中小企業が統合・再編されるべき理由
菅総理は中小企業の統合・再編を促進すると表明したらしい。
中小企業は大企業に比べて労働生産性が低く、日本の成長の足を引っ張っているからだとか。
菅氏、中小企業の再編促す 競争力強化へ法改正検討 :日本経済新聞
現在、日本の企業における中小企業の割合は99.7%で、そう言われるとたしかに多すぎるように感じる。
また、大企業に比べて中小企業は賃金が低いので、中小企業で働く人が多いということは低賃金で働く人が多いということになり、本来なら潰れるべきダメ企業が社員を低賃金で酷使することでズルズルと生き延びてるっていう指摘には説得力がある。
たしかに、やる気のないおっさんが惰性でやってる不衛生で味もいまいちですべてが微妙な食堂よりも、清潔で一定レベルの味が保証されていて季節ごとの新商品みたいな工夫もあってよくできてる大手のファミレスのほうに入りたいと思う。子連れだと特に。
巨額の制作費を集めてつくられるハリウッド超大作映画とか、最近のソニーや任天堂のゲームとか、洗練されたApple製品とか、そういうものも、大規模な組織と潤沢な資金がないと生み出せないだろう。
ひとつの組織になってるほうがノウハウは溜まるし効率的だし、どかっと投資もできるでしょう。メリットはわかる。
中小企業は本当に再編すべきなのか
それでも、いわゆる中小企業は世の中に必要なんじゃないかと思う。
たとえば1000社あった企業が再編されて30社になったとすると、その30社のなかに、自分の好みにあうものがひとつもないって可能性がすごく高くなる。
1位から30位までしかない音楽チャートってどう?
それか30アーティストしか活動してない音楽シーンは?
自分のような人間には耐えられない。
心のベストテンに常時ランクインしている曲は、売上でいうと50位あたりかそれ以下のものばかり。
生産性の低いアーティストが淘汰され、上位30組に潤沢な資金が投入されると、たしかにその業界が生み出す利益は今より大きくなるかもしれない。
韓国のBTSやBLACK PINKのように、世界で通用するアーティストが生まれてくるかもしれない。
でもそれは、一定以上の多様性がないと好みが満たされない自分のような人間にとってはつらい世の中になることは必至。
それに、リリース当時はまったく売れなかったけど後の時代に絶大な影響を与えてる名盤ってたくさんある。
たとえば、今から50年前の1970年の年間シングル売上げTOP30を見てみよう。
この中には、その後に売れっ子になったり音楽シーンに絶大な影響を与えたりした和田アキ子も吉田拓郎も忌野清志郎(RCサクセション)も小田和正(オフコース)もいない。
みんな1970年にシングルをリリースしているんだけど、売れっ子になるまでにまだ時間が必要だった。
逆に、TOP30の楽曲のうち、50年後まで残っているものがどれだけあるんだっていうね。
この時代の音楽が好きでよく聴いてる自分のような人間でも、まったく知らない曲がたくさんある。
これって別に音楽の話だからってだけでもなくて、ビジネスの世界でも松下幸之助やスティーブ・ジョブズの伝記を思い出すまでもなく、次世代のトップ企業はいつでも小さく生まれて挑戦するもの。
やる気がある中小企業は、今現在もうかっていなくても淘汰したらダメだろうと。
政府として具体的にどうやって統合・再編するつもりなのかわからないけど、将来の吉田拓郎とか忌野清志郎を潰さないでうまくやれるって言い切れるんだろうか。
儲かってないと本当にダメなのか
じゃあ、儲かってなかったり将来性がなかったりする中小企業は潰してもいいのか。
儲かる見込みのない「ゾンビ企業」はさっさと退場させて、新陳代謝させるべきなのか。
「ゾンビ企業」の増加警戒、終了時期が焦点-日銀コロナ対応オペ - Bloomberg
これ、3年とか5年たっても芽が出なかったら才能がなかったってことだから音楽なんかやめてまともに就職しろっていう意見に似て、一見ものすごく説得力がある。
でも、ほんとうにそれでいいのかって思う。
