森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

世襲議員が多いのは仕方がない(ホモサピエンスの脳が宇多田ヒカルを処理するとき)

世襲政治家多すぎ問題は問題なのか

国会議員をはじめ、日本の政治家に世襲が多すぎることが問題視されている。

 

世襲政治家は“親ガチャ”大当たり…河野太郎パパがとった「親バカすぎる行動」とは?《首相の座は親子三代の悲願》 | 文春オンライン

 

衆院選で落ちててほしかった世襲政治家ランキング 2位は安倍晋三氏…圧倒的1位は? | 女性自身

 

反世襲、形骸化した自民党…二階氏「最終決定は人物がいいかどうか」 : デスクの目~政治部 : Webコラム : 読売新聞オンライン

 

どんな出自の人でも能力が高くて志があれば誰でも政治家になれるっていうのが、この社会の大原則のはずなんだけど、現実はそうなっていない。

 

ただ、それには理由があるんだろうなとも思っています。

 

というのも、そもそもこのご時世、普通にやる気や才能があって高学歴で、っていう人間でも、自分の進路の選択肢に政治家ってまず入ってこない。

いまどきの何にでもなれる立場のイケイケの若者は、外資系コンサルや金融関係やGAFAあたりに就職するか、数年後に起業することを見据えた動きをするのが一般的で、いずれにしてもこの資本主義社会の中で成功することを目指しがち。

 

昭和のある時期までは、神童みたいな子供にたいして「末は博士か大臣か」なんて褒めそやす言い回しがあったけど、いまどきの神童は博士も大臣も目指さないということ。

 

地位や名誉、承認欲求、権力なんかを手に入れるためには、政治家になる必要なんて全然ない。むしろ公人として全方面から叩かれるしんどい職業に見えているんじゃないか。

 

そう考えると、幼い頃から政治家をやっている親の背中を見て育ち、どうやれば人を動かせるのか表も裏もわかっている二世のほうが、政治家という仕事に具体的なイメージを持ちやすいし、自分の進路として政治家がごく自然に選択肢に入ってくるというだけでもなかなか貴重な存在。

 

なので、そもそも政治家を目指すという動機の時点で、世襲に偏りがちな素地はかなりあるんじゃないだろうか。

 

 

 

世襲がまかり通る社会の側の問題として

政治家になろうとする人間に世襲が多くなるのは仕方がないとして、じゃあ世襲議員が多い社会というのはどういう社会になるのか。

 

具体的にイメージするために、サラリーマンとしての実感に引きつけて考えると、社長の息子とか得意先の親戚とかが明らかに優遇されてる会社って、めっちゃ空気悪そう。

 

次期社長が内定してるダメ息子がのうのうと出世コースに乗ってるような環境だと、成果を出せば正当に評価されるからがんばって仕事しよう!とか、多少耳が痛いことでも正しいことを主張しよう!とか、そんな気持ちを持ち続けるのは難しいと思う。

 

激動の時代を生き残れる確率が高いのは、そういう会社か、成果を出せた人が上に行ける会社か、どちらでしょうかっていう話。

 

こんなことは大人ならだいたい肌でわかるはずだけど、それでも世襲の政治家はめちゃくちゃ多い。

 

幸か不幸か、ここ数十年の日本って、政治家が無能なせいで大勢の人が死にかけるみたいな直接的な状況があんまりなかったために、選挙が単なる人気投票とか組織固めとしてのみ機能してきた側面がある。

 

つまり、たとえば自分の会社の直接の上司を選ぶ話だったら、絶対バカを選びたくないしみんな真剣に見極めることになるだろうけど、何をしてるかよくわからない社外取締役とか顧問みたいなものを選ぶ話だったら、まあ今まで特にその人たちのせいで問題が起こったこととかないし変に新しい人を入れて混乱するぐらいなら同じ人にまたやってもらえばいいかな、ってぐらいのノリになるだろう。

 

それぐらいの距離がある政治家を選ぶにあたっては、どんな理想を掲げているかっていうよりは、親しみやすさがあるかというほうが重要になる。

 

単純接触効果の相続

おもにマーケティングの分野でよく言われることだけど、人間というものは、製品やサービスや人に対して、見たり聞いたり接触する機会が増えれば増えるほど親しみを抱くようになる。

 

これを「単純接触効果」という。

 

街中にポスターを貼りまくったり、選挙カーが名前を連呼したり、地元の祭りに参加したり、よりよい社会を作るという政治家の本質とは全然関係ないこれらのことも、単純接触効果によって有権者の親しみをかき集めるために必要なことらしい。

 

軽いノリだろうと、熟考に熟考を重ねた結果であろうと、有権者が持ってる一票は一票なので、今の選挙のシステムだと単純接触効果を活かすのは大事なんでしょう。

 

