森の掟

twitter: @guatarro

1998年のこと

1998年、今から20年前。

大学4回生だったにもかかわらず、就職活動を一切やらず、バンドやDJやバイトや麻雀に明け暮れていた。

その前の年、大学の同級生で結成したバンドが関西では知られたコンテストで優勝してしまい、またライブではそこそこ動員できるようになっており、レコード会社から声をかけられたりしたため、すっかり音楽で食っていけると思い込んでしまったのであった。

なんといっても、音楽業界の景気がよかった。自分たちレベルのバンドがどんどんメジャーデビューしていたし、なんならデビュー前の青田買いの段階で月10万ぐらい給料をもらっているなんて話も耳にした。

自分も、まわりのやつらも、当たり前のようにCDを買いまくっていた。あまりお金のない大学生だったけど、輸入盤とか中古とかで何とか安くあげて毎月何枚もアルバムを買っていた。音楽に特に興味がなさそうな同級生でも、カラオケで歌うためにシングルCDを買ってMDに録音してた。WinnyYoutubeもない時代、みんなそうやって音楽を手に入れていた。それが当たり前だった。

 

だいたい、タワーレコードで視聴できるようになったこと自体が画期的だったわけで。

それまではラジオやテレビで聴くか、雑誌や店頭の文字情報なんかをたよりにCDを買っていたわけで。

こうやってあらためて書いてみると、隔世の感どころの騒ぎじゃない。

おれたちの頃の恋愛はな相手の顔も見ず声も聞かずただ和歌のやり取りで口説いてたんだぞ、って平安時代の人が現代人に説明しているような感覚。

 

どんな音楽を聴いてたか

このあたりの時期、90年代なかばから活動していたバンドがどんどんビッグになっていった印象が強い。

イエローモンキーとかジュディマリブランキージェットシティとか、電気グルーヴとか。10代20代のわりと音楽好きな層のものだと思っていたバンドが、CDバブルの追い風に乗ってお茶の間レベルのヒットを放って驚いたもんだった。

ヴィジュアル系もXやGLAYラルクのおかげで市民権を得ていて、地方のほうだと男子がバンドに憧れることイコールそっち系というのが自然な感覚で、楽器屋のいい場所を占めていたのはV系やメタル系御用達のIbanezとかの、なんか変な青い光沢があったり尖ってたりするギターだった。

あと当時はあまり興味もてなかったけどメロコアとか日本語ラップも盛り上がってきていて、自分たちより数年若い世代は断然そっちだった。

洋楽でいうと、UKのブリットポップおよびUSのグランジという90年代を代表するムーブメントが終息した後の時期。UKではケミカル・ブラザーズプロディジーといったあたりが「ビッグビート」なんて呼ばれて人気だったのと、USではミクスチャーロックとかメロディックパンクが人気だった。そのあたりが売れ筋で、よりコアなところで「ポストロック」っていう呼び名が定着していく頃。

UK/USともに全体的に暗くて重い音が多かった印象がある。

 

個人的には、レコード屋で古いのを発掘するほうに興味が移ってた。特にGSとか和モノ周辺。

サニーデイゆら帝やハッピーズやピチカートあたりの影響で、全国的にそういう流れがあったと思う。関西ではキングブラザーズやちぇるしいといったバンドを中心にシーンがあった。

 

フジロック

前の年に開催されたフジロックの第1回目にバンドメンバーや友達と一緒に参加して死にかけたんだけど、98年の第2回目は豊洲の広大な埋立地での開催になったということでまた参戦。

印象に残っているのは、貴重な杉村ルイ時代のスカパラと、客をステージにあげまくって大変なことになったイギー・ポップ。特にThe Stoogesのアルバムは無人島に持ってくリストに常に入ってるほどなので、動くイギーが見れただけでも感動だったのに期待以上にワクワクさせてくれた。あと、幼い娘さんを肩に抱え上げた上半身裸の中村達也が客席のエリアをゆうゆうと横切っていく姿。なんだか神々しくてまわりのみんなが見とれていた。 


iggy pop- I wanna be your dog - Passenger-

 

伝説のミサワランド

かつて大阪の南茨木というところの幹線道路沿いにミサワランドという複合アミューズメント施設があったことを覚えている北摂人はいるだろうか。

ボーリング場、ゲーセン、書店、CDショップ、レストランが一体になっていて(昔はカラオケボックスもあったみたいだけど98年にはすでに倉庫として使われていた)、毎日朝5時まで営業していた。

実は98年頃からそこで深夜バイトしていたのだった。

 

ミサワランドは名物ワンマン社長のいろんな思いつきがぶちこまれ、秘宝館スレスレの存在感を放っていた。

深夜に車で来るような、今だったらドンキと親和性があるような客層にあわせて、ユーロビートとかチャラ箱でかかるようなダンスポップがよく売れていたんだけど、粗利率を高めるため、そして他の店にない品揃えを追求するあまり、海外のレーベルと直で 取り引きし始め、結果ハードコア・テクノとかガバが日本屈指の充実度になっていたりもした。

また、やんちゃな若者のなかでもアンテナが高いほうの層にあわせて、アナログレコードの取り扱いにはじまりDJのミックステープなんかも売ってたりして、ストリートへの目配せも効いていた感じ。 

 

いやもうミサワランドのことは話し始めると長くなるのでこのへんにするけど、とにかく98年のCDバブル期を、そういう場所でCDを売る側として体験してたのでした。

 

売る側からみたCDバブル

あの頃はほんとに、日雇いっぽい仕事帰りのにーちゃんでも3,000円のアルバムを2〜3枚レジに持ってくるのが普通だった。「スーパーユーロビート」シリーズは毎月のように発売され、VOL.100とかになってたけど、出るたびにみんなちゃんと買ってく。FM802でかかったのをチラッと聴いていいなと思ったらうろ覚えのまま店員の前で歌ってみせて「あのララララーっていうやつある?」ってな感じでさくっとお買上げ。

当時はそれが普通だと思っていたけど、2018年の感覚からするとやっぱりすごいