森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

バンドブーム期って案外ラテンでアフリカンでトロピカルだったよ【プレイリストあり】

かつて空前のバンドブームがあった

1980年代後半の日本は空前のバンドブームだった。

1989年から放送を開始した「イカ天」こと「三宅裕司いかすバンド天国」(TBS)にはたくさんのアマチュアバンドが出演し、勝ち抜いたバンドが次々にメジャーデビューしていった。

もともと80年代前半にパンクやニューウェーブといったジャンルを中心にインディーズシーンが盛り上がっており、それが全国レベル&お茶の間レベルに広がっていったもので、人数が多い団塊ジュニア世代が10代だったタイミングということもあり、とにかくロックバンドなら誰でもデビューできたといわれるような時代だった。

 

イカ天以前のブーム初期を代表するバンドといえば、なんといってもザ・ブルーハーツとボウイであろう。この2バンドはその後のシーンに多大な影響を与えた。

他にも、ジュン・スカイ・ウォーカーズプリンセスプリンセスユニコーンザ・ブームレピッシュBUCK-TICK筋肉少女帯といったバンドが続々と登場してきたのがこの時代。

 

上記に挙げた面々は、ブームに便乗したというよりはたまたまデビューがその時期だったというぐらいで、音楽性に特に共通点はない。

だが、前の時代のインディーズブームの流れをくんでいる部分があるせいか、全体的にこの時期にはパンク・ロックやいわゆるビートロックのバンドが多かったのも確か。

特にブームに便乗するようなかたちで出てきた後続のバンドたちにはその特徴が顕著だった。

 

なので、バンドブームときいて頭に浮かぶ音像っていうとだいたいそんな感じだと思う。

 

案外ラテンでアフロでトロピカルだった面

しかし、バンドブーム期にはそれとはちょっと違う潮流もあった。

タテノリのパンク一辺倒ではなく、ラテンでアフリカンでトロピカルな曲が案外多いんだよね。

リアルタイムの頃にもぼんやり感じていたんだけど、大人になってからあらためて聴き直してみてその傾向がはっきり見えてきた。

 

ということで今回は、ギター、ベース、ドラム、キーボードっていう基本的なロックバンドの編成でそういったリズムに取り組んでいる曲たちを集めてみたらおもしろいんじゃないかって思って、プレイリストを作ってみました。

 

AppleMusicはこちら。 

 

続いてSpotify

Spotifyにはスカンクとニューエストモデルが入ってなかったので2曲少ない。

 

スカパラの数ある曲のなかから1stの「ドキドキTIME」を選んでること、レピッシュからは「BANANA TRIP」、米米は「なんですかこれは」を選んでることから、このプレイリストが伝えたい何かしらを感じ取っていただけるんじゃないかと思ってるんだけど。

 

何かしらを感じ取れなかった人むけの解説

何かしらを感じ取れてしまった40代後半ぐらいの方々にはもう何も言うことがないのでさっそくプレイリストをお聴きください。

 

何かしらを感じ取れなかった若手の方々むけに以下すこし解説。

なぜバンドブーム期にこの手の音がちょっと流行ったのか。

 

まずバンドブーム期のバンドの中で、「スカ」がちょっと流行ったというのがある。

80年代のイギリスで、スペシャルズやマッドネスといったバンドに代表されるいわゆる2トーン・スカが流行った。もともとザ・クラッシュをはじめとするイギリスのパンクバンドがレゲエに傾倒していたりするし、パンクバンドがスカをやることはわりと自然な流れだった。

日本ではルースターズとかボウイがかっこよくスカを取り入れてたこともあり、その後のバンドブーム期にスカっぽいリズムの曲をやっていたバンドはけっこう多い。

このプレイリストでいうとカステラとかザ・ブームとかスカンクあたり。

 

なおスカパラはイギリス経由の2トーンというよりは本場ジャマイカから直輸入したスカなので、それらとは毛色が違う。今回のプレイリストには、スカっていうよりもカリプソみたいな曲を選んでみた。

 

 

80年代イギリスからの影響でいうと、ファンカラティーナっていうちょっとしたブームの影響もあると思う。

パンクよりはもう少しダンスミュージック寄りでアダルトな感じで、ラテン要素を取り入れた音が「ファンカラティーナ」と呼ばれて少しだけ流行ったのである。

このプレイリストでいうと米米CLUBにはファンカラティーナの要素を感じる。

 

あと80年代にはアフリカのポップ音楽が世界的に注目された。

キング・サニー・アデやサリフ・ケイタユッスー・ンドゥールといったアフリカ人のミュージシャンのサウンドが、英米のリスナーの耳を驚かせる。

もちろん、その驚きは日本にも伝染した。

 

 

これらのトレンドから、80年代の日本のロックバンドがタテノリ一辺倒じゃないリズムに触れたり、トランペットやパーカッションをアレンジに取り込むことについて、ハードルがだいぶ下がったりとかノウハウが蓄積されたりしていたんじゃないかと思われる。

 

エスニック

80年代後半の日本では、「エスニック」って言葉が流行語になった。

円高の影響で海外旅行に行く日本人が増え、特にそれまでなじみがなかった東南アジアなどの地域の料理が日本に紹介されたりして。

おそらくその延長線上で、音楽についても英米一辺倒じゃなく世界のいろんな国の音楽を楽しむようになった。

 

前述したような世界的なトレンドが、日本にも結構そのまま入ってきて、民族音楽的なアプローチが最先端でイケてるっていう雰囲気すらあった。

映画『AKIRA』ではバリ島のガムランやケチャが、『攻殻機動隊』ではブルガリアの複雑なコーラスが取り上げられたのもその文脈。

 

エスニック」の名のもとに、かなりいろんなものがひとくくりに南国っぽいものとして受け入れられたバブル期の日本。

そしてエスニックを味わう心は日本自身にも回帰してきて、沖縄民謡や河内音頭ワールドミュージックとして再発見されたりもした。

 

当時のそんな雰囲気を表現すべく、プレイリストに「エスニック」と名づけてみた次第。

 

ボ・ガンボスの未発表音源からバンド編成初期の河内家菊水丸、ラテン度合いがガチすぎるS-KENなど、われながら聴きどころ満載と自負してますが、この機会にみんなに知ってほしいのはなんといってもKUSU KUSU。

当時はアイドルバンドっぽく見えていたので自分も甘く見てしまっていたんだけど、高速ラテンでアフロビートでパンクっていう実は他に類を見ないめっちゃかっこいいことをやってた。若々しいのに完成度も高く、10年ぐらい前にたまたまアルバム聴いてぶっ飛んだのよね。

で調べてみたら、じゃがたらに影響を受けて音楽性がこうなったとかで、ついにはじゃがたらのメンバーがマネジメントしてたっていうのでカッコいいのも納得。

 

世界が一番幸せな日

世界が一番幸せな日

  • 発売日: 2011/04/06
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J-POPが滅んでも演歌は生き残ると思う(演歌の定義・なりたち・未来)

2020年2月22日リリースの都はるみトリビュート・アルバム『都はるみを好きになった人』がとにかくすばらしい。

 

 

参加アーティストはUA畠山美由紀高橋洋子水谷千重子Chage一青窈怒髪天ミッツ・マングローブ大竹しのぶ、そして民謡クルセイダーズ feat.浜野謙太という、バラエティに富んでいつつ必然性を感じさせる面々。

特に民クル「アラ見てたのね」や畠山美由紀大阪しぐれ」や高橋洋子アンコ椿は恋の花」あたりは、原曲のコクを殺さずにそれでいてちゃんとフレッシュな解釈がされていて、すばらしかった。

 

あまりにすばらしかったので、都はるみの原曲の方もまとめて聴きこんでいたんだけど、そこでちょっといろいろ考えてしまったんだよね。

そもそも「演歌」ってなんだろうって。

 

都はるみはなぜ涙こらえてセーターを編むことになったのか

都はるみといえば、1964年にデビューし、紅白歌合戦に20年連続で出場、複数のミリオンヒットを飛ばし、1984年に突如引退(その後復帰)した、昭和を代表する歌手のひとり。

 

そんな都はるみの数々のヒット曲のなかでも、特に国民的ヒットといえる曲がいくつかあり、それをリリース順に並べてみると、こんな感じになる。

アンコ椿は恋の花」1964年

「涙の連絡船」1965年

「好きになった人」1968年

「北の宿から」1976年

大阪しぐれ」1980年

「浪花恋しぐれ」1983年

 

この5曲、ジャンルとしてはぜんぶいわゆる「演歌」だとくくってしまえるとは思うんだけど、あえてどこかで線を引くとすれば、「好きになった人」と「北の宿から」の間であろう。

曲調もそうだし、歌詞の世界観もそうなんだけど、やっぱここに断絶があると思う。

 

ざっくりいうと、「アンコ椿は恋の花」と「涙の連絡船」「好きになった人」は昼間の歌。陽のあたる場所の歌。「北の宿から」「大阪しぐれ」「浪花恋しぐれ」は夜の歌。日陰の歌。

どちらにも通じるのは「健気な女心」なんだけど、健気さのあり方が違うっていうか。

「たとえ別れて暮らしてもお嫁なんかにゃ行かないわ」と「着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでます」はやっぱり全然違うと思う。

 

では「好きになった人」の1968年と「北の宿から」の1976年の間に世の中でなにがあったかというと、大阪万博が終わって高度成長期が一息つき、公害病が問題になったり、ベトナム戦争が泥沼化したり、三島由紀夫切腹したり、新左翼あさま山荘事件よど号ハイジャック事件みたいなことをいろいろやらかしたりとまあいろいろと負の側面が出てきたような時代だった。

そんなこんなを経験して、日本社会がすっかりスレてしまったのがその8年間だったのではないかと。

戦後日本を擬人化すると、寝る間も惜しんで受験勉強していたまっすぐな高校生が、大学でもまれてひねくれてしまったみたいな変化。

 

都はるみの音楽性の変化にも、その社会の空気の変化が出ちゃってるような気がするんだよね。

昼間の歌、陽のあたる場所の歌をのんきに歌ってても刺さらない感じになってきたので、暗い情念みたいなものをインストールすることで、スレた社会に適応しようとしたようにみえる。

 

