森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

いまこそ日本のR&Bについて考える〜オルタナティブR&Bの背景など

さまざまな音楽ジャンルに由来する成分で構成されている、J-POPという概念。

アーティストによって、また時代によって、どの要素が色濃く表に出てくるかが変わってくるのがおもしろいところなんだけど、われわれLL教室にとっては、ここ最近「R&B」という成分がどうにも気になってきていた。

 

世の中的にもそのような空気を感じるようになってきたこともあり、先日、こんなイベントをやりました。

 

イベントの様子はほとんどすべてYoutubeで公開されているので、上記イベントページからご覧いただくとして、ブログではイベント内で話しきれなかったことや、もっと個人的に考えてきたことなどを書いてみようかなと。

 

R&B的なものとの出会い

自分の意志でいろんな音楽を聴いてみようと思い始めたのはたしか1988年頃。

当時はR&Bとかソウルとかいう呼び名よりも、ファンクって総称されていたと思う。

 

久保田利伸とか米米CLUBとかが、こういうのがファンクっていうんだよとお茶の間を啓蒙していたり、とんねるずがプリンスやボビー・ブラウンのパロディをやっていたのを通じて認識していたって程度で、自分の意志でちゃんと聴いていたわけではなかった。

 

自分自身はむしろ、ロック音楽によって価値観や鑑賞眼の土台の部分を構築してきた自負のある人間でして、R&B周辺のことは、常に横目に見ている感じだった。

 

すなわち、10代と1990年代がほぼ重なる世代として、ハードロック/ヘヴィメタルの全盛期にこれがロックなのかと認識し、そこから1991年のオルタナティブ革命で価値観が180度変わるのを多感な時期に目の当たりにし、セカンド・サマー・オブ・ラブの残滓とブリットポップの狂騒を雑誌やクラブイベントで味わってきたようなタイプってこと。

もっとわかりやすく言うと、中学生でBURRN!誌を愛読し、高校生でロキノンクロスビートを読むようになり、大学に入ったら雑誌を卒業してクラブやフェスに行くようになった、かなり典型的なパターンのロックキッズ。

 

そんなわけなので、R&Bは、もっと大人になってから後追いで聴くようになったんだった。

 

ロック的価値観から見たR&Bの不思議さ

そんなふうに、おもにロックによって音楽の鑑賞眼や価値観の土台の部分を構築してきた人間として、R&Bの世界には不思議に思うことが多かった。

 

どっちが偉いとかじゃなく、この違いはどこからくるんだろうって。

 

 

たとえば、60年代以降のロックは、基本的に自作自演。アーティストの内面から作品が生み出されているからこそリアルで、そこに価値があるとされてきた。

またビートルズ以降はずっと、バンドと歌手が一体化しているのが一般的で、作詞作曲とアレンジと演奏と歌唱は、基本的に自分たち自身で完結するものだった。

 

しかし、R&Bの世界では作家陣と演者はずっと別々の存在で、スティーヴィー・ワンダーやプリンスみたいな自作自演家は例外的。

どちらかというと、ベリー・ゴーディ・ジュニアとかジャム&ルイスとかベイビーフェイスといったプロデューサーやソングライターがお膳立てしてるのが一般的じゃないですか。

 

そして例外的な自作自演家はギターやピアノを弾きながら歌うが、大半のR&B歌手は楽器を持たずに歌い、歌うこと以外のパフォーマンスの要素としては、ダンスが大きな比重を占めている。

マイケル・ジャクソンは踊るけどジョン・レノンは踊らない。

ジェームズ・ブラウンは踊るけどオジー・オズボーンは踊らない。

 

 

ロックの世界では、「3大ギタリスト」なんてものもあるほどで、演奏技術に秀でたプレイヤーは称賛される。もちろんドラマーもベーシストも、偉大なプレイヤーの名前を何人でも挙げることができる。

しかし、R&Bの世界では偉大なプレイヤーの名前を言えるだろうか。

 

ローリング・ストーン誌が発表した、偉大なドラマー100人の中には、ロック界からもジャズ界からも、そしてR&B界からもバランスよく人選されていたんだけど、R&Bの偉大なドラマーって、一部のコアなファン以外にはほとんど知られてない。

 

R&B界のプレイヤーが埋もれてしまいがち問題は、『永遠のモータウン』って映画でも取り上げられたほど。

みんなが知ってる名曲の有名なフレーズなのに、演奏してる人の名前を誰も知らないっていう。

 

じゃあ、R&Bは演奏面でたいしたことないのかっていうと、当たり前だけど全然そんなことはない。

 

むしろ、ローリング・ストーンズスタイル・カウンシルレッチリなんかが典型的だけど、ロック・ミュージシャンはずっと、R&Bに憧れて、なんとかあのかっこよさを自分たちのものにしたいと格闘してきたわけじゃないですか。

 

ロック側から見ると、R&Bは、すごい武器を持っているのに、それを見せびらかさないっていうか、固執してないっていうか、当たり前のものとして淡々としてるような印象がある。

 

 

 

もとは兄弟のように成立したR&Bとロックの、この違いはどこからくるのか。

それぞれのジャンルが本質的にもっているものなのか、それともちょっとした時代的なタイミングによるものなのか。

R&B界にビートルズ的存在がいなかったからなのか。

ロック界にマイケル・ジャクソン的存在がいなかったからなのか。

 

オルタナティブR&B

で、ここで気になるのが近年の「オルタナティブR&B」の流れ。

 

ここまで挙げてきたようなR&Bの特徴みたいなものが当てはまらなくなってきているような最近のR&Bは「オルタナティブR&B」と呼ばれているんだけど、この流れはどこからきたのか。

 

 

現在進行系の動きなのでなかなか捉えきることが難しいんだけど、一応LL教室としてはこう解釈していますというのが、下記の部分。

 

<先日のイベントの切り抜き>

 

 

で、講義の中で話しきれなかったこととしては、先進的なサウンドを志向するタイプのバンド音楽がR&Bに寄ってきている傾向があるじゃないですか。

 

ここ数年、LDH界隈みたいな典型的にR&Bっぽい人ではなく、内省的でミュージシャン気質の人たちがR&Bをやるようになり、それらがオルタナティブR&Bと呼ばれるようになっているんじゃないかと思っていて。

 

その傾向の背景にありそうだと思っているのが、楽器を手にとってバンドで何か新しいことをやろうとする若い人にとって、もはやロックのフォーマットはワクワクしなくなってるってこと。だいぶ前からそうだったけど。

 

欧米ではとっくにロックバンドがチャートから消えてるし、日本でも邦ロックやその影響下のアニソンは売れているけど、それにしたってお決まりの型が成立しきって久しいわけで。

 

そんなときに、J・ディラ的なもたったビートとか、丸サ進行みたいなアンニュイなコード進行とか、8ビートじゃない多様なリズムパターンとか、つまり単調なロック的構造から脱することができる可能性を、R&Bから感じるミュージシャンが多くなってるんだと思う。

(で、そういうタイプのミュージシャンは、Y2Kのポップ・パンク・リバイバルには乗ってきてないんじゃないか)

 

 

この説、10年後ぐらいに見返してみても、大きく外すことはないんじゃないかと思っています。

 

LL教室といっしょに答えを探しませんか

LL教室はこんなことを考えたり話したりするのが得意だし好きな3人組です。

美学校の「ポピュラー音楽批評」の講義を担当してます。

 

R&Bに限らず、J-POPも邦ロックも日本語ラップもすべてひっくるめて日本のポピュラー音楽をいろんな角度で掘り下げていく半年間になります。

 

皆様といろんな音楽の話ができるのを楽しみにしてます!