2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がめちゃくちゃおもしろい。
物語の前半は、源頼朝が北条氏の力を借りて関東で挙兵し、源義経らの活躍により都から平家を追い出して政権を握るという、有名な源平合戦もの。
特に歴史に詳しい人でなくても、「いいくにつくろう鎌倉幕府」とか「牛若丸と弁慶」とか「耳なし芳一」のようなかたちで馴染みがあるはず。
ただ、よくある源平合戦ものだと平家が滅んだ時点で物語はおしまいになるんだけど、『鎌倉殿』の場合、そこでちょうど折返しぐらい。
後半はひたすら、政権内部での凄惨な内紛が続く。
『鎌倉殿の13人』っていうタイトルは、合議制で幕府を運営することになった13人という意味なんだけど、13人揃ったのは一瞬だけで、1人また1人と殺されていく。
わたくし、「三谷幸喜が『鎌倉殿の13人』っていうタイトルで大河ドラマを担当することが決定!」っていう2020年1月のニュースに対して、こんなツイートをしていました。
源平合戦というメジャーな題材のサイドストーリーとしての鎌倉武士たちの群像劇か。平家を追い詰める爽快な前半と御家人同士の殺し合いバトルロイヤル化する凄惨な後半という鮮やかなコントラストになりそう。三谷幸喜の目のつけどころ、すごい。 https://t.co/SLuPFQdWIA
— ハシノ💿LL教室 (@guatarro) 2020年1月8日
源頼朝というお尋ね者に一族の命運を賭けて見事勝ち組になった地方豪族の物語って感じかな。
— ハシノ💿LL教室 (@guatarro) 2020年1月8日
「真田丸」で本能寺をやらなかったのと同じノリで、屋島とか壇ノ浦をバッサリはしょったりしそう。
キャスティングも楽しみ。特に北条政子がキモになりそう。
はい。ほぼ予言どおりの展開になったよね。
実録ヤクザもの
いろんな人が指摘していますが、『鎌倉殿の13人』って、『仁義なき戦い』などの実録ヤクザ映画にとてもよく似ている。
「実録もの」っていうのは、それまでの高倉健や鶴田浩二がやっていたような勧善懲悪な任侠ものではなく、保身や裏切りがうずまく生々しい権力闘争を実話ベースに描いた作品のこと。
たしかに、実の弟や数少ない仲間でさえも危険だと思ったら殺してしまう『鎌倉殿の13人』の頼朝のキャラクターは、『仁義なき戦い』で金子信雄演じる山守組長を思い起こさせる。
しかし、それ以外にも『鎌倉殿の13人』と実録ヤクザ映画には大きな共通点がある。
それは、「力」というものを扱っているということ。
ヤクザも坂東武者も、集団で暴力を駆使する存在。
そういうわかりやすい「力」の話でもあるんだけど、一方で、年がら年中刃物を振り回しているわけではない。
21世紀からすると野蛮で非効率に見える時代だけど、それでも不良中学生とかとは違うので、1人ずつと殴り合って倒した相手を家来にしていくような非効率なことはしない。
そういう直接的な暴力はいざというときだけ行使することにして、普段は「権力」「抑止力」みたいな目に見えない「力」を使って、直接殴り合わずに相手を従えていく。
「抑止力」は、こいつに手を出したら大変なことになりそうだと相手に思わせる力なので、実際にはそんなに強くなくても手に入れることができる。
ただ、実態のない抑止力は相手に疑われてしまったら終わり。ヤクザは相手にナメられたら終わりだとか、みんなに落ち目だと思われたら一気に落ちぶれるとかいうのはそういうことなんでしょう。
直接的に暴力に訴えたとき、金子信雄演じる山守組長よりも菅原文太演じる広能のほうが強いはずだし、途中からは人望の面でも圧倒的に広能にあるはずなんだけど、山守のほうが常に「力」を持っている。
