森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

シティポップと百姓

80年代前後の日本映画やマンガや雑誌のインタビュー、コラムなんかを観たり読んだりしていると、2020年との価値観の落差にぎょっとすることが多い。

 

ジェンダーや障害や人種といったセンシティブな領域に対する配慮のない言葉遣いももちろんだけど、同じぐらいびっくりさせられるのが、田舎に対する見下し。

田舎や農業や方言といったものを、恥ずべきものとして見下すような言動がとにかく多い。

そういった価値観の象徴として、「百姓」という言葉が、かなり攻撃力の高い侮辱ワードとして機能していた。

 

侮辱ワードとしての「百姓」

たとえば1977年の映画『幸福の黄色いハンカチ』では武田鉄矢が演じる若者が「この百姓が!」と罵るシーンが複数回あったし、1980年の『狂い咲きサンダーロード』でも「百姓」と罵ってる。

人気絶頂だった田原俊彦がいわゆる「ビッグ発言」などでバッシングされるムードのなか、殺到する記者に対して「百姓」と罵ったという話もある。

 


幸福の黄色いハンカチ(予告)

 

現在でも「百姓」はテレビやラジオでは使わないような言葉になっているんだけど、当時のニュアンスがわからないとなぜダメなのかわかりづらい。

 

その結果、Yahoo!知恵袋にはこういった質問がかなりたくさん寄せられている。

百姓 という言葉はなぜ放送禁止用語なのですか? - 百姓は差... - Yahoo!知恵袋

 

侮辱ワードっていうのは、言われた側が傷つくからこそ攻撃力を発揮するわけで、「百姓」に攻撃力があったということは、みんな「百姓」と呼ばれたくなかったんでしょう。

 

なぜ昭和の日本人は「百姓」と呼ばれたくなかったのか

ではなぜ昭和の日本人は「百姓」と呼ばれたくなかったのか。

 

誰かを「百姓」と罵るとき、田舎、農林水産業、野暮、情報弱者といったニュアンスが込められている。

「百姓」のイメージを体現するキャラとして登場したのが吉幾三

 

つまり、その逆の、都会、第三次産業、洗練といったものをみんなが目指していた時代ってことでしょう。

で、都会、第3次産業、洗練を目指すのは現代も同じだけど、なんていうか当時の日本人には必死さを感じるわけ。

 

東京生まれのごく一部の人を除き、80年代前後の圧倒的大多数の日本人は、自分が「百姓」とくくられる側に属しているという、負い目みたいなものがあったんじゃないかと。

 

というのも、お互いに「百姓」と罵り合っていた1980年の20歳は、1960年生まれ。

実はその時代の日本の労働者の32.7%が第一次産業つまり農林水産業にたずさわっており、1960年生まれのざっくり3人に1人ぐらいは「百姓の子」なわけ。

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/img/g0204_01.png産業別就業者数の推移(第一次~第三次産業) 1951年~2019年 年平均 (総務省労働力調査」)

 

そんな1960年生まれの「百姓の子」が大人になった1980年には、日本の労働者の過半数第三次産業の仕事をするようになっており、第一次産業は10%にまで減少している。

つまり、その20年間で「百姓」離れがすごい勢いで加速した。

 

おりしも高度成長期で、都会の工場や商社やメーカーが大量に人手を求めていた時期であり、そういった社会のニーズに応じるかたちで「百姓の子」が「百姓」離れしていった。

そしてそういう「百姓の子」はみんな、「木綿のハンカチーフ」よろしく、必死で都会に染まろうとがんばっていたんだと思う。

 

昔からそこにいた都会人や一足先に田舎から出てきた先輩たちは、続々と上京してくる「百姓の子」の垢抜けなさ、必死に洗練されようとあがく様を揶揄したくもなったであろう。

そこで「百姓」という言葉が、かなりの攻撃力をもつに至った。

 

あらゆる差別の構造に共通するあるあるとして、生粋の都会人よりも、先に都会に出てきた元「百姓の子」のほうが、自分が都会人であることを誇示する必要にかられて、新規の「百姓の子」により厳しくあたったであろうことは容易に想像できる。

幸福の黄色いハンカチ』の武田鉄矢の無駄に攻撃的なスタンスは、そういうことなんだと思う。

 

なぜ平成・令和の日本人は「百姓」と呼ばれても傷つかないのか

ではなぜ、平成・令和の日本人は「百姓」と呼ばれても傷つかないのか。

いつから傷つかなくなったのか。

 

2000年の20歳は、すでに相手を罵るときに「百姓」とは言わなかった。

2000年の20歳は1980年生まれ。

 

その時代の日本の労働者のうち、第一次産業にたずさわっていたのは10%であり、そこからの20年間でさらに5%にまで半減した。

しかも第一次産業にたずさわる人は5%いるといっても、そのほとんどが高齢者なので、今や「百姓の子」はほとんど見つからないレアな存在になっている。

 

親の代から都会に住んでいる、または地方在住だけど親の代で百姓をやめた「百姓の孫」たちが日本人のマジョリティを占めている状況。

「百姓の孫」たちにとって農林水産業や田舎の生活といったものは、がんばって抜け出すべきものではなく、夏休みに数日間だけ滞在するもの。

 

田舎暮らし、アウトドア、土いじりといったものは、一昔前に「百姓」にまつわるダサいものとされていたが、今やポジティブなものとしてとらえられるようになった。

つまり「ザ!鉄腕!DASH!!」でTOKIOがやっているようなこととそのとらえられ方。

 

多くの日本人が都会に出てきたわけではなく、(過疎化が進みながらも)相変わらず地方在住の若者も多いんだけど、地方在住であることが別に恥ずべきことではなくなっている。

 

そこには、インターネットの普及により、都会と地方の情報格差がほとんどなくなったことも影響しているだろう。

ネットを駆使して情報収集や発信をするにあたり、地方在住であることは何らマイナスにならない。

 

90年代までは、タワーレコードやクラブやミニシアターがある都会と、ギリギリTSUTAYAがある地方ではかなりの情報格差があった。

しかし今やそれらの情報はほぼネット上で得られるようになり、地方のハンデはかなりなくなっている。

 

もはや、「百姓」という言葉に相手を罵る攻撃力はほぼなくなった。

 

百姓の対義語としての「シティ」

ここ最近、1980年前後の洗練されたサウンドが「シティポップ」と呼ばれて再評価されている。

山下達郎大貫妙子吉田美奈子大滝詠一南佳孝といったあたりから、角松敏生杉山清貴あたりまでの、ソウル〜AORな音が、2010年頃から日本の若手ミュージシャンや海外の好事家たちに面白がられるようになった。

 

 

シティポップの担い手はその多くが東京出身者であったという興味深い事実もあり、その名前が表すように、「百姓」が喚起するイメージの対極にあった。

 

しかし、実は当時「シティポップ」という呼称は一般的ではなく、少し大きなくくりで「ニューミュージック」と呼ばれていた。

ニューミュージックというくくりは、アリスやイルカやさだまさしも入ってくるような巨大な概念。キリンジもゆずも「J-POP」だよねっていうのと似ている。

 

その巨大なニューミュージックというくくりの中から、「百姓」成分を取り除いたものが現在シティポップと呼ばれているんだとすると、当時むりやりくくられていた側としては、ニューミュージック扱いされることに忸怩たる思いがあったんじゃないかと思う。

松任谷由実が言ったとされる選民意識バリバリの発言には、そういった側面があるんじゃないか。タモリのニューミュージック批判もそういう文脈でとらえることも可能だろう。

 

一方、そんなシティポップが再評価されている2020年においては、「シティ」であることにあまり意味はなくなっている。

リアル百姓や百姓の子が日本からほとんどいなくなったことで、「百姓」は現実味のない概念になり、もはや洗練された音楽にとっての仮想敵ではなくなったということかもしれない。

 

