森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』を読んで思い出した、「ヴィジュアル系」という言葉がまだなかった頃の話

先日こんな本を読みました。
 

 

J-POPについて考えることを生きがいにしている人間として、そして、高校時代の学園祭バンドでXとLUNA SEAのコピーをやったのが初舞台だった人間として、ヴィジュアル系のことはいつも頭の片隅で意識し続けてきた。

 

しかしその一方で、頭の片隅にあったのは概念としてのヴィジュアル系であって、実在のものとしてちゃんと楽曲などを認識できていたのは正直LUNA SEAまでだったというのも事実。

あとはゼロ年代前半にちょっとだけバイトしていた中古CD屋で、当時のヴィジュアル系のCDの一部が高値で取引されていたのを認識している程度だった。

 

2000年代以降のシーンの動向はちゃんと追えておらず、いつかちゃんとチェックしないとなとずっと思っていたのです。

 

なので、このタイトルと漆黒の装丁を見かけて速攻購入したわけ。

 

自分はターゲットじゃなかったけど膝は連打

2000年代以降のシーンの動向が掴めるんじゃないかという期待を抱いて読み始めたんだけど、そういう話は最後の方で少し触れられていただけだった。

そういった意味では自分はこの本のターゲットじゃなかったってことにはなったんだけど、ただ、主張されている内容に関して膝を打つこと多数で、期待とは違う方向で結果的に非常に実り多い読書体験になりました。

 

歴史を語るということは、たくさんある出来事や人物のどこを重要視するかという語り手の歴史観が反映される。

琵琶法師が弾き語る平家物語と、鎌倉幕府が公式に「吾妻鑑」に書き残した歴史とでは、同じ源平合戦でも全然見え方が違うように、ヴィジュアル系の歴史も、どういう観点で語るかでまるで違ってくる。

 

これまで何度か目にしてきたヴィジュアル系の誕生から発展の流れが書かれたものはどれもしっくりこない感じがあったんだけど、本書はもっとも納得感があるものでした。

 

本書の良さをざっくりまとめると、まず当時自分が感じていた空気感に近いってことと、あと洋楽邦楽含めヴィジュアル系のジャンルの内外との影響関係についてクリアに解説されていたということ。

ヴィジュアル系というと、日本独自のガラパゴス的な閉じたジャンルだと思われがちなんだけど、実は人脈的にもサウンド的にもかなり開かれているんだよね。

 

奇抜な見た目に印象が引っ張られすぎて、サウンドそのものを純粋に評価する観点が少なかったからなのかもしれないんだが、自分のような同時代のバンドマンからすると、ヴィジュアル系ってそんなに遠くにあるものだと感じていなかった。

 

ということで今日は、「ヴィジュアル系」という言葉がまだなかった90年代に高校生バンドマンの目から見えていたことについて書いてみようと思います。

 

ヴィジュアル系」という言葉がまだなかった頃

わたくし1976年生まれでして、世代的にロックというものを意識した時期はバンドブームが始まっていたタイミングだった。

 

夜のヒットスタジオ」にユニコーンが登場して「大迷惑」をやったり、ドラマ『はいすくーる落書』の主題歌がブルーハーツだったり、たまの「さよなら人類」がお茶の間に届く大ヒットになったりしていた1989年前後。

 

毎月のように目新しいバンドがたくさん登場するなかで、ラジオか何かで耳にしてカッコいいなと思って8cmシングルを買ったのが、BUCK-TICKの「悪の華」。

そしてちょっと年上の不良っぽいセンパイたちが夢中になっていたBOOWYはそれらと入れ替わるように解散した。

ちょっと怖いような見た目のバンドのポスターやチラシが楽器屋に置いてあったり、他のバンド目当てで読んだ音楽雑誌にもそういったバンドがおどろおどろしく紹介されていたりして、後にそれがジャパメタやハードコアやポジパンっていうものだと知る。

 

ヴィジュアル系」っていう言葉がまだなかった頃、そんな断片的な情報から、なんとなくそれらがお互いに影響しあっていたり繋がっているような印象を受けていた。

 

チェッカーズとか男闘呼組みたいなグループがお茶の間にとっての「バンド」であり、ブルーハーツプリンセスプリンセスはそういったものよりは若干マイナーで若者向けな存在なんだけど、同年代の会話の中には普通に出てくる。

で、それよりさらにもう一段深いところにいくとXやBUCK-TICKがいるって感じ。過激で毒々しいキーワードと都市伝説っぽい武勇伝に彩られたそれらのバンドは、どうしようもなく十代の男子を惹きつけてしまったものだった。

 

(自分はそこで筋肉少女帯と落語と深夜ラジオっていう路線に行ってしまったので、ど真ん中というわけではなかったんだけど、片足は入っていた自覚はある)

 

メガネ革命前夜にバンドやりたい男子高校生が考えていたこと

初めて人前でライブをやったのは、1993年。高2の文化祭。

ほんとはNIRVANAをやりたかったんだけど他のメンバーに却下され、結局XとLUNA SEAをやることになった。あと洋楽派への妥協案としてガンズをやったんだった。

 

90年代前半の高校生男子がバンドを始めるのって、もともとクラスの人気者だったような奴が文化祭の前に突然バンドに目覚めるパターンが多くて、つまり音楽性とかクリエイティビティとかが先立ってることはほとんどない。

