森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

リテンションモデル化する音楽業界

今日は本職である会社員の側で得た知見を音楽ブログのほうに持ち込むこころみです。

ちゃんと途中で話がつながってくるので、とりあえず読みすすめてもらいたい。

 

リテンション・マーケティングとは

マーケティングの世界でここ数年流行ってる「リテンション・マーケティング」という概念。

ざっくりいうと、新しいお客さんを相手に商売をするよりも、既存のお客さんとの商売を深めたほうがいいよっていう話。

 

リテンション・マーケティングとは - コトバンク

 

たとえば携帯電話のキャリアは、他社から乗り換えてくる新規のお客さんに手厚くサービスしてくれる一方で、既存のお客さんには特になにもしないっていうのがこれまで当たり前だったんだけど、それだと愛想を尽かして出ていく既存よりも多く新規を獲得し続けないと実はビジネスモデルが成立しない。

今までのやり方が、穴の空いたバケツにとにかく大量の水を注ぎ続けるやり方だったとしたら、そうではなく、まずは穴をふさぐ努力をしたほうが、結果的にバケツに残る水の量(=お客さんの総数)は多くなるっていうね。

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13L スチール製バケツ【通販モノタロウ】

 

バケツに水を注ぐっていうのは、数億円かけてCMをうって、とか、はじめてのお客様限定キャンペーンで100万円が100人に!とか、そういうやつ。

そうやってガンガンやったら10万人ぐらいが新規会員登録してくれたとする。

でも、次の月には10万人のうち9万人がいなくなっていたとしたら、1億円かけて1万人しか定着させられなかったということになる。つまり1億÷1万人で1人獲得するために1万円もかかってしまったと。

 

そういう雑なやり方じゃなく、1ヶ月で9割がいなくなる原因を調べて、そこを改善することをまずやりなさいと。たとえば登録だけしてログインやサービス利用をしないユーザーに対して、割引クーポンを配ったり、使い方をレクチャーしたり。そうすることで1万人しか残らなかったのが2万人になったら、1人獲得するために必要なコストが半額になるわけです。

 

このリテンション・マーケティングっていう考え方が流行ってきたのは、最近いろんなサービスがサブスクリプション化してきたことが大きい。

自宅で映画を観るために、かつてはTSUTAYAでDVDを1枚300円で借りていたのが、Netflixに毎月950円払っておけば何本でも見放題っていう時代になったじゃないですか。最近ではラーメン屋やコーヒー店でも月額いくらか払えば飲み食いし放題になるっていう業態も出てきているっていうし。

こういうサブスクなサービスにおいては、企業としてはいかに長く継続してもらうかが勝負になってくる。商売のやり方がこれまでとは変わってきますよね、ってこと。

 

音楽業界でも

音楽業界においても、AppleMusicやSpotifyが上陸して数年のうちに、サブスクがすっかり中心になってしまった。

 

2018年の時点ですでにダウンロードよりもサブスクなどのストリーミングのほうが売上がデカくなっているらしい。

 

リスナーからしたら、お小遣いを貯めに貯めてやっとの思いで3,000円のアルバムを1枚だけ買っていた時代と比べると、一生かかっても聴き尽くせないカタログの中からほとんどタダみたいな値段でいくらでも聴けてしまう現代はもう天国かそれ以上って感じではある。

(あとは願わくば、音楽のつくり手の側に、これまで以上かせめて同等の収入が入るような構造になっていてほしいよねとは思ってる)

 

物理的に所有していたいという一部リスナーの思いはアナログレコードの復権というかたちで実現してるし、サブスク化の流れはもう止められないでしょう。

 

そうなると、商売としてはやっぱり、リテンションを意識したやり方になっていくのは必然かなと思う。

 

かつてのレコード会社の商売のやり方

レコードやCDといった音楽ソフトを売るという商売においては、かつては購入してもらうまでが勝負だった。

 

かっこいい広告、雑誌のインタビュー、プロモーション文脈でのライブ、これらはすべて、たった一点のゴールにむけた活動だった。

そのゴールというのは、レコードなりCDを購入してもらうこと。

レコード会社にとっては、お金が落ちるのはその瞬間。

それが最初で最後で最大の瞬間だった。

 

極端な話、たとえ次のリリースのときにファンが入れ替わっていても問題ない。

というか、ポピュラー音楽ってそもそも10代の若者のものだし、新曲が出る頃には「卒業」してるでしょぐらいの感じで商売をやっていた気配すらある。

 

そして、芸能界において流行歌手でいられる賞味期限もめっちゃ短かった。

一部の大スターを除き、歌手本人のパーソナリティが明らかになることもなかった。歌番組に出演した際に黒柳徹子に多少つっこまれるぐらいしか機会がなかった。

 

そう、その時代においてリスナーは単発の「歌」を消費してたんだと思う。

消費のサイクルに取り込まれたくない人たちは、テレビに出ないという選択をすることで、自分たちで時間軸をコントロールしようとしていたんだと思う。山下達郎とかそういう人たち。

 

サブスク時代の商売のやり方

一方、サブスク時代になると、レコード会社やアーティストにとって、収入は常に発生し続けていることになった。どこかのリスナーがAppleMusicやSpotifyで曲を再生するごとに、ごくわずかな金額が発生する。

一回の額はわずかでも、とにかく回数が多いし、また世界中からかき集めたらそれなりの規模になる。そういう商売に変わったのです。

 

となると、商売において意識するところは必然的にだいぶ変わってくる。

 

楽曲を手に入れるコストは限りなくゼロに近づいてるわけで、かつてはゴールだった楽曲の購入っていう瞬間が、いまはスタート地点でしかない。

あとは何回その曲を再生してもらえるか、アーティストとしてフォローしてもらって過去作や次回作まで聴いてもらえるか、それによって儲けが全然違ってくる。

 

平成元年、ラジオで聴いた曲が気に入った高校生はレコード屋でシングルCDを購入したとする。その曲にハマりまくろうがすぐに飽きようが、レコード会社にとっては1,000円の売上という点で同じ。

だけど、令和元年の高校生はラジオで聴いた曲をLINE MUSICで検索してお気に入りに入れたとする。この時点ではレコード会社には1銭も入ってない。その曲を折に触れて再生してくれてはじめて、累計で数十円なり数百円の売上が発生する。逆に結局1回しか聴かなかったわ、ってなったら売上は0.2円。

 

この差はデカいよね。

 

レコード会社の会議とかで使われる数字として、「ユーザー1人あたりの再生回数」っていう概念がもうそろそろ言われ始めるような気がする。

いや、もう言われてるかもしれない。

 

その数字を上げるためにどんなことができるのか。

 

キーワードは「フック」と「スルメ」

リテンション・マーケティングとしての音楽においては、楽曲の内容もとても重要。いや、そりゃもちろんいつの時代もいい曲は売れるんだけど、あるタイプの「いい曲」が成功(=メイクマネー)しやすくなると思う。

 

繰り返しになりますが、買い切りモデルの場合、売ったあとのことは基本的にお客の側の問題で1回しか聴かなかろうが1万回聴こうがアーティストの収入は同じだけど、サブスクにおいては再生1回と1万回では収入が1万倍違ってくる。売ったあとこそがキモ。


どういうことかというと、Youtubeで1回再生したときがピークっていうような曲しかつくれないアーティストは淘汰されていく。

いわゆるスルメ曲のほうが金になる。

 

ただしその一方で、1回の再生でよくわかんねーなって思われたらそれはそれでダメだろう。

昔の聴き手は1回聴いてピンとこなかったとしても、すでに1,000円ぐらいのまとまった金を払っている手前、もとを取るために何度か繰り返して聴いてくれた。

 

今はそれが通用しない。30秒ぐらい再生してピンとこなかった曲には、もう二度とチャンスは巡ってこない。なにせ一生かかっても聴き尽くせないカタログがサブスク上にあるわけで、代わりはいくらでもいる。

 

つまり、最初からある程度ピンとくるようなフックと、何度も聴きたくなるようなスルメ感の両方を兼ね備えた楽曲が生き延びる。

オリコンでは目立ってないサブスク独自の売れた曲、あいみょんとかは、それができていたってことでありましょう。

 

歌ではなく人をフォローしていく時代

流行歌っていう言葉があった時代が歌を消費していたんだとしたら、今は人をフォローしていく時代。

 

リリースされた楽曲を手にするところから始まる、アーティストとリスナーの関係性は、SNSでのアーティスト本人からの発信、フェスなどで生ライブに触れる、TikTokなどでの2次創作、といったかたちで強化されていく。

 

リスナーが楽曲を手に入れるコストはほとんどゼロなんだけど、そこからサブスクでの再生数、ライブ、グッズ、などなど細く長くお金を落としてもらうビジネスモデルになっていくしかない。

どれだけ途中で脱落させずに1人でも多くリテンションさせるかが勝負なので、アーティスト側にはマメであることが求められる。そういうの向き不向きあるだろうけど、まあ今はそういう時代。

 

一方、逆に一発大ヒットを狙う必要はないと言うこともできるんじゃないか。

 

最初の方で言ったように、新規開拓よりもリテンションのほうが低コストなわけで。

 

リテンションが成功して忠誠心が高まったファンは昔よりも卒業しなくなってる。

昔と比べてアイドルやバンドの寿命が長くなったとよく言われますが、これ、いろんな要因があるとは思うけどビジネスモデルの転換によるところがかなり大きいのではないだろうか。ファンが卒業しないので長く商売ができるようになったんじゃないかと。

 

これからの時代に成功するアーティスト

大ヒットよりもマメに活動してファンの心を掴み続ける。

一度つかまえたファンはできるだけ卒業させないように何十年でも引き止める(リテンション)。

これが、リテンション・マーケティングの時代のアーティストに必要な素養。


そう考えると、リテンションモデルの偉大な先駆者の存在に気づく。

 

 

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そう、ジ・アルフィーである。

 

彼らはレコードの時代からずっと、地道にリテンション・マーケティングをやり続けてきた。全国津々浦々を丁寧にツアーで巡り、ファンとの絆を大事にして物販にも力を入れ。

国民的ヒット曲はもう何十年も出していないけど、アル中アルフィー中毒の略)と呼ばれるファンはみな忠誠心が高く、40年ぐらいずっと脱落せずにリテンションし続けている。

今こそこのやり方を日本中が見習うときがきているのではないだろうか。

 

 

リテンションモデルは買い切りモデルと比べ、より顧客中心になるとされている。

 

ここで音楽はどこまでビジネスか、アーティストはどこまで商人か、という命題にぶち当たる。

リスナー側に降りていって、ほしいものを与えるだけで本当にいいのか。誰にも媚びずに創作意欲のおもむくままに作品をつくって、結果としてリスナーが熱狂するっていうあり方が本来ではないのか。アーティストはその名の通り芸術家なんだ、商人じゃないんだ、とか。

ものをつくってる人間なら一度はこういうことを考え込んだことがあるでしょう。

そしてほとんどの創作者にとっては、どちらの極にも振り切ることが難しく、どうにか折り合いをつけながらやっているのではないか。

 

