森の掟

twitter: @guatarro

「LL教室の試験に出ない90年代シリーズ 1991年」をふりかえって

さる4月1日、LL教室のトークイベントがいつものように荻窪ベルベットサンで開催された。

今年に入ってから、90年代J-POPを1年ごとに取り上げるイベントをやっており、今回は2回目。

前回は1998年編として、ゲストにBEAT CRUSADERS?THE STARBEMSの日高央(ヒダカトオル)さんをお招きし、CDバブルの時代とインディーズシーンの勃興について、危険球が飛び交う半分以上がオフレコな感じで語って大盛り上がり。

 

さて今回はまた趣向を変えて、ゲストに精神科医にしてミュージシャンの星野概念くんをお迎えし、1991年を掘り下げることになった。

星野概念といえばつい先日、あのいとうせいこうさんとの共著「ラブという薬」を出したばかりで勢いに乗ってるタイミング。

ラブという薬

ラブという薬

 

 

星野概念のこと

星野くんとは昔お互いバンドをやっていた頃からの繋がりで、何度か対バンしたことも。

I'M SENSITIVE

I'M SENSITIVE

 

このCDが出たのももう20年前か!

 

その後、バンドを離れてお互いにマルチな(=いろんなことに首を突っ込む)人生を送るようになったんだけど、星野くんの動向は常に気にしてた。
去年には何となく流れでサシで飲むようになり(わたくしお酒が弱いので誰かとサシで飲むのは人生で数度)、流れで彼がやってる星野概念実験室というグループのライブにカホンで参加するなどした。

そして今年、LL教室で90年代J-POPを掘り下げようということになり、イベントのゲストに誰を呼ぼうかという会議の際に何気なく星野くんの名前を出し、自分が知ってる彼の人となりを説明したところ、ぜひぜひということに。

 

テーマはどうするか

星野くんに来てもらうならどういうテーマでいくか。

以前に飲んだときにチャゲアスのことがすごく気になっているという話をしていたので、じゃあASKAオリコンチャート上位のヒット曲を連発した1991年だろうと。

1991年といえばSMAPがデビューした年ということで、ジャニーズ研究家の矢野利裕くんとしても語り甲斐があるであろうと。

森野さんや自分は当時高1~中3という多感な時期であり、時代の空気を絡めた話ができそうだし。

ちなみにわたくしハシノがどんな1991年を過ごしたかについてはこの記事を参照のこと。

guatarro.hatenablog.com

 

そんな感じでテーマは決まり、打ち合わせや顔合わせと称した飲み会などを重ねつつ当日へ。

 

イベント前半戦

いよいよイベント当日。
まずは1991年とはどんな時代であったか、いつものようにパワポでつくった資料を投影しながら振り返る。

 

 

前回1998年をテーマにした際には、いうても20年前だし客席と一緒に懐かしむモードで進んでいったんだけど、今回はちょっと様子が違った。わりとベタなあるあるネタのつもりでしゃべったことが、なんか反応薄い。

あとで気づいたけど、1991年ってもうほとんど30年前なわけで、アラサーの人でさえ物心ついてるか微妙なレベルの過去なんだよなー。そりゃ反応薄くもなるわな。

 

たとえば、この年のオリコンアルバムチャート1位はユーミンの「天国のドア」なんだけど、ユーミンが毎年冬にアルバムを出して、アルバムのコンセプトを発表し、それが恋愛の神様のお告げのように世間に受け取られていたことなど、そういう時代の空気みたいなものはなかなか後世に語り継がれづらいし追体験が困難。
またたとえば、アラサー以下の人にとってドリカムといえば男女2人という形態で思い浮かべると思うんだけど、40代以上にとってのドリカムはいまだに男2人女1人の形態。なのでたまにおじさんが「おっ、ドリカム状態だね」などと言うときは男2人女1人のこと。当時はこの編成が珍しかったのですよ。

 

チャートを眺めてみてあらためて思うのは、時代の転換期だなということ。

1990年にバンドブームが最盛期を迎え、同時に終わりかけた。1991年にはすでにチャートの100位以内にはほとんどロックバンドがいない。
90年代前半のチャートを席巻するビーイング系は、B'z以外まだ本気を出していない。T-BOLANWANDSZARDはこの年にデビューしている。
つまり、バンドブームとビーイング系の境目。

 

また、この年にデビューしたアーティストがなかなか興味深い。
電気グルーヴフィッシュマンズスピッツBLANKEY JET CITYLUNA SEA、L-R、スチャダラパーなど。
80年代後半からバンドブームまでの若者向け音楽といえばだいたいパンクかメタルだったわけだけど、ここにきてテクノやレゲエ、ヒップホップ、ヴィジュアル系まで音楽性が一気に広がった感じ。
その後の90年代の日本のロックの基盤ができた時代だと言えるかも。

 
 
 

 

一方でチャートの最上位を見てみると、「ラブ・ストーリーは突然に」「SAY YES」「しゃぼん玉」のようにドラマの主題歌から売れた曲が多い。それと同時に、ASKA槇原敬之長渕剛、ドリカムと、その後薬物がらみで問題になった人がベスト10のうち半分を締めているのも何かを示唆しているかもしれない。10位以下にしてもJ-WALKとかいろいろいる。

むりやりこじつけるなら、バブルの狂騒のなかで大衆に響く音楽を100万枚単位で届けるというハイパーで強烈な体験をした人が、祭りがはじけた後、当時のハイパーさを人工的に得ようとしたのかもしれないなとか。

 

