最近、現役アイドルが結婚を発表する事例が続いている。
Negiccoもでんぱ組.incもどちらも現役バリバリの人気グループであり、おふたりとも立ち位置は真ん中の重要人物。
アイドルというビジネスモデルは、ファンが抱く疑似恋愛感情のパワーをマネタイズすることで回っているという側面が強いわけで、推しが人妻であるという事実は、ただでさえバランスを欠いた片思いの構造が一気にぶっ壊れかねない。
しかし、このおふたりのそれぞれのオタクたちの言動を見ていると、批難どころかむしろ祝福するムードが支配的だったりする。
これは一体どういうことなのか。
アイドルのあり方が劇的に変わりつつあるということなのか。
とある事情からアイドルと結婚というテーマに関しては一家言あるので、今回はこの件について考えてみたい。
昭和のピュアな視聴者
アイドルのあり方がこれから劇的に変わっていくかもしれないという話を考えるにあたり、参考にしたいのが、すでに劇的に変わった存在たちのこと。
たとえば、リングの上で卑怯な反則攻撃を繰り返していた昭和の悪役レスラーは、観客から結構マジで憎まれていた。
ダンプ松本率いる極悪同盟は、クラッシュギャルズのファンから生卵やカップ麺を投げつけられたとか。
アイドルを推す気持ちとは180度ちがうんだけど、どちらも舞台の上の虚構の世界に対して投げかけられる気持ちの強さを原動力にして成り立っているという意味では同じ。
他にも、おもに悪役を演じることが多い俳優は、役柄上だけでなく人間性そのものからして悪そうだっていうイメージを身にまとっていたし、漫才コンビのボケ役に向けられる笑いは、こいつほんとにバカだなっていう嘲笑みたいな目線も多分に含まれていた。
それがいつの頃からか、悪役レスラーのほうが実は人格者が多いとか、コワモテの俳優がプライベートではファンシーな趣味を持ってるだとか、漫才コンビのボケ役がクイズ番組で博識ぶりを見せつけたりだとか、そういうのが当たり前になった。
平成の初期ぐらいだと、トーク番組でそういったプライベートの顔を同業者に暴露されたりすると、「おいやめろ、営業妨害だぞ」みたいな言い方でツッコミを入れる姿がまだ見られたもんだった。
つまり、コワモテのイメージが自分のブランディング上とても重要であり、ファンシーな面はそのイメージを毀損するから営業妨害だっていう共通認識が演者にも視聴者側にもあったからこそ、そういうツッコミが成立したわけ。
ツッコミとして機能するってことはこの時点でもう半分ギャグにはなってるんだけど、それでも前提となる共通認識はあった。
だけど、令和の世の中ではそういう暴露がブランディング的にマイナスだっていう、そういう前提すらもう通じない。
カズレーザーがクイズ番組で大活躍したからといって、なんだよバカだと思ってたから笑ってたのにほんとは賢いなんて騙された!なんてこと言う視聴者はさすがにいないよね。
またメタルの話してもいいですか
ヘヴィメタルという音楽ジャンルも、プロレスやアイドルとすごく近い構造を持っていると思っていて。
ヘヴィメタルは、悪魔崇拝だとか、暴力だとか、そういう不道徳なイメージを身にまとっていたからこそ、世界中のキッズを夢中にさせたことは間違いない。
ヘヴィメタルの生みの親のひとりであるオジー・オズボーンがステージ上で生きたコウモリを食いちぎった事件をはじめ、80年代のメタル黄金時代って、ふつうの良識ある大人が顔をしかめるようなイメージに彩られてる。
というか、大人たちは顔をしかめるにとどまらず、子どもたちから不道徳なものを取り上げようという動きも実際にあったほど。
1985年のこと。
アメリカのある上院議員婦人が政治家達を巻き込んで、過激な暴力や性的な表現のある歌詞をラベリングして子どもたちが触れないようにすることを目指し、PMRC(ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)という委員会を設立した。
PMRCは、プリンスやシンディ・ローパーやマドンナといったポップスターに加えて、ジューダス・プリーストやモトリー・クルーやトゥイステッド・シスターといったメタルバンドたちも槍玉に挙げていく。
そしてついに、こういった歌詞をどう扱うべきかについて議論すべく、有識者を招いて公聴会が開催された。
その公聴会に出席したトゥイステッド・シスターのディー・スナイダーは、自分の音楽を吊るし上げようとする委員会のメンバーに対してこう自己紹介した。
「私は30歳の既婚者で、3歳の息子がいます。クリスチャンとして育ち、今でもこの教えを守り続けています。信じられないかもしれませんが、私は煙草も酒もドラッグもやらない。ヘヴィメタルに分類されるトゥイステッド・シスターというロックンロールバンドの曲を演奏するし、作詞もしている。私は先に述べた自分の信念に基づいて作詞している曲を誇りに思っています」
つまり、ヘヴィメタルバンドとして打ち出してる「不道徳な」世界観と、ひとりの人間としての自分のパーソナリティは別物で、それぞれに誇りを持っているということ。
こういうことわざわざ口に出すのって、まあ言ってしまえば相当に野暮なことなんだけど、わざわざ口に出さざるを得ないほどの状況だったということでしょう。
「言わせんなよ」って。
映画「レディ・プレイヤー1」でも効果的に使われた、彼らの代表曲。
このディー・スナイダーの話、今となってはなんてピュアな時代だったのかって思う。
当時も今もヘヴィメタルに顔をしかめる大人はたくさんいるけど、さすがに当時のような野暮な追求はされなくなってるでしょう。
ヘヴィメタルバンドのメンバーであることと良きアメリカ市民であることが両立しうることを疑うようなピュアな人はもうほとんどいない。
であれば、悪役レスラーやヘヴィメタルや漫才師の身に起こったことが、これからアイドルにも起こるんじゃないかなって。
NegiccoのNaoさんやでんぱ組.incの古川未鈴さんがアイドルという仕事の性質上振りまいている疑似恋愛的な世界観と、人妻であるということは別に矛盾しないと考えられる人が多数派になってくるはず。
「ガチ恋」という概念
一般的なオタクがあくまでいちファンとしてアイドルを推しているのに対し、その一線を越えて、本気で恋愛感情を抱いてしまったヤバい奴またはその状態を指す言葉。
それが転じて、「推しが好きすぎてもう冷静でいられなくなってる俺」を自嘲する意味合いで使われるようにもなってきた。
これって象徴的だなって。
現在のアイドル文化に理解がない人ほど、アイドルオタクは全員ガチ恋だと思いこんでるフシがありますが、実際には圧倒的多数のオタクは節度をもって推しているし、一部の熱狂的なオタクであっても、ガチ恋化して距離感がおかしくなることはなく、ただただつぎ込む金額が増えていくだけ。
悪役レスラーは、与えられた役割通りに暴れてるだけであって、悪いのはこのリングの上だけなのだ、という当たり前すぎることも、昭和のピュアな観客は理解するのに時間がかかった。
平成のピュアなアイドルオタクも、恋愛禁止で清く正しく歌い踊っているこのアイドルは、24時間365日ずっと清く正しいわけではないということを受け入れるのが難しかったかもしれない。そもそも「清く正しい」をアイドルに求めるかどうかという問題も別であるんだけど。
しかし、ガチ恋を自認する強めのオタクであっても、いや、だからこそ、推しの結婚は祝福できるっていう、それが令和なんじゃないでしょうか。
比叡山の沢田研二
最後に、現役アイドルのまま結婚を発表した事例の大先輩である、ジュリーこと沢田研二のエピソードをご紹介します。
60年代にグループサウンズの大ブームを代表するグループ、ザ・タイガースのフロントマンとしてデビューし、国民的アイドルとなったジュリー。
ソロに転じてからもあいかわらずスターだった彼は、1975年に京都の比叡山でやったフリーコンサートの際に、結婚についてファンに報告する。
そのときに語った言葉。
どうもありがとうございます。
6月の4日にわたくし結婚いたしました。
いろいろとファンの皆様方、いろんなふうにお受取りのこととお思いますが
これは事実、事実は事実としてみなさんには受け止めていただきたいし、かといって、僕自身が結婚ぐらいのことで変わるということはありえないということを、みなさんにはぜひぜひ信じていただきたいと思います。
別に、結婚したことなんてという具合に、別に僕の妻に対して無碍に扱うとかそういう気持ちは毛頭ありませんが、やはり、僕と妻との関係よりも、思い起こせばタイガースをスタートして、PYGそして現在まで、ファンのみなさんと僕たちのつながり、僕たちの関係というのは、妻にも犯しがたいものがあるんじゃないかと僕自身も思うんです。
ですから、これからも変わらず歌手である沢田研二、またジュリーを応援していただきたいと思います。
もちろんピュアな昭和のファンの中にはこれ聞いて号泣する子もたくさんいたであろう。映像でも確認できる。
「妻」っていう言葉に反応してキャーキャー騒いじゃったりしていて、それもなんていうか保健体育の授業をうけてる女子中学生みたいなノリなんだけど、それでもジュリー自身が伝えたいメッセージは、そこそこ届いたんじゃないだろうか。
これほんとNaoさんや古川未鈴さんの件でもまんま通じるいい語りかけだなーって思いました。
さすがジュリー。時代を先取りしすぎ。