その結果、都はるみは「北の宿から」で見事に10年ぶりのミリオンセラーをたたきだしたのだった。

 

しかしよく考えてみると、この変化は単に都はるみひとりの変化ではなく、演歌そのものの変化でもあったんじゃないかって気がしてきた。

もっというと、演歌というジャンルの立ち位置というか守備範囲が移り変わったということかもしれない。

 

演歌のなりたち

そもそも、演歌ってどう定義できるのか。いつ生まれたものなのか。

 

「演歌は日本の伝統」だなんて気軽に言うひとがいるけど、実はいわゆる「演歌」っていうジャンルが明確にできたのって1970年頃のこと。

つまり、ジャズやロックやR&Bなんかのほうがよっぽど古くから日本に存在していたのである。

 

そのあたりの流れについては、『創られた「日本の心」神話  「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』という本(名著!)に詳しく書いてあるので興味があるひとはぜひ。 

 

この本によると、「演歌」っていう言葉自体は明治時代から存在してはいたけど、今とは意味がぜんぜん違っていたそうな。

そして、美空ひばり都はるみといった、代表的な「演歌歌手」と呼ばれるひとたちも最初は単に「流行歌手」なんて呼ばれていたという。

 

60年代までは「演歌」っていうジャンルは存在しておらず、日本の大衆が好むポピュラーな歌として流行歌とか歌謡曲とか呼ばれていた。

つまり1964年の「アンコ椿は恋の花」は演歌としてリリースされたわけじゃなかった。1970年頃に「演歌」というものがジャンルとして成立した際に、そのジャンルの代表的な歌手のひとりである都はるみの過去のヒット曲がさかのぼって演歌とカテゴライズされたというのが正しい。

 

では1970年頃に演歌というジャンルがなぜ成立したのか。

いろいろあるけど大きいのは音楽業界の構造の変化だという。

 

60年代前半までの日本のヒット曲は、基本的にすべてレコード会社専属の作詞家と作曲家が手がけていたんだけど、60年代後半からのグループサウンズフォークソングの流行により、フリーの作家やシンガーソングライターが一般的になってくる。

阿久悠筒美京平、都倉俊一、なかにし礼松本隆村井邦彦といったフリーの作家たちが、新しい世代として登場してきたのがこの時代。

 

そういった新世代の作家が新しいい歌を次々に送り出していく一方、レコード会社専属の作家たちが作っていた歌はひとまとめに古臭いものに感じられていく。

専属作家の楽曲といっても、実態としてはジャズや民謡やハワイアンや声楽、それ以外にも雑多なバックボーンをもっており、ひとまとめにするにはだいぶ幅広すぎると思うんだけど、実際にひとまとめにされ、「演歌」というラベルを貼られることになった。

 

演歌の変容

1960年代後半からジャンルとして成立していく時期の、オーセンティックな演歌のイメージを代表する存在としては、北島三郎藤圭子が挙げられるだろう。

この2人に共通しているのが、北海道から上京して「流し」をやっていたということ。

北島三郎は渋谷を拠点に、藤圭子は浅草や錦糸町を拠点にしていたという。

 

流しというのは、ギターを抱えて酒場をめぐり、酔客のリクエストにこたえて歌を歌う仕事。

そこで身につけた地べたの美学とか匂い、そして酔客がリクエストしてくる曲のラインナップが、演歌というジャンルのコアにあるんじゃないかとにらんでいるんだよね。

場末の流しというフィルターを通すことで、民謡調もムード歌謡もロカビリーもお座敷唄も軍歌も、みんな演歌になったのではないかと。

 

「歌謡曲」や「流行歌」 と呼ばれて、日本の大衆音楽のど真ん中にいた歌(written by 専属作家)が、ど真ん中の地位を脅かされ、「じゃないほう」をカテゴライズする言葉として「演歌」と呼ばれるようになったその過程で、地方から上京して酒場で流しをやっていた2人の歌手が下積み時代に見てきた世界が濃厚に取り込まれたんじゃないかって思ってる。

 

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演歌マンガの名作『俺節』でもギター一本で流しをやる下積み時代が描かれている

 

さらに時代が下って1990年代になると、日本の大衆音楽のど真ん中にJ-POPがやってくる。

 

そのタイミングでも、それまでは演歌とは違うものだったはずのいくつかの音楽ジャンルや作家たちが「じゃないほう」として演歌側のカテゴリに取り込まれたりした。

具体的にいうと、フォーク/ニューミュージックと呼ばれていた人たちの一部(堀内孝雄とか)や、ハワイアンやラテン音楽のバンドを出自にもつようなムード歌謡の界隈(和田弘とマヒナスターズ内山田洋とクール・ファイブなど)のこと。

しかし、かつてはフォークもラテンも、演歌みたいな田舎臭い音楽じゃない、洋楽的で都会的な洗練された若者むけの音楽だったわけで、そう考えるとすごく興味深い取り込まれ方だよね。

 

まあとにかくこんな感じで演歌というジャンルは、自在にその定義を拡大させつつ、時代時代の「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」というニーズにこたえていく存在になった。

 

なので2020年までくると「演歌」というジャンルには、ものすごくいろんなものが含まれている。

 

2020年の演歌

2020年3月1日の朝日新聞土曜版の全面広告に、「いま何が演歌なのか」の正解があらわれていた。

 

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これ、『昭和の演歌 大全集』というタイトルのCD12枚組のボックスセット。

つまりこれぜんぶ演歌とカテゴライズされているのである。

 

時間がある方はぜひ画像を拡大して見ていただきたんだけど、ここまでお話ししてきたように、1960年代前半ぐらいまでの専属作家の楽曲がけっこう雑多に詰め込まれている。

 

ジャズの出自をもち都会的な「低音の魅力」が売りだったフランク永井の「有楽町で逢いましょう」も、ナイトクラブ出身のアイ・ジョージによるアメリカンポップスな「硝子のジョニー」も、スチールギターウクレレを擁するハワイアンバンドである和田弘とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」も、2020年には「演歌」になってしまった。

 

これも演歌…なのか…

 

やはり、「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」という人のための歌を総称して「演歌」と呼んでいるフシがあるな。

 

そしてこの広告の感じや選曲からして、ターゲットは70代後半以上(戦前戦中生まれ)だと思う。

 

ということはですよ、あと5年もしたら団塊の世代むけに演歌のボックスセットがリイシューされるはずで、そのボックスセットではまた新たな演歌のカテゴライズが見られるであろう。

そして、団塊の世代むけの演歌ボックスセットには、「時には母のない子のように」とか「悲しくてやりきれない」あたりが入っていても全然おかしくないと思う。

 

だったら2035年にリリースされる新人類むけの演歌ボックスセットには「乾杯」とか「冬の稲妻」が入るかもしれない…!

 

そして2045年にリリースされる団塊ジュニアむけの演歌ボックスセットには、「未来予想図」とか「Forever Love」が入ってきたりして…!

 

 

いやこれ半分まじめに言ってますよ。

だってさ、フランク永井アイ・ジョージやマヒナスターズも50年たつと演歌にされちゃうんだよ。

それに、われわれも70代とかになったら、「若いもんの音楽はガチャガチャしててどうにも苦手だわい」ってなるもん絶対に。

そうなったらもう演歌の手のうちに落ちてるも同然。

 

演歌って、昔からそこにいますよみたいなシレッとした顔をしてるくせに、実はロックとかよりも新しいジャンルだし、ここまでみてきたように定義も時代によって変わっていってて、なんだかんだ滅びずにしぶとく生き残っている。

 

 

たとえ未来のある時期にJ-POPが滅んだとしても、演歌は生き残ってるんじゃないだろうか。

「演歌は日本の心」だというけれど、その白々しさやプリンシプルのなさゆえの強さはたしかに日本っぽいかもしれない。

「誰も傷つけない笑い」は偉いのか

2019年のM-1グランプリにおいて、優勝こそ逃したものの、もっとも世間の話題になったコンビ、ぺこぱ。

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普通の漫才であれば、ボケがおかしなことを言ったのに対して、ツッコミが訂正や叱責や暴力やときにはドン引きするといった否定的なリアクションをとることで笑いを生んでいくところ、ぺこぱはどんな素っ頓狂なボケに対してもすべて受け入れていくという、他にはないスタイルを打ち出した。


そんな彼らを評価する際によく言われるフレーズが、「誰も傷つけない笑い」というやつ。

誰も傷つけない笑いだからいいよね、と。

 

誰も傷つけない笑い…。

ちょっと前このフレーズを初めて聞いたときに感じた、よくわからない違和感。

そのままにしておくのが気持ち悪かったので、ちょっと考えてみました。

 

 

なにが笑えてなにが笑えないのか

「笑いとは『緊張の緩和』である」と定義してみせたのは桂枝雀
人一倍の常識人じゃないとギャグ漫画家にはなれないという話もよく耳にする。
本来あるべき姿に対してズレとか逸脱が生じると、その状態がおかしくて笑っちゃうということだろう。

 

そのズレや逸脱は、常識に対しての距離によって生まれるものであり、またあまりにも離れすぎると笑えなくなってしまう。

常識が時代によって移り変わるものである以上、どのあたりが笑えるポイントかっていう位置も移り変わる。 

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たとえば、身体が不自由な人の動きをおもしろがるっていう感性は、現代人にはさすがにないでしょう。でも高齢者の世代には、物乞いや障害がある人を笑い者にすることが特におかしなことだと感じていない人がまだちょいちょい存在する。

 

で、ほとんどの場合、そういった常識や笑えるポイントというものはいつの間にか変わっていく。誰かしら権威ある人が「今後これは笑えない」と決めるわけでも、芸人や番組制作者が「今後これはネタにしない」とか宣言するわけでもない。またもし仮に誰かがそう言いだしたとしても、世間がそれに従うわけでもないだろう。

 

ブスは笑えるのか

常識や笑えるポイントっていうのは、基本的にはいつの間にか変わっていくもので、後々「そういえばもうこれは笑えないな」って気づくんだと思う。


それでいうと、「ブス」はもう笑えない感じになってきている昨今の空気も、実は6年前に先駆けとなるような事案が発生していた。

 

