高畑勲監督が亡くなってからちょうど1年にあたる今日、「金曜ロードショー」で「平成狸合戦ぽんぽこ」が放送される。
高畑勲監督が亡くなられてから1年がたちました。昨年も風の強い日だったことが思い出されます。
— 三鷹の森ジブリ美術館 (@GhibliML) April 5, 2019
本日の金曜ロードSHOW!は「平成狸合戦ぽんぽこ」です。ぜひご覧になってください。 pic.twitter.com/dutNguo7pR
この作品、これまでも定期的にテレビで放送されてきたので、何度も観たという方も多いでしょう。
ただ今回はちょっと違う観点から観てみませんかというご提案。
そう、「平成狸合戦ぽんぽこ」っていう作品は、落語に関連するキーワードで読み解くとさらに楽しみが深まるのであります。
1. 語りが古今亭志ん朝
まず、物語の語りをやってるのが、古今亭志ん朝(ここんていしんちょう)。
2001年に惜しくも亡くなってしまった落語会のサラブレッドにして大スターです。
大河ドラマ「いだてん」でビートたけしが演じてることでも知られる昭和の大名人、古今亭志ん生(しんしょう)の次男なんだけど、父の志ん生が破天荒な芸風なのと対象的に、端正でいて可笑しみもある芸風が特徴。
まず語り役に志ん朝が起用されているところに、何よりも「ぽんぽこ」が落語的であることがあらわれてると思う。
かつて、「落語の魅力は?」と問われたときに、志ん朝は「狐や狸が出てくるところ」と答えたという(これ落語好きがみんな大好きなエピソード)。
ものすごく深い心理描写ができる人情噺から大爆笑の滑稽噺まで、ほぼ無限の可能性をもつ落語という演芸を、ある意味で極めたような大名人が、落語の魅力をひとことで語る際に「狸」という言葉を使ってる。
ごく当たり前に狸が出てくるような、落語の世界を心底愛していたんだろう。
そういう発言をした志ん朝が語るおはなしなんだから、その時点で「ぽんぽこ」は落語であるって言ってしまっても過言ではないよね。
いきなり結論が出てしまったけど、この作品が落語的である理由はこれ以外に6つもある。
2. 子狸が林家正蔵(九代目)(林家こぶ平)
今では林家正蔵(はやしやしょうぞう)なんて大名跡を継いだわけだけど、公開当時は「こぶちゃん」なんて呼ばれて可愛がられるキャラクターだった。
この人もサラブレッドで、爆笑王と呼ばれた父・林家三平(はやしやさんぺい)と常に比べられることに悩んでいたというけど、まだまだ未熟だけどなんとかがんばろうと奮闘する子狸の感じが当時のこぶ平に最高にマッチしてる。
3. 長老が柳家小さん(五代目)
柳家小さん(やなぎやこさん)は、落語家ではじめて人間国宝になった人。柳家花緑(やなぎやかろく)のおじいさん。
戦前から活躍している大ベテランで、兵隊として二・二六事件に関わったというから、当時すでにかなりの高齢だったわけで、長老狸の役がものすごくハマってる。
4. 四国の大狸が桂米朝(三代目)と桂文枝(五代目)
昔から狸の本場は四国ということになってるんだけど、「ぽんぽこ」でも東京の狸たちが助けを求めて四国を訪ねる。
そこで登場する四国の大物を演じているのが、上方落語の大師匠たち。
戦後に衰退していた上方落語を発展させたいわゆる「上方四天王」のうちの2人である。
もともと文学を志していたという学者肌の桂米朝、音楽にのせたネタを得意とする桂文枝という2人の特徴が、狸のキャラ造形に反映されているようで、高畑監督の落語愛を節々まで感じる。
あと桂米朝が演じた金長狸という狸は神社に祀られているんだけど、桂米朝は神主の家系に生まれた人っていうつながりもある。
5. 歌舞伎や講談のパロディとして
落語っていうのはそもそも歌舞伎や講談のパロディとして発展してきたという歴史がある。歌舞伎の設定やセリフを元ネタにしたギャグがたくさんある。
幕末や明治の頃に庶民の娯楽の王様だった歌舞伎や講談をいじって笑いにつなげてきたわけで、ダウンタウンやとんねるずがトレンディドラマやハリウッド映画のパロディをやったのと同じ。
さっきから落語家の名前に「◯代目」ってつけてるように、落語の世界では大きな名前を代々受け継いでいて、大々的に襲名披露公演をやったりもするんだけど、こういうことも歌舞伎界がやってることのパロディとしてはじまったとか言われてる。
そう考えると、自然破壊という重いテーマを、人間の代わりに狸を使って軽やかに語るっていうスタイルそのものも、とっても落語的に思えてくる。
「平成狸合戦」というタイトルも、明治時代に流行した講談の「阿波狸合戦」が元ネタになっており、まさに講談のパロディとしての落語なんだよな。
6. 「神経のせい」
後半、狸たちが化け学の能力を発揮して人間たちを脅かしまくるシーンで、こういうセリフが出てくる。
キツネの嫁取りだ キツネの提灯だって
神経がそう見えるんだねえ
ありゃ神経のせいだよ
「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」っていう、明治時代の大名人である三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)が創作した怪談噺がある。
当時は明治維新の後の文明開化の時代で、西洋文明をがんばって取り入れようとするあまり、古くからの言い伝えみたいなものはすべて迷信として片付けられていて、幽霊や妖怪みたいなものも、神経の作用で見えた錯覚であると言われていた。
そんな空気が支配する時代に、めっちゃこわい怪談噺を創作し、タイトルに神経をもじった「真景」をもってきたっていうね。さすが日本文学の言文一致体にも影響を与えたといわれる圓朝。
このシーンのセリフはこれが元ネタになっており、眼の前で繰り広げられる化け学を神経のせいにしてかたくなに信じまいとする大人たちの正常性バイアスに対する皮肉にもなってるわけ。
7. 人間の業
人間が生きていく限り自然を破壊せずにはいられないっていうのは、「もののけ姫」や「風の谷のナウシカ」などのジブリ作品に共通するテーマ。
「平成狸合戦ぽんぽこ」で無残に切り開かれてしまった多摩の自然が昭和の高度成長期に住宅地になり、そこが数十年後に「耳をすませば」の舞台になるわけで、つまりみんなが感動したあの坂道やあの工房の下には、狸の死体がたくさん埋まってる。
自然を破壊せずには生きていけないっていう、人間の背負った業。
そんな人間の業を否定せず、都合よく無視することもせず、ただ見つめ続けるっていうのがジブリ的なスタイルだと思っていますが、それと通じるような「落語とは人間の業の肯定である」という名言をある落語家が残してる。
その落語家というのが、語り役の古今亭志ん朝のライバルだった立川談志。
志ん朝と談志という2人の天才落語家の関係性や落語観の違いを重ね合わせてみることで、落語好きは「ぽんぽこ」で号泣することが可能なのである。
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このように、「平成狸合戦ぽんぽこ」という作品はいろんな意味でものすごく落語なのです。
逆に、「ぽんぽこ」の世界観がなんだかいいな〜って思える人であれば、落語好きになれる可能性が高い。
ぜひこの機会に落語にふれてほしいです。