先日Apple Musicが便利すぎて生活が一変したという話をしたんだけど、リスナーの生活だけじゃなくミュージシャンの生活にも大きな影響を与えてるんじゃないかって思うできごとがあったので、今日はそれについて。
参考:先日の記事
大量のレコードとCDに囲まれて暮らしてた生活がApple Musicを2年半使って一変した話 - 森の掟
例によってフィルターバブルにたゆたうおじさん
過去記事で書いたように、Apple Musicを使いこなせば使いこなすほど自分好みの音楽ばかりがレコメンドされてくるようになり、心地よいフィルターバブルが仕上がっていく仕組みになっている。
メタル畑で育ったおじさんのApple Musicのタイムラインには、今日も「アイアン・メイデン 隠れた名曲」だの「スレイヤーに影響を受けたアーティスト」だのといったタイトルのプレイリストが並んでおり、そこをぐるぐる回遊してるだけで十分な感じになってしまっているわけ。
しかも、「さてはこいつ特定の時代に思い入れがあるな」ということがApple Musicにバレてしまっており、「ロックヒッツ 1991年」みたいな、世代をピンポイントで突いてくるプレイリストまでオススメしてきやがる始末。
でまたホイホイのせられてそのプレイリストを再生しちゃうっていうね。Apple Musicめの思う壺。
そんなある日、「ロックヒッツ 1991年」みたいなプレイリストをだらーっと聴いていて気づいたことがあって。
こういうプレイリストには、いわゆる一発屋みたいな曲もたくさん入ってる。こういう機会でもないと聴くことないだろうなっていう。たしかにあの頃に聴いてたんだけど、今の今までその存在もアーティスト名も忘れ去っていたような。
そういうアーティストからすると、過去に一発でもかすっていたおかげで30年ぶりに世界中のフィルターバブルおじさんに聴いてもらうことができたってことになる。
一発屋たちの収入について考える
ブームの頃にある程度人気が出たものの、ジャンルや時代を超えるようなA級にはなれなかったバンドはたくさんいる。
そのなかで、現在も細々とライブ活動を続けている人たちも結構いる(これはSNS時代およびフェス時代になって可視化された)。
でも、そういう細々とがんばってるバンドでは、ニューアルバムをレコーディングしたとしても、CDをプレスして流通に乗せて、っていうビジネスはもう成り立ちにくい。全世界のCD店の、限られた棚のスペースを確保できるほどのネームバリューはさすがにないよねっていう。
たとえベテランにやさしいメタルの世界であっても、勢いのある若手の新譜がひしめきあってる中に割り込むほどの人気も実力もさすがにない。どうしてもライブでの物販かファンクラブみたいなルートで通販中心にやってくしかない。
また、過去の音源はいったん廃盤になってしまったら、中古市場でいくら高値がついても、アーティスト本人には1円も入ってこない。ファンの聴きたい気持ちがアーティスト本人の収入に繋がるルートが存在しなかった。
そういう人たちにとって、Apple MusicやSpotifyのようなサブスクリプションの時代というのは大きなビジネスチャンスになってるんじゃないだろうかと思ったわけです。
L.A.GUNSさんのこと
80年代末から90年代初頭にかけてちょっと人気があった、L.A.GUNSというバンドがいる。
あのガンズ・アンド・ローゼズの初期メンバーであるトレーシー・ガンズという人が中心となって結成された、いわゆるLAメタルのバンド。
実はわたくしこのバンドが好きで、来日公演も見に行ったほどだった。
軽薄で脳天気なLAメタルのバンドたちの中で、ちょっとダークでイルな雰囲気を醸し出していたのが、なんかかっこいいなって思っていたのだった。
以前にすげー長文の記事で書いたように、ヘヴィ・メタルやハードロックという音楽は、1991年以降、急速に勢いを失っていくんだけど、このL.A.GUNSも例に漏れず音楽性を時代にあわせてブレさせた挙句に消息がわからなくなってしまった。
自分もその頃にはメタルへの興味を失っていたので、90年代中盤以降はこのバンドのことを思い出すこともなく、平和な日常を送っていたのだった。
そしたら2000年代の中頃、内田裕也が毎年やってる「ニューイヤーロックフェスティバル」をぼんやり観ていたら、海外と同時開催ってやってる、アメリカの会場に、なんと「L.A.GUNS」の文字が!
キャパ200人ぐらいのちっちゃいライブハウスで、往年のダークでセクシーな雰囲気をどっかに置いてきてしまって変わり果てた姿のL.A.GUNSが、悪ノリとしか言いようのないライブパフォーマンスをやっていたのであった。メンバーもよくわからない感じに入れ替わっていたし。
どういう経緯があってのことかはわからないけど、その姿にものすごく悲しくなってしまった。見てられないっていうか。
そんなわけで、L.A.GUNSの最後の印象は、落ちぶれた姿だったんだけど、そこからさらに10年が過ぎた最近、Apple Musicを通じて再開したっていうわけ。
中学の卒アルとしてのApple Music
落ちぶれた姿の印象のまま記憶から消えていたL.A.GUNSの存在。
来日公演に行ったほどの自分ですらそうなんだから、99.99%の人にとってはさらに思い出す理由がない。
映画「リメンバー・ミー」の設定でいうと、死者の世界からも消えてしまう状態。
ところが、Apple Musicの「ロックヒッツ 1991年」みたいなプレイリストのおかげで、偶然L.A.GUNSに再会する人が続出しているはず。もしかしたら初めてL.A.GUNSに出会って、好きになる人だって出てくるかもしれない。
そう、AppleMusicの「ロックヒッツ 1991年」は、いわば中学の卒アルみたいなもんで。
「そういえばいたなこんなやつ、元気にしてるかなー」ってな具合で再会できるようになっている。
しかもご丁寧に、アーティスト名をクリックしたら当時から最新までの全アルバムが出てきたりする。
そのおかげで、中学の一時期にめっちゃつるんでたやつと久しぶりに飲みに行くみたいな感じで、L.A.GUNSの2018年のライブアルバムを聴くことができた。
どうやらイタリアのミラノでのライブの様子を収録したアルバムのようです。
どれぐらいの小バコがわからないけど、世界中をまわってがんばって活動を続けていることが知れたし、再生することでわずかでも本人の収入を増やすことができた。
L.A.GUNSみたいなバンドは世界中の40代男性の中学の卒アルに載ってるはずだから、全部足していったらわりとバカにできない額になるんじゃないだろうか。
しかもライブアルバムだから、新曲をつくってアレンジしてスタジオをおさえて、っていう工程は不要。ライブ音源をちょっと整えるぐらいでお手軽にリリースできてしまう。
「小商い」っていうのがキーワードとしてここ数年注目されてるみたいだけど、メタルの世界も小商いの時代になってきているのかもしれない。
少なくともL.A.GUNSさんにとっては、ちょうどいいビジネスモデルがなくて落ちぶれざるを得なかった2000年代に比べると、だいぶいい時代になっているのかもしれない。
しかしいい年して中学の卒アルを見返すなんてよっぽど心が弱ってるのかって感じだし、わたくしのように定期的に卒アルを見返してああでもないこうでもないと論をこねくりまわすのはちょっとした変態だと思うので、安定した収入源になるほどの話ではないかも。
L.A.GUNSさんもそんなにうまく商売できてないかもしれない。
ちょっと本人に聞いてみたいところである。