシュショーケンやジュリーやマチャアキといった、個の力が強い人の楽曲よりも、むしろブームとともに消えていったグループの楽曲のほうが、GSというジャンルを理解する上では重要だと思う。

「クライ・クライ・クライ」のエドワーズや、「赤毛のメリー」のガリバーズ、他にもムスタング、ボルテージ、クーガーズ、ヤンガーズ、と、挙げればキリがないんだけど。

ビクターやテイチクやフィリップスの人たち、ぜひこのあたりもサブスク化お願いします。

 

 

音楽を聴くメディアの変化にともなって栄枯盛衰はつきものだけど、アナログからCDの時代の変化に際しては、むしろGSの再評価が進んだ。アナログでは入手困難な音源がCD化されたおかげで聴けるようになったから。

しかし、このままだとCDからサブスクという変化のタイミングで、日本のカルチャー史からGSが忘れ去られてしまいかねないよね。

 

こんなにも軽薄でがむしゃらで夢見がちで熱い国産のロックが50年前に存在したってことは、語り継いでいかないともったいない。

 

youtu.be

バンドブーム期って案外ラテンでアフリカンでトロピカルだったよ【プレイリストあり】

かつて空前のバンドブームがあった

1980年代後半の日本は空前のバンドブームだった。

1989年から放送を開始した「イカ天」こと「三宅裕司いかすバンド天国」(TBS)にはたくさんのアマチュアバンドが出演し、勝ち抜いたバンドが次々にメジャーデビューしていった。

もともと80年代前半にパンクやニューウェーブといったジャンルを中心にインディーズシーンが盛り上がっており、それが全国レベル&お茶の間レベルに広がっていったもので、人数が多い団塊ジュニア世代が10代だったタイミングということもあり、とにかくロックバンドなら誰でもデビューできたといわれるような時代だった。

 

イカ天以前のブーム初期を代表するバンドといえば、なんといってもザ・ブルーハーツとボウイであろう。この2バンドはその後のシーンに多大な影響を与えた。

他にも、ジュン・スカイ・ウォーカーズプリンセスプリンセスユニコーンザ・ブームレピッシュBUCK-TICK筋肉少女帯といったバンドが続々と登場してきたのがこの時代。

 

上記に挙げた面々は、ブームに便乗したというよりはたまたまデビューがその時期だったというぐらいで、音楽性に特に共通点はない。

だが、前の時代のインディーズブームの流れをくんでいる部分があるせいか、全体的にこの時期にはパンク・ロックやいわゆるビートロックのバンドが多かったのも確か。

特にブームに便乗するようなかたちで出てきた後続のバンドたちにはその特徴が顕著だった。

 

なので、バンドブームときいて頭に浮かぶ音像っていうとだいたいそんな感じだと思う。

 

案外ラテンでアフロでトロピカルだった面

しかし、バンドブーム期にはそれとはちょっと違う潮流もあった。

タテノリのパンク一辺倒ではなく、ラテンでアフリカンでトロピカルな曲が案外多いんだよね。

リアルタイムの頃にもぼんやり感じていたんだけど、大人になってからあらためて聴き直してみてその傾向がはっきり見えてきた。

 

ということで今回は、ギター、ベース、ドラム、キーボードっていう基本的なロックバンドの編成でそういったリズムに取り組んでいる曲たちを集めてみたらおもしろいんじゃないかって思って、プレイリストを作ってみました。

 

AppleMusicはこちら。 

 

続いてSpotify

Spotifyにはスカンクとニューエストモデルが入ってなかったので2曲少ない。

 

スカパラの数ある曲のなかから1stの「ドキドキTIME」を選んでること、レピッシュからは「BANANA TRIP」、米米は「なんですかこれは」を選んでることから、このプレイリストが伝えたい何かしらを感じ取っていただけるんじゃないかと思ってるんだけど。

 

何かしらを感じ取れなかった人むけの解説

何かしらを感じ取れてしまった40代後半ぐらいの方々にはもう何も言うことがないのでさっそくプレイリストをお聴きください。

 

何かしらを感じ取れなかった若手の方々むけに以下すこし解説。

なぜバンドブーム期にこの手の音がちょっと流行ったのか。

 

まずバンドブーム期のバンドの中で、「スカ」がちょっと流行ったというのがある。

80年代のイギリスで、スペシャルズやマッドネスといったバンドに代表されるいわゆる2トーン・スカが流行った。もともとザ・クラッシュをはじめとするイギリスのパンクバンドがレゲエに傾倒していたりするし、パンクバンドがスカをやることはわりと自然な流れだった。

日本ではルースターズとかボウイがかっこよくスカを取り入れてたこともあり、その後のバンドブーム期にスカっぽいリズムの曲をやっていたバンドはけっこう多い。

このプレイリストでいうとカステラとかザ・ブームとかスカンクあたり。

 

なおスカパラはイギリス経由の2トーンというよりは本場ジャマイカから直輸入したスカなので、それらとは毛色が違う。今回のプレイリストには、スカっていうよりもカリプソみたいな曲を選んでみた。

 

 

80年代イギリスからの影響でいうと、ファンカラティーナっていうちょっとしたブームの影響もあると思う。

パンクよりはもう少しダンスミュージック寄りでアダルトな感じで、ラテン要素を取り入れた音が「ファンカラティーナ」と呼ばれて少しだけ流行ったのである。

このプレイリストでいうと米米CLUBにはファンカラティーナの要素を感じる。

 