むしろ、漠然としたファンタジーな概念となった「田舎暮らし」は、令和の時代にシティポップ・リバイバルな音をやってるアーティストと親和性が高いとすら言えそう。

現代のシティポップと呼ばれるバンドの多くが、アウトドアなフェスに引っ張りだこだったりするし、もはや「百姓」と「シティ」は対義語ではなくなったように思える。

https://spice.eplus.jp/images/Wlv4uTwuchUq7oNVTvY9Re72zkh72gWtyFOyz9ekKFYJx87x3tqUWFs3WQXCVkLz/

 

GREENROOM FESTIVALのnever young beach

 

 

 

ちなみに、かつてニューミュージックの非シティ部分を担っていたようなメンタリティをもつJ-POPのアーティストや楽曲を、わたくしハシノは「民芸J-POP」と名づけて観察している。

  

異世界ファンタジーとしての円高ラテン歌謡【プレイリストあり】

海水浴場も花火大会も海外旅行もない2020年の夏。

夏を満喫しようにもいろいろ禁じられている中で、そのくせ気温ばかりがうなぎのぼりしやがって、40度が突飛な比喩じゃなく現実のデータになっている8月。

 

それでもつい習慣的に夏向きのプレイリストなんてつくっちゃったりする。

 

今の気分的に、80年代後半からのバキッとした音像がしっくりくる。それでいて、いわゆるシティポップとは一線を画したい。ということで、J-POPと呼ばれるようになる以前の歌謡曲の中から、ラテン度の高いものをピックアップしてみました。

 

プレイリスト(全22曲)

ラテンテイスト満載の「好景気」「円高」「恋愛至上主義」な昭和50〜60年代の歌謡曲を詰め込んだプレイリストはこちら。

 

なんと中原めいこ「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」が入ってないのでSpotifyは1曲少ないです。

f:id:guatarro:20200821192301j:image

 

異世界としての昭和50〜60年代

いかがでしょうか。

いずれも80年代のバキッとした音でごきげんなラテンをやっていて、90年代のJ-POPと地続きなノリを感じられるかと思います。

 

しかしこれが2020年の夏のムードにあっているかというと、見事にあってない。

やはり世の中が完全に浮かれまくっていた昭和後期の空気は、今年の夏に再生するには少々まぶしすぎるようで。

  

ならばいっそのこと、「異世界もの」としてこれらの楽曲を味わってみようかなというのが今回のご提案です。

 

そう、昭和50〜60年代という異世界

 

日本中の土地の値段が上がりまくった結果、山手線の内側の地価の合計額でアメリカ合衆国が全部買えるとか言われていて、株価もうなぎのぼり、そこらへんに成金がたくさんいた世界。

 

また、昭和40年代まで1ドル360円だったのが、昭和60年頃には1ドル150円ぐらいになった。海外旅行の値段がほぼ半額ぐらいになった感覚なので、一部の富裕層のものから、誰でも手が届くものになっていく世界。

 

そして、雑誌やドラマ、歌謡曲の世界では恋愛至上主義を盛んに煽りまくる。

18歳になったら免許をとって新車(できれば外車)を買って、DCブランドの洋服を着て、夏はサーフィン、冬はスキーができて、クリスマスにはシティホテルの部屋を予約して、みたいなことが一通りできてはじめて、恋愛市場のスタートラインに立つことが許される、みたいな煽り。

実際にそんなことができていた若者がどれぐらいいたかは別として、そんな価値観がメジャーだった世界。

 

昭和50〜60年代の日本って、2020年とはあらゆる面で異なる異世界だった。

 

異世界に憧れるっていうこと

人間というものは異世界に憧れるもので、現実の世界では法的にもモラル的にも能力的にも経済的にも許されていないことを、空想の世界で思う存分やってみたいっていう願望を抱きがち。

 

さえない主人公が異世界に転生して大活躍するみたいな最近のラノベやマンガもそうだし、たぶん江戸時代に軍記物がはやったのも、平和な時代に存在意義を失った武士たちの憧れが反映されたんじゃないだろうかとか。

いつも刀を携行してないといけないのに抜いたら理由にかかわらず切腹ものって、理不尽すぎるでしょ武士。てゆうかそもそも刀で誰かを斬るなんてシチュエーションが日常にまったくない。なのに先祖代々そういうものと決まっているっていうだけの理由で抜けない刀を持たされてる。

そんなみずからのアイデンティティについてまじめに考え始めたら辛くなりそうだから、ご先祖様たちが思う存分刀を振り回して斬りまくっていた時代の話を読みふけってる、みたいな。

 

つまりこのプレイリストも、決してノスタルジーじゃなく、あくまで異世界として、剣と魔法の世界とか、任侠の世界とか、魏呉蜀の時代とか、はるかかなたの銀河系とか、そういうのと同じものとして味わってみたらおもしろいかもしれない。

 

異世界ファンタジーな歌詞

なにしろ、この異世界ファンタジー謡曲は歌詞がすごい。

いくつか引用して味わってみましょう。

 

鉄腕ミラクルベイビーズ「TALK SHOW」

これ曲名やアーティスト名を見てもピンとこないかもだけど、聴いたらわかる世代にはわかるでしょう。そう、「ねるとん紅鯨団」のテーマ曲。

恋愛リアリティショーの先駆けとでもいうべき番組のテーマ曲なだけあって、歌詞の異世界感がすごい。

男なら立ってゆけ
女はただ寝て待て
頭よりも素肌で
SO SO SO SO
let's get body talk!

冒頭からこの勢いで、終始こんな感じ。

男は立派になれ
女なら華になれ
想い出 弄(まさぐ)るたび
Ai Ai 愛がうずいてる

 

「当時の武士は主君のために命を捨てた」とかと同じぐらいの距離感の異世界

 

酒井法子「ビンボ・ナンボ・マンボ」

まずこれ曲調はマンボじゃないよなっていうのはありつつ、そんなことがどうでもよくなるぐらいの破壊力。

私の彼は すごく貧乏
バイトかけもちして フゥフゥハッ
左ハンドル 無理しちゃったんだわ
お支払い 月々 フゥフゥハッ

すごく貧乏だけどローンを組んで外国車を買ったんだと。

異世界すぎて頭がクラクラしてくる。

 

これは、こっちの世界と価値観が違いすぎるのか、それとも貨幣価値が違いすぎるのか、どちらなのか。

吉川英治の「三国志」に、かくまった劉備をもてなすために人肉をふるまった話がでてきて、吉川英治も書いててドン引きしてるレベルだったけど、それに近いものなのか。

それとも、この異世界における「すごく貧乏」は、バイトかけもちしてローンを組まないと外国車が買えないレベルってことで、ふつうの人はみんな即金で新車を買っていた世界なのか。

 

なにぶん異世界のことなので、ファンタジーとして楽しむしかないな。

2020年の日本からはいろいろ隔たりがありすぎる。 

 

夜の街から太陽の下へ

今回の昭和50〜60年代異世界ファンタジー謡曲のプレイリストですが、曲調はラテンテイストで統一感を出してみた。

 

戦後からずっと、マンボやチャチャチャなどのラテン音楽は日本の歌謡曲に深く根付いてきた。そして常にダンスや「夜の街」とともにあった。 意外なことに、当時は太陽の下の音楽じゃなかったんだよな。

太陽の下の音楽は、若大将でありベンチャーズであり、いずれにせよ8ビートだった。

 

典型的な夜の街ラテン

 

それが70年代になると、ニューヨークのラテンコミュニティから始まって南米を中心に広がったサルサの大ムーブメントがあり、日本にもその余波は及んでくる。

このあたりから、日本におけるラテン音楽のイメージも変わってきたのではないか。

 

たとえばジャズ・フュージョンがイケてる音楽として認識されてくるんだけど、それらの音楽にはラテン〜ブラジルの要素が盛んに取り入れられていた。


また、恋愛至上主義の教祖として君臨していた松任谷由実は、荒井由実時代からラテン要素を取り入れた楽曲をリリースしていた。

 

これらの影響で、昭和50年代の太陽の下の恋愛模様からはベンチャーズが駆逐され、ラテン音楽のイメージが浸透していく。

 

