先日のLL教室イベントで、メンバーそれぞれの平成J-POPベスト10枚を選ぶという企画をやった。
どれだけ売れたかとかどれだけシーンへの影響力があったかとか、そういうのは一旦すべて度外視して、個人史的にインパクトがデカかった10枚を、できるだけ30年間からまんべんなくセレクトするという趣旨。
(「まんべんなく」のしばりがないと、10代の多感な年頃をすごした1990年前後だけで簡単に10枚いってしまうので)
いざ取り組んでみると、10枚に収めるのが難しく、たくさんの名盤を泣く泣く外すはめになってしまいなかなか辛かったんだけど、なんとか決めました。
愛のままにわがままに選んだ10枚はこちら。
イベントではあまり丁寧に話せなかったので、この場で1枚ずつ解説していこうと思います。有名どころ中心のラインナップではあるけど、それまで名前は知ってたけど聴いてこなかったっていう音に触れるきっかけになってくれたら幸い。
今回は前編として、1990年から2001年までの間で選んだ5枚を紹介します。
ユニコーン『ケダモノの嵐』(1990年)
- アーティスト: UNICORN,阿部義晴,奥田民生,堀内一史,川西幸一,手島いさむ
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
- 発売日: 1995/12/13
- メディア: CD
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今では「奥田民生がやってた(る)バンド」として認識されてることが多いみたいだけど、実はユニコーンって、ひとりの天才に率いられたいわゆるワンマンバンドではない。
メンバー全員が作詞作曲するしメインボーカルもとるし、プレイヤーとしてもそれぞれすごい人たちなのです。
デビュー当初は、いかにも80年代っぽいシンセと8ビートのバンドだったユニコーン。
たしかに作曲やアレンジのクオリティは最初から高かったけど、バンドとして本領発揮したのは2枚目3枚目とリリースするごとに音楽性がどんどん多様になっていってから。
ハードロック、ラテン、ニューウェーブ、レゲエ、アシッドフォーク、ハードコアパンク、テクノポップ、ロカビリー、ビッグバンドジャズ、あげくクラシックやケチャまでも取り入れて消化していく貪欲さ。
軸がなさすぎて「ユニコーンらしい曲」っていう曲がどれなのかわからないほど。
また、インタビューでの受け答えやCDのスタッフ表記など、音楽以外の場所でも常にふざけていて楽しそうで、そういうところもめちゃめちゃ憧れた。
音楽を仕事にするって楽しそう!と中学生男子を勘違いさせてくれたおかげで、その後の人生がかなり決定づけられました(ユニコーンに出会うまでは落語家かラジオの構成作家になりたかった)。
その中でも『ケダモノの嵐』はリアルタイムで聴きまくった。
この時期のインタビューでユニコーンは「われわれの音楽は20代後半以上のおっさんにぴったりくるようになってる」みたいな発言をしていて、女子中高生がファン層の中心だった彼らがそういうこと言うのかっこいいなって思ったし、実際にそういう音だった。がんばって背伸びして聴きこんだ。
曲ごとに音楽性が見事にバラバラでありつつ、共通しているのは噛めば噛むほど味がしてくるスルメ感。数年前までキラキラなシンセ中心だったとは思えない、ビンテージな音づくり。
音楽遍歴の最初期にこんなアルバムに出会えたっていうタイミングの良さに感謝しかない。
「働く男」はダウンタウンが全国区でブレイクしたきっかけのひとつになった「夢で逢えたら」のオープニング曲だった。
筋肉少女帯『月光蟲』(1990年)
リスナーとしてもっともハマったのはユニコーンだったけど、自分のアイデンティティ形成のうえでもっとも大きな存在は、筋肉少女帯そして大槻ケンヂだった。
奥田民生やユニコーンの人たちって、当たり前だけどめちゃモテる側の人だし、まあオトナだなという感じもあり、感情移入する対象ではなかったんよね。
