森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

1997年の売れたいロックバンドが考えていたこと

批評家の矢野利裕くん、構成作家の森野誠一さんとわたくしハシノの3人でLL教室というユニットを組んでいまして。

90年代のJ-POPについて語るトークイベントを定期的に開催しているのですが、次回は11月10日(日)に1997年を中心に語る回をやります。

 

そこで今日は、イベントの予習みたいな意味もこめて、1997年の西宮の丘の上から見えていた景色のことをいろいろと。

 

私大文系3回生

1997年のハシノは関西学院大学社会学部の3回生。

私大文系のゆるい世界で、勉強もバイトもそこそこに、同じ学部のやつらと組んだバンドでの活動に夢中になっていた時期。


自分たちで曲を作ってライブハウスに出演してファンを増やして、っていう活動がそれなりに軌道に乗ってきて、当時拠点にしていた神戸スタークラブ(現在の太陽と虎)で自主イベントをやったりしていた。

 

活動が軌道に乗ってくると、たかが学生バンドマンではあったけど、いっちょまえに意識だけは高くなってくるわけで。

音楽に対する接し方として、純粋なリスナーというよりは同業者として考えるようになっていった。

 

リスナーとしても、大学生の特権を最大限に活用してライブハウスやクラブやレコード屋に入り浸り、カルチャーの空気を胸いっぱいに吸い込んでいたので、自分たちが時代の最前線にいるぐらいの全能感があった。

若さゆえの思い上がりが多分に含まれていることをだいぶ差し引いても、実際人生でもっともアンテナが高かった時期だったと思う。

 

当時やってたバンドは、1990年頃のインディーダンス(マンチェスター)の感じとケミカル・ブラザーズみたいなロックっぽい打ち込みを混ぜたみたいなUKな音を目指してた。

いかんせん技量やセンスの問題で、実際にアウトプットされていたものは結構違うものになっていたんだけど。

自分たちはストーン・ローゼズのつもりでやっていたことが、あるお客さんにインスパイラル・カーペッツみたいだねって言われたこともあったな。

これで伝わる人には伝わるかもしれない。

 


 

当時のトレンドは「洋楽を消化できてる」こと

当時の関西のライブハウス界隈はわりと泥臭いような、エンターテインメント色が強いバンドが目立っていた。

シャ乱Qがメジャーデビューしたのを追うように後輩バンドたちが同じく大阪城公園のストリートで活動していたり、吉本興業がアマチュアバンドの育成に手を出して今はなき心斎橋筋2丁目劇場で漫才の合間にライブをさせたり、そういう感じ。

われわれもみようみまねで大阪城公園2丁目劇場でライブやったりもしたんだけど、なかなか大阪的なノリが評価される場所では苦戦したもんだった。

 

ただいくら生意気なことを言ってても演奏が特にうまいわけでもなく、パフォーマンスに秀でているわけでもなく、ただただ、自分たちのセンスを過信してるのと、あとはルックスも武器になってるかな、ぐらいのところで戦おうとしていたんだから、今にして思うと頼りないことこの上なかった。

若さっていうのはほんとにおそろしいなと思う。

 

そして同世代や少し上のバンドには勝手にライバル意識を抱いていた。というより勝手に見下していた。
「こんなしょうもないバンドでもメジャーデビューできるのか」みたいな陰口はいつものこと。

 

あと新しく出てきたバンドが雑誌なんかでどのように評価されてるのかもすごく気になっていたもんだった。

それってつまり今のトレンドがどこにあるかを表してるわけで、そこに寄せていくつもりはなかったけど、とはいえ自分たちがハマっているかどうかにはどうしても敏感にならざるを得ないわけで。

 

だからすごくよく覚えてるんだけど、この時期の音楽誌に特有の評価軸として、「洋楽を消化できてる」「うたものロック」みたいなのがあったんですよ。

たとえばミスチルとかグレイプバインとかブリリアントグリーンあたりのバンドがそのような表現で褒められていた記憶がある。

 

どういうことかと言うと、洋楽ロックそのままの猿真似じゃなく、かといっていまだにバンドブーム臭のする古臭いドメスティックな音でもなく、日本人の琴線に触れるメロディと洋楽ロックのサウンドが上手にブレンドされてることが良しとされていたのです。

 

なるほど今はそういうのが評価されるのねって横目に見て、じゃあおれらがやってることもその路線に近いのでは?って思ってますます自信を深めたもんだった。

 

いやむしろ、そういうトレンドに対しても斜に構えていた気がする。洋楽ロック成分が多いとか言ってても実質単なるオアシスのパクリでしかないな!とか思っていたりした。

若さっていうのはほんとにおそろしいなと思う。

 

思い上がったまま関西の頂点へ

それなりに曲をたくさん作ったりライブをやりまくったりしたわれわれは、いよいよメジャーデビューとか音楽で食っていくとかそういうことを考えるようになった。

 

そして当時の関西でもっとも権威のあったバンドコンテストにエントリーする。

われわれが出場したのが第6回目で、それまでの歴代の優勝バンドはみんなメジャーデビューしているという、関西においてはこれ以上ない機会だった。 

 

東京と違って関西にはメジャーのレコード会社はなく、インディーズレーベルもそんなになく、だいたい当時はみんな自主制作でレコーディングするのが当たり前だった。

自主イベントやワンマンに100人ぐらい集める規模までいっても、関西で地道に活動している限りはそれ以上どうにもならなかった。

そんな時代だったもんで、このコンテストはメジャーデビューのほとんど唯一の機会のように見えていたもんだった。

 

たしか予選みたいなのがあって、選ばれた8組ぐらいがライブハウスでの最終審査に進むことになったんだった。

さすがに最終審査ともなると、演奏は自分たちより全然うまいバンドもいたし、自分たちよりもオリジナリティたっぷりの音楽性のバンドもいたし、流行しはじめていたミクスチャーをいち早く取り入れたバンドもいた。みんないいバンドだった。

 

だけど、グランプリに選ばれたのはわれわれのバンドだった。

伸びしろも加味した上での評価だったらしいが、こんなことになってしまうと思い上がった学生バンドがさらに思い上がるのは仕方がない。

 

その日、某超メジャーレコード会社のA&Rとかいう人が名刺をくれて、何曲かつくって持ってきてとか言ってくれた。

その会社は有望な若手に声かけるだけかけてほぼ飼い殺しにされるっていう噂がまことしやかに流れていたけど、そんな噂は信じなかった。

 

友だちはそろそろ就職活動にそわそわし始める時期だったけど、このまま音楽で食っていけると完全に思い込んでいたので、いわゆる就職活動というものは一瞬もやらなかった。

 

甘くなかった

グランプリにはなったものの、そのA&Rとかいう人とは何度か会って曲を聴いてもらったりしたんだけど、そこから話が進む気配がない。 

関西で一番権威のあるコンテンストで優勝してもメジャーデビューできないとなると、もうこっちから東京に乗り込んでいっちょ大暴れするしかないなということで上京。

 

そころが東京のインディーズシーンの壁は厚く、必死に足場を築いてるうちに疲弊してしまい、1年ちょっとでそのバンドは解散してしまった。

 

 

若いロックバンドを「洋楽を消化できてる」みたいに評価する風潮も、あまり長続きしなかった。

そういう評価のされ方をしていたバンドのほとんどは、スペースシャワーやFM局にちらっとプッシュされただけでそれ以上ブレイクすることはなかった。

 

思えば90年頃のバンドブームが終わってからの数年間で、はじめてのトレンドらしいトレンドだったわけで、売る側の大人たちとしても何とか大きな流れにしたかったのかもしれない。

たしかに、ビートルズ〜オアシスに通じる大きなメロディは日本人も大好きだし、実際ミスチルブリリアントグリーンのようなメガヒットも生まれたわけで、狙いとしては悪くなかったと思う。

 

ただ、次世代を担うバンドたちは98年頃にはもう次のことをやろうとしていて、たとえばナンバーガールくるりクラムボンといった新しいバンドが中心となって流れを変えていくことになる。

97年といえばフジロックAIR JAMが始まった年でもあり、メロコアスカコア、ミクスチャーのシーンがここからめっちゃ盛り上がってくるし。

スペースシャワーやFM局を情報源にしてる若い人たちの志向もそっちに寄っていったのかもしれない。

 

「ロックバンドで売れる」をやるときの戦い方において、わりと大きなゲームチェンジがこのあたりで発生したのかなと思っている。

で、このとき生まれたモードが、現在も続いてるという認識。

 

イベントでお待ちしてます 

以上、あくまで関西から見えていた景色ではあるけど、1997年頃のロックバンドが何を考えてあがいていたかのサンプルのひとつとして見ていただけるとありがたいです。

 

このあたりのことも踏まえて、イベントではもっと掘り下げていくかもしれない。

森野さんが勝手に名付けた「ミスチルフォロワー御三家」も、興味ある方がいればイベント限定で教えますね。

 

あとなんといってもこの日はすごいゲストをお招きしているので、たっぷり語っていただければと思っています。

ゲストは、エビ中、V6、岡崎体育バナナマンバカリズム東京03といったすごい人たちへの楽曲提供、そしてあの「ゴットタン 芸人マジ歌選手権」の数多くの楽曲を作ってきた、「謎の音楽家」カンケさん!

