森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

世代別・元バンドマンの見分け方(年表つき)

あなたのまわりにも昔バンドやってたって人が何人かいると思う。

 

「あの人むかしバンドやってたらしいよ」などと親戚とか同僚とかで噂されるような。

そう言われてみればそんな雰囲気あるかもって相槌を打ちつつも、自分の同世代の元バンドマンとはなんか人種が違う感じもするような。

そう。元バンドマンってひとくちに言っても、その時代のバンドマンがどんな音楽をおもにやっていたか、クラスの中のどんなタイプがバンドという自己表現を選んできたか、その時代の社会におけるバンドマンの位置づけがどんなだったかなどが影響するので、時代によって元バンドマンのタイプは実は全然違う。

 

なので、同僚や親戚にいる元バンドマンって人に接する際には、世代ごとの特徴をつかんで、適切な対応をしましょう。

日常生活の中で出会うあの人も実は元バンドマンかもよっていう、今日はそういう話。

 

戦後の「元バンドマン」の9分類

1940年生まれから1998年生まれまで、つまり1960年のハタチから2018年のハタチまで、戦後のバンドマンの系譜を大雑把に9分類してみたのが下の図。

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元バンドマン年表

 

左から、その人が生まれた年、2018年に何歳か、その人が20歳のとき何年だったかの数字が入っており、その世代ごとの代表的なバンドマンの分類と、その年にブレイクしたバンドをまとめている。

たとえば自分は1976年生まれで現在42歳。20歳のとき1996年だった。バンドマン分類でいうとヴィジュアル系の時代…という見方をしてください。

(実際に高校時代の学祭バンドはLUNA SEAコピーバンドだったし、楽器屋の目立つ場所に陳列されていたのはhideモデルのモッキンバードだった)

 

なお、この記事は日常生活で出会う確率が高い元バンドマンについての話なので、バンドマンの分類は、あくまで日本全国のマジョリティで考えています。

なので、いくら後世に多大な影響を与えたとしても、当時ごく一部の人にしか聴かれていなかったバンドや音楽は除外してる。

つまり、はっぴいえんどYMOフリッパーズギターはこの年表には入ってこない。なぜなら日本語ロックやテクノポップネオアコは、バンドに憧れるごくふつうの若者のマジョリティには直接的な影響を一切与えていないから。

 

では戦後バンドマンの分類をひとつずつ見ていこう。

 

1960年前後「マンボ」

いまでは「バンド」といえばエレキギターとベースとドラムのロックバンドを想起するけど、それってベンチャーズが来日して空前のエレキブームが起きた1965年ぐらいから後のこと。

それ以前に「バンド」といえば、金管楽器や打楽器を含めた大所帯のビッグバンドのことだった。

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演奏するジャンルは、ジャズやラテンが中心。

活動の場はキャバレーやダンスホールなどであり、基本的にバンドそのものが全面に出るのではなく、ゴージャスな夜の世界を演出する役割。

バンドマンが自作曲を演奏することもなかった。

 

つまり、この時代のバンドマンは承認欲求や自己表現とは無縁。「アーティスト」ではなく職人だった。

ミュージシャンのキャリア形成とか権利といった発想はまだなく、きわめて不安定な世界だったし、完全に昭和の夜の世界の住人なので極道界隈との距離も近い。

引退後のキャリアとしては、飲食とか風営法の領域が多そう。

 

この時代の元バンドマンは生きていたらほとんど80歳に近い。

上野とか浅草とか鶯谷あたりの、かつて栄えた歓楽街にいるおじいさんたちの中にたまにいる、カタギじゃないオーラの先輩たちはだいたい元バンドマン。

 

1960年代後半〜「エレキブーム」

1965年のベンチャーズ来日により、空前のエレキブームが起こった日本。

映画化もされた小説「青春デンデケデケデケ」みたいに、日本中の若者が何とかお金を工面してエレキギターをほしがった。

ギター、ベース、ドラムというロックバンドの基本編成が定着したのはここから。

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そして1966年のビートルズ来日に前後して、「グループ・サウンズ」という名前でたくさんのバンドがデビューしてくる。