2014年8月24日、日比谷公会堂

TBSラジオの「東京ポッド許可局」という番組のイベントに、久保ミツロウ能町みね子のご両人がゲストで登場したときのことだった。

ご存じない方に説明すると、東京ポッド許可局というのは、マキタスポーツプチ鹿島サンキュータツオという3人の文系お笑い芸人によるラジオ番組。「屁理屈をエンタテインメントに」を合言葉に、M-1グランプリやBLやプロレスや辞書や汁やビートたけし水曜スペシャルや加齢など、ありとあらゆることを語りつくし、コアな支持を集めている。


その許可局の3人が、久保ミツロウ能町みね子の両人を相手に、お笑いの世界の基本のコードに則って女性の容姿をいじりはじめたそのとき。


「ブスとかそういうので笑いをとろうなんていうのはもう古い」といった文意のことを、久保さんがズバッと言ってのけた。

 

許可局の3人にしても、いきなり失礼なことを言ったわけではなく、ちゃんと距離を詰めて打ち解けて、それまでの芸人としての経験から判断してゴーサインを出したはず。

その場にいた人間として、それまでの常識に照らして特に許されない言葉だったとは感じなかった。

2014年8月の時点では、自分も含めほとんどの人がブスいじりがアリという常識の側にいたんだと思う。

なので、久保発言は正直唐突に感じた。


しかし、その後の世の中は移り変わっていき、2019年のM-1グランプリ決勝では、見取り図がネタ中に放った、相手の容姿に対する「なでしこJAPANのボランチ」というツッコミが大スベリする状況があった。

日比谷公会堂久保ミツロウ発言からは5年たったけど、遅かれ早かれこうなるってことをいち早く予見していたんだと思っている。

 

ブスは笑えるのか2

GAGジーエージー)というトリオが「キングオブコント2019」で披露したネタは、ブスを笑うことについてのネタだった。

 


GAGコント「芸人の彼女」

 

中途半端なルックスの女性芸人はそのままだと何もおいしくないのでブスということにしてキャラ付けをしなければいけないという生存戦略を、その女性芸人と付き合っている男を登場させることで客観的に見せてる。

 

「わたしはブスでいくの」「わたしのブスを認めて」
「…お笑いって、異常な世界やな」

 

このことがネタになるということは、つまりそういう生存戦略でやっきた女性芸人が実在するということと、そういう生存戦略がもはや時代とズレてきていることの両方を意味していると思う。
このネタはブスを笑っているのはなく、ブスを笑っていることを笑っている。

 

個人的には、ぺこぱやミルクボーイよりもGAGのこのネタにこそ時代が象徴されてると思ってるんだけど、なぜか言及する人が少なすぎる。


M-1からの一連のあれこれがあった2020年の今、あらためてみんなにこれ観てほしい。

 

息苦しくなったのか

世の中の雰囲気が「誰も傷つけない笑い」をよしとする方向に流れている一方で、反動としていろんな声が出てきてもいる2020年。

いわく「最近のお笑いはコンプラを気にしすぎて息苦しい」「昔はもっと無茶なことができたし、そっちのほうがおもしろかった」「いまどきのお笑い芸人は芸人のくせに優等生ぶってる」などなど。

 

確かに、過度にクレームを気にしすぎて萎縮してしまうと、お笑いなんてできない。

笑いのためであれば、ある程度は食べ物を粗末にしたり、汚い言葉遣いをしたり、犯罪を匂わせても何も問題ないと自分も思っている。

 

ただ、それが本当に笑えるのであれば、だ。

笑えなければ、逸脱はただの逸脱。

笑わせるという目的のために、手段として逸脱をやるっていう話であって。

80年代は笑えた逸脱も、今では笑えないのであれば、それをやらないのはコンプラ違反だからじゃなくて単純におもしろくないから。

 

なので、時代によって常識や笑えるポイントが変わったことを考慮に入れず、単に昔はできたことが今はできないみたいな話をしてもあまり意味がないと思います。

なんでもかんでもコンプラのせいにして嘆いてるだけでは芸がない。

 

たとえば昔の芸人はお客よりもバカだったり劣った人間だと思わせる必要があったんだけど、今はその必要はなく、高学歴でイケメンで芸人やったりしてもふつうのことになってる。
何が笑えるかは世間の空気とともに変わり続けているし、また芸人側は自分たちの食い扶持のために何が笑えるかを日々拡張させてっている。

変わり続ける世間に対して同じ場所に立ち止まり続けていると、地殻変動で山が海の底になるみたいに、息苦しくなる事態もありえるだろう。

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でも安易に息苦しいって言いがちなおっさんたちだって、ここまでは笑えるけどこの先は笑えないっていう価値観は持ってるでしょ。

で、その価値観でさえ、それより前の時代に比べると十分に「息苦しい」もの。

コンプラが息苦しい息苦しいって言いながら、物乞いや障害者を笑い者にするセンスはさすがに持ってないでしょう。前時代の価値観からするとそんなあなたの笑いのセンスも十分に「鼻持ちならないリベラル」だったりする。

明治時代の一般的な芸人を2020年に連れてきたらきっと「乞食を笑っちゃいけないなんて、息苦しい時代になったもんだ」って思うだろう。

 

変わらないことが美学の世界

漫才やコントといったジャンルのお笑いにおいては、変わり続ける世間に対応してみずからも変わり続けることで、笑いを提供し続けることができる。

しかし、そう簡単にいかない世界がある。


それは落語の世界。

 

落語といえば江戸時代や明治時代のおもしろい話を語るもの。
新作落語では舞台は現代でもいいし未来でもいいし自由なんだけど、それでも着物を着て座布団に座って演じるというところは古典落語と共通したスタイルであり、やはりどうしても落語である以上は江戸や明治の空気とは無縁ではいられない。

基本的人権も民主主義もジェンダー平等もない時代につくられた笑い話を現代の観客を相手に演じて、ちゃんと笑いをとらないといけない。

 

これまで見てきたように、何が笑えるかという範囲は時代とともに大きく動き続けているわけだけど、落語である以上はこれ以上は動かせないという領域は守らないともはや落語じゃなくなってしまう。

落語家たちの苦労は並大抵ではないと思う。

 

そんな情勢で放たれた立川志らくのこのツイート。

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前述したような、コンプラ息苦しいおじさんの典型的な嘆きに見える。

ただそう簡単に片付けられないのは、落語家のつぶやきだっていうこと。

しかも、落語とは何かを生涯考え続けた立川談志の意思を継ぐ人ですよ。
そんな談志が晩年たどり着いた「落語とは江戸の風が吹く中で演じる一人芸」という定義は、志らくにとっては聖書やコーランみたいなものなはず。

 

なるほど江戸の風とコンプライアンスは相性が悪そうに見える。
とすると、もはや落語は時代に取り残されて江戸の風とともに消え去っていくしかないのか。

 

滅びたネタと生き残ったネタ

実は落語もその時代の常識や笑いのポイントとズレたものは演じられなくなるし、何ならストーリーを改変したりもよくある。

 

「代書」という、戦前の上方でうまれたネタがありまして。

当時は識字率が低く、長屋の住人は自分で履歴書を書けなかったので、代書屋に頼んで書いてもらっていたという。代書屋と長屋の住人のやり取りが爆笑を生む、個人的にも大好きなネタ。三代目桂春団治桂枝雀が得意とした。


桂春団冶『代書屋』

 

実はこのネタ、もとは済州島出身の朝鮮人が日本語を書けなくて代書屋に来たというくだりがあった。

現在はそこをカットして演じる人がほとんどなんだけど、戦後のお客の価値観ではもうそこは笑えないからカットして当然だろう。

逆に、識字率がほぼ100%の現代においては、読み書きができない登場人物を笑っても誰にも差し障りがないから、このネタ自体は生き残った。

 

寄席で目の前のお客を相手にしてる落語家にとっては、まだこのネタが通用するかどうか鮮度チェックを毎日やっているようなもんで。使えなくなったネタは廃れていくし、不要な部分はカットされていく。

たまたま古典落語として残っているものは、もともと現在の価値観とそんなにズレていないか、ズレをうまく補正できているかのどちらか。その影で、数え切れないほどのネタが滅びていってる。

上方落語ではじめて人間国宝になった桂米朝は、時代とともに廃れていったネタを純粋な学問的興味から発掘する人だった。発掘したものをたまに高座にかけたりしていたんだけど、やはり現代の価値観では笑えないものばかりだった。誰もやらなくなって廃れたのは必然って感じ。

 

結局、変わらないことが美学になっている落語の世界であっても、笑える笑えないを見極めつつ、落語らしさの範囲内でいろいろと柔軟にやってるということでしょう。

変わり続けているからこそ、能や狂言とは違って、古典芸能だけどちゃんと現代人の感覚で笑えるものとして存在し続けられているわけで。

 

誰も傷つけない笑いが偉いんじゃなく、笑えるから偉い。笑えるようにするためだったら、優しくもなる。さすがに笑えないでしょっていう範囲が変わったらそこから出ていく。逆に今までいた場所がヌルくなってきたらもう少しエッジを立てる。

 

時代が変わればその時代に寄せる。という単純なことだと思う。

笑いという目的を果たすためであれば、手段として優しくもなるし鬼畜にもなるっていう。

軽い気持ちではじめての歌舞伎

先日の国会傍聴に引き続き、有給消化による平日の休みを有意義にすごしたいシリーズ第二弾。

 

今回は歌舞伎座で歌舞伎を観てきました。

しかも1000円で。

 

歌舞伎のことほぼ知らない状態で行っても大丈夫だってことがわかったので、声を大にしてオススメするよっていう記事です。

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1000円で歌舞伎を観る方法

他の劇場はどうだか知らないんですが、銀座にある歌舞伎座では「一幕見席(ひとまくみせき)」っていうチケットの種別があって、1000円で歌舞伎を一幕観ることができる。

最前列とか花道のまわりとか桟敷席とかの良席は1万9千円する歌舞伎座で、一幕見席だと4階にはなるけど同じ芝居が1000円で観られる。

 

以前から漠然と歌舞伎への憧れはあったものの、でもお高いんでしょ?と思い込んでいたため、高いお金を払ったのに楽しめなかったらどうしようって不安が先に立って劇場に足が向かなかったわたし。

