松任谷由実のデビュー50周年ということで、様々な動きがあった2022年。
1980年の未発表トラックを元にAI荒井由実と共演した新曲「call me back」が話題になったり、その「call me back」が収録されたベストアルバム『ユーミン万歳!』が数々の記録を塗り替えたり。
六本木ヒルズでは過去50年の資料や映像、コレクションなどを集めた特別展が開催されたり。
さらには「NHK紅白歌合戦」への出場が決まったり。
FM局や地上波テレビといったかつての主戦場からネットまで、あらゆるメディアを駆使した話題作りはお見事というほかない。
国民的シンガーソングライターが全力で話題作りをしてくれた影響で、ここ最近いろんな人たちがユーミンについて語る姿を目にすることが増えた。
そこで気づいたのが、ユーミンの語られ方の変遷。そしてその偉大さにもあらためて気づいた次第です。
世代によるイメージの違い
2020年の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に松任谷由実がゲスト出演した際に、とても興味深い企画があった。
その企画というのが、10代〜20代、30代〜40代、50代〜60代のそれぞれの年代ごとに、ユーミンのイメージや好きな曲を聞くというもの。
10代〜20代にとっては、ジブリ映画で使われた「ルージュの伝言」「ひこうき雲」と、教科書にも載っている「春よ、来い」のイメージが強いらしい。
30代〜40代にとっては、ドラマの主題歌としての「Hello, my friend」「真夏の夜の夢」「春よ、来い」のイメージ。
そして、50代〜60代にとっては、リアルタイムに自分たちの青春を彩った「中央フリーウェイ」や「卒業写真」が愛されているということだった。
幅広い世代に絶大な知名度を誇っていつつも、世代によってこんなにもイメージが異なるなんて、他のアーティストではなかなかあり得ないことだと思う。
非常に興味深い結果だなと感じるんだけど、各世代が選んだ曲やその理由はすべてとても納得感がありつつも、全体として見たときに大事な要素が抜け落ちていることにも気づいてしまった。
そう。80年代の、何ならもっとも勢いがあった時期のユーミンを、どの世代も語っていないのである。
80年代の勢いはなかったことに?
1981年の『昨晩お会いしましょう』以降、毎年12月頃にニューアルバムをリリースし、すべて1位になるという時代が90年代前半まで続いていたあの頃が、売り上げ的にも社会的な影響力の上でも、ユーミンのキャリア史上最強だったわけですよ。
今回のベストアルバムの収録曲としては「真珠のピアス」「守ってあげたい」「ノーサイド」「青春のリグレット」「リフレインが叫んでる」「カンナ8号線」あたりがこの時代なので、人気だけでなく作品としての質ももちろん高くて、脂が乗り切っていたんです。
にもかかわらず、2020年代に国民が思い浮かべるユーミンのイメージに、この時代のことが含まれていないという。
これ、めっちゃ不思議じゃないですかね?
10〜20代がこの時代のことを知らないのは当然だとしても、少なくとも40代後半とか50代にとっては、ど真ん中のはずなので。
ではなぜそんなことが起こっているのか、そして80年代がどういう時代だったのか、そのあたりをもう少し掘り下げてみたい。
バブル期の象徴としてのユーミン
80年代後半のバブル期には、「若者たるもの恋愛するのが当たり前」「レベルの高い恋人を手に入れることが何より重要」「クリスマスに独りでいるなんて耐えられない」的な、恋愛至上主義的なメッセージがトレンディドラマやファッション雑誌などを中心に強く打ち出されていた。
しかも、ブランド物の洋服と中古じゃない自家用車と一人暮らしのマンションとかが揃っていないと、恋愛市場のスタートラインに立たせてもらうことすらできないらしいとかで、当時小中学生だった自分もあと数年後には自分もそんな戦場に送り出されるのかと戦々恐々としていたものだった。
そんな恐ろしくも華やかな時代を象徴していたのが、イケイケ時代の松任谷由実。
毎年12月頃にアルバムをリリースするごとに100万枚を売り上げ、アルバムごとに掲げていたコンセプトがそのままその年の日本人における恋愛のモードとして流布されるほどの話題となっていた。
たとえばアルバム『Delight Slight Light KISS』のリリース時に「テーマは純愛です!」というご託宣がユーミン様から発せられると、世の中がなんとなく、これからは純愛だ!みたいな感じになるほど。
映画『私をスキーに連れてって』における「恋人がサンタクロース」のような感じで、松任谷由実の楽曲は恋愛至上主義社会のサウンドトラックみたいな存在だった。
恋愛至上主義の終焉とともに忘れ去られたもの
バブル期って、日本人は金儲けし過ぎだって世界中から警戒されていたぐらいで、ほんとに日本中が浮かれていたんだろう。
若者の恋愛至上主義もそういう熱気が生んだ副産物みたいな面はあるんじゃないか。
そんな良くも悪くもイケイケだった当時と、すっかりくたびれてしまってる2020年代とでは、何もかもが変わってしまった。
若者は車を買わなく(買えなく)なり、リスクが大きすぎる恋愛なんかよりも推し活のほうがよっぽど低リスクで充実感を得られることに気づいてしまった。
そして、身にまとう服や乗っている車で自分の値打ちを誇示することも、恋人がいないと人間として劣っているかのようにみなすことも、女性がつきあっている男のステータスで競い合うことも、男性がつきあっている女性のルックスで競い合うことも、すっかり時代遅れになった。
そして、80年代の恋愛至上主義の価値観のほとんどが時代遅れになったことに引きずられるかのように、荒井由実〜松任谷由実の50年のキャリアのうち、その時代の楽曲たちは、近年あまり語られなくなってしまった。
今回のデビュー50周年をめぐる一連のユーミン語りの多くにおいても、相変わらずその時代の話は手薄で、「質の高いシティポップ作品を生み出した八王子の天才」みたいな文脈や、「世代を超えて届く普遍的な作品を作り続けた偉大な人」みたいなものが多く目につく。
だけど、『金スマ』で「卒業写真」への思いを熱く語る50代〜60代は、かつてはそれと同じかそれ以上の思い入れを「真珠のピアス」や「シンデレラ・エクスプレス」に持っていたはずなんだよな。
なのにみんないつの間にか、その頃の自分を無意識のうちに記憶から消してしまったらしい。
別に黒歴史として意識的に隠してるってことではなく、隔世の感がありすぎて、現在の自分と地続きのところに『SURF&SNOW』な時代があったことをちゃんと思い出せなくなってしまってるんじゃないだろうか。
その結果、ユーミンの好きな曲としてエバーグリーンに美しい「卒業写真」を挙げるようになってしまったのではないか。
そんな中、80年代ユーミンを真正面から取り上げて異彩を放っていたのが、こちらの朝日新聞ポッドキャスト。
恋愛至上主義社会のど真ん中にユーミンが鳴り響いていた頃の空気感について知りたい若い人にはぜひ聴いてほしい。
『ユーミン: ArtistCHRONICLE【恋愛しないといけない空気感 バブル前後、ユーミンが若者に与えた影響】』
そして、超重要な論考がこちら。
『ユーミンの罪』という挑発的なタイトルの新書を著した酒井順子による、恋愛至上主義社会の象徴としてのユーミン論。
「除湿機能」「助手席感」「業の肯定」というキーワードで、松任谷由実のすごさを表現している。
あらためてフェアに功績を考える
そもそも荒井由実より前、女性の作詞家っていうと、安井かずみや岩谷時子など片手で数えられる程度しかいなかったわけですよ。
女性歌手が歌っていた歌も99%以上は男性作詞家が書いていたわけで、女性リスナーが流行歌を通じてインストールする恋愛観はそうやって作られていた。
女性蔑視とまでは言わないまでも、どうしたって男目線で描く女歌には限界があるだろう。
そんな時代に、都会的でおしゃれでありながら、清少納言なみの繊細なセンスでめちゃくちゃリアルな女性目線の歌を生み出したのがユーミンという人。
そして、やはりちゃんと考えないといけないのは、恋愛至上主義っていう価値観がなぜ当時あんなにも輝いていたのかっていう部分。
たとえば弱肉強食の新自由主義はたしかにキツいけど、持て囃されるからには理由があって、それは、それまでの非効率で頭の固い経済政策をぶっ壊すというビジョンを示したからじゃないですか。
恋愛至上主義にもそれと同じ構図があって。
それはつまり、女は男に従属するものだとか、結婚は家と家の話だとか、女のくせに自由に遊ぶなんてはしたないだとか、そういった古臭い価値観から開放してくれる面が多分にあったと思う。
もしかしたらユーミン本人にとっては、女性も男性もなく自分の意志を持っていることは当たり前のことだし、男性に守ってもらう無力な存在だなんて感じたことなんて一度もなく当たり前のように「守ってあげたい」と言っただけなのかもしれなく、特に世の中に対するメッセージがあったわけではないのかもしれない。
しかし結果として、好きな男は自分で選んでいいんだよ!受け身じゃなくどんどん自分からアプローチしちゃいなよ!っていう開放感を多くの女性に与えることになった。
つまり本人の資質によって、天然で時代を半歩先に進めていく存在だったんだと思う。
ユーミン『恋人がサンタクロース』を反省 「社会の呪縛になった」 (2016年12月16日) - エキサイトニュース
そういえば今年の紅白歌合戦においても、紅組の一員としてではなく、特別枠での出演なんだよね。
決して紅白の権威そのものを否定するようなラディカルな立ち位置にはならないんだけど、かといって押し付けられることに甘んじることは絶対しないっていう。
そういうところに「らしさ」をとても強く感じる。