その点アルフィーは明快。

徹底した顧客中心主義を貫いてきたことで先駆者になれたんだと思う。

 

愛のままにわがままに僕は平成のJ-POPベスト10枚を選びました後編(2002〜2019)

いよいよ平成も終わりということで、この機会に平成のベスト10枚を選んでいます。 

こちらに続き、今回は後編。

 

あ、どれだけ売れたかとかどれだけシーンへの影響力があったかとか、そういうのは一旦すべて度外視して、個人史的にインパクトがデカかった10枚を、できるだけ30年間からまんべんなくセレクトするという趣旨でやってるよ。

  

あと年号の変わり目でひとくくりに語るのはナンセンスってのは百も承知ですが、たまたま平成元年は「J-POP」という言葉が生まれた時期でもあったわけで、またこの30年間で日本人の音楽との付き合い方が大きく変化したということもあり、平成のJ-POPについて考えることにはそこそこ意義があるはずって思ってやってます。

 

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Crazy Ken Bandグランツーリズモ』(2002年)

グランツーリズモ

グランツーリズモ

 

もともと歌謡曲が子供の頃から好きで。

特に1960年代後半から70年代前半に特有の、つまりグループサウンズや和製R&Bな人たちの、コクがある歌いっぷりやキレッキレのリズム隊だったりが大好物。

ただ自分がそういう音が好きっていうことは、10代を通じてあまり誰とも共有せずにきた。それよりもリアルタイムの英米の音楽シーンを追っかけるほうが楽しかった。

 

ところが90年代中頃に、そういった歌謡曲を「和モノ」とかいう呼称で再評価するムーブメントが若い世代で起こる。

過去の音楽を文脈から切り離してサンプリングするっていうノリが「渋谷系」の精神だとよく言われるけど、その参照元として、昭和歌謡は実はかなりのウェイトを占めていたと考えてる。

たとえばピチカート・ファイヴ小沢健二かせきさいだぁスカパラといった人たちには特に色濃く感じるし、その周辺でいうと、サニーデイ・サービスゆらゆら帝国デキシード・ザ・エモンズ東京パノラママンボボーイズなど、和モノ界隈との距離が近い人たちがたくさんいた。

 

クレイジー・ケン・バンドを初めて知ったのは、小西康陽がプロデュースしてるっていうことや幻の名盤解放同盟の人たちがめっちゃ推してるっていうところから。

 

いわゆる昭和歌謡の世界を、サウンドはもちろん精神の面からも再現しようとしてて、しかもそこには清水アキラ淡谷のり子を歌うときのような、リスペクトと批評が絡み合った独特の愛情表現になってて。

すぐに夢中になった。

 

このアルバムは、2002年リリースのメジャー流通第1弾。

ただの時間が止まったおやじバンドではなく、たとえば「夜の境界線」という曲ではスヌープ・ドッグを引用していたりと、フレッシュさと老獪さの両方を高いレベルで持ち合わせてるのがほんと唯一無二だなって。

 

やむにやまれず初期衝動に駆られて生まれた作品や、若くしていろいろ整いまくってる早熟の天才もすごいと思うけど、いい年になっても粘り強く表現し続けてる人や、やりたいことをやれるための環境を整えるのに数十年かかってやっと出てきたような人にむしろシンパシーを感じてしまうんですよ。こういうのなんて言うんだろう、初期衝動の逆のやつ。中年のしつこさの美学。

 

Perfume『Complete Best』

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

 

今や紅白歌合戦の常連であり、海外でもコーチェラ・フェスティバルに出演するなど、日本の先端テクノロジーな面を一手に背負ってるぐらいの存在になってしまってる感もあるPerfume

 

しかしみんなご存じの通り、Perfumeはかつて広島の売れないローカルアイドルだった。

爆風スランプパッパラー河合プロデュースでいかにもローティーンのアイドル然とした楽曲を何曲かリリースしたものの売れず、路線変更して仕切り直すべくプロデューサーとして選ばれたのが、今をときめく中田ヤスタカ大先生だった。

最初はかわいらしいテクノポップ路線からはじまり、徐々にゴリゴリのエレクトロなダンスミュージックにシフトして「ポリリズム」あたりでブレイクしていくんだけど、このアルバムが出たのはそんなブレイク前夜にあたる。

 

だいたい、デビューアルバムなのに『Complete Best』ってどういうこと?って話でしょう。

これ、中田ヤスタカ路線でも思ったような成果が出なかったので、アルバムを出したら店じまいするつもりだったのではないか、だからベストなんてタイトルだったんじゃないかと、まことしやかに言われてるよね。真相はわかりませんが。

 

そんな時期に、友人からPerfumeっていうアイドルがすごいって激推しされて。

聴いてみたらたしかに!ってなって、ライブにも通うようになったのだった。

 

ポリリズム」が出た頃でもまだ都内のライブハウス規模でライブを見られたし、持ち曲が少なかったのでパッパラー河合時代の「彼氏募集中」なんて曲もふつうにやってた。お客さんも、つわものアイドルオタク、音楽業界や広告業界っぽい大人、大学生ぐらいのおしゃれ女子といった層が混在していてなかなかにカオス。

ただ間違いなく言えるのは、当時のPerfume現場の客席で支配的だったのは、昔から支えていたオタクたちの空気。つまりPerfumeはブレイクしてからもしばらくは色濃くアイドルだった。具体的にいうと武道館ぐらいまではアイドルだった。

 

当時はAKB48も立ち上がったばかりの時期で、のちにアイドル産業がここまで盛り上がるなんて予想してなかったけど、その初期にPerfumeがいたことって、その後のアイドル界のありかたにけっこう影響を与えてるんじゃないかな。

たとえばPerfumeがいなかったら、アイドル現場における女性ファンの比率がここまで高かっただろうか、とか、楽曲のクオリティやエッジ感はここまでだっただろうか、とか。

 

でんぱ組.inc『World Wide Dempa』

WORLD WIDE DEMPA 通常盤

WORLD WIDE DEMPA 通常盤

 

というわけで、Perfumeが切り開いた、エッジな音楽性のアイドルっていう路線は、ももいろクローバー、さらにでんぱ組.incに繋がったと思っています。

 

秋葉原のディアステージっていうメイドカフェを母体に結成されたでんぱ組.incは、いわゆる萌えカルチャーを体現する存在として登場した。楽曲も、畑亜貴小池雅也といったそっち系ど真ん中の作家が手がけていた。

 

ただ、プロデューサーのもふくちゃんという人の感性のおかげで、かせきさいだぁ&木暮晋也に曲をオファーしたり、ビースティーボーイズっていう米ヒップホップグループの90年代の曲をカバーしたり、小沢健二の曲をヒャダインのプロデュースでカバーしたり、主催イベントに灰野敬二っていうノイズ・ミュージック界の大御所を呼んだり、メンバーの人間関係がギクシャクしてるさまを赤裸々に曲にしたりと、特定のジャンルにおさまらないことをいっぱい仕掛けていく。

しかもそれがいちいちセンスよくて、Perfumeももクロなどでエッジのたったアイドルの魅力に気づいた人たちがでんぱ組に一気に流れるということがあった。2012年頃。

 

わたくしも上記のような振れ幅にすっかりやられてしまい、ねむ推しとして現場に通うようになっていたのだった。そのあたり詳しくはこちらを参照。

『World Wide Dempa』っていうアルバムは、グループにとってはセカンドアルバムだけど、メンバーが固まって6人体制になって最初のアルバムでもある。

畑亜貴小池雅也かせきさいだぁ&木暮晋也、前山田健一といった豪華作家陣がそれぞれの持ち味を発揮しまくり、さらには玉屋2060%っていう新たな才能を起用して大当たりし、つまり収録曲のほとんどが代表曲になっている最強の一枚。

 

民謡クルセイダーズ『Echos Of Japan』

エコーズ・オブ・ジャパン

エコーズ・オブ・ジャパン

 

日本古来の民謡を、ラテンを中心としたグローバルな音楽性でアレンジして演奏するバンドのデビューアルバム。

「炭坑節」とか「会津磐梯山」とかの、日本人なら誰もが知ってる、しかしほとんどの人にとってはおじいちゃんおばあちゃんのカルチャーだと思われてる民謡が、めちゃめちゃフレッシュに蘇ってる。

 

もともとラテン音楽は大好物だし、河内音頭江州音頭のような地元の民謡も好きだった自分のような人間にとって、民謡クルセイダーズはよくぞ出てきてくれた!ってな俺得なバンドなのです。

 

しかも、ここがすごく重要なことなんだけど、ラテンに料理するセンスがずば抜けてる。

ラテン音楽って一口に言っても、街のサルサ教室のそれもだし、街角で「コンドルは飛んでいく」を演奏するおじさんバンドのそれもだし、いろいろある。

その中で、クンビアだったりブーガルーだったりといった、欧米のおしゃれレーベルがアナログで再発するような、そして気の利いたクラブでDJがかけるような、そのあたりの路線を選ぶセンスですよ。

その上、肝心の歌が民謡としてへたっぴだったら元も子もないし、頭でっかちなだけで演奏がしょぼくてもまた台無しなんだけど、そのあたりも実にちゃんとしてて、すばらしい。

 

われわれ日本人って、明治以降は西洋の音楽に完全にかぶれてしまってて、伝統的な民族音楽を日常から消し去って100年以上たってるわけだけど、そんな状況に違和感だったりもったいなさを感じる人たちっていうのは常に一定数いると思う。

 

だけどだいたいは長渕剛のように、日本の誇りについて考え続け、西洋のモノマネだけでいいのかって問題意識を持ってはいても、結局出してる音は日本の伝統的なものとは切断されてるってパターンが多い。

 

なかには、西洋の音楽に日本の伝統を接続して日本人のオリジナルの音楽をつくろうという試みに取り組む人たちもいる。古くはスパイダースの「越天楽ゴーゴー」とか岡林信康の「エンヤートット」とかね。

ただ、それも多くの場合あまりうまくかなかったり長続きしなかったり(沖縄は例外として)。ある程度のポピュラリティを獲得するケースもあるけど、音楽的な深みはなかったりする。たとえば、よさこいソーラン的なやつ。

ましてや世界の音楽好きを驚かせるようなことは過去に例がなかった。

 

民謡クルセイダーズは、これまで多くの日本のミュージシャンができなかったことを成し遂げるかもしれない。

そう、民クルは世界中でじわじわ評価されはじめてる。おそらく今後もっと評価されるし、来年あたりヨーロッパツアーをやって一大ムーブメントになっても全然驚かない。

 

 

 

90年代に映画『アンダーグラウンド』のサントラをきっかけにヨーロッパでジプシー音楽がめっちゃ流行ったぐらいの規模で、2020年に民謡ブームが起こっても不思議じゃない。そしたら浮世絵のときと同じ経路で日本人が民謡を再発見することにもなるであろう。

 

cero『POLY LIFE MULTI SOUL』

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

 

言わずとしれた、2010年代の日本を代表するカッコいいバンド。

ここ最近のいわゆる新しい「シティポップ」と呼ばれるような若手バンドたちの筆頭のように位置づけられることも多いんだけど、本人たちは特定のジャンルにとどまることなく勝手にどんどん進化しつづけてってるのがすごい。

 

前作『Obscure Ride』では黒人音楽に接近し、特にディアンジェロ的なわざとズラしたようなリズムを取り入れるなど日本では他の追随を許さない感じになってきていたcero。このアルバムも大好きだった。

なんと稲垣吾郎のフックアップにより「SMAP×SMAP」でSMAPと共演したりも。

 

で、そのまま世界水準の新しいソウル・ミュージックをどんどんやってくれてもよかったんだけど、3年ぶりにリリースされた『POLY LIFE MULTI SOUL』では、まったく新しいところに挑戦しており、きっちり度肝を抜かれてしまった。

 

今回は、変拍子ありアフリカ的な細かいビートあり、今どきのジャズの感じとかにもかなり接近してる。まあとにかく、あまり聴きなじみのないつくりの音。ひとつひとつの楽器のフレーズに耳をすますと、変なタイミングで鳴らしてるやつがあったりする。すごく気になる。

なんだけど、めちゃめちゃ踊れる。

でまたライブは特にすごいことになってるし。

 

60年代からの日本のロックやポップ音楽にはいくつかの系譜があると思ってて、ムッシュかまやつのラインとか大滝詠一のラインとか井上陽水のラインとか。で、細野晴臣のラインってあるじゃないですか。

ceroは間違いなくそのラインの正統な後継者であり、しかも先人の縮小コピーじゃなくてむしろ発展させてる感じがある。

 

長いこと音楽を聴いてると、このバンドと同じ時代を過ごせてることがうれしくてしょうがないことってあるじゃないですか。または、後追いで好きになったバンドについて、リアルタイム世代の話がうらやましくてしょうがないこととか。

たとえば1963年から69年のビートルズを同時代で体験したのとか、死ぬほどうらやましいじゃないですか。

 

ceroに関しては、結構それに近い感覚をもっていて。

毎回新しいことに手を出しつつどんどんヤバみを増していくバンドをリアルタイムで追えるよろこび。

30年後の若者たちをめっちゃうらやましがらせる現象を、われわれはリアルタイムで体験しているのだと思ってます。ありがたい話です。

 

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以上、わたくしハシノが愛のままにわがままに選んだ平成の10枚でした。

 

40歳も過ぎるとなかなか新しい音に反応できなくなってくるけど、ちゃんとアンテナを張ってれば、いつの時代もおもしろい音楽はある。

おのれのアンテナが錆びついてるだけなのに、「近頃はいいバンドがいない」とかなんとか軽々しく言うなよって思います。

 

AppleMusicのレコメンドのおかげで、おじさんは気を抜くとすぐに90年代に旅立ってしまうんだけど、できるだけ重力に負けずにいたい。

いつか令和の10枚を選ぶときが来たとしても、今と同じぐらいのテンションで、10枚に収めるの難しいぞなんてうれしい悲鳴をあげていたいものです。

 

愛のままにわがままに僕は平成のJ-POPベスト10枚を選びました前編(1990〜2001)

先日のLL教室イベントで、メンバーそれぞれの平成J-POPベスト10枚を選ぶという企画をやった。

どれだけ売れたかとかどれだけシーンへの影響力があったかとか、そういうのは一旦すべて度外視して、個人史的にインパクトがデカかった10枚を、できるだけ30年間からまんべんなくセレクトするという趣旨。

(「まんべんなく」のしばりがないと、10代の多感な年頃をすごした1990年前後だけで簡単に10枚いってしまうので)

 

 

いざ取り組んでみると、10枚に収めるのが難しく、たくさんの名盤を泣く泣く外すはめになってしまいなかなか辛かったんだけど、なんとか決めました。

 

愛のままにわがままに選んだ10枚はこちら。

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イベントではあまり丁寧に話せなかったので、この場で1枚ずつ解説していこうと思います。有名どころ中心のラインナップではあるけど、それまで名前は知ってたけど聴いてこなかったっていう音に触れるきっかけになってくれたら幸い。

 

今回は前編として、1990年から2001年までの間で選んだ5枚を紹介します。

 

ユニコーン『ケダモノの嵐』(1990年)

今では「奥田民生がやってた(る)バンド」として認識されてることが多いみたいだけど、実はユニコーンって、ひとりの天才に率いられたいわゆるワンマンバンドではない。

メンバー全員が作詞作曲するしメインボーカルもとるし、プレイヤーとしてもそれぞれすごい人たちなのです。

 

デビュー当初は、いかにも80年代っぽいシンセと8ビートのバンドだったユニコーン

たしかに作曲やアレンジのクオリティは最初から高かったけど、バンドとして本領発揮したのは2枚目3枚目とリリースするごとに音楽性がどんどん多様になっていってから。

ハードロック、ラテン、ニューウェーブ、レゲエ、アシッドフォーク、ハードコアパンクテクノポップ、ロカビリー、ビッグバンドジャズ、あげくクラシックやケチャまでも取り入れて消化していく貪欲さ。

軸がなさすぎて「ユニコーンらしい曲」っていう曲がどれなのかわからないほど。

 

また、インタビューでの受け答えやCDのスタッフ表記など、音楽以外の場所でも常にふざけていて楽しそうで、そういうところもめちゃめちゃ憧れた。

音楽を仕事にするって楽しそう!と中学生男子を勘違いさせてくれたおかげで、その後の人生がかなり決定づけられました(ユニコーンに出会うまでは落語家かラジオの構成作家になりたかった)。

 

その中でも『ケダモノの嵐』はリアルタイムで聴きまくった。

この時期のインタビューでユニコーンは「われわれの音楽は20代後半以上のおっさんにぴったりくるようになってる」みたいな発言をしていて、女子中高生がファン層の中心だった彼らがそういうこと言うのかっこいいなって思ったし、実際にそういう音だった。がんばって背伸びして聴きこんだ。

曲ごとに音楽性が見事にバラバラでありつつ、共通しているのは噛めば噛むほど味がしてくるスルメ感。数年前までキラキラなシンセ中心だったとは思えない、ビンテージな音づくり。

音楽遍歴の最初期にこんなアルバムに出会えたっていうタイミングの良さに感謝しかない。

 

「働く男」はダウンタウンが全国区でブレイクしたきっかけのひとつになった「夢で逢えたら」のオープニング曲だった。

 

筋肉少女帯『月光蟲』(1990年)

月光蟲

月光蟲

 

リスナーとしてもっともハマったのはユニコーンだったけど、自分のアイデンティティ形成のうえでもっとも大きな存在は、筋肉少女帯そして大槻ケンヂだった。

 

奥田民生ユニコーンの人たちって、当たり前だけどめちゃモテる側の人だし、まあオトナだなという感じもあり、感情移入する対象ではなかったんよね。

自分は他の人間とは違うのだ!と信じていたけどそれを表現する方法がわからず、男子校で鬱々とすごしていた当時の自分にとっては、大槻ケンヂという人の発言や筋肉少女帯が描き出す、猟奇的で孤高な世界がものすごくぴったりきた。

 

筋肉少女帯の音楽性は、メジャーデビュー直後は超絶技巧のピアノとハードコアパンクの融合っていう独特すぎるものだったんだけど、そこからメンバーチェンジを経て徐々にヘヴィメタル化していく(パンクな出自でメタル化するバンドって筋少に限らず大好物)。

1990年にリリースされた『月光蟲』というアルバムは、そんなヘヴィメタル化の絶頂期。攻撃的なスラッシュメタルを軸に、変拍子の男女デュエットやファンキーなハードロックや幻想的な小品まで自由自在に行き来しつつ、どれもこれも他のバンドとは一線を画すオリジナリティのかたまりになってる。またメンタルに波のある大槻ケンヂという人の歌詞もこのアルバムではキレッキレであり、アルバム冒頭から最後のインストまでバンドの勢いと才能が充満してる。

 

その後バンドにつきものの内紛の結果なんと大槻ケンヂ自身が脱退するなんて事態もあったけど、2006年に久々に「仲直りのテーマ」なんてタイトルの曲を引っさげて復活した筋少

自分は人とは違うと思いながらも現実世界では非力っていう子たちは、ネットの世界やオタクカルチャーの担い手として、当時よりもむしろ多くなってるかもしれない。数々のアイドルへの歌詞提供や声優とのコラボから見て取れる、その界隈との親和性の高さね。

筋少はPVもかっこいいのが多い。当時はオウムが事件を起こす前で新興宗教ブームとかいわれてた時代だった。

 

上々颱風上々颱風』(1990年)

上々颱風

上々颱風

 

JALの沖縄キャンペーンのCMソングになった「愛よりも青い海」で有名になった上々颱風

そのせいで沖縄のバンドだと思ってる人もいますが違います。

バンジョーに三味線の弦を張った楽器とかいろんな民族楽器なんかも駆使して、民謡やレゲエやファンクなどを幅広くミックスした「無国籍音楽」を標榜していた大所帯バンドであります。

 

当時の自分は、芸能山城組が手がけた映画『AKIRA』のサントラでケチャやガムランの不思議なカッコよさを知り、また母親が買ってきた細野晴臣監修「エスニック・サウンド・セレクション」っていうCD全集でさらに深淵を垣間見たりして、早熟にも十代前半でワールドミュージックへの興味が高まっていた頃。

そんなタイミングで上々颱風が登場したわけで、これだ!ってなったよね。

そんでしばらく夢中になって聴いてた。

 

のちにスタジオジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」では全面的に音楽を担当しており、これがまた最高のマッチングだった。狸たちが再会するエンディングのシーンで、しばらく無音が続いてから上々颱風の「いつでも誰かが」が流れ出すところなんてもう鳥肌。

落語への深い理解と愛情っていう語り口とか、「ぽんぽこ」は語りだすと止まらなくなるのでこのへんにするけど、高畑勲はほんとすごい。 

  

 

そんな上々颱風の1990年のデビューアルバムは、アジアなメロディと民謡マナーの歌いまわしに祭囃子のビートっていう独自性がすでに炸裂してる。特に聴きどころとしては中盤「仏の顔もIt's all right」における、桜川唯丸っていう大御所の音頭取りをゲストに迎えての江州音頭ファンク。

子供の頃から地元の盆踊りで馴染みがあった江州音頭が、こんな感じでバンドサウンドになったことにめっちゃ感動したものだった。

 

小沢健二『LIFE』(1994年)

LIFE

LIFE

 

いろんな人が平成や90年代のフェイバリットに挙げるこのアルバム。

例に漏れずわたくしもヤられたクチです。

 

それまで大槻ケンヂ的なアングラな価値観に居心地の良さを感じていたわけで、普通に考えたら渋谷系の王子様みたいな扱いだった小沢健二とは対極にいたと言っても過言ではないわけで。

しかしながら、そういう表層的なポジション取りの文脈を軽々と超える強さで『LIFE』は飛び込んできたのだった。

 