生産性とか成長とかのものさしで見たときに劣等生になる企業って、あえて儲からないようにしてるパターンがある。
たとえば、儲けは度外視して、若者に腹いっぱい食べさせようとバカみたいな大盛りで出てくる学生街の定食屋。この店はおそらくずっと利益は薄いまま何十年もやってる。なので数字の上では再編されるべき中小企業ってことになるだろう。
逆に、より儲かるように、飲食店がイスの座り心地を悪くしたって話あるでしょ。イスの座り心地が悪いと、客は食べ終わったらすぐに店を出るから、回転率があがる。そのほうが儲かる。
山下達郎っていう人は、音質へのこだわりが強すぎるため、中野サンプラザとかNHKホールよりも大きい会場では絶対にライブをやらない。
どうせライブをやるなら会場は大きければ大きいほど利益はあがるんだけど、あえてそれをやらない。何十年もそのスタンスを貫いている。
生きていく以上、食べていく必要はあるけど、必要以上に儲けるよりも自分たちのスタイルを大事にしたいってタイプの企業やアーティストたち。
そういう存在をたくさん抱えているほうが、世の中は絶対によくなると思う。
才能はあるけど信念を貫いてあえて儲からないようにしているケースは、大企業よりも上場していない中小企業に多い。
上場してしまうと、「儲かるようにしろ」という株主からのプレッシャーがかかるので、信念を貫くことが相当難しくなるから。
才能がないとダメなのか
じゃあ、才能があってあえて儲けてないところはいいとして、才能がなく儲かってない企業はゾンビってことでいいのか。
そうなるとどうしても「才能」って何かねっていう話になるので、またさっきの50年前のヒットチャートに話を戻したい。
今から50年前、すなわち1970年っていうのは、日本の音楽シーンの転換期だった。
1960年代前半の日本において、音楽で飯を喰うっていうことはすなわち、半分ヤクザなザ・芸能界で偉い作家先生の弟子になったりして、歌手としてデビューさせていただくことだった。
それが1960年代後半から徐々に変化していき、ヤクザな世界の外側で、自分でつくった歌を歌って生きていくことができるようになった。
前述の吉田拓郎や忌野清志郎はそういう新しい時代の象徴的な人たち。
果たしてこの2人、ザ・芸能界しかなかった時代に歌手としてデビューするための才能はあっただろうか。
ゲームのルールは変わる。
勝つことができるための才能は時代によってコロコロ変わるので、いま現在のルールでうまく儲けられてないからといって、上からの力で潰していいわけがない。
やる気も才能もないと本当にダメなのか
今は儲かっていなくても、将来ビッグになる可能性がある中小企業がいる。
ずっと儲かっていなくても、品質を重視してあえてそうしてる中小企業がいる。
それらは統合・再編してしまったらもったいないよねという話をしてきました。
では、将来ビッグになる見込みはなく、品質を重視してるわけでもなく、特にやる気も才能もない中小企業は生きてる価値がないんだろうか。
それも違うと思う。
台湾に夜市ってあるじゃないですか。
毎晩毎晩、街のそこここに小さな屋台が無数に登場する台湾の観光名所。
あそこに大企業が入っていろいろ洗練させたら、おそらく台無しになるだろう。ごちゃごちゃしてること自体に価値が生まれてるんだと思う。
地下アイドルのシーンってあるじゃないですか。
歌唱力とかダンスとか楽曲とかのレベルがほんと玉石混交で、ひどいものは本当にどうしようもないんだけど、有象無象がひしめいていること自体が謎の磁場になっているんだと思う。
才能がある人もない人もいて、やる気がある人もない人もいて、ごちゃごちゃして活気が生まれて、っていう環境がどうやら好きなんですよね。そっちの世の中のほうがいい。
だいたい、中小企業が多いことが問題なんじゃなくて、生産性が低いとか賃金が低いとかが問題なんであって、解決するための手段は中小企業を減らすことじゃなく、たとえば下請けいじめや中抜きができなくなるような法改正とかじゃないか。
中小企業に比べて大企業の生産性が高いのは事実だとして、その理由のなかにアコギな要素があるんだったら、そこを是正するのが政治の仕事なんだと思う。