森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

ユニコーンの『服部』が30年後の日本のロックに与えた影響

はっぴいえんどの『風街ろまん』や、シュガー・ベイブ『SONGS』、サザンオールスターズの『熱い胸さわぎ』、ザ・ブルーハーツTHE BLUE HEARTS』、フィッシュマンズ『空中キャンプ』など、日本のロック史上にはいわゆる「名盤」とされる数々のアルバムが存在してきた。

 

何枚売り上げたかっていう尺度よりも、それ以降のロックの流れに決定的な影響を与えたということから、多くの人が名盤と称えることになったアルバムたち。

 

たしかにそういう意味で上記の並びに異論はないんだけど、それだったらアレも加えるべきではないかと強く主張したい1枚がありまして。

それが、今からちょうど30年前にリリースされた、ユニコーンの3rdアルバム『服部』。

 

服部

服部

 

 

この1枚が、当時13歳だったわたくしハシノも含め、数え切れない若者に影響を与え、音楽の道に連れ込んだのです。

 

ユニコーン『服部』のすごかったところ

ユニコーンは、1987年にデビューした広島出身のロックバンド。メインヴォーカルの奥田民生をはじめ実力とセンスとルックスを兼ね備えたメンバー揃いのバンドとして、当時のバンドブームの中でも頭一つ抜け出した人気を誇った。

 

デビュー当時はわりとシリアスなポップハードロック路線だったのが徐々に音楽性やキャラの幅を広げていき、いよいよ本格的に化けたのがこの3枚目。

このアルバムにはいくつものすごいところとおかしいところがあるので、以下かんたんに列挙してみますね。

 

ジャケットにバンド名やアルバム名の表記がなくメンバーも写っていない

今となっては当たり前になってるけど、当時は衝撃的だった。

レコード会社内でも大丈夫かと騒がれたらしい。

そもそもこのおじいちゃんが服部さんだと思ってる人も多いけど、この人は中村さん。

テレビ出演時にこのおじいちゃんも一緒に出てきた。

 

アルバムからカットしたシングル曲をメンバーではなく坂上二郎が歌った

アルバムではふつうに奥田民生が歌ってる「デーゲーム」って曲を、シングルバージョンではコント55号坂上二郎が朗々と歌い上げている。

ラジオやテレビでかかるのも坂上二郎バージョン。

手間ひまかけてわざわざそういうことをする意味がほんとうに謎。

 

メンバー全員が作詞や作曲をしてる

奥田民生という圧倒的なソングライターを擁してるのに、ビートルズみたいなバンドになりたいっていう奥田民生自身の意向でメンバー全員が作詞や作曲してる。

この次のアルバムからはさらに全メンバーが必ず1曲以上ずつメインヴォーカルをとるようにもなった。2008年の復活後もそこは変わらず。

 

アルバムに入ってる曲のジャンルがすべてバラバラ

フルオーケストラ、ボーイソプラノ、サンバ、レゲエ、アシッドフォーク、ハードロック、変拍子ジャズ、シンプルな弾き語りといった感じで、『服部』に収録されている14曲のジャンルは見事にすべてバラバラ。

バンドの音楽性の核みたいなものをあえて作ろうとしない姿勢と、どんなジャンルでもきっちり消化しきる技術力がないと、こんなことはできない。

というか普通に考えたらそんなことをする必要はない。

 

サラリーマンが歌詞の主人公

これも時代の空気を知ってるかどうかで伝わりにくい話かもしれないけど、ボウイなりブルーハーツなり当時のバンドブームのバンドが歌ってる世界観では、サラリーマンは死んだ目で満員電車に揺られてるつまらない存在で、あんなふうには死んでもなりたくないものとされていた。

 

ところがユニコーンは、そんな風潮に安易に流されることなく、その後の「働く男」や「ヒゲとボイン」などもそうだけど、サラリーマン目線の歌を歌っていく。

ユニコーンの代表曲となった「大迷惑」は、仲が良かったレコード会社の社員が人事異動で単身赴任になったことがきっかけで書かれたという。

 

 

他にも細かい話はいろいろあるけど、とにかくこのアルバムは、当時のロックバンドのセオリーみたいなものをことごとく外していた。しかもありえない角度で。

 

だけどもちろん、単に奇をてらっているだけではなかった。

名プロデューサー笹路正徳が渾身の仕事っぷりで取り組んだこともあり、音楽性は極めて高いし、アルバムチャートで3位に食い込み、47万枚を売り上げるという結果も残している。

