YOASOBIや藤井風といった人たちが海外にファン層を急拡大させているとか、竹内まりやや大貫妙子に代表されるシティポップ勢が海外で高く評価されているといった話は、ここ数年広く知られているところだけど、実は、J-POPやシティポップだけでなく、90年代以降のインディペンデントなアーティストの一部も、海外で熱狂的に支持されている。
その代表格が、フィッシュマンズ。
アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music(RYM)」のオールタイム・ベストで、『ロングシーズン』が、なんと28位に入ってる。
28位がどれぐらいすごいかっていうと、なんとビーチボーイズ『ペット・サウンズ』や、スティーヴィー・ワンダー『キー・オブ・ライフ』や、ポーティスヘッド『ダミー』という、この手のランキングで常に選ばれるような文句なしの名盤よりも順位が上っていうこと。
たしかにフィッシュマンズのオリジナリティと高い音楽性は世界でも類を見ないものだと思うし、海外に熱狂的なファンがたくさんいると聞いても変な感じはしない。
また、フィッシュマンズ以外にも、海外の音楽通に評価されている日本のアーティストはいろいろいて、Nujabes、Boris、BOREDOMS、コーネリアス、坂本龍一、メルトバナナ、Lampといったあたりの名前がよく挙がるんだけど、いずれもオリジナリティや音楽性の観点から海外で評価されていることに何ら違和感はない。
どこかの国のとある音楽通が、遠いアジアの国にとんでもなくユニークで豊穣な音楽シーンがあることを発見したとしたら、知的好奇心が刺激されまくってワクワクが止まらないだろうなと想像することはたやすい。
同じくどこかの国の音楽好きの一人として、その気持ちはものすごくよくわかる。
ただ、日本の音楽通に高く評価されているアーティストは前述した人たちの他にもたくさんいるにもかかわらず、海外に刺さるものと刺さらないものにはっきり分かれているという現状は、どうにも不可思議。
海外の音楽通と国内の音楽通との間で、日本のアーティストに対する評価がかなり違っているのはなぜか。そのズレがどこから生まれるのか。
明確な結論があるわけではないけど、考えてみました。
下記に貼った画像のように、海外の音楽通が作った、好きな日本のアーティストのジャケ画像をたくさん並べたリストが、ネット上にはたくさん転がっている。
それらを見てもわかるとおり、みんな信じられないほどめちゃくちゃディープに日本の音楽を掘っている。
なので、日本では評価が高いのに海外で評価されていない理由を考えるときに、日本語の言葉の壁だとか、知名度のなさとかは理由にならないと思う。
じゃあ、なぜなのか。

文脈依存すぎるから?
たとえば、キリンジはなぜ海外の音楽通に刺さっていないのか?
「エイリアンズ」が日本の若手アーティストに絶大に支持され、神格化されつつある日本の状況との落差、すごいことになってないですかね。
たとえば、小沢健二、岡村靖幸、ブランキー・ジェット・シティ。
日本のオールタイムベストの常連でありながら、海外の評価をほぼ見かけない。
いずれも個人的に大好きだし、音楽的にすぐれているところをいくらでも語れちゃうんだけど、一方で、正直この良さが異国の人たちに伝わる気があまりしない。
いや、異国の人どころか、日本の20代の人たちにも難しいかもしれない。それだけ、音楽の良さと時代の空気が密接で、つまり文脈に依存してるってことなのかも。
たとえば音楽にめっちゃ詳しい海外の人に初期のブランキーをいきなり聴かせたら、おそらく好意的な評価をしてくれるとは思うんだけど、「サイコビリーをうまく解釈してリリカルさとパンク成分を兼ね備えたサウンドになってるし歌手の歌い方も独特でいいよね」みたいな、いや、そうなんだけどそういうことだけじゃないんですよ…って感じになりそう。
岡村靖幸なんか聴かせたら、単なるプリンス論に終始したコメントが返ってくることは想像に難くない。
出汁のニュアンスが難しいから?
日本人にとっては、そばやお茶漬けのように馴染んでいる味なんだけど、寿司や天ぷらやラーメンほどの海外人気がない。
なにか口に合わないのか、物足りないのか、日本らしさが足りないのか、食べ方がわからないのか。出汁のニュアンスが難しいからか。
ラーメンの旨味は、どの国の人の味覚でも旨いと感じるだろうけど、そばは難しいかもしれない。ましてや、つゆにドボドボ浸すのは野暮だとかなんとか言われたら、もうどこでおいしさを感じればいいのか。
ちなみに、念のためですが大事なことなので言っておくと、海外で評価されるほうが偉いとかいう話をしたいわけではまったくなくて。
ラーメンは世界で評価されているからそばよりも上、とかいう意見があったら変すぎるでしょう。
ただただ、なんで刺さらないんだろうかと考えたいんです。
われわれにはわからないエグみのせい?
それでいうと、竹内まりやや大貫妙子がシティポップ文脈で評価されてるのに、荒井由実はなぜダメなのかも気になる。
初期サザンもなんで刺さってないんだろうか。
日本で人気がありすぎるからっていう理由で海外の音楽通が敬遠しているとは思えないけど、ただ、不思議と大衆性と音楽性が両立してる人たちほど刺さってない傾向がありそう。
もしかして、われわれには感じられなくなってるエグみみたいなものがユーミンやサザンにはあるんだろうか。そしてそのエグみのおかげで日本でだけ国民的な存在になったんだろうか。
自分の家の匂いって自分ではわからない的な。
これだけ日本食がポピュラーになったご時世でも、納豆だけはハードルが高いっていうし。
タキイ種苗:在日外国人へ『日本の食文化に関する意識調査』を実施 | タキイ種苗株式会社のプレスリリース
でも、自分が海外の(特に米欧以外の)音楽を聴くときには、その土地ならではのエグみのようなものを積極的に摂取しにいってるところがあるんだよな。
海外の音楽通はそういう聴き方をしていないってことなんだろうか。
ニセモノっぽく感じるから?
そういえば、日本に対してその土地ならでは感を求めた結果、演歌に興味を持つに至るマーティ・フリードマンみたいな人が一定数いるけど、リズム歌謡や筒美京平のディスコ歌謡みたいなラインは演歌ほど注目されていない。
日本ぽさって面でいまいちキャッチーじゃないんだろうか。寿司や鉄板焼みたいな派手なものに比べると、肉じゃがや焼き魚みたいな存在はどうしても埋もれるってことなんだろうか。
それとも、カレーライスとかたらこパスタのような和製洋食として、ニセモノっぽく感じられてしまうんだろうか。
そっちにこそ極上の旨味が詰まっているってことを教えてあげたいんだけど。

