森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

走るひきこもりが日本語カバーに救われた話

ただのバンドマンくずれの会社員であるハシノが、今のような書いたりしゃべったりという活動の場を得たのは、マキタスポーツさんのラジオ番組がきっかけ。

 

ラジオ日本「ラジオはたらくおじさん」という番組で「カバー曲特集」のオンエア時、リアルタイムでハッシュタグでつぶやきまくっていたら、「そんなに詳しいならゲストで出てみる?」と声をかけていただいたのです(それ以前にはお互いのバンドで何度か対バンしていた程度)。

 

そして気づけば「非常勤講師」という名の準レギュラーとして何度か番組に呼んでいただき、番組終了後もそのときの縁からLL教室が結成されて現在に至るというわけ。

そのときから今もずっと、ハシノにとって「洋楽の日本語カバー曲」はライフワークなのです。

 

 

じゃあそもそもなんで日本語カバーを掘ることにしたのか。

今日はいままでどこでもしてこなかった個人的な話をします。

 

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走るひきこもり

10年ぐらい前、ずっとやってたバンドが解散し、同じぐらいの時期になかば衝動的に仕事も辞めて、しばらく実家に戻っていた時期があって。結構いい年だったのに、この先どうやっていくのか白紙になったことがあった。
 
たまに求人サイトを見て履歴書を送ったりする以外は家にいても気まずいし、かといってそんな状態だと友だちにも会いたくなく、すべてが億劫になっていくのが自分でもはっきり自覚された。
 
これ近所の人からすると完全にいま話題の中年ひきこもり状態だったと思う。 
 
それでもとにかく時間はあって、親の車もあって、少しだけ貯金もあって、でも誰にも会いたくない。 なので、ひとりで車でひたすら出歩いていた。
 
たとえば古戦場やマイナーな戦国武将の城やお墓を巡ったり。意味なく和歌山の山奥の那智の滝を目指したり、帰りにさらに遠回りして落合博満野球記念館まで行ったけど夜中だったので前を通っただけみたいな、そんなことをひとりで毎日毎日繰り返して。
 
高速道路は使わず、ポッドキャスト時代の「東京ポッド許可局」やエレ片タマフルなんかを聴きながら近畿地方のあちこちを走り回っていた。
 
走るひきこもりだった。
 

暇つぶしとしてのディグ

そんな暇つぶしの一環として、リサイクルショップを巡ってレコードをディグる活動もあった。 
 
同好の士にはわかってもらえると思うけど、リサイクルショップにレコードがあるかどうかは運次第。2時間ぐらいかけてたどり着いたけど空振りでしたっていうのもザラで。
また運良くレコードを扱っていたとしても、どこにでもあるようなムード音楽とかクラシック全集みたいなハズレしか売ってないこともよくある。
 
それでも飽きもせずに毎日ひたすらいろんな土地を巡って、レコードを掘った。
 
郊外の国道沿いの巨大な倉庫みたいなリサイクルショップの片隅で、平日の昼間にいい大人が必死になってエサ箱をあさって1枚50円〜300円ぐらいのレコードを数十枚買ってく。
 
今にして思うと、砂漠でコンタクトレンズを拾うような、暇つぶしとしてはうってつけの活動に没頭することで、押しつぶされそうになる感じと戦っていたんだと思う。
 
リサイクルショップでレコードを掘る人種のアンセム

鶏の口

座右の銘なんていうと大層だけど、まあそれ的なものとして意識してる言葉があって。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」というやつ。
 
牛の身体は大きいけどそんな牛の後ろのほうに位置するよりは、鶏のように小さくてもいいからトップになれって意味。大企業の下っ端でいるよりは起業して一国一城の主になれみたいな使われ方をすることが多い。
 
この言葉、別にサラリーマンの心意気だけじゃなく、人生のいろんな場面で適用できる。リサイクルショップでレコードを掘るときでさえ。
 
 
レコードコレクター道というものが、まあなんとなく存在していて。
ものすごい高値で取引されている貴重盤だったり、名盤とされているレコードだったり、そういうものを収集していくのが王道なんだけど。
そういう、すでに多くの人が取り組んでいるテーマに、今から参入するのはどうにも気持ちが乗らない。牛後っぽい。
 