円高の影響で海外旅行が庶民の娯楽として一般的になってくると、さらにそのイメージは加速する。 

ココナツやハイビスカスやサンゴ礁が広がる赤道直下の南の島、われわれ現代人が忘れてしまった大切なものを思い出させてくれる褐色の肌の陽気な現地の人たち、そういったものに出会うことができるツアーが訴求される。

実際の目的地はグアムやサイパンプーケットとかなのでラテン音楽とはまったく縁もゆかりもないんだけど、なんとなく南国っていうことで大雑把にひとくくりされて、航空会社のCM音楽とかにもラテンテイストが入ってくる。

 

こうして完全に太陽の下の音楽になった昭和50〜60年代のラテン歌謡曲

この系譜はJ-POPにおけるTUBEや大黒摩季ポルノグラフィティあたりに受け継がれていくんだけど、いずれも、かつては夜の街の音楽だったっていう名残りがほのかに漂ってるのがおもしろいなと思う。

 

かえせ!ブーガルーを

2020年5月25日に起こった白人警官によるジョージ・フロイド殺害事件をきっかけにして、黒人差別への抗議行動が「Black Lives Matter」を合言葉としてアメリカ全土に広がっている。

アメリカを代表する企業がこの運動に賛意を表明する一方で、トランプ大統領が問題の本質を見ずに武力鎮圧を呼びかけたことで火に油を注ぎ、前国防長官に批判されたり、一部で発生した放火や略奪の犯人はアンティファだとか、いや騒ぎに便乗した無政府主義者だとかいろんな話が飛び交っている。

白人至上主義者にシンパシーをもつ大統領がいる国なんて、ひとりのアジア人として恐怖しかないので、この機会にまともな社会になってもらいたいと思っているけど、これを書いてる6月8日時点ではまだこの抗議の落としどころは見えていない。

 

デモで逮捕されたブーガルーとは

日々いろんなニュースを目にしている中で、個人的にすごく気になったのが、「ブーガルー」という存在のこと。

今回のデモに便乗して暴力を扇動したとかいう、極右グループの呼び名らしい。

 

 

気になっていろいろ調べてみたところ、2019年頃から言われだしたネット上のミームらしい。4chanっていう、日本の2ちゃんねるにインスパイアされたアメリカの掲示板とかFacebookの極右グループとかで使われだしたんだと。

ネット上の内輪ノリでアロハシャツを身に着け、銃器で武装してる白人たち。


彼らはアンチ・リベラルで、いわゆる加速主義を信奉していると言われている。

加速主義っていうのは、資本主義やテクノロジーを極限まで突き詰めることでこの社会を崩壊させ、その先にある新しい時代に到達しようとする考え方。 

要するにラディカルであり極右とかいっても決して「保守」ではないんだと思う。 ネトウヨまとめサイトにかぶれてしまった挙げ句、謎の全能感を手に入れてしまったタイプの大学生のあの感じのアメリカ版って認識してる。

 

そんなやつらが自称してる「ブーガルー」って言葉は、じゃあどこから来てるのかっていうと、『BREAKIN' 2 - ELECTRIC BOOGALOO』(邦題『ブレイクダンス2 ブーガルビートでT・K・O!』)っていう1984年のダンス映画のタイトルかららしい。 

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このタイトルをネタ化して、たとえば南北戦争の続編を『Civil War 2: Electric Boogaloo』と呼んだりするふざけ方が広まっていったんだってさ。

 

ダンスとしてのブーガルー

映画『BREAKIN' 2 - ELECTRIC BOOGALOO』に出てくる「エレクトリック・ブーガルー」っていうダンスは、いわゆるポッピングダンスの一種で、ロボットダンスみたいなもの(ダンスに詳しくないのですごく雑な説明)。

 


この動画に出てるブーガルー・サムっていう人が創始者なんだって。

マイケル・ジャクソンにも教えたっていう伝説のダンサーだそう。

 

じゃあエレクトリックじゃないほうのブーガルーはあるのかっていうと、この動画でJBが踊っているのがそう。

ブーガルーは「マッシュポテト」とか「ツイスト」とかと同じようにダンスの一種として定着しており、1967年には「ブーガルー・ダウン・ブロードウェイ」って曲がヒットしたりもした。 

 

60年代からあるダンスをエレクトリックに進化させたのがブーガルー・サムで、それが映画で取り上げられ、80年代をネタ化するネットのノリが取り込み、極右の自称になったという。

そんな流れが見えてきた。

 

音楽ジャンルとしてのブーガルー

しかし、もともと「ブーガルー」っていう言葉はですね、1960年代にニューヨークのラテン系コミュニティを中心に大ブームになった音楽ジャンルのことでもある。

 

音楽ジャンルとしてのブーガルーとは、ラテン系の人々がやっていたマンボやチャチャチャといったラテン音楽と、黒人のリズム&ブルースやファンクが混ざり合って生まれた音楽なんですよ。

だいたいサルサはもちろんハウスもヒップホップもみんな、黒人音楽とカリブ海の要素がミックスされてアメリカで生まれたもの。20世紀の新しいダンスミュージックはいつもその接点から生まれてきた。ブーガルーもそういった流れの中にあるってことで。

 

音楽としてのブーガルーの特徴は、コアなラテン音楽よりも若干シンプルで、エレキギターやドラムが使われていたりすること。そして曲によってはソウルやファンクの要素がかなり強く見受けられる。

また、急にブームになったジャンルによくあることとして、人材不足から若手を青田買いしてレコーディングさせることが多かったらしく、演奏に青さや勢いが感じられる。そういうところもいい。

 

自分もだいたい27歳ぐらいの頃、ブーガルーやラテン・ジャズの暑苦しさとザラッとした質感、アッパーでいてどこかもの悲しい雰囲気に痺れてしまい、ロックバンドで日本語でこういうのをやたらかっこいいのでは?って思って実際にバンドを組んだりもした。後に日本の要素が強まって音楽性が完成するんだけど、結成時のそのコンセプトは今でもすごく気に入ってる。 

 

 

日本におけるブーガルー

1950年代に世界的にマンボが大流行し、日本にもそのブームは飛び火した。

美空ひばりの「お祭りマンボ」やトニー谷の「さいざんす・マンボ」など、人気歌手がマンボのレコードをリリースし、ダンスホールでは新しいステップとして大流行。

 

数年してマンボのブームが落ち着いた後も、歌謡界はこのスキームに味をしめたのか、毎年のように海外から新しいリズムを輸入してブームを仕掛けるようになる。

「ドドンパ」などという出どころの怪しいものもありつつも、「ロカンボ」「カリプソ」「ツイスト」「アメリアッチ」など、60年代に入ってもニューリズムの輸入は続き、小林旭橋幸夫がヒットを飛ばしていた。

 

そして1968年になると、そんなニューリズムの一種として日本にブーガルーが入ってきた。

そこまでのブームにはならなかったが、「アリゲーターブーガルー」や「ブーガルー・ダウン銀座」などのレコードがリリースされた。

 

時代は下って90年代になると、当時の歌謡曲のなかでリズムが強いものがクラブでかかるようになり、一連のニューリズムものが「リズム歌謡」と呼ばれるようになって再評価が進む。

ブーガルーもその文脈で再発見され、クレイジーケンバンド渚ようこといった人たちがブーガルーの楽曲をリリースしたりした。

 

かえせ!ブーガルー

ここまで見てきたように、ブーガルーという言葉には少なくとも半世紀以上の歴史があり、しかもその歴史は黒人とラテン系のカルチャーに深いレベルで根ざしている。

つまり、白人の極右グループが軽々しく自称するようなワードではないってこと。

 

まあ、そういう複雑な文脈を内輪ノリで軽々しく踏みにじること自体が快楽のひとつになっているんだろうし、まじめに怒るだけ思うツボなのかもしれないが、それにしても腹が立つ。

 

