ここ最近「Y2Kリバイバル」として、2000年前後のファッションやカルチャーが若い世代に注目されている。
数年前には90年代っぽい厚底スニーカーが「ダッドスニーカー」なんて呼ばれて流行ったりもした。
ポピュラー音楽の世界でも、2000年前後に盛り上がっていたドラムンベースやポップパンクといったスタイルが、現役バリバリのアーティストの新曲で使われていたりする。
ドラムンベースを耳にしたのはH jungle with T以来という声も聞かれた
これが2020年代にリリースされた新曲で1.2億回再生されてるっていう事実
当時を知っている我々からすると、葬り去ったはずの過去に再び向き合わされているような、それでいて馴染みのある肌触りに安心感を抱くような、なんともいえない微妙な気持ちにさせられる。
この「リバイバル」っていう不思議な動きを真正面から取り上げて、400ページ超にわたって徹底的に掘り下げたのが、『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす』という本。
あの『シティポップとは何か』を著した柴崎祐二氏の新しいやつってことでかなり楽しみにしていたんだけど、期待を超える充実した内容でした。
1950年代から2020年代までの間にポピュラー音楽の世界で興ったいろんなリバイバルの動きを丁寧に紹介しつつ、それぞれの動きの時代背景や鍵となる人物やテクノロジーの話、さらには歴史的な意義にまで踏み込んで縦横無尽に書かれている。
たとえば、90年代の渋谷系を準備していたのは、個人経営のレコード店やDJによる埋もれたソフトロック名盤の再評価の動きであり、その背景には、カウンターカルチャー的なロック語りが陳腐化してきていたことがあり、その傾向は世界同時多発で共有された面もあり、、といった具合。
同時代で体験していてよく知っているリバイバルも、後追いだけど知識として入っている話も、自分がまったく通ってこなかった世界の話もあり、いずれも興味深くて一気に読み終えた。
カバーしている範囲の広さでも、リバイバルにまつわるいろんな要素の網羅性でも、批評の深さについても、本当にすごい一冊でした。
実体験してきたリバイバル
個人的にも、リバイバルについてはずっと興味を持って考えてきたし、LL教室としての活動の中でもことあるごとに議論したり紹介してきたりもした。
『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす』は、これまで自分なりに積み重ねてきた音楽体験や思考に対して、土台が強化されたような思いと、一方で思いもよらなかった方向で揺さぶられたような思いの両方を味わわせてくれたので、今回は自分なりにリバイバルという現象について考えてきたことをいくつか話してみたい。
リバイバルというものを初めて意識したのは、80年代にあったいわゆる「オールディーズ」のリバイバル。
横浜銀蝿みたいなツッパリの人たちのリーゼントとか革ジャンとかポニーテールといったスタイル、さらにはロックンロールっていう音楽が、実は大昔のものだっていうことに薄々気づいたという原体験があった。
新進気鋭のグループであるはずのチェッカーズを「懐かしい」っていう大人がいたこととか。
そして自分がリバイバルの担い手になっている実感を持ったのは、90年代。
70年代の空気感を身にまとったイエローモンキーやラブサイケデリコといった人たちがJ-POPのど真ん中でブレイクした時代、襟のでかいハデな柄のシャツやブーツカットのジーンズやミニワンピースといったファッションは自分たちの世代が中心だった。
(リーボックのスニーカーがおしゃれになった2020年以降、「ラッパズボン」を履く息子を奇異な目で見ていた当時の親たちの気持ちを、今の自分ならすごくよく理解できる)
50年代リバイバルがあった80年代、60〜70年代リバイバルがあった90年代と、2度のリバイバルを体験してきた当時、「このままいくといずれ80年代ブームがやってきたりして」などと冗談を言い合っていたものだけど、これはあくまで冗談であって、そんなことはありえないという強い前提があった。
なぜなら、90年代には80年代らしいものは完全にダサいものになっていたから。
加工されたドラムの音やシンセサイザー、手数の多いスラップベース、都会っぽさを気取った歌、袖をまくった大きめのジャケットなどは、嘲笑する対象でしかなかった。
クラブで「RIDE ON TIME」を半笑いでかけてフロアが大爆笑って現場に居合わせたことあったな。90年代にはそういう扱いの曲だった。 #LL教室
— ハシノ💿LL教室 (@guatarro) 2022年7月3日
まさか後年それらの要素がシティポップを象徴するものとして「アリ」になっていくだなんて、誰も想像できなかった。