メタル畑の高校生だったため黒人音楽の知見がほぼ皆無の状態だったので、このアルバムの音楽的な背景や元ネタみたいなことは全然わかってなかったんだけど、それでも7分超えの大曲が普通のポップソングのサイズを大きくはみ出していることはわかったし、そのことによって生まれる永遠に続いてくような多幸感、そしてその裏返しの無常観みたいなものは伝わってきた。

 

あと影響を受けたのは、世の中に対する目線。

特に「ドアをノックするのは誰だ?」っていう曲の、「爆音でかかり続けてるよヒット曲」っていうフレーズには、それまでの意固地な音楽観がいい意味でぶっ壊されました。お茶の間むけのヒット曲は好きになれないしバカにしてるけど、ヒット曲がかかり続ける空間を愛することはできる!っていう気づき。これ、その後の人生での音楽の聴き方にものすごく響いた。

すべての音楽にちゃんと向き合おうって思うことができた。

 

2016年にものすごく久しぶりの新曲をリリースして以降、男児の父親としての目線での歌詞が増えた小沢健二。同じく男児の父親になった自分としては、最近の曲も刺さりまくるよね。

 

そういえば、対極にあると思っていた大槻ケンヂ小沢健二ですが、後に大槻ケンヂがソロアルバムで「天使たちのシーン」をカバーするっていう、俺得な交流が生まれるのであった。

 

電気グルーヴ『A』(1997年)

A(エース)

A(エース)

 

ピエール瀧の逮捕によって音源がサブスクからも店頭からも消えてしまった電気グルーヴ

 

サブカルヒーローとしても、テクノ音楽のパイオニアとしても、90年代における電気の存在はものすごく大きかったんだなと、ここ最近のいろんな人のいろんな発言を見ていてあらためて思った。

自分にとっても、電気はずっとアルバム単位で聴き込んできたし、何度もライブやDJで踊りまくってきたし、あと新しい音楽に出会うきっかけもくれたっていう意味でも大きな存在。

たとえば「テクノ専門学校」っていうコンピで海外の曲をレーベル単位でまとめてくれたり、あとはオランダ発のガバっていうエクストリームなサブジャンルや、韓国発のポンチャックっていうトラック運転手むけの脱力テクノポップを紹介してくれたり。

 

そんな電気ですが、この1枚っていうとやはり1997年の『A』。

大ヒット曲「Shangri-La」が入ってるというだけでなく、アルバム全体を通しての流れがすごくいい。曲と曲の繋がりなんかも、くるべきところにくるべき音がくる、っていう気持ちよさが溢れてるよね。

ガリガリ君」「ユーのネヴァー」「あるなろサンシャイン」といったピエール瀧が大活躍する曲もあり、またこのアルバムを最後に脱退したまりんの功績も大きいと思うし、バンドっぽいアルバムでもある。

 

しかしこの夏はフジロックやその他の場所で電気が見られると思っていただけに、残念でならない。20代からコカインやってたらしいけど、それであの仕事量とクオリティを維持できていたんなら、もはや何が問題なのかって話だよね。どこにも支障をきたすことなく嗜んでこれたってことでしょうよ。暴力団の資金源がーっていうんなら、もうJTがコカイン売ってたっぷり税金とればいいと思う。

 

www.youtube.com

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やっぱり10代から20代前半までの間に出会った音楽についてはついつい思いがあふれて長文になってしまうな。

お付き合いいただきありがとうございます。

後編はもう少し簡潔にやりますので乞うご期待。

 

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 4/20追記

ぜんぜん簡潔にならなかった後編はこちら!

guatarro.hatenablog.com

 

「平成狸合戦ぽんぽこ」がもっと楽しくなる『落語』なキーワード7つ

高畑勲監督が亡くなってからちょうど1年にあたる今日、「金曜ロードショー」で「平成狸合戦ぽんぽこ」が放送される。

 

 

この作品、これまでも定期的にテレビで放送されてきたので、何度も観たという方も多いでしょう。

ただ今回はちょっと違う観点から観てみませんかというご提案。

 

そう、「平成狸合戦ぽんぽこ」っていう作品は、落語に関連するキーワードで読み解くとさらに楽しみが深まるのであります。

 

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71UI3BzrmtL._SL1000_.jpg

 

1. 語りが古今亭志ん朝

まず、物語の語りをやってるのが、古今亭志ん朝(ここんていしんちょう)

2001年に惜しくも亡くなってしまった落語会のサラブレッドにして大スターです。

 

大河ドラマ「いだてん」でビートたけしが演じてることでも知られる昭和の大名人、古今亭志ん生(しんしょう)の次男なんだけど、父の志ん生が破天荒な芸風なのと対象的に、端正でいて可笑しみもある芸風が特徴。


まず語り役に志ん朝が起用されているところに、何よりも「ぽんぽこ」が落語的であることがあらわれてると思う。

 

かつて、「落語の魅力は?」と問われたときに、志ん朝は「狐や狸が出てくるところ」と答えたという(これ落語好きがみんな大好きなエピソード)。

ものすごく深い心理描写ができる人情噺から大爆笑の滑稽噺まで、ほぼ無限の可能性をもつ落語という演芸を、ある意味で極めたような大名人が、落語の魅力をひとことで語る際に「狸」という言葉を使ってる。

ごく当たり前に狸が出てくるような、落語の世界を心底愛していたんだろう。

 

そういう発言をした志ん朝が語るおはなしなんだから、その時点で「ぽんぽこ」は落語であるって言ってしまっても過言ではないよね。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/412UiCVj0oL.jpg

 

いきなり結論が出てしまったけど、この作品が落語的である理由はこれ以外に6つもある。

 

2. 子狸が林家正蔵(九代目)(林家こぶ平

今では林家正蔵(はやしやしょうぞう)なんて大名跡を継いだわけだけど、公開当時は「こぶちゃん」なんて呼ばれて可愛がられるキャラクターだった。

この人もサラブレッドで、爆笑王と呼ばれた父・林家三平(はやしやさんぺい)と常に比べられることに悩んでいたというけど、まだまだ未熟だけどなんとかがんばろうと奮闘する子狸の感じが当時のこぶ平に最高にマッチしてる。

 

3. 長老が柳家小さん(五代目)

柳家小さん(やなぎやこさん)は、落語家ではじめて人間国宝になった人。柳家花緑(やなぎやかろく)のおじいさん。
戦前から活躍している大ベテランで、兵隊として二・二六事件に関わったというから、当時すでにかなりの高齢だったわけで、長老狸の役がものすごくハマってる。

 

4. 四国の大狸が桂米朝(三代目)と桂文枝(五代目)

昔から狸の本場は四国ということになってるんだけど、「ぽんぽこ」でも東京の狸たちが助けを求めて四国を訪ねる。

そこで登場する四国の大物を演じているのが、上方落語の大師匠たち。

戦後に衰退していた上方落語を発展させたいわゆる「上方四天王」のうちの2人である。

 

もともと文学を志していたという学者肌の桂米朝、音楽にのせたネタを得意とする桂文枝という2人の特徴が、狸のキャラ造形に反映されているようで、高畑監督の落語愛を節々まで感じる。

あと桂米朝が演じた金長狸という狸は神社に祀られているんだけど、桂米朝は神主の家系に生まれた人っていうつながりもある。

 

金長神社 - Wikipedia

 

5. 歌舞伎や講談のパロディとして

落語っていうのはそもそも歌舞伎や講談のパロディとして発展してきたという歴史がある。歌舞伎の設定やセリフを元ネタにしたギャグがたくさんある。

 幕末や明治の頃に庶民の娯楽の王様だった歌舞伎や講談をいじって笑いにつなげてきたわけで、ダウンタウンとんねるずがトレンディドラマやハリウッド映画のパロディをやったのと同じ。

 

さっきから落語家の名前に「◯代目」ってつけてるように、落語の世界では大きな名前を代々受け継いでいて、大々的に襲名披露公演をやったりもするんだけど、こういうことも歌舞伎界がやってることのパロディとしてはじまったとか言われてる。

 

そう考えると、自然破壊という重いテーマを、人間の代わりに狸を使って軽やかに語るっていうスタイルそのものも、とっても落語的に思えてくる。

 

「平成狸合戦」というタイトルも、明治時代に流行した講談の「阿波狸合戦」が元ネタになっており、まさに講談のパロディとしての落語なんだよな。

 

6. 「神経のせい」

後半、狸たちが化け学の能力を発揮して人間たちを脅かしまくるシーンで、こういうセリフが出てくる。

 

キツネの嫁取りだ キツネの提灯だって
神経がそう見えるんだねえ
ありゃ神経のせいだよ

 
真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」っていう、明治時代の大名人である三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)が創作した怪談噺がある。

 

当時は明治維新の後の文明開化の時代で、西洋文明をがんばって取り入れようとするあまり、古くからの言い伝えみたいなものはすべて迷信として片付けられていて、幽霊や妖怪みたいなものも、神経の作用で見えた錯覚であると言われていた。

 

そんな空気が支配する時代に、めっちゃこわい怪談噺を創作し、タイトルに神経をもじった「真景」をもってきたっていうね。さすが日本文学の言文一致体にも影響を与えたといわれる圓朝

 

このシーンのセリフはこれが元ネタになっており、眼の前で繰り広げられる化け学を神経のせいにしてかたくなに信じまいとする大人たちの正常性バイアスに対する皮肉にもなってるわけ。

真景累ケ淵 (岩波文庫)

真景累ケ淵 (岩波文庫)

 

 

7. 人間の業

人間が生きていく限り自然を破壊せずにはいられないっていうのは、「もののけ姫」や「風の谷のナウシカ」などのジブリ作品に共通するテーマ。


平成狸合戦ぽんぽこ」で無残に切り開かれてしまった多摩の自然が昭和の高度成長期に住宅地になり、そこが数十年後に「耳をすませば」の舞台になるわけで、つまりみんなが感動したあの坂道やあの工房の下には、狸の死体がたくさん埋まってる。

 

自然を破壊せずには生きていけないっていう、人間の背負った業。

そんな人間の業を否定せず、都合よく無視することもせず、ただ見つめ続けるっていうのがジブリ的なスタイルだと思っていますが、それと通じるような「落語とは人間の業の肯定である」という名言をある落語家が残してる。

 

その落語家というのが、語り役の古今亭志ん朝のライバルだった立川談志

 

https://www.bs-asahi.co.jp/wp-content/uploads/sites/27/2018/01/prg_031.jpg

 

志ん朝と談志という2人の天才落語家の関係性や落語観の違いを重ね合わせてみることで、落語好きは「ぽんぽこ」で号泣することが可能なのである。

 

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このように、「平成狸合戦ぽんぽこ」という作品はいろんな意味でものすごく落語なのです。

逆に、「ぽんぽこ」の世界観がなんだかいいな〜って思える人であれば、落語好きになれる可能性が高い。

ぜひこの機会に落語にふれてほしいです。

 

youtu.be

 

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平成のJ-POPを7つの時代に分けてみたらいろいろ見えてきた 〜LL教室の試験に出ないJ-POPイベントふりかえり

