今日もしつこく1990年前後のメタルの話をします
メタルのことをよく知らない人によく聞かれるのが、「メタルとかハードロックとパンクってどこが違うの?」っていうやつ。
たしかにどれもこれも、歪んだギターがザクザクいってるうるさいロックであり、同じように聴こえてもしょうがないかもしれない。
だけど、当事者にとってはその違いは明確で、お互いに「あいつらと一緒にされるなんて心外だ」と思っていたりする。
特に80年代にはメタルとパンクは仲が悪かった。ハードコア・パンクの怖い人たちが「メタル狩り」と称してメタルバンドのライブを襲撃するみたいな話はよく耳にした。
どちらも暴れたい若者のための激しいロックであることは同じなんだけど、テクニックがあることや様式美を重んじるメタルと、テクニック以外の面を重んじるパンクでは、思想的に相容れない。
たとえばもっとも有名なパンクロッカーの一人であるシド・ヴィシャスという人は、セックス・ピストルズに加入するまでは楽器を触ったことがなかったというし、なんならそれがかっこいいこととされている。メタルの世界ではそんなこと絶対にありえない。(似た例としては、脱退したギタリストの代わりにザ・タイガースに加入したのにギターが弾けなかった岸部シローぐらい)
実は一部で両者のいいとこ取りみたいなムーブメントもあって、個人的はそのあたりの音は大好物なんだけど、一般的には犬猿の仲だった。
1990年にはこんな番組がNHKで放送されたりもした。
対立構造の緩和
それが90年ぐらいになってくると、対立構造が徐々になくなってくる。
まずその頃のパンクは、グラインドコアみたいな方向に先鋭化したりネオアコやグランジに流れたりしたことで、分散していったイメージがある。
メロディックパンクが盛り上がってくるまでの数年間、パンクはおとなしかった印象。
たとえば日本でいうと90年代に活躍したスガシカオ、カジヒデキ、片寄明人といった人たちはもともとパンクロッカーだったそうで、だけどミュージシャンとしてはパンクという出自から発展していった先で開花している。
そうやって先鋭化と分散化が進んで、保守本流のパンクロックというものの姿が一瞬消えたように見えていたのがこの時代。
一方その頃メタルもじわじわ時代遅れになっていく流れがあり、両者ともにかつての勢いがなくなって、メタル対パンクの対立構造はなくなっていった。
その傾向の行き着く先に、メタル界でちょっとした流行が発生したのだった。
90年代メタル界で発生した謎の流行
それは何かというと、メタルのバンドたちが一斉にパンクロックの名曲をカバーしはじめるという動き。
たとえばLAメタルのトップランナーであるモトリー・クルーやスラッシュ四天王のメガデスが、ともにセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」というど定番をベタにカバーしたり、ガンズ・アンド・ローゼズがダムドやイギー・ポップらをカバーしたカバーアルバムをリリースしたり。またメタリカは一足早くて1987年にカバーアルバムをリリースしており、その中でパンクも取り上げている。
カバーアルバムといえばボン・ジョヴィの弟分として登場したスキッド・ロウもリリースしており、ラモーンズなんかをカバーしてる。
もう少しマイナーどころでは西海岸のエクソダスっていうバンドもエルビス・コステロのカバーをアルバムに収録したし、先日このブログで書いたL.A.GUNSも、ビリー・アイドルなどをカバーしたカバーアルバムをリリースしてる。
1990年前後の数年間だけに集中したこの流行、いったいどういうことなのか。
メタル対パンクの対立構造がなくなってきたという土壌の上に、2つの理由が乗っかっているんじゃないか、という推測が今日の本題です。
1ミリも興味ないですよね、ほんと申し訳ありません。
理由その一
まず、ハードロック/ヘヴィメタルというジャンルを作った第一世代ではなく、ヘヴィメタルの影響を受けてヘヴィメタルをやり始めた第二世代に世代交代が進んできたこと。
