森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

かえせ!ブーガルーを

2020年5月25日に起こった白人警官によるジョージ・フロイド殺害事件をきっかけにして、黒人差別への抗議行動が「Black Lives Matter」を合言葉としてアメリカ全土に広がっている。

アメリカを代表する企業がこの運動に賛意を表明する一方で、トランプ大統領が問題の本質を見ずに武力鎮圧を呼びかけたことで火に油を注ぎ、前国防長官に批判されたり、一部で発生した放火や略奪の犯人はアンティファだとか、いや騒ぎに便乗した無政府主義者だとかいろんな話が飛び交っている。

白人至上主義者にシンパシーをもつ大統領がいる国なんて、ひとりのアジア人として恐怖しかないので、この機会にまともな社会になってもらいたいと思っているけど、これを書いてる6月8日時点ではまだこの抗議の落としどころは見えていない。

 

デモで逮捕されたブーガルーとは

日々いろんなニュースを目にしている中で、個人的にすごく気になったのが、「ブーガルー」という存在のこと。

今回のデモに便乗して暴力を扇動したとかいう、極右グループの呼び名らしい。

 

 

気になっていろいろ調べてみたところ、2019年頃から言われだしたネット上のミームらしい。4chanっていう、日本の2ちゃんねるにインスパイアされたアメリカの掲示板とかFacebookの極右グループとかで使われだしたんだと。

ネット上の内輪ノリでアロハシャツを身に着け、銃器で武装してる白人たち。


彼らはアンチ・リベラルで、いわゆる加速主義を信奉していると言われている。

加速主義っていうのは、資本主義やテクノロジーを極限まで突き詰めることでこの社会を崩壊させ、その先にある新しい時代に到達しようとする考え方。 

要するにラディカルであり極右とかいっても決して「保守」ではないんだと思う。 ネトウヨまとめサイトにかぶれてしまった挙げ句、謎の全能感を手に入れてしまったタイプの大学生のあの感じのアメリカ版って認識してる。

 

そんなやつらが自称してる「ブーガルー」って言葉は、じゃあどこから来てるのかっていうと、『BREAKIN' 2 - ELECTRIC BOOGALOO』(邦題『ブレイクダンス2 ブーガルビートでT・K・O!』)っていう1984年のダンス映画のタイトルかららしい。 

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このタイトルをネタ化して、たとえば南北戦争の続編を『Civil War 2: Electric Boogaloo』と呼んだりするふざけ方が広まっていったんだってさ。

 

ダンスとしてのブーガルー

映画『BREAKIN' 2 - ELECTRIC BOOGALOO』に出てくる「エレクトリック・ブーガルー」っていうダンスは、いわゆるポッピングダンスの一種で、ロボットダンスみたいなもの(ダンスに詳しくないのですごく雑な説明)。

 


この動画に出てるブーガルー・サムっていう人が創始者なんだって。

マイケル・ジャクソンにも教えたっていう伝説のダンサーだそう。

 

じゃあエレクトリックじゃないほうのブーガルーはあるのかっていうと、この動画でJBが踊っているのがそう。

ブーガルーは「マッシュポテト」とか「ツイスト」とかと同じようにダンスの一種として定着しており、1967年には「ブーガルー・ダウン・ブロードウェイ」って曲がヒットしたりもした。 

 

60年代からあるダンスをエレクトリックに進化させたのがブーガルー・サムで、それが映画で取り上げられ、80年代をネタ化するネットのノリが取り込み、極右の自称になったという。

そんな流れが見えてきた。

 

音楽ジャンルとしてのブーガルー

しかし、もともと「ブーガルー」っていう言葉はですね、1960年代にニューヨークのラテン系コミュニティを中心に大ブームになった音楽ジャンルのことでもある。

 

音楽ジャンルとしてのブーガルーとは、ラテン系の人々がやっていたマンボやチャチャチャといったラテン音楽と、黒人のリズム&ブルースやファンクが混ざり合って生まれた音楽なんですよ。

だいたいサルサはもちろんハウスもヒップホップもみんな、黒人音楽とカリブ海の要素がミックスされてアメリカで生まれたもの。20世紀の新しいダンスミュージックはいつもその接点から生まれてきた。ブーガルーもそういった流れの中にあるってことで。

 

音楽としてのブーガルーの特徴は、コアなラテン音楽よりも若干シンプルで、エレキギターやドラムが使われていたりすること。そして曲によってはソウルやファンクの要素がかなり強く見受けられる。

また、急にブームになったジャンルによくあることとして、人材不足から若手を青田買いしてレコーディングさせることが多かったらしく、演奏に青さや勢いが感じられる。そういうところもいい。

 

自分もだいたい27歳ぐらいの頃、ブーガルーやラテン・ジャズの暑苦しさとザラッとした質感、アッパーでいてどこかもの悲しい雰囲気に痺れてしまい、ロックバンドで日本語でこういうのをやたらかっこいいのでは?って思って実際にバンドを組んだりもした。後に日本の要素が強まって音楽性が完成するんだけど、結成時のそのコンセプトは今でもすごく気に入ってる。 

 

 

日本におけるブーガルー

1950年代に世界的にマンボが大流行し、日本にもそのブームは飛び火した。

美空ひばりの「お祭りマンボ」やトニー谷の「さいざんす・マンボ」など、人気歌手がマンボのレコードをリリースし、ダンスホールでは新しいステップとして大流行。

 

数年してマンボのブームが落ち着いた後も、歌謡界はこのスキームに味をしめたのか、毎年のように海外から新しいリズムを輸入してブームを仕掛けるようになる。

「ドドンパ」などという出どころの怪しいものもありつつも、「ロカンボ」「カリプソ」「ツイスト」「アメリアッチ」など、60年代に入ってもニューリズムの輸入は続き、小林旭橋幸夫がヒットを飛ばしていた。

 

そして1968年になると、そんなニューリズムの一種として日本にブーガルーが入ってきた。

そこまでのブームにはならなかったが、「アリゲーターブーガルー」や「ブーガルー・ダウン銀座」などのレコードがリリースされた。

 

時代は下って90年代になると、当時の歌謡曲のなかでリズムが強いものがクラブでかかるようになり、一連のニューリズムものが「リズム歌謡」と呼ばれるようになって再評価が進む。

ブーガルーもその文脈で再発見され、クレイジーケンバンド渚ようこといった人たちがブーガルーの楽曲をリリースしたりした。

 

かえせ!ブーガルー

ここまで見てきたように、ブーガルーという言葉には少なくとも半世紀以上の歴史があり、しかもその歴史は黒人とラテン系のカルチャーに深いレベルで根ざしている。

つまり、白人の極右グループが軽々しく自称するようなワードではないってこと。

 

まあ、そういう複雑な文脈を内輪ノリで軽々しく踏みにじること自体が快楽のひとつになっているんだろうし、まじめに怒るだけ思うツボなのかもしれないが、それにしても腹が立つ。

 

ブーガルーの大御所であるジョー・バターンは、下記の記事において、ブーガルーという言葉を極右が使っていることをそんなに気にしていないと述べている。無知ゆえの誤用だろうと。

また、ネット上の極右カルチャーに詳しい研究者のJames Stone Lundeも、所詮ネットのミームだし流行はそんなに長く続かないだろうという見解。

しかし、ブーガルーって言葉は、心ある音楽好きがワクワクするようなものだったはずなのに、思いもよらないところからしょうもないケチがついてしまったことは事実。

洋の東西を問わず、過去の文化に敬意を払うことをしないくせに右翼だとか保守だとか名乗るタイプはほんとに嫌だなあと思いました。