先日こういうイベントをやりました。
われわれLL教室が定期的にやってるJ-POPトークイベントの番外編として、平成ぜんぶをひとくくりにして語ってみようという企画。
そりゃまあ、年号の変わり目で何かをひとくくりに語るのは本来ナンセンスな話だし往々にしてこじつけっぽくなるもんだけど、それでも平成J-POPというくくりに意味がありそうな感じがしたのは、たまたま平成元年は政治経済そしてカルチャーが激変するタイミングであり、そもそも「J-POP」という言葉が生まれた時期でもあったから。
われわれに限らずいろんな人が平成のJ-POPを語るモードになってるなか、 LL教室としてもひとつの見解を示しておきたいという気持ちもあり、わりと急きょイベント開催に至ったのです。
7つに分けてみた
では、どのようにして平成J-POPの30年間を扱うのか。
そこで今回やってみたのが、たとえば石を削って槍などをつくっていた時代を石器時代、縄の模様の土器が多くつくられた時期を縄文時代、稲作が広まった時代を弥生時代、といった感じでその時期の特徴ごとに分類していく歴史学っぽいやり方。
そのやり方でいくと、平成J-POPの30年間はこんな感じになりました。
ネーミングの時点で察せられるところもありそうですが、ひとつひとつの時代ごとに特徴をみていこうと思う。
プレJ-POP期(平成元年〜4年)
主なヒット曲
- CHAGE&ASKA「SAY YES」
- 小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」
- KAN「愛は勝つ」
- サザンオールスターズ「真夏の果実」
- プリンセスプリンセス「Diamonds」
- 米米CLUB「君がいるだけで」
- LINDBERG「今すぐKiss Me」
- たま「さよなら人類」
特徴
- 「イカ天」などバンドブーム
- ドラマ主題歌からのミリオンセラー
- 80年代ニューミュージックの名残り
- 通信カラオケ登場
数年前(昭和末期)からインディーズシーンで始まっていたバンドブームがメジャーの舞台に移ってきて、プリプリやたま、ユニコーンやジュンスカといったバンドがヒット曲を生み出した時代。
また小田和正や松任谷由実、チャゲアスや浜田省吾や山下達郎といった、いわゆる「ニューミュージック」と呼ばれた昭和のシティポップを支えた人たちもまだ現役。
つまり、この頃はまだ昭和の延長線上にあったと思う。
一方、トレンディドラマの主題歌がミリオンセラーになるという、平成初期にはおなじみの光景がみられるようになってたり、ドリカムやB'zといった後のビッグネームがシーンに登場してきたり、新しい時代の予感もたしかにあった。
そういう意味で、「プレJ-POP期」と名づけました。
リスナーの音楽とのつきあい方の変化でいうと、通信カラオケが登場したのがでかい。
それまではカラオケといえば夜のお店でおじさんが歌うものだったし、レーザーディスク方式だったので収録されてる曲数もかなり限られていて、10代20代が歌える曲がとても少なかった。
通信カラオケの登場によりカラオケで歌える曲数が飛躍的に増え、若者の娯楽として一気に普及したのがこれ以降。特に平成初期はカラオケとCD売上はとても密接な関係にあった。
ビーイング期(平成5年〜7年)
主なヒット曲
- ZARD「負けないで」
- 篠原涼子「愛しさと切なさと心強さと」
- 中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」
- trf「survival dAnce ~no no cry more」
- CHAGE&ASKA「YAH YAH YAH」
- 広瀬香美「ロマンスの神様」
- Mr.Children「Innocent World」
- 小沢健二「今夜はブギー・バック」
特徴
先日のLL教室イベントでも取り上げたように、1993年はとにかくビーイング系の勢いがすごかった。
特徴的なセピア色のジャケットの決しておしゃれすぎない普段着な佇まいのグループたちが、産業ロック的で耳障りのいいアレンジで爆発的に売れまくる。
若者の保守本流マジョリティ層が心地よいと感じる肌触りのサウンドとして、昭和の「ニューミュージック」に代わって、平成の「J-POP」が形成されてきたのがこの時期。
ということでこの時代は「ビーイング期」と呼びます。
一方、時代の半歩先のイメージを提示することで求心力をもったのが小室哲哉。
英国のレイヴカルチャーに刺激を受け、クラブミュージックとカラオケを組み合わせることで、一大ムーブメントを築くことになる(trfは「テツヤコムロ・レイヴ・ファクトリー」の略称)。