あと80年代にはアフリカのポップ音楽が世界的に注目された。

キング・サニー・アデやサリフ・ケイタユッスー・ンドゥールといったアフリカ人のミュージシャンのサウンドが、英米のリスナーの耳を驚かせる。

もちろん、その驚きは日本にも伝染した。

 

 

これらのトレンドから、80年代の日本のロックバンドがタテノリ一辺倒じゃないリズムに触れたり、トランペットやパーカッションをアレンジに取り込むことについて、ハードルがだいぶ下がったりとかノウハウが蓄積されたりしていたんじゃないかと思われる。

 

エスニック

80年代後半の日本では、「エスニック」って言葉が流行語になった。

円高の影響で海外旅行に行く日本人が増え、特にそれまでなじみがなかった東南アジアなどの地域の料理が日本に紹介されたりして。

おそらくその延長線上で、音楽についても英米一辺倒じゃなく世界のいろんな国の音楽を楽しむようになった。

 

前述したような世界的なトレンドが、日本にも結構そのまま入ってきて、民族音楽的なアプローチが最先端でイケてるっていう雰囲気すらあった。

映画『AKIRA』ではバリ島のガムランやケチャが、『攻殻機動隊』ではブルガリアの複雑なコーラスが取り上げられたのもその文脈。

 

エスニック」の名のもとに、かなりいろんなものがひとくくりに南国っぽいものとして受け入れられたバブル期の日本。

そしてエスニックを味わう心は日本自身にも回帰してきて、沖縄民謡や河内音頭ワールドミュージックとして再発見されたりもした。

 

当時のそんな雰囲気を表現すべく、プレイリストに「エスニック」と名づけてみた次第。

 

ボ・ガンボスの未発表音源からバンド編成初期の河内家菊水丸、ラテン度合いがガチすぎるS-KENなど、われながら聴きどころ満載と自負してますが、この機会にみんなに知ってほしいのはなんといってもKUSU KUSU。

当時はアイドルバンドっぽく見えていたので自分も甘く見てしまっていたんだけど、高速ラテンでアフロビートでパンクっていう実は他に類を見ないめっちゃかっこいいことをやってた。若々しいのに完成度も高く、10年ぐらい前にたまたまアルバム聴いてぶっ飛んだのよね。

で調べてみたら、じゃがたらに影響を受けて音楽性がこうなったとかで、ついにはじゃがたらのメンバーがマネジメントしてたっていうのでカッコいいのも納得。

 

世界が一番幸せな日

世界が一番幸せな日

  • 発売日: 2011/04/06
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

J-POPが滅んでも演歌は生き残ると思う(演歌の定義・なりたち・未来)

2020年2月22日リリースの都はるみトリビュート・アルバム『都はるみを好きになった人』がとにかくすばらしい。

 

 

参加アーティストはUA畠山美由紀高橋洋子水谷千重子Chage一青窈怒髪天ミッツ・マングローブ大竹しのぶ、そして民謡クルセイダーズ feat.浜野謙太という、バラエティに富んでいつつ必然性を感じさせる面々。

特に民クル「アラ見てたのね」や畠山美由紀大阪しぐれ」や高橋洋子アンコ椿は恋の花」あたりは、原曲のコクを殺さずにそれでいてちゃんとフレッシュな解釈がされていて、すばらしかった。

 

あまりにすばらしかったので、都はるみの原曲の方もまとめて聴きこんでいたんだけど、そこでちょっといろいろ考えてしまったんだよね。

そもそも「演歌」ってなんだろうって。

 

都はるみはなぜ涙こらえてセーターを編むことになったのか

都はるみといえば、1964年にデビューし、紅白歌合戦に20年連続で出場、複数のミリオンヒットを飛ばし、1984年に突如引退(その後復帰)した、昭和を代表する歌手のひとり。

 

そんな都はるみの数々のヒット曲のなかでも、特に国民的ヒットといえる曲がいくつかあり、それをリリース順に並べてみると、こんな感じになる。

アンコ椿は恋の花」1964年

「涙の連絡船」1965年

「好きになった人」1968年

「北の宿から」1976年

大阪しぐれ」1980年

「浪花恋しぐれ」1983年

 

この5曲、ジャンルとしてはぜんぶいわゆる「演歌」だとくくってしまえるとは思うんだけど、あえてどこかで線を引くとすれば、「好きになった人」と「北の宿から」の間であろう。

曲調もそうだし、歌詞の世界観もそうなんだけど、やっぱここに断絶があると思う。

 

ざっくりいうと、「アンコ椿は恋の花」と「涙の連絡船」「好きになった人」は昼間の歌。陽のあたる場所の歌。「北の宿から」「大阪しぐれ」「浪花恋しぐれ」は夜の歌。日陰の歌。

どちらにも通じるのは「健気な女心」なんだけど、健気さのあり方が違うっていうか。

「たとえ別れて暮らしてもお嫁なんかにゃ行かないわ」と「着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでます」はやっぱり全然違うと思う。

 

では「好きになった人」の1968年と「北の宿から」の1976年の間に世の中でなにがあったかというと、大阪万博が終わって高度成長期が一息つき、公害病が問題になったり、ベトナム戦争が泥沼化したり、三島由紀夫切腹したり、新左翼あさま山荘事件よど号ハイジャック事件みたいなことをいろいろやらかしたりとまあいろいろと負の側面が出てきたような時代だった。

そんなこんなを経験して、日本社会がすっかりスレてしまったのがその8年間だったのではないかと。

戦後日本を擬人化すると、寝る間も惜しんで受験勉強していたまっすぐな高校生が、大学でもまれてひねくれてしまったみたいな変化。

 

