森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

「NHKのど自慢」の民藝J-POPにみる「用の美」

日本では日曜日の昼は「NHKのど自慢」ということになっている。

実家で親とそうめんをたぐっているときなぞはなおさら。

 

今日もどこか四国の山あいの街だったり東北の漁師町だったり、あるいは隣の県なのに存在を知らなかった地味な市だったり、日本のどこかから生中継されている。

 

予選を勝ち抜いた出場者たちは、若干緊張しながら自慢ののどを披露する。

公立高校の数学教師(40代独身)の尾崎豊

女手ひとつで子ども2人を育て上げたおかあさんの天童よしみ

おそろいのオーバーオールに身を包んだ選果場の小太りPUFFY

90歳の長老が歌うバタやんはバックバンドの演奏を1小節追い越す。

信用金庫の新卒社員は自分が生まれる前の曲をどこで覚えさせられたのか。

 

もうずっと前から、時間が止まったように同じ風景が毎週繰り広がられてる。

地方都市のリアルな息遣いを感じるにはうってつけの番組なのです。

 

役割を果たしているうた

1コーラス前後歌ったところで鐘が鳴り、終了。

そこからは司会のNHKアナウンサーが出場者に「今日はなぜこの曲を?」「誰に届けたいですか?」といった質問を投げる。

 

「入院しているおばあちゃんを勇気づけたくて」

「銀婚式を挙げた妻との思い出の曲で」

「受験勉強しているときにこの歌に勇気をもらいました」

などなどそれぞれに思いを語る、この番組ではおなじみの場面なんだけど、先日あらためてこのことをちゃんと考えてみようと思った。

 

出場者たちにとって、それらの楽曲は生活の中で役に立っているんだなって。

いや、当たり前といえば当たり前のことかもしれないけど、自分自身、もうずっと長いことそういう音楽の聴き方をしてないなって思ったわけ。

 

自分が好きで聴く音楽とその理由なんて、クンビアのいなたいビートが中毒性あるんだよな、とか、アイドルがサイケとニューウェーブを昇華してヤバいことになってる、とか、1986年頃のハードコアパンクとメタルの接点がアツい、とかそんなの。

 

たとえばのど自慢で「風をあつめて」を歌ったあとに、なんで今日はこの歌を?って聞かれて、「日本語でロックをやるというイノベーション精神に感銘をうけ、また失われつつある古き良き東京を「風街」という架空の都市になぞらえた松本隆の詩情にやられたからです!」なんて答える奴いるかよって。

もうちょっとありそうな選曲でいえば「渚にまつわるエトセトラ」を歌った介護系専門学校の同級生コンビがさ、「ちょいダサのフィリー・ソウルっぽいトラックに井上陽水のナンセンスぎりぎりの天才的な歌詞が乗ってるところが大好きだからです!」なんて言うだろうか。「クラスのみんなでカラオケに行くといつもこの曲でめっちゃ盛り上がるから!」が正解。

 

のど自慢という場所では、ちゃんと生活の中で役割を果たしてこその音楽ってこと。

音楽のための音楽ではなく、機能美。

つまりこれはあれだ、民藝ってやつだと思った。

 

民藝(みんげい)とは

「民藝(みんげい)」という概念がある。

大正時代の日本で提唱された、装飾的なアーティスティックな工芸品ではなく、ふつうの人が生活の中で使ったものに宿る「用の美」を見出す運動。

 

民藝品とは「一般の民衆が日々の生活に必要とする品」という意味で、いいかえれば「民衆の、民衆による、民衆のための工芸」とでもいえよう。

» 「民藝」の趣旨―手仕事への愛情

 

今では「民芸調家具」みたいなかたちで一般的に定着してる言葉だけど、もともとは結構ラディカルな、「ふつうが一番ヤバい」的ないわゆる「ノームコア」みたいな言葉だった。

 

そう。「NHKのど自慢」で歌われるうたは、民藝なのではないか!

(大学の先輩にこの分野の専門家がいるので内心ビクビクしながら断言)

 

やれ、サウスっぽい重いビートに三連符で言葉を詰め込んでいく現在形のヒップホップだの、情報量過多のメロディが生み出すヤケクソの躁状態現代日本の生きづらさをうきぼりにするだの、そういう言葉とは関係ないところで存在し、日常生活で役割を果たしている「用の美」。

 

そして民藝とは、有名な大作家先生の作品ではなく、名もなき職人が作った工芸品のことだそう。

2018年にもなって、いまだにのど自慢で「未来へ」「涙そうそう」を歌う地方の女子高生にとって、もはやキロロや夏川りみは名もなき職人と同じような存在でしょう。やっぱり民藝。

 

NHKのど自慢」でよく歌われるランキング

ここ10年間の「NHKのど自慢」で歌われた歌を集計している人がいた。 

 

100per22.com

1位:未来へ / Kiroro(歌われた回数:51回)

2位:ありがとう…感謝 / 小金沢昇司(歌われた回数:50回)

3位:涙そうそう / 夏川りみ(歌われた回数:49回)

4位:WINDING ROAD / 絢香×コブクロ(歌われた回数:48回)

5位:home / 木山裕策(歌われた回数:41回)

6位:TOMORROW / 岡本真夜(歌われた回数:41回)

7位:まつり / 北島三郎(歌われた回数:40回)

8位:恋のバカンス / ザ・ピーナッツ(歌われた回数:40回)

9位:Story / AI(歌われた回数:39回)

10位:最後の雨 / 中西保志(歌われた回数:38回)

 

とりあえずベスト10を引用させていただいたんだけど、どうですかこれ。

ちょっとすごくないですか。

 

オリコンチャートや歌番組、ましてやフェスのラインナップなんかとも絶対に連携してこない、この番組独特の、民藝J-POPの定番たち。

 

 

東京に住んでて音楽やっててとか、そうでなくても比較的若い業界で仕事してたりすると、「おれもおじさんと言われる年齢になったけどまわりで演歌を聴いてる人に出会う機会なんてないなー」とか「自分のまわりでEXILEを好きっていう人に一人も会ったことがないから本当に売れていることが信じられない」といった声をよく聞く。

信頼できる筋からの口コミとか、SNSから流れてくるニュースとか、フェスで出くわしたとか、そういうソースで新しい音楽を日々発見するような刺激的な音楽生活をしていると、そんな感覚になっても不思議はない。

 

だけど、「NHKのど自慢」が巡業してくる地方都市には、そんな音楽生活は存在しない。そして東京にいると忘れがちだけど、「NHKのど自慢」が巡業してくる地方都市が日本の9割なわけ。

民藝J-POPというサイレントマジョリティ、ちゃんと意識しておきたい。

 

キロロが1位になった理由を考えることはとても大事だし、この先10年でランキング上位がどう変わっていくのか、または驚くほど変わらないのかも気にしていきたい。