第一世代とは既存のブリティッシュ・ロックのグッとくる部分を誇張し、パンクのいいとこ取りをしつつ、激しく強く悪く重く進化させていくことで「ヘヴィメタル」っていうジャンルそのものを作っていった人たち。具体的にいうとオジー・オズボーンであり、ジューダス・プリーストであり、アイアン・メイデンでありってことなんだけど。
それが1990年頃になると次の世代、つまり第一世代のつくった新ジャンルとしてのメタルを聴いてメタルの道を志した世代が登場してくる。
その中には、実はメタルと同じぐらいグラムロックも好きだしパンクも好きっていう70~80年代のいろんなロックを聴いてきた人たちが少なからずいたはずで。
オリジネーターである第一世代と違って、参照するものがいろいろ存在したため、カバーをやろうという機運が盛り上がりやすかったのではないか。
理由その二
もう一つの理由として考えられるのが、ヘヴィメタルがモテなくなりはじめてきたという時代の変化の影響。
メタルがダサいものになっていく流れって1991年のNIRVANAで決定的になるんだけど、ちょっと前から予兆はあったわけで、そんな向かい風の予感を感じたメタル勢が、パンクをカバーすることでブランディング面で保険をかけようとしたのではないだろうか。
「たしかに今やってる音楽はメタルっぽく聴こえるかもしれないけど、なんていうかこれはマネージャーに言われるがままにビジネスとして誇張してる?みたいなもんで。もうちょっと幅広く、アグレッシブでラウドなロックっていうくくりで捉えてもらえるとありがたいよ。ああ、たしかにメタル一辺倒のダサい人たちっているよね、でもオレたちはそういうのとは違って実はきみらと同じ側の人間なんだぜ?その証拠にパンクも大好き!ラモーンズ最高だよな!」みたいな。
ここまで露骨に言い切ってる例は見たことないけど、オブラートにくるんで似たようなことを言ってるインタビューは当時ちらほら見かけた。
そんな取り組みがどれほど効果を発揮したかはわからないけど、歴史的事実として、この後ほどなくしてメタルは音楽シーンの表舞台から消えていくことになる。
まあ、ちょっと保険をかけたぐらいでは抵抗しきれないレベルの地殻変動だったということか。
メタルの片思い
以上、1990年前後にメタルの人たちが一斉にパンクをカバーした流れを見てきたわけだけど、おもしろいのが逆パターンは皆無ってこと。
つまりパンクの人がメタルをカバーするって例は聞いたことがない。AC/DCとかブラック・サバスぐらいまでならパンクの人がカバーするパターンはあるけど、ど真ん中のヘヴィメタルはさすがに手を出す人はいない。(パンクバンドがサウンド面をまじめに強化していった結果どんどんメタル化するパターンはわりとあるんだけどね、筋肉少女帯とかスーサイダル・テンデンシーズとか)
リスナーとしても「メタルも好きっていうパンクの人」よりも「パンクも好きっていうメタルの人」のほうが多い印象。
なんだろうか、この片思い。
「パンクはヘタクソなくせに開きなおってるから嫌いだ」みたいな筋の通った意見をもったメタルの人は確かに少なからず存在するけど、「激しいロックが好きなんだよねー」っていうぐらいで特にこだわりのない人にとっては、思想的な対立は関係なく(あえて無視してでも)かっこいいと思うものを聴いていたんだと思う。自分もそういう節操ないタイプだった。
まあ、いろんな思惑や背景があったにせよ、メタルバンドによるパンクカバーっていう流行が、メタル一辺倒のキッズたちがいろんな音楽に触れるきっかけをつくってくれたことは間違いない。
うまくいってるカバーもあれば、残念な仕上がりになってるものもあったけど。
というわけで最後に、いろんなパンクカバーがある中で個人的に激推ししたい最高のやつを紹介します。
西海岸スラッシュメタルのバンドによる、デッド・ケネディーズの代表曲のカバー。
毒々しいジャケットのイメージそのまんまの歪みまくったギターがやばいでしょ。最高最高。
いや、それとも、やっぱりパンクの人ってやっぱこれ聴いたら怒るんだろうか。
せつない片思いなんだろうか。