森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

ユニコーン『ええ愛のメモリ』はAI使用の模範解答なのでは!?

ユニコーンが2023年10月11日にリリースした配信限定EP『ええ愛のメモリ』。

 

発表された情報によると、収録された5曲はいずれも、メンバー5人がそれぞれに「あの頃、作っていたような楽曲」というテーマで作詞作曲した楽曲を、若い頃のメンバーの歌声を学習したAIに歌わせたものらしい。

ユニコーンが「自らの手」で「自らの声」を蘇らせる、といった趣のプロジェクト』とのこと。

 

進化し続けるAIというテクノロジーに対して、全人類がおっかなびっくりになっているこのご時世に、戯れつつも芯を食った作品を生み出すこのバンドはやっぱりすごい。

 

 

ユニコーンは昔からおかしかった

バンドブームのど真ん中に登場したユニコーンは、デビュー当初こそ時代の影響を受けたポップハードロックって感じの音楽性でアイドル視される存在だったものの、次第に高い音楽性に裏打ちされつつ全力でふざけるという、唯一無二の存在になっていった。

 

ユニコーンのおかしいところはいろいろあるけど、まず歌詞。

バンドブーム期の曲にありがちな悪ガキ目線ではなく、むしろ悪ガキの仮想敵だったサラリーマンの目線で歌った「大迷惑」「働く男」「ヒゲとボイン」が代表曲になっているし、他にも、おじいさん、犬、幕末の庶民、親に虐待されてる子供、野球部の補欠などなど、おおよそロックバンドの歌詞にならなさそうなテーマの曲がたくさんある。

 

そして音楽性のバラけ具合。

幅広い音楽性を売りにするバンドは多いけど、普通は何かしら核になる部分はあるものだし、特に代表曲にはそのバンドなりの勝ちパターンが見えてるもんだけど、ユニコーンの場合、先ほど挙げた代表曲「大迷惑」「働く男」「ヒゲとボイン」は、見事にバラバラで音楽性に統一感がない。

シングル曲もアルバム曲もバラバラで、的を絞らせない。

フュージョンもボサノバもハードコアパンクもケチャもロシア民謡もある。

 

今回の『ええ愛のメモリ』は、そんなユニコーンだからこその作品と言える。

 

ユニコーンの異常さについては詳しくはこの記事で書いてますのでこの記事を最後まで読んだら次こっちどうぞ。

 

星野源 ユニコーン『おかしな2人』を語る | miyearnZZ Labo

ユニコーン好きなアーティストはたくさんいるけど、こちらは星野源によるユニコーン語り

 

セルフパロディとしての『ええ愛のメモリ』

『ええ愛のメモリ』のおもしろさは、まず、AIに歌わせたという話の前に、「あの頃、作っていたような楽曲」というテーマで曲を作ったというところ。

 

インタビュー動画の中ではABEDONはこう語っている。

今ある曲に似たような曲を発注されたと思って作ってくれっていう風にみんなに言った

でないと書かないんですよ

音楽やってる人はみんなそうだと思うんですけど

前に一度書いたことがあるような曲を書くっていうことを避ける傾向がある

 

特にユニコーンは作品ごとにいろんな音楽性や手法をやるバンドなので、その傾向が顕著。

そこがかっこいいところではあるんだけど、常に新鮮なことをやりたいメンバーと、往年のあの感じが好きっていうファンの気持ちの折り合いをどうつけるかっていうのは、キャリアが長いアーティストに共通する悩みだろう。

 

今回のように企画モノっていうテイにするのは、ユニコーンらしい答えの出し方だと思った。

メンバーが堂々と伸び伸びとセルフパロディをやれる環境を作れて、往年のファンはニヤニヤしながらもあの頃の感じを味わうことができた。

 

 

たとえば1stアルバム収録の「Maybe Blue」って曲があって、甘酸っぱい名曲なんだけど若気の至りすぎてその後の音楽性と乖離しすぎて封印されたような感じになってて。

今回の『ええ愛のメモリ』の1曲目の「ネイビーオレンジ」って曲は、その「Maybe Blue」を元ネタにして奥田民生本人が作曲し、メンバーも音色やフレーズで遊びまくってるんですよ。

原曲を知らない人もぜひ聴き比べてみてほしい。

 

 

 

AIに歌わせることの問題と、ユニコーンらしい答え

AIに歌わせるといえば、2019年の紅白歌合戦に登場したAI美空ひばり

 

美空ひばりの生前の歌声を学習させて生成した声に、さらに微妙なピッチの揺れといった癖を反映させ、高い再現性が生まれたことで話題になった。

 

一方で、そもそも亡くなった人の歌を勝手に再現することの是非については、批判の声が多かったことも事実。

 

たしかに、「あなたのことをずっと見ていましたよ」というセリフにはちょっと一線を超えた怖さを感じたものだった。

遺族なり正当な権利者なりが許可を出したからといって、やっていいことなのかどうか、そして何を歌わせ、何を語らせるところまではアリなのか、法的にも倫理的にも経済的にも未解決な部分が残っている。

 

本人のデータに基づいてAIでつくられた部分にギャラは発生するのかどうかについては、先日のハリウッドのストライキでも争点になっていた。

 

俳優が制作会社から、「その人物をスキャンして1日分のギャラを支払い、そのスキャン画像や肖像に対する権利はスタジオ側が保有して、以後は同意もギャラもなしにスタジオ側が望むプロジェクトで恒久的に使用できる」という条件を持ちかけられたとか。

 

その点ユニコーンの今回のは、別に本人が歌ってもいいのにわざわざAIを使ったというパターンなので、揉める余地がない。

 

新奇なテクノロジーとの付き合い方

人類はこの数千年、新しいテクノロジーの登場による産業構造の変動を何度も味わってきた。

音楽の世界でも、カラオケの登場で多くの流しやバンドマンが失業したという。

 

人間というのは、それまでの習慣や馴染みのある世界が変わってしまうことを基本的に怖がるようにできている。

新しく出てきたものに対しては、だいたい最初は批判されるし、批判する言葉もジャンルを問わず驚くほど似通っている。

だいたい「心がない」「風情がない」「冷たい感じがする」的なこと。

 

シーケンサーによる打ち込みのリズムが登場した80年代にも、ボーカロイドが登場したゼロ年代にも、同じ言い回しによる批判があった。

2020年代のAI批判も、結局はそれらとすごくよく似てると思う。

 

 

でも新しいテクノロジーに対して反射的に身構えてしまうのは本能だとして、その本能には自覚的でいたいし、できるだけバイアスをとっぱらって見るようにしたいじゃないですか。

 

それでいうと、AIという新奇なテクノロジーに対して、とりあえず遊んでみるという接し方を選んだユニコーンは、やっぱりおもしろいしかっこいい。

 

それに、AIにまつわる法的な課題、倫理的な課題、経済的な課題に対して、「存命の本人が自分たちに権利がある楽曲で使用する」っていう、ひとつの模範解答を出したとも言えるのではないか。

 

というか、さっきのハリウッドの例なども考えると、いろんな課題を整理していった結果、他人とか死人とかをAI化するのはダメっていう結論に落ち着いてくる可能性も全然あると思う。

 

そうなると、『ええ愛のメモリ』はOKな使用例の先駆けとして、時代を超えて評価されるべき作品なのかもしれない。