森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

三国志ゲームが重宝される理由またはifを喰らわば皿まで

電車の中でスマホでゲームしてる人、増えましたよね。

テレビ観てるとよく知らないゲームのCM、増えましたよね。

 

10年ぐらい前から課金しすぎ問題がニュースになったりしてたけど、その頃は一部の人が加熱するものだったのが、いよいよ世間の中でふつうに存在するものになってきた感じ。

 

最近のスマホゲームの商売のやり方

その昔、ゲームといえば本体を買ってソフトを買って、あとはずっと遊べるという形態がふつうだったけど、最近のスマホのゲームは基本的に無料で始められるものが多く、そのまま無料でずっと遊ぼうと思えば遊べるけど課金したほうがより有利になるっていう仕組みのものが圧倒的に多い。

で、ゲーム会社としてはいかに間口を広げてたくさんのユーザーを集め、無料でそこそこ楽しい思いをさせ、ハマってきたタイミングで、さらに強くなりたければ課金!って流れを巧妙に設計していく。そこが商売のキモだって聞いたことある。

 

逆に言うと、会社にとって儲かるパターンの研究が行われすぎたせいで、ゲームの中身は驚くほど似通ってきている気がする。かつてファミコンの玉石混交すぎる環境を知っている身からすると、質も幅も多様性がなさすぎるように感じるわけ。

 

要するに、核になる簡単なゲーム(パズルとかRPGとか育てゲーとか)があり、それを有利に進めるためにユーザーは課金するっていうパターン。課金したらどれぐらい有利になるかのバランス調整が、会社のノウハウの部分っていう。ある程度の規模で商売やってるゲーム会社ってほとんど全部そういう感じでしょ今。

でバランス調整の要素としていわゆる「ガチャ」っていうのがあって、運が良ければものすごく強いカードが手に入ると。そしてそのカードってのをキャラクターにして、有名なイラストレーターを起用したり声優の声があたってたりするという差別化も志向されている。

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きれいなグラフィックと声優さんの声で所有欲をくすぐってくる

 

そっちの差別化にあたって、ゲームオリジナルのストーリーやキャラクターをゼロからつくりあげることもあるけど、もっと手っ取り早く安全にお金を儲けるためには、すでに存在している作品のストーリーやキャラクターを使うこともできる。

たとえばあの「Pokemon GO」は、もともとは「Ingress」っていうオリジナル世界観の位置情報ゲームがあったんだけど、同じ会社がポケモンっていうすでに世界的な知名度のあるキャラクターを使ったことで何倍もの規模で商売になったという話。

あと「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」なんかはもう何種類ものそういうスマホ向けのゲームに使われているし、「サカつく」とか「ダビスタ」みたいな、かつての名作ゲームをスマホ向けに移植するパターンもよくある(かつての売り切りと違って課金の要素が入ったために良さが失われたというファンの嘆きも聞くけど)。

 

いずれにしても、大金を注ぎ込んでオリジナルの世界観をつくりあげたところで、どの世代にどれぐらい刺さるかなんてなかなか見通しづらいけれど、すでにファン層がしっかり存在している原作モノや移植モノは、素人目にもはるかに商売がしやすそうに思える。

 

ドラゴンボールとかワンピースとかガンダムが束になってもかなわない最強の原作モノ

原作モノといっても別にアニメやマンガ、ゲーム作品とは限らない。

ガンダムスターウォーズが親子2世代でファン層を築いてるとかいってもたかだか約40年の歴史のところ、なんと1800年にわたってファンが存在する作品があります。

 

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はい。「三国志」ですね。

 

一応説明しておくと「三国志」っていうのは、西暦200年前後の中国で実際にあった乱世からの再統一の歴史を、後世の人がエピソードをかなり盛ってつくりあげた物語。

何十年にも渡って中国全土を舞台に繰り広げられる物語で、登場人物はざっと1000人は超えるでしょう。名前を把握してないと話がわからなくなるレベルの重要人物だけでも100人では収まらない。

 

そんな長大な物語が、1800年間にわたって東北アジアの民衆に愛され続けてきたわけ。日本でも「三顧の礼」とか「苦肉の策」とか、三国志のエピソード由来のことわざが定着する程度には浸透してる。

ドラゴンボールとかワンピースとかガンダムが束になっても足元にも及ばない知名度、そして大河なストーリーと多彩なキャラクター。

商売人としては、この知名度を活かさないという選択肢はないわな。

 

それに何より三国志が最強なのは、著作権がないということ!

