森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

ここ10年の大河ドラマの傾向から「おんな城主 直虎」を大胆予測してみた

2017年の大河ドラマの主人公は井伊直虎
はっきりいって無名の人物ですよ。

 

幕末と戦国時代とその他の時代を適度にローテーションしつつ、主人公の性別も適度に女性というバランスから考えて、たしかに2017年が戦国時代の女性というのは納得できる。
しかし、なぜ井伊直虎なのか。

そこにどんなメッセージを読み取れるのか、そして期待していいのか、といったあたりをいろいろ妄想してみた。

 

なぜ井伊直虎なのかを考える上でまず押さえておきたいのが、ここ10年の大河ドラマに存在している、2つの大きな流れ。

 

リアル志向

ここ10年の大河ドラマに存在する傾向のうちひとつめは、リアル志向。

龍馬伝」や「平清盛」などは特に顕著だった。

平清盛は画面が暗くて地味だ」と兵庫県知事が文句を言ったニュースを覚えている人もいるかもしれない。

 

昔の時代劇、つまり歌舞伎の流れをくむ様式美な作り方ではなく、リアルな設定、リアルな美術、リアルな時代考証を追求したいという意図が感じられる大河ドラマがいくつかつくられた。
(ちなみに言葉遣いに関しては、逆にリアルから遠ざかっている気がする。往年のジェームス三木脚本などは、21世紀の日本人にはもはや聞き取れないレベルでガチ)

 

このリアル志向については個人的には大好物なんだけど、世間的には賛否が分かれるようで、大河ドラマの作り手のなかでも少数派っぽい。
そろそろこの路線でまたやってほしいなと思っていたところ、今度の主人公は井伊直虎だというニュースが飛び込んできたわけ。

 

井伊直虎っていう、わざわざこんな無名な人物を取り上げるからには何か意図があるに違いないわけで、それは地元の自治体の招致活動が実を結んだというのもあるだろうけど、それだけじゃないと思いたい。

ではどういうわけなのか。
考えていくと、近年のリアル志向のことに思い至る。

 

そしてちょうど本屋に行ったらちょうどこんな新書が出ていた。

井伊直虎 女領主・山の民・悪党 (講談社現代新書)

井伊直虎 女領主・山の民・悪党 (講談社現代新書)

 

 

帯のコメントに「2017年大河ドラマの主人公はリアル「もののけ姫」だった!」とある。完全にピンときてしまった。

当時の井伊一族の領地は現在でいう浜松市引佐町という、静岡と長野の県境になっているかなりの山奥一帯。つまり田畑を耕して暮らすというよりは、炭を焼いたり、鉄を生産したり、獣を狩ったり、川を使って交易したりといった感じになるだろうと。そんな土地の女領主ってことで、「もののけ姫」とか書いてるけど、おそらくエボシ御前みたいな感じだろう。

 

よく知られていることだが、「もののけ姫」の世界観の背景には、網野善彦の影響がある。

網野善彦って人の功績についてものすごくざっくり説明すると、いわゆる「士農工商」じゃない人たちにスポットをあてたこと。川や海や山を拠点にした人々や、芸能や技術を身につけて定住せずに暮らしていた人々が実は日本の歴史上とても重要なんだよということを明らかにした。

もしもそんな網野史学が色濃く反映された大河ドラマになるんだとしたら、リアル志向の流れがいよいよここに極まってくる感じだ。

山奥を転々として暮らしている山の民である井伊一族が、京の都のカルチャーにめっちゃ影響された大大名・今川家とぶつかることで、価値観のゆらぎを体験する、みたいな話だったら最高だなと。

 

女性主人公

ところで、ここ10年の大河ドラマのもう一つの流れというのが、女性が主人公になる頻度が上がっていること。
篤姫」「江」「八重の桜」「花燃ゆ」と、4割が女性主人公の作品になっており、その前の10年間では「利家とまつ」しかないのと比べると明らかに増えている。

 