都はるみの音楽性の変化にも、その社会の空気の変化が出ちゃってるような気がするんだよね。

昼間の歌、陽のあたる場所の歌をのんきに歌ってても刺さらない感じになってきたので、暗い情念みたいなものをインストールすることで、スレた社会に適応しようとしたようにみえる。

 

その結果、都はるみは「北の宿から」で見事に10年ぶりのミリオンセラーをたたきだしたのだった。

 

しかしよく考えてみると、この変化は単に都はるみひとりの変化ではなく、演歌そのものの変化でもあったんじゃないかって気がしてきた。

もっというと、演歌というジャンルの立ち位置というか守備範囲が移り変わったということかもしれない。

 

演歌のなりたち

そもそも、演歌ってどう定義できるのか。いつ生まれたものなのか。

 

「演歌は日本の伝統」だなんて気軽に言うひとがいるけど、実はいわゆる「演歌」っていうジャンルが明確にできたのって1970年頃のこと。

つまり、ジャズやロックやR&Bなんかのほうがよっぽど古くから日本に存在していたのである。

 

そのあたりの流れについては、『創られた「日本の心」神話  「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』という本(名著!)に詳しく書いてあるので興味があるひとはぜひ。 

 

この本によると、「演歌」っていう言葉自体は明治時代から存在してはいたけど、今とは意味がぜんぜん違っていたそうな。

そして、美空ひばり都はるみといった、代表的な「演歌歌手」と呼ばれるひとたちも最初は単に「流行歌手」なんて呼ばれていたという。

 

60年代までは「演歌」っていうジャンルは存在しておらず、日本の大衆が好むポピュラーな歌として流行歌とか歌謡曲とか呼ばれていた。

つまり1964年の「アンコ椿は恋の花」は演歌としてリリースされたわけじゃなかった。1970年頃に「演歌」というものがジャンルとして成立した際に、そのジャンルの代表的な歌手のひとりである都はるみの過去のヒット曲がさかのぼって演歌とカテゴライズされたというのが正しい。

 

では1970年頃に演歌というジャンルがなぜ成立したのか。

いろいろあるけど大きいのは音楽業界の構造の変化だという。

 

60年代前半までの日本のヒット曲は、基本的にすべてレコード会社専属の作詞家と作曲家が手がけていたんだけど、60年代後半からのグループサウンズフォークソングの流行により、フリーの作家やシンガーソングライターが一般的になってくる。

阿久悠筒美京平、都倉俊一、なかにし礼松本隆村井邦彦といったフリーの作家たちが、新しい世代として登場してきたのがこの時代。

 

そういった新世代の作家が新しいい歌を次々に送り出していく一方、レコード会社専属の作家たちが作っていた歌はひとまとめに古臭いものに感じられていく。

専属作家の楽曲といっても、実態としてはジャズや民謡やハワイアンや声楽、それ以外にも雑多なバックボーンをもっており、ひとまとめにするにはだいぶ幅広すぎると思うんだけど、実際にひとまとめにされ、「演歌」というラベルを貼られることになった。

 

演歌の変容

1960年代後半からジャンルとして成立していく時期の、オーセンティックな演歌のイメージを代表する存在としては、北島三郎藤圭子が挙げられるだろう。

この2人に共通しているのが、北海道から上京して「流し」をやっていたということ。

北島三郎は渋谷を拠点に、藤圭子は浅草や錦糸町を拠点にしていたという。

 

流しというのは、ギターを抱えて酒場をめぐり、酔客のリクエストにこたえて歌を歌う仕事。

そこで身につけた地べたの美学とか匂い、そして酔客がリクエストしてくる曲のラインナップが、演歌というジャンルのコアにあるんじゃないかとにらんでいるんだよね。

場末の流しというフィルターを通すことで、民謡調もムード歌謡もロカビリーもお座敷唄も軍歌も、みんな演歌になったのではないかと。

 

「歌謡曲」や「流行歌」 と呼ばれて、日本の大衆音楽のど真ん中にいた歌(written by 専属作家)が、ど真ん中の地位を脅かされ、「じゃないほう」をカテゴライズする言葉として「演歌」と呼ばれるようになったその過程で、地方から上京して酒場で流しをやっていた2人の歌手が下積み時代に見てきた世界が濃厚に取り込まれたんじゃないかって思ってる。

 

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演歌マンガの名作『俺節』でもギター一本で流しをやる下積み時代が描かれている

 

さらに時代が下って1990年代になると、日本の大衆音楽のど真ん中にJ-POPがやってくる。

 

そのタイミングでも、それまでは演歌とは違うものだったはずのいくつかの音楽ジャンルや作家たちが「じゃないほう」として演歌側のカテゴリに取り込まれたりした。

具体的にいうと、フォーク/ニューミュージックと呼ばれていた人たちの一部(堀内孝雄とか)や、ハワイアンやラテン音楽のバンドを出自にもつようなムード歌謡の界隈(和田弘とマヒナスターズ内山田洋とクール・ファイブなど)のこと。

しかし、かつてはフォークもラテンも、演歌みたいな田舎臭い音楽じゃない、洋楽的で都会的な洗練された若者むけの音楽だったわけで、そう考えるとすごく興味深い取り込まれ方だよね。

 

まあとにかくこんな感じで演歌というジャンルは、自在にその定義を拡大させつつ、時代時代の「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」というニーズにこたえていく存在になった。

 

なので2020年までくると「演歌」というジャンルには、ものすごくいろんなものが含まれている。

 