 

ここから、自作の曲を演奏することや、バンド自体が全面にでてキャーキャー言われるようになる。

バンドを始める動機として、承認欲求や自己表現が入ってくる。

 

とはいえまだまだ楽器は高価なものであり、この時代にバンドをやっていたということは裕福な家庭の出である可能性が高い。

また同時に、ビートルズ来日の際にPTAから抗議の声が上がったほどなので、不良の音楽っていうイメージも根強かったわけで、実際に不良だったか、不良よばわりされることに抵抗がない人であったことは間違いない。

つまり裕福な自営業や医者などの子弟に多く、引退後のキャリアとしては家業を継いでいたりしてそう。

 

この時代の元バンドマンは現在70歳前後。

診察室の壁にジョン・レノンのイラストが額装されてる歯医者の、70歳には見えないツヤツヤした先生はだいたい元バンドマン。

 

1970年代〜「暴走族」

1950年代ごろからバイクを乗り回す不良少年たちは存在したんだけど、当時はまだバイクは高価だったので、「カミナリ族」と呼ばれた彼らはもっぱら富裕層だったらしい。

エレキギターと同じく、裕福な不良のアイテムだった。

 

そんなエレキギターやバイクがわりと一般に普及するようになってくるのが、70年代初頭。

世界的にも映画「イージーライダー」の公開、ローリング・ストーンズとヘルズエンジェルスの関係などから、ロックバンドとバイクがセットで語られる文脈ができてきた。

 

そうしてバイクとロックバンドが男の子の憧れるワルな感じの象徴になっていき、1972年には矢沢永吉のCAROL、1976年には舘ひろし岩城滉一のクールスがデビューしていく。CAROLやクールス、あと外道といったバンドは、暴走族にめっちゃ支持された。

 

日本において革ジャンとリーゼントのロックバンドのイメージはこのあたりで形成され、のちに半ばネタ化されて横浜銀蠅、さらにネタ化されて氣志團へと受け継がれていく。 

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要するにこの時代のバンドマンはほぼ間違いなく暴走族。

なので引退後のキャリアは必然的に自動車整備士運送業

たまにタクシーに乗ったらリーゼントがビシッとキマった60歳ぐらいの運転手にあたることあるじゃないですか、あれ、だいたい元バンドマン。

 

1980年代〜「パンクス」

1970年代後半にイギリスやアメリカではじまったパンクロックの流れは、すぐに日本にも影響を与え、アナーキーやザ・スターリンINU、THE STAR CLUBといったバンドが80年代初頭から日本のパンクシーンを形成していく。

 

日本のパンクシーンは最終的にはTHE BLUE HEARTSという大スターを生むんだけど、そこに至るまでの数年間は、客席に豚の臓物を撒き散らすなどのパフォーマンス、メタルなど他ジャンルとの抗争や暴力沙汰など、なかなかに過激でカオスだった。

 

髪型もモヒカンだったりして、とにかくどれだけ世間の価値観から遠くに行けるかっていう勝負みたいな感じだったと思う。

 

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一方で、パンクロックって楽器ができなくてもいいっていうほどの敷居の低さが売りなので、ブーム収束後も職人ミュージシャンとして生き残った確率は他のどの時代よりも低そう。

 

音楽がやりたいというよりは、自己を表現したいとかクリエイティブなことがしたかった人がたまたま選んだのがパンクバンドだったっていう感じで、そういう人は音楽以外の文化的なジャンルに転身して成功してたりする。

 

出版社や広告代理店の中間管理職の、今やなんの面影もない50代の温厚なおじさんって感じに納まっていても、だいたい元バンドマン。

グイグイくる感じの新卒女子社員に飲み会で根掘り葉掘り突っ込まれてモヒカン時代が暴かれたりしがち。

 

1980年代末「バンドブーム」

パンクロックは世間の価値観につばを吐くことが重要で、ある面で世捨て人になる覚悟が必要だったんだけど、1980年代末のいわゆるホコ天イカ天のバンドブームのころになると、バンドマンもだいぶカジュアルな存在になってくる。

