「自分は大人だと思う」
17〜19歳へのアンケートで「自分は大人だと思う」と答えた日本人は27%しかおらず、他国と比べて圧倒的に低い割合だったらしい。
「自分は大人」日本は約3割 6か国中最低 18歳前後への意識調査 | NHK | 18歳 成人年齢引き下げ
いろんなことを考えさせられるニュースだけど、じゃあ自分が18歳ぐらいのときに「自分は大人だと思う」と答えたか?っていうと、全然自信がない。
さすがに今は自分が大人だと思っているけど、そう思えるようになったのはたぶん35歳ぐらいの頃。20代なんてほんとフワフワしてたしな。
じゃあなんで自分が大人だと思えないのか。かつての自分は思えてなかったのか。
日本人特有の謙遜みたいなものは大いに影響しているとは思う。自分なんてまだまだ若造ッス!若輩者なんで!みたいな。
ただ、それを差し引いても低すぎるように感じるので、その原因を掘り下げてみたい。
「大人」の定義
このアンケートは日本以外にアメリカ・イギリス・中国・韓国・インドでも行われた。
それぞれの国で、「大人」はなんていう単語で表現されて、どういうニュアンスを含んでいるんだろうか。
それぞれの国では「大人」の対義語として、どんな言葉がイメージされるだろうか。
日本では「大人」という言葉にネガティブなイメージが多分に含まれている。
「大人」の対義語は「子供」とか「幼さ」ではなく、「純粋」「誠実」「不器用」「無垢」でしょう。
たとえば、アーティストやアイドルが言う「大人」って、お金や数字のことばかり考えている事務所やレーベルの人間のことであり、自分とファンの間に立ちはだかる障壁みたいな存在として語られる。
もちろん、アーティストやアイドルにとっては、スケジュールやお金の管理や事務処理など、マネジメント全般を任せている信頼できる人たちなんだろう。
しかし、活動をしていくなかで、スポンサーとか様々なしがらみのなかで、時にファンに対して時期が来るまで伏せたり、本当のことを明かせなかったりすることがある。そういうときに言われるのが、「大人の事情で」というやつ。
アーティストやアイドルは、純粋に創作やパフォーマンスのことだけに集中して、ファンとも誠実に向き合いたいと思っている。そうじゃない振る舞いは「大人」のせい。
あと、ドラマやアニメにおいて、「お前も大人になれよ」ってセリフが吐かれるシーンを見たこと、何度かあるでしょう。
こういうセリフはだいたい、間違ってることは間違ってるって言わないと気がすまない!っていう純粋な主人公に向かって言われるもんだけど、感情移入して見てる側は、「やっぱそうですよね、よし大人になろう!」ってならない。
青少年向けのストーリーものにおいて、清濁併せ呑んでる主人公って平成以降ちょっと見当たらないんじゃないか。
「大人」という言葉のこういう使われ方に触れてきた若者に前述のアンケートを実施したら、そりゃ「自分は大人だと思う」なんて答えないだろう。
J-POPが「大人」を殺した
日本語の「大人」の意味をこんなふうにしてしまったのは誰か。
以前こんな記事を書いたわたくしですが、今回もやはりJ-POPを主犯だと決めつけたい。
J-POPが「大人」を殺したと。
J-POPが新聞を殺した - 森の掟 | ニュートピ! - Twitterで話題のニュースをお届け!
かつて、日本の大衆的なポピュラー音楽は歌謡曲と呼ばれていた。
昭和の末期から平成の初めごろにかけて、J-POPと呼ばれる音楽がその地位を奪い、現在に至る。
その際、歌謡曲にあってJ-POPになかったもの、その差分がすっぽりと抜け落ちたんじゃなかろうか。
その差分こそが「大人」成分だと思う。
J-POPの世界にはかっこいい大人の居場所は基本的になく、大人というのは、わかってくれないものであり、なりたくないものであり、いつかなってしまうものであり、無様にもなってしまったものでしかない。
欅坂46 「サイレントマジョリティー」2016年
君は君らしく生きて行く自由があるんだ
大人たちに支配されるな
THE BLUE HEARTS「1985」1985年
僕達を縛り付けて一人ぼっちにさせようとした全ての大人に感謝します
群青の空、子供達の声
その向こうで言い合う大人達よどうして?
あの子達を見習えないの?
BAKU「ピーターパン」1994年
大人になんかはならないよ勝手気ままに生きるのさ
そんな僕を大人達はピーターパンとけなす
ハチ「リンネ」2010年
カラスは言う カラスは言う
「あの頃にはきっと戻れないぜ」
「君はもう大人になってしまった」
ヨルシカ「藍二乗」2019年
あの頃ずっと頭に描いた夢も大人になるほど時効になっていく
歌詞の中に「大人」が出てくる曲は探せばいくらでも見つかるけど、アーティストの芸風や年代やジャンルを問わず、ほとんどすべての曲でこんな感じの扱い。
つまり、J-POPにおける最大公約数な一般意志みたいなものがあって、その核になっている価値観が、「大人」とは対極にあるものってこと。
この30年間、J-POPが大人を拒絶し続けた結果として、日本語における「大人」にネガティブなニュアンスがこびりついてしまった。
アンチ大人戦略の合理性
2020年代のJ-POPに特徴的な音楽的特徴のひとつに、邦ロックからの影響が挙げられる。
BUMP OF CHICKEN以降の、疾走感と瑞々しさを備えたロックバンド編成のサウンド。
バンド名義のアーティストでなくても、邦ロックな音は随所に見られる。
シティポップやK-POP的なサウンドも2020年代のJ-POPに特徴的だけど、それらと比べて、邦ロック的なアプローチをとっている楽曲は、歌詞の面でもアンチ大人戦略をとりがちな傾向があるんじゃないか。ここは調べられてないので印象論ですが。
そういえば、全世界にみてヒットチャートにこんなにもバンドサウンドがたくさん入っているのは日本だけっていう話もあるので、前述のアンケートで「自分は大人だと思う」と答えた割合が日本だけ極端に少ないことと関係あったりして。
たしかに、大人になってしまった自分が二度と戻れないあの頃を振り返るみたいなモチーフなんかは、いい年した自分が聴いてもキュンとする。
日本人は昔から、桜が散るとか夏が終わるとかそういう儚いのが好きすぎるし、高校野球とか箱根駅伝みたいなアマチュアリズムも好きすぎる。
また、アーティストの自意識としても、同世代が就職活動して社会に順応していく中で自分はいつまでもバンドとかやったりして…みたいな20代を過ごした人が大半なので、そういう人種が紡ぐリアルな言葉はどうしてもそうなる。
いろんな意味でアンチ大人戦略は理にかなってるんだよな。
と、ここまで書いてきて衝撃のデータを発見。
2013年のデータなので、60〜74歳てことは1939〜1953年生まれ。つまり団塊の世代を含んでる。
60〜74歳なんて大人どころかもう老人でしょ、何考えてるんだって思ったけど、いや、自分が大人だと思ってなさそうな団塊、割といそうだな。
この世代って、大人たちのひんしゅくを買いながら、髪を伸ばしてジーパン履いてギターをかき鳴らしていたわけで。
J-POPのアンチ大人戦略のルーツも、岡林信康とか吉田拓郎あたりまで遡れるんだよな。
つまり50年以上の歴史があります。
これはもう日本の伝統文化。