また、阿久悠や松本隆や秋元康といったプロの作詞家よりも、アーティスト本人が自分の言葉でつむいだ歌詞こそがリアルで良しとする価値観が定着していくのも平成初期〜中期の特徴。
しかしミュージシャンとしてすぐれていることといい歌詞を書けることは必ずしも両立しないわけで、「自分の言葉」とされる言葉も、結局はどこかからの受け売りだったりして、正直言ってこの時期からずっと自作自演主義の弊害でJ-POPの歌詞のレベルはガタ落ちしたと思う。
いわゆる「応援ソング」が氾濫したのも、特に言いたいことがあるわけでも歌詞に対する感度が高いわけでもないミュージシャンが無理に作詞を手がけることとなり、てっとり早く幅広い共感を得られるから手をつけたっていうのがおもな原因ではないだろうか。プロの作詞家だと気恥ずかしくて投げられないようなド直球のボールがふつうに投げ込まれるのが平成J-POPのひとつの特徴だと思う。
そんなメジャー界の動きへのカウンターとして機能したのが、いわゆる「渋谷系」と呼ばれた一連のひとたち。
イベントでも指摘したけど、渋谷系とカテゴライズされた本人たちはその呼称をあまり快く思ってなかった。また、今どきの若いひとが渋谷系と聞いてイメージするサウンドって、フリッパーズ・ギターの1stやカジヒデキみたいなネオアコっぽいものだと思うけど、当時はどちらかというとオリジナル・ラブみたいな、アシッドジャズやレアグルーヴの影響を受けたサウンドが想起される言葉でもあったし、もっと多様なアーティストがひとくくりにされていたのです。
TK期(平成8年〜10年)
おもなヒット曲
- globe「Departures」
- 安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」
- 華原朋美「I’m Proud」
- SMAP「夜空ノムコウ」
- PUFFY「アジアの純真」
- SPEED「my graduation」
- KinKi Kids「硝子の少年」
- kiroro「長い間」
特徴
ビーイング期からプロデュース業をはじめた小室哲哉が、この時代にJ-POP界を席巻する。globeや華原朋美や安室奈美恵など、それなりの歌唱力とキーの高さを求められる曲が流行ったことで、カラオケがある種の競技になっていく。
男性ボーカルにも同じことが言えて、B'zやミスチルに代表されるように、平成になってどんどんキーが高く音域が広くなってきており、現在もこの傾向が続いている。
この時期の小室ファミリーの存在感は圧倒的であり、文句なしに「TK期」と名づけたい。
また、小室哲哉の影響で、「プロデューサー」という存在がものすごく注目された時代でもある。
たとえばPUFFYがデビューする際には奥田民生プロデュースであることが喧伝されたし、SPEEDが伊秩弘将プロデュースであることや、ミスチルが小林武史プロデュースであることは、音楽関係者じゃないそこらの学生とかもなんとなくみんな知っていた。紅白歌合戦のうんちくツイート的な、ちょっとだけメタな語り口が世の中に浸透してきたんだと思う。
とはいえ、この前もこの後も、普通のひとがここまでプロデューサーを意識した時代はなかった。いま思うとなかなか特異。
あとこの時代から現代まで続く傾向としては、ジャニーズの復権も。
昭和の最後にブレイクした光GENJIが失速して以降、長らくジャニーズは低迷していた。昭和的なキラキラしたアイドルのあり方がダサいとされ、歌番組という活動の場も減っていったことが原因なんだけど、そんな状況をなんとかサバイブすることで結果として新しいアイドル像を作り上げることに成功したのがSMAP。
カジュアルな装いでバラエティ番組でもうまく振る舞えるような、あのノリを身につけたことで、平成の時代の空気にフィットしたのだった。
嵐や関ジャニ∞といった後続グループも、みんなSMAPが苦労して切り開いたコースに乗っかっていると言えよう。
※このあたり詳しくはLL教室の矢野利裕せんせいの著書を参照で。
SMAPは終わらない~国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」
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そしてこの時代に登場したのが女性R&Bディーヴァというくくり。
クラブカルチャーのメジャー化にともない、UAやbirdやMISIAといったあたりが中心となって注目されるようになり、たくさんの歌手がこの数年でデビューしたのだった。