2020年の演歌

2020年3月1日の朝日新聞土曜版の全面広告に、「いま何が演歌なのか」の正解があらわれていた。

 

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これ、『昭和の演歌 大全集』というタイトルのCD12枚組のボックスセット。

つまりこれぜんぶ演歌とカテゴライズされているのである。

 

時間がある方はぜひ画像を拡大して見ていただきたんだけど、ここまでお話ししてきたように、1960年代前半ぐらいまでの専属作家の楽曲がけっこう雑多に詰め込まれている。

 

ジャズの出自をもち都会的な「低音の魅力」が売りだったフランク永井の「有楽町で逢いましょう」も、ナイトクラブ出身のアイ・ジョージによるアメリカンポップスな「硝子のジョニー」も、スチールギターウクレレを擁するハワイアンバンドである和田弘とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」も、2020年には「演歌」になってしまった。

 

これも演歌…なのか…

 

やはり、「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」という人のための歌を総称して「演歌」と呼んでいるフシがあるな。

 

そしてこの広告の感じや選曲からして、ターゲットは70代後半以上(戦前戦中生まれ)だと思う。

 

ということはですよ、あと5年もしたら団塊の世代むけに演歌のボックスセットがリイシューされるはずで、そのボックスセットではまた新たな演歌のカテゴライズが見られるであろう。

そして、団塊の世代むけの演歌ボックスセットには、「時には母のない子のように」とか「悲しくてやりきれない」あたりが入っていても全然おかしくないと思う。

 

だったら2035年にリリースされる新人類むけの演歌ボックスセットには「乾杯」とか「冬の稲妻」が入るかもしれない…!

 

そして2045年にリリースされる団塊ジュニアむけの演歌ボックスセットには、「未来予想図」とか「Forever Love」が入ってきたりして…!

 

 

いやこれ半分まじめに言ってますよ。

だってさ、フランク永井アイ・ジョージやマヒナスターズも50年たつと演歌にされちゃうんだよ。

それに、われわれも70代とかになったら、「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」ってなるもん絶対に。

そうなったらもう演歌の手のうちに落ちてるも同然。

 

演歌って、昔からそこにいますよみたいなシレッとした顔をしてるくせに、実はロックとかよりも新しいジャンルだし、ここまでみてきたように定義も時代によって変わっていってて、なんだかんだ滅びずにしぶとく生き残っている。

 

 

たとえ未来のある時期にJ-POPが滅んだとしても、演歌は生き残ってるんじゃないだろうか。

「演歌は日本の心」だというけれど、その白々しさやプリンシプルのなさゆえの強さはたしかに日本っぽいかもしれない。

「誰も傷つけない笑い」は偉いのか

2019年のM-1グランプリにおいて、優勝こそ逃したものの、もっとも世間の話題になったコンビ、ぺこぱ。

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普通の漫才であれば、ボケがおかしなことを言ったのに対して、ツッコミが訂正や叱責や暴力やときにはドン引きするといった否定的なリアクションをとることで笑いを生んでいくところ、ぺこぱはどんな素っ頓狂なボケに対してもすべて受け入れていくという、他にはないスタイルを打ち出した。


そんな彼らを評価する際によく言われるフレーズが、「誰も傷つけない笑い」というやつ。

誰も傷つけない笑いだからいいよね、と。

 

誰も傷つけない笑い…。

ちょっと前このフレーズを初めて聞いたときに感じた、よくわからない違和感。

そのままにしておくのが気持ち悪かったので、ちょっと考えてみました。

 

 

なにが笑えてなにが笑えないのか

「笑いとは『緊張の緩和』である」と定義してみせたのは桂枝雀
人一倍の常識人じゃないとギャグ漫画家にはなれないという話もよく耳にする。
本来あるべき姿に対してズレとか逸脱が生じると、その状態がおかしくて笑っちゃうということだろう。

 

そのズレや逸脱は、常識に対しての距離によって生まれるものであり、またあまりにも離れすぎると笑えなくなってしまう。

常識が時代によって移り変わるものである以上、どのあたりが笑えるポイントかっていう位置も移り変わる。 

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たとえば、身体が不自由な人の動きをおもしろがるっていう感性は、現代人にはさすがにないでしょう。でも高齢者の世代には、物乞いや障害がある人を笑い者にすることが特におかしなことだと感じていない人がまだちょいちょい存在する。

 

で、ほとんどの場合、そういった常識や笑えるポイントというものはいつの間にか変わっていく。誰かしら権威ある人が「今後これは笑えない」と決めるわけでも、芸人や番組制作者が「今後これはネタにしない」とか宣言するわけでもない。またもし仮に誰かがそう言いだしたとしても、世間がそれに従うわけでもないだろう。

 

ブスは笑えるのか

常識や笑えるポイントっていうのは、基本的にはいつの間にか変わっていくもので、後々「そういえばもうこれは笑えないな」って気づくんだと思う。


それでいうと、「ブス」はもう笑えない感じになってきている昨今の空気も、実は6年前に先駆けとなるような事案が発生していた。

 

2014年8月24日、日比谷公会堂

TBSラジオの「東京ポッド許可局」という番組のイベントに、久保ミツロウ能町みね子のご両人がゲストで登場したときのことだった。

ご存じない方に説明すると、東京ポッド許可局というのは、マキタスポーツプチ鹿島サンキュータツオという3人の文系お笑い芸人によるラジオ番組。「屁理屈をエンタテインメントに」を合言葉に、M-1グランプリやBLやプロレスや辞書や汁やビートたけし水曜スペシャルや加齢など、ありとあらゆることを語りつくし、コアな支持を集めている。