先日こういうイベントをやりました。

 

 

われわれLL教室が定期的にやってるJ-POPトークイベントの番外編として、平成ぜんぶをひとくくりにして語ってみようという企画。

そりゃまあ、年号の変わり目で何かをひとくくりに語るのは本来ナンセンスな話だし往々にしてこじつけっぽくなるもんだけど、それでも平成J-POPというくくりに意味がありそうな感じがしたのは、たまたま平成元年は政治経済そしてカルチャーが激変するタイミングであり、そもそも「J-POP」という言葉が生まれた時期でもあったから。

 

われわれに限らずいろんな人が平成のJ-POPを語るモードになってるなか、 LL教室としてもひとつの見解を示しておきたいという気持ちもあり、わりと急きょイベント開催に至ったのです。

 

7つに分けてみた

 

では、どのようにして平成J-POPの30年間を扱うのか。

 

そこで今回やってみたのが、たとえば石を削って槍などをつくっていた時代を石器時代、縄の模様の土器が多くつくられた時期を縄文時代、稲作が広まった時代を弥生時代、といった感じでその時期の特徴ごとに分類していく歴史学っぽいやり方。

 

そのやり方でいくと、平成J-POPの30年間はこんな感じになりました。

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ネーミングの時点で察せられるところもありそうですが、ひとつひとつの時代ごとに特徴をみていこうと思う。

 

プレJ-POP期(平成元年〜4年)

主なヒット曲
特徴
  • イカ天」などバンドブーム
  • ドラマ主題歌からのミリオンセラー
  • 80年代ニューミュージックの名残り
  • 通信カラオケ登場

 

数年前(昭和末期)からインディーズシーンで始まっていたバンドブームがメジャーの舞台に移ってきて、プリプリやたま、ユニコーンジュンスカといったバンドがヒット曲を生み出した時代。

また小田和正松任谷由実チャゲアス浜田省吾山下達郎といった、いわゆる「ニューミュージック」と呼ばれた昭和のシティポップを支えた人たちもまだ現役。

つまり、この頃はまだ昭和の延長線上にあったと思う。

 

一方、トレンディドラマの主題歌がミリオンセラーになるという、平成初期にはおなじみの光景がみられるようになってたり、ドリカムやB'zといった後のビッグネームがシーンに登場してきたり、新しい時代の予感もたしかにあった。

 

そういう意味で、「プレJ-POP期」と名づけました。

 

リスナーの音楽とのつきあい方の変化でいうと、通信カラオケが登場したのがでかい。

それまではカラオケといえば夜のお店でおじさんが歌うものだったし、レーザーディスク方式だったので収録されてる曲数もかなり限られていて、10代20代が歌える曲がとても少なかった。

通信カラオケの登場によりカラオケで歌える曲数が飛躍的に増え、若者の娯楽として一気に普及したのがこれ以降。特に平成初期はカラオケとCD売上はとても密接な関係にあった。

 

ビーイング期(平成5年〜7年)

主なヒット曲
特徴

 

先日のLL教室イベントでも取り上げたように、1993年はとにかくビーイング系の勢いがすごかった。

 

特徴的なセピア色のジャケットの決しておしゃれすぎない普段着な佇まいのグループたちが、産業ロック的で耳障りのいいアレンジで爆発的に売れまくる。

若者の保守本流マジョリティ層が心地よいと感じる肌触りのサウンドとして、昭和の「ニューミュージック」に代わって、平成の「J-POP」が形成されてきたのがこの時期。

ということでこの時代は「ビーイング期」と呼びます。

 

一方、時代の半歩先のイメージを提示することで求心力をもったのが小室哲哉

英国のレイヴカルチャーに刺激を受け、クラブミュージックとカラオケを組み合わせることで、一大ムーブメントを築くことになる(trfは「テツヤコムロ・レイヴ・ファクトリー」の略称)。

 

また、阿久悠松本隆秋元康といったプロの作詞家よりも、アーティスト本人が自分の言葉でつむいだ歌詞こそがリアルで良しとする価値観が定着していくのも平成初期〜中期の特徴。

しかしミュージシャンとしてすぐれていることといい歌詞を書けることは必ずしも両立しないわけで、「自分の言葉」とされる言葉も、結局はどこかからの受け売りだったりして、正直言ってこの時期からずっと自作自演主義の弊害でJ-POPの歌詞のレベルはガタ落ちしたと思う。

いわゆる「応援ソング」が氾濫したのも、特に言いたいことがあるわけでも歌詞に対する感度が高いわけでもないミュージシャンが無理に作詞を手がけることとなり、てっとり早く幅広い共感を得られるから手をつけたっていうのがおもな原因ではないだろうか。プロの作詞家だと気恥ずかしくて投げられないようなド直球のボールがふつうに投げ込まれるのが平成J-POPのひとつの特徴だと思う。

 

そんなメジャー界の動きへのカウンターとして機能したのが、いわゆる「渋谷系」と呼ばれた一連のひとたち。

イベントでも指摘したけど、渋谷系とカテゴライズされた本人たちはその呼称をあまり快く思ってなかった。また、今どきの若いひとが渋谷系と聞いてイメージするサウンドって、フリッパーズ・ギターの1stやカジヒデキみたいなネオアコっぽいものだと思うけど、当時はどちらかというとオリジナル・ラブみたいな、アシッドジャズやレアグルーヴの影響を受けたサウンドが想起される言葉でもあったし、もっと多様なアーティストがひとくくりにされていたのです。

 

TK期(平成8年〜10年)

おもなヒット曲
特徴
  • 小室哲哉全盛期
  • プロデューサーの時代
  • ジャニーズアイドル復権
  • 女性R&Bディーヴァ

 

ビーイング期からプロデュース業をはじめた小室哲哉が、この時代にJ-POP界を席巻する。globeや華原朋美安室奈美恵など、それなりの歌唱力とキーの高さを求められる曲が流行ったことで、カラオケがある種の競技になっていく。

男性ボーカルにも同じことが言えて、B'zやミスチルに代表されるように、平成になってどんどんキーが高く音域が広くなってきており、現在もこの傾向が続いている。

この時期の小室ファミリーの存在感は圧倒的であり、文句なしに「TK期」と名づけたい。

 

また、小室哲哉の影響で、「プロデューサー」という存在がものすごく注目された時代でもある。

たとえばPUFFYがデビューする際には奥田民生プロデュースであることが喧伝されたし、SPEEDが伊秩弘将プロデュースであることや、ミスチル小林武史プロデュースであることは、音楽関係者じゃないそこらの学生とかもなんとなくみんな知っていた。紅白歌合戦のうんちくツイート的な、ちょっとだけメタな語り口が世の中に浸透してきたんだと思う。

とはいえ、この前もこの後も、普通のひとがここまでプロデューサーを意識した時代はなかった。いま思うとなかなか特異。

 

あとこの時代から現代まで続く傾向としては、ジャニーズの復権も。

昭和の最後にブレイクした光GENJIが失速して以降、長らくジャニーズは低迷していた。昭和的なキラキラしたアイドルのあり方がダサいとされ、歌番組という活動の場も減っていったことが原因なんだけど、そんな状況をなんとかサバイブすることで結果として新しいアイドル像を作り上げることに成功したのがSMAP

カジュアルな装いでバラエティ番組でもうまく振る舞えるような、あのノリを身につけたことで、平成の時代の空気にフィットしたのだった。

嵐や関ジャニ∞といった後続グループも、みんなSMAPが苦労して切り開いたコースに乗っかっていると言えよう。

 

※このあたり詳しくはLL教室の矢野利裕せんせいの著書を参照で。 

 

そしてこの時代に登場したのが女性R&Bディーヴァというくくり。

クラブカルチャーのメジャー化にともない、UAやbirdやMISIAといったあたりが中心となって注目されるようになり、たくさんの歌手がこの数年でデビューしたのだった。

のちの宇多田ヒカル倖田來未も最初はこの流れで出てきたし、さらにその後の青山テルマ西野カナやJUJUといったあたりまで続いている、J-POPを語る上で外せないラインですね。

 

JK期(平成11年〜14年)

おもなヒット曲
特徴

 

GLAYの「Winter,again」が200万枚売れた1999年。

10代20代の男子は競ってカラオケで歌ったし、またこの時代まだ影響力があった有線でもGLAYは支持された(有線大賞とレコ大のダブル受賞)。

つまり数年前までビーイング系がいた場所に、ヴィジュアル系がおさまったということ。

Xという異端のメタルバンドが独力でつくったジャンルがたった10年ちょっとでここまできたわけで、Xがそれだけすごいってのもそうだけど、それ以上に日本人のメンタリティにキレイにハマるよくできた形態だったってことだと思う。

 

女性でいうと宇多田ヒカル浜崎あゆみ椎名林檎aikoという同期組が華々しく活躍していく時代。

特に浜崎あゆみは孤独を抱えた当時の女子高生の気分にぴったり寄り添って圧倒的に支持された。ということで前の時代との韻を踏む意味でも「JK期」と呼びたい。

 

詳しくはこちらを参照。

 

 

また、女性アイドルという存在がアリになったのもここから。

松田聖子中森明菜小泉今日子たちの黄金時代から後続のおニャン子クラブまで、80年代といえば女性アイドルがキラキラと輝いていたわけだけど、平成に入ると完全に流れが変わって低迷する。

たとえば宮沢りえ観月ありさ牧瀬里穂広末涼子といった平成初期に絶大な人気があったひとたちも、それぞれ歌手活動もしていたけど「アイドル歌手」とは名乗らなかった。そのかわりに、細川ふみえ小池栄子のように「グラビアアイドル」というあり方で認知されていくコースができたりした。

かつての「アイドル歌手」というあり方は、後ろにいる大人たちに操られた人形のようで、「アイドルはウンコしない」っていう清純イメージにとらわれて身動きが取れない古臭い存在になってしまっていたのだった。

そうではなく、浜崎あゆみのように「自分の言葉」を歌詞につづる「アーティスト」であることが尊いとされる時代が平成初期だった。たとえば当時の森高千里なんてどこからどう見てもアイドルそのものって感じもするんだけど、巧みなブランディングによりアイドルではない独自のポジションを築いていた。

 

そんな時代が長く続いたんだけど、ここにきてモーニング娘。が流れを変えた。

その後のAKB48ももクロに続き、さらにその他大勢の地下アイドルが大繁殖する流れはここから始まっている(しかし平成期にブレイクしたアイドルはもれなくソロではなくグループだったというのは興味深いよね)。

 

音楽業界にのビジネスの構造の変化でいうと、携帯電話で高速データ通信ができるようになり、着メロから着うたへの変化があった。音楽をフィジカルじゃなくデータで買うようになったのはここから。シングルCDしかない時代はほしい曲を購入する最低コストは1,000円だったんだけど、着うたフルはたしか315円とかだったので客単価が3分の1になってしまった。レコード会社以外の、流通業者や小売店、CDのプレスやブックレットの印刷といったフィジカルにつきもののビジネスも、何なら別になくてもいいってことになってしまった。