このアルバムでユニコーンというバンドのオリジナリティが確立され、ここから1993年の解散まで名曲を残しまくることになる。

 

ザ・インサイド・ストーリー 

では『服部』はなぜ、あんなアルバムになったのか。

 

30年間ずっと好きで聴き続けたわれわれファンは、ずっとこの謎に向き合い続けてきたとも言える。

再生ボタンを押すたびに、なんでフルオーケストラのインストから始まるんだよ!なんで次の曲でガチのボーイソプラノにひどい歌詞を歌わせてるんだよ!っていう解けない謎を毎回突きつけられるんですよ。

 

そういう謎さがユニコーンの好きなところではあったんだけど、このたびついにその謎があらかた解けることになった。

 

謎を解いたのは、この「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー ユニコーンと当時のスタッフ、関係者が明かす名盤誕生の裏側」っていう本。

 

 

「ミルク」のモデルとなった赤ちゃんは誰?とか、「パパは金持ち」の最後で民生はなぜ「おとうと」と言ってるのか?とか、「人生は上々だ」はなぜ転調し続けるのか?とか、そもそもアルバムタイトルの『服部』はどこからきてるのか?とか、そういう細かい点ももちろんだし、何よりも、普通のロックバンドがやらないことをやりまくっているのはなぜ?っていう大事な部分がすごくわかる。

 

まじでみんなに読んでほしいので詳しくは書かないけど、まずは原田公一マネージャーと、マイケル河合ディレクター、笹路正徳プロデューサーの3人の存在が、やっぱりめちゃめちゃデカかったということがわかる。

 

地方出身の若いミュージシャンだったユニコーンに、ロック以外のいろんな音楽を聴かせ、歌詞を添削して深みを持たせ、成長を促進させまくった大人たち。

おかげでユニコーンは、ファン層の中心が10代の女子だったにもかかわらず、「このアルバムは大人じゃないと良さがわからない」みたいな発言(詳細うろ覚え)をするようになる。そして実際そういうアルバムだった。

 

ふつうは現場から出た突拍子もないアイデアをなだめる役割のレコード会社の人間が、率先してメンバーをそそのかし、枠をはみ出させていく。

もちろんメンバーの側も、若気の至りで屈託なく新しいことに挑戦し、全力でふざけ、慣れないジャンルに必死で喰らいついた。

 

そんな勢いが、『服部』というアルバムを特別なものにしたんだと思った。

メンバーの多くが「今はもうこんなのはできない」 って言ってるのもうなずける。

 

後の世代への影響

さっき挙げた『服部』の特徴のうち、いくつかはその後わりと当たり前のことになった。当たり前になったことって、当時どれぐらい衝撃だったかを想像するのが難しい。

だけどその後わりと当たり前のことになったってことは、ある意味『服部』がその後の方向性を形づくったと言い換えることもできる。

 

たとえばビートルズは、アルバムなんてシングルの寄せ集めでいいんだっていうそれまでのポップスの常識を覆し、アルバムというものを一貫したコンセプトをもった作品であると再定義した。そしてそれがその後の当たり前になった。

ユニコーンが『服部』でやったことは、それと同じぐらいのインパクトを日本のロック界にもたらしたんじゃないかと思っている。

 

そういえば2000年代の下北沢で活躍していた(70年代〜80年代生まれの)ミュージシャンの多くが、音楽を作る側になったきっかけとしてユニコーンの名前を挙げている。

 

リスナーに衝撃を与えたインパクトでいうと、たぶんブルーハーツがバンドブーム期では最強だろう。若者にギターを買わせたでいうとボウイの布袋が最強だろう。信者の信心深さでいうとXが最強だろう。売上でいうとプリプリが最強だし。

 

しかし、影響を受けて音楽を始めた若者が、その後ちゃんとミュージシャンとしてモノになった度合いでいうと、ユニコーンが最強なのではなかろうか。

 

ただそれがなかなか表に見えづらい。

なぜかというと、自分もそうだったし、まわりのユニコーン好きミュージシャンたちもそうなんだけど、ユニコーンに影響を受けて音楽を始めた人間って、ユニコーンみたいなことをやろうとはまず思わないから。

ユニコーンの表面的な音楽性ではなく、音楽に対する姿勢とかそういった部分を見習うから。

 

ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」を読んで『服部』を聴き返したら、今をときめくあのバンドもあのバンドも、そういえばユニコーンの精神を受け継いでるな!っていうことがわかってくるんじゃないでしょうか。

 

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