それがなんと1000円でいいっていうから、だったらもし全然楽しくなかったとしてもまあいいかってなるかなと思えた。居酒屋でラストオーダーを聞かれてつい頼みすぎて結局手を付けなかった焼きそば2つ分で1000円。どう考えてもそれよりはマシなお金の使いみちになるであろう。

 

ただ、一幕見席は、事前にチケットを買うことができない。

当日の開演30分前に歌舞伎座の脇の専用チケット売り場に並ぶ必要がある。

なんとなく平日の昼だし直前でも大丈夫だろうとナメて行ったら、外国人観光客や歌舞伎マニアみたいな方々で大行列。整理番号90番だったけどすでに立ち見と言われた。

30分前かそれ以前に並ばれることをオススメします。

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立ち見でもいいのでとチケットを購入すると、専用の小さいエレベーターで4階へ。

なので歌舞伎座のゴージャスなエントランスやロビーの華やかな雰囲気は味わえない。売店もない。そこだけ残念。

 

歌舞伎座の4階席は、覚悟していたよりは舞台に近かった。

武道館のスタンド席よりは近い。渋谷公会堂ぐらいの、キャパ2000クラスのホールの2階席とだいたい同じ距離感。日頃それぐらいの席でライブを見ることは普通なので問題なし。

一幕見席専用の導線で上がってきたせいか、生まれてはじめての歌舞伎なのにそんなにビクビクせずに済んでいる。

なんとなく海原雄山とか白木葉子みたいな上流階級の人々が威圧感たっぷりに闊歩しているような状況をイメージしていたんだけど、4階席にはまずそういう人はいなかったし、階下の高そうな席を見渡してみても、そこまでじゃなさそう。

 

音声ガイドは借りたほうがいい

エレベーターを降りたところで音声ガイドやプログラムを購入できる。

美術館とかにもよくある、イヤホンを通して解説の音声が流れてくるあの機械。

料金は500円プラス保証金として1000円を最初に支払い、返却時に1000円は戻ってくる仕組み。

 

落語にはかなり親しんでおり古典芸能リテラシーが高めだと自認してる自分でさえ、ガイドがないと見落としたり聞き取れなかったりした部分が多かったです。

役者さんのセリフは聞き取れても、長唄義太夫で話が進行するパートとなるとガイドがないとお手上げ。

 

また自分みたいな初心者は、舞台に出てきたのがなんていう役で、誰が演じているかもわからない。芝居の中で名乗ったりすることも基本的にないので、ガイドがないと筋を追うのが困難。特にみんな顔は白塗りや隈取をしているため誰が演じているか見分けることは不可能。

役者さん目当てで行くのであれば特にガイドは必須です。

 

あ、ガイドは片耳だけのイヤホンで、セリフにはかぶらないように配慮されている。

ガイドがうるさくて芝居の内容を邪魔するみたいなことはないので、その点はご心配なく。

 

歌舞伎のプログラム

歌舞伎では、大長編のストーリーの美味しいところを小一時間ぶん切り取ったものを「幕」と呼んでいる。

自分が行ったときもそうだったけど、他のときもだいたいそうらしいんだけど、そういうバラバラの幕を3〜4つ並べたラインナップが昼の部/夜の部になってる。

たとえるなら、今日は「北の国から」の草太兄ちゃんの死ぬ回と、「白い巨塔」の教授選挙の回と、「半沢直樹」の最終回をやりまーす!ここまでが昼の部ね、夜の部は「真田丸」と「逃げ恥」と…みたいな感じ。

たまに、「忠臣蔵」を最初から最後まで通しでやります!みたいな日もあるらしい。

 

一幕見席は、その3〜4つのラインナップのうち、好きな一幕だけを1000円前後で観られる制度。

銀座にいて次の予定まで1時間ちょっとあるな…ってときにフラッと立ち寄れてしまう…!歌舞伎がそんな気軽なものだとは知らんかった。もっと早く知りたかったよ。


で、もちろん一幕見席のチケットを4枚買って4000円で昼の部の最後までいてもいい。今回はそうしました。

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醍醐の花見(だいごのはなみ)

さて、いよいよ生まれてはじめての生の歌舞伎。

最初の演目は「醍醐の花見」というもの。

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天下を統一した絶頂期の豊臣秀吉が京都の醍醐寺で大規模な花見フェスを開催したっていう、実際のできごとをもとにした芝居。

登場人物が秀吉、北政所ねね、淀殿、秀頼、石田三成という、よく知ってる人々ということで安心感があった。それぞれがどんなキャラなのかよく知ってるし、どんなできごとなのかもだいたいわかるので。

 

永谷園のお茶漬けみたいな配色の幕が上がり、いよいよはじまり。

 

冒頭、寺の小僧さんが4人でてきて軽く説明的なセリフを言ってすぐハケる。背後には巨大な幕が張られているんだけど、小僧さんがハケるとその幕がバサッと取り除かれて、北政所たち着飾った女形の人がたくさん、さらにその後ろには生歌・生演奏の三味線の人たちがズラッと並んでいるのが目に入った。

 

その鮮やかさに、比喩じゃなくほんとに鳥肌がぞわーっと立った。

さすがに200年以上にわたって磨きに磨きまくられてきた演芸。江戸時代の娯楽の王様。

 

石田三成は子供の頃からずっと好きな、推し武将。その三成を演じていたのが「いだてん」の金栗四三こと中村勘九郎。当たり前だけど、朴訥とした熊本弁のあんちゃんではなく、本職はめちゃめちゃビシッとしててかっこよかった。
「いだてん」では三遊亭圓生を演じていた中村七之助は、豊臣家の花見にゲストとして招かれた公家の奥さん役。女形ってぼんやり観てるとほんと性別わからなくなる。身のこなしの洗練度合いがやばい。

 
秀吉以下の登場人物たちが、今日はたのしいね、さすが太閤殿下のやることはすごいね、せっかくだしちょっと踊りでも披露しますね、みたいな感じで話してそれぞれ舞を披露するという、単純なストーリー。

とにかく正月らしい華やかさ。

 

25分ぐらいの短い幕で、いきなり歌舞伎の魅力に心を掴まれてしまった。
素人でも楽しいと思えるだろうかっていう心配が杞憂だったことがすでに確定しました。

 

奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)

15分の幕間があって、続いては「奥州安達原」というおはなし。

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これは本来長編の芝居で、今日は中盤のシーンだけをやるらしい。
なので、このシーンに至るまでのストーリーが実際はある。音声ガイドではそのあたりも補足してくれるのでありがたい。まあ、ガイドがなくても全く理解不能ってことはない。

夕方なにげなくテレビをつけたら「科捜研の女」の途中からだったときみたいに、まあ観れちゃうし観ちゃうじゃないですか。そんな感じ。

 

このおはなしはもともと浄瑠璃として書かれたものらしい。
浄瑠璃っていうのは、三味線をバックに歌うように語る話芸で、人形とセットで演じられるパターンもある。
落語でいうと「寝床」というネタで旦那さんがみんなに聞かせたがるヘタクソなあれですね。


浄瑠璃の歌舞伎化、言ってみればアニメの実写ドラマ化みたいなもんでしょうか。

なので、歌舞伎になっても浄瑠璃を語る人と三味線を弾く人が舞台上にいて、語りを中心に話が進んでいく。
正直、現代人の耳では浄瑠璃スタイルの語りでストーリーを聞き取ることは難しい。ちょうどフロウがスキルフルすぎるラッパーの歌詞が初見では聞き取れないのと同じ。家で予習してくるか、音声ガイドを借りるのがオススメです。

 

親に背いて素性の知れない馬の骨と駆け落ちした袖萩(そではぎ)という女性、2人の子供を授かるが夫と息子は行方不明に。
袖萩を勘当した父親は警察みたいな仕事をしていて、皇族誘拐事件を解決できなかった落とし前として切腹を言いつけられてしまう。父の命がヤバいと知って、勘当されてるけど娘をつれて会いに来た袖萩。娘と孫にひと目会いたいけど仕事柄それは許されない父と母。

ってな感じのストーリーなので、200年以上前に書かれたものだけど現代人でもふつうに感情移入が可能。音声ガイドのおかげで万全に理解した上で入り込めた。

 

人間としての情と与えられた役割が相反して、引き裂かれるっていうパターンは昔も今もみんな大好きよね。高倉健の任侠ものとかもだいたいそうで、つまり義理と人情のおはなし。

 

素襖落(すおうおとし)

30分の幕間だったので歌舞伎座のすぐ隣りにある富士そばでそばをたぐってすぐ戻る。


次は、「素襖落(すおうおとし)」っていう狂言を歌舞伎にしたもの。

要するにコントのドラマ化。

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「このあたりのものでござる」っていうお決まりのフレーズで始まったり、役名が太郎冠者とか次郎冠者だったりと、このあたりは狂言スタイル。
主人のお使いで行った先で話が盛り上がってしまい、お酒を飲んだり踊ったりと大盛り上がりするっていうおはなし。
帰りが遅すぎるので様子を見に来た主人をまじえて大騒ぎ〜っていう感じで幕が下りるのも狂言的な感じがした。

 

セリフとか表情とか間とか、普通に現代人の笑いのツボが押されるようにできてるので、古典とはいえ落語ぐらいの距離の近さ。

 

河内山(こうちやま)

いよいよ昼の部最後の幕。それなりの大ネタが用意されているんだろうと期待。

 

「河内山」っていう、悪徳茶坊主が主人公のおはなし。

演じるのは松本白鸚つまりもと松本幸四郎つまり「王様のレストラン」。

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悪い殿様の誘いを拒否したために幽閉されてしまった娘を、偉いお坊さんになりすまして救出しにいくという役。
途中で、「お前お坊さんじゃないだろ!」ってバレてしまうんだけど、開き直って啖呵を切り、ゆうゆうと表玄関から帰っていく。ピカレスクのかっこよさを堪能できる幕でした。

 

朝からずっと集中して観続けたので最後にはかなり疲れてしまった。わりと動きの少ないシーンだったので正直途中でちょっと意識がとんだ。

寄席で二ツ目の滑稽噺や手品の後に大師匠がしっかり人情噺をやるみたいな感じだろう。

 

4階席だから花道の様子があまり見えなかったんだけど、あれ1万9千円払えばすぐそばで観れるんだよね。4階席では味わえないすごさがありそう。

いつかはちょっと奮発してみてもいいかもしれない。

 

