平成もあと3ヶ月でおしまい。
世紀末やいくつかの大災害、生活を一変させるようなテクノロジーの進化もいくつか経験して、30歳以上の日本人は二度目の元号の代り目に立ち会おうとしてる。
この30年で世の中はめっちゃ変わっていて、ざっくり言うと日本は老けたな、という印象。
30年前、「J-POP」という言葉がJ-WAVEによって生み出され、現在に至るまでこの国でもっとも聴かれている音楽がそう呼ばれ続けた。
つまり平成の30年とは、J-POPの30年と換言してもよい。
ではこの30年でJ-POPはどう変わったか。
「J-POP」という言葉が指し示す中身はどれぐらい同じでどれぐらい同じでないか。
J-POPの周辺は変わってないのか。
今日はそういう話。
変わったところ
この30年で、変わったことのほうがそりゃ多い。30年前に誰も想像していなかったことが当たり前になったりしてるけど、変わってからだいぶたってると、変わったことすら忘れてしまってる。
まずは激変っぷりをちょっと思い出して愕然としてみたい。
メディア
平成元年、人々が音楽を手に入れる方法としてはCDが一般的になっていたが、アナログレコードもまだギリギリ生産されていたし、カセットでもリリースされていた。ウォークマンで音楽を持ち歩く習慣は定着し、CDウォークマンももうあった。
平成30年はというと、もっぱらSpotifyやAppleMusicなどのサブスクか、Youtubeで音楽を手に入れてる。いや、「手に入れる」って何だよっていうところまできてる。
ほんの数年前まで「データ」として音楽を手に入れることが珍しかったのに、今ではそっちがメインになったので「フィジカル」っていう言葉が使われるように。
情報源
新しい音楽に出会う情報源も大きく変わった。
平成元年はラジオと雑誌のパワーがすごかった。あとは知人の口コミ。なので、ラジオや雑誌が拾い上げるレベル以上の知名度のものしか一般のリスナーは知り得なかった。
もっとコアな情報に触れたければコアな場所に身を置くしかなかった。80年代の選民意識ってそういう環境と密接だったよね。
じじいの繰り言で恐縮だけど、あの頃は視聴もできなかったし、雑誌でイメージを膨らませただけの状態で3,000円弱のお金を払ってアルバムを買ってたわけで、毎回バクチだった。そのおかげで選球眼が磨かれたっていう点は絶対あると思っている。
この変化は、雑誌やラジオがウェブメディアに置き換わったってだけじゃない。雑誌やラジオにはもっと影響力があった。
SNSがなかったので、アーティスト本人が直接不特定多数のファン交流するなんてできなかったので、雑誌のインタビュー記事を聖典のように崇めてた。
世の中に出回ってる音楽の量
平成元年に、音楽をつくるとか広く売り出すとかいったことは、基本的にプロフェッショナルの仕事だった。
歌唱指導をうけたり専門的な楽器の演奏技術を習得したりした者のうちのごく一部が、日本で数社しかないレコード会社と契約し、ビジネスとして採算がとれると判断されたものだけが世にでることを許されていた。
平成30年には、そのへんの中学生でも自分の音楽を全世界に配信することが可能になっている。DTMの普及と技術革新により誰でもそこそこ聴ける音を出せるようになり、SNSや動画配信サイトで誰もが発信者になれて、しかもフィジカルなメディアでリリースする必要がないのでコストはゼロ。
「身内音楽」とそうじゃない音楽の区別が限りなく曖昧になってる。
その結果、膨大な数のオリジナル音源が世の中に出回ってる状態になった。かつては個人でもがんばればその時代のすべての音をチェックすることは可能だったけど、今やそんなことは不可能。
世の中に出回ってる音楽の量は、この30年で圧倒的に増えた。
国民的ヒットが生まれにくい原因は、アーティストが小粒になったからでも世代で分断されたからでもなく、世の中に出回ってる音楽の量が増えすぎてるからだと思ってる。
変わってないところ
たしかにこの30年でJ-POPに関するいろんなことが激変した。
しかし逆に、おそろしいことに30年前とまったく変わっていないものもたくさんある。当たり前に見えてるけどよく考えたらすごくないですか!っていうことを思いつくままに挙げていきます。
CDの値段
シングルCDが約1,000円、アルバムが2,500〜3,000円っていう価格設定は、30年前とまったく変わっていない。
ちょっと調べてみたんだけど平成元年の東京都の最低賃金って525円だった!今では985円なので2倍近く上がってるのに、CDの値段はそのまま。つまり30年前よりも2倍近く買いやすくなってるはずだろう。それでも音楽を手に入れるいろんな手段のなかで「フィジカル」は割高な部類なんだよな。
CDは今やコレクターアイテムって言われるけど、少なくとも値段の面では完全にそうだと思う。
カラオケ
平成元年ぐらいから、若者の娯楽としてカラオケが普及してきた。
それまでのカラオケといえば夜のお店でおじさんが歌うものだったんだけど、カラオケボックスが登場し、通信カラオケが登場し、1993年には、文部省の『教育白書』に「我が国でもっとも盛んな文化活動はカラオケである」とまで書かれることに。
平成30年の現在、若者のカラオケ離れなどと言われるようにもなってるけど、ヒトカラという概念が生まれたり、まだまだ一般的な遊び方の地位を保っている。
今ではあまりにもカラオケが一般に定着しすぎて当たり前になってるけど、それ以前の世の中を想像してみてほしい。昔は夜のお店以外の場所で、普通の日本人が流行歌を大声で歌い、他の人がそれを聴くっていう状況なんてなかった。
歌手以外の人にとって流行歌はひとりで口ずさむもの、もしくは大勢でわーわー歌うものだったはず。
昭和40年代以降は若干状況も変わったけど、それにしたって歌うよりも前に、まずフォークギターを練習して最低3つぐらいコードを押さえられるようになる必要があった。歌いたい人だけが努力して歌っていた。歌いたくない人には歌わない自由があったとも言える。
それが平成の時代は、たとえば中高生が土日に遊ぶといったらまずカラオケ。歌が好きか嫌いか、得意か苦手か、そういうことに関係なくカラオケボックスには立ち入る。そして1曲ぐらい何か歌わないとまわりが許してくれない。
平成ぐらいから人前で歌うことについての意識が変わり、そのモードが今も続いている。カラオケで歌うために音源を入手して練習するっていう行動は、昭和にはなかったけど、平成元年にも平成30年にもみられる。すごく平成っぽいと、後世に言われそう。
紅白歌合戦
紅白歌合戦は、平成元年どころか戦後すぐからずっとある。平成中期に視聴率が低迷して、3部構成にしたり若者を意識したりといろいろ試行錯誤してたよね。それでも完全にオワコン扱いされていたのに、ここ数年は見事に往年の存在感を取り戻してる。
よく言われるようにSNSとの親和性が高いってのはありそう。国民みんなが同じ番組を同時に観てTwitterで好き勝手つぶやくっていうスタイル。かくいう自分自身も紅白ツイート多め。
必ず何らかのハプニングが起こる生放送の緊張感、ツッコミやすすぎる大物演歌歌手のたたずまいやNHK的な生真面目さ、実はこんなにすごいことをやってる系のうんちくを誘発する仕込みなど、Twitterとの相性がとにかくよい。
あとはプロレスやアイドルやメタルなどと同じように、90年代に一度いろんなものが「リアル志向」になったけど、最近また揺り戻しで「様式美」なものが求められるようになったことも関係ありそう。
プロレスは八百長と言われて総合格闘技にもっていかれ、アイドルはお人形とされて自作自演至上主義のアーティスト志向になり、メタルはよりストリートでリアル感があるオルタナやミクスチャーにお株を奪われっていう流れがあったんですよ。
その流れが一周して、再びプロレスやアイドルやメタルが復権してる。
あの頃あんなに重要視された「リアルかどうか」は、今や誰も気にしてない。
ジャニーズ
プロレスやメタルと同じように、ジャニーズも一度死にかけた。
昭和後期にシブがき隊!少年隊!男闘呼組!光GENJI!と人気グループを輩出したジャニーズ事務所は、平成元年には元気があったんだけど、光GENJIの失速とともに冬の時代に突入する。
非現実的なキラキラの衣装、スターであることを求められる言動、みたいなものが古臭くなってしまったのだった。
SMAPは時代の境目に登場し、リアル志向の世の中でどのように振る舞うべきか、必死に探求してきたグループ。
バラエティ番組に積極的に露出し、カジュアルで力の抜けた平成的な振る舞いでその地位を確立したんだけど、デビューからかなりの時間を要したのだった。
嵐やそれ以降のグループは、完全にそのスタイルを踏襲してる。
詳しくは矢野利裕せんせいの名著「SMAPは終わらない」を参照のこと。
秋元康
まだいる。
ロックバンド
ギター・ベース・ドラム・ヴォーカルの4人バンド(もしくはキーボードも加える)っていうフォーマットがいまだに一般的って事実、よくよく考えたら不思議じゃない?
平成元年にはバンドブームがあり、パンクやハードロックやファンクといった具合にいろんな音楽的背景をもったバンドがたくさんデビューしていた。
だけどバンドブームが終わった後に小室哲哉の時代があり、自宅で音楽制作が安価にできる機材が出回り、ボカロの登場で歌う必要すらなくなった。
平成30年、音楽をやるにあたってバンドである必然性はもうないはず。
カラオケの登場で昭和の箱バンのミュージシャンが大量に失業したのと同じように、昔ながらのバンド編成は時代遅れになってても全然おかしくない。
なのに、いまだにギター中心のロックバンドは廃れてない。
セカオワが「まだギター弾いてんの」って議題に挙げてくれたけどまだ誰もそのテーマを深めるに至っていない。
波紋だの炎上だの言ってるけど、めっちゃ重要な問題提起だったと思うよ。
バンドマン
ロックバンドが廃れてなければ、バンドマンという存在も廃れてない。
アルバイトしながらデビューの機会をうかがうバンドマンという存在。平成元年のバンドブームの頃から常に世の中に一定数が存在し続けてきた。
勉強もスポーツも苦手だけど人とは違う何かになりたい!っていう若者が身を投じる先として、30年間あり続けた。
途中、クラブカルチャーの勃興によりDJやラッパーといった方向に流れたり、M-1グランプリ以降はお笑いに流れたりもしたけど、廃れることはなかった。
ライブハウスで実績を積んでメジャーデビューっていうキャリアパスも、基本的には平成元年と変わってない。
まとめ、そして
平成育ちのヤングな方々にとっては、何を当たり前の話をしてるのだと思われるかもしれない。
だけど、かつては30年もの年月があったら時代が3周できたんだから。
30年あったらエルビス・プレスリーからYMOまでいくんだから。
そう考えるとこの30年でJ-POPは驚くほど変わってないんじゃないでしょうか。
…というような話をディープに繰り広げるトークイベントをやります。
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日程:2019年3月17日(日)
時間:開場16:30 / 開演17:00
料金:1500円(+1Drink別)
出演:LL教室(森野誠一、ハシノイチロウ、矢野利裕)
独自の観点から1990年代のJ-POP界を1年ごとに深掘ってきた
「LL教室の試験に出ない90年代J-POPシリーズ」。
全10回のシリーズも折り返し地点にさしかかり、
またいよいよ平成も終わりというタイミングでもあるということで、
一旦ここで平成のJ-POPを総括してみようと思います。
年号の変わり目でひとくくりに語るのは本来ナンセンスな話ですが、
たまたま平成元年は政治経済そしてカルチャーが激変するタイミングであり、
そもそも「J-POP」という言葉が生まれた時期でもありました。
そこからの30年間で日本人の音楽との付き合い方は大きく変わっています。
小室哲哉/夏フェス/バンドブーム/サブスクリプション/ケータイ小説/日本語ラップ/ビーイング/シティポップ/LDH/地下アイドル/アナログレコード/ジャニーズ/クラブカルチャー/インディーズ/着メロ着うた/ヴィジュアル系/DTM/ハロプロ/通信カラオケ/秋元康/などなど
様々なキーワードを散りばめつつ、平成のJ-POPを<試験に出ない>独自の切り口で語ります。
また、LL教室が現在取り組んでいるの極秘プロジェクトのご報告も!
定員
20名まで
チケット予約は上記リンクからどうぞ。
よろしくおねがいします!