自分は他の人間とは違うのだ!と信じていたけどそれを表現する方法がわからず、男子校で鬱々とすごしていた当時の自分にとっては、大槻ケンヂという人の発言や筋肉少女帯が描き出す、猟奇的で孤高な世界がものすごくぴったりきた。
筋肉少女帯の音楽性は、メジャーデビュー直後は超絶技巧のピアノとハードコアパンクの融合っていう独特すぎるものだったんだけど、そこからメンバーチェンジを経て徐々にヘヴィメタル化していく(パンクな出自でメタル化するバンドって筋少に限らず大好物)。
1990年にリリースされた『月光蟲』というアルバムは、そんなヘヴィメタル化の絶頂期。攻撃的なスラッシュメタルを軸に、変拍子の男女デュエットやファンキーなハードロックや幻想的な小品まで自由自在に行き来しつつ、どれもこれも他のバンドとは一線を画すオリジナリティのかたまりになってる。またメンタルに波のある大槻ケンヂという人の歌詞もこのアルバムではキレッキレであり、アルバム冒頭から最後のインストまでバンドの勢いと才能が充満してる。
その後バンドにつきものの内紛の結果なんと大槻ケンヂ自身が脱退するなんて事態もあったけど、2006年に久々に「仲直りのテーマ」なんてタイトルの曲を引っさげて復活した筋少。
自分は人とは違うと思いながらも現実世界では非力っていう子たちは、ネットの世界やオタクカルチャーの担い手として、当時よりもむしろ多くなってるかもしれない。数々のアイドルへの歌詞提供や声優とのコラボから見て取れる、その界隈との親和性の高さね。
筋少はPVもかっこいいのが多い。当時はオウムが事件を起こす前で新興宗教ブームとかいわれてた時代だった。
上々颱風『上々颱風』(1990年)
JALの沖縄キャンペーンのCMソングになった「愛よりも青い海」で有名になった上々颱風。
そのせいで沖縄のバンドだと思ってる人もいますが違います。
バンジョーに三味線の弦を張った楽器とかいろんな民族楽器なんかも駆使して、民謡やレゲエやファンクなどを幅広くミックスした「無国籍音楽」を標榜していた大所帯バンドであります。
当時の自分は、芸能山城組が手がけた映画『AKIRA』のサントラでケチャやガムランの不思議なカッコよさを知り、また母親が買ってきた細野晴臣監修「エスニック・サウンド・セレクション」っていうCD全集でさらに深淵を垣間見たりして、早熟にも十代前半でワールドミュージックへの興味が高まっていた頃。
そんなタイミングで上々颱風が登場したわけで、これだ!ってなったよね。
そんでしばらく夢中になって聴いてた。
のちにスタジオジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」では全面的に音楽を担当しており、これがまた最高のマッチングだった。狸たちが再会するエンディングのシーンで、しばらく無音が続いてから上々颱風の「いつでも誰かが」が流れ出すところなんてもう鳥肌。
落語への深い理解と愛情っていう語り口とか、「ぽんぽこ」は語りだすと止まらなくなるのでこのへんにするけど、高畑勲はほんとすごい。
そんな上々颱風の1990年のデビューアルバムは、アジアなメロディと民謡マナーの歌いまわしに祭囃子のビートっていう独自性がすでに炸裂してる。特に聴きどころとしては中盤「仏の顔もIt's all right」における、桜川唯丸っていう大御所の音頭取りをゲストに迎えての江州音頭ファンク。
子供の頃から地元の盆踊りで馴染みがあった江州音頭が、こんな感じでバンドサウンドになったことにめっちゃ感動したものだった。
小沢健二『LIFE』(1994年)
- アーティスト: 小沢健二,スチャダラパー,服部隆之
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1994/08/31
- メディア: CD
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いろんな人が平成や90年代のフェイバリットに挙げるこのアルバム。
例に漏れずわたくしもヤられたクチです。
それまで大槻ケンヂ的なアングラな価値観に居心地の良さを感じていたわけで、普通に考えたら渋谷系の王子様みたいな扱いだった小沢健二とは対極にいたと言っても過言ではないわけで。