ブーガルーの大御所であるジョー・バターンは、下記の記事において、ブーガルーという言葉を極右が使っていることをそんなに気にしていないと述べている。無知ゆえの誤用だろうと。

また、ネット上の極右カルチャーに詳しい研究者のJames Stone Lundeも、所詮ネットのミームだし流行はそんなに長く続かないだろうという見解。

しかし、ブーガルーって言葉は、心ある音楽好きがワクワクするようなものだったはずなのに、思いもよらないところからしょうもないケチがついてしまったことは事実。

洋の東西を問わず、過去の文化に敬意を払うことをしないくせに右翼だとか保守だとか名乗るタイプはほんとに嫌だなあと思いました。

 

 

音楽好きの親にオススメしたい、曲がいいキッズむけ映画×6

うちの子、4月から保育園が休園になってしまって、1ヶ月ずっと家にいる。

 

5歳と2歳の男児という、そりゃもうじっとしてることが絶対不可能なお年頃なので、親としてはあの手この手を駆使して巣ごもりに協力いただいている次第。

 

巣ごもりをしのぐ屋内の娯楽がいろいろあるなかで、やっぱりどうしても王道は動画コンテンツですよね。

5歳のほうはもうリモコンの操作を覚えてしまって、いっちょまえに音声入力なんかも駆使して、自分が観たい動画をうまいこと見つけられるようになってきてるし。ほっといたらもう誇張じゃなく一日中ずっとテレビの前にいる。

 

じゃあどんな動画を鑑賞させるかっていう話なんだけど、どうせなら親も一緒に楽しみたいじゃないですか。

 

特にこちとら音楽好きの親としては、どうせなら音楽がいい映画なんかを観といてもらいたい。映画を観ていない時間でも、ドライブ中なんかに「あの映画のあの曲を流してくれ」とリクエストが入ったりするので、そこで流れる曲は親も好きな曲だとありがたいんだよな。

 

それが戦隊モノの曲とかだったら、そりゃそういうのが好きな親もいるけど、自分としては結構キツいものがあるわけで。

 

そんな思いを抱いた音楽好きの親御さんって多いと思う(音楽フェスの子連れ率の高さをみてる限り)ので、今日はうちの親子ともにハマった、音楽がいいキッズむけ映画をご紹介します。

 

ミニオンズ』(2015年)

 

黄色いミニオンのキャラでおなじみの怪盗グルーシリーズは、かのファレル・ウィリアムスが主題歌を提供しており、特に第2作「怪盗グルーのミニオン危機一発」の主題歌「ハッピー」は世界中で大ヒットした。

既存曲の使い方も気が効いてるんだけど、音楽好きに特にオススメなのが、シリーズのスピンオフ的な位置づけの「ミニオンズ」。

怪盗グルーシリーズの前日譚となるこの作品は、1968年のニューヨークとロンドンがおもな舞台。ということで、劇中では60年代ロックの定番どころが流れまくる。

 

タートルズ「ハッピー・トゥゲザー」

ローリング・ストーンズ「19回目の神経衰弱」

スペンサー・デイヴィス・グループ「アイム・ア・マン」

ドアーズ「ブレイク・オン・スルー」

ミュージカル「ヘアー」より「ヘアー」

キンクス「ユー・リアリー・ガット・ミー」

ザ・フー「マイ・ジェネレーション」

ビートルズレヴォリューション」

 

とくに「アイム・ア・マン」はパトカーと銀行強盗のカーチェイスシーンで、「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、エリザベス女王ミニオンたちが王冠を奪い合う馬車チェイスのシーンでカッコよく使われており、長男は3歳の頃から「ゆりりがみ!」と口ずさんでいた。

 

ミニオンたちが敵から逃れてロンドンの下水道から地上にでたところがちょうどアビーロードで、横断してきたビートルズ(顔は映らないけど1人だけ裸足だったりで明らかにそうとわかる演出)に踏みつけられるとか、ニヤリとさせるギャグも満載。

 

怪盗グルーのミニオン大脱走』(2017年)

同じく怪盗グルーシリーズからもう一作、シリーズ第3作目となるこちらをオススメ。 


悪役が80年代に一斉を風靡した元子役スターという設定で、そいつが気分を盛り上げるために80年代ポップスの定番どころをこれでもかとカセットテープで流しまくるんですよ。

マイケル・ジャクソン「BAD」

ヴァン・ヘイレン「ジャンプ」

a-ha「テイク・オン・ミー」

ネーナ「ロックバルーンは99」

オリビア・ニュートン・ジョン「フィジカル」

マドンナ「イントゥ・ザ・グルーヴ」

 

まさにMTVヒッツという感じなので、この映画をきっかけに曲に興味をもったら、YoutubeでそれぞれのPVをみせてあげるのもオススメ。

やっぱこのあたりの曲って時代を超えてキャッチーだし映像もアイデアに満ちてるしで、子供の心も一瞬でつかむよね。

うちの長男はマイケル・ジャクソンとa-haは一時期どハマリしていた。

 

映画としては、80年代の過去の栄光にこだわり続ける哀れな悪役のBGMとしてこれらの曲が機能しており、キャッチーな反面もの悲しくも聴こえてくる。非常によくできた使い方。

 

『ペット』(2016年)

怪盗グルーシリーズと同じくイルミネーション製作の『ペット』は、日本語吹き替え版をバナナマンの2人が担当したことでも話題。

飼い主がいない間のペットは何をしているかというと…っていう好奇心をそそるおはなし。たとえばクラシック音楽好きの飼い主が出かけるやいなや、ペットの犬が自分の好みであるメタルを爆音で流してヘドバンしまくっていたり。

 

予告編にはベースメント・ジャックスの「ドゥ・ユア・シング」が使われてるし、本編では冒頭からテイラー・スウィフト「ウェルカム・トゥ・ニューヨーク」が流れ、犬たちが散歩するシーンでは「ステイン・アライブ」、孤独な猛禽類が友達を求めるシーンでクイーンの「マイ・ベスト・フレンド」が流れるなど、シーンに応じた適材適所な選曲が光ってる。

 

特に終盤近く、犬とウサギが仲間を救うためバスを運転してブルックリン橋を爆走するシーンで流れるビースティ・ボーイズの「ノー・スリープ・ティル・ブルックリン」のハマりっぷり。

 

そしてエンディングでそれぞれの家路に帰っていくペットたちの姿をバックに流れるのが、先日惜しくも亡くなったビル・ウィザースの「ラブリー・デイ」。大冒険の余韻を感じつつ日常に戻っていく感じにものすごくマッチしていて、何度みても幸せな気持ちになれる。

 

『レゴ®ムービー2』(2019年)

レゴでできたキャラクターがCGアニメで大活躍する『レゴ®ムービー』の続編。

2014年の前作は、その手があったか!という衝撃のメタ展開と、その展開が生み出すラストで、たくさんの大人たちを感動させた知る人ぞ知る作品になった。

特に、かつてレゴさえあれば一人で何時間でも遊べた子供であり、かつ乱暴な弟がいて、かつ現在子育て中っていうわたしのような人間にはですね、本当に本当にオススメ。

 

続編である今作は、前作の展開をさらに発展させたストーリーになってて、ギャグのキレも引き続き最高だし、こちらも映画としてまずふつうにオススメ。

それでいて、音楽好きの親にとってはさらに楽しめるようになってる。

 

予告編ではビースティ・ボーイズの「インターギャラクティック」が流れるし、途中でワイルドな仲間キャラが合流するシーンではモトリー・クルー「キックスタートマイ・ハート」が流れるし、まあご機嫌。

 

そしてなんといっても、エンドロールで流れるのが、ベックがこの映画のために書き下ろした新曲。クールなトラックにナンセンスな言葉遊びの歌詞。

この映画むけってことで肩の力が抜けて風通しのいい佳曲が生まれたのかなって感じ。

 

『スポンジ・ボブ/スクエアパンツ ザ・ムービー』(2004年)