現在のサブスクリプションモデルまで続く、業界の大きな変化のはじまり。

 

さくら期(平成15年〜19年) 

おもなヒット曲
特徴

 

見ての通り、いわゆる桜ソングが量産された時代。

桜ソング以外のヒット曲を眺めてみても、「千の風になって」のようなやたらと優しくてゆったりとしたバラード曲が多めになっている。

そんな曲を必要とするほどに社会が傷ついていたのかどうなのか。特に大きな災害や事件があったわけでもなさそうなのに。

 

個人的には、こんな時代にもmihimaruGT「気分上々↑↑」やPerfumeポリリズム」といったアッパーなJ-POPが存在してくれて助かったなと感じている。

つまりこの時代のメインストリームはだいぶ苦手だった。まあ、この時代に名前をつけるとしたら「さくら期」ってことになるだろうけど。

 

一方で、SMAPが切り開いた平成型ジャニーズのコースには嵐やKAT-TUNといったグループも順調に乗っていく。ここらへんからNEWSやHey!Say!JUMPや関ジャニ∞らが相次いでデビューし、完全に量産体制に入ってくる感じ。

 

ちなみに当時、CDの売上はものすごい勢いで落ちてきており、レコード会社が犯人探しをした結果、当時ひそかに流通したWinnyなどのP2P通信で音源が違法アップロードされてるからじゃないかということになり、対策として登場したのがコピーコントロールCD。結局コピーコントロールCDが登場してもCDの売上は上向きに戻ることはなく、今に至るまで長い下り坂は続いているし、いつの間にかコピーコントロールCDは姿を消した。そもそも、音楽を手に入れる手段としてCDよりも配信のほうが一般的になってきていたし。

 

あと、ニコニコ動画2ちゃんねる初音ミクメイド喫茶といった、ネット発のカルチャーやいわゆる秋葉原オタクカルチャーが盛り上がってきた時代。

次の時代でそれらが一般レベルに浸透し、界隈から出てきたアーティストやリスナーたちがJ-POPシーンの新たな重要プレイヤーになっていく。

 

AKB期(平成20年〜24年)

おもなヒット曲
特徴
  • AKB48総選挙によりCDが握手券に
  • アイドル戦国時代
  • ギャル演歌
  • 嵐がリリース面では全盛期

 

このあたりから、オリコンCDランキングを見てもシーンの動きが一切わからなくなってくる。AKBグループが総選挙の投票権をCDにつけたのと、AKB以外でも同じタイトルのシングルを初回版A/初回版B/通常版みたいな感じで複数の形態でリリースするのが当たり前になってきたため、1人で何枚も同じCDを買うようになったから。

かつてのミリオンセラーは100万人の買い手が確実にいたし、そこから口コミや歌番組などを通じて認知がさらに拡大し、最終的に2000万人ぐらいが知ってるレベルの存在感があった。しかしこの時代のミリオンセラーは、買い手が下手したら5万人ぐらいしかいないし、歌番組などで知らない曲にふれる機会も少ないので、いいとこ50万人ぐらいの認知にとどまっていても不思議はない。

(「ヘビーローテション」や「フライングゲット」のようにお茶の間にまで届いた曲もあるけど、多くはみんなが知らないままミリオンセラーになっている)

 

こうして客数が減ったぶんを客単価でカバーするようになったこの時代。

そうなると歌そのもので世間一般を相手に勝負するよりも、コアなファンに深く入っていける形態が強い。AKBやハロプロ勢といったどメジャーに続くように、ももクロやBiS、でんぱ組.incといったアイドルグループが次々に登場し、いわゆる戦国時代に突入する。

 

それとはまったく別の文脈で、浜崎あゆみから連綿と続くラインの最新型がこの時期「ギャル演歌」と呼ばれたりもした。「会いたくて会いたくて震える」というパンチラインは強烈すぎてネタになってしまった面もあるけど、それでもつらい恋に耐える女子たちの共感をしっかりと獲得している。

平成も20年まできたこの時期にあっても、ど真ん中で売れるJ-POPの恋愛観は「着てはもらえぬセーターを/涙こらえて編んでます」と歌った昭和の頃からあまり変わっていないってことに驚かされる。

 

LDH期(平成25年〜31年)

おもなヒット曲
特徴

 

中目黒の町並みが一変したほどの、LDHの勢い。

EXILEを筆頭に、トライブというかたちでいろんなグループがデビューしていく様は、かつての横浜銀蠅の銀蠅一家を彷彿とさせる。

疑似ファミリーを形成したがるという、古今東西の不良に共通したメンタリティーがよくあらわれているよね。

とはいえ、義務教育におけるダンス必修化の流れに寄り添うようにNHKで子供向けダンス番組を手がけるあたり、不良っていっても別に反社会的勢力っていうわけではなく、むしろ体制側にがっちり食い込んでいるのが平成後期らしいあり方だなと。

そう、この時代はやはり「LDH期」と呼ぶべきだと思う。彼らはこのまま地位を固めていき、東京オリンピックでも中心的な役割を果たすんじゃないかとにらんでいます。

 

ダンスってことでいうと、LDHに限らず「恋チュン」や「恋ダンス」や「U.S.A」といった感じで、ダンスの動画をきっかけに国民的ヒットが生まれるのがここ最近のモードでもある。

 

一方で踊れない男子たちは自意識過剰に前髪を伸ばしていく。BUMP OF CHICKENからRADWIMPSSEKAI NO OWARI、そして米津玄師へと続く流れが、あるタイプの若者たちの気分にがっちりとハマっていく。

10代がカラオケで歌う曲はもはやドラマ主題歌とかではなくアニソンやネット発の曲になっているんだけど、そういった界隈の曲にも通じるノリ。

 

あと、自分はみんなとは違うんだって思ってる10代が選ぶ表現手段の移り変わりも感じる。平成初期のそういうやつらはとりあえずロックバンドを組んだものだったけど、バンドが廃れた平成中期にはDJがその座を奪う。バイト代を貯めて買うのはギターが定番だったけど、ターンテーブルとミキサーにお株を奪われた時代が一瞬あった。

その次にそういうタイプが選んだのが、漫才コンビM-1グランプリで一夜にしてスターが生まれた(ように見えた)時代、勉強もスポーツも苦手だけど野心だけはある若者の憧れは音楽からお笑いにいった。

でまたお笑いのブームが一段落すると今度は「フリースタイルダンジョン」をきっかけに、この時代はラッパーが自己表現の手段として定番となる。

 

音楽の聴き方としてはやはりSpotifyやAppleMusicなどのサブスクリプション・サービスの登場はめちゃめちゃデカい。

定額で膨大な曲が聴き放題という特性や、またレコメンドの精度が上がったこともあり、40代がノスタルジー沼から抜け出せなくなったり、逆に若い世代が軽々と過去のアーカイブをディグしたりといった現象が起きている。

 

AppleMusicについて個人的に感じたあれこれはこの記事に。

 

まとめ

プレJ-POP期からLDH期まで、こうしてみると30年間けっこういろんなことがあったもんで。

時代の空気や産業構造の変化を追いかけるように、また録音機材の進化やデータ通信速度の向上なんかにも影響をうけながら、どんどん柔軟に姿を変えていくJ-POP。

その一方で、表面的な手触りがどんなに変わっても、通底する日本人好みの歌詞世界やサウンドはなかなか変わらなかったというのも興味深い。

30年もあれば、恋愛観や倫理観、刺さるツボなんかもっと変わってもよさそうなもんだけど、平成においてはそうでもなかったな(昭和における戦後30年での激変っぷりと比べるとわかりやすいかも)。

 

次の元号の時代には、いったいどんな音楽が聴かれるんだろう。そしてその音楽は引き続きJ-POPと呼ばれるんだろうか、それとも新しい呼び名が生まれてくるのか。

Aメロがあってサビがあってそれを何度か繰り返す3〜5分程度のポップソングというフォーマットは永遠に残るのか。録音された音源を個人が所有して何度も再生するっていうスタイルもよく考えたら別に普遍的なものではない(レコードができるまでの長い間、音楽はその場限りのものだったわけだし)。

そんな感じで、現代のわれわれがまったく想像もしなかった未来がやってくるかもしれない。とっても楽しみ。

 

 

あとがき

こんな感じで平成の30年間を7つの時代に区切ってみたLL教室イベント。

イベント当日には他にも、森野さんによる「アルバムにひっそりたたずむパクリ曲」や、矢野くんによる「邦ロック講座」、わたくしハシノによる「平成の日本語カバーベスト5」など、さまざまな企画をやりました。

 

これからも定期的にイベントをやっていくので、ぜひ一度お越しください。

最新情報はTwitterアカウントでどうぞ!

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平成元年と平成30年のJ-POP、驚くほど変わってない説

 平成もあと3ヶ月でおしまい。

世紀末やいくつかの大災害、生活を一変させるようなテクノロジーの進化もいくつか経験して、30歳以上の日本人は二度目の元号の代り目に立ち会おうとしてる。

この30年で世の中はめっちゃ変わっていて、ざっくり言うと日本は老けたな、という印象。

 

30年前、「J-POP」という言葉がJ-WAVEによって生み出され、現在に至るまでこの国でもっとも聴かれている音楽がそう呼ばれ続けた。

つまり平成の30年とは、J-POPの30年と換言してもよい。

 

ではこの30年でJ-POPはどう変わったか。

「J-POP」という言葉が指し示す中身はどれぐらい同じでどれぐらい同じでないか。

J-POPの周辺は変わってないのか。

今日はそういう話。

 

変わったところ

この30年で、変わったことのほうがそりゃ多い。30年前に誰も想像していなかったことが当たり前になったりしてるけど、変わってからだいぶたってると、変わったことすら忘れてしまってる。

まずは激変っぷりをちょっと思い出して愕然としてみたい。

 

メディア

平成元年、人々が音楽を手に入れる方法としてはCDが一般的になっていたが、アナログレコードもまだギリギリ生産されていたし、カセットでもリリースされていた。ウォークマンで音楽を持ち歩く習慣は定着し、CDウォークマンももうあった。

平成30年はというと、もっぱらSpotifyやAppleMusicなどのサブスクか、Youtubeで音楽を手に入れてる。いや、「手に入れる」って何だよっていうところまできてる。

ほんの数年前まで「データ」として音楽を手に入れることが珍しかったのに、今ではそっちがメインになったので「フィジカル」っていう言葉が使われるように。

 

情報源

新しい音楽に出会う情報源も大きく変わった。

平成元年はラジオと雑誌のパワーがすごかった。あとは知人の口コミ。なので、ラジオや雑誌が拾い上げるレベル以上の知名度のものしか一般のリスナーは知り得なかった。

もっとコアな情報に触れたければコアな場所に身を置くしかなかった。80年代の選民意識ってそういう環境と密接だったよね。

reminder.top

 

じじいの繰り言で恐縮だけど、あの頃は視聴もできなかったし、雑誌でイメージを膨らませただけの状態で3,000円弱のお金を払ってアルバムを買ってたわけで、毎回バクチだった。そのおかげで選球眼が磨かれたっていう点は絶対あると思っている。