なんといっても実在の人物だからね。しかも1800年前にみんな死んでるから許可をもらう必要とかもないし、めちゃめちゃ使いやすい。

 

その上ありがたいことに、主要キャラクターたちには何となくみんなが共通でイメージする見た目の特徴がある。

青龍刀を手に持つ長いひげの関羽、羽根の扇をもった諸葛孔明、ブクブク太った董卓など。つまり、よっぽどヘタクソな人が描かない限り、誰がデザインしても「あ、これは誰誰だな」って伝わる。

キャラ設定も能力値も、ファンたちが1800年間ずっと保ってきた共通見解に乗っかればいい。

 

そこまで出来上がってるので、運営側としては商売のキモである「課金したくなるバランス調整」に専念できるってもんですよね。

 

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三国志の武将が美少女キャラになってるという行くとこまで行っちゃってる感のあるゲームも実在する 

 

お金を払ってガチャをまわす心理

くりかえしになるけど、昨今のスマホのゲームは基本無料でプレイできて、課金すると有利にゲームを進めることができるようになっている。

9割の人は無料でチマチマやってくれててOKで、残りの1割が課金すれば商売として成立するようになっている。

なぜなら、ひとりで何十万円も突っ込んでくれる人が残りの1割の中にたくさんいるから。

なんで何十万円も突っ込むかというと、ゲーム内のガチャをまわすことで、低確率でレアなアイテムが手に入る仕組みになっているから。

ハマってる人は当たるまで何回も回し続けるという。

 

「レアなアイテム」にもいろいろあるけど、たとえば三国志のゲームであれば、「すごく強い武将のカード」がそれにあたる。

他のプレイヤーと対戦するにあたり、そういうカードを持ってると圧勝できるわけ。

あ、カードっていっても手に取れる実物があるわけではなく、ゲーム内の存在として。

 

なるほど、そりゃ勝ちたい人は大金を払ってでも強いカードが欲しくなるだろう。

だけど、強いカードだからっていうだけでは課金するモチベーションとしてまだ足りない気がする。

極端な例を出しますが、三国志のゲームに「そのへんのおっさん」っていう名前のカードがあったら、もし能力値としては最強だったとしても、お金出して買わないと思う。

やっぱそのカードに「呂布」とか「張飛」って名前と絵がついてるからほしいんだよな。

呂布張飛の、三国志ファンにはおなじみの人間離れした猛将のエピソードがそのカードに乗っかってるからこそ、手元に持ちたい欲がかきたてられるはずで。

 

どんな美男美女でもブサイクでも皮を剥いだら同じ肉と骨の集まりじゃないですか。それと同じで、どんなレアなカードであってもひと皮むいたらただのパラメータの集合体。物理的には何もない電子データ。そんなものに大金を注ぎ込ませるわけだから、よく考えたら相当なテクニックである。

「レアなカード」が何万円も課金しまくって手に入れるに値すると信じさせるなんて、ただの紙とインクなのに1万円札に1万円の価値があると日本国がみんなに思わせてるのと同じレベルの共同幻想の構築。もしくは、ビックリマンチョコの「ブラックゼウス」のシールを1万円で流通させていた昭和の小学生みたい。

 

それはそうとしてこの「if」はどうにも気持ち悪かった

三国志」ファンのひとりとして、課金しない9割のひとりとして、細々といくつかのゲームを遊んでみたりしてるんだけど、実はどうにも気持ち悪いところがあります。

 

三国志のゲームというものは、ファミコンの頃からあった。

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その頃の三国志のゲームといえば、自分は劉備曹操孫権といった実際にいた英雄のひとりを操って、中国を統一するのが目的。当然ながら劉備の配下には関羽張飛といった武将がいて、曹操の配下には曹操の武将たちがいる状態でスタートする。

でまあゲームなんで、そこからの展開はプレイヤー次第で、実際の三国志の物語とは違った感じになる。赤壁の戦いが起こらず、曹操がそのまま天下統一することだってできる。

そういうのが、歴史の「if」を遊ぶことの醍醐味だった。 

 

だけど、昨今のスマホ三国志ゲームは違ってて。

武将たちがガチャで手に入るカードになってるため、どの武将が誰の配下になるかは完全にランダムになる。曹操があれほど配下にしたかった関羽も、ガチャをまわしまくれば手に入ってしまう。劉備三顧の礼でやっと迎え入れた諸葛孔明も、ガチャをまわしまくれば手に入ってしまう。

「あなたの生き方には賛同できないので味方できません。さあ殺せ」とかいう骨のある武将はスマホの中には存在しなくて、みんな課金すれば手の中に落ちてくる。

 

この「if」には最初どうにも馴染めず、気持ち悪かった。

この三国志は、史実の三国志とは違うし、またかつて遊んだゲームの三国志とは「if」の置きどころが違うんだってことを受け入れるためには、心の持ちようを多少なりとも自分でコントロールする必要があった。そういうもんなんだって。

 

でも、慣れればそんなもんかなって思えたし、他のゲームでも似たような構造のものが受け入れられるようになってきた。

たとえばプロ野球ゲームでは、チームの壁どころか時空も超えてくるので、ゲーム開始当初は一軍半みたいな選手しかいない弱小チームに、ガチャで東尾とか古田とか掛布といった昭和のレジェンド選手が手に入って大活躍してくれたりする。その先もさらに課金次第でドリームチームをつくることが可能だったり。

 

だったらこういうゲームやりたい

こんな具合でつくられている昨今のゲームの世界。

スキマ時間でできるゲームにガチャやレアアイテムの概念を乗っけることで大きな商売になる。

そして既存のストーリーやキャラクターを使えば安全に商売をすることができる。

レアなカードは課金次第で手に入るので、ありえない組み合わせも可能。

 