スポンジボブ」といえば、キャラクターはかわいいけど内容はかなりブラックでグロいギャグアニメ。

2004年にはじめての劇場版が製作されたんだけど、エンドロールで突然に米国オルタナティブシーンの大物の楽曲が立て続けに流れてびっくりする。

ウィーン「オーシャン・マン」

フレーミング・リップスSpongebob And Patrick Confront The Psychic Wall Of Energy」

ウィルコ「ジャスト・ア・キッド」

 

特にフレーミング・リップスの曲は、タイトルもそうだけど歌詞も映画のストーリーに即して、登場人物のスポンジボブとパトリックに語りかけるような内容。

「ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ」のあの感じにも通じる、フレーミング・リップスらしい曲になっている。

 

あと、トゥイステッド・シスターの「アイ・ウォナ・ロック」の替え唄を歌ってギターを弾きまくるシーンもあって、かつてメタル少年少女だった親の血が騒ぎます。

 

しかし今回紹介してる他の映画でもそうだけど、21世紀のアメリカ映画において、80年代のハードロック/ヘヴィメタルは特別な記号になってる。

特にキッズ映画に欠かせない、無軌道で暴力的で騒々しいノリが、80年代のハードロック/ヘヴィメタルとの親和性が抜群ってことなんだろう。

 

その手の記号的シーンを観すぎたせいで、うちの子たちにとってギターは最終的に破壊するものってことになってる。

 

バンブルビー』(2019年)

2007年に第一作目が公開されたトランスフォーマーシリーズのスピンオフ。

トランスフォーマーといえばもともと日本生まれの変形ロボット玩具なんだけど、ハリウッドが細密なCGで映画化したもので、人気シリーズ化した。

 

車や飛行機に変形するロボット生命体が大戦争を繰り広げるハードな本編に対し、スピンオフとなる今作は、1987年のアメリカの18歳の少女を主人公に据えた成長譚になっている。

 

今作では、敵にやられて音声が出なくなったバンブルビーは、カーラジオやカセットテープの歌の歌詞で会話することを覚える。主人公はスミスをはじめとするニューウェーブ周辺のロックを愛聴しており、劇中で流れまくる。

スミス「ビックマウス・ストライクス・アゲイン」

スミス「ガールフレンド・イン・ア・コーマ」

デュラン・デュラン「セイブ・ア・プレイヤー」

ティアーズ・フォー・フィアーズ 「ルール・ザ・ワールド」

シンプル・マインズ「ドント・ユー」

ボン・ジョヴィ「夜明けのランナウェイ」

この数シーン後にロボット同士の壮絶な潰しあいが出てくるとは思えない、甘酸っぱいボーイ・ミーツ・ガール場面。

 

世界的にカセットテープに注目が集まっていた2010年代後半、映画の中でもカセットテープやウォークマンが効果的に使われるトレンドがあった。

ベイビー・ドライバー』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』なんかが代表的。

まあこの2作は内容的にキッズも大丈夫とは言いがたいので、今回の記事では扱いませんが。

 

まとめ

こうしてみると、ここ数年のハリウッドのファミリー向け映画にはある勝ちパターンというかセオリーがあるっぽいのが見えてくる。

すなわち、親世代が反応する80〜90年代の曲を効果的に使い、子供の心はハードロック/ヘヴィメタルを使った破壊的なバトルとかカーチェイスシーンでガッチリつかみ、親は親目線で観ることができてちゃんと感動できるように脚本が練られていること。

これやられちゃうと、うちみたいな家族はテキメンにもってかれるね。

 

おかげで親子で同じ映画と音楽に夢中になれて、円満に巣ごもり生活を過ごせてます。

今回挙げた作品はほぼ常に大手動画配信サイトで観ることができるので、みなさまのご家庭でもぜひ。

この映画も!っていう情報提供もお待ちしてます。

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50年前の日本はヤバかった。サブスクで聴けるGS(グループサウンズ)まとめ【必聴プレイリストあり】

日々のお籠もりお疲れ様です。

こんなときは家にあるレコードとかCDを久々に棚からひとつかみしたくなりがち。

そして必然的に自分の音楽遍歴を見つめ直すことになりがち。

 

自分の場合、ここ最近ずっとGS(グループサウンズ)ばかり聴いていました。

GSっていうのは、1960年代後半から3年ぐらい続いた空前のバンドブームのこと。

1964年のビートルズの日本デビューに触発され、雨後のたけのこのようにたくさんのロックバンドが日本全国に誕生したのである。その多くは各地のジャズ喫茶や米軍基地でステージをこなしていた。

その中からレコードデビューしたバンドだけで100を超えるという。

 

それだけたくさんいたので玉石混交なのは仕方がない。

音楽にうるさい横須賀の米兵をうならせた叩き上げの実力派から、ブームに便乗したい芸能事務所がでっち上げた即席バンドまで実にバラバラ。

また、リスナー層がおもに10代の少女だったため、過度にメルヘンチックな歌詞世界だったり、ほとんどムード歌謡になってるような音楽性だったり、衣装も王子様みたいな感じだったりで、音楽好きを自称する男性や世間の大人たちからは十把一絡げにバカにされていた。

このあたり、ヴィジュアル系ととてもよく似ていると思う。

 

短命に終わったGSブームだったが、メンバーが自作した曲を自演するというビートルズ形式が日本に定着したのはGSがきっかけだったし、作家が提供した楽曲についてもそれまでの芸能界のしきたりだった専属作家の作品ではなくフリーの才能がたくさん登用されたことで、筒美京平阿久悠すぎやまこういち村井邦彦といったのちの大作家が世に出るきっかけにもなったし、ブーム終焉後も歌手や俳優やミュージシャンや作家としてたくさんの人物を輩出したりもした。

ざっと挙げるだけで、沢田研二萩原健一岸部一徳岸部シロー堺正章、井上順、ムッシュかまやつミッキー吉野、ルイズルイス加部、鈴木ヒロミツ山口冨士夫大野克夫井上堯之馬飼野康二寺尾聰、安岡力也、加瀬邦彦アイ高野井上大輔クニ河内柳ジョージ…。

 

またリアルタイムではあまり音楽的に評価されていなかったGSだが、のちに多くのミュージシャンがGSからの影響を公言したりGSの曲をカバーしたりしていく。ユーミンがGSの追っかけをするために八王子から都心に通い詰めていたことは有名だし、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド近田春夫クレイジーケンバンドなどなど、愛にあふれるGSのカバーをやる人は常に存在してきた。

特に1990年前後には「ネオGS」のシーンが盛り上がり、それまで一部のマニアの間でしか知られていなかった曲が「カルトGS」としてCD化されたりした。

自分なんかはネオGS以降のリスナーなので、カルトGSシリーズや海外の怪しげなコンピや和モノDJのミックステープでいろんな曲を知っていったクチ。一時期はかなりGSや和モノシーンに夢中になっていたもんだった。90年代末あたり。

 

それからも定期的にGSが聴きたくなる時期は巡ってきたし、レコード屋に行けばとりあえずGSの7インチを探してみることは習慣になってるんだけど、この数週間はかなり大規模なマイGSブームが到来したんですよ。

やっぱりなんだかんだ世情が不安定だしリモート勤務で息が詰まるしで、無条件に元気になる音楽を身体が求めてるんだと思う。

 

せっかくなので、この軽薄でがむしゃらで夢見がちで熱いGSのパワーをおすそ分けしたく、AppleMusicとSpotifyの2大サブスクでプレイリストを作ってみました。 

GSに関してはいろんな人がいろんな切り口でこれまでもコンピを編集してきたわけだが、今回は自分なりに3つの切り口でまとめてみた。

 (Spotifyには存在しない楽曲がいくつかあったので、両方聴ける人にはAppleMusic版を推奨します)

 

プレイリスト1:Beat of Group Sounds

まずはここから聴いてください。 

ジャンルで言うとガレージとかサイケとかブリティッシュビートとかR&Bあたりの、海外のマニアにも人気が高い楽曲たち。

とにかくもう昭和の若さが爆発してる。「若さ」っていうのは彼ら自身の年齢の若さもそうだし、日本におけるロックバンドという形態そのものがフレッシュでベンチャーで手つかずのジャングルって意味での若さもそう。

