森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

なぜ日本ではもう「バーフバリ」がつくれないのか

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一部で話題になっているインド映画「バーフバリ 王の帰還」を観てきた。

公開から数ヶ月たってる作品が、口コミで話題になり上映館がここにきて増えてるとか。

自分のときも土曜の深夜だったけど満員だった。

 


「バーフバリ 王の凱旋」予告編

 

 

 カレー味の「花の慶次

「バーフバリ 王の帰還」がどんな映画だったか、一言でいうならカレー味の「花の慶次」って感じ。

 

主人公バーフバリの優しくて強くて筋を通して誰からも愛される男っぷり、それをケレン味たっぷりに描いてるこの感じ、どこかで味わったことあるなーって思ってて、あ「花の慶次」だって思った。

renote.jp

 

そしてストーリーの背景には、シヴァ神とかの信仰、バラモンとかの身分格差、法(ダルマ)の意識などがあって、そのあたりを安直に「カレー味」と表現してみた。

だからカレー味の「花の慶次」。

 

もう少し補足すると 

少し補足すると、橋田壽賀子かよっていうレベルの嫁姑のいざこざもすごくて、インドの豪華絢爛な王宮が幸楽の2階みたいになります。

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国母シヴァガミ

 

さらに補足すると、全体的に荒唐無稽(だがそれがいい!)なんだけど、特に合戦シーンはもうコーエーテクモ無双シリーズ。総大将みずから打って出るし何百人をバッタバッタとなぎ倒すし。

ちょっと真剣に無双シリーズをインドで制作するのアリかもって思った。

(そっち方面うといから的外れかもだけど、もし10億人のインドで巨大なゲーム市場が生まれてるとしたら、「バーフバリ無双」にはお金の匂いがしまくり)

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無双シリーズスクリーンショットが完全にバーフバリ

 

あとはインド映画といえば歌と踊りね。特に歌は歌詞がストーリーにそった内容になってる。昭和のアニメ主題歌なみ(もえあがーれーガンダム―的な)で、21世紀の日本人には逆に新鮮に感じられるし、またそのおかげでこの映画が伝説とか神話っぽい雰囲気をまとうことに。

 

などなど、さまざまな要素がひとつの映画にすべてぶち込まれており、全体的にとにかく過剰。

それに加えてインド映画って尺の長さとかお話づくりの方法論とか、ハリウッド式の映画とはいろいろ異なってて、そこも「なんだかわからんけどすごいもん観た」な気分のひとつの要因になってると思うし、そりゃ話題になるわって。

 

うらやましい 

感想はいろいろあるけど、とにかくインドがうらやましいなー!と。映画館で観てるときからずっと感じていた。

 

だってまったく屈託がないじゃないですか。

今の日本からはもう完全に失われてしまったものがあるじゃないですか。 

それがうらやましくて。

 

 

日本だってかつては、長嶋茂雄石原裕次郎小林旭みたいな、バーフバリ的スターが存在できていた。

しかし1980年代ぐらいを境にモードが完全に変わってしまい、現在もその流れが続いているんだと思う。

たとえばビートたけしみたいな人が、バーフバリ的スターのおおらかなあり方を「ボケ」と捉え、そこにツッコミを入れるという笑いを作り出したことも大きいと思う。

ビートたけし松本人志って、21世紀の日本人の笑いのツボを変えたし、それってつまりものの考え方も変えたはず。

 

80年代にバーフバリ的スターへのカウンターとして始まったツッコミ感覚が、30年たって世の中全体に広がり、当時は尖ったものだったのが今ではもっともベタで誰にでもなぞれるものになってきたのかなと。

別の言い方をすると、「王様は裸だ」って最初に言い出したビートたけしは革命家だったけど、その枠組みがテンプレ化・コモディティ化して、いまではそのへんの中学生でも同じことを言えちゃうようになったというか。

それがいわゆる「一億総ツッコミ時代」。

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

 

 

インドのポップカルチャー史を想像してみると

21世紀に「バーフバリ」みたいな映画をつくれちゃうインドのポップカルチャーの歴史には、たぶんだけどビートたけし松本人志は存在していない。あとタモリも。

 

どっちが上とか下とか、進んでるとか遅れてるとか、そういう話ではなくて、ただただこの映画を通じて違いを思い知ったわけ。

 

 

そりゃ自分はダウンタウンタモリ以降の笑いが大好きだし、めちゃめちゃ影響をうけてる。小沢健二は「日本の笑いは独特だからっていうのは日本人の思い込みにすぎない」って言ってたけど、やっぱり独自の進化を遂げたものになってると思う。

ただそれによって、日本人がものをつくるときの姿勢に、もう絶対に後戻りできない影響を与えてしまったってことも間違いない。

 

作り手側の心のなかにビートたけし松本人志が棲みついてしまって、ベタなものをベタなままで真正面からつくることはもう難しくなってしまった。

 

 

映画館で「バーフバリ」の圧倒的なおおらかさを味わいながら、同時に圧倒的な不可能性をかみしめていたのでした。