よく言われるように、いわゆる「歴史」といえば男性中心のものとされてきた(historyという言葉を「his+story」と分解できることが象徴的だよねという話もよく引き合いに出される)。
たしかに教科書に出てくる人名といえば圧倒的に男性ばかり。
洋の東西を問わず昔は女性の地位が低かったわけで、歴史上の人物が活躍する大河ドラマの主人公だってどうしても男性ばかりになりがち。

とはいえ、現代は男女同権であり、国や都市や企業のトップが女性であることも珍しいことではなくなってきた。つまり、未来からみた「歴史上の人物」の男女比はどんどんフラットになりつつある。

そんな時代に、過去の歴史上の人物を大河ドラマ化するとなると、主人公が男ばかりというのはいかがなものか。視聴者も半分は女性なのだから、男ばかりだと感情移入しづらいだろう。などという議論が、NHKのなかで行われているに違いない。
そんな思いが反映されたのが、女性が主人公になる割合。

 

その心意気、大いにアリだと思う。
基本的には大賛成なんだけど、ただしもろ手を挙げて‥っていう気持ちにはなれない。というのも、女性が主人公の大河ドラマは構造上、致命的な問題を抱えているから。
どういうことかというと、女性主人公たちについてわかっていることが少なすぎる。そういう人物が実在したことと、かろうじて生まれた年と死んだ年ぐらいしか、一次資料では確認できないことがほとんど。本当の名前すら怪しいケースだってある。
あとは、その人物が何年にどこにいたかを推測していくぐらいしかできなくて、どんなことをやったかはすべて想像。

 

活躍しすぎる問題

この想像というのがくせ者で、大河ドラマの女性主人公たちは必要以上に活躍しすぎるのである。
たとえば篤姫なんかは、西郷隆盛を説得して江戸城無血開城を実現させたりしている。たしかに、その時期に江戸城にいたことは事実だろうけど、そこからあまりにも想像力を羽ばたかせすぎてる。
こんな感じで、大河ドラマの女性主人公はとにかく歴史を裏であやつりすぎる傾向があるわけ。

 

あ、念のためだけど、「女にそんなことできるわけない」とかそういうことが言いたいわけではないですよ。それに男性主人公であっても、たとえば真田丸だって、実際の真田信繁があれほどの切れ者だったかは怪しいと言われているし、多少の主人公補正や飛躍はドラマとして楽しめばいいと思っている。

ただ、女性主人公は史実として使えるネタが少なすぎるため、どうしても想像の割合が大きくなってしまうということ。いきおい、それはないだろうという大活躍をやってしまいがちで、それがやりすぎると観ているこちらとしてはどうにも白けてしまう。

 

今回の直虎についても、そういう匂いがプンプンする。
幼い徳川家康の命を救って今川家に届けたり、桶狭間の戦いに参戦して大活躍したり、それぐらいのことはやりかねない。気をつけて見守りたい。

 

どちらに転ぶか

というわけで、ここ10年の大河ドラマの傾向から「おんな城主 直虎」を大胆予想してみたんだけど、どちらに転ぶかは正直わからない。


大河ドラマ「おんな城主 直虎」3分でみどころ紹介<2017年1月8日放送開始>

 

これを観るかぎりでは、網野史学っぽさ、もののけ姫っぽさはあまり感じられない。

単に登場人物が地味なだけの作品になってしまうおそれもある。ちょっと嫌な予感がする。

 

そこでもう一本の公式動画。


大河ドラマ「おんな城主 直虎」ライブ編

鎮座DOPENESSがラップするというノリは、「平清盛」でエマーソン・レイク・アンド・パーマーの曲を使ったのと同じ匂いがするし、映像の質感もそっち寄りの感じ。

もしももしも「おんな城主 直虎」が全編こちらのテイストで作られてるんだとしたら、めっちゃ楽しみ。可能性は低いけど。

 

どちらに転ぶかはわからないけれど、少しは期待しておこうと思いました。