英米のカッコイイロックを、どうやって日本向けにローカライズするかという、創意工夫が最高。

日本語ラップ黎明期のK.U.F.U.精神が大好きな人にはわかってもらえるはず。

 

プレイリスト2:Cover of Group Sounds

次はGSバンドによるカバー曲を集めたこのプレイリスト。

今みたいに楽器の奏法が手軽に学べるわけでもなく、エフェクターすらほとんどない状態で、レコードで聴いた海外のサウンドにみんながみようみまねで挑戦してる感じね。

GSはそこがもう最高に愛しい。

あとは日本語カバー率が高いのもうれしい。

自分がゴーゴーガールになったつもりで部屋で踊りまくりましょう。

 

プレイリスト3:Dream of Group Sounds

最後にこれ。

GSが女子供のものだと見下される要因となったメルヘンチックな歌謡曲路線の曲。

メンバー本人も、作家からこういう曲を提供されて渋々演奏していたりもする。レコードにはしたけどライブでは一切演奏しなかったりとか。

だけど、GS愛が深まっていくと、この路線もふつうに愛せるようになるんだよな。

サブカルな楽曲派を気取ってアイドルを聴き始めたものの、いつの間にか現場でヲタ芸を打ちやすい曲も好きになっちゃう、あの感じに似てる。

自分が女子高生になったつもりでうっとりしまくりましょう。

  

サブスクで聴ける代表的なグループ

少ないとは、いえすでにサブスク化されているグループもいくつか存在する。

当時アルバムをリリースするところまでいった人気グループが10ちょっといたんだけど、そのうちの半分ぐらいはサブスク化されてるってことになります。

 

ゴールデンカップス

メンバー全員ハーフだというふれこみでデビューした、横浜の不良バンド。

とにかく演奏がキレまくってる(特にベース)のと、カバーのセンスが秀逸。

それでいて作家に提供された歌謡曲シングルも悪くないという、音楽好きにとっては最強のGSバンド。

全アルバムがサブスクで聴ける。ほんとにいい時代になったと思う。

 

テンプターズ

ショーケンこと萩原健一がボーカルをつとめる人気バンド。

謡曲的メロディとロックなビートが同居する佳曲が多い。

それでいてメンフィス録音のラストアルバムはGSというよりソフトロックやソウルとして素敵なやつだったりする。

 

カーナビーツ

ギターがとにかくファズを多用するため、海外のマニアから人気が高い。

ドラム&ボーカルのアイ高野が甘い歌声で歌うスタイルは後のCCBにも影響を与えているかも。

 

モップス

アメリカ西海岸のサイケデリック文化を本格的に日本に輸入したバンド。

鈴木ヒロミツのワイルドな魅力とサイケな曲調がマッチしている。

海外のマニアからの評価が高い。

GSブーム終焉後もロックバンドとして活躍し続けた。

 

オックス

GSの少女趣味な面を象徴するようなグループ。

キーボードの赤松愛の失神パフォーマンスが有名で、教育界やPTAの目の敵にされていた。


謎の海外コンピ

90年代にヨーロッパでリリースされた謎のコンピが何種類か存在している。

権利関係がどうなってるのか本当に謎なんだが、なんとちゃっかりサブスク化もされていた。

スパイダースの「なればいい」が「Nati Bati Yi」と表記されていたり、モップスの「ベラよ急げ」が「Haiku」と表記されていたり。

アナログのみで流通していた時代にはバレてなかっただけかもしれないので、もしかしたらそのうち聴けなくなるかもしれない。

 

サブスク化されていない有名グループ

今回のプレイリストはサブスク化されてる楽曲のみで選曲しているので、GSの本当の実力の半分ぐらいしか発揮できていないということはご理解いただきたい。

有名どころでいうと、沢田研二岸部一徳がいたタイガースと、堺正章や井上順やムッシュかまやつ井上堯之大野克夫がいたスパイダースという、GSを代表するグループが公式にはサブスク化されていない(謎の海外コンピに一部の曲が収録されているのでそこから選びましたが)。

タイガースはGSのクラシカルでメルヘンチックな面を代表する曲がたくさんあるし、スパイダースにはブリティッシュなビートが効いたムッシュ作のかっこいい曲がたくさんある(ぜひ「恋のドクター」とか「メラメラ」とかを探し出して聴いてください)。

また、ネオGS以降に再評価されたダイナマイツも超重要。今回は海外コンピから「トンネル天国」を選曲したけど、「恋はもうたくさん」「のぼせちゃいけない」「恋は?」など他にもかっこいい曲はたくさんある。

 

そして、何よりも重要なのが、シングル数枚しかリリースしていないたくさんのグループたち。90年代のカルトGS再評価の流れで注目されたかっこいい曲がたくさんあるのです。

ムッシュショーケンやジュリーやマチャアキといった、個の力が強い人の楽曲よりも、むしろブームとともに消えていったグループの楽曲のほうが、GSというジャンルを理解する上では重要だと思う。

「クライ・クライ・クライ」のエドワーズや、「赤毛のメリー」のガリバーズ、他にもムスタング、ボルテージ、クーガーズ、ヤンガーズ、と、挙げればキリがないんだけど。

ビクターやテイチクやフィリップスの人たち、ぜひこのあたりもサブスク化お願いします。

 

 

音楽を聴くメディアの変化にともなって栄枯盛衰はつきものだけど、アナログからCDの時代の変化に際しては、むしろGSの再評価が進んだ。アナログでは入手困難な音源がCD化されたおかげで聴けるようになったから。

しかし、このままだとCDからサブスクという変化のタイミングで、日本のカルチャー史からGSが忘れ去られてしまいかねないよね。

 

こんなにも軽薄でがむしゃらで夢見がちで熱い国産のロックが50年前に存在したってことは、語り継いでいかないともったいない。

 

youtu.be

バンドブーム期って案外ラテンでアフリカンでトロピカルだったよ【プレイリストあり】

かつて空前のバンドブームがあった

1980年代後半の日本は空前のバンドブームだった。

1989年から放送を開始した「イカ天」こと「三宅裕司いかすバンド天国」(TBS)にはたくさんのアマチュアバンドが出演し、勝ち抜いたバンドが次々にメジャーデビューしていった。

もともと80年代前半にパンクやニューウェーブといったジャンルを中心にインディーズシーンが盛り上がっており、それが全国レベル&お茶の間レベルに広がっていったもので、人数が多い団塊ジュニア世代が10代だったタイミングということもあり、とにかくロックバンドなら誰でもデビューできたといわれるような時代だった。

 

イカ天以前のブーム初期を代表するバンドといえば、なんといってもザ・ブルーハーツとボウイであろう。この2バンドはその後のシーンに多大な影響を与えた。

他にも、ジュン・スカイ・ウォーカーズプリンセスプリンセスユニコーンザ・ブームレピッシュBUCK-TICK筋肉少女帯といったバンドが続々と登場してきたのがこの時代。

 

上記に挙げた面々は、ブームに便乗したというよりはたまたまデビューがその時期だったというぐらいで、音楽性に特に共通点はない。

だが、前の時代のインディーズブームの流れをくんでいる部分があるせいか、全体的にこの時期にはパンク・ロックやいわゆるビートロックのバンドが多かったのも確か。

特にブームに便乗するようなかたちで出てきた後続のバンドたちにはその特徴が顕著だった。

 

なので、バンドブームときいて頭に浮かぶ音像っていうとだいたいそんな感じだと思う。

 

案外ラテンでアフロでトロピカルだった面

しかし、バンドブーム期にはそれとはちょっと違う潮流もあった。

タテノリのパンク一辺倒ではなく、ラテンでアフリカンでトロピカルな曲が案外多いんだよね。

リアルタイムの頃にもぼんやり感じていたんだけど、大人になってからあらためて聴き直してみてその傾向がはっきり見えてきた。

 