まとめ

ずっと落語が好きで。

落語に出てくる江戸や明治の町人ってみんな歌舞伎が大好きで、仕事をサボって歌舞伎見物したりしてるでしょ。落語のネタ自体も歌舞伎のパロディがたくさんあるし、そもそも落語家が襲名とか言ってるのも歌舞伎のまねごとから始まったと言われてる。

それぐらい歌舞伎にとって落語ってのはできの悪い親戚みたいなもの。

いつかは元ネタに直接あたりたいと思い続けて30年あまり。

 

テレビでもたまにEテレで歌舞伎やってるので、何度かウォッチしたんだけど、予備知識なしでしかも画面ごしに見るだけだといまいちハマれなかった。

それが、思い切って劇場に飛び込んでみて、退屈だろうがチャンネルをぱぱっと変えるわけにはいかない場で強制的に何幕か観てみるってことに挑んだところ、思いの外ちゃんと楽しめたんだった。

国会傍聴もそうだったけど、やはりその場にわざわざ行くっていうのが大事なんだな。

あと音声ガイドのおかげっていうのもある。必須。

 

今の自分って、落語でいえば「長屋の花見」「文七元結」「らくだ」みたいな感じで、有名ネタをバラエティ豊かに3つぐらい知っただけの状態だと思われる。

つまり、しばらくはいろんな演者のいろんなネタを吸収するのが楽しい時期のはずなので、積極的に摂取していきたい。

 

200年以上にわたって日本の娯楽の王様だったのは伊達じゃない、キャッチーかつ奥が深いエンタテインメントだということがわかった。しかもたった1000円〜で。

 

 

軽い気持ちではじめての国会傍聴

日頃サラリーマンとしての仕事や育児に追われている自分が、有給消化で平日に休みを手にいれたとき、どう過ごすのが有意義か。

どうせなら平日仕事をしていたら絶対できないことをやってやろうということで思いついたのが、国会の傍聴。

 

実際やってみるとすごくわかりにくい部分があり、ネット上の情報だけでは全然足りなかったので、そのあたりも詳しく書きました。ガイドとしてもお役に立てたら幸いです。

 

国会の仕組み

新聞やSNSで政治に関するニュースをわりと積極的に読んでるタイプだと自認しているのだが、よく考えたらそもそも国会っていつやってるのか、それすらわかっていなかった。

 

調べたところ、まず「通常国会」というのと「臨時国会」「特別国会」というのがあるらしい。

これも名前はよく聞くものの、どういうものなのかいまいち理解していなかった。教科書に載っていたような気もする。社会科は得意科目だったはずなのにその程度。

 

ウィキによると、通常国会というのが毎年1月から6月ぐらいまでやってるレギュラーの国会で、一方、臨時国会と特別国会はイレギュラーなやつで、必要に応じて開かれると。

それぞれの期間中、参議院衆議院の両方で質疑や採決が行われていく。

 

あと国会には本会議と委員会っていうのがある。

テレビでよく見る例の広い議場に議員全員が揃ってやるのが本会議で、それとは別にテーマごとに集中して議論するのが委員会。

一般人が普通に傍聴できるのは本会議のほう。委員会は議員の紹介があれば傍聴できるらしい。

 

あ、そうそう。国会を見に行くといっても、2つのやり方があって。

修学旅行とかで議場なんかを案内されながら見て回る「見学」と、実際の質疑の様子を見る「傍聴」。

今回は「傍聴」です。

 

調べたところ、2020年の通常国会がちょうど1月20日から始まるということと、通常国会の初日には天皇出席の開会式だとか総理大臣による施政方針演説が行われることがわかった。

これはなかなかスペシャル感のあるイベントではないかということで、野次馬ノリでちょっと見に行ってやろうかなと思ったのだった。

 

まずは参議院、受付から議場まで

本会議は一般的に正午からスタートするみたいなんだけど、通常国会の初日だからなのか、10時から参議院で始まるとのこと。Twitter国会中継してるアカウントがそう言ってた。

 

参議院のサイトに、開会時刻の30分前から先着順に傍聴券を交付すると書いてあったんだけど、傍聴のキャパが何人なのかとか、どれぐらい混むのかとか全然わからず、せっかく行っても満員だったらどうしようなどと不安になりつつ、参議院別館というところへ。

 

テレビなんかによく映る国会議事堂の正面ではなく、完全に裏手。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/taiken/bochou/images/uketsuke-map.gif 

徹夜組とかもいたりして受付の前に長蛇の列ができていたりするのかとかビビりながら、東京メトロ永田町駅を降りて地上へ。9時15分。路上にはみ出した列らしいものは見当たらず。

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参議院別館に入ってみると、傍聴券の配布開始を待っている感じの人は3人ぐらいしかいなかった。完全に拍子抜け。

国民の政治への関心ってこんなに薄いのかよ!と、これでいいのか令和の日本よ!と、憂国の志士きどりで待機。

 

9時30分になると、運転免許の更新のところみたいな感じの窓口で、傍聴券の配布開始が告げられる。

申込用紙に、住所と氏名と年齢と電話番号を記載し、本人確認書類とともに提出。

本人確認書類の提出は「お願い」という言い方だったので、義務ではないかもしれない。

 

美術館のチケットみたいな傍聴券を手渡される。厚紙でできていて、切り取り線がある。切り取られる側に住所氏名年齢、手元に残る側にも氏名年齢を自分で記入するように言われる。あと、安全ピンがついた赤いリボンを手渡され、目立つ場所につけるように言われる。

 

傍聴券を受け取ると、一度外に出て、通用門から入るように言われる。

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通用門で傍聴券を見せて入れてもらう。

警備のおまわりさんみたいな人がたくさんいるが、威圧感はない。親切に順路を案内される。

かれらはおまわりさんではなく、衛視っていう、特殊な公務員らしい。

 

衛視に誘導されるままに建物の中に入ると、ロッカーがあり、かばんや上着スマホなど持ち物をすべて入れるように言われる。持込可能なのは筆記用具と財布ぐらい。

身軽になった状態で、空港の保安検査みたいなゲートをくぐらされる。なかなか厳重なもんだが、まあ仕方ない。

安全ピンつきのリボンはここで回収される。ここまで誰のチェックも受けなかったし、リボンが傍聴券と別になっている理由がわからない。何のためだったのかとても謎。

 

その後、エレベーターで地下に降り、しばらく廊下を進み、またエレベーターに乗り、といった感じで複雑なルートを経て議場へ。

廊下は朱色っぽい絨毯が敷き詰められていて、議場の扉は年代を感じさせる木製の扉で、なんだか気分が盛り上がってくる。

 

議場、いよいよ本会議

まず、衛視による注意事項を聞く。

演説や質疑に対して、賛成!とか反対!とか声をあげることどころか、拍手することも禁止なんだと。そうことやったらつまみ出されるんだろうか。勇気がなくてやらなかったけど。

衛視は警察官じゃないにしても警棒をぶら下げているのが見えるし、もしかしたら拳銃もどこかに携帯しているかもしれない。 

 

注意事項を聞いたら年代物の扉を開けて議場へ。

テレビでよく見るあの議場を見下ろす感じで、武道館でいう1階席にあたる場所に傍聴席がある。傍聴席は議場を囲むように3面あるが、今回は人数が少ないせいか1箇所だけ開放されてみんなそこに誘導された。

最前列はテレビ局のカメラマンが三脚にカメラを据えてズラッと並んでいる。

その後ろから階段状に傍聴席になっている。傍聴席の最前列は座ったらダメで2列めからお願いしますと衛視に言われる。テロ防止のためか。

 

センターに一段高い議長席があり、その手前に演説する場所。ここで牛歩戦術をやるんだなとかいろいろ考えながら待機。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/taiken/gijidou/images/06_01.jpg

 

9時50分になるとけたたましくベルが鳴り、職員や国会議員がぞろぞろと議場に入ってくる。正月だからなのか、初日だからなのか、着物姿の女性議員が結構いる。

自分が着物業界の人間だったら、国会で男女ともに着物を着るようにロビイングするだろう。

 

視力が弱いのであまり議員を視認できなかったんだけど、キャラ立ちしてる何人かはわかった。れいわ新選組の2人も介助人とともに椅子のない最後列に陣取っていた。

 

10時ちょうどになると、山東昭子参議院議長が本会議の開始を告げる。

そして、今回の国会でどんな委員会を設けるか、みたいな話をして、異議ありませんかと議員に問いかける。

異議なしと認めましたので決定しますみたいなことを言って、これにて休憩に入りますと。

 

なるほど休憩ね。この後ぐらいに天皇陛下が参加する開会式ってやつがあるのかな、なんて思っていたら、衛視の人から出ていくようにうながされた。

 

時計がないので正確にはわからないけど、おそらくまだ10時5分ぐらいだよ。

あまりのことに、他の傍聴者もざわついていた。

 

休憩とはいっても、このあと衆議院でも本会議があってその後にあらためて参議院になるらしく、15時40分を予定しているが正確にはわかりかねるとのことで、傍聴者は一旦外に出される。

ほんとにこれで終わりらしい。あまりにあっけなさすぎて呆然とする傍聴者一同。

 

初日は天皇出席の開会式とか総理大臣による施政方針演説とかがあるんじゃないのか。

なぜ一気にやらずに休憩になるのか。

あの5分のために議員は地元から上京してきたのか。いろいろわからない。

 

わからないなりに再びネットで調べたら12時から衆議院でも同じように本会議が行われるとのこと。

さっき参議院の衛視さんは、衆議院でいろいろやってから15時半ぐらいから参議院の本会議の続きになりますと言っていた。つまり12時から15時ぐらいまでやるんだろうなと見当をつけて、衆議院の傍聴手続きへ。

 

ちなみに参議院別館の誰でも入れるエリアには国会みやげを買える売店がある。

歴代総理マグカップや湯呑み、安倍総理のまんじゅう、ネクタイピンといった、絶妙にそそらないラインナップだったので何も買わなかった。

プロ野球選手名鑑みたいなやつがあれば絶対買ったのだけど。

 