のちの宇多田ヒカルや倖田來未も最初はこの流れで出てきたし、さらにその後の青山テルマや西野カナやJUJUといったあたりまで続いている、J-POPを語る上で外せないラインですね。
JK期(平成11年〜14年)
おもなヒット曲
- GLAY「Winter, again」
- 福山雅治「桜坂」
- 宇多田ヒカル「Automatic」
- 倉木麻衣「Love, Day After Tomorrow」
- Dragon Ash「Grateful Days」
- モーニング娘。「LOVEマシーン」
- 浜崎あゆみ「A」
- RIP SLYME「楽園ベイベー」
特徴
GLAYの「Winter,again」が200万枚売れた1999年。
10代20代の男子は競ってカラオケで歌ったし、またこの時代まだ影響力があった有線でもGLAYは支持された(有線大賞とレコ大のダブル受賞)。
つまり数年前までビーイング系がいた場所に、ヴィジュアル系がおさまったということ。
Xという異端のメタルバンドが独力でつくったジャンルがたった10年ちょっとでここまできたわけで、Xがそれだけすごいってのもそうだけど、それ以上に日本人のメンタリティにキレイにハマるよくできた形態だったってことだと思う。
女性でいうと宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、椎名林檎、aikoという同期組が華々しく活躍していく時代。
特に浜崎あゆみは孤独を抱えた当時の女子高生の気分にぴったり寄り添って圧倒的に支持された。ということで前の時代との韻を踏む意味でも「JK期」と呼びたい。
詳しくはこちらを参照。
また、女性アイドルという存在がアリになったのもここから。
松田聖子、中森明菜、小泉今日子たちの黄金時代から後続のおニャン子クラブまで、80年代といえば女性アイドルがキラキラと輝いていたわけだけど、平成に入ると完全に流れが変わって低迷する。
たとえば宮沢りえや観月ありさや牧瀬里穂や広末涼子といった平成初期に絶大な人気があったひとたちも、それぞれ歌手活動もしていたけど「アイドル歌手」とは名乗らなかった。そのかわりに、細川ふみえや小池栄子のように「グラビアアイドル」というあり方で認知されていくコースができたりした。
かつての「アイドル歌手」というあり方は、後ろにいる大人たちに操られた人形のようで、「アイドルはウンコしない」っていう清純イメージにとらわれて身動きが取れない古臭い存在になってしまっていたのだった。
そうではなく、浜崎あゆみのように「自分の言葉」を歌詞につづる「アーティスト」であることが尊いとされる時代が平成初期だった。たとえば当時の森高千里なんてどこからどう見てもアイドルそのものって感じもするんだけど、巧みなブランディングによりアイドルではない独自のポジションを築いていた。
そんな時代が長く続いたんだけど、ここにきてモーニング娘。が流れを変えた。
その後のAKB48やももクロに続き、さらにその他大勢の地下アイドルが大繁殖する流れはここから始まっている(しかし平成期にブレイクしたアイドルはもれなくソロではなくグループだったというのは興味深いよね)。
音楽業界にのビジネスの構造の変化でいうと、携帯電話で高速データ通信ができるようになり、着メロから着うたへの変化があった。音楽をフィジカルじゃなくデータで買うようになったのはここから。シングルCDしかない時代はほしい曲を購入する最低コストは1,000円だったんだけど、着うたフルはたしか315円とかだったので客単価が3分の1になってしまった。レコード会社以外の、流通業者や小売店、CDのプレスやブックレットの印刷といったフィジカルにつきもののビジネスも、何なら別になくてもいいってことになってしまった。
現在のサブスクリプションモデルまで続く、業界の大きな変化のはじまり。
さくら期(平成15年〜19年)
おもなヒット曲
- SMAP「世界に一つだけの花」
- 森山直太朗「さくら(独唱)」
- 秋川雅史「千の風になって」
- 平井堅「瞳をとじて」
- 嵐「love so sweat」
- ケツメイシ「さくら」
- コブクロ「蕾(つぼみ)」
- YUI「CHE.R.RY」
特徴
- 桜ソング
- やさしいバラード多め
- コピーコントロールCD
- 音楽配信の売上がシングルCDを上回る
- ジャニーズの勢い
見ての通り、いわゆる桜ソングが量産された時代。
桜ソング以外のヒット曲を眺めてみても、「千の風になって」のようなやたらと優しくてゆったりとしたバラード曲が多めになっている。
そんな曲を必要とするほどに社会が傷ついていたのかどうなのか。特に大きな災害や事件があったわけでもなさそうなのに。
個人的には、こんな時代にもmihimaruGT「気分上々↑↑」やPerfume「ポリリズム」といったアッパーなJ-POPが存在してくれて助かったなと感じている。
つまりこの時代のメインストリームはだいぶ苦手だった。まあ、この時代に名前をつけるとしたら「さくら期」ってことになるだろうけど。
一方で、SMAPが切り開いた平成型ジャニーズのコースには嵐やKAT-TUNといったグループも順調に乗っていく。ここらへんからNEWSやHey!Say!JUMPや関ジャニ∞らが相次いでデビューし、完全に量産体制に入ってくる感じ。
ちなみに当時、CDの売上はものすごい勢いで落ちてきており、レコード会社が犯人探しをした結果、当時ひそかに流通したWinnyなどのP2P通信で音源が違法アップロードされてるからじゃないかということになり、対策として登場したのがコピーコントロールCD。結局コピーコントロールCDが登場してもCDの売上は上向きに戻ることはなく、今に至るまで長い下り坂は続いているし、いつの間にかコピーコントロールCDは姿を消した。そもそも、音楽を手に入れる手段としてCDよりも配信のほうが一般的になってきていたし。
あと、ニコニコ動画や2ちゃんねるや初音ミク、メイド喫茶といった、ネット発のカルチャーやいわゆる秋葉原オタクカルチャーが盛り上がってきた時代。
次の時代でそれらが一般レベルに浸透し、界隈から出てきたアーティストやリスナーたちがJ-POPシーンの新たな重要プレイヤーになっていく。
AKB期(平成20年〜24年)
おもなヒット曲
- 嵐「One Love」「truth」「Believe」など多数
- AKB48「ヘビーローテーション」「フライングゲット」など多数
- きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」
- 青山テルマ「そばにいるね」
- 西野カナ「会いたくて会いたくて」
- GReeeeN「キセキ」
- ゴールデンボンバー「女々しくて」
- ももいろクローバー「行くぜっ!怪盗少女」
特徴
- AKB48総選挙によりCDが握手券に
- アイドル戦国時代
- ギャル演歌
- 嵐がリリース面では全盛期
このあたりから、オリコンCDランキングを見てもシーンの動きが一切わからなくなってくる。AKBグループが総選挙の投票権をCDにつけたのと、AKB以外でも同じタイトルのシングルを初回版A/初回版B/通常版みたいな感じで複数の形態でリリースするのが当たり前になってきたため、1人で何枚も同じCDを買うようになったから。
かつてのミリオンセラーは100万人の買い手が確実にいたし、そこから口コミや歌番組などを通じて認知がさらに拡大し、最終的に2000万人ぐらいが知ってるレベルの存在感があった。しかしこの時代のミリオンセラーは、買い手が下手したら5万人ぐらいしかいないし、歌番組などで知らない曲にふれる機会も少ないので、いいとこ50万人ぐらいの認知にとどまっていても不思議はない。
(「ヘビーローテション」や「フライングゲット」のようにお茶の間にまで届いた曲もあるけど、多くはみんなが知らないままミリオンセラーになっている)
こうして客数が減ったぶんを客単価でカバーするようになったこの時代。
そうなると歌そのもので世間一般を相手に勝負するよりも、コアなファンに深く入っていける形態が強い。AKBやハロプロ勢といったどメジャーに続くように、ももクロやBiS、でんぱ組.incといったアイドルグループが次々に登場し、いわゆる戦国時代に突入する。
それとはまったく別の文脈で、浜崎あゆみから連綿と続くラインの最新型がこの時期「ギャル演歌」と呼ばれたりもした。「会いたくて会いたくて震える」というパンチラインは強烈すぎてネタになってしまった面もあるけど、それでもつらい恋に耐える女子たちの共感をしっかりと獲得している。
平成も20年まできたこの時期にあっても、ど真ん中で売れるJ-POPの恋愛観は「着てはもらえぬセーターを/涙こらえて編んでます」と歌った昭和の頃からあまり変わっていないってことに驚かされる。
LDH期(平成25年〜31年)
おもなヒット曲
- AKB48「恋するフォーチュンクッキー」
- RADWIMPS「前前前世」
- EXILE「EXILE PRIDE ~こんな世界を愛するため~」
- 三代目 J Soul Brothers「R.Y.U.S.E.I」
- 星野源「SUN」「恋」
- 欅坂46「サイレントマジョリティー」
- 乃木坂46「インフルエンサー」
- 米津玄師「Lemon」
特徴
中目黒の町並みが一変したほどの、LDHの勢い。
EXILEを筆頭に、トライブというかたちでいろんなグループがデビューしていく様は、かつての横浜銀蠅の銀蠅一家を彷彿とさせる。
疑似ファミリーを形成したがるという、古今東西の不良に共通したメンタリティーがよくあらわれているよね。
とはいえ、義務教育におけるダンス必修化の流れに寄り添うようにNHKで子供向けダンス番組を手がけるあたり、不良っていっても別に反社会的勢力っていうわけではなく、むしろ体制側にがっちり食い込んでいるのが平成後期らしいあり方だなと。
そう、この時代はやはり「LDH期」と呼ぶべきだと思う。彼らはこのまま地位を固めていき、東京オリンピックでも中心的な役割を果たすんじゃないかとにらんでいます。
ダンスってことでいうと、LDHに限らず「恋チュン」や「恋ダンス」や「U.S.A」といった感じで、ダンスの動画をきっかけに国民的ヒットが生まれるのがここ最近のモードでもある。
一方で踊れない男子たちは自意識過剰に前髪を伸ばしていく。BUMP OF CHICKENからRADWIMPS、SEKAI NO OWARI、そして米津玄師へと続く流れが、あるタイプの若者たちの気分にがっちりとハマっていく。
10代がカラオケで歌う曲はもはやドラマ主題歌とかではなくアニソンやネット発の曲になっているんだけど、そういった界隈の曲にも通じるノリ。
あと、自分はみんなとは違うんだって思ってる10代が選ぶ表現手段の移り変わりも感じる。平成初期のそういうやつらはとりあえずロックバンドを組んだものだったけど、バンドが廃れた平成中期にはDJがその座を奪う。バイト代を貯めて買うのはギターが定番だったけど、ターンテーブルとミキサーにお株を奪われた時代が一瞬あった。
その次にそういうタイプが選んだのが、漫才コンビ。M-1グランプリで一夜にしてスターが生まれた(ように見えた)時代、勉強もスポーツも苦手だけど野心だけはある若者の憧れは音楽からお笑いにいった。
でまたお笑いのブームが一段落すると今度は「フリースタイルダンジョン」をきっかけに、この時代はラッパーが自己表現の手段として定番となる。
音楽の聴き方としてはやはりSpotifyやAppleMusicなどのサブスクリプション・サービスの登場はめちゃめちゃデカい。
定額で膨大な曲が聴き放題という特性や、またレコメンドの精度が上がったこともあり、40代がノスタルジー沼から抜け出せなくなったり、逆に若い世代が軽々と過去のアーカイブをディグしたりといった現象が起きている。
AppleMusicについて個人的に感じたあれこれはこの記事に。
まとめ
プレJ-POP期からLDH期まで、こうしてみると30年間けっこういろんなことがあったもんで。
時代の空気や産業構造の変化を追いかけるように、また録音機材の進化やデータ通信速度の向上なんかにも影響をうけながら、どんどん柔軟に姿を変えていくJ-POP。
その一方で、表面的な手触りがどんなに変わっても、通底する日本人好みの歌詞世界やサウンドはなかなか変わらなかったというのも興味深い。
30年もあれば、恋愛観や倫理観、刺さるツボなんかもっと変わってもよさそうなもんだけど、平成においてはそうでもなかったな(昭和における戦後30年での激変っぷりと比べるとわかりやすいかも)。
次の元号の時代には、いったいどんな音楽が聴かれるんだろう。そしてその音楽は引き続きJ-POPと呼ばれるんだろうか、それとも新しい呼び名が生まれてくるのか。
Aメロがあってサビがあってそれを何度か繰り返す3〜5分程度のポップソングというフォーマットは永遠に残るのか。録音された音源を個人が所有して何度も再生するっていうスタイルもよく考えたら別に普遍的なものではない(レコードができるまでの長い間、音楽はその場限りのものだったわけだし)。
そんな感じで、現代のわれわれがまったく想像もしなかった未来がやってくるかもしれない。とっても楽しみ。
あとがき
こんな感じで平成の30年間を7つの時代に区切ってみたLL教室イベント。
イベント当日には他にも、森野さんによる「アルバムにひっそりたたずむパクリ曲」や、矢野くんによる「邦ロック講座」、わたくしハシノによる「平成の日本語カバーベスト5」など、さまざまな企画をやりました。
これからも定期的にイベントをやっていくので、ぜひ一度お越しください。
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