 

この変化は、雑誌やラジオがウェブメディアに置き換わったってだけじゃない。雑誌やラジオにはもっと影響力があった。

SNSがなかったので、アーティスト本人が直接不特定多数のファン交流するなんてできなかったので、雑誌のインタビュー記事を聖典のように崇めてた。

 

世の中に出回ってる音楽の量 

平成元年に、音楽をつくるとか広く売り出すとかいったことは、基本的にプロフェッショナルの仕事だった。

 

歌唱指導をうけたり専門的な楽器の演奏技術を習得したりした者のうちのごく一部が、日本で数社しかないレコード会社と契約し、ビジネスとして採算がとれると判断されたものだけが世にでることを許されていた。

 

平成30年には、そのへんの中学生でも自分の音楽を全世界に配信することが可能になっている。DTMの普及と技術革新により誰でもそこそこ聴ける音を出せるようになり、SNSや動画配信サイトで誰もが発信者になれて、しかもフィジカルなメディアでリリースする必要がないのでコストはゼロ。

身内音楽」とそうじゃない音楽の区別が限りなく曖昧になってる。 

omocoro.jp

 

その結果、膨大な数のオリジナル音源が世の中に出回ってる状態になった。かつては個人でもがんばればその時代のすべての音をチェックすることは可能だったけど、今やそんなことは不可能。

 

世の中に出回ってる音楽の量は、この30年で圧倒的に増えた。

国民的ヒットが生まれにくい原因は、アーティストが小粒になったからでも世代で分断されたからでもなく、世の中に出回ってる音楽の量が増えすぎてるからだと思ってる。

 

変わってないところ

たしかにこの30年でJ-POPに関するいろんなことが激変した。

しかし逆に、おそろしいことに30年前とまったく変わっていないものもたくさんある。当たり前に見えてるけどよく考えたらすごくないですか!っていうことを思いつくままに挙げていきます。

 

CDの値段

シングルCDが約1,000円、アルバムが2,500〜3,000円っていう価格設定は、30年前とまったく変わっていない。

ちょっと調べてみたんだけど平成元年の東京都の最低賃金って525円だった!今では985円なので2倍近く上がってるのに、CDの値段はそのまま。つまり30年前よりも2倍近く買いやすくなってるはずだろう。それでも音楽を手に入れるいろんな手段のなかで「フィジカル」は割高な部類なんだよな。

CDは今やコレクターアイテムって言われるけど、少なくとも値段の面では完全にそうだと思う。

 

カラオケ

平成元年ぐらいから、若者の娯楽としてカラオケが普及してきた。

それまでのカラオケといえば夜のお店でおじさんが歌うものだったんだけど、カラオケボックスが登場し、通信カラオケが登場し、1993年には、文部省の『教育白書』に「我が国でもっとも盛んな文化活動はカラオケである」とまで書かれることに。

カラオケ歴史年表

 

平成30年の現在、若者のカラオケ離れなどと言われるようにもなってるけど、ヒトカラという概念が生まれたり、まだまだ一般的な遊び方の地位を保っている。

 

今ではあまりにもカラオケが一般に定着しすぎて当たり前になってるけど、それ以前の世の中を想像してみてほしい。昔は夜のお店以外の場所で、普通の日本人が流行歌を大声で歌い、他の人がそれを聴くっていう状況なんてなかった。

歌手以外の人にとって流行歌はひとりで口ずさむもの、もしくは大勢でわーわー歌うものだったはず。

昭和40年代以降は若干状況も変わったけど、それにしたって歌うよりも前に、まずフォークギターを練習して最低3つぐらいコードを押さえられるようになる必要があった。歌いたい人だけが努力して歌っていた。歌いたくない人には歌わない自由があったとも言える。

 

それが平成の時代は、たとえば中高生が土日に遊ぶといったらまずカラオケ。歌が好きか嫌いか、得意か苦手か、そういうことに関係なくカラオケボックスには立ち入る。そして1曲ぐらい何か歌わないとまわりが許してくれない。

 

平成ぐらいから人前で歌うことについての意識が変わり、そのモードが今も続いている。カラオケで歌うために音源を入手して練習するっていう行動は、昭和にはなかったけど、平成元年にも平成30年にもみられる。すごく平成っぽいと、後世に言われそう。

 

紅白歌合戦

紅白歌合戦は、平成元年どころか戦後すぐからずっとある。平成中期に視聴率が低迷して、3部構成にしたり若者を意識したりといろいろ試行錯誤してたよね。それでも完全にオワコン扱いされていたのに、ここ数年は見事に往年の存在感を取り戻してる。
よく言われるようにSNSとの親和性が高いってのはありそう。国民みんなが同じ番組を同時に観てTwitterで好き勝手つぶやくっていうスタイル。かくいう自分自身も紅白ツイート多め。
必ず何らかのハプニングが起こる生放送の緊張感、ツッコミやすすぎる大物演歌歌手のたたずまいやNHK的な生真面目さ、実はこんなにすごいことをやってる系のうんちくを誘発する仕込みなど、Twitterとの相性がとにかくよい。

 

あとはプロレスやアイドルやメタルなどと同じように、90年代に一度いろんなものが「リアル志向」になったけど、最近また揺り戻しで「様式美」なものが求められるようになったことも関係ありそう。

プロレスは八百長と言われて総合格闘技にもっていかれ、アイドルはお人形とされて自作自演至上主義のアーティスト志向になり、メタルはよりストリートでリアル感があるオルタナやミクスチャーにお株を奪われっていう流れがあったんですよ。

 

その流れが一周して、再びプロレスやアイドルやメタルが復権してる。

あの頃あんなに重要視された「リアルかどうか」は、今や誰も気にしてない。

 

ジャニーズ

プロレスやメタルと同じように、ジャニーズも一度死にかけた。

 

昭和後期にシブがき隊!少年隊!男闘呼組光GENJI!と人気グループを輩出したジャニーズ事務所は、平成元年には元気があったんだけど、光GENJIの失速とともに冬の時代に突入する。

非現実的なキラキラの衣装、スターであることを求められる言動、みたいなものが古臭くなってしまったのだった。

 

SMAPは時代の境目に登場し、リアル志向の世の中でどのように振る舞うべきか、必死に探求してきたグループ。

バラエティ番組に積極的に露出し、カジュアルで力の抜けた平成的な振る舞いでその地位を確立したんだけど、デビューからかなりの時間を要したのだった。

嵐やそれ以降のグループは、完全にそのスタイルを踏襲してる。

詳しくは矢野利裕せんせいの名著「SMAPは終わらない」を参照のこと。

 

 

秋元康 

まだいる。

 

ロックバンド

ギター・ベース・ドラム・ヴォーカルの4人バンド(もしくはキーボードも加える)っていうフォーマットがいまだに一般的って事実、よくよく考えたら不思議じゃない?

 

平成元年にはバンドブームがあり、パンクやハードロックやファンクといった具合にいろんな音楽的背景をもったバンドがたくさんデビューしていた。

だけどバンドブームが終わった後に小室哲哉の時代があり、自宅で音楽制作が安価にできる機材が出回り、ボカロの登場で歌う必要すらなくなった。

 平成30年、音楽をやるにあたってバンドである必然性はもうないはず。

 

カラオケの登場で昭和の箱バンのミュージシャンが大量に失業したのと同じように、昔ながらのバンド編成は時代遅れになってても全然おかしくない。

 

なのに、いまだにギター中心のロックバンドは廃れてない。

セカオワが「まだギター弾いてんの」って議題に挙げてくれたけどまだ誰もそのテーマを深めるに至っていない。

波紋だの炎上だの言ってるけど、めっちゃ重要な問題提起だったと思うよ。

 

バンドマン

ロックバンドが廃れてなければ、バンドマンという存在も廃れてない。

アルバイトしながらデビューの機会をうかがうバンドマンという存在。平成元年のバンドブームの頃から常に世の中に一定数が存在し続けてきた。

 

勉強もスポーツも苦手だけど人とは違う何かになりたい!っていう若者が身を投じる先として、30年間あり続けた。

途中、クラブカルチャーの勃興によりDJやラッパーといった方向に流れたり、M-1グランプリ以降はお笑いに流れたりもしたけど、廃れることはなかった。

 

ライブハウスで実績を積んでメジャーデビューっていうキャリアパスも、基本的には平成元年と変わってない。

 

まとめ、そして

平成育ちのヤングな方々にとっては、何を当たり前の話をしてるのだと思われるかもしれない。

だけど、かつては30年もの年月があったら時代が3周できたんだから。

30年あったらエルビス・プレスリーからYMOまでいくんだから。

 

そう考えるとこの30年でJ-POPは驚くほど変わってないんじゃないでしょうか。

 

…というような話をディープに繰り広げるトークイベントをやります。

 

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LL教室の試験に出ない平成J-POP

日程:2019年3月17日(日)

時間:開場16:30 / 開演17:00

料金:1500円(+1Drink別)

出演:LL教室(森野誠一、ハシノイチロウ、矢野利裕)

独自の観点から1990年代のJ-POP界を1年ごとに深掘ってきた

「LL教室の試験に出ない90年代J-POPシリーズ」。

全10回のシリーズも折り返し地点にさしかかり、

またいよいよ平成も終わりというタイミングでもあるということで、

一旦ここで平成のJ-POPを総括してみようと思います。

年号の変わり目でひとくくりに語るのは本来ナンセンスな話ですが、

たまたま平成元年は政治経済そしてカルチャーが激変するタイミングであり、

そもそも「J-POP」という言葉が生まれた時期でもありました。

そこからの30年間で日本人の音楽との付き合い方は大きく変わっています。

小室哲哉/夏フェス/バンドブーム/サブスクリプションケータイ小説日本語ラップビーイング/シティポップ/LDH/地下アイドル/アナログレコード/ジャニーズ/クラブカルチャー/インディーズ/着メロ着うた/ヴィジュアル系DTMハロプロ/通信カラオケ/秋元康/などなど

様々なキーワードを散りばめつつ、平成のJ-POPを<試験に出ない>独自の切り口で語ります。

また、LL教室が現在取り組んでいるの極秘プロジェクトのご報告も!

 

定員
20名まで

event.spacemarket.com

 

チケット予約は上記リンクからどうぞ。

よろしくおねがいします!

 

「温度差の観測」という、あたらしいフェスの楽しみ方

夏フェスのヘッドライナーが発表されはじめ、みんなの気持ちがそわそわしてきた今日このごろ。

今日は「温度差」に着目した新しいフェスの味わい方を紹介しようと思います。

 

フェスの多様化・大衆化混ぜるな危険!だけど混ざるのも醍醐味! 

