森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

異世界ファンタジーとしての円高ラテン歌謡【プレイリストあり】

海水浴場も花火大会も海外旅行もない2020年の夏。

夏を満喫しようにもいろいろ禁じられている中で、そのくせ気温ばかりがうなぎのぼりしやがって、40度が突飛な比喩じゃなく現実のデータになっている8月。

 

それでもつい習慣的に夏向きのプレイリストなんてつくっちゃったりする。

 

今の気分的に、80年代後半からのバキッとした音像がしっくりくる。それでいて、いわゆるシティポップとは一線を画したい。ということで、J-POPと呼ばれるようになる以前の歌謡曲の中から、ラテン度の高いものをピックアップしてみました。

 

プレイリスト(全22曲)

ラテンテイスト満載の「好景気」「円高」「恋愛至上主義」な昭和50〜60年代の歌謡曲を詰め込んだプレイリストはこちら。

 

なんと中原めいこ「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」が入ってないのでSpotifyは1曲少ないです。

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異世界としての昭和50〜60年代

いかがでしょうか。

いずれも80年代のバキッとした音でごきげんなラテンをやっていて、90年代のJ-POPと地続きなノリを感じられるかと思います。

 

しかしこれが2020年の夏のムードにあっているかというと、見事にあってない。

やはり世の中が完全に浮かれまくっていた昭和後期の空気は、今年の夏に再生するには少々まぶしすぎるようで。

  

ならばいっそのこと、「異世界もの」としてこれらの楽曲を味わってみようかなというのが今回のご提案です。

 

そう、昭和50〜60年代という異世界

 

日本中の土地の値段が上がりまくった結果、山手線の内側の地価の合計額でアメリカ合衆国が全部買えるとか言われていて、株価もうなぎのぼり、そこらへんに成金がたくさんいた世界。

 

また、昭和40年代まで1ドル360円だったのが、昭和60年頃には1ドル150円ぐらいになった。海外旅行の値段がほぼ半額ぐらいになった感覚なので、一部の富裕層のものから、誰でも手が届くものになっていく世界。

 

そして、雑誌やドラマ、歌謡曲の世界では恋愛至上主義を盛んに煽りまくる。

18歳になったら免許をとって新車(できれば外車)を買って、DCブランドの洋服を着て、夏はサーフィン、冬はスキーができて、クリスマスにはシティホテルの部屋を予約して、みたいなことが一通りできてはじめて、恋愛市場のスタートラインに立つことが許される、みたいな煽り。

実際にそんなことができていた若者がどれぐらいいたかは別として、そんな価値観がメジャーだった世界。

 

昭和50〜60年代の日本って、2020年とはあらゆる面で異なる異世界だった。

 

異世界に憧れるっていうこと

人間というものは異世界に憧れるもので、現実の世界では法的にもモラル的にも能力的にも経済的にも許されていないことを、空想の世界で思う存分やってみたいっていう願望を抱きがち。

 

さえない主人公が異世界に転生して大活躍するみたいな最近のラノベやマンガもそうだし、たぶん江戸時代に軍記物がはやったのも、平和な時代に存在意義を失った武士たちの憧れが反映されたんじゃないだろうかとか。

いつも刀を携行してないといけないのに抜いたら理由にかかわらず切腹ものって、理不尽すぎるでしょ武士。てゆうかそもそも刀で誰かを斬るなんてシチュエーションが日常にまったくない。なのに先祖代々そういうものと決まっているっていうだけの理由で抜けない刀を持たされてる。

そんなみずからのアイデンティティについてまじめに考え始めたら辛くなりそうだから、ご先祖様たちが思う存分刀を振り回して斬りまくっていた時代の話を読みふけってる、みたいな。

 

つまりこのプレイリストも、決してノスタルジーじゃなく、あくまで異世界として、剣と魔法の世界とか、任侠の世界とか、魏呉蜀の時代とか、はるかかなたの銀河系とか、そういうのと同じものとして味わってみたらおもしろいかもしれない。

 

異世界ファンタジーな歌詞

なにしろ、この異世界ファンタジー謡曲は歌詞がすごい。

いくつか引用して味わってみましょう。

 

鉄腕ミラクルベイビーズ「TALK SHOW」

これ曲名やアーティスト名を見てもピンとこないかもだけど、聴いたらわかる世代にはわかるでしょう。そう、「ねるとん紅鯨団」のテーマ曲。

恋愛リアリティショーの先駆けとでもいうべき番組のテーマ曲なだけあって、歌詞の異世界感がすごい。

男なら立ってゆけ
女はただ寝て待て
頭よりも素肌で
SO SO SO SO
let's get body talk!

冒頭からこの勢いで、終始こんな感じ。

男は立派になれ
女なら華になれ
想い出 弄(まさぐ)るたび
Ai Ai 愛がうずいてる

 

「当時の武士は主君のために命を捨てた」とかと同じぐらいの距離感の異世界

 

酒井法子「ビンボ・ナンボ・マンボ」

まずこれ曲調はマンボじゃないよなっていうのはありつつ、そんなことがどうでもよくなるぐらいの破壊力。

私の彼は すごく貧乏
バイトかけもちして フゥフゥハッ
左ハンドル 無理しちゃったんだわ
お支払い 月々 フゥフゥハッ

すごく貧乏だけどローンを組んで外国車を買ったんだと。

異世界すぎて頭がクラクラしてくる。

 

これは、こっちの世界と価値観が違いすぎるのか、それとも貨幣価値が違いすぎるのか、どちらなのか。

吉川英治の「三国志」に、かくまった劉備をもてなすために人肉をふるまった話がでてきて、吉川英治も書いててドン引きしてるレベルだったけど、それに近いものなのか。

それとも、この異世界における「すごく貧乏」は、バイトかけもちしてローンを組まないと外国車が買えないレベルってことで、ふつうの人はみんな即金で新車を買っていた世界なのか。

 

なにぶん異世界のことなので、ファンタジーとして楽しむしかないな。

2020年の日本からはいろいろ隔たりがありすぎる。 

 

夜の街から太陽の下へ

今回の昭和50〜60年代異世界ファンタジー謡曲のプレイリストですが、曲調はラテンテイストで統一感を出してみた。

 

戦後からずっと、マンボやチャチャチャなどのラテン音楽は日本の歌謡曲に深く根付いてきた。そして常にダンスや「夜の街」とともにあった。 意外なことに、当時は太陽の下の音楽じゃなかったんだよな。

太陽の下の音楽は、若大将でありベンチャーズであり、いずれにせよ8ビートだった。

 

典型的な夜の街ラテン

 

それが70年代になると、ニューヨークのラテンコミュニティから始まって南米を中心に広がったサルサの大ムーブメントがあり、日本にもその余波は及んでくる。

このあたりから、日本におけるラテン音楽のイメージも変わってきたのではないか。

 

たとえばジャズ・フュージョンがイケてる音楽として認識されてくるんだけど、それらの音楽にはラテン〜ブラジルの要素が盛んに取り入れられていた。


また、恋愛至上主義の教祖として君臨していた松任谷由実は、荒井由実時代からラテン要素を取り入れた楽曲をリリースしていた。

 

これらの影響で、昭和50年代の太陽の下の恋愛模様からはベンチャーズが駆逐され、ラテン音楽のイメージが浸透していく。

 

円高の影響で海外旅行が庶民の娯楽として一般的になってくると、さらにそのイメージは加速する。 

ココナツやハイビスカスやサンゴ礁が広がる赤道直下の南の島、われわれ現代人が忘れてしまった大切なものを思い出させてくれる褐色の肌の陽気な現地の人たち、そういったものに出会うことができるツアーが訴求される。

実際の目的地はグアムやサイパンプーケットとかなのでラテン音楽とはまったく縁もゆかりもないんだけど、なんとなく南国っていうことで大雑把にひとくくりされて、航空会社のCM音楽とかにもラテンテイストが入ってくる。

 

こうして完全に太陽の下の音楽になった昭和50〜60年代のラテン歌謡曲

この系譜はJ-POPにおけるTUBEや大黒摩季ポルノグラフィティあたりに受け継がれていくんだけど、いずれも、かつては夜の街の音楽だったっていう名残りがほのかに漂ってるのがおもしろいなと思う。