 

よりモテたいとか目立ちたいとかカッコよく振る舞いたいとかがまずあるので、その当時のロールモデルに従うことが最適解だと気づいた奴にとっては、ロールモデルが髪を逆立てて化粧してるんだったら、素直にそれに従うだけ。

その姿でライブをやってモテたのであれば、それが正解になる。

 

男性バンドマンが化粧してステージに立つという文化は、もともとはイギリスのニューウェーブやハードコアのバンドに影響を受けてはじまったものが、BUCK-TICKなどの先行例が出たことで、モテるための手段として一気に広まったんだと思う。

 

https://ogre.natalie.mu/media/news/music/2010/1225/lunacy_art.jpg?imwidth=750&imdensity=1 

 

あと、当時はギターヒーローに憧れて速弾きの練習をずっとやってる奴がたくさんいた。

 

『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』でもたっぷり語られていたけど、ギターヒーローが使っているのと同じモデルのギターが楽器屋にたくさんあった。

普通のギターをカスタマイズした見た目が「シャア専用ザク」に憧れた小学生の頃の気持ちを刺激してくるんだよね。

 

今では信じられないかもしれないけど、ギターヒーローへの憧れがきっかけになってる奴が、音楽やりたい若者の半分ぐらいを占めていた。

軽音楽部はギタリスト志望だらけで、ベースとドラムは複数のバンドをかけもちするのが当たり前。なんならヴォーカリストも不足気味なほどだった。

 

なので、90年代前半のことを語る上で、布袋寅泰とHIDEというギターヒーローは超重要なんですよ。あと本書で熱く語られていた今井寿も。

 

https://ogre.natalie.mu/media/news/music/2018/0429/bucktick0428_5.jpg?imwidth=750&imdensity=1

 

ところが、1998年頃から男子高校生が憧れるバンド像が大きく変わってくる。

 

ひとつは、くるりナンバーガールアジカンといったバンドの登場。

フロントマンがメガネっていうのは、当時はものすごく衝撃的だったわけ。

ここから、元からクラスの人気者だった奴がさらにモテるためにバンドを組んだ的なヴィジュアル系の方向ではなく、日頃は目立たないメガネくんが学祭で突如化ける路線が確立された。

その路線はその後も、サンボマスター神聖かまってちゃんサカナクション星野源あたりに受け継がれていく。

 

もうひとつは、Hi-STANDARDモンゴル800175Rといったパンク勢の台頭。

元からクラスの人気者だった奴らも、ヴィジュアル系ではなくパンクをやったほうがモテる時代に突入したのである。

青春パンクのブームが一段落したあとも、クラスの人気者は今度はDJやダンサーやラッパーを志すようになり、ヴィジュアル系に戻ってくることはなくなった。

 

ましてや、ギターヒーローに憧れてひたすら速弾きを練習するギター小僧なんてものはほぼ絶滅した。

 

この1998年のメガネ革命&パンクブームで成立した価値観は、その後「邦ロック」という名前を与えられ、2022年現在にも基本的には引き継がれている。

 

そんな今となっては、バンドやりたい高校生男子にとってヴィジュアル系がもっとも身近だった時代があったなんて想像するのはなかなか難しいと思う。

 

ヴィジュアル系が音楽的に最先端だった時期

手っ取り早くヴィジュアル系のコピーをやりたがった当時の男子高校生は音楽性とかクリエイティビティとかは度外視していたという話をしたけど、だからといって、ヴィジュアル系の先達たちがクリエイティブじゃなかったということにはならない。

 

むしろ、どんなジャンルでもそうだけど、ジャンル名が生まれる前から手探りで道を作っていた人たちはみんな、クリエイティビティと野心の塊なわけで。

 

『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』でもたっぷり触れられていたけど、犬猿の仲だったジャパメタとハードコアの橋渡しになったXや、ヴィジュアル系に特徴的なダークでゴシックな世界観の原型をほぼ作り上げたBUCK-TICKなんかの開拓者っぷりは、すごすぎてちょっと比較対象が見当たらない。

 

ヴィジュアル系の音楽的なルーツは、ほぼほぼ80年代のイギリスにあると言えるんだけど、実は同時代の欧米のロックのトレンドにも敏感だった。

 

90年代の世界的なロックのトレンドといえば、グランジ、ミクスチャー、ブリットポップ、ガレージリバイバル、メロディックパンク、いわゆるデジロック(インダストリアル)あたりが挙げられるんだけど、このうちミクスチャーやデジロックに関してはヴィジュアル系が率先して取り入れていた。

ヴィジュアル系が手を出さなかった残りの要素はだいたい下北沢のバンドがやった)

 

特にHIDEは、マリリン・マンソンやホワイトゾンビといったリアルタイムでそのあたりのジャンルを牽引していた米国の第一線アーティストと交流し、日本のお茶の間にエッセンスを注ぎ込んでいた。

アメリカの人気女性グランジバンドL7のリズム隊と一緒にテレビ出演したり。

 


ピンクスパイダー」「DOUBT」「FROZEN BUG」あたりの曲は、今聴いても世界レベルのサウンドになっていると思う。

 

シティポップの流行もさすがにもう一段落する頃だろうけど、その次にこのあたりの音が流行ったりしないかなー!