その許可局の3人が、久保ミツロウ能町みね子の両人を相手に、お笑いの世界の基本のコードに則って女性の容姿をいじりはじめたそのとき。


「ブスとかそういうので笑いをとろうなんていうのはもう古い」といった文意のことを、久保さんがズバッと言ってのけた。

 

許可局の3人にしても、いきなり失礼なことを言ったわけではなく、ちゃんと距離を詰めて打ち解けて、それまでの芸人としての経験から判断してゴーサインを出したはず。

その場にいた人間として、それまでの常識に照らして特に許されない言葉だったとは感じなかった。

2014年8月の時点では、自分も含めほとんどの人がブスいじりがアリという常識の側にいたんだと思う。

なので、久保発言は正直唐突に感じた。


しかし、その後の世の中は移り変わっていき、2019年のM-1グランプリ決勝では、見取り図がネタ中に放った、相手の容姿に対する「なでしこJAPANのボランチ」というツッコミが大スベリする状況があった。

日比谷公会堂久保ミツロウ発言からは5年たったけど、遅かれ早かれこうなるってことをいち早く予見していたんだと思っている。

 

ブスは笑えるのか2

GAGジーエージー)というトリオが「キングオブコント2019」で披露したネタは、ブスを笑うことについてのネタだった。

 


GAGコント「芸人の彼女」

 

中途半端なルックスの女性芸人はそのままだと何もおいしくないのでブスということにしてキャラ付けをしなければいけないという生存戦略を、その女性芸人と付き合っている男を登場させることで客観的に見せてる。

 

「わたしはブスでいくの」「わたしのブスを認めて」
「…お笑いって、異常な世界やな」

 

このことがネタになるということは、つまりそういう生存戦略でやっきた女性芸人が実在するということと、そういう生存戦略がもはや時代とズレてきていることの両方を意味していると思う。
このネタはブスを笑っているのはなく、ブスを笑っていることを笑っている。

 

個人的には、ぺこぱやミルクボーイよりもGAGのこのネタにこそ時代が象徴されてると思ってるんだけど、なぜか言及する人が少なすぎる。


M-1からの一連のあれこれがあった2020年の今、あらためてみんなにこれ観てほしい。

 

息苦しくなったのか

世の中の雰囲気が「誰も傷つけない笑い」をよしとする方向に流れている一方で、反動としていろんな声が出てきてもいる2020年。

いわく「最近のお笑いはコンプラを気にしすぎて息苦しい」「昔はもっと無茶なことができたし、そっちのほうがおもしろかった」「いまどきのお笑い芸人は芸人のくせに優等生ぶってる」などなど。

 

確かに、過度にクレームを気にしすぎて萎縮してしまうと、お笑いなんてできない。

笑いのためであれば、ある程度は食べ物を粗末にしたり、汚い言葉遣いをしたり、犯罪を匂わせても何も問題ないと自分も思っている。

 

ただ、それが本当に笑えるのであれば、だ。

笑えなければ、逸脱はただの逸脱。

笑わせるという目的のために、手段として逸脱をやるっていう話であって。

80年代は笑えた逸脱も、今では笑えないのであれば、それをやらないのはコンプラ違反だからじゃなくて単純におもしろくないから。

 

なので、時代によって常識や笑えるポイントが変わったことを考慮に入れず、単に昔はできたことが今はできないみたいな話をしてもあまり意味がないと思います。

なんでもかんでもコンプラのせいにして嘆いてるだけでは芸がない。

 

たとえば昔の芸人はお客よりもバカだったり劣った人間だと思わせる必要があったんだけど、今はその必要はなく、高学歴でイケメンで芸人やったりしてもふつうのことになってる。
何が笑えるかは世間の空気とともに変わり続けているし、また芸人側は自分たちの食い扶持のために何が笑えるかを日々拡張させてっている。

変わり続ける世間に対して同じ場所に立ち止まり続けていると、地殻変動で山が海の底になるみたいに、息苦しくなる事態もありえるだろう。

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でも安易に息苦しいって言いがちなおっさんたちだって、ここまでは笑えるけどこの先は笑えないっていう価値観は持ってるでしょ。

で、その価値観でさえ、それより前の時代に比べると十分に「息苦しい」もの。

コンプラが息苦しい息苦しいって言いながら、物乞いや障害者を笑い者にするセンスはさすがに持ってないでしょう。前時代の価値観からするとそんなあなたの笑いのセンスも十分に「鼻持ちならないリベラル」だったりする。

明治時代の一般的な芸人を2020年に連れてきたらきっと「乞食を笑っちゃいけないなんて、息苦しい時代になったもんだ」って思うだろう。

 

変わらないことが美学の世界

漫才やコントといったジャンルのお笑いにおいては、変わり続ける世間に対応してみずからも変わり続けることで、笑いを提供し続けることができる。

しかし、そう簡単にいかない世界がある。


それは落語の世界。

 

落語といえば江戸時代や明治時代のおもしろい話を語るもの。
新作落語では舞台は現代でもいいし未来でもいいし自由なんだけど、それでも着物を着て座布団に座って演じるというところは古典落語と共通したスタイルであり、やはりどうしても落語である以上は江戸や明治の空気とは無縁ではいられない。

基本的人権も民主主義もジェンダー平等もない時代につくられた笑い話を現代の観客を相手に演じて、ちゃんと笑いをとらないといけない。

 