イベント後半戦

休憩を挟んで、いよいよ星野くんによるチャゲアス論に。
ジェームス・ブラウン矢沢永吉、フレディー・マーキュリーなど、とにかく昔からジャンルに関係なく強烈な個性のアーティストに魅力を感じるという星野くん。
そうなるとASKA飛鳥涼)という人も強烈さという意味ではかなりの人材。

まずは1991年にリリースされたチャゲアスの代表曲「SAY YES」の歌詞を分析。

このとき壇上には精神科医と文芸批評家と構成作家という、言葉のプロが揃っていたわけで、それぞれの観点から容赦なくメスを入れていく。

 

余計な物など無いよね
すべてが君と僕との愛の構えさ
少しくらいの嘘やワガママも
まるで僕をためすような
恋人のフレイズになる
このままふたりで 夢をそろえて
何げなく暮らさないか
愛には愛で感じ合おうよ
硝子ケースに並ばないように
何度も言うよ 残さず言うよ
君があふれてる
言葉は心を越えない
とても伝えたがるけど
心に勝てない 君に逢いたくて
逢えなくて寂しい夜
星の屋根に守られて
恋人の切なさ知った
このままふたりで 朝を迎えて
いつまでも暮らさないか
愛には愛で感じ合おうよ
恋の手触り消えないように
何度も言うよ 君は確かに
僕を愛してる
迷わずに SAY YES 迷わずに
愛には愛で感じ合おうよ
恋の手触り消えないように
何度も言うよ 君は確かに
僕を愛してる

 

まず間違いなく言えることは、基本的にASKAは自分にしか興味がない人で、自己完結してる。恋愛の歌であっても、相手に語りかけていても、相手がどう考えているかは実はあまり関係ない。
「余計なものなどないよね」の「ね」にはっきりあらわれている。

「君は確かに僕を愛してる」という断言に、根拠はあるのか。とかね。

何よりも、「SAY YES」って命令形だから。YESって言えってことだから。

 

星野くんによると、ライブで「SAY YES」を歌うとき、コールアンドレスポンスになるんだけど、ヒップホップでよくあるように「SAY HO-」ってコールされたらレスポンスは「HO-」だけであって、「SAY YES」って言われたレスは「YES」だけのはず。しかしチャゲアスの場合「SAY YES」ってASKAにコールされたら観客も「SAY YES」ってこたえるらしい。つまりここでの「SAY」は、観客対する呼びかけ(コール)ではなく歌の世界の中でASKAがしつこく相手に語りかける洗脳ワードのパーツであり、観客もコールに対するレスポンスというかたちではなくASKAと同じ目線で洗脳のテクニックを練習するかのごとく「SAY YES」とこたえるのだという。

…この説明、伝わってるかどうか全然自信がないけどいかがだろうか。

 

とにかく、ここまでは言葉の専門家が寄ってたかってASKAの言葉からASKAという人間を解き明かしたパート。

続いてそこからは、ASKAがいかに強烈か、チャゲがいかに女房役として支えているか、フィジカルな存在としてのASKAをライブ動画をまじえてじっくりと味わっていく。

 

いくつかの動画を観た中で、ベルベットサン全体が揺れるほどの笑いとどよめきが起きたこれをご紹介。


BankBand With ASKA - 名もなき詩~YAH YAH YAH

 

ミスチルの「名もなき詩」を完全に自分のものにして歌い上げ、そこから「YAH YAH YAH」へと続く怒涛の展開。

「YAH YAH YAH」の思わず拳をあげたくなるあのカタルシスがライブでさらに増幅されてるし、バケモノかってレベルで歌うまいASKAが、薬物に頼らずにあそこまでブチ上がってるさまは、もう笑いが出るし元気になる。

イベントから数日たった今日までの間にまた何回か観てしまった。

 

まとめ

ASKAの動画でひとしきり盛り上がったあと、そろそろ締めのパートへ。

 

結論めいたことを言うなら、1991年はやはりバブル的なものや昭和的なものの終わりの時期であり、平成的な不景気のはじまりでありって感じ。

キメキメの衣装がダサいものになり、Tシャツとジーパンで客前に出ることがよしとされるようになった。

華やかな歌番組ではなく、ときに内輪ノリにもなるようなバラエティ番組の時代。

アイドルという存在がやりづらくなり、アーティストというパッケージで売り出さざるを得なくなったり(ZARDLINDBERGなど)、ひたすらポジティブで、だけど具体的なことは言わない歌詞のJ-POPがいよいよ時代の真ん中に入ってきたりした。

 

そんな転換期を象徴するような存在としてピックアップした1991年のこの曲を、最後に一緒に味わいましょう。


織田裕二 歌えなかったラヴ・ソング PV

何か大事なことを言ってるような雰囲気だけはするけどっていう、尾崎豊っぽさだけはある歌詞。

 

何曲か歌詞を分析してみたけど、徹底的に抽象的。

誰にでも当てはまるように、聴き手が我が事と感じてくれるような余地をわざと残しているかのよう。

「がんばろう」と歌うとき、「何のために(WHY)」「何を(WHAT)」がんばるのかは一切言わない。「どのように(HOW)」がんばるかをとにかく言い続けるっていう。

 

もしかしたらこれ、昭和40年代ぐらいまであった政治の季節の反動なのかも。

「世の中を良くするために」など、あの時代にはWHYが満ちていた。WHATもあった。

だけど時代は移り変わり、重苦しくてダサい昭和を脱ぎ捨てて、軽やかな平成を生きることになったとき、大きな物語みたいなものは邪魔になる。

 

それがJ-POPの歌詞の背景にある空気なのかもしれない。っていうような話を最後にして、イベント終了。

今回も硬軟織り交ぜてなかなか深いところまで話せたのではないでしょうか!

 

次回は7月1日。また豪華ゲストをお招きしてやりますので、よろしくお願いします!