自分ではけっこう気が長いほうだと思っていて、あまり何かに対して腹を立てたりすることはないんだけど、どうしても気になってしまう物言いってのはある。
「演歌とヘビメタ以外なんでも聴きます」だと
自称音楽好きな人が、聴く音楽の幅広さをアピールするためによく使う「演歌とヘビメタ以外なんでも聴きます」ってフレーズ。
自己紹介やプロフィール欄なんかでよく耳にするけど、この言葉がどうにも昔から好きじゃなくて。
好きじゃないというか、はっきりと嫌い。
まず単純に自分自身がメタル好きだから、メタルも聴いてくれよって思う。
だいたいこういう安直な発言する人に限ってちゃんと聴いたことなんてないでしょう。
たとえばヘヴィメタルが好きすぎる親や彼氏彼女の影響で否応なしにメタルを浴び続けたけど全然好きになれなかった人とかになら、嫌いっていう資格あるけど、どうせみんななんとなくのイメージでうるさい音楽を全部「ヘビメタ」の箱に突っ込んでほかしてるだけだろうし。
あとヘヴィメタルが好きなひとは「ヘビメタ」っていう略称で呼ばれるのを嫌がる。
どうしても略したいなら「メタル」でお願いします。
「ヘビメタ」もただの略称なんだしいいじゃん言葉狩りかよって思うかもしれないけど、やっぱメタルを揶揄する文脈で使われることが多いじゃないですか。「支那」とか「JAP」とかと同じで、ただの略称だったり昔はふつうに使ってたとしても、今この時代にあえてその言い方する人、蔑みたい気持ちがないとは言わせないよっていう。
でまあ百歩譲ってヘビメタが嫌いでもいいけど、それにしたって「演歌とヘビメタ以外」って物言いはおかしいんじゃないか。
演歌とヘビメタがその人の中でどんな位置関係になっててその物言いになってるのか。
なんだかモヤモヤしてたまらないので、今日はそこネチネチ考えてみようと思う。
1.演歌とヘビメタが対極にあるという位置関係の場合
というわけで、平面上に2つの点を置いて範囲を表す話と考えると、2つのパターンが考えられる。
まず1パターンめ。
演歌とヘビメタを両極に置いて、その間にあるすべて(発言者にとってはその間には広大なスペースがあり、世の中の音楽の95%ぐらいが入ってると思っている)が守備範囲だって言いたいんだろう。図を参照。
つまり 「演歌からヘビメタまで」ってな具合で演歌とヘビメタが両極になってるんだろう。
「○○から○○まで」って普通は「ゆりかごから墓場まで」とか、「おかようからおやすみまで」とか、何かのはじまりとおわりまたは両極端の言葉が入るべきでしょう。
じゃあ仮に激しさ・うるささの軸でヘビメタを極限においたら、もう一方には、静かすぎるものが入ってくるべきじゃないか。
10分以上にわたってもこもこしたワンフレーズが続いてそれ以上特に何も起こらないジャーマン・ロックとかが対極に来るべきではないか?
逆に演歌が極限にある軸ってなんだろう?新しさとかかな。
しかしそもそも、演歌が日本の伝統とかまったくのデタラメで、今のスタイルの演歌というジャンルが形成されたのって1970年頃っていうからね。
美空ひばりや北島三郎がデビューした頃には演歌ってジャンルは存在してないから。
なのでそもそもそこがおかしいんだけど、またさらに百歩譲って演歌が日本の伝統だったとして、じゃあその対極には先端すぎるものが来るべきでは?
わかんないけど先端すぎる音楽って、AIが作った曲とかかな。
それか10分以上にわたってもこもこしたワンフレーズが続いてそれ以上特に何も起こらないジャーマン・ロックとかでは?
いずれにしてもメタルじゃないことだけは確か。
演歌とヘビメタが同じ場所にあるという位置関係の場合
演歌とヘビメタが対極にあるという認識で「演歌とヘビメタ以外なんでも聴きます」という物言いはおかしいことは明らかになった。
じゃあ、演歌とヘビメタが似たようなもんだと認識していて、それ以外なら…っていう位置関係でそう言ってるとしたらどうだろう。
その場合、たぶんその人の中には音楽ジャンルにヒエラルキーがあって、どうせたぶん最上階にはクラシックやオペラが鎮座してるんだろうし、演歌とヘビメタは底辺もしくは枠外の音楽っていう認識なんだろう。
1階J-POP売り場から最上階のクラシック売り場まで各フロアに分かれたタワーレコードのようなものをイメージして、その店の商品すべて聴きますっていう感じ。
で、演歌とヘビメタの売り場はねえぞっていう。
でその場合、たぶんその人にとって演歌とヘビメタよりさらに「下」のものがあるとは思っていない。
何をもって上とか下とかになるか知らないですけど、演歌とかヘビメタっていうのは、音楽がわかってる良識ある大人が聴くもんじゃないっていう気持ちがあるんでしょうよ。
つまり結局どっちのパターンで言ってるにしても、失礼だし視野が狭い物言いってこと。
不用意に「演歌とヘビメタ以外」なんて言い方ができる人にとっては、自分の音楽プレイヤーの中にすべての音楽のうちの95%ぐらいが入ってると思ってるんだろう。何の世界でもそうだけど、中途半端に知識があるとそういう落とし穴にハマりがち。
寛容さアピールの言葉に排除のニュアンスを使わなくてもいいだろ
「演歌とヘビメタ以外なんでも聴きます」の何が腹立つって、それが自分の幅広さや寛容さをアピールするときに使われる言葉だってこと。
寛容さをアピールするためにわざわざ排除の言葉をもってくるっていう感覚は、排除される側にいる人の気持ちをまったく考慮していないという点で想像力が欠けておりセンスがなさすぎる。
なんとなく小池百合子の不用意さ、デリカシーのなさを想起させる。
しかし、自分の場合たまたま音楽に関して謙虚でいられるおかげでこういいう考え方ができているけど、他のジャンルではどうだろう。衣・食・住・エロ・映画・マンガ・小説その他。
音楽以外のとこで似たようなことを自分もやらかしていないか、ちょっと省みたほうがいいかもな。