これまで見てきたように、何が笑えるかという範囲は時代とともに大きく動き続けているわけだけど、落語である以上はこれ以上は動かせないという領域は守らないともはや落語じゃなくなってしまう。

落語家たちの苦労は並大抵ではないと思う。

 

そんな情勢で放たれた立川志らくのこのツイート。

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前述したような、コンプラ息苦しいおじさんの典型的な嘆きに見える。

ただそう簡単に片付けられないのは、落語家のつぶやきだっていうこと。

しかも、落語とは何かを生涯考え続けた立川談志の意思を継ぐ人ですよ。
そんな談志が晩年たどり着いた「落語とは江戸の風が吹く中で演じる一人芸」という定義は、志らくにとっては聖書やコーランみたいなものなはず。

 

なるほど江戸の風とコンプライアンスは相性が悪そうに見える。
とすると、もはや落語は時代に取り残されて江戸の風とともに消え去っていくしかないのか。

 

滅びたネタと生き残ったネタ

実は落語もその時代の常識や笑いのポイントとズレたものは演じられなくなるし、何ならストーリーを改変したりもよくある。

 

「代書」という、戦前の上方でうまれたネタがありまして。

当時は識字率が低く、長屋の住人は自分で履歴書を書けなかったので、代書屋に頼んで書いてもらっていたという。代書屋と長屋の住人のやり取りが爆笑を生む、個人的にも大好きなネタ。三代目桂春団治桂枝雀が得意とした。


桂春団冶『代書屋』

 

実はこのネタ、もとは済州島出身の朝鮮人が日本語を書けなくて代書屋に来たというくだりがあった。

現在はそこをカットして演じる人がほとんどなんだけど、戦後のお客の価値観ではもうそこは笑えないからカットして当然だろう。

逆に、識字率がほぼ100%の現代においては、読み書きができない登場人物を笑っても誰にも差し障りがないから、このネタ自体は生き残った。

 

寄席で目の前のお客を相手にしてる落語家にとっては、まだこのネタが通用するかどうか鮮度チェックを毎日やっているようなもんで。使えなくなったネタは廃れていくし、不要な部分はカットされていく。

たまたま古典落語として残っているものは、もともと現在の価値観とそんなにズレていないか、ズレをうまく補正できているかのどちらか。その影で、数え切れないほどのネタが滅びていってる。

上方落語ではじめて人間国宝になった桂米朝は、時代とともに廃れていったネタを純粋な学問的興味から発掘する人だった。発掘したものをたまに高座にかけたりしていたんだけど、やはり現代の価値観では笑えないものばかりだった。誰もやらなくなって廃れたのは必然って感じ。

 

結局、変わらないことが美学になっている落語の世界であっても、笑える笑えないを見極めつつ、落語らしさの範囲内でいろいろと柔軟にやってるということでしょう。

変わり続けているからこそ、能や狂言とは違って、古典芸能だけどちゃんと現代人の感覚で笑えるものとして存在し続けられているわけで。

 

誰も傷つけない笑いが偉いんじゃなく、笑えるから偉い。笑えるようにするためだったら、優しくもなる。さすがに笑えないでしょっていう範囲が変わったらそこから出ていく。逆に今までいた場所がヌルくなってきたらもう少しエッジを立てる。

 

時代が変わればその時代に寄せる。という単純なことだと思う。

笑いという目的を果たすためであれば、手段として優しくもなるし鬼畜にもなるっていう。

軽い気持ちではじめての歌舞伎

先日の国会傍聴に引き続き、有給消化による平日の休みを有意義にすごしたいシリーズ第二弾。

 

今回は歌舞伎座で歌舞伎を観てきました。

しかも1000円で。

 

歌舞伎のことほぼ知らない状態で行っても大丈夫だってことがわかったので、声を大にしてオススメするよっていう記事です。

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1000円で歌舞伎を観る方法

他の劇場はどうだか知らないんですが、銀座にある歌舞伎座では「一幕見席(ひとまくみせき)」っていうチケットの種別があって、1000円で歌舞伎を一幕観ることができる。

最前列とか花道のまわりとか桟敷席とかの良席は1万9千円する歌舞伎座で、一幕見席だと4階にはなるけど同じ芝居が1000円で観られる。

 

以前から漠然と歌舞伎への憧れはあったものの、でもお高いんでしょ?と思い込んでいたため、高いお金を払ったのに楽しめなかったらどうしようって不安が先に立って劇場に足が向かなかったわたし。

それがなんと1000円でいいっていうから、だったらもし全然楽しくなかったとしてもまあいいかってなるかなと思えた。居酒屋でラストオーダーを聞かれてつい頼みすぎて結局手を付けなかった焼きそば2つ分で1000円。どう考えてもそれよりはマシなお金の使いみちになるであろう。

 

ただ、一幕見席は、事前にチケットを買うことができない。

当日の開演30分前に歌舞伎座の脇の専用チケット売り場に並ぶ必要がある。

なんとなく平日の昼だし直前でも大丈夫だろうとナメて行ったら、外国人観光客や歌舞伎マニアみたいな方々で大行列。整理番号90番だったけどすでに立ち見と言われた。

30分前かそれ以前に並ばれることをオススメします。

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立ち見でもいいのでとチケットを購入すると、専用の小さいエレベーターで4階へ。

なので歌舞伎座のゴージャスなエントランスやロビーの華やかな雰囲気は味わえない。売店もない。そこだけ残念。

 