90年代後半から日本に根付いてきた音楽フェス文化。

今ではだいたい5月から10月ぐらいまでの毎週末、大小様々な規模で日本のどこかでフェスが開催されてるといっても過言ではない。

 

ひとくちにフェスって言っても、規模や環境や出演ラインナップによって集まる人種や雰囲気がぜんぜん違う。

音楽好きだけどフェスに行かないっていう人はたくさんいるけど、話を聞いてみるとそういう人ってフェスに対して先入観あるじゃないですか。わりと一定のパターンのやつ。

でも現実のフェスはもっと多様で、ここ20年でいろんなパターンが出てきている。

 

海外のトップアーティストを招聘して数万人規模のキャパで開催されるもの、アウトドア系のアパレル企業がブランディング目的で3アーティストぐらいでちっちゃく開催するもの、過疎化が進んだ地域の自治体が町おこし目的で見よう見まねで開催するもの、レゲエやパンクやEDMなどジャンル特化型で開催されるもの、子育て世代をメインターゲットに居心地の良さを追求して開催されるもの、逆にアーティストの求心力に依存して居心地には一切配慮しないもの、などなど。

 

今や日本国内である程度以上の規模がある音楽シーンは、もれなくフェスに関わってる時代に突入している。またリスナーにとっても、かつてはごく一部の人が行く場所だったものが、今では誰もが気軽に行く場所へと認識が変わってきている。

 

ここまで大規模化し、多様化し、また大衆化してくると、フェスならではのいろんな興味深い事象が見られるようになる。

なかでも個人的にものすごく興味があるのが、ものすごく熱い人たちと平熱の人たちという、温度差が激しい二者が出会ってしまうことによるいろいろ。

 

ものすごく熱い人たちは、熱さゆえの独自のふるまいやカルチャーを生む。

いつもは熱い人たちだけがいる閉じた場所でそのカルチャーは育まれているんだけど、フェスの場ではそれがたくさんの平熱の人たちの目にさらされることになる。

 

そこでどんなことが起きるのか。

大きすぎる温度差が生む大規模な気象現象が観測できるのは、フェスならではでありましょう。

 

ラウドめなロックバンドの最前列にて

武道館や横アリや大阪城ホールなどのホールで単独公演をやれるクラスの、しかし音はちょっとラウドな感じのバンドたちの事例。

 

熱心なファンにとっては、昔はライブハウスでやってたのにビッグになったもんだと感慨にふけりつつ、ホールだと椅子席なので不自由だなと感じていたところ。

かたや、テレビや動画でしか見たことがなく、単独公演はすぐに売り切れるので行けなかったっていうファンたちにとっては、初めて生のライブを見る機会。

生が初めてっていうファンたちの中には、貴重な機会を精一杯味わいたくて猛暑のなか朝からがんばって最前列を確保する人も少なからずいて、みんな柵にしがみつきながら、思ってたよりも距離が近い!ヤバい!と胸を躍らせてる。

 

するといよいよお目当てが次の出番っていう頃に、どこからともなくバンドTシャツ(黒)に身を包み、手にはリストバンド、首にはタオル、足元はスニーカーっていう集団が2列目以降にぎっしり集まってくる。ああこの人たちはライブに通いなれてるんだろうな、うらやましいな、でもこのバンドを愛する気持ちは負けないぞ!などと考えてるうちにメンバーが登場。

1曲目が始まった瞬間、なんだかわからないけど視界からステージが消えてたくさんの足と地面が見えた。あとはもうほとんど記憶がない。

 

はじめてのフェスでこういう経験したって人、けっこういるんじゃないでしょうか。

何を隠そう自分も高校生のときにオールスタンディングでラモーンズを見たときこんな目にあった。

 

モッシュ」という、パンクやメタルのファンの間では一般的なライブ中のノリがあって。まあとにかく身体をぶつけあって暴れるのがお作法。ときには人の上に乗って泳いでいったり、ステージから客席にダイブしたり。

ロキノン系のフェスでは禁止されてる行為だけど、フジロックなどではふつうによくある光景。

 

モッシュの中で転んだら誰かがすぐに助けあげてくれるし、実はハタで見てるほど危険ではないんだけど、何の免疫もない状態で巻き込まれたらびっくりするよね。

メタル系のフェスだと2メートルで100キロぐらいの白人男性がニコニコしながらぶつかってくることもよくある。

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最前列付近がそういう雰囲気になるってことをあらかじめ知っていれば避けられたであろう、混ぜるな危険事例。

 

アイドルがフェスに殴り込み!でよくある光景

サマソニロキノン系などの大規模フェスにどんどんアイドルが進出してきてる。ましてや、夏の魔物などのサブカル色の強いフェスならなおさら。

フジロックはかたくなに壁をつくっていて最後の砦って感じだし、アウトドアとかロハス色の強いフェスとは相変わらず相性が悪いけど)

 

ロックフェスにアイドルが出るとなると、熱心なオタクたちも当然やってくる。

 

ご存じの通り、アイドルのライブにおけるファンのふるまいはとっても特徴的で、他の出演者のファンから浮きまくることになる。

いわゆるオタ芸というやつで、ペンライトやサイリウムを手にいろんな動きをやったり、曲やMCに対して合いの手をいれたり。悪ふざけと紙一重の絶妙のラインで成り立つものが多いので、ファン層が変わってくると禁止されたり廃れたりもする。

 

ファンとの絆が強いアイドルの場合、曲ごとの決まりごとがいろいろあって、それを覚えていくのが新参者にとってはハードルでもあり楽しみでもありっていう文化。

また、ほとんどの決まりごとはオタクのほうから自然発生的に生まれるものだったりするし、ライブ前に有志が決まりごとをSNSや印刷物などで他のファンに広めたりもする。やがて自然発生的な決まりごとが半ばオフィシャルなものになり、アイドル自身がそれに乗っかったりも。

このようにアイドルとオタクは相互に影響を与え合いながらやってくものなので、フェスだろうがなんだろうがいつものように盛り上げるもんだろってなってる。

 

そういう状態でフェスにファンと一緒に乗り込んできたアイドルが出会うのが、名前と有名曲だけ知っててそのアイドルに興味がちょっとあるっていう感じのお客さんたち。この層に気に入られたら認知度が一気に高まり、それまでの活動領域からもう一つ上のステージに上がれるっていう。

 

しかしそういうお客さんたちは、アイドルとオタクが作り上げる「いつもの感じ」には引いちゃう。基本的にオタクを煽りまくってガンガンいこうぜって戦法しかないので、フェスで出会ううっすらとしか興味がないお客さんを掴むのが難しい。

単にオタ芸を封印しただけでは、ただ盛り上がってないライブになるだけだし。

 

かわいい女子が全力で歌い踊る、しかも好きなタイプの楽曲、これは応援したいかも、だけどあの独特のノリにはついてけない!自分があの集団の一員になることが全然イメージできない!ってな感じで、一見さんをファンにさせ損なってしまう。

 

オタクの狂熱ありきでここまでやってきたんだけど、それ以上ブレイクするためにはあと一歩足りない…っていう難しさ。

武道館はやれたけど東京ドームは遠い、Mステには出たけど紅白は遠い、そんなポジションにとどまるアイドルが多いのは、ここの温度差を超えていくのが難しいからではないでしょうか。

 

 山下達郎

山下達郎という人は、サウンドへのこだわりが半端なく、あまり広い会場でライブをやりたがらない。広いハコはだいたい音が悪いから。

中野サンプラザNHKホールの音響が好きらしいんだけど、そうなるとキャパが限られるのでツアーは常に超プラチナチケットと化す。

ただ熱心なファンはそんなところも含めて応援しているので、もっと広いところでやってくれとは決して言わない。

 

そういう関係性の山下達郎とファンの間で、一般的にライブ会場では当たり前とされている風習がうちではNGであるという、了解事項が最近ひとつ増えた。

 

www.huffingtonpost.jp

 

そう。ライブで自分の曲を客が大声で歌っちゃうのは嫌だそうな。

 

普段のライブは数十倍の倍率を勝ち抜いたリテラシーの高いファンばかりなので、この了解事項は隅々まで浸透しているであろうし、いまさらそんな達郎の機嫌を損ねるような輩はいないはず(チケット当選したことないので未確認)。

 

だけど、フェスだとそうはいかない。

 

2017年の氣志團万博山下達郎が出演したときのこと。

はじめて生で拝見できるチャンスなのでわたくしも勇んで駆けつけました。

会場には山下達郎のファンに加え、氣志團や他にこの日出演したユニコーン米米CLUBのファンたちがぎっしり。

つまり、30〜50代の山下達郎は好きだけど生でみるのははじめてっていう人々が大半という状態。

 

結果、みんなガンガン歌ってたよね。まあそうなるよね。また親切にKinKi Kids「硝子の少年」のセルフカバーなんてやってくたりするからなおさら。

 

前の方に集まってるコアなファンの先輩たちは、後ろの方の客が気持ちよさそうに歌うたびに、あー歌ったな歌ったな‥いつ達郎がキレて説教が始まってもおかしくないぞ‥知らないぞ‥っていう表情を浮かべていたのが印象的だった。

 

まあ、さすがの達郎自身は目くじら立てることもなく、フェスとはそういうものだと理解してくれている様子だったけど。

長渕剛またはX JAPAN

この話は直接体験したことではなく、知人から聞いた話。

 

ある人が、熱心な長渕剛ファンに誘われてライブに行ったときのこと。

ライブ中、長渕剛にあわせてお客さん全員で正拳突きをひたすら「セイ!セイ!」とやる演出があったそうな。

 

誘ってくれた熱心なファンは当然、嬉々として「セイ!セイ!」やってる。

誘われた人も、そういうもんかと思って正拳突き。

しかし長渕剛のこの手の演出はとにかくしつこいらしく、さすがに疲れてきた。

 

もういいかなと思って手をおろしたら、隣でずっと正拳突きしてた誘ってくれた人に一喝されたんだって。

「続けろ!ほら!剛が見てるだろ!」

 

ライブ会場がいつの間にかパノプティコンと化していたという。

 

さっきのアイドルのジレンマの話でいうと、長渕剛はこの問題に対して、信者に寄せるっていうかたちで答えを出してるんだと思う。

ハードめな試練を与え、ついてこれるやつだけついてこいっていう。ファンはその試練をむしろ求めるようになり、生き残ったファンとの絆はさらに強まる。

 

X JAPANもそういう感じあるよね。

生のライブを何年か前のサマソニではじめて拝見したんだけど、熱心なファンってライブの最後とかに手を「X」のかたちで何分間もずっと挙げ続ける。

別にYOSHIKIにそう強制されたわけでもないだろうに、普通の精神力だとすぐしんどくなる姿勢を、忠誠心を示すかのようにやり続けるっていうマゾい感覚。

 

2011年のサマーソニックでは、千葉マリンスタジアムのアリーナに数万本のXの手が掲げられ、スタンド席からは数万の野次馬の目が注がれていたのであった。

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普段は熱心なファンとの間でずっと行われてきたプレイが、ふわっとした衆人の目にさらされる瞬間。

それが見られるのは、圧倒的な温度差の2つの大集団がダイレクトに接触するフェスならでは。

 

 

タイムテーブル的に何も見たいものがない時間帯ってフェスにはかならずあるけど、そういうとき、できるだけ熱い人が多そうなステージを狙って、温度差を観測しにいくっていう楽しみ方はいかがでしょうか。