衆議院の傍聴の流れ

衆議院は、参議院の逆サイドに位置している。最寄り駅は国会議事堂前駅

先ほどのように国会議事堂の裏手からアプローチすることになる。

 

http://www.shugiin.go.jp/internet/index.nsf/html/images/kokkaimap.gif/$File/kokkaimap.gif

傍聴受付がある衆議院第一別館という建物は、参議院別館とほとんど同じ構造。

 

だけど、受付用紙とか手順とか傍聴券のデザインとかがちょっとずつ異なっている。

すぐに回収される謎のリボンはなし。

あと本人確認書類の提示は不要だった。住所氏名は虚偽でもパスできるんじゃないか。

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参議院では傍聴券を受け取ったら一度外に出て通用門から議場に入るルートだったけど、衆議院では別館の建物内にゲートやロッカーがあり、そこで荷物を預けてチェックが済んだらそのまま議場への導線となる。

衆議院参議院のあいだの裏手が地上から1フロア低い車寄せみたいになっていて、黒塗りの高級車がたくさん止まっている。その間を抜けて議場に入っていく。

すると議場の建物の地下にも傍聴受付みたいなところがあった。もしかしたら議員の紹介で傍聴する人とか団体用の受付なのかもしれない。

 

さっきの参議院のときよりも傍聴に参加してる人数が明らかに多い。数十人。

やはり、国会に詳しい人たちにとっては、さっきの5分で終わるやつじゃなく、こっちが本番なんだろう。参議院で傍聴が少ないことに憤っていた自分が恥ずかしいぜ。

やっとちゃんとした国会が見られそうだと、期待が高まる。

 

衆議院のほうが議席が多いので、議場は参議院よりも広々としており、また傍聴席のキャパも大きい。ざっと500人ぐらいは入れそう。

 

参議院と同じく10分前にベルが鳴り、職員や議員がぞろぞろと入ってくる。

参議院は、議長席をホームベースとすると三塁側が与党で一塁側が野党だったが、衆議院は逆らしい。メガネをかけて視力0.9なんだけど、議場にいる議員の顔や名札の文字が視認できない。

オペラグラスとかあったら便利そうなんだけど、おそらく持ち込み禁止だろう。

しかし足が不自由な人の杖はOKなんだから、視力がやや不自由なわれわれのオペラグラスも認めてくれてもよさそうなもんだけど。オペラグラスに見せかけたスナイパー対策ってことであれば、たとえば国会の側で貸し出してくれてもいいのにな。

どの議員がどんな様子でいるかが見えるともっと楽しめそうなので残念。

たまに球場で試合を見ながらスマホで中継動画も見てる野球ファンがいるけど、外野席からだと球筋とかは見えないのであの気持はわかる。

 

などと考えていると12時に。

参議院のあれと同じ感じで議長が出てきていろいろ確認事項を話す。

異議なしと認められましたのでこれにて休憩とします、というやつも同じ。

 

休憩とはいえ、さっきと違ってこのまま続きがあるんだろうと思っていると、なんとまた退出するように言われた。衆議院も5分で追い出されるとは。

釈然としないまま、来たのと同じルートを逆にたどって衆議院別館で荷物を受け取る。

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開会式

またTwitterで調べたら開会式は13時からとのこと。

このまま15時とかまで続いたらさすがにお腹がやばいと思い、近くで軽く昼を済ませようと検索。

コンビニでもいいんだけど…と思ったが国会議事堂の周囲は議員会館とか総理官邸といった建物ばかりで店という店がない。グーグルマップは議員会館セブンイレブンがあると教えてくれたけど、一般人が入れないエリアみたいで除外。

結局、ちょっと遠いけど坂を降りて赤坂見附のほうまで出て、ささっとうどんをやっつけることにしたんだけど、サラリーマンのランチタイムとかち合っておりまあまあの混雑っぷり。

思いのほか時間がかかってしまい、店を出たのが12時45分。13時からの開会式に間に合うかどうかギリギリなので、総理官邸の脇の上り坂を小走りで登る。ふうふう言いながら傍聴受付にたどり着くと、休憩明けはまだですけど?と言われてしまう。

 

あわててググり直したら、開会式は傍聴できないことになっているらしい。

衆参両院の議員全員が参議院に集合するので、傍聴席まで議員で埋まってしまうのと、あと開会式は会議ではなく儀礼なので傍聴の対象ではないんだと。

国会開会式 - Wikipedia

 

こちとら野次馬なんだから儀礼だろうが関係ないんだけどな。

1月とはいえ上り坂を小走りすると汗ばんで不快。

 

自分のググり方が中途半端だったせいだとは思うけど、とにかく情報がない。

衆議院参議院の公式サイトにある情報は正確だけど一般論であり、リアルタイムじゃない。

リアルタイムのスケジュールを確認するにはTwitterが役立つが、公式じゃないので正確さを欠くし、傍聴人にむけた情報じゃなくスマホで中継動画を観たい人向けなので振り回される。

 

参議院別館には今日の本会議と委員会のスケジュールを映すモニターがあるけど、ものすごくざっくり、今日は本会議があるよ、いま休憩中だよ、ぐらいの情報しか表示されてない。

 

しょせん傍聴なんてひまなマニア向けの娯楽なんだろうけど、一応さ、議会制民主主義の透明性を担保するとかそういう役割はもっているんじゃないでしょうか。衛視をたくさん配置するとかそういうリソースはさけるんだったら、情報発信ももう少しなんとかならないか。

今日傍聴しにきてもいいけどたぶん5分でおわるよ?みたいな情報をツイートしてくれたらすごく助かる。

 

結局、参議院別館の受付のところにあるモニターで開会式の様子を流してくれたやつを観た。

議長席の背後にあるカーテンが開くと、背もたれに菊の紋があしらわれた玉座があり、そこに新しい天皇がいた。内外の諸問題の解決のためにみんなでがんばってください、みたいな発言があり、開会式は10分ぐらいで終わった。

これも学校で習った記憶あるな。天皇が国会を召集するというたてつけになってるやつだ。それ以上でもそれ以下でもなく、議論の内容には口を挟まないという役割。

映画『日本のいちばん長い日』なんかをみると、戦前は戦争をやめるかどうかみたいな重大なことにも、天皇の意向が強く反映されていた。そういうことはもうしないっていうのが戦後スタイル。

 

施政方針演説と政府四演説

開会式の次は14時から、衆議院で施政方針演説があるらしいことがTwitter情報でわかった。

 

古い病院の受付みたいな参議院別館のベンチに座って時間を潰し、13:30になると再び衆議院第一別館へ。

参議院では朝イチの傍聴が終わって外に出るとき傍聴券にスタンプを押され、午後また傍聴するときはこれを見せるようにと言われていたので、衆議院でもそうだろうと思ってさっきの傍聴券を受付で提示したら、「ダメですよもう一度最初から受付しないと」と、ちょっと叱るテンションで言われてしまった。

参議院衆議院の細かいルールの違いなんて知らんがな。

 

朝と同じ手順で用紙に記入して傍聴券を受け取って荷物をロッカーに預けてゲートをくぐって議場へ。今回も数十人。

 

http://www.shugiin.go.jp/internet/index.nsf/html/images/gijidou002.jpg/$File/gijidou002.jpg

さっきとの違いとして、議長席から一段低いところの横に並んだ椅子に、総理以下の内閣の主要メンバーが座ったこと。居並ぶテレビカメラが一斉に狙う。

 

さっき予習したんだけど、今から安倍総理の施政方針演説に加えて、外務大臣財務大臣、経済担当大臣がそれぞれ演説するらしい。これが俗に政府四演説と呼ばれています。

政府四演説 - Wikipedia

 

まず、安倍総理の施政方針演説。

ニュース番組などで聞き慣れた声だけど、生ならではのアウラっつうかバイブスっつうかを感じる。

去年の台風のとき八ッ場ダムのおかげで被害が抑えられましたっていうくだりがあったんだけど、「民主党のみなさんがあんなに嫌った例の八ッ場ダム」というニュアンスを原稿の読み方ひとつで表現しちゃうあたり、さすがだと思った。

そういうノリが、どういう層を喜ばせ、どういう層をイラつかせるのか熟知してるって感じ。

 

もっとも人柄が出たなと感じたのはそのあたりで、あとは優秀なスタッフが集めてきたいい話を散りばめて、前向きな話をしていくスタイル。

施政方針演説っていうのがどういうものなのかとか、過去の他の総理がどんなことを語ったのかも詳しくは知らないけど、今回のはとにかくオリンピックで一致団結しようぜっていうのがテーマだったように思った。

 

福島の復興は順調、国の借金は減ってる、雇用はめっちゃ増えてる。

まるで、今の日本には何も問題が起こっていないような。

すげえな、と思って聞いていると、野党側から要所要所で激しいツッコミが入る。

「カジノどうすんだ!」とか「福島はまだ復興してないぞ!」とかそういう。

対抗するように、与党側からは独特の「よし!」というかけ声がかかる。明治時代とかからの伝統的なスタイルなんだろうか。あと拍手も大きい。

 

ただ、野党ものべつまくなしに野次っているわけではないのがおもしろかった。

AIとか5Gといった分野に注力しますとか、地域振興しますとか、そういう話は誰も反対しない。

沖縄の基地負担を減らしますとか、アベノミクスはうまくいってますとか、そういう意見が分かれてる話題になると激しくなる。

 

「野党は反対ばかり」っていう、よく言われるフレーズは眉唾だということがよくわかる。実際、ほとんどの法律が全会一致で採決されているというし。

 

てゆうか、内閣っていうか行政の側だけに機嫌よくしゃべらせていると都合のいいことしか言わないんだなってのも思った。これはどの党が政権を担っても同じで、構造的なもの。

野党からの建設的なツッコミあってはじめて成立するんだということを、体感できたのは大きな収穫だった。

 

茂木大臣の外交演説は、ロシアや北朝鮮や中国にどう対応していくかの話だったんだけど、別に踏み込んだことはなにもなし。うかつなこと言わないほうが外交ってのはいいのかもしれない。

麻生大臣の財務演説は、数字の羅列でめっちゃ眠くなった。財務演説っていうのはそもそもそういうものなんだろう。

最後に羽織姿の西村大臣が税金の使いみちの方針を語って終了。

 