歌舞伎座の4階席は、覚悟していたよりは舞台に近かった。

武道館のスタンド席よりは近い。渋谷公会堂ぐらいの、キャパ2000クラスのホールの2階席とだいたい同じ距離感。日頃それぐらいの席でライブを見ることは普通なので問題なし。

一幕見席専用の導線で上がってきたせいか、生まれてはじめての歌舞伎なのにそんなにビクビクせずに済んでいる。

なんとなく海原雄山とか白木葉子みたいな上流階級の人々が威圧感たっぷりに闊歩しているような状況をイメージしていたんだけど、4階席にはまずそういう人はいなかったし、階下の高そうな席を見渡してみても、そこまでじゃなさそう。

 

音声ガイドは借りたほうがいい

エレベーターを降りたところで音声ガイドやプログラムを購入できる。

美術館とかにもよくある、イヤホンを通して解説の音声が流れてくるあの機械。

料金は500円プラス保証金として1000円を最初に支払い、返却時に1000円は戻ってくる仕組み。

 

落語にはかなり親しんでおり古典芸能リテラシーが高めだと自認してる自分でさえ、ガイドがないと見落としたり聞き取れなかったりした部分が多かったです。

役者さんのセリフは聞き取れても、長唄義太夫で話が進行するパートとなるとガイドがないとお手上げ。

 

また自分みたいな初心者は、舞台に出てきたのがなんていう役で、誰が演じているかもわからない。芝居の中で名乗ったりすることも基本的にないので、ガイドがないと筋を追うのが困難。特にみんな顔は白塗りや隈取をしているため誰が演じているか見分けることは不可能。

役者さん目当てで行くのであれば特にガイドは必須です。

 

あ、ガイドは片耳だけのイヤホンで、セリフにはかぶらないように配慮されている。

ガイドがうるさくて芝居の内容を邪魔するみたいなことはないので、その点はご心配なく。

 

歌舞伎のプログラム

歌舞伎では、大長編のストーリーの美味しいところを小一時間ぶん切り取ったものを「幕」と呼んでいる。

自分が行ったときもそうだったけど、他のときもだいたいそうらしいんだけど、そういうバラバラの幕を3〜4つ並べたラインナップが昼の部/夜の部になってる。

たとえるなら、今日は「北の国から」の草太兄ちゃんの死ぬ回と、「白い巨塔」の教授選挙の回と、「半沢直樹」の最終回をやりまーす!ここまでが昼の部ね、夜の部は「真田丸」と「逃げ恥」と…みたいな感じ。

たまに、「忠臣蔵」を最初から最後まで通しでやります!みたいな日もあるらしい。

 

一幕見席は、その3〜4つのラインナップのうち、好きな一幕だけを1000円前後で観られる制度。

銀座にいて次の予定まで1時間ちょっとあるな…ってときにフラッと立ち寄れてしまう…!歌舞伎がそんな気軽なものだとは知らんかった。もっと早く知りたかったよ。


で、もちろん一幕見席のチケットを4枚買って4000円で昼の部の最後までいてもいい。今回はそうしました。

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醍醐の花見(だいごのはなみ)

さて、いよいよ生まれてはじめての生の歌舞伎。

最初の演目は「醍醐の花見」というもの。

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天下を統一した絶頂期の豊臣秀吉が京都の醍醐寺で大規模な花見フェスを開催したっていう、実際のできごとをもとにした芝居。

登場人物が秀吉、北政所ねね、淀殿、秀頼、石田三成という、よく知ってる人々ということで安心感があった。それぞれがどんなキャラなのかよく知ってるし、どんなできごとなのかもだいたいわかるので。

 

永谷園のお茶漬けみたいな配色の幕が上がり、いよいよはじまり。

 

冒頭、寺の小僧さんが4人でてきて軽く説明的なセリフを言ってすぐハケる。背後には巨大な幕が張られているんだけど、小僧さんがハケるとその幕がバサッと取り除かれて、北政所たち着飾った女形の人がたくさん、さらにその後ろには生歌・生演奏の三味線の人たちがズラッと並んでいるのが目に入った。

 

その鮮やかさに、比喩じゃなくほんとに鳥肌がぞわーっと立った。

さすがに200年以上にわたって磨きに磨きまくられてきた演芸。江戸時代の娯楽の王様。

 

石田三成は子供の頃からずっと好きな、推し武将。その三成を演じていたのが「いだてん」の金栗四三こと中村勘九郎。当たり前だけど、朴訥とした熊本弁のあんちゃんではなく、本職はめちゃめちゃビシッとしててかっこよかった。
「いだてん」では三遊亭圓生を演じていた中村七之助は、豊臣家の花見にゲストとして招かれた公家の奥さん役。女形ってぼんやり観てるとほんと性別わからなくなる。身のこなしの洗練度合いがやばい。

 
秀吉以下の登場人物たちが、今日はたのしいね、さすが太閤殿下のやることはすごいね、せっかくだしちょっと踊りでも披露しますね、みたいな感じで話してそれぞれ舞を披露するという、単純なストーリー。

とにかく正月らしい華やかさ。

 

25分ぐらいの短い幕で、いきなり歌舞伎の魅力に心を掴まれてしまった。
素人でも楽しいと思えるだろうかっていう心配が杞憂だったことがすでに確定しました。

 

奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)

15分の幕間があって、続いては「奥州安達原」というおはなし。

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これは本来長編の芝居で、今日は中盤のシーンだけをやるらしい。
なので、このシーンに至るまでのストーリーが実際はある。音声ガイドではそのあたりも補足してくれるのでありがたい。まあ、ガイドがなくても全く理解不能ってことはない。

