ここ数年、節分ごとに出てくるこの話題。
「恵方巻っていつの間に広まったのか」「マーケティングによって作られた偽物じゃないのか」みたいな声をよく耳にするんだけど、個人的な体験でいうと、亡くなったおばあ様(大正生まれ)が「丸かぶりや」って言って昔から節分の日にやっていた。
大阪の色街が発祥とか言われても、あのおばあさんにそんな色っぽい文化との接点はなかったはずなので、ちょっと違和感がある。
ともあれ、比較的近い過去に日本のある一部の地域で生まれた風習ということは間違いないと思う。それからここ数年で全国に広まっていったと。
それまで恵方巻の風習がない地域の人からしたら、いつの間にか当たり前のような顔をしてスーパーやコンビニに太巻が並んでいるのを見るとやはり変な感じがするだろう。その気持ちはすごくよくわかる。
最近読んだ本の中でおもしろかったのがこれ。
神話で読みとく古代日本 ──古事記・日本書紀・風土記 (ちくま新書)
- 作者: 松本直樹
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2016/06/24
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
みんなが何となく知っているいわゆる<日本の神話>というやつが、誰がどのような意図で作っていったのか、古事記と日本書紀を読み解いて推理していくという試み。
古事記や日本書紀には、通して読んでいくと明らかに前後が矛盾しているところや登場人物のキャラがいつの間にか変わってるところが散見されるらしく、それはいくつかの神話を都合よくつなぎ合わせていった名残りなのではないかという説が展開されている。
そのときからいわゆる<神話の世界観>が日本全国に伝わっていって、今となっては日本中どこに行っても神社があって、アマテラスだとかオオクニヌシとかの神様がまつられている。青森の人も鹿児島の人も新潟の人も、我が国の神話といえば天の岩戸の話とか因幡の白兎の話を思い浮かべると思う。
当たり前すぎることを当たり前に言っているだけのように見えるだろうけど、古事記や日本書紀が書かれる以前の日本では、地方ごとにぜんぜん違う神話や風習があったはずだ。奈良時代より前に、「この世界はどうやって誕生したんですか?」と奈良の人と鹿児島の人と青森の人に聞いたらまったく違う答えがかえってきたはず。
何がいいたいかというと、これから年月がたてば恵方巻もアマテラスみたいになるだろうなということ。
いま恵方巻に文句を言ってる人たちが寿命で死ぬ頃には、恵方巻はもう立派な日本人の風習になっているだろう。
奈良周辺の部族が信仰していたローカルな太陽の女神が、日本書紀に取り上げられたことで、いつしか日本全国の神様のトップの地位を得たように。