森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

髭男も猿岩石も、みんな後ろめたさを歌ってきた

ペンディング・マシーン

Official髭男dismのニューアルバム『Editorial』を聴いていて、ある曲の歌詞に耳が止まった。

 

誰かの憂いを肩代わり出来るほどタフガイじゃない 耐えられない

耳からも目からも 飛び込む有象無象はもう知らないでいよう 病まないためにも

 

はい。分かったからもう黙って 疲れてるから休まして

申し訳ないけど待って 迷惑はお互い様だって

 

ペンディング・マシーン」というその曲のタイトルは、ベンディング・マシーン(=自動販売機)をもじって、ペンディング、すなわち決定を先延ばしする自分という自嘲的なノリを感じさせる。

 

 

こういった気持ちは、SNSやネットニュースを大量に浴びながら生きているわれわれの多くに思い当たるふしがあるんじゃなかろうか。

 

世界中には、いや日本国内にも、いろんな事情で困っている人がいたり、放置してはいけない構造の歪みがあったりして、そのすべてに態度を表明しなければいけないような気にさせられている。

その反面、100%の悪だとして糾弾されていた側にも事情があったことが数日後に判明して振り上げた拳の行き場がなくなるなんてこともしょっちゅうだし、誰がが吊し上げている対象は別の誰かにとっては信仰の対象だったりするし、自分なんかが浅い知識で軽々しく何かを表明してはいけないんじゃないかといつも感じさせられている。

 

そんなダブルバインド状態に陥ってしんどくなっている人は少なくないはず。

 

Ado、セカオワ、MOROHA

こういった心情を歌っているのは髭男だけじゃない。

 

たとえばAdo「うっせえわ」の中にもあるこんなフレーズ。

 

最新の流行は当然の把握

経済の動向も通勤時チェック

 

こういった行動が「社会人じゃ当然のルール」とされてることに対して「うっせえわ」と毒づく構成になってる。

法律だったり特定の誰かに明示的に強制されているわけでもないのに、なんとなくそういう気持ちにさせられてると。

 

あとSEKAI NO OWARIの「Hey Ho」はもっとはっきりとこう言ってる。

 

例えば君がテレビから流れてくる悲しいニュースを見ても

心が動かなくても

それは普通なことなんだと思う

誰かを助けることは義務じゃないと僕は思うんだ

笑顔を見れる権利なんだ 自分のためなんだ

 

 

 

ふつうに人として心を痛める、とはいえ具体的な行動は何もできない、そんな自分は偽善的なんじゃないかと思ってしんどくなる、しんどくなるぐらいならはじめから心を動かさないようにする、という心の動き。

それでいいんだよと肯定してあげつつも、サビでは「誰かからのSOS」について何度も言及していて、単純に切り捨てていないことがわかる。

 

 

MOROHAは「今、偽善者の先頭で」という曲で、この感情をもう少し具体的に解き明かしている。

 

あの街は悲しみに溢れ

かたやいつも通りの自分に引け目

駅前の募金箱を見たときの後ろめたさの理由は

昨晩のアルコールが知ってる

 

 

そう、この感情は後ろめたさなんだと思う。

髭男もAdoもセカオワも、後ろめたさについて歌っているんだろう。

 

最初から世の中のことや他人の痛みに無関心なのであれば、わざわざそのことを歌詞にしたりしないわけで。

 

ただただ心を痛めているだけで何も行動できない後ろめたさを、まずは自嘲気味にでも歌にしておく、そこにギリギリの誠実さみたいなものを感じました。

 

そしてそれはアーティスト本人の心の問題というだけでなく、同時に今の時代の多くの日本人に共通する意識でもあるだろう。

 

猿岩石「NEWS」

ちょっとさかのぼると、猿岩石は1997年のシングル「ツキ」のカップリング「NEWS」でこんなことを歌っている。

 

家をなくした家族が空を見上げてる

希望が戦車に踏み潰されてく

ずっと続くのかい?このカーニバル

 

だけど仕方がない

僕も早く眠らなきゃ

だけど仕方がない

明日があるから

 

まるでカンケイない

僕はここに生きている

まるでカンケイない

日本なんだよ

 

いかにも90年代的なフォーキーで明るい感じの(明らかにPUFFYのあの感じを意識してる)A面「ツキ」と同じコンビ(高井良斉高見沢俊彦)の作詞作曲なんだけど、一転して「NEWS」は曲調もかなり暗い。

 

サブスクにないためここで聴いてもらえないのがもどかしいんだけど、全体的に救いがなさすぎる感じがする曲。

 

飛ぶ鳥を落とす勢いの人気芸能人がなんでわざわざこんなことを歌ってるんだと、当時も多くの人が困惑したんじゃなかろうか。

 

今回、髭男やセカオワやMOROHAの事例を追っかけてやっとわかるのが、この曲も後ろめたさの歌なんだってこと。

世界の出来事に対して何もできないでいる無力な自分を自嘲的に歌ってるんだと。

 

しかしそれにしてももうちょっといい言葉の選び方はあったんじゃないかって思うよね。

「日本なんだよ」ってなんだよ。

自嘲が自嘲だと伝わりづらくて、単に冷酷な人みたいに聞こえてしまう。

 

ちなみに作詞の高井良斉っていうのは秋元康ペンネーム。

この人ってこういう、「わかってやってます」感の路線よくやるけど、やっぱ苦手。