そして、世襲の政治家が持っているアンフェアな強みのひとつとして、親の代からの単純接触効果も相続しているって点があると思う。

 

まったくの初対面で、「何だこの若造は…?」といぶかしく思っている相手に対しても、「お世話になっております。○○の息子でございます」って言っただけで、その瞬間に親の代が築いた単純接触効果の貯金を一気に相続できてしまう。

 

ああ、藤圭子の娘か

個人的な体験として忘れられないのが、宇多田ヒカルが大ブレイクしたあの冬の、両親との会話。

 

戦中生まれで演歌とかクラシックしか聴かないうちの父親にとって、J-POPというのは全体的になんだかよくわからない世界。

歌手の名前を何一つ把握していないし、覚えようという気持ちもない。

 

それでも唯一インプットされたのが宇多田ヒカルだった。

 

家族でテレビをみているときに、宇多田ヒカルの「First Love」が300万枚売れたとかそういう特集を報道バラエティ番組でやっていて、なんだかわからないけど16歳かぁ、へえーみたいな薄い反応をしていた父に対して、「これ藤圭子の娘よ」と母が言った。

 

すると父は、「ああ、藤圭子の娘か」と、なんだかものすごく納得いったような顔をした。

 

宇多田ヒカル藤圭子の娘であることで、はじめて父親の中で宇多田ヒカルという存在が認識されたみたい。

 

どう分類していいかわからないノイズとして、そのままゴミ箱行きになりそうだった情報が、藤圭子の娘というタグ付けができて、脳内に定着した。

 

人が人を認識するという行為の、ものすごく原初的なパターンを見た気がした。

 

First Love

First Love

Amazon

 

ホモサピエンス世襲

2016年に出版され世界的に話題になった『サピエンス全史』は、われわれホモサピエンスがここまで繁栄したのは、虚構を信じる力があったからだと説いている。

 

 

一般的に人間が自分の仲間だと認識して一緒に行動できる数は150人が限界だと言われているんだけど、150人を超える規模の集団が国とか民族とかを軸にして「おれたち」って思えたことで、今のような社会ができているんだと。

 

たしかに現在のわれわれは数千人を同じ会社の同僚だと認識することができているし、1億人を同じ国民だと認識している。

 

数万年前からの「おれたち」という意識を支える虚構として、王とか貴族とかいった存在はかなり効果的だっただろう。

おれたちは特別な存在!なぜなら神様の子孫である王様に率いられているから!みたいな。

 

そこでは王が王たるゆえんは基本的に血筋。

偉大な先王の血を受け継いでいるからこのお方が王なのであると。

何度か王朝が倒された中国や欧州とは違って、ここ日本は万世一系という虚構がより強固に信じられやすい土壌がある。

 

そういうノリで何万年もやってきたために、われわれの脳は世襲に弱くできている。

 

「これ藤圭子の娘よ」と言われてストーンと腹に落ちたあの感じ。

理屈じゃなく、われわれホモサピエンスの深いところに組み込まれた仕様なんだと思う。

 

 

なんぴとたりとも世襲からは逃れられない

世襲を喜ぶ気持ちって、じいさんたちの古臭い価値観なんじゃないかと思いがちだけど、全然そんなことはなくて。

 

たとえば『キン肉マン』も『ジョジョの奇妙な冒険』や『ドラゴンボール』も『ワンピース』も『鬼滅の刃』も、主人公の強さは父親譲りであることがストーリーの中盤で明かされる。

 

主人公がなんでこんなに強いのかという謎の解明において、「そういう血筋だから」という話は、前述した作品の多くで多分に後づけされた設定っぽい感じはするけど、いや後づけっぽいからこそ余計に、われわれホモサピエンス世襲好きを裏付けているように思える。

 

かの『スターウォーズ』の全9作を貫くテーマも、フォースの世襲制だった。

エピソード7から登場した主人公レイは、両親に捨てられて一人で生きてきた人物で、その両親は誰でもない平凡な人間だとされてきた。

そんな人物が超強力なフォースの使い手だということで、ダース・ベイダーからルークという世襲のライン以外にも能力者は存在するんだという、開かれた感じがしたものだった。エピソード8も映画としては残念な出来ではあったけど、脱世襲のメッセージは継続していたように思う。

 

ところが、最終作エピソード9に至ってレイの能力も世襲だったことが明かされる。

結局そういうことかよと思ったし、前述のジャンプ作品と同様、どんでん返しのネタとして親を持ち出すのって全世界的に有効なんだなとも思った。

 

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ほっといたら世襲に気を許すようにできている、そういう脳の構造をしている以上、せめてそのことは理解した上で生きていきたいもの。

 

世襲を推すにしても自覚的にいきたいと思います。