半世紀ほど前、人口が増えすぎて地球がまかなえる食料やエネルギーのキャパシティを超えてしまうことが深刻な問題だとされていて、中国で一人っ子政策が推進されたり、『機動戦士ガンダム』では人類が増えすぎた人口を宇宙に移住させた未来の世界が舞台になったりしていた。
ところが今では世界中の国がまったく逆に少子化を問題視していて、出生率を上げようといろんな施策を行っている。
ほとんどの国では、少子化対策というと、子供を生みやすい環境を作るとか子育て支援といったものになっているが、ロシアではさらに踏み込んで、子どもを持たない生き方をインターネットで宣伝することを法律で禁じているとか。
ロシアの政治家に言わせると、こんなものは伝統的な価値観に反する過激な思想だそうだ。
「自由に生きたいから子どもを持たないなんて、本人のエゴでしかない。精神疾患に認定すべきだ。そもそもロシアにこんな歪んだ思想は存在しなかった。西側の不健康なプロパガンダで、家族を大切にするロシア的価値観を否定する米国の陰謀だ」
ロシアでも炎上騒動! 「子供を持たない人生を選ぶ若者は精神異常?」 | クーリエ・ジャポン
政府が個人の内面にここまで踏み込んだ発言をしてくるのは、人口は国力の源であるという発想があるからで、もはや全体主義であることを隠そうともしないプーチン政権のむき出しの本音が法律レベルで反映されてきているんだろう。
そんなロシアにドン引きしている日本においても、本音では全体主義がうらやましいと思っている人は結構多いのではないか。
たとえば少子化問題を数値目標にコミットさせられて主幹している役所なんかは、ロシアみたいに強制力をもって推進できたらどんなに楽かと思ってたりして。
だが実際には、最終的に子供を持つかどうかを決めるのは一人ひとりの意思。
子供がほしいけど経済的に不安定だとかキャリアを途絶えさせたくないという人に対して、いろんなサポートをするのが国の役割であり、そもそも子供をもちたいかどうかという心情はあくまで個人の自由。
自分の子供は結果的に数十年後のこの国を支えることになるんだろうけど、だからといって国を支えるために子供をつくるわけではない。
と、ここまでは現代を生きるほとんどの人が共有できている価値観だと思う。
しかし、国家のために子供をつくるわけではないんだとすると、何のために子供をつくるんだろうか。
昭和の途中ぐらいまでは、家制度の存続ため、跡継ぎのためという強制力が根強く残っていた。
結婚する相手を選ぶところからすでに、イエのためという目的があったわけで、個人の人権を尊重する日本国憲法と激しく矛盾していたんだが、それも今となっては皇室や歌舞伎などごく一部の世界だけのものとなった。
また、農家だと労働力として子供をたくさんつくったのだ、なんて話もあるが、現代の子供は高校卒業ぐらいまでは労働力にならないので、かなり事情が変わっている。
そうやって外部的な要因が取り除かれていくと、現代を生きる人間は、国のためでもイエのためでも労働力のためでもなく、自分の意思で子供を持つかどうかを決めねばならなくなっている。
まさに、20世紀の哲学者サルトルが言った「人間は自由の刑に処されている」という状況。
つまり、子供を持つまたは持たないという判断によって起こったことや起こらなかったことの責任をすべて背負わされるということである。
その点、河童はわかりやすい。
芥川竜之介の『河童』には、母のお腹の中にいる胎児に父親が「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ」と呼びかけ、「僕は生れたくはありません」と答えた胎児が中絶されるというくだりがある。
人間の場合はそういうこともできないので、すべての子供は自分の意思とは関係なく、親の自由意志によって生まれさせられてしまっている。
親の自由意志にもいろいろあるが、孫の顔を見せろと言われたからっていう理由も、夫婦の愛の結晶がほしいっていう理由も、できちゃったけど堕ろすのは抵抗があるっていう理由も、赤ちゃんがかわいいっていう理由も、河童と違って子供本人の意思が反映されていない以上、すべてが等しく親のエゴであり自分勝手だと言ってしまっても過言ではないだろう。
前述のロシアの政治家は、子供を持たないなんて本人のエゴでしかないと言ったが、子供を持つこともまた、本人のエゴでしかないのではないか。
しかし、エゴで子供をつくって何が悪いんだろう。
自分自身、基本的には退屈しのぎみたいな感覚で子供をつくって親になった。
自由の刑に処された状態で、子供をもつという判断をし、その結果生じた、子供を育てるという責任を負っている。
子供を持つかどうか迷っている人に伝えたいのが、この判断とそれに伴う責任って、案外シンプルで力強いものですよっていうこと。
たとえば、40代とかにさしかかってくると多くの人が感じる「中年の危機(ミッドライフ・クライシス)」というやつがある。
人生の後半戦を迎え、心身ともに衰えを感じてきたり、これまでの人生で成し遂げられなかったことを後悔したり、この先もどうせ大したことはできないんじゃないかと諦めが生じたりしてくる。
いわゆる「何者にもなれなかった」という感覚。
この世の中が、ごく一握りの成功者と圧倒的多数のそうじゃない人でできているという構造上、ほとんどの人が「何者にもなれなかった」はずだし、周囲からは成功者だと思われている人だって、本人は深い後悔の中で生きていたりする。
そんな世の中でみんなにおすすめしたいのが、子供を持つという判断。
何をもって「何者」になれたとするかは人によって違うだろうけど、たとえば誰かにとって人生を左右するほどの影響力を持てたらとか、自分が生きた証を残せたと確信できたら何者かになれたと思えるんじゃないだろうか。
だったら、子供を持つことで、それらの感覚のほとんどを得られます。
「何者にもなれなかった」と思っている人こそ親になったほうがいい。
なお、自分の生きる意味の都合だけで子供をもつなんて、なんだかものすごく罪深いように聞こえるかもしれないけど、子供を持つかどうかという話しかしていなくて、生まれてきた子供をどう育てるかの話はまだしていないってことに注目してほしい。
河童じゃない我々は生まれたいかどうかについて子供の意思確認ができないので、子供を持つかどうかは親のエゴだけでいいと思っているという話です。
罪深いのは、子供を育てるにあたって親のエゴを持ち込みすぎることのほうでしょう。
また、人生の後半戦にいる親に対して、子供というデビューしたばかりの生き物がすぐ近くにいるっていう、この明るさもシンプルにプラス要因になる。
ものすごい勢いで知識を吸収して成長していくまぶしい存在をすぐ近くでサポートできるのは楽しい。
この話はTBSラジオの長谷川さん(aka黒幕)と話したことがあって、そしたら先日ポッドキャストでそのことに言及してくださっていた。(54分あたり)
※番組本編もとても示唆に富んだ内容で、全編通しての聴取がオススメ!
Part1「五十歳。何がめでたい!?~人生100年時代の後半戦をどう生きるか」2024年8月25日放送 | TBSラジオ
自分の場合は、血の繋がった子供にとっての「何者」かになったよという話なんだけど、長谷川さんが仰るように、その対象は別に実子じゃなくてもいいわけで、後輩や部下でも読者やリスナーでもいい。
逆に言えば、後輩や部下や読者やリスナーがいない立場でも、子供をつくることで何者かになることは可能ということで、それぞれの環境において、手に入れやすい対象を手に入れたらよろしいかと思います。