往年のゲームに親しんだ身からすると、ちょっとさびしいような状況ではあるけど、これが現実ということで受け入れよう。

受け入れた上で、だったらこういうゲームやりたい。

 

プレイヤーは事務所の社長。

新人発掘や引き抜きでミュージシャンを集めてバンドを組み、音源をリリースしたりライブをやったりしてお金を稼ぐ。

ミュージシャンはほっといたらモチベーションがどんどん下がっていくので、機材を買ってあげたりハイエース移動を新幹線にしてあげたり大物プロデューサーをつけたり海外レコーディングにしたりと、細かいケアをして機嫌を取る。

地道にツアーやメディア露出でファンを増やし、フェスに呼ばれたりタイアップ曲をやったりしてビッグになっていくというゲーム。

要するに、音楽業界がここ50年ぐらいやってきた仕組みのゲーム化ですね。

 

 このゲームに、実在のミュージシャンを時空を超えて登場させたい。

ガチャをひいて入手できるレアカードとして。

で、ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードまたはサイドギターのカードを揃えて、3〜5人のバンドをつくって、売り出す。

 

新人発掘は無料ガチャで、ほとんどN(ノーマル)ランクのミュージシャンしか出ない。ごくまれにR(レア)以上が出るっていう。

引き抜きは有料ガチャで、R以上しか出ない。運が良ければSR(スーパーレア)とかSSRスペシャルスーパーレア)が出る。

ただし初心者向けボーナスとして一番最初にSRがもらえるとか。

 

くりかえしになるけど、これは実在のミュージシャンが時空を超えて登場するゲームなので、ガチャの結果次第ではたとえばこういう、バンドマンっていう以外に共通項が皆無なバンドが結成されることがあり得るわけ。

 

ボーカル:SRルー・リード

ギター:N木根尚登

ベース:Rシド・ヴィシャス

キーボード:Rリチャード・クレイダーマン

ドラム:SSRリンゴ・スター

 

うむ、違和感とかそういうレベルを超えてむしろ見てみたいわこのバンド。

(でも昨今の三国志ゲームで感じた気持ち悪さってこういうこと)

 

オリジナル時代の限界と古典としてのロック

先日、マキタスポーツさんと対談を行い、その内容が有料メルマガで連載されている。

マキタスポーツの週刊自分自身 - 有料メールマガジン|BOOKSTAND(ブックスタンド)

 

マキタさんとの対談はかなりスウィングしまくっていろんな方向に議題が飛びまくり、われながらとても興味深い内容になっているんだけど、その中で「古典ロック」という概念を提唱した。

 

このご時世、テクノロジーの発達やその他の要因により、オリジナル楽曲を作って発表することが本当に誰にでもできるようになった。

かつてはそれなりの財力や運やコネや努力がないとできなかったわけで、そう考えると世の中に出回っているオリジナル曲の数は、半世紀前と比べて何万倍にもなっていると思う。

ある時代にリリースされたすべての楽曲って、かつてはお金と時間に余裕のあるマニアが一生をかければ収集できた範囲だった。でも今では、たぶん今年リリースされたすべての楽曲を把握できている人間すらどこにも存在しないと思う。

 

増え続けるオリジナル曲。当然一曲あたりの影響力は下がってくわけで、よく言われるように無数の局地的ヒットが存在する時代になっている。

それ自体は別に悪いことでもないとは思うんだけど、正直もうしんどさを感じてしまっていることも事実。

そしてこの流れはいつまでも続かないんじゃないかって。

いつかどこかの時点で破局を迎えるんじゃなかろうかという予感がしてる。

 

むしろ、落語とか歌舞伎みたいに、古典の作品をそれぞれの解釈でプレイしていく時代になるんじゃないかとか。そんなことも語っています。

落語における「芝浜」みたいな感じで、それなりの実力と格になったら「天国への階段」に挑戦する、みたいな。

 

ロックとかポピュラー音楽のビジネスモデルって、もうそういう古典芸能としての段階に入ってきてるんじゃないかって。半分ふざけて半分本気で思ってます。

 

ロックの業界がスマホゲームになるんじゃないかって言ってるのも、そういう文脈で。

 

若い人が寄席に行ったりすると珍しがられたりチヤホヤされるのと同じぐらい、ロックの歴史に興味を持つこともレアな趣味になってきてる。

 

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話題になった「文豪ストレイドッグス」っていうマンガでは、明治の文豪がそのままの名前でキャラ化されてる。

これって、文豪という存在が一度完全に枯れてしまって、若者の興味関心の分野から消えてたからこそ、逆にそういうのを持ってくるおもしろさで成り立ったものって感じがする。

 

60年代のロックレジェンドたちも、今や明治の文豪とそんなに変わらない距離感でしょう。

なのでもういっそ、グラフィックは萌えな感じのテイストにして、人気声優に声をあててもらってもいい。

さっきの三国志のヤバいやつみたいに、美少女キャラにしてしまってもいい。病みかわなカート・コバーンや妹キャラのリアム・ギャラガーツンデレアクセル・ローズや優等生キャラのデヴィッド・ボウイを見てみたい。