森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

愛のままにわがままに僕は平成のJ-POPベスト10枚を選びました後編(2002〜2019)

いよいよ平成も終わりということで、この機会に平成のベスト10枚を選んでいます。 

こちらに続き、今回は後編。

 

あ、どれだけ売れたかとかどれだけシーンへの影響力があったかとか、そういうのは一旦すべて度外視して、個人史的にインパクトがデカかった10枚を、できるだけ30年間からまんべんなくセレクトするという趣旨でやってるよ。

  

あと年号の変わり目でひとくくりに語るのはナンセンスってのは百も承知ですが、たまたま平成元年は「J-POP」という言葉が生まれた時期でもあったわけで、またこの30年間で日本人の音楽との付き合い方が大きく変化したということもあり、平成のJ-POPについて考えることにはそこそこ意義があるはずって思ってやってます。

 

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Crazy Ken Bandグランツーリズモ』(2002年)

グランツーリズモ

グランツーリズモ

 

もともと歌謡曲が子供の頃から好きで。

特に1960年代後半から70年代前半に特有の、つまりグループサウンズや和製R&Bな人たちの、コクがある歌いっぷりやキレッキレのリズム隊だったりが大好物。

ただ自分がそういう音が好きっていうことは、10代を通じてあまり誰とも共有せずにきた。それよりもリアルタイムの英米の音楽シーンを追っかけるほうが楽しかった。

 

ところが90年代中頃に、そういった歌謡曲を「和モノ」とかいう呼称で再評価するムーブメントが若い世代で起こる。

過去の音楽を文脈から切り離してサンプリングするっていうノリが「渋谷系」の精神だとよく言われるけど、その参照元として、昭和歌謡は実はかなりのウェイトを占めていたと考えてる。

たとえばピチカート・ファイヴ小沢健二かせきさいだぁスカパラといった人たちには特に色濃く感じるし、その周辺でいうと、サニーデイ・サービスゆらゆら帝国デキシード・ザ・エモンズ東京パノラママンボボーイズなど、和モノ界隈との距離が近い人たちがたくさんいた。

 

クレイジー・ケン・バンドを初めて知ったのは、小西康陽がプロデュースしてるっていうことや幻の名盤解放同盟の人たちがめっちゃ推してるっていうところから。

 

いわゆる昭和歌謡の世界を、サウンドはもちろん精神の面からも再現しようとしてて、しかもそこには清水アキラ淡谷のり子を歌うときのような、リスペクトと批評が絡み合った独特の愛情表現になってて。

すぐに夢中になった。

 

このアルバムは、2002年リリースのメジャー流通第1弾。

ただの時間が止まったおやじバンドではなく、たとえば「夜の境界線」という曲ではスヌープ・ドッグを引用していたりと、フレッシュさと老獪さの両方を高いレベルで持ち合わせてるのがほんと唯一無二だなって。

 

やむにやまれず初期衝動に駆られて生まれた作品や、若くしていろいろ整いまくってる早熟の天才もすごいと思うけど、いい年になっても粘り強く表現し続けてる人や、やりたいことをやれるための環境を整えるのに数十年かかってやっと出てきたような人にむしろシンパシーを感じてしまうんですよ。こういうのなんて言うんだろう、初期衝動の逆のやつ。中年のしつこさの美学。

 

Perfume『Complete Best』

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

 

今や紅白歌合戦の常連であり、海外でもコーチェラ・フェスティバルに出演するなど、日本の先端テクノロジーな面を一手に背負ってるぐらいの存在になってしまってる感もあるPerfume

 

しかしみんなご存じの通り、Perfumeはかつて広島の売れないローカルアイドルだった。

爆風スランプパッパラー河合プロデュースでいかにもローティーンのアイドル然とした楽曲を何曲かリリースしたものの売れず、路線変更して仕切り直すべくプロデューサーとして選ばれたのが、今をときめく中田ヤスタカ大先生だった。

最初はかわいらしいテクノポップ路線からはじまり、徐々にゴリゴリのエレクトロなダンスミュージックにシフトして「ポリリズム」あたりでブレイクしていくんだけど、このアルバムが出たのはそんなブレイク前夜にあたる。

 

だいたい、デビューアルバムなのに『Complete Best』ってどういうこと?って話でしょう。

これ、中田ヤスタカ路線でも思ったような成果が出なかったので、アルバムを出したら店じまいするつもりだったのではないか、だからベストなんてタイトルだったんじゃないかと、まことしやかに言われてるよね。真相はわかりませんが。

 

そんな時期に、友人からPerfumeっていうアイドルがすごいって激推しされて。

聴いてみたらたしかに!ってなって、ライブにも通うようになったのだった。

 

ポリリズム」が出た頃でもまだ都内のライブハウス規模でライブを見られたし、持ち曲が少なかったのでパッパラー河合時代の「彼氏募集中」なんて曲もふつうにやってた。お客さんも、つわものアイドルオタク、音楽業界や広告業界っぽい大人、大学生ぐらいのおしゃれ女子といった層が混在していてなかなかにカオス。

ただ間違いなく言えるのは、当時のPerfume現場の客席で支配的だったのは、昔から支えていたオタクたちの空気。つまりPerfumeはブレイクしてからもしばらくは色濃くアイドルだった。具体的にいうと武道館ぐらいまではアイドルだった。

 

当時はAKB48も立ち上がったばかりの時期で、のちにアイドル産業がここまで盛り上がるなんて予想してなかったけど、その初期にPerfumeがいたことって、その後のアイドル界のありかたにけっこう影響を与えてるんじゃないかな。

たとえばPerfumeがいなかったら、アイドル現場における女性ファンの比率がここまで高かっただろうか、とか、楽曲のクオリティやエッジ感はここまでだっただろうか、とか。

 

でんぱ組.inc『World Wide Dempa』

WORLD WIDE DEMPA 通常盤

WORLD WIDE DEMPA 通常盤

 

というわけで、Perfumeが切り開いた、エッジな音楽性のアイドルっていう路線は、ももいろクローバー、さらにでんぱ組.incに繋がったと思っています。

 

秋葉原のディアステージっていうメイドカフェを母体に結成されたでんぱ組.incは、いわゆる萌えカルチャーを体現する存在として登場した。楽曲も、畑亜貴小池雅也といったそっち系ど真ん中の作家が手がけていた。

 

ただ、プロデューサーのもふくちゃんという人の感性のおかげで、かせきさいだぁ&木暮晋也に曲をオファーしたり、ビースティーボーイズっていう米ヒップホップグループの90年代の曲をカバーしたり、小沢健二の曲をヒャダインのプロデュースでカバーしたり、主催イベントに灰野敬二っていうノイズ・ミュージック界の大御所を呼んだり、メンバーの人間関係がギクシャクしてるさまを赤裸々に曲にしたりと、特定のジャンルにおさまらないことをいっぱい仕掛けていく。

しかもそれがいちいちセンスよくて、Perfumeももクロなどでエッジのたったアイドルの魅力に気づいた人たちがでんぱ組に一気に流れるということがあった。2012年頃。

 

わたくしも上記のような振れ幅にすっかりやられてしまい、ねむ推しとして現場に通うようになっていたのだった。そのあたり詳しくはこちらを参照。

『World Wide Dempa』っていうアルバムは、グループにとってはセカンドアルバムだけど、メンバーが固まって6人体制になって最初のアルバムでもある。

畑亜貴小池雅也かせきさいだぁ&木暮晋也、前山田健一といった豪華作家陣がそれぞれの持ち味を発揮しまくり、さらには玉屋2060%っていう新たな才能を起用して大当たりし、つまり収録曲のほとんどが代表曲になっている最強の一枚。

 

民謡クルセイダーズ『Echos Of Japan』

エコーズ・オブ・ジャパン

エコーズ・オブ・ジャパン

 

日本古来の民謡を、ラテンを中心としたグローバルな音楽性でアレンジして演奏するバンドのデビューアルバム。

「炭坑節」とか「会津磐梯山」とかの、日本人なら誰もが知ってる、しかしほとんどの人にとってはおじいちゃんおばあちゃんのカルチャーだと思われてる民謡が、めちゃめちゃフレッシュに蘇ってる。

 

もともとラテン音楽は大好物だし、河内音頭江州音頭のような地元の民謡も好きだった自分のような人間にとって、民謡クルセイダーズはよくぞ出てきてくれた!ってな俺得なバンドなのです。

 

しかも、ここがすごく重要なことなんだけど、ラテンに料理するセンスがずば抜けてる。

ラテン音楽って一口に言っても、街のサルサ教室のそれもだし、街角で「コンドルは飛んでいく」を演奏するおじさんバンドのそれもだし、いろいろある。

その中で、クンビアだったりブーガルーだったりといった、欧米のおしゃれレーベルがアナログで再発するような、そして気の利いたクラブでDJがかけるような、そのあたりの路線を選ぶセンスですよ。

その上、肝心の歌が民謡としてへたっぴだったら元も子もないし、頭でっかちなだけで演奏がしょぼくてもまた台無しなんだけど、そのあたりも実にちゃんとしてて、すばらしい。

 

われわれ日本人って、明治以降は西洋の音楽に完全にかぶれてしまってて、伝統的な民族音楽を日常から消し去って100年以上たってるわけだけど、そんな状況に違和感だったりもったいなさを感じる人たちっていうのは常に一定数いると思う。

 

だけどだいたいは長渕剛のように、日本の誇りについて考え続け、西洋のモノマネだけでいいのかって問題意識を持ってはいても、結局出してる音は日本の伝統的なものとは切断されてるってパターンが多い。

 

なかには、西洋の音楽に日本の伝統を接続して日本人のオリジナルの音楽をつくろうという試みに取り組む人たちもいる。古くはスパイダースの「越天楽ゴーゴー」とか岡林信康の「エンヤートット」とかね。

ただ、それも多くの場合あまりうまくかなかったり長続きしなかったり(沖縄は例外として)。ある程度のポピュラリティを獲得するケースもあるけど、音楽的な深みはなかったりする。たとえば、よさこいソーラン的なやつ。

ましてや世界の音楽好きを驚かせるようなことは過去に例がなかった。

 

民謡クルセイダーズは、これまで多くの日本のミュージシャンができなかったことを成し遂げるかもしれない。

そう、民クルは世界中でじわじわ評価されはじめてる。おそらく今後もっと評価されるし、来年あたりヨーロッパツアーをやって一大ムーブメントになっても全然驚かない。

 

 

 

90年代に映画『アンダーグラウンド』のサントラをきっかけにヨーロッパでジプシー音楽がめっちゃ流行ったぐらいの規模で、2020年に民謡ブームが起こっても不思議じゃない。そしたら浮世絵のときと同じ経路で日本人が民謡を再発見することにもなるであろう。

 

cero『POLY LIFE MULTI SOUL』

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

 

言わずとしれた、2010年代の日本を代表するカッコいいバンド。

ここ最近のいわゆる新しい「シティポップ」と呼ばれるような若手バンドたちの筆頭のように位置づけられることも多いんだけど、本人たちは特定のジャンルにとどまることなく勝手にどんどん進化しつづけてってるのがすごい。

 

前作『Obscure Ride』では黒人音楽に接近し、特にディアンジェロ的なわざとズラしたようなリズムを取り入れるなど日本では他の追随を許さない感じになってきていたcero。このアルバムも大好きだった。

なんと稲垣吾郎のフックアップにより「SMAP×SMAP」でSMAPと共演したりも。

 

で、そのまま世界水準の新しいソウル・ミュージックをどんどんやってくれてもよかったんだけど、3年ぶりにリリースされた『POLY LIFE MULTI SOUL』では、まったく新しいところに挑戦しており、きっちり度肝を抜かれてしまった。

 

今回は、変拍子ありアフリカ的な細かいビートあり、今どきのジャズの感じとかにもかなり接近してる。まあとにかく、あまり聴きなじみのないつくりの音。ひとつひとつの楽器のフレーズに耳をすますと、変なタイミングで鳴らしてるやつがあったりする。すごく気になる。

なんだけど、めちゃめちゃ踊れる。

でまたライブは特にすごいことになってるし。

 

60年代からの日本のロックやポップ音楽にはいくつかの系譜があると思ってて、ムッシュかまやつのラインとか大滝詠一のラインとか井上陽水のラインとか。で、細野晴臣のラインってあるじゃないですか。

ceroは間違いなくそのラインの正統な後継者であり、しかも先人の縮小コピーじゃなくてむしろ発展させてる感じがある。

 

長いこと音楽を聴いてると、このバンドと同じ時代を過ごせてることがうれしくてしょうがないことってあるじゃないですか。または、後追いで好きになったバンドについて、リアルタイム世代の話がうらやましくてしょうがないこととか。

たとえば1963年から69年のビートルズを同時代で体験したのとか、死ぬほどうらやましいじゃないですか。

 

ceroに関しては、結構それに近い感覚をもっていて。

毎回新しいことに手を出しつつどんどんヤバみを増していくバンドをリアルタイムで追えるよろこび。

30年後の若者たちをめっちゃうらやましがらせる現象を、われわれはリアルタイムで体験しているのだと思ってます。ありがたい話です。

 

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以上、わたくしハシノが愛のままにわがままに選んだ平成の10枚でした。

 

40歳も過ぎるとなかなか新しい音に反応できなくなってくるけど、ちゃんとアンテナを張ってれば、いつの時代もおもしろい音楽はある。

おのれのアンテナが錆びついてるだけなのに、「近頃はいいバンドがいない」とかなんとか軽々しく言うなよって思います。

 

AppleMusicのレコメンドのおかげで、おじさんは気を抜くとすぐに90年代に旅立ってしまうんだけど、できるだけ重力に負けずにいたい。

いつか令和の10枚を選ぶときが来たとしても、今と同じぐらいのテンションで、10枚に収めるの難しいぞなんてうれしい悲鳴をあげていたいものです。