 

カンケさんは1997年にアーティストとしてデビューされていて、そのあたりのこともじっくり伺いたいです。

 

ご予約は下記サイトからどうぞ。

こじんまりしたハコなのでお早めに!

www.velvetsun.jp

 

 

<おまけ> メンバーのその後

解散後のメンバーそれぞれの活躍っぷり。

学生気分のバンドはあそこで終わっといて正解だったのかもね。

   

 

 

 

 

実はたくさんあったビートルズの日本語カバーBest10+1(全部知ってたらすごい)

映画「イエスタデイ」が公開されたり、アルバム『アビイ・ロード』の最新リマスター版がリリースされたりと、久しぶりにビートルズが話題になった2019年秋。

 

 

そして来年(2020年)には解散から50年という節目を迎える。

 

これから世の中にいろんなビートルズ企画が出回ることであろうが、これは他ではやらないだろうという、ビートルズの日本語カバーの世界という切り口はいかがでしょうか。

 

ご存じの通りオリジナルの歌詞によるカバーはめちゃめちゃ多く、今も増え続けているんだけど、実は日本語の歌詞で歌われているものもあったりする。

 

現在では権利者の意向で歌詞を変えてリリースすることはNGになっているらしいので、新たにビートルズの日本語カバーがリリースされる可能性は限りなく低いんだけど、過去にはバラエティに富んだバージョンがたくさん存在した。

 

原曲がリリースされた数ヶ月語に出たというリアルタイムのものから、新しいものでは90年代まで。原曲に忠実なアレンジから、音頭まで。

 

個人的おすすめ度ベスト10をカウントダウン形式で発表!

 

 


 

 

第10位 近藤真彦「抱きしめたい」

マッチこと近藤真彦の17歳の誕生日を記念してリリースされた企画版「17バースデー」に収録された、「抱きしめたい(I want to hold your hand)」の日本語カバー。

自分が生まれた1964年にヒット曲したとして「抱きしめたい」をカバーしたという趣向である。

 

日本語詞は、原曲がリリースされた直後に出たスリーファンキーズによる日本語カバーバージョンと同じもの。

書いたのは、60年代前半に数々の日本語カバーの歌詞を手がけた漣健児。

 

当時、歌手デビュー2年目のマッチ。この年の「ギンギラギンにさりげなく」でレコード大賞新人賞を受賞するという、フレッシュな盛り。

ビートルズへの興味やリスペクトは正直特にありませんっていう若いノリがすがすがしい。

 

CDやストリーミングにはなっていないので、ほしい方はがんばってレコードを探してみてください。特に高値にはなっていないはず。 

 

第9位 田中星児「オブラディ・オブラダ」

「ビューティフル・サンデー」の大ヒットでも有名な、NHKおかあさんといっしょ」の初代うたのおにいさん。

 

「オブラディ・オブラダ」は、1974年にフォーリーブスNHKみんなのうた」で取り上げて以来、日本ではキッズ向けソングとしての性格が強い。

最近では杉浦太陽もカバーしてたりするんだけど、カリビアンな雰囲気がもっとも出てる田中星児バージョンで。

 
 

 

 

第8位 ガロ「ビコーズ」

1972年の「学生街の喫茶店」が世代を代表するヒット曲となったフォークグループ、ガロ。

グループサウンズからフォークへの時代の変わり目にリリースされた「学生街の喫茶店」は、タイガースへの楽曲提供で名を挙げたすぎやまこういちが作曲、編曲は スパイダースの大野克夫というGS人脈。

 

セカンド・アルバム『GARO2』において、『アビイ・ロード』のB面を美麗に飾る「ビコーズ」を、本家に負けじとカバー。

 

 

第7位 HIS「アンド・アイ・ラヴ・ハー」

細野晴臣忌野清志郎坂本冬美という、ジャンルを超えた異色の3人によって結成されたユニット、HIS(ほその・いまわの・さかもとのイニシャル)。

 

学生服に身を包んだ細野と忌野、そしてセーラー服の坂本冬美という衣装も印象的だったけど、細野晴臣っていう時代の最先端を行ってるような人が、演歌っていうダサいおじさんの音楽をやってる坂本冬美と組んだっていうことに当時かなりびっくりさせられたんだった。

 

1991年にリリースされた唯一のアルバム『日本の人』において、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」を日本語でカバーしている。

日本語詞を書いたのは忌野清志郎

 

第6位 大場久美子「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」

1978年の「コメットさん」役で大ブレイクしトップアイドルとなった「一億人の妹」大場久美子

「スプリング・サンバ」など初期のいくつかのシングル曲は、ロリータ感のある歌いっぷりとファンキーな編曲で今も人気が高い。

 

1979年にリリースされたベスト盤『Kumikoアンソロジー』の冒頭を飾っているのが、破壊力抜群の「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」および「With a Little Help From My Friends」の日本語カバー。そう、本家と同じ流れ。

 

原曲にないイントロに続いて、分厚いコーラスが特徴的な「Sgt.Pepper's〜」がはじまり、続いて「With a Little Help〜」からは大幅にアレンジが変わり、さらにもう一度「Sgt.Pepper's〜」に戻ってくるんだけど大場久美子はどっかに行ってしまいコーラス隊が最後まで歌い切るっていう構成。

 

ビートルズのカバーの話題になったときによくネタとして出てくるので、ご存じの方も多いだろうか。

 

 

第5位 小山ルミ「カム・トゥゲザー」

和モノDJが血眼になって探してるキラーチューン「あなたに負けたの」「グット,,がまんして!!」などで知られる小山ルミ。

さらにはカルト歌謡曲横綱スナッキーで踊ろう」のバックコーラスをつとめるスナッキーガールズの一員でもある。

 

そんな彼女が1973年にリリースしたのが、全曲ビートルズの日本語カバーという、その名も「ビートルズを歌う」というアルバム。

どの曲もすばらしいんだけど、特に原曲から遠く離れた日本語詞がイカす「カム・トゥゲザー」を選びたい。ヒッピーの彼氏を自慢するっていうオリジナルな歌詞を書いたのは千家和也

 

 

 

第4位 東京ビートルズ「キャント・バイ・ミー・ラブ」

ビートルズの日本語カバーの話になると外せないのが、この東京ビートルズ。 

 

「抱きしめたい」がアメリカのチャートで1位になったというニュースが日本にも伝わり、どうやらビートルズっていうのが人気らしいぞって話になるやいなや、嗅覚の鋭い芸能事務所によって結成されたグループ。

前述の漣健児による日本語詞でビートルズの日本語カバーを4曲リリースしている。

 

その中でも「買いたいときにゃ金出しゃ買える」の江戸弁がおもしろい「キャント・バイ・ミー・ラブ」を。 

 

第3位 上々颱風「Let it be」

沖縄の三線の弦を張ったバンジョーを弾くリーダーの紅龍を中心に結成された音楽集団。

沖縄民謡、レゲエ、江州音頭、ラテン、ルンバなど世界中の音楽を雑多に取り込んだ「ちゃんちきミュージック」は唯一無二。

 

映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の音楽やJALの沖縄キャンペーンソングなどでお茶の間にも知られた。

1991年のアルバム『上々颱風2』において、大ネタ「Let It Be」をちゃんちき感たっぷりに日本語カバー。 

 

第2位 金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」

紅白歌合戦にも出場した民謡歌手の金沢明子がこぶしを利かせまくって歌う「イエロー・サブマリン音頭」は、かの大滝詠一プロデュースによるもの。 

クレイジーキャッツ的なコミックソングビートルズを同じレベルで愛する大滝詠一だからこそ作り出せた、世界に誇る日本語ビートルズ

日本語詞を書いたのは、はっぴいえんど時代からの盟友、松本隆

 

 

第1位 桜田淳子「デイ・トリッパー」

オーディション番組「スター誕生!」からデビューのきっかけをつかみ、森昌子山口百恵とともに「花の中三トリオ」として一世を風靡した桜田淳子

10代とは思えない歌唱力、ドリフとの絡みもバッチリなバラエティ対応力、秋田弁という飛び道具もありで70年代に大活躍した。

その実力はライブアルバムではっきりと確認することができる。「マキタスポーツ ラジオはたらくおじさん」に出演させてもらったときにも紹介した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」での客いじりなんて、17歳とは思えない。

 

1976年の中野サンプラザ公演を収めた『青春賛歌 桜田淳子リサイタル3ライブ』では、英語詞の「ビートルズ・メドレー」や、日本語詞の「イエスタデイ」「ラブ」など聴きどころが満載。

特にすばらしいのが「デイ・トリッパー」で、バックバンドのキレッキレの演奏もあいまって最高なんですよ。

 

 

 

殿堂入り 松岡計井子「ハード・デイズ・ナイト」

1970年代から渋谷ジァン・ジァンを拠点に、ビートルズおよびジョン・レノンの日本語カバー専門で歌い続けている松岡計井子。

凄みのある歌唱と原曲に忠実なアレンジで、「ドント・パス・ミー・バイ」とか「アイヴ・ガッタ・フィーリング」といったあまり他の歌手が手をつけないマニアックな曲まで幅広く取り上げている。

この人の存在じたいが日本語ビートルズそのものということで、殿堂入りとさせていただいた。

 

いろいろ紹介したい曲は多いが、1曲となるとこれかな。

 

 

 

 

 

松岡計井子 ビートルズをうたう

松岡計井子 ビートルズをうたう

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

ビートルズマニアの諸兄姉にあらせられましても、もしかしたら未チェックのものがあったのではないでしょうか。新たな発見になっていれば幸いです。

 

また、これからちゃんとビートルズを聴こうと思われてるみなさまには、もしかしたら余計な寄り道をさせてしまったかもしれない。

だけど、寄り道がこんなに豊かになってしまってるのもビートルズの奥深いところ。間接的にでもそういうのが伝わっていれば幸いです。

 

 

ところで、ビートルズの奥深さといえば、なんと10年以上に渡ってビートルズしかかからないラジオ番組があって今も続いているという。

ラジオ日本をキーステーションに全国にネットされている「THE BEATLES 10」という番組なんだけど、毎週リスナーからのリクエストに基づいてベスト10を発表し続けてるんだよ!50年前に解散したバンドの!ベスト10を毎週!

(この記事がベスト10形式にしてあるのも実は「THE BEATLES 10」に敬意を表してのこと)

 

そんなヤバい番組のパーソナリティをずっと務めている「謎の音楽家」カンケさんをゲストにお招きして、トークイベントをやります。

 

 

テレビ東京「ゴッドタン」の「芸人マジ歌選手権」の数々の名曲の生みの親でもあるカンケさんと一緒に、バラエティ番組初のヒット曲が多数生まれた1997年のJ-POPをがっつり語ります。

あと1997年といえば、「アンソロジー」以降のビートルズ再評価ブームが、ミスチルやそのフォロワーたちを通じてJ-POPシーンに影響を及ぼしまくっていた時期でもある。

そのあたりについてもじっくりお伺いしたい所存。

 

マジ歌好きな方、ビートルズ好きな方、90年代J-POPが好きな方、ぜひお越しください!

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/14/Kanke_Picture.jpg/440px-Kanke_Picture.jpg

 

アイドルが結婚しても推せるか問題を上院公聴会のディー・スナイダーとか比叡山の沢田研二とかから考える

最近、現役アイドルが結婚を発表する事例が続いている。


Negiccoでんぱ組.incもどちらも現役バリバリの人気グループであり、おふたりとも立ち位置は真ん中の重要人物。

アイドルというビジネスモデルは、ファンが抱く疑似恋愛感情のパワーをマネタイズすることで回っているという側面が強いわけで、推しが人妻であるという事実は、ただでさえバランスを欠いた片思いの構造が一気にぶっ壊れかねない。

 

しかし、このおふたりのそれぞれのオタクたちの言動を見ていると、批難どころかむしろ祝福するムードが支配的だったりする。

 

これは一体どういうことなのか。

アイドルのあり方が劇的に変わりつつあるということなのか。

 

とある事情からアイドルと結婚というテーマに関しては一家言あるので、今回はこの件について考えてみたい。

 

昭和のピュアな視聴者

アイドルのあり方がこれから劇的に変わっていくかもしれないという話を考えるにあたり、参考にしたいのが、すでに劇的に変わった存在たちのこと。

 

たとえば、リングの上で卑怯な反則攻撃を繰り返していた昭和の悪役レスラーは、観客から結構マジで憎まれていた。

ダンプ松本率いる極悪同盟は、クラッシュギャルズのファンから生卵やカップ麺を投げつけられたとか。

アイドルを推す気持ちとは180度ちがうんだけど、どちらも舞台の上の虚構の世界に対して投げかけられる気持ちの強さを原動力にして成り立っているという意味では同じ。

 

他にも、おもに悪役を演じることが多い俳優は、役柄上だけでなく人間性そのものからして悪そうだっていうイメージを身にまとっていたし、漫才コンビのボケ役に向けられる笑いは、こいつほんとにバカだなっていう嘲笑みたいな目線も多分に含まれていた。

 

それがいつの頃からか、悪役レスラーのほうが実は人格者が多いとか、コワモテの俳優がプライベートではファンシーな趣味を持ってるだとか、漫才コンビのボケ役がクイズ番組で博識ぶりを見せつけたりだとか、そういうのが当たり前になった。

 

平成の初期ぐらいだと、トーク番組でそういったプライベートの顔を同業者に暴露されたりすると、「おいやめろ、営業妨害だぞ」みたいな言い方でツッコミを入れる姿がまだ見られたもんだった。

つまり、コワモテのイメージが自分のブランディング上とても重要であり、ファンシーな面はそのイメージを毀損するから営業妨害だっていう共通認識が演者にも視聴者側にもあったからこそ、そういうツッコミが成立したわけ。

ツッコミとして機能するってことはこの時点でもう半分ギャグにはなってるんだけど、それでも前提となる共通認識はあった。

 

だけど、令和の世の中ではそういう暴露がブランディング的にマイナスだっていう、そういう前提すらもう通じない。

カズレーザーがクイズ番組で大活躍したからといって、なんだよバカだと思ってたから笑ってたのにほんとは賢いなんて騙された!なんてこと言う視聴者はさすがにいないよね。

 

またメタルの話してもいいですか

ヘヴィメタルという音楽ジャンルも、プロレスやアイドルとすごく近い構造を持っていると思っていて。

 

ヘヴィメタルは、悪魔崇拝だとか、暴力だとか、そういう不道徳なイメージを身にまとっていたからこそ、世界中のキッズを夢中にさせたことは間違いない。

 

ヘヴィメタルの生みの親のひとりであるオジー・オズボーンがステージ上で生きたコウモリを食いちぎった事件をはじめ、80年代のメタル黄金時代って、ふつうの良識ある大人が顔をしかめるようなイメージに彩られてる。

 

 

というか、大人たちは顔をしかめるにとどまらず、子どもたちから不道徳なものを取り上げようという動きも実際にあったほど。

 

1985年のこと。

アメリカのある上院議員婦人が政治家達を巻き込んで、過激な暴力や性的な表現のある歌詞をラベリングして子どもたちが触れないようにすることを目指し、PMRC(ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)という委員会を設立した。

 

PMRCは、プリンスやシンディ・ローパーやマドンナといったポップスターに加えて、ジューダス・プリーストモトリー・クルーやトゥイステッド・シスターといったメタルバンドたちも槍玉に挙げていく。

そしてついに、こういった歌詞をどう扱うべきかについて議論すべく、有識者を招いて公聴会が開催された。

 

その公聴会に出席したトゥイステッド・シスターのディー・スナイダーは、自分の音楽を吊るし上げようとする委員会のメンバーに対してこう自己紹介した。

 

「私は30歳の既婚者で、3歳の息子がいます。クリスチャンとして育ち、今でもこの教えを守り続けています。信じられないかもしれませんが、私は煙草も酒もドラッグもやらない。ヘヴィメタルに分類されるトゥイステッド・シスターというロックンロールバンドの曲を演奏するし、作詞もしている。私は先に述べた自分の信念に基づいて作詞している曲を誇りに思っています」

PMRC - Wikipedia

 

つまり、ヘヴィメタルバンドとして打ち出してる「不道徳な」世界観と、ひとりの人間としての自分のパーソナリティは別物で、それぞれに誇りを持っているということ。

こういうことわざわざ口に出すのって、まあ言ってしまえば相当に野暮なことなんだけど、わざわざ口に出さざるを得ないほどの状況だったということでしょう。

「言わせんなよ」って。

 

映画「レディ・プレイヤー1」でも効果的に使われた、彼らの代表曲。

 

このディー・スナイダーの話、今となってはなんてピュアな時代だったのかって思う。

当時も今もヘヴィメタルに顔をしかめる大人はたくさんいるけど、さすがに当時のような野暮な追求はされなくなってるでしょう。

 

ヘヴィメタルバンドのメンバーであることと良きアメリカ市民であることが両立しうることを疑うようなピュアな人はもうほとんどいない。

 

であれば、悪役レスラーやヘヴィメタルや漫才師の身に起こったことが、これからアイドルにも起こるんじゃないかなって。

NegiccoのNaoさんやでんぱ組.inc古川未鈴さんがアイドルという仕事の性質上振りまいている疑似恋愛的な世界観と、人妻であるということは別に矛盾しないと考えられる人が多数派になってくるはず。

 

ガチ恋」という概念

アイドルオタク用語に「ガチ恋」というものがある。

 

一般的なオタクがあくまでいちファンとしてアイドルを推しているのに対し、その一線を越えて、本気で恋愛感情を抱いてしまったヤバい奴またはその状態を指す言葉。

 

それが転じて、「推しが好きすぎてもう冷静でいられなくなってる俺」を自嘲する意味合いで使われるようにもなってきた。

これって象徴的だなって。

 

現在のアイドル文化に理解がない人ほど、アイドルオタクは全員ガチ恋だと思いこんでるフシがありますが、実際には圧倒的多数のオタクは節度をもって推しているし、一部の熱狂的なオタクであっても、ガチ恋化して距離感がおかしくなることはなく、ただただつぎ込む金額が増えていくだけ。

 

悪役レスラーは、与えられた役割通りに暴れてるだけであって、悪いのはこのリングの上だけなのだ、という当たり前すぎることも、昭和のピュアな観客は理解するのに時間がかかった。

平成のピュアなアイドルオタクも、恋愛禁止で清く正しく歌い踊っているこのアイドルは、24時間365日ずっと清く正しいわけではないということを受け入れるのが難しかったかもしれない。そもそも「清く正しい」をアイドルに求めるかどうかという問題も別であるんだけど。

 

しかし、ガチ恋を自認する強めのオタクであっても、いや、だからこそ、推しの結婚は祝福できるっていう、それが令和なんじゃないでしょうか。

 

比叡山沢田研二

最後に、現役アイドルのまま結婚を発表した事例の大先輩である、ジュリーこと沢田研二のエピソードをご紹介します。

 

60年代にグループサウンズの大ブームを代表するグループ、ザ・タイガースのフロントマンとしてデビューし、国民的アイドルとなったジュリー。

ソロに転じてからもあいかわらずスターだった彼は、1975年に京都の比叡山でやったフリーコンサートの際に、結婚についてファンに報告する。

 

そのときに語った言葉。

どうもありがとうございます。

6月の4日にわたくし結婚いたしました。

いろいろとファンの皆様方、いろんなふうにお受取りのこととお思いますが

これは事実、事実は事実としてみなさんには受け止めていただきたいし、かといって、僕自身が結婚ぐらいのことで変わるということはありえないということを、みなさんにはぜひぜひ信じていただきたいと思います。

別に、結婚したことなんてという具合に、別に僕の妻に対して無碍に扱うとかそういう気持ちは毛頭ありませんが、やはり、僕と妻との関係よりも、思い起こせばタイガースをスタートして、PYGそして現在まで、ファンのみなさんと僕たちのつながり、僕たちの関係というのは、妻にも犯しがたいものがあるんじゃないかと僕自身も思うんです。

ですから、これからも変わらず歌手である沢田研二、またジュリーを応援していただきたいと思います。

 

もちろんピュアな昭和のファンの中にはこれ聞いて号泣する子もたくさんいたであろう。映像でも確認できる。

「妻」っていう言葉に反応してキャーキャー騒いじゃったりしていて、それもなんていうか保健体育の授業をうけてる女子中学生みたいなノリなんだけど、それでもジュリー自身が伝えたいメッセージは、そこそこ届いたんじゃないだろうか。

 

これほんとNaoさんや古川未鈴さんの件でもまんま通じるいい語りかけだなーって思いました。

さすがジュリー。時代を先取りしすぎ。

 


エルトン・ジョン「君の歌は僕の歌(Your Song)」の昭和・平成・令和のカバー10曲を聴き比べてみた!〜映画『ロケットマン』公開記念

エルトン・ジョン本人が監修した伝記映画『ロケットマン』が大ヒットしてますね。

 

 

エルトン・ジョンといえば、1970年から現在に至るまで、数々の名曲と数々の奇行でイギリスをはじめ全世界をの注目を集めてきたスーパースター。

 

この映画『ロケットマン』は、そんな数々の名曲と数々の奇行の影にあったエルトン・ジョンの成長や苦悩、家族や友人との関係をミュージカル仕立てで描いている。

 

数々の名曲のなかでも特にずば抜けて有名なのが「Your Song」。

映画でも描かれているように、この曲は作詞担当の盟友バーニーから歌詞をもらったエルトンが、その場で一気に書き上げたらしい。

 

日本でも、「君の歌は僕の歌」という邦題で昔から好まれてきた曲。

特に、歌いこなすためにはそれなりの技量が求められるこの曲は、歌唱力に自信のある歌手にたびたび取り上げられてきた。

そしてまた映画『ロケットマン』をきっかけに、新たなファンがこの曲を知ることに。

 

そこで今日は、昭和〜平成〜令和を股にかけて、日本人による「君の歌は僕の歌(Your Song)」のカバー10曲を聴き比べてみます。

あえて時系列はバラバラにしたよ。

 

山崎まさよし

山崎まさよしについて好き嫌いは否めないという人でも、「Your Song」を嫌いという人はあまりいないかも。 

2007年リリースのカバーアルバムで「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」「デイ・ドリーム・ビリーバー」などのド定番と一緒に取り上げられている。

ご本人いわく「素材の美味しさをそのままに」ということで、あのズルい声とアコギ、ストリングスという編成でしっとりカバー。

COVER ALL-YO!

COVER ALL-YO!

 

 

BENI

2004年、安良城紅としてデビューしその後BENIに改名。

2008年に童子Tの「もう一度… feat.BENI」で着うたダウンロードナンバー1になったり、サッカーの国際試合の試合開始前に「君が代」を歌ったりと、歌唱力に定評のあるR&Bディーヴァ。

 

この方が2013年のソニー生命のTVCMで「Your Song」をカバーしてる。

保険のCMってだいたい、結局はお金の話っていう世界を極限まで「きれいごと」のオブラートでくるんで作られてるわけで、「Your Song」の誠実そうなたたずまいは最高のオブラートとして機能していてすばらしい。

帰国子女なので歌詞はもちろん原曲どおり。

 

 

 

藤田恵美

藤田恵美と言われてもピンとこないかもですが、「ひだまりの詩」で1997年の紅白歌合戦にも出場した夫婦デュオ、ル・クプルの方です。

ル・クプルを解散し離婚もされた後の2010年にリリースしたカバーアルバムで、「Your Song」を取り上げてる。

このアルバムがきっかけでアジア圏でブレイクしたらしい。

老人と子供のポルカ」の子供コーラスとして歌手デビューし、最初は演歌歌手、そしてル・クプルを経てソロにという数奇な運命はまだ継続中。

 

ジローズ

1971年の「戦争を知らない子供たち」でおなじみのフォーク・グループ。

高石ともや岡林信康フォーク・クルセダーズなどを中心に独特のシーンを形成していたいわゆる関西フォークのシーンから登場したジローズが、1972年の解散コンサートで「Your Song」をカバー。表記は「君の唄は僕の唄」となっている。  歌詞は原曲どおり。

ギター2本のシンプルな編成ながらわりとテクい演奏で、当時の京都の大学生あがりのミュージシャンのレベルの高さがうかがえる。

 

 

 

ABC Project feat. 巡音ルカ

2010年前後、ニコニコ動画を中心に隆盛を誇ったヴォーカロイド。

その中でも英語の発音がよいと定評があった巡音ルカを使って、2011年に洋楽カバーアルバムがリリースされた。

「見つめていたい」「タイム・アフター・タイム」「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」などド定番のトラックリストに、「君の歌は僕の歌」の名前も。

今となっては懐かしさすら感じさせるヴォーカロイドの質感。

 

 

 

みやぞん

映画『ロケットマン』の流れで発表された、レディー・ガガエド・シーランやコールドプレイなど豪華メンツが参加のエルトン・ジョンのカバーアルバム。

そのアルバムの宣伝のため、なぜか芸人みやぞんがピアノでこの曲をカバーした動画が作成された。

レディー・ガガの「Your Song」をそのまま使えばいいように思うんだけど、最近の映画の宣伝と同じ感じで、洋楽に興味がない層にアピールするための仕掛けだったりするんだろうか。

おかげで日本語カバーのコレクションがひとつ増えたので、どこか知らないけど代理店には個人的にお礼を言いたい。

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NICOTINE

日本を代表するメロディック・パンクバンドのひとつ。

このジャンルにおいては、伝統的に過去のポップソングをパンクアレンジでカバーする風習がある。

ハイ・スタンダードがベイ・シティ・ローラーズエルビス・プレスリーをカバーした頃までは、おっさん世代の曲をハックする感覚というか批評精神みたいなものがあった気がする。

それ以降はどうなってるかよくわかりませんが、2004年リリースの全曲カバーというこのアルバムには、「Your Song」のどパンクなカバーが収録されてる。

DISCOVERED

DISCOVERED

 

 

ガガガSP

日本のパンクバンドによるカバーもう1曲。

神戸出身のガガガSPは、2000年頃のいわゆる「青春パンク」のブームで人気を博したバンドのひとつだが、当時流行ったフォークソングのカバーの中でも他のバンドが割と上っ面な選曲なのに対して、高田渡自衛隊に入ろう」を取り上げるなど一味違う感じがした。アルバムタイトルも岡林信康オマージュだったし。

で、2002年のアルバムで「君の歌は僕の歌なのさ」というタイトルで日本語カバー。青春パンクの面目躍如といった甘酸っぱい歌詞が印象的。

 

 

五輪真弓

1980年の「恋人よ」のメガヒットで有名なシンガー・ソングライター

しかしそれ以前は「和製キャロル・キング」とでもいうべき作風で、かっこいい曲多数。機会があればぜひチェックしてほしい。

2003年にリリースされたカバーアルバムで「Your Song」をカバー。本人による日本語の歌詞は、原曲のメッセージを活かしつつ直訳ではない独自の内容に。

 

動画は、歌番組(詳細不明)での清水ミチコとの共演。

 

 

 

田中星児

「ビューティフル・サンデー」の日本語カバーの大ヒットで有名な田中星児は、現在も続くNHKおかあさんといっしょ」の初代うたのお兄さんでもある。

また1970年からNHKで放送されていた「ステージ101」という音楽番組のレギュラー出演者でもあり、 その番組で洋楽の日本語カバーをたくさん歌っていた。

その中の1曲として「君の歌は僕の歌」をしっとりと歌い上げている。

岡田冨美子による日本語詞は、「もしも僕が○○だったら〜でも僕にできるのはこの歌を作ることだけ」という原曲の骨子を残しつつ想像力をさらに展開させてる内容。

後にソフトロック文脈で再評価されたステージ101の編曲がまたいい感じ。

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

時代を超えて愛される名曲だなってことと、だいたいみんな余計なことはせず素材の味をそのまま活かしてカバーしてるんだなって思いました。

上記以外にも西野カナミスチルもカバーしたという情報もあるし、まだまだありそう。

 

書評:『80年代音楽解体新書』スージー鈴木

音楽は魔法というより科学に近い

最近読んだ本のなかでかなり刺激を受けたのが、「80年代音楽解体新書」という、音楽評論家のスージー鈴木さんがウェブで連載していたものを一冊にまとめたもの。

 

80年代音楽解体新書 (フィギュール彩 ? 1)

80年代音楽解体新書 (フィギュール彩 Ⅱ 1)

 

 

この本の魅力をひとことでいうと、音楽は魔法というより科学に近いんだってことを教えてくれるところです。

 

これまでの音楽評論は、音楽が魔法であるかのように語ってきすぎたんだと思う。

悩み多き環境で育って常人とは違う感性をもった天才が、「降りてきた」メロディを紡いで、常人には理解の及ばない工程を経てレコードになっている、かのような。

 

それに対して、この本の著者であるスージー鈴木さんは、音楽というのは実はいくつかの要素の組み合わせであり、その要素は再現可能だったりするということを説こうとしている。

再現可能っていうのはつまり、数百万円するビンテージもののレスポールであろうが音楽室のボロボロのガットギターであろうが、sus4のコードを弾けば同じ響きが得られるということ。ティン・パン・アレイを従えた荒井由実であろうが駅前のビッグエコーにたむろする女子高生であろうが、歌の途中で半音上に転調したときの高揚感は同じだということ。

 

科学の世界においても、論文に書かれた実験結果は、誰がやっても同じ結果になるからこそエビデンスとして採用してもらえる(STAP細胞には再現性がなかった)わけで。

それに対して、魔法っていうのは工程がブラックボックスだし再現性がなく、属人的。

 

長らく音楽というのはそういう魔法っぽいものだとして語られてきたんだけど、ではなぜスージーさんは音楽評論を科学として語ることができているのか。

他の人はそれをやらない(やれない)のか。

 

ミュージシャン同士はどんな言葉で話しているか 

思えば自分が中高生の頃はインターネットもなく、おもにラジオや音楽雑誌で情報を仕入れていたもんだった。

音楽雑誌では、「ジェネレーションX世代のアイデンティティのゆらぎを象徴するかのようなダウナーな音像」みたいな言葉で新譜が紹介されていて、よくわからないなりにそういうもんかと思って聴いていた。

 

だけど、やがて自分で楽器を手にして、またバンドを組んで活動してくようになると、それまではひとつの音の塊としてしか聴こえていなかった楽曲が、ひとつひとつの楽器がどんなフレーズを弾いているのかバラバラに聴こえるようになり、リズムに対する解像度が上がり、コード進行に仕掛けられた工夫がわかるようになり、プレイヤーの技術でどれぐらい違いが出るのかがわかるようになってくる。

 

そうやって音楽の作り手としての言葉をどんどん獲得していったことで、ミュージシャン同士で音楽について話すときもそういうボキャブラリーが主になってくる。

「あの曲じつは間奏で転調してる」「上のコードが変わっててもベースだけずっと同じフレーズ弾いてる」「あのベーシストの前のめりなリズム感いいね」みたいな。

 

機材、コード進行、リズムのとり方など、それぞれに興味のある範囲は違っていても、音楽雑誌に書かれているような話よりも断然具体的だし客観的だしロジカル。

つまり科学。

 

ごく一部の詩人タイプのヴォーカリストとかを除けば、ほとんどのミュージシャンはどちらかというと自分を魔法使いだと思っておらず、作品に込めた思いとかよりも、レコーディングの機材のことや作曲やアレンジで工夫したことを話すほうが楽しい科学者タイプだったりする。

 

既存の音楽評論が音楽を魔法扱いしてきたわけ

音楽を構成するいろんなパーツは、それぞれ個々に見ていくと純然たる科学の領域なんだけど、これまで音楽評論ってそういうところをあまり語ってこなかった。

 

もちろん、アーティストのパーソナルな部分を掘り下げて記事にすることも大事だと思うし、そういうの読むのも好きなんだけど、それだけだと伝わるのは音楽の楽しさの半分かそれ以下じゃないかと思う。

 

ではなぜ、今までの日本の(もしかしたら世界の)音楽評論はそうなのか。

ミュージシャン同士が話すときのボキャブラリーと、雑誌に書かれているボキャブラリーが全然違うのか。

 

ものすごく意地悪な言い方をすれば、ミュージシャンに憧れたけどギターに挫折してライターになった人たちが中心になって雑誌を作ってきたからではないか。

 

「俺はギターは弾けないけど、言葉の力でこの音楽の魅力を伝えてみせる!」みたいなモチベーションでやってるんだとしたら、その心意気はすばらしいとしても、ギタリストなら当然わかることがわかっていないままにギターのことを語っているってことになる。厨房に立ったことがない料理評論家みたいな状態。

 

いや、さすがにそんなことはなくて、音楽評論家たちだって専門的な話も理解できているんだけど、ただ読者はそんな難しい話についてこれないからあえて、っていうことかもしれない。

コードの話は楽器やってないとわからないけど、歌詞の話は日本語話者ならみんなわかるから。

 

しかし、もしそうだとしても、もう少し努力はしてきてもよかったのではないかと思う。楽器を弾かない読者にも、この曲がなんで新鮮な響きになっているのか伝える方法はあるんじゃないかって。ちょっと既存の音楽評論はそこの努力を怠りすぎではないか。

 

その点スージーさんは、楽器をやったことがない多くの読者にどうすれば伝わるか、たとえば音階の説明はすべてコードをCに置き換えてドレミファソで書くとか、「後ろ髪進行」みたいな感じでそのコード進行が生む効果をキャッチーに命名するとか、可能な限り平易にする工夫がなされている。

 

その結果、「80年代音楽解体新書」はコードやメロディの話をいっぱいしてるけど、楽器の経験がなくても、ギターを挫折した人でも、だいたい理解できるレベルになってるんじゃないでしょうか。

 

個別には再現可能な要素たちの再現不可能な組み合わせ

音楽を構成するいろんなパーツの多くは科学の領域。

 

ただ、各要素を最終的にどんなブレンドにするかは作り手のさじ加減であり、たとえばどこまでやんちゃなギターを弾くかとか、どこまでナンセンスな言葉を連ねるかとか、あえて引っかかるコードを配置するかとか、そういう細かい判断の積み重ねの上に楽曲が成り立っている。

 

さらに、本人の意図しないところで、1986年ならアリだけど1990年にはもう古臭いとかいった事情だとか、震災以降のムードに合致してるだとか、誰がプロデュースしたかとか、そういった事柄も多分に影響する。

 

そういった、個別には再現可能な要素たちの再現不可能な組み合わせ。そして本人にコントロールできない追い風(または向かい風)が複雑に影響しあって、ある曲が売れたり売れなかったりするわけ。

 

あの売れた曲の感じでもう一曲たのみますとか言われても、あの曲を作っていた当時の謎のテンションが再現できないので、同じような要素を組み合わせてるつもりでもどうにも勢いが出ない、みたいなことはよくある。何も考えないで書きなぐった歌詞や、よく考えたら不自然で不必要なコード進行、実はコードからはみ出してるメロディ、みたいなことは再現できない。

多くのアーティストがデビュー・アルバムを超えられないっていうのも、一発屋一発屋であるゆえんも、まさにそういうことだとも思う。

 

自分なんかはむしろそういう文脈だとか背景をとっかかりにして音楽を味わうのが好きなタイプ。個別には再現可能な要素たちの再現不可能な組み合わせにものすごくロマンを感じちゃう。

 

この「80年代音楽解体新書」でいうと、松田聖子の声のピーク、阿久悠が時代とズレてきたこと、若き山下達郎の生意気さ、大村雅朗が無敵だった瞬間、佐野元春に刺激された沢田研二など。

そういった再現不可能な要素が楽曲にどのように影響を及ぼしたのか、みたいなあたりも、たっぷり描写されている。

 

 

つまりこの「80年代音楽解体新書」は、音楽を一旦バラバラに解体して、再現性のある科学にした後、それらのいわば誰にでも使えるパーツを天才たちが扱うととんでもない作品が生まれるんだということを、わかりやすく教えてくれる。

そしていかに天才であっても、本人にコントロールできない要素が奇跡的に組み合わさることではじめて、後世に語り継がれる名曲を残すことができたんだということも。

 

帯でマキタスポーツさんも書いてるとおり、音楽評論はスージー鈴木以前以降で分けられると思う。

 

書評:『メタル脳 天才は残酷な音楽を好む』中野信子

科学ネタとして消費されるヘヴィメタル

Twitterとかでよく流れてくる、好きな音楽ジャンルによって性格がわかるとか、音楽を聴かせるとワインがおいしくなったとか、そういうアカデミックな装いをした記事あるでしょ。

だいたいそういう記事においては、メタルとクラシックとヒップホップとEDMなんかを比較した感じになっていて、「メタルのような音楽を好むタイプはこんな傾向が…」または「パブリックイメージとは違って案外メタル好きは‥」みたいな語り口になってるじゃないですか。

 

そういう記事を掲載するウェブメディアにとって、粗野で過激で頭悪そうなヘヴィメタルのパブリックイメージと、それを裏付ける or 覆すような意外な研究報告って、まあPV稼ぐのにもってこいのネタなんでしょうね。

 

ヘヴィ・メタル、自動車の運転に悪影響を及ぼすという新たな研究結果が明らかに | NME Japan

 

「ヘヴィメタルは死と向き合う助けになる」という研究結果 | ギズモード・ジャパン

 

【研究報告】男性ホルモンの多い男はソフトロックやヘビーメタルがお好き | BUZZAP!(バザップ!)

 

ヘビメタファンの性格を英大学が調査「彼らは権威を嫌い、自尊心が低い」 - ライブドアニュース

 

タイトルに興味をひかれて思わずタップして読みにいった経験は誰でもあるはず。

それがもし「R&Bのファンは…」っていう記事だったら果たしてどれほどの人が読もうとするかと考えると、まあキャッチーでおいしい路線を見つけたなって思うよ。

 

ただそこに愛を感じることはほぼなく、まあお手軽に消費されてるなって感じしかないけど。

 

 

「メタル脳 天才は残酷な音楽を好む」

そんな風潮にあやかったのかどうか、こんな本が出版された。

メタル脳 天才は残酷な音楽を好む

メタル脳 天才は残酷な音楽を好む

近年いろんなメディアでひっぱりだこの脳科学者、中野信子さんの著書ですね。

 

さっき挙げたような一連の記事で、科学ネタとしてのメタルのキャッチーさは認識されているし、そこそこ売れる確信があって世に出されたんだろうなという気はする。

 

個人的にはどうしても嫌な予感があったけどね。

どうせまたあの雑な感じで消費するんでしょって。

 

せいぜい揚げ足とってやろうかというぐらいの気持ちで手に取ったのだった。

 

そしたらですね、パラパラとめくったら章の終わりごとに著者が好きなメタルバンドを写真つきで紹介するページがあって、しかもカーカスみたいなエクストリームな音のバンドまで登場してるじゃないか。

 

さらにプロローグを読んでみたら、中野さんかなりのメタル好きとのこと。思春期の不安定で鬱々としたメンタルをメタルによってだいぶ救われたみたいなことを仰ってる。

 

これは失礼しましたって話で、さっきの先入観を捨ててかからないとダメだなと思った。

本当にメタルが好きな人が書いてるのであり、そして脳科学者の看板を掲げて堂々と書いてると。
そこらの出どころの怪しい3流ウェブメディアの飛ばし記事とは違って、適当なことはしていないであろうと。

これはってことで、さっそく腰を据えて本編を読み始めたのだった。

 

威勢のいい看板と慎重な書きぶりのギャップ

「メタル脳」は、帯に「モーツァルトよりメタリカを聴け」と書かれているとおり、メタルを聴くことが他のジャンルと比べてどれだけ脳に良いかを専門家として語っている本。

 

見出しのタイトルを読むだけで、「メタルを聴くと頭が良くなる」「メタルは反社会的ではなく非社会的」「内向性が高い人はメタル好き」などとあって興味深い。
「メタルは世界の欺瞞を見抜く」とまで言われたらそりゃ気になりますわな。

 

メタルに支えられて10代を過ごした人なんだし、よもや雑に扱ったり貶めたりしていないだろうという信頼感もあるしね。

 

ところが、いざ読んでみると「可能性があると言えます」とか「メタルである必要性は〜必ずしもありませんが」みたいな慎重な書きぶりがやけに目立つ。
「メタルを聴くと頭が良くなる」っていう大上段にかまえた章でも、結局「これはあくまでわたしの推論ですが」かよっていう。
なんていうか、慎重っていうかむしろ腰が引けてるような。

 

メタルを安易に科学ネタとして消費してるウェブ記事を読んだときに誰もが感じる「それってメタルじゃなくても大音量の音楽だったらなんでもよくね?」とか「この話のキモってメタルだからってことじゃなくて好きな音楽を聴いたらどうなるかってことでは?」みたいなツッコミどころが、残念ながらこの本にも散見されるわけですよ。

 

そこで妄想

全編にわたってそんな感じで、威勢のいい看板と慎重な書きぶりのギャップが目立つわけ。

これ、もしかしてだけどこんなやり取りで書かれた本なのではないかって妄想したくもなるよね。

 

編集者「中野先生!なんかないすか、ヘビメタ聴いたら賢くなるみたいなやつ、ないすか」

中野さん「なにをもって『賢い』とするかもいろいろありますよね、うーん…」

 

編集者「あのほら、ヘビメタのライブに来る人ってすごく暴れたりして怖い感じしますけど、ああいうのが実は…みたいなのあります?カラオケでストレス発散のすごいバージョンみたいなやつとか?

中野さん「(いや、カラオケと比較…さすがにそのまんますぎて書けないな、わたしは暴れるタイプでもないし…どうしよ)」

編集者「うーん、ほら、なんか実は脳の特定の部位がこうビビッときてるんだとかそういう」

中野さん「ああ、たとえばライブではCDでは出ていない可聴域の音が出ていて、それを耳だけじゃなく皮膚でも感じることで、オキシトシンが分泌されるというのはあるかもしれないですね」

編集者「おお!そういうのですそういうの!」

中野さん「ただ可聴域の話だと別にヘヴィメタルに限らずライブ全般に当てはまっちゃいますけどね」

編集者「いやいやいや!いいじゃないですか!そういうのもっとください!」

中野さん「(これも書きぶりでバランスとらないとな…)」

編集者「あのほら、ライブですっごい頭を振るやつなんでしたっけ?あれは脳にいいんですか?」

中野さん「ヘッドバンギングですね。いや、特にそういう話は聞いたことないですね」

編集者「なんかそういうことにできないですかね?血行が良くなってとかでも」

中野さん「むしろちょっと脳損傷のリスクがあるので推奨できないです、すみません」

編集者「(チッ)」

 

みたいな感じで作られていったのではないかと邪推してしまう。

タイトルで強めの断言をした後に本文でフォローするパターンが何箇所か見られるのは、その押し引きの痕跡かなと。

 

 

強い気持ち強い愛

ただこれ、文化人気取りの学者が数時間ぐらい語りおろしたものを編集者が文字起こしして適当にまとめたような安易な本っていうわけでもなさそう。

 

中野さんにとってメタルが切実なテーマであることはビシバシ伝わってくるし、むしろ脳科学の知見に基づいて語っている部分よりも、実体験から組み立てられた論のほうが説得力が桁違い。

 

たとえば、メタルファンはニセモノを憎む気持ちが強いとか、世間のみんなが付和雷同で飛びついているものにノレないとか、そういう傾向を深堀りして説いていく第4章などは、面目躍如といったおもむき。

(世界的にポピュリズムの流れが強まっているこの時代、安易に尻馬に乗らず欺瞞を見抜くメタルファンの特性が重要になってくるとのことです!)

 

それは、鬱々としていた10代のあの頃、メタルを聴くことで「別に孤立していても構わないのだ」という安心感を得られたと語る第1章と呼応しているかのようで、エビデンスに基づいた説得力というよりも、実体験に基づく思いの強さがとにかく伝わってくる。

 

強い気持ち、強い愛。今のこの気持ち、ほんとだよね。

 

ハロウィンは犬臭い

本書でも言及されてるけど、どんな音楽を好むかでその人がわかるっていう。
それでいうと、会ったことないけど中野さんのことをすごく好ましく感じた。

 

カーカスのような複雑な構造のバンドが好きだけど、ハロウィンはなんだか「犬臭い」感じがして好きになれなかったとか、ロブ・ハルフォードのメタリックで「なめらか」な質感の声は好きだけど、サミー・ヘイガーやデヴィッド・カヴァーデイルの声が苦手だとか、自分語りがさらに脱線したところに垣間見えるかわいげ。

 

そしてグイグイくる編集者(妄想です)に対して、社会人としての大人の対応と学者としての誠実さの板挟み(妄想です)でバランスをとってがんばる姿(妄想です)も素敵。

 

そして何より、世間が顔をしかめるような音楽に傾倒することで自分をどうにか保とうとしていたという件への共感がすごい。

 

高3の秋にマイケル・モンローのデモリッション23の来日公演を一緒に見た京都の高偏差値女子校のあの子、今頃どうしてるかなとか思い出したりもした。

 

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この曲の歌詞を覚えて来日公演のとき歌ってたあの子。

ロシアンルーレット・セックス!」って大声で合唱した姿が今でも忘れられない。

 

「科学的に証明されています」

サラリーなマンとしての仕事柄、いろんなデータを分析して何らかの結論を出すっていうことを日常的にやってる。

 

もともとそういう定量的な分析からこぼれ落ちるものに興味があった人間だってこともあり、グラフだの関数だのはすごい苦手だったけど、いまじゃBigQueryも使えるようになった。

 

その経験から言えるんだけど、「科学的に証明されています」とか「データによると」ほど胡散臭いものはない。

けっこうなんとでもなるんだなって。

 

いい加減な分析をもっていっても突っ込まれるかどうかなんて、結果を見る側(上司とか教授とか読者とか)の能力にめっちゃ依存する。

だいたいみんな忙しいし、ザルだよね。

 

「メタルが好きな人は◯◯だ」も、「メタルを聴くと◯◯になる」も、まずは疑ってかかったほうがいいと思う。

最低限、それってメタルじゃなくても成り立つのでは?と考えてみるといいと思います。

 

さらにいうと、その「メタル」は具体的に何なのか?

デフ・レパードとブルータル・トゥルースでは全然話が変わってくるぞと。

「カレーの王子様」と「LEE 40倍」をどちらもカレーでしょって言って何かを語ろうとするやつが信用できないのと同じだぞと。

そこまで指摘できるといいと思います。

 

メタルを聴くとそういったリテラシーを養えます。脳科学的に証明されています。

 

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クルアンビンの分子が分母を凌駕しそうです【フジロック2019レポート】

フジロックに行ってきた

今年も行ってきました。

あの1997年以来、22年連続になります。

(詳しくはこの記事をあとで読んでいただくとして)


今年も最終日だけどうしても行きたくて家族に無理を言って出てきた。

昼から深夜までほぼ休みなく見まくったライブは、通りすがりも含めるとこちらの13組。

渋さ知らズオーケストラ〜monaural mini plug〜Paradise Bangkok Molam international band〜HIATUS KAIYOTE〜HYUKOH〜VAUDOU GAME〜柳家睦とラットボーンズ〜toe〜KHRUANGBIN〜THE CURE平賀さち枝とホームカミングス〜Night Tempo〜the comet is coming〜QUANTIC

 

ちょっとガツガツしすぎかと自分でも思ったけど、ここまで好みのラインナップを並べられたらしゃあない。 

今年のフジロック最終日、とにかく国際色豊かだったんすよね。

 

アフリカにルーツがあるVAUDOU GAME、タイからやってきたParadise Bangkok Molam international band、韓国からHYUKOHとNight Tempo、オーストラリアのHIATUS KAIYOTE。

Quanticは英国人だけど南米の音楽をベースにした音楽をつくる人だし、渋さ知らズは日本人だけど雑多な音楽性の核のひとつに東欧のジプシーブラスが間違いなくあるし。

タイミングが合わず見れなかったけどモンゴルのHANGGAIやキューバのINTERACTIVOも出演していた。

 

こんな具合で、ほんとに世界中から非英米のアーティストがたくさん集められていたのが今年のフジロック最終日の特徴。

 

グローカル

ここ50年以上、日本において「ロック」といえばイギリスとアメリカのバンドが中心で、そこに国産がどれぐらいの比率でブレンドされるかっていう感じだった。

 

ところが近年徐々にそうでもなくなってきてる。

アジアをはじめ世界中のいろんな国々が豊かになってきて、それぞれの土地で国産のポップカルチャーを生み出せるようになってきて、特に若者人口が増えてるところだと切磋琢磨されてレベルもどんどん上がってきてて。

要するに60〜70年代ぐらいの日本みたいなモードになったばかりの国がたくさんある。

 

そういう国々で、ハウスやEDMやロックといったユニバーサルな音楽スタイルに現地好みの要素をブレンドしていくことで、オリジナルなダンスミュージックやバンドサウンドが同時多発的に生まれてきている。

 

一方でインターネットの発達により、各地のローカルな国産ポップミュージックに避けがたく滲んでくる土地柄みたいなものが、世界中のリスナーにおもしろがられるっていう現象が発生している。

 

世界各地のローカル音楽をおもしろがることで有名になったのがDiploでありQuanticであり、日本だとサラーム海上高野政所といった人たち。

ここ10年ぐらいのそういう動きによって見いだされた音楽やカルチャーのことは、グローバルとローカルと組み合わせた「グローカル」っていう言葉で表現されたりする。

 

フジロック最終日のキーワードはタイ

国際色豊かだった今年のフジロック最終日において、特に濃いめに色づけされていたのがタイのモーラム/ルークトゥン系。

 

モーラムやルークトゥンっていうのは、タイ(特に北部イサーン地方)で古くから好まれてきた歌謡曲のような音楽で、現在に至るまで独自の発展を遂げながら地元で愛されてきていた。

 

それを2010年代に海外の好事家が発見し、地元で流通していたレコードをディグしまくってCD化して世界に紹介したところ、そのクセのあるいなたいグルーヴに世界中(の一部)が夢中になった。

 

 

 

 

日本においても、soi48というDJチームがタイ音楽の魅力を発信していたり、空族の人たちが現地に長期滞在してつくりあげた映画「バンコクナイツ」でも大々的に使用されるなどして、好事家のあいだで広まっていってる。

 

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今年のフジロック最終日には、そんな世界的なモーラム/ルークトゥンブームを代表するような3組のアーティストが出演した。

 

まず日本のmonoral mini plagというバンドは、現地の冠婚葬祭のパレードで演奏するバンドのスタイルを完コピし、機動力あふれる演奏をする。
使う楽器は完全に現地のそれなんだけど、センスがDJ以降って感じで洗練されており、つまり最高。

 

1時間ぐらいは軽く踊らされる。

 

タイムテーブル上、monoral mini plagのすぐ後の時間帯にヘブンに登場したのがParadice Bangkok Molam International Band。こちらは本場タイからやってきたバンドで、モーラムの伝統楽器にファンクなベースとドラムを合わせることで、モーラムを知らない人にも踊りやすい感じになっている。

 

これはちょっとおもしろいなと思っていて、日本人であるmonoral mini plagが現地スタイルの完コピにこだわってる一方で、タイ人のPadice~のほうはグローバルで通じるスタイルに寄せていってるという。このねじれは示唆的。

 

ただ、個人的にはParadice~のグローバルひと工夫は余計なお世話に感じてしまう点が多々あった。これは自分がすでにモーラム耳ができているためで、「バスドラとかなくても踊れるっしょ!」ってなってるからだと思われ、ほとんどの人にとっては、Paradice~さんの工夫は効果を発揮していたであろう。
なのでPadarice~のみなさんはこんな意見は参考にしなくても大丈夫なので気にしないでください。

 

そして、フォールドオブヘブンのトリをとったのが、アメリカからやってきたクルアンビン(KHRUANGBIN)。

この日もっともみたかったバンドなのです。

 

クルアンビンとの出会い

クルアンビンはタイ語で飛行機という意味の言葉らしい。
タイ・ファンクに魅せられたアメリカ人のバンド。


タイ・ファンクってのがどのあたりのことか定かではないけど、前述したモーラムの70年代ぐらいのモードのことかなと。

 

 

 

 

たしか最初はTwitterで誰かが絶賛していたことがきっかけで知ったんだと思う。
絶妙のけだるい温度感やエキゾチックでサイケなギターがクセになってよく聴いてた。

 

ただ、無愛想なジャケと淡々としたサウンドから、白人音楽オタクによる宅録みたいな個人プロジェクトでやってる音だと勝手に思い込んでいたんだよね。

 

ところが、今年のコーチェラ・フェスに出演するっていうから中継動画を観てみたら驚いた。

 

https://cdn.fujirockfestival.com/smash/artist/5212.jpg

 

音楽オタクどころか、必要以上にキャラ立ちしたルックス!
そしてキレのあるギター、セクシーなベース、安定感のあるドラム。

 

音源と見た目のギャップも含めて完全にやられてしまい、フジロックに出るっていうのでとても楽しみにしていたのだった。

 

現地で感じたこと

当日のフィールド・オブ・ヘブン。
裏ではTHE CUREがやってる時間帯。

 

各ステージでヘッドライナーがやってるにもかかわらず、思っていた以上にたくさんの人がクルアンビンを楽しみにしてステージ前に集まっていた。

ちょっとびっくりした。

 

言うたらさ、70年代のタイの音楽に影響を受けたアメリカ人のバンドなんて、めっちゃニッチな存在じゃないですか。

いろんな音楽をひととおり聴いてきた結果、もはやこのあたりの音じゃないと興奮できないのよっていう、ちょっとしたフェチな存在のはず。

それが、ここまで多くの人に待たれているという現実。

 

すぐ近くでライブ開始を待っていた女性の立ち話が聞こえてきたんだけど、いわく「立ってるの疲れたわ、3年前はKANA-BOONの最前列いけてたのに」とのこと!ちょっとぶっ飛ばされた実話。

そういう人たちまでがクルアンビンに夢中なのか!

 

で、いざライブがはじまると、音源以上にいい湯加減のメロウなグルーヴがたまらないわけです。3人とも演奏うまい。

 

それと、ライブの運びのうまさがとにかく印象的で。
曲に入るときのタメのつくり方、ちょっとファニーな演出、曲中の緩急のつけ方。そういったもろもろがとにかく達者なの。

であのルックスでしょ。

 

ものすごくマニアックな音と、ものすごくキャッチーな3人の存在感。
そのギャップに釘付けになった、夢のような1時間半だった。

 

 

 

分子が分母を凌駕しそう

故・大瀧詠一氏が提唱し、マキタスポーツさんや矢野利裕くんも援用する、音楽の「分母分子論」という見立て方があって。

 

すべてのJ-POPはパクリである (扶桑社文庫)

すべてのJ-POPはパクリである (扶桑社文庫)

 

 

マキタさんの「すべてのJ-POPはパクリである」では、規格(=音楽のスタイル)を分母、人格(=アーティストのキャラクター)を分子ととらえ、すべてのJ-POPはこの構造で読み解くことができるとしている。

そして、分母分の分子が合致すればするほどオリジナリティが高い状態で、逆にここが意図的にズレた状態をつくることで違和感やおかしみが生じてコミックソングがつくりやすいという。

 

フジロックでのクルアンビンのライブを見ていて思い浮かんだのが、この分母分子論。

 

つまりクルアンビンとは、タイ・ファンクというフレッシュかつマニアックな規格(分母)の上に、メンバーのキャラクターという人格(分子)が乗っかっている状態であると。

 

分母と分子が合致しているからこそのこの人気なのか、それとも分母と分子がズレてる違和感が評判を生んでいるのか、それはわからないけど。後者かな。

自分としても、分子を知らない状態で音を聴いたときに分母のみで感じた先入観が、実物を目にしたときに良い意味でめっちゃ裏切られたわけで。

 

 

さらに、言ってしまえばタイ・ファンクなんていう規格(分母)はそこまでのポピュラリティがある乗り物ではないわけで、3人の身体性やキャラクターという分子のほうがもはや大きくなってきてしまっているのが現在のクルアンビンなのではないか。

そして本人たちもうすうす乗り物の小ささを窮屈に感じはじめているのではないか。

 

ライブで披露されたYMOの「Firecracker」やディック・デイル「ミザルー」などのカバーの選曲も、窮屈さを感じていることをあらわしてるんじゃないかと邪推してしまう。

 

「Firecracker」はもともとマーティン・デニー楽団による曲で、つまり欧米人によるなんちゃって中華の楽曲。それを東洋人であるYMOテクノサウンドでカバーしたっていう批評的な手口がかっこいいやつ。

 

「ミザルー」はご存じ映画「パルプ・フィクション」のサントラでも印象的なサーフィンミュージックの代表的な曲なんだけど、もともとはギリシャやトルコあたりで昔からある曲で、演奏しているディック・デイルは中東レバノンにルーツがある人。音階はいわゆる西洋のものとはだいぶ違う感じ。

 

こうした西洋人からみたエキゾ感がある曲をとりあげることで、クルアンビンというバンドのあり方とも通じるおもしろさを感じる一方で、同時に、タイファンクという軸からエキゾという価値観に沿って少しずつ守備範囲を広げようとする試みなのかもという感じもする。

 

これらのカバー以外にも、曲の中で明らかに演歌っぽいスケールのギターを弾いた瞬間もあって驚かされたり。

とにかく、分母を広げるのか深めるのかみたいなところで試行錯誤していることを感じるライブだった。

 

今後、クルアンビンがどっちの方向に流れていくのかわからないし、案外ふつうのメロウグルーヴな路線に落ち着いていってさらに売れるとかの可能性もあるけど、どうなろうとも3人のミュージシャン力やキャラ立ちはかなりの強度があるので大丈夫でしょう。たのしみですね。