ということで今回は、ギター、ベース、ドラム、キーボードっていう基本的なロックバンドの編成でそういったリズムに取り組んでいる曲たちを集めてみたらおもしろいんじゃないかって思って、プレイリストを作ってみました。

 

AppleMusicはこちら。 

 

続いてSpotify

Spotifyにはスカンクとニューエストモデルが入ってなかったので2曲少ない。

 

スカパラの数ある曲のなかから1stの「ドキドキTIME」を選んでること、レピッシュからは「BANANA TRIP」、米米は「なんですかこれは」を選んでることから、このプレイリストが伝えたい何かしらを感じ取っていただけるんじゃないかと思ってるんだけど。

 

何かしらを感じ取れなかった人むけの解説

何かしらを感じ取れてしまった40代後半ぐらいの方々にはもう何も言うことがないのでさっそくプレイリストをお聴きください。

 

何かしらを感じ取れなかった若手の方々むけに以下すこし解説。

なぜバンドブーム期にこの手の音がちょっと流行ったのか。

 

まずバンドブーム期のバンドの中で、「スカ」がちょっと流行ったというのがある。

80年代のイギリスで、スペシャルズやマッドネスといったバンドに代表されるいわゆる2トーン・スカが流行った。もともとザ・クラッシュをはじめとするイギリスのパンクバンドがレゲエに傾倒していたりするし、パンクバンドがスカをやることはわりと自然な流れだった。

日本ではルースターズとかボウイがかっこよくスカを取り入れてたこともあり、その後のバンドブーム期にスカっぽいリズムの曲をやっていたバンドはけっこう多い。

このプレイリストでいうとカステラとかザ・ブームとかスカンクあたり。

 

なおスカパラはイギリス経由の2トーンというよりは本場ジャマイカから直輸入したスカなので、それらとは毛色が違う。今回のプレイリストには、スカっていうよりもカリプソみたいな曲を選んでみた。

 

 

80年代イギリスからの影響でいうと、ファンカラティーナっていうちょっとしたブームの影響もあると思う。

パンクよりはもう少しダンスミュージック寄りでアダルトな感じで、ラテン要素を取り入れた音が「ファンカラティーナ」と呼ばれて少しだけ流行ったのである。

このプレイリストでいうと米米CLUBにはファンカラティーナの要素を感じる。

 

あと80年代にはアフリカのポップ音楽が世界的に注目された。

キング・サニー・アデやサリフ・ケイタユッスー・ンドゥールといったアフリカ人のミュージシャンのサウンドが、英米のリスナーの耳を驚かせる。

もちろん、その驚きは日本にも伝染した。

 

 

これらのトレンドから、80年代の日本のロックバンドがタテノリ一辺倒じゃないリズムに触れたり、トランペットやパーカッションをアレンジに取り込むことについて、ハードルがだいぶ下がったりとかノウハウが蓄積されたりしていたんじゃないかと思われる。

 

エスニック

80年代後半の日本では、「エスニック」って言葉が流行語になった。

円高の影響で海外旅行に行く日本人が増え、特にそれまでなじみがなかった東南アジアなどの地域の料理が日本に紹介されたりして。

おそらくその延長線上で、音楽についても英米一辺倒じゃなく世界のいろんな国の音楽を楽しむようになった。

 

前述したような世界的なトレンドが、日本にも結構そのまま入ってきて、民族音楽的なアプローチが最先端でイケてるっていう雰囲気すらあった。

映画『AKIRA』ではバリ島のガムランやケチャが、『攻殻機動隊』ではブルガリアの複雑なコーラスが取り上げられたのもその文脈。

 

エスニック」の名のもとに、かなりいろんなものがひとくくりに南国っぽいものとして受け入れられたバブル期の日本。

そしてエスニックを味わう心は日本自身にも回帰してきて、沖縄民謡や河内音頭ワールドミュージックとして再発見されたりもした。

 

当時のそんな雰囲気を表現すべく、プレイリストに「エスニック」と名づけてみた次第。

 

ボ・ガンボスの未発表音源からバンド編成初期の河内家菊水丸、ラテン度合いがガチすぎるS-KENなど、われながら聴きどころ満載と自負してますが、この機会にみんなに知ってほしいのはなんといってもKUSU KUSU。

当時はアイドルバンドっぽく見えていたので自分も甘く見てしまっていたんだけど、高速ラテンでアフロビートでパンクっていう実は他に類を見ないめっちゃかっこいいことをやってた。若々しいのに完成度も高く、10年ぐらい前にたまたまアルバム聴いてぶっ飛んだのよね。

で調べてみたら、じゃがたらに影響を受けて音楽性がこうなったとかで、ついにはじゃがたらのメンバーがマネジメントしてたっていうのでカッコいいのも納得。

 

世界が一番幸せな日

世界が一番幸せな日

  • 発売日: 2011/04/06
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

J-POPが滅んでも演歌は生き残ると思う(演歌の定義・なりたち・未来)

2020年2月22日リリースの都はるみトリビュート・アルバム『都はるみを好きになった人』がとにかくすばらしい。

 

 

参加アーティストはUA畠山美由紀高橋洋子水谷千重子Chage一青窈怒髪天ミッツ・マングローブ大竹しのぶ、そして民謡クルセイダーズ feat.浜野謙太という、バラエティに富んでいつつ必然性を感じさせる面々。

特に民クル「アラ見てたのね」や畠山美由紀大阪しぐれ」や高橋洋子アンコ椿は恋の花」あたりは、原曲のコクを殺さずにそれでいてちゃんとフレッシュな解釈がされていて、すばらしかった。

 

あまりにすばらしかったので、都はるみの原曲の方もまとめて聴きこんでいたんだけど、そこでちょっといろいろ考えてしまったんだよね。

そもそも「演歌」ってなんだろうって。

 

都はるみはなぜ涙こらえてセーターを編むことになったのか

都はるみといえば、1964年にデビューし、紅白歌合戦に20年連続で出場、複数のミリオンヒットを飛ばし、1984年に突如引退(その後復帰)した、昭和を代表する歌手のひとり。

 

そんな都はるみの数々のヒット曲のなかでも、特に国民的ヒットといえる曲がいくつかあり、それをリリース順に並べてみると、こんな感じになる。

アンコ椿は恋の花」1964年

「涙の連絡船」1965年

「好きになった人」1968年

「北の宿から」1976年

大阪しぐれ」1980年

「浪花恋しぐれ」1983年

 

この5曲、ジャンルとしてはぜんぶいわゆる「演歌」だとくくってしまえるとは思うんだけど、あえてどこかで線を引くとすれば、「好きになった人」と「北の宿から」の間であろう。

曲調もそうだし、歌詞の世界観もそうなんだけど、やっぱここに断絶があると思う。

 

ざっくりいうと、「アンコ椿は恋の花」と「涙の連絡船」「好きになった人」は昼間の歌。陽のあたる場所の歌。「北の宿から」「大阪しぐれ」「浪花恋しぐれ」は夜の歌。日陰の歌。

どちらにも通じるのは「健気な女心」なんだけど、健気さのあり方が違うっていうか。

「たとえ別れて暮らしてもお嫁なんかにゃ行かないわ」と「着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでます」はやっぱり全然違うと思う。

 

では「好きになった人」の1968年と「北の宿から」の1976年の間に世の中でなにがあったかというと、大阪万博が終わって高度成長期が一息つき、公害病が問題になったり、ベトナム戦争が泥沼化したり、三島由紀夫切腹したり、新左翼あさま山荘事件よど号ハイジャック事件みたいなことをいろいろやらかしたりとまあいろいろと負の側面が出てきたような時代だった。

そんなこんなを経験して、日本社会がすっかりスレてしまったのがその8年間だったのではないかと。

戦後日本を擬人化すると、寝る間も惜しんで受験勉強していたまっすぐな高校生が、大学でもまれてひねくれてしまったみたいな変化。

 