 

相変わらず髪は逆立ててるし破れたジーンズを履いてるけど、別に何かに中指を立てたいわけではないし、暴力反対だしっていう。

JUN SKY WALKER(S)あたりが象徴的だけど、パンクバンドとしての反抗的な目線は保ちつつも、破壊や暴力よりも前向きなメッセージが出てきたり、より日常的な世界を歌うことが増えてくる。 

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バンドブームのピークのころってバンドでありさえすればとりあえず注目してもらえたわけで、結構いろんなジャンルのバンドが出てきた。たまとFLYING KIDSブランキー・ジェット・シティに音楽的な共通点は皆無なわけで。

あらゆるブームの宿命として、質の悪いものがどんどん出てきて飽和状態になった結果すぐに下火になってしまうんだけど、とはいえ圧倒的な量が供給されたことで日本のロックの幅はめっちゃ広がった。

 

前の時代と比べて思想的な背景がない反面、演奏技術はあるわけで、楽器が好きで勉強が苦手な気のいいあんちゃんって感じ。

なので引退後のキャリアとしては、音楽業界の裏方ってパターン。

 

町おこしイベントや学祭などの野外ライブなんかの場でテキパキ働いてる40代後半の長髪のおじさんは、だいたいバンドブーム期の元バンドマン。

 

 90年代後半「ヴィジュアル系

1993年にはバンドブームは完全に終わっており、代わって10代のバンド志向男子を惹きつけたのが、ヴィジュアル系

 

80年代パンクロックから派生したサブジャンルや、パンクロックと同時代のラウドネスなどのジャパメタ、バンドブーム期から存在したBOOWYなどのビートロック勢といった複数の流れが、1989年にメジャーデビューしたXという一点で合流して生まれたこのジャンル。

90年代前半、Xに続いて、LUNA SEAGLAY、L'Arc~en~Cielなどが続々とデビューしていく。

 

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ヴィジュアル系は基本的にファン層はほぼ女性であり、ヴィジュアル系でやっていくためには演奏技術もさることながらルックスやカリスマ性が重要だった。 

 

この時代の元バンドマン、真面目に演奏技術を磨いていればミュージシャンとして活躍しているけど、ルックスやカリスマ性だけに頼ってやってきた人は、時期的に就職氷河期にもあたるのでセカンドキャリアは難しく、バンドマン時代の延長でヒモやってるパターンも多いかも。

つまり平日の昼間に手持ち無沙汰な感じでコンビニで立ち読みしてる緑色の髪のアラフォーは、だいたい元バンドマン。

 

00年代前半「青春パンク」

90年代後半、Hi-STANDARDDragon Ashモンゴル800の大ブレイクやAIR JAMの開催など、インディーズのメロコアスカコア・ミクスチャーがものすごく盛り上がってくる。

さらに数年後にはシーンの担い手がさらに若くなり、屈託なく青いことを言う青春パンクへと裾野が広がっていく。

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このムーブメントの特徴は、ハイスタの沖縄公演のオープニングアクトをつとめたモンゴル800がその後ブレイクした事例のように、全国各地のシーンが活性化したこと。

それぞれの土地で、地元のバンドが拠点となるライブハウスを盛り上げ、そこに他の土地からのツアーバンドを招く。逆にそういったバンドがツアーに出たら各地のライブハウスで土地土地のバンドがハコをパンパンにしておいてくれる。

 

なので、バンドを結成してオリジナル曲が10曲ぐらいあれば、すぐにツアーに出たりインディーズでCDをリリースしたりといった感じ。

そうなると演奏技術の向上や音楽性の深化よりも、バンド同士の交流やツアーの手配、レーベルの運営などに長けたバンドが生き残る傾向がある。

 

もともとDo It Yourselfはパンクの基本姿勢なわけで、引退後のキャリアとしてもセルフマネジメント能力やコミュニケーション能力を活かして起業とかマネジメントにいくパターンが多い。ZOZOTOWNが典型例。

 

昭和のサラリーマン世界とは断絶した場所で、社員の一体感を武器にカジュアルにのし上がってきた30代若手経営者(愛読書はワンピース)は、だいたい元バンドマン。

 

00年代後半「メガネ」

1994年の雑誌「ROCKIN' ON JAPAN」のリニューアルおよび2000年の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」開始により、よく取り上げられるバンドが「ロキノン系」という呼称でくくられるようになっていく。

 

この時代のバンドマンがそれ以前のバンドマンたちと決定的に違うのが、フィジカルの強さが不要になったこと。

それまでのどの時代においても、若者を熱狂させるバンドマンにはクラスの人気者だったりケンカが強かったりといったオスとしての強さが必要不可欠だった。

 

しかしロキノン系においては、クラスの中の目立たないメガネくんが抑えられてた暴力性を爆発させる的なカタルシスがもてはやされる。

むしろメガネくんの鬱屈や文学性こそがロックには必要であるとされ、旧世代の屈託のないヤンキーは揶揄される存在に。

フロントマンがメガネなことは今や何も珍しくないけど、くるりNUMBER GIRLなどが登場した90年代末にはけっこうな事件だった。

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この時代のバンドマンはガツガツしてないタイプが多く、組織の中で成り上がる感じはない。

一方で00年代にはバンドでウェブサイトを制作したりDTMで楽曲制作することが一般的になっており、バンドマンのITリテラシーは同世代と比べてもかなり高め。

なので引退後のキャリアとしてウェブデザイナーやエンジニアを選ぶパターンが多い。

 

メロコア出身の元バンドマン社長の会社でエンジニアやってるボーダーを着たメガネのアラサーは、だいたい元バンドマン。

 

ジム通いやマラソンにハマってどんどんフィジカルになっていくメロコア社長やキラキラ新卒にはさまれて、そういうのはちょっと…と力弱くつぶやいてる。

 

10年代「前髪」

最後に、90年代生まれの現在20代のバンドマンたち。

ここはまだ世の中的にカテゴライズされきっておらず適切な呼称が難しいけど、ひとまず「前髪系」としておく。

BUMP OF CHICKENRADWIMPS〜米津玄師の流れをくむ、前髪長めで猫背なバンドマンたち。

 

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ゲームやアニメやアイドルなど、かつてはモテないものとされてきた趣味が、10年代にはスクールカーストに関係なく浸透し、ルックスや社交性やファッションセンスに何の不自由もない男子たちが地下アイドルやソシャゲをたしなむのももはや普通のことになってる。

 

この時代にバンドマンを志すタイプも基本的にそういう価値観の持ち主で、異性に対するコンプレックスや負のエネルギーはもはや創作の推進力になりえない感じがする。

「もてたいだけのロックンローラー あなた動機が不純なんだわ」と山口百恵が歌ってから約40年、基本的にバンドマンは「モテたい」が動機であり続けたわけだけど、ついに流れが変わってきた。

 

今はまだ現役の彼らがこれから数年後に元バンドマンになったとき、これまでの元バンドマンとはまた違った世界に落ち着いていくんだろうか。

 

まとめ

ここまで読めば、日常生活ですれ違う人が元バンドマンかどうかかなりの確率で当たるようになってるはず。

みんないろんな姿で世間に溶け込んでるけど、一度は本気でバンドやろうって思ったタイプに悪人はあまりいない。だらしない人は山のようにいるけど。

 

なのでみんななかよくしてあげてください。

 

しかしこうやってあらためて流れを追ってみると、元バンドマンってほんと時代によってバラバラだな。

ただ何度か揺り戻しはあったりしたけど、全体の傾向として不良度は時代が下るにつれてどんどん低くなってる。

逆に演奏技術はどんどん上がってるんじゃないかと思う。

 

プロ野球の世界でも、稲尾やカネやん的な大らかな昭和の時代と比べると、不良度が低下して技術は向上してる。160キロ出るようになったけど400勝みたいな無茶はもうできない時代っていう。

どんなジャンルでもそういう傾向あるのかなって。

 

それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけど。