森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

B'zダサい論争を読み解いたら紅白に足りなかったものが見えてきた

ジ・アルフィーの40年ぶり出場や藤井風のNYからの中継、米津玄師の『虎に翼』コラボといった話題性のある企画や、Vaundy、椎名林檎ともも、星野源といったあたりの圧倒的なパフォーマンスなど、見どころがたくさんあった2024年の紅白歌合戦

 

しかし何より話題性の面でもパフォーマンスの面でも世間をおおいに沸かせたのが、デビュー36年にしてB'zが初出場したことと、サプライズで披露した「LOVE PHANTOM」「ultra soul」のアゲっぷり。

さらにそこから派生して、SNS上では「B'zダサい論争」が激しく巻き起こった。

 

 

おそらくこのツイートが発端

 

なるほど、主語が大きいところとか、「大嫌い」といった強い表現、そしてなんといっても「文化的な素養」っていう上から目線っぽいワードなど、SNSで炎上しやすい要素が満載だなと思う。

 

ただ、90年代の空気を知っている人間からすると、言わんとすることは理解できる。

 

 

 

そもそも、音楽において「ダサい」とはどういうことなのか、そこの認識が人によって違っていたことが、今回の論争の原因のひとつだったのは間違いないと思う。

 

たしかに「ダサい」はいろんなニュアンスがある言葉ではあるんだけど、ただ、当時のB'zをダサいと言っていた人たちは、おもに「時代遅れ」と「大衆的」という2つの側面が、B'zのダサさの要因だととらえていた。

 

 

まず音楽性について。

 

大事な前提として、B'zがデビューした80年代末から90年代にかけては、音楽のトレンドの移り変わりがものすごく激しかった。

 

ヒップホップ、ハウスやテクノなどのダンスミュージック、オルタナティブ・ロックといった、現代J-POPの重要な構成要素になっているジャンルが次々に登場していて、その激しい流れにアップデートできていない存在は時代遅れとみなされていた時代。

 

そんな時代に登場した初期B'zは、人脈的にもサウンド的にもルックス的にも、TMネットワークの亜流、ジェネリック版のようなものと認識されていた。

 

TMネットワークといえば、デュラン・デュランとかヒューマン・リーグといったニューロマンティックのバンドをお手本にしており、80年代末にはそれらのお手本とともに時代遅れになりつつあったわけで、そんなTMのジェネリック版はどうしたってダサいイメージになる。

 

https://focus.independent.ie/thumbor/tftMcWLb1rBheA_gJPRK20rh_Rs=/0x394:1657x1309/1280x853/prod-mh-ireland/47dde536-a9fd-11ed-bb62-0210609a3fe2

 

やがて90年代に入ってTMっぽさが抜けてきたB'zは、アメリカンハードロック路線に寄せていくんだけど、この路線がまた絶妙に時代遅れ感があった。

 

B'zが「Don't Leave Me」の元ネタにした「Cryin'」のエアロスミスとか、「ALONE」の元ネタにした「Time For Change」のモトリー・クルーとかは、世界中の田舎の男子高校生に大人気だったんだけど、いわゆるオルタナティブ革命以前の世界観を引きずる時代遅れのバンドだったことは歴史的事実。

 

ちなみに筆者はモトリー・クルーに憧れてギブソンサンダーバードを買いました

 

 

次に、大衆的っていう件ですが、当時の多くの人にとって最初にB'zに触れたのは、テレビで深夜になるとやたら流れる銀座ジュエリーマキのCMだったはず。

 

それからまもなく、ラジオや有線でめちゃくちゃ流れるようになり、『ミュージックステーション』のオープニング曲を手がけるようになり…といった感じで、一気に大人気アーティストになっていたものだった。

 

 

これも今となっては伝わりづらい感覚かもだけど、90年代ぐらいでもまだ一応、商業主義的なやり方は批判の対象だったし、売れていることよりも、音楽的に新しいことに挑戦していたり独自の世界を構築していたり、そういう要素があることのほうが評価される風潮があった。

 

新しいスタイルや高い音楽性を提示して、多くの人の心を掴んだために、結果として売れるっていうことはあっても、最初から売れることを目的にするのはダサい姿勢だったということ。

 

音の質感やたたずまいがロックバンド然としているにもかかわらず、売れ線であることを堂々と追求しているB'zの姿は、そういった価値観からするとダサいものと見えたのだった。

このことも、現在の価値観とは大きく違う部分だと思う。

 

 

ここまでみてきたように、音楽がダサいかどうかを重視する人にとっては、音楽性と大衆性の面から、90年代のB'zはダサい存在だった。

 

あらためてこの話が論争になった背景を考えてみると、90年代には、売れていることそれ自体がダサいという価値観があり、2024年には真逆で、売れていないものがダサいと思われている、というすれ違いがあったのではないか。

どちらが正しいとかいうことではなく、違いとして。

 

それと、時代遅れがダサくなる早さの感覚の違いもあるかもしれない。

90年代の感覚からすると、ヴェイパーウェイヴとシティポップとY2Kがどれも時代遅れになってなくて並行に存在している今の感じのほうが違和感ある。

 

 

では、90年代と違って、現代はダサさに寛容なのだろうか?

ダサいことがマイナス要素にならなくなったのだろうか?

 

あらためて2024年の紅白を眺めてみたい。

 

90年代にB'zが担っていたような、平均的な高校生が聴いているアーティストとして挙げられるものとしては、こっちのけんと、Omoinotake、Vaundy、Creepy NutsMrs. GREEN APPLE緑黄色社会あたりだろうか。

 

たしかに、このあたりのアーティストは当時のB'zが言われていたほどにはダサいと言われてないと思うんだけど、それは、これらのアーティストがすごく売れていながら、音楽的な洗練度合いが高いからなんじゃないかと思う。

 

令和のJ-POPって、ヒゲダンやKing GnuやVaundyに代表されるように、みんなすごくうまいし、平均的なサウンドの垢抜け方がこの30年、いやこの10年でかなり進んだ。

 

 

典型的なのが、いわゆる「丸サ進行」の流行。

椎名林檎の「丸の内サディスティック」で使われたコード進行をお手本にして、アンニュイでエモい、淡い味付けが一気に広がった。

 

また、サウンド面でも、音の質感についての感覚がみんな鋭敏。

たとえば今どきっぽいスネアとかギターの密室的な音像。ベッドルーム感というか、狭い空間で鳴らしているような反響のない音だったりを、こだわって作っている。

 

昔の高校生はギターを膝に乗せてああでもないこうでもないと苦闘してコードを拾っていたし、レコーディングなんてごく限られた人たちだけのものだったからとにかくデカい音を鳴らしとけばいいぐらいな雑な音作りだったけど、今ではDTMやインターネットの発達により誰でも簡単にそれっぽいものができるようになった。

 

 

こうやって、平均的な高校生の耳に入る音の洗練度合いが格段に上がっていて、時代遅れで大衆的なものが出てこなくなってる、というのが実情なのではないか。

 

 

 

 

その証拠に、今年の紅白が地味だったという声をちらほら見かけた。

 

J-POPが全体的に洗練されすぎてて、「マツケンサンバ」とか「女々しくて」みたいな、洗練の真逆に振り切ったような、ポップでわかりやすい大衆的な(=ダサい)曲が足りないってことだと思う。

(今年そのあたりを担ったのは「2億4千万の瞳」とか新浜レオンとか)

 

 

そうなると突如現れた「ultra soul」がめちゃくちゃ目立ったのは必然だろう。

 

 

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