すべて終わったのが15時半ごろ。

この後参議院でもまったく同じ内容の政府四演説が行われるらしいんだけど、まあ参議院にはさっき入ったし内容が同じならいいかなと思い、パス。

 

それにしても施政方針演説からの政府四演説はなかなかのボリューム感で、国会を傍聴したぞっていう気持ちにやっとなれた。

 

まとめ

国会というものについて、かつて教科書でひととおり習ったはずだし、また日々のニュースで耳にしているはずなのに、基本的な仕組みが理解できていなかったことがあらためてわかった。いい大人なのに。

傍聴すると決めてからいろいろ調べたことや、実際に傍聴席で見聞きしたことで、やっと生きた知識として自分の中に定着したなって、すごく実感してる。

 

今度もし機会があれば、質疑のキャッチボールが行われるときに傍聴したい。今回は演説やセレモニー的な感じの日だったので。

 

しかし傍聴って正確で詳しい情報がなかなか見つからないのと、そもそもスケジュールが流動的なのとで、正直なかなかハードルは高かった。たまたま一日中ヒマだったからできたことだなと。

 

そりゃあ、国会というのは議員がああでもないこうでもないと議論する場所であって、傍聴っていうのはあくまでその様子を見せてもらうっていう位置づけなんだろう。なのでスケジュールは議員の都合なのは仕方がないかもしれない。

 

でも、よく考えたらあの人たちはわれわれが日々支払ったり天引きされたりしてる税金の使いみちを決めてるわけですよね。そしてわれわれは選挙をつうじて、税金のつかいみちを決める役割をあの人たちに依頼することにしたわけですよね。それって業務委託みたいなものなのでは?

だとしたら、業務委託先の業者がちゃんと仕事してるかどうか、クライアントとしてはやっぱり気になるし、見せろっていう権利はあるよね。

さらにいうと、チェックしにいくスケジュールはできるだけクライアントの都合に合わせるのって普通だよね。

 

そう考えると、よくわからない休憩とかもやめてほしいし、たまには土日とか夜とかに本会議やってくれてもよいのではなかろうかとも思った。

まあでも傍聴はかなりオススメです。国会はネット中継もあるけど、その場に身を置くことで感じることはやはり大きかった。

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応用編

プロ野球を球場で生観戦したら、家に帰ってからスポーツニュースでその試合の報道を見るのが昔から好きなんですよ。

なんとも言えない高揚感あるじゃないですか。謎のワクワク。

 

最近なんとなくこういうことかなって考えたのが、あのワクワクは答え合わせの快感なのかなってこと。

その場でリアルタイムで感じたことや自分なりに解釈したことと、テレビの中の専門家の解釈の答え合わせ。

 

「4回裏のあのフォアボールからなんかおかしくなっちゃったんだよな」とか、「あのライトフライのとき絶対タッチアップすべきだったよな」とか、外野席から遠目に眺めてて感じたことを、テレビの中の古田とか桑田はどう解説するのか。

 

国会の傍聴だと、その種類のワクワク感をもっと多角的に味わうことができるってこともわかった。なんといってもスタンスの異なる新聞各社がそれぞれの観点で施政方針演説とかその他の質疑について解説してる。

 

ラジオだと、TBSラジオの「荻上チキ Session-22」って番組が国会についてはとにかく丁寧に掘り下げてることで有名ですね。

 

 

今回の施政方針演説についても、実際の音声をまじえてめっちゃ詳しく解説されていたので、答え合わせのワクワク感をたっぷり味わえました。

 

ミュージシャン/DJ目線で選んだサザンオールスターズ必聴プレイリスト21曲

2019年12月、突如としてサザンオールスターズの全アルバムと全シングル、さらにはメンバーのソロ作品までもが一気にAppleMusicやSpotifyといったサブスクリプションサービスに登場した。

 

サブスクのサービスが日本ではじまった当初は、他の大物アーティストと同様に音源を解禁してこなかったサザン。

しかし、松任谷由実井上陽水といった同時代の大物が続々と解禁になっていく流れに抗しきれなかったのか、解禁したほうがビジネス的においしいという見通しが立ったのか、ついに全面解禁という次第になった。

 

サザンといえば、日本人のほとんどが知ってる国民的バンドとして、「TSUNAMI」や「いとしのエリー」「真夏の果実」などの美しいバラードと、「勝手にシンドバッド」「マンピーのG★SPOT」「エロティカ・セブン」などのアッパーで猥雑な曲の2本柱のバンドって感じのイメージで捉えている人が多いんじゃないか。

いや、もはや「バンド」として認識されていないような気もする。良くも悪くも売れ線のポップスをやる大御所おじさんみたいな漠然としたイメージを持ってる人は多いんじゃないか。あまりに売れすぎて国民的な存在になりすぎて、逆に若い音楽好きからはナメられたりしてるかもしれない。

 

しかし、もともと青山学院大学の軽音サークル出身というインディーな出自をもつサザン。初期のアルバムは荒削りな魅力にあふれているし、また時代ごとに新しい音楽のモードを積極的に取り入れているミュージシャン好みのバンドでもある。

昭和歌謡からビッグビート、レゲエにテクノポップAORなど、曲ごとの振れ幅が異様に大きいことも特徴で、そんな多様な音楽的バックボーンのなかでも中心になっているのは、何といってもラテン音楽。正式準メンバーとしてパーカッショニストがいるっていうのも、もともとラテンをやるバンドだった名残りだったりする。

 

なので、偏見なしに素直な気持ちでアルバム単位で聴いていくと、おっ!と思うようなグルーヴィーな曲がちらほら出てくるんですよサザンって。

とはいえ、15枚のアルバムと55枚のシングルが一気にサブスク解禁されて、どこから聴けばよいのやらってなってる若い人は多いと思うので、そういった、ベースやドラムやパーカッションがかっこいい仕事をしてる曲でプレイリストを作ってみました。

 

TSUNAMI」や「いとしのエリー」じゃないほうの、「エロティカ・セブン」や「チャコの海岸物語」のほうでもない、ラテン音楽を中心にR&Bやファンクあたりの黒いサウンドを演奏する、サザンオールスターズというバンドの魅力をぎゅっと詰め込んだ21曲90分。

DJやってるときに近い気持ちで選曲してみた。

 

AppleMusicをご利用の方、どうぞお楽しみください(Spotify版は準備中)。

 

  1. 思い過ごしも恋のうち
    2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』(1979)に収録の高速ラテンナンバー。疾走感と哀愁の掛け算がたまらない、サザンで一番好きな曲。このアルバム以降サザンがこの路線をやらなくなってしまったのはほんとに惜しい。バラードが売れたためにそっちに音楽性を寄せていったと言われているが、しつこくこっち系もやりつづけていてくれたら、その後のJ-POPや邦ロックはずいぶん違ったものになっていたと思う。

  2. 匂艶 THE NIGHT CLUB
    1982年リリースの15thシングル。スラップベースとギターのカッティングがカッコいい上にホーンやストリングスまで入ってくる必殺ディスコチューン。後半サビ後のブレイクも効果的。

  3. HOTEL PACIFIC
    2000年リリース45thシングル。印象的な振り付けもあいまってライブの定番曲となった。サルサっぽいピアノ、ホーンやパーカッションが大活躍するラテンロックでありつつ、Aメロのフルートが昭和歌謡なメロを効果的に彩ってるキラーチューン。


  4. 8thアルバム『KAMAKURA』(1985年)収録。初期サザンには何曲かレゲエ曲があるんだけど、性急なビート感が印象的なこれが好き。ゆるくないレゲエはかっこいい。

  5. 赤い炎の女
    6thアルバム『綺麗』(1983年)に収録のラテンナンバー。地味な曲かもだけどギターソロなんかも哀愁があってかっこいいので好き。

  6. Hello My Love
    4thアルバム『ステレオ太陽族』(1981年)収録。アルバムのオープニングを飾るだけあってイントロがゴージャス。全体的にビッグバンド調のアレンジだけど要所要所でベースがかっこいい。

  7. 青い空の心(No me?More no!)
    1980年リリースの7thシングル「恋するマンスリー・デイ」のB面。アルバムには未収録なので気軽に聴けない時期が長かった。サザンはシングルをアルバムに入れない率が高く、B面曲はベストアルバムからも漏れるので入手困難になりがち。

  8. よどみ萎え、枯れて舞え
    7thアルバム『人気者で行こう』(1984年)に収録。AOR度が高いこのアルバムにおいて、リズム隊のキレのよさが目立つ。サビのハイハット、イントロや間奏のベースなど、かっこいいポイント多し。

  9. 女流詩人の哀歌
    5thアルバム『NUDE MAN』(1982年)収録。当プレイリスト上での前曲からのつながりがDJ的にハマった。似てる曲だといえばそれまでだけど。ハネたリズムに身を任せるだけで気持ちいい。

  10. タバコ・ロードにセクシーばあちゃん
    3rdアルバム『タイニイ・バブルス』(1980年)収録。もう1曲ハネたリズムの渋めのやつ。ベースに注目して聴いてみてください。

  11. 奥歯を食いしばれ
    2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』(1979)に収録。イントロのドラムと、続けて入ってくるピアノがとにかくかっこいい。サザンにおける最優秀ブレイクビーツ賞。

  12. ゆけ!!力道山
    34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」のカップリング曲。ブレイクビーツ部門の準グランプリ。スライ&ザ・ファミリーストーン的というかレニー・クラヴィッツ的というか、ヴィンテージ感のあるファンク。

  13. チルダBABY
    6thアルバム『綺麗』(1983年)の冒頭を飾る曲。ベースラインが印象的なのと、クリーントーンのギターがいい仕事してる。

  14. 真昼の情景(このせまい野原いっぱい)
    8thアルバム『KAMAKURA』(1985年)収録。いかにも80年代な、アフリカっぽいコーラスと硬質なファンクアレンジ。人力だと思うけどループものの気持ちよさもあり。

  15. 愛の言霊 ~Spiritual Message~
    1996年リリースの37thシングル。どこか呪文のような癖になるサビのメロディと独特の言語感覚が炸裂してる。とはいえ通好みな曲なので、サザンの数あるシングルの中で4番目に売れたのがこれっていうのが意外。