夕方なにげなくテレビをつけたら「科捜研の女」の途中からだったときみたいに、まあ観れちゃうし観ちゃうじゃないですか。そんな感じ。

 

このおはなしはもともと浄瑠璃として書かれたものらしい。
浄瑠璃っていうのは、三味線をバックに歌うように語る話芸で、人形とセットで演じられるパターンもある。
落語でいうと「寝床」というネタで旦那さんがみんなに聞かせたがるヘタクソなあれですね。


浄瑠璃の歌舞伎化、言ってみればアニメの実写ドラマ化みたいなもんでしょうか。

なので、歌舞伎になっても浄瑠璃を語る人と三味線を弾く人が舞台上にいて、語りを中心に話が進んでいく。
正直、現代人の耳では浄瑠璃スタイルの語りでストーリーを聞き取ることは難しい。ちょうどフロウがスキルフルすぎるラッパーの歌詞が初見では聞き取れないのと同じ。家で予習してくるか、音声ガイドを借りるのがオススメです。

 

親に背いて素性の知れない馬の骨と駆け落ちした袖萩(そではぎ)という女性、2人の子供を授かるが夫と息子は行方不明に。
袖萩を勘当した父親は警察みたいな仕事をしていて、皇族誘拐事件を解決できなかった落とし前として切腹を言いつけられてしまう。父の命がヤバいと知って、勘当されてるけど娘をつれて会いに来た袖萩。娘と孫にひと目会いたいけど仕事柄それは許されない父と母。

ってな感じのストーリーなので、200年以上前に書かれたものだけど現代人でもふつうに感情移入が可能。音声ガイドのおかげで万全に理解した上で入り込めた。

 

人間としての情と与えられた役割が相反して、引き裂かれるっていうパターンは昔も今もみんな大好きよね。高倉健の任侠ものとかもだいたいそうで、つまり義理と人情のおはなし。

 

素襖落(すおうおとし)

30分の幕間だったので歌舞伎座のすぐ隣りにある富士そばでそばをたぐってすぐ戻る。


次は、「素襖落(すおうおとし)」っていう狂言を歌舞伎にしたもの。

要するにコントのドラマ化。

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「このあたりのものでござる」っていうお決まりのフレーズで始まったり、役名が太郎冠者とか次郎冠者だったりと、このあたりは狂言スタイル。
主人のお使いで行った先で話が盛り上がってしまい、お酒を飲んだり踊ったりと大盛り上がりするっていうおはなし。
帰りが遅すぎるので様子を見に来た主人をまじえて大騒ぎ〜っていう感じで幕が下りるのも狂言的な感じがした。

 

セリフとか表情とか間とか、普通に現代人の笑いのツボが押されるようにできてるので、古典とはいえ落語ぐらいの距離の近さ。

 

河内山(こうちやま)

いよいよ昼の部最後の幕。それなりの大ネタが用意されているんだろうと期待。

 

「河内山」っていう、悪徳茶坊主が主人公のおはなし。

演じるのは松本白鸚つまりもと松本幸四郎つまり「王様のレストラン」。

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悪い殿様の誘いを拒否したために幽閉されてしまった娘を、偉いお坊さんになりすまして救出しにいくという役。
途中で、「お前お坊さんじゃないだろ!」ってバレてしまうんだけど、開き直って啖呵を切り、ゆうゆうと表玄関から帰っていく。ピカレスクのかっこよさを堪能できる幕でした。

 

朝からずっと集中して観続けたので最後にはかなり疲れてしまった。わりと動きの少ないシーンだったので正直途中でちょっと意識がとんだ。

寄席で二ツ目の滑稽噺や手品の後に大師匠がしっかり人情噺をやるみたいな感じだろう。

 

4階席だから花道の様子があまり見えなかったんだけど、あれ1万9千円払えばすぐそばで観れるんだよね。4階席では味わえないすごさがありそう。

いつかはちょっと奮発してみてもいいかもしれない。

 

まとめ

ずっと落語が好きで。

落語に出てくる江戸や明治の町人ってみんな歌舞伎が大好きで、仕事をサボって歌舞伎見物したりしてるでしょ。落語のネタ自体も歌舞伎のパロディがたくさんあるし、そもそも落語家が襲名とか言ってるのも歌舞伎のまねごとから始まったと言われてる。

それぐらい歌舞伎にとって落語ってのはできの悪い親戚みたいなもの。

いつかは元ネタに直接あたりたいと思い続けて30年あまり。

 

テレビでもたまにEテレで歌舞伎やってるので、何度かウォッチしたんだけど、予備知識なしでしかも画面ごしに見るだけだといまいちハマれなかった。

それが、思い切って劇場に飛び込んでみて、退屈だろうがチャンネルをぱぱっと変えるわけにはいかない場で強制的に何幕か観てみるってことに挑んだところ、思いの外ちゃんと楽しめたんだった。

国会傍聴もそうだったけど、やはりその場にわざわざ行くっていうのが大事なんだな。

あと音声ガイドのおかげっていうのもある。必須。

 

今の自分って、落語でいえば「長屋の花見」「文七元結」「らくだ」みたいな感じで、有名ネタをバラエティ豊かに3つぐらい知っただけの状態だと思われる。

つまり、しばらくはいろんな演者のいろんなネタを吸収するのが楽しい時期のはずなので、積極的に摂取していきたい。

 

200年以上にわたって日本の娯楽の王様だったのは伊達じゃない、キャッチーかつ奥が深いエンタテインメントだということがわかった。しかもたった1000円〜で。