それよりは、ものすごくニッチな分野でもいいからその道では日本一になるほうが鶏口っぽくていいなって。
それに何より、貴重盤や名盤はリサイクルショップではまずお目にかからないしな。
 
そこで選んだのが日本語カバーだったというわけ。
ひきこもりの暇つぶしに近い行為とはいえ、テーマやルールがあったほうがいいかなって。
 

日本語カバーを選んだ理由

日本語カバーって何?とか詳しいことはLL教室のnoteに書いたのでそちらを参照していただくとして、なんで日本語カバーを選んだかって話をします。

 
何より、幼少期から中学生までを過ごした80年代という時代は、日本語カバーの黄金時代だった。
 
ドラマの主題歌や歌番組で耳についた曲が実は洋楽の日本語カバーで、自分が知ってるバージョン以外に外国人が英語で歌ってる「原曲」があるっていう事実、小学生ぐらいの時分にとっては、何か裏事情にアクセスしたみたいなドキドキ感があった。
 
母親が家で流していたAMラジオの音楽番組とかでたまにそういう話題になって原曲がオンエアされたりして。
 
最初に原曲も聴いたのは、たぶん小林麻美「雨音はショパンの調べ」とか椎名恵「今夜はAngel」とかそのあたりだったと思う。それか「ジンギスカン」かな。
 
日本語カバー版を先に聴いた状態で原曲にも触れて、知ってる曲なのに知らない!みたいな、なんともいえない不思議な感覚になったことを覚えている。
 
その不思議な感覚の名残は、数十年たったいまも耳にかすかに残っていて、いまだに新しい日本語カバーを発掘するとドキドキしてしまう。
 

そしてLL教室へ

その後なんとか仕事も見つかり、家族にも恵まれ、おかげさんでぼちぼちやらせてもらってます。
 
ただ、この状態まで立て直せたのはほんとに運の要素が大きすぎるので、ひきこもり関係のニュースとかいまだに他人事とはまったく思えてないっす。
 
近所の人はもちろん、仲が良かった友だちや家族にすら、できるだけ顔をあわせたくないっていうあの感覚。世の中にどんどん背中を向けて閉じていくようなあの感覚。
たぶん、いまこの瞬間もあの感覚を味わってる人が数十万人単位で世の中に存在してるんだよな。
 
自分の場合は日本語カバーのレコードを掘るっていう行為に没頭できたおかげで、その状態をこじらせずに済んだような気がしてる。
いろんな会社に履歴書でハネられまくってても、折れずに求職を続けられたのは、明日はもっとヤバい日本語カバーが見つかるかもしれない!っていう前向きなメンタリティが保てたからなんじゃないか。
大げさじゃなくそう思ってます。
 
しかもそうやって暇な日々に地道に掘ったレコードたちがマキタさんのラジオで日の目を見て、リスナーの人にも伝わって。
 
別に具体的な見返りというか利益を求めてやっていた行動じゃないけど、何かニッチな分野で日本一を目指そうって漠然と考えたあの日の自分はグッジョブだと思う。
 
いちリスナーとしても大好きだった「はたおじ」は終わってしまったけど、そこでの出会いがきっかけでLL教室が結成され、イベントごとに日本語カバーを少しずつ紹介できたりしてる。
 
 
 
あ、そうそう。
今度そういうイベントやるんですよ。
時間が許す限り日本語カバーを紹介しまくるやつ。
 
よかったら遊びにきてください。
 
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LL教室presents『実習#1』
 
2019年7月12日(金)
新宿V-1
開場19:00 / 開演19:30
前売2500円 / 当日3000円
 
▼出演
4×4=16(落語×HIP HOP)
LL教室(日本語カバー曲特集)
MELODY KOGA(ピアノ弾き語り)
ナツノカモ(立体モノガタリ
 
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