自分自身、いかにも80年代な音楽は、90年代と今とで全然違って聴こえている。
手のひら返しと言われればその通りなんだけど。
なので、この先なにかとんでもないものがリバイバルしたとしても驚かない。
すべての音楽はリバイバルの可能性を秘めていると思っている。
「みんなちがって、みんないい」のか
一度忘れ去られた音楽が後の時代にリバイバルするという現象が何度も繰り返されてきたポピュラー音楽の半世紀。
『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす』の中で指摘されている通り、多くの者から「時代遅れ」とみなされている意匠こそ、新たな意味付けをされて再浮上する、つまりリバイバルしやすい傾向があると思う。
70年代〜80年代〜90年代にかけては、新しいジャンルやサウンドが流行していく過程で、直前のトレンドをダサいものとして否定するのが常だった。
「◯◯はもう古い!これからは▢▢だ!」みたいな言い回しが当時の音楽雑誌にはよく出てくる。
前述した個人的な音楽体験の中でも、80年代はとにかく深刻ぶって大げさな70年代っぽさを否定して、ポップで軽薄であることがカッコいいとされたし、90年代になるとそんな80年代の軽さがものすごくダサく見えていた。
そして、そうやって一度時代遅れになったからこそ、次の時代にリバイバルした。
言ってみれば、親殺しによって自己を確立するにあたり、親世代への逆張りとして、親世代が否定した祖父母の世代の価値観を引っ張り出してきたようなもの。
20世紀後半はその繰り返しでやってきたようなところがある。
ただ、21世紀になると、相変わらず新しい音楽ジャンルやサウンドは生まれ続けているものの、ことさら前の時代を否定しなくなった。
近頃の若者は反抗期がないまま大人になるらしいっていう話とよく似ているし、他人の好みや意見を批判するのはよくないことだという価値観が定着したことにも通じているのかもしれない。
ひと昔前なら、キャリアが20年ぐらいあるアーティストは、そのキャリアの中で何度も音楽性が変わっているのが当たり前だった。
たとえばジェファーソン・エアプレイン→スターシップ、シカゴ、ドゥービー・ブラザーズなどの、70年代から80年代にかけてのキャラ変は有名。
日本でも、フォークデュオとしてデビューしたCHAGE and ASKAが、80年代にアーバン化した末に90年代J-POPの代表格になった、みたいな事例はいくらでも転がっている。
それと比べると、90年代にデビューして2020年代も活動しているアーティストって、音楽性があまり変わっていない。
たとえ変わっていたとしても、それはシーンのトレンドに押し流された結果というよりは行き詰まったとか飽きたといった感じで、あくまで本人の意志でやったパターンが多そう。
少なくとも、80年代や90年代に起こったような、現役アーティスト全員が巻き込まれるような激変は、久しく発生していない。
20年前と同じ音楽性で活動しているアーティストがいても、ブレなさを評価されることはあっても、変わらなさをもってダサい言われることはない。
言わば「みんなちがって、みんないい」の時代になったわけで、変なトレンド圧力がなくていい時代だとも思うけど、一方であらゆるジャンルなり意匠が時代遅れにならずにそれぞれのシーンで生き延びていくということは、リバイバルされるきっかけも生まれにくいということも言えるのではないか。
ジャンルなり意匠を支える人たちが細々ながらもずっと存在し続ける限り、部外者による文脈の読み替えは起こりづらそう。
20年前からブックオフで短冊型CDシングルを買い集めて、時代が一周するのを待ち構えていたような自分からすると、なにごとも一旦は完全に時代遅れになってからリバイバルしてくれたほうがおもしろいので、「みんなちがって、みんないい」は物足りない。
今さら「◯◯はもう古い!これからは▢▢だ!」もしんどいけど。
↑同じバンドの1970年と1981年の代表曲…
1周目と2周目の区別がつかない
リバイバルはおもしろい。
しかし完全に文脈に依存した動きなので、後追い世代には掴みづらいことも多い。
先日も20代の音楽好きと話していて、60年代のモッズと70年代のネオモッズを混同している事例を観測した。
そりゃ90年代生まれにとってはどちらも自分が生まれる前のイギリスのマイナーなシーンの話だしね…。
1周目と2周目の区別がつかなくっても無理はない。
『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす』を読んでいて、このガイドはそんな世代にすごく役立つだろうなと思った。
LL教室として美学校のポピュラー音楽批評講座を次年度も担当させていただくことになりましたが、「リバイバル」はトピックとして立ててもよいかも。