都はるみの音楽性の変化にも、その社会の空気の変化が出ちゃってるような気がするんだよね。

昼間の歌、陽のあたる場所の歌をのんきに歌ってても刺さらない感じになってきたので、暗い情念みたいなものをインストールすることで、スレた社会に適応しようとしたようにみえる。

 

その結果、都はるみは「北の宿から」で見事に10年ぶりのミリオンセラーをたたきだしたのだった。

 

しかしよく考えてみると、この変化は単に都はるみひとりの変化ではなく、演歌そのものの変化でもあったんじゃないかって気がしてきた。

もっというと、演歌というジャンルの立ち位置というか守備範囲が移り変わったということかもしれない。

 

演歌のなりたち

そもそも、演歌ってどう定義できるのか。いつ生まれたものなのか。

 

「演歌は日本の伝統」だなんて気軽に言うひとがいるけど、実はいわゆる「演歌」っていうジャンルが明確にできたのって1970年頃のこと。

つまり、ジャズやロックやR&Bなんかのほうがよっぽど古くから日本に存在していたのである。

 

そのあたりの流れについては、『創られた「日本の心」神話  「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』という本(名著!)に詳しく書いてあるので興味があるひとはぜひ。 

 

この本によると、「演歌」っていう言葉自体は明治時代から存在してはいたけど、今とは意味がぜんぜん違っていたそうな。

そして、美空ひばり都はるみといった、代表的な「演歌歌手」と呼ばれるひとたちも最初は単に「流行歌手」なんて呼ばれていたという。

 

60年代までは「演歌」っていうジャンルは存在しておらず、日本の大衆が好むポピュラーな歌として流行歌とか歌謡曲とか呼ばれていた。

つまり1964年の「アンコ椿は恋の花」は演歌としてリリースされたわけじゃなかった。1970年頃に「演歌」というものがジャンルとして成立した際に、そのジャンルの代表的な歌手のひとりである都はるみの過去のヒット曲がさかのぼって演歌とカテゴライズされたというのが正しい。

 

では1970年頃に演歌というジャンルがなぜ成立したのか。

いろいろあるけど大きいのは音楽業界の構造の変化だという。

 

60年代前半までの日本のヒット曲は、基本的にすべてレコード会社専属の作詞家と作曲家が手がけていたんだけど、60年代後半からのグループサウンズフォークソングの流行により、フリーの作家やシンガーソングライターが一般的になってくる。

阿久悠筒美京平、都倉俊一、なかにし礼松本隆村井邦彦といったフリーの作家たちが、新しい世代として登場してきたのがこの時代。

 

そういった新世代の作家が新しいい歌を次々に送り出していく一方、レコード会社専属の作家たちが作っていた歌はひとまとめに古臭いものに感じられていく。

専属作家の楽曲といっても、実態としてはジャズや民謡やハワイアンや声楽、それ以外にも雑多なバックボーンをもっており、ひとまとめにするにはだいぶ幅広すぎると思うんだけど、実際にひとまとめにされ、「演歌」というラベルを貼られることになった。

 

演歌の変容

1960年代後半からジャンルとして成立していく時期の、オーセンティックな演歌のイメージを代表する存在としては、北島三郎藤圭子が挙げられるだろう。

この2人に共通しているのが、北海道から上京して「流し」をやっていたということ。

北島三郎は渋谷を拠点に、藤圭子は浅草や錦糸町を拠点にしていたという。

 

流しというのは、ギターを抱えて酒場をめぐり、酔客のリクエストにこたえて歌を歌う仕事。

そこで身につけた地べたの美学とか匂い、そして酔客がリクエストしてくる曲のラインナップが、演歌というジャンルのコアにあるんじゃないかとにらんでいるんだよね。

場末の流しというフィルターを通すことで、民謡調もムード歌謡もロカビリーもお座敷唄も軍歌も、みんな演歌になったのではないかと。

 

「歌謡曲」や「流行歌」 と呼ばれて、日本の大衆音楽のど真ん中にいた歌(written by 専属作家)が、ど真ん中の地位を脅かされ、「じゃないほう」をカテゴライズする言葉として「演歌」と呼ばれるようになったその過程で、地方から上京して酒場で流しをやっていた2人の歌手が下積み時代に見てきた世界が濃厚に取り込まれたんじゃないかって思ってる。

 

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演歌マンガの名作『俺節』でもギター一本で流しをやる下積み時代が描かれている

 

さらに時代が下って1990年代になると、日本の大衆音楽のど真ん中にJ-POPがやってくる。

 

そのタイミングでも、それまでは演歌とは違うものだったはずのいくつかの音楽ジャンルや作家たちが「じゃないほう」として演歌側のカテゴリに取り込まれたりした。

具体的にいうと、フォーク/ニューミュージックと呼ばれていた人たちの一部(堀内孝雄とか)や、ハワイアンやラテン音楽のバンドを出自にもつようなムード歌謡の界隈(和田弘とマヒナスターズ内山田洋とクール・ファイブなど)のこと。

しかし、かつてはフォークもラテンも、演歌みたいな田舎臭い音楽じゃない、洋楽的で都会的な洗練された若者むけの音楽だったわけで、そう考えるとすごく興味深い取り込まれ方だよね。

 

まあとにかくこんな感じで演歌というジャンルは、自在にその定義を拡大させつつ、時代時代の「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」というニーズにこたえていく存在になった。

 

なので2020年までくると「演歌」というジャンルには、ものすごくいろんなものが含まれている。

 

2020年の演歌

2020年3月1日の朝日新聞土曜版の全面広告に、「いま何が演歌なのか」の正解があらわれていた。

 

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これ、『昭和の演歌 大全集』というタイトルのCD12枚組のボックスセット。

つまりこれぜんぶ演歌とカテゴライズされているのである。

 

時間がある方はぜひ画像を拡大して見ていただきたんだけど、ここまでお話ししてきたように、1960年代前半ぐらいまでの専属作家の楽曲がけっこう雑多に詰め込まれている。

 

ジャズの出自をもち都会的な「低音の魅力」が売りだったフランク永井の「有楽町で逢いましょう」も、ナイトクラブ出身のアイ・ジョージによるアメリカンポップスな「硝子のジョニー」も、スチールギターウクレレを擁するハワイアンバンドである和田弘とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」も、2020年には「演歌」になってしまった。

 

これも演歌…なのか…

 

やはり、「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」という人のための歌を総称して「演歌」と呼んでいるフシがあるな。

 

そしてこの広告の感じや選曲からして、ターゲットは70代後半以上(戦前戦中生まれ)だと思う。

 

ということはですよ、あと5年もしたら団塊の世代むけに演歌のボックスセットがリイシューされるはずで、そのボックスセットではまた新たな演歌のカテゴライズが見られるであろう。

そして、団塊の世代むけの演歌ボックスセットには、「時には母のない子のように」とか「悲しくてやりきれない」あたりが入っていても全然おかしくないと思う。

 

だったら2035年にリリースされる新人類むけの演歌ボックスセットには「乾杯」とか「冬の稲妻」が入るかもしれない…!

 

そして2045年にリリースされる団塊ジュニアむけの演歌ボックスセットには、「未来予想図」とか「Forever Love」が入ってきたりして…!

 

 

いやこれ半分まじめに言ってますよ。

だってさ、フランク永井アイ・ジョージやマヒナスターズも50年たつと演歌にされちゃうんだよ。

それに、われわれも70代とかになったら、「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」ってなるもん絶対に。

そうなったらもう演歌の手のうちに落ちてるも同然。

 

演歌って、昔からそこにいますよみたいなシレッとした顔をしてるくせに、実はロックとかよりも新しいジャンルだし、ここまでみてきたように定義も時代によって変わっていってて、なんだかんだ滅びずにしぶとく生き残っている。

 

 

たとえ未来のある時期にJ-POPが滅んだとしても、演歌は生き残ってるんじゃないだろうか。

「演歌は日本の心」だというけれど、その白々しさやプリンシプルのなさゆえの強さはたしかに日本っぽいかもしれない。