  16. PARADISE
    13thアルバム『さくら』(1998)収録。「愛の言霊」のラインの曲として。
  17. MICO
    6thアルバム『綺麗』(1983年)収録。昭和30〜40年代にパンチの効いた歌唱で活躍した弘田三枝子のことを歌っているらしい。

  18. 気分しだいで責めないで
    2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』(1979)収録。「勝手にシンドバッド」スタイルの高速ラテンナンバー。こういう曲は初期に数曲しかないんだけどぜんぶ好き。イギリスでファンカラティーナが流行するよりも早かったんだからサザンはすごい。

  19. 神の島遥か国
    2005年リリース51thシングルの両A面。TOYOTA『MORE THAN BEST』CMソング。ニューオリンズのリズムと沖縄民謡をぶつけた野心作。それでいてサビはしっかり王道のJ-POPでまとめあげられている。

  20. 愛は花のように(Ole ! )
    9thアルバム『Southern All Stars』(1990)収録。ジプシー・キングスにインスパイアされたとおぼしきフラメンコな曲。歌詞はすべてスペイン語

  21. 勝手にシンドバッド
    1978年リリースの記念すべき1stシングル。2018年の紅白歌合戦でも演奏された、サザンの原点にして日本語ロックの歴史をつくった偉大な曲。日本語の歌い方に革命を起こしたっていう文脈で語られることが多いが、サンバのリズムでロックするキラーチューンとして、リリースから40年たっても全然フレッシュだからすごい。ベタだけどこの曲でプレイリストを締めくくりたい。

ユニコーンの『服部』が30年後の日本のロックに与えた影響

はっぴいえんどの『風街ろまん』や、シュガー・ベイブ『SONGS』、サザンオールスターズの『熱い胸さわぎ』、ザ・ブルーハーツTHE BLUE HEARTS』、フィッシュマンズ『空中キャンプ』など、日本のロック史上にはいわゆる「名盤」とされる数々のアルバムが存在してきた。

 

何枚売り上げたかっていう尺度よりも、それ以降のロックの流れに決定的な影響を与えたということから、多くの人が名盤と称えることになったアルバムたち。

 

たしかにそういう意味で上記の並びに異論はないんだけど、それだったらアレも加えるべきではないかと強く主張したい1枚がありまして。

それが、今からちょうど30年前にリリースされた、ユニコーンの3rdアルバム『服部』。

 

服部

服部

 

 

この1枚が、当時13歳だったわたくしハシノも含め、数え切れない若者に影響を与え、音楽の道に連れ込んだのです。

 

ユニコーン『服部』のすごかったところ

ユニコーンは、1987年にデビューした広島出身のロックバンド。メインヴォーカルの奥田民生をはじめ実力とセンスとルックスを兼ね備えたメンバー揃いのバンドとして、当時のバンドブームの中でも頭一つ抜け出した人気を誇った。

 

デビュー当時はわりとシリアスなポップハードロック路線だったのが徐々に音楽性やキャラの幅を広げていき、いよいよ本格的に化けたのがこの3枚目。

このアルバムにはいくつものすごいところとおかしいところがあるので、以下かんたんに列挙してみますね。

 

ジャケットにバンド名やアルバム名の表記がなくメンバーも写っていない

今となっては当たり前になってるけど、当時は衝撃的だった。

レコード会社内でも大丈夫かと騒がれたらしい。

そもそもこのおじいちゃんが服部さんだと思ってる人も多いけど、この人は中村さん。

テレビ出演時にこのおじいちゃんも一緒に出てきた。

 

アルバムからカットしたシングル曲をメンバーではなく坂上二郎が歌った

アルバムではふつうに奥田民生が歌ってる「デーゲーム」って曲を、シングルバージョンではコント55号坂上二郎が朗々と歌い上げている。

ラジオやテレビでかかるのも坂上二郎バージョン。

手間ひまかけてわざわざそういうことをする意味がほんとうに謎。

 

メンバー全員が作詞や作曲をしてる

奥田民生という圧倒的なソングライターを擁してるのに、ビートルズみたいなバンドになりたいっていう奥田民生自身の意向でメンバー全員が作詞や作曲してる。

この次のアルバムからはさらに全メンバーが必ず1曲以上ずつメインヴォーカルをとるようにもなった。2008年の復活後もそこは変わらず。

 

アルバムに入ってる曲のジャンルがすべてバラバラ

フルオーケストラ、ボーイソプラノ、サンバ、レゲエ、アシッドフォーク、ハードロック、変拍子ジャズ、シンプルな弾き語りといった感じで、『服部』に収録されている14曲のジャンルは見事にすべてバラバラ。

バンドの音楽性の核みたいなものをあえて作ろうとしない姿勢と、どんなジャンルでもきっちり消化しきる技術力がないと、こんなことはできない。

というか普通に考えたらそんなことをする必要はない。

 

サラリーマンが歌詞の主人公

これも時代の空気を知ってるかどうかで伝わりにくい話かもしれないけど、ボウイなりブルーハーツなり当時のバンドブームのバンドが歌ってる世界観では、サラリーマンは死んだ目で満員電車に揺られてるつまらない存在で、あんなふうには死んでもなりたくないものとされていた。

 

ところがユニコーンは、そんな風潮に安易に流されることなく、その後の「働く男」や「ヒゲとボイン」などもそうだけど、サラリーマン目線の歌を歌っていく。

ユニコーンの代表曲となった「大迷惑」は、仲が良かったレコード会社の社員が人事異動で単身赴任になったことがきっかけで書かれたという。

 

 

他にも細かい話はいろいろあるけど、とにかくこのアルバムは、当時のロックバンドのセオリーみたいなものをことごとく外していた。しかもありえない角度で。

 

だけどもちろん、単に奇をてらっているだけではなかった。

名プロデューサー笹路正徳が渾身の仕事っぷりで取り組んだこともあり、音楽性は極めて高いし、アルバムチャートで3位に食い込み、47万枚を売り上げるという結果も残している。

このアルバムでユニコーンというバンドのオリジナリティが確立され、ここから1993年の解散まで名曲を残しまくることになる。

 

ザ・インサイド・ストーリー 

では『服部』はなぜ、あんなアルバムになったのか。

 

30年間ずっと好きで聴き続けたわれわれファンは、ずっとこの謎に向き合い続けてきたとも言える。

再生ボタンを押すたびに、なんでフルオーケストラのインストから始まるんだよ!なんで次の曲でガチのボーイソプラノにひどい歌詞を歌わせてるんだよ!っていう解けない謎を毎回突きつけられるんですよ。

 

そういう謎さがユニコーンの好きなところではあったんだけど、このたびついにその謎があらかた解けることになった。

 

謎を解いたのは、この「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー ユニコーンと当時のスタッフ、関係者が明かす名盤誕生の裏側」っていう本。

 

 

「ミルク」のモデルとなった赤ちゃんは誰?とか、「パパは金持ち」の最後で民生はなぜ「おとうと」と言ってるのか?とか、「人生は上々だ」はなぜ転調し続けるのか?とか、そもそもアルバムタイトルの『服部』はどこからきてるのか?とか、そういう細かい点ももちろんだし、何よりも、普通のロックバンドがやらないことをやりまくっているのはなぜ?っていう大事な部分がすごくわかる。

 

まじでみんなに読んでほしいので詳しくは書かないけど、まずは原田公一マネージャーと、マイケル河合ディレクター、笹路正徳プロデューサーの3人の存在が、やっぱりめちゃめちゃデカかったということがわかる。

 

地方出身の若いミュージシャンだったユニコーンに、ロック以外のいろんな音楽を聴かせ、歌詞を添削して深みを持たせ、成長を促進させまくった大人たち。

おかげでユニコーンは、ファン層の中心が10代の女子だったにもかかわらず、「このアルバムは大人じゃないと良さがわからない」みたいな発言(詳細うろ覚え)をするようになる。そして実際そういうアルバムだった。

 

ふつうは現場から出た突拍子もないアイデアをなだめる役割のレコード会社の人間が、率先してメンバーをそそのかし、枠をはみ出させていく。

もちろんメンバーの側も、若気の至りで屈託なく新しいことに挑戦し、全力でふざけ、慣れないジャンルに必死で喰らいついた。

 

そんな勢いが、『服部』というアルバムを特別なものにしたんだと思った。

メンバーの多くが「今はもうこんなのはできない」 って言ってるのもうなずける。

 

後の世代への影響

さっき挙げた『服部』の特徴のうち、いくつかはその後わりと当たり前のことになった。当たり前になったことって、当時どれぐらい衝撃だったかを想像するのが難しい。

だけどその後わりと当たり前のことになったってことは、ある意味『服部』がその後の方向性を形づくったと言い換えることもできる。

 

たとえばビートルズは、アルバムなんてシングルの寄せ集めでいいんだっていうそれまでのポップスの常識を覆し、アルバムというものを一貫したコンセプトをもった作品であると再定義した。そしてそれがその後の当たり前になった。

ユニコーンが『服部』でやったことは、それと同じぐらいのインパクトを日本のロック界にもたらしたんじゃないかと思っている。

 

そういえば2000年代の下北沢で活躍していた(70年代〜80年代生まれの)ミュージシャンの多くが、音楽を作る側になったきっかけとしてユニコーンの名前を挙げている。

 

リスナーに衝撃を与えたインパクトでいうと、たぶんブルーハーツがバンドブーム期では最強だろう。若者にギターを買わせたでいうとボウイの布袋が最強だろう。信者の信心深さでいうとXが最強だろう。売上でいうとプリプリが最強だし。

 

しかし、影響を受けて音楽を始めた若者が、その後ちゃんとミュージシャンとしてモノになった度合いでいうと、ユニコーンが最強なのではなかろうか。

 

ただそれがなかなか表に見えづらい。

なぜかというと、自分もそうだったし、まわりのユニコーン好きミュージシャンたちもそうなんだけど、ユニコーンに影響を受けて音楽を始めた人間って、ユニコーンみたいなことをやろうとはまず思わないから。

ユニコーンの表面的な音楽性ではなく、音楽に対する姿勢とかそういった部分を見習うから。

 

ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」を読んで『服部』を聴き返したら、今をときめくあのバンドもあのバンドも、そういえばユニコーンの精神を受け継いでるな!っていうことがわかってくるんじゃないでしょうか。

 

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