家来が1人しかいない源頼朝が、なぜ坂東武者たちにお互いを殺し合わせるような命令が可能で、坂東武者はそれに従うのか。つまりなぜ源頼朝に「力」があるのか。
山守も頼朝も、この「力」の使い方を熟知しているがゆえに、ずっとトップに君臨できたんじゃないか。そして、「力」の怖さを熟知しているがゆえに、弟だろうと部下だろうと邪魔になったら躊躇なく始末してしまえる。
21世紀の社会にあって戦後の広島や800年前の鎌倉にないもの
戦後の広島や800年前の鎌倉の物語を、別世界のこととして楽しんでいる21世紀のわれわれ。
そこにはどんな違いがあるかというと、ひとことでいうと「法」だと思う。
コンプライアンスの名のもとに営まれている21世紀の社会では、誰も「力」を好き勝手に使うことはできない。
誰かが何らかの「力」を持つ根拠として、法律がある。
気に入らない相手を殺したり、脅して従わせたりする行為は、刑法にふれることになる。
警察官や自衛隊だけが武器を持って誰かを制圧したり捕らえたりできるのは、そういう法律があるから。
だから、みんないじめっ子に怯えながら暮らす必要はないし、報復をおそれて相手を根絶やしにする必要もない。
人類が長い時間をかけてやっとこんな状態を手に入れることができたおかげで、みんな自分の仕事や家庭に集中できるようになったんじゃないでしょうか。
だって政治や裁判そっちのけで、あいつがおれの命を狙ってるんじゃないかとかばっかり考えてるあの鎌倉の体制って、見るからに生産性めっちゃ低そうでしょう。
そりゃあ戦後の日本にももちろん法律はあったし、平安時代にも一応それっぽいものは存在したんだけど、今と比べると法律の外側の領域がめちゃくちゃ広かったんだろう。
だから、法に守られていないむき出しの集団同士が、「力」の使い方次第で一気にのし上がれたりあっさり潰されたりする。
そのダイナミックなありさまが、実録ヤクザものや中世日本を舞台にした作品のおもしろさなんだと思う。
大義名分というフィクションの力
歴史を動かす目に見えない「力」のうち、もしかしたら最強のカードは「大義名分」ってやつかもしれない。
理由なく誰かを攻撃することは、たとえ鎌倉時代であっても、味方でさえもドン引きしてしまうおそれがある。
しかし、何らかの大義名分さえあれば、人は簡単に攻撃的になれてしまう。
先に手を出したのは相手なので、とか、全体の秩序を守るためにはみんなを代表して我々がやるしかない、とか、神の名において非人道的な敵を許すわけにはいかない、とか。
ここ日本ではずっと、天皇を味方につけることが大義名分になり続けてきた。
中国や他の国の皇帝と違って、目に見える「力」を持っていない天皇が滅びずにこれたのは、大義名分を与える存在として便利だったからでしょう。
天皇を倒して自分がトップに立つよりも、天皇に大義名分をもらって敵対する勢力を制圧するほうが効率よかった。
源頼朝も、後白河法皇(の子)からの平家打倒の指令を受け取ったことが、挙兵の大義名分になった。
大義名分があることで坂東武者を従わせることが可能になったわけで。
そう、平家を倒すまでは、比較的ここが明確だった。
しかし、鎌倉の内紛には大義名分がほぼない。
謀反の疑いとか言うけど、根拠として弱いし命令に従う側も後ろめたさがつきまとってしまう。そこらへんの後味の悪さが、ここ最近の『鎌倉殿の13人』中盤の味わいどころでしょう。
そして、ドラマの終盤ではいよいよ後鳥羽上皇との対立が激化していく。
かつて頼朝に大義名分という「力」を与えてくれた朝廷。
ひたすら仲間内で殺し合い続ける鎌倉側が、大義名分という最強カードをもつ朝廷にどう立ち向かうのか。
回をおうごとにかっこよさが増す北条政子がここからどんな活躍を見せるのか!
めちゃめちゃ楽しみ。