しかしながら、そういう表層的なポジション取りの文脈を軽々と超える強さで『LIFE』は飛び込んできたのだった。
メタル畑の高校生だったため黒人音楽の知見がほぼ皆無の状態だったので、このアルバムの音楽的な背景や元ネタみたいなことは全然わかってなかったんだけど、それでも7分超えの大曲が普通のポップソングのサイズを大きくはみ出していることはわかったし、そのことによって生まれる永遠に続いてくような多幸感、そしてその裏返しの無常観みたいなものは伝わってきた。
あと影響を受けたのは、世の中に対する目線。
特に「ドアをノックするのは誰だ?」っていう曲の、「爆音でかかり続けてるよヒット曲」っていうフレーズには、それまでの意固地な音楽観がいい意味でぶっ壊されました。お茶の間むけのヒット曲は好きになれないしバカにしてるけど、ヒット曲がかかり続ける空間を愛することはできる!っていう気づき。これ、その後の人生での音楽の聴き方にものすごく響いた。
すべての音楽にちゃんと向き合おうって思うことができた。
2016年にものすごく久しぶりの新曲をリリースして以降、男児の父親としての目線での歌詞が増えた小沢健二。同じく男児の父親になった自分としては、最近の曲も刺さりまくるよね。
そういえば、対極にあると思っていた大槻ケンヂと小沢健二ですが、後に大槻ケンヂがソロアルバムで「天使たちのシーン」をカバーするっていう、俺得な交流が生まれるのであった。
電気グルーヴ『A』(1997年)
- アーティスト: 電気グルーヴ,石野卓球,ピエール瀧,砂原良徳
- 出版社/メーカー: キューンミュージック
- 発売日: 1997/05/14
- メディア: CD
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ピエール瀧の逮捕によって音源がサブスクからも店頭からも消えてしまった電気グルーヴ。
サブカルヒーローとしても、テクノ音楽のパイオニアとしても、90年代における電気の存在はものすごく大きかったんだなと、ここ最近のいろんな人のいろんな発言を見ていてあらためて思った。
自分にとっても、電気はずっとアルバム単位で聴き込んできたし、何度もライブやDJで踊りまくってきたし、あと新しい音楽に出会うきっかけもくれたっていう意味でも大きな存在。
たとえば「テクノ専門学校」っていうコンピで海外の曲をレーベル単位でまとめてくれたり、あとはオランダ発のガバっていうエクストリームなサブジャンルや、韓国発のポンチャックっていうトラック運転手むけの脱力テクノポップを紹介してくれたり。
そんな電気ですが、この1枚っていうとやはり1997年の『A』。
大ヒット曲「Shangri-La」が入ってるというだけでなく、アルバム全体を通しての流れがすごくいい。曲と曲の繋がりなんかも、くるべきところにくるべき音がくる、っていう気持ちよさが溢れてるよね。
「ガリガリ君」「ユーのネヴァー」「あるなろサンシャイン」といったピエール瀧が大活躍する曲もあり、またこのアルバムを最後に脱退したまりんの功績も大きいと思うし、バンドっぽいアルバムでもある。
しかしこの夏はフジロックやその他の場所で電気が見られると思っていただけに、残念でならない。20代からコカインやってたらしいけど、それであの仕事量とクオリティを維持できていたんなら、もはや何が問題なのかって話だよね。どこにも支障をきたすことなく嗜んでこれたってことでしょうよ。暴力団の資金源がーっていうんなら、もうJTがコカイン売ってたっぷり税金とればいいと思う。
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やっぱり10代から20代前半までの間に出会った音楽についてはついつい思いがあふれて長文になってしまうな。
お付き合いいただきありがとうございます。
後編はもう少し簡潔にやりますので乞うご期待。
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4/20追記
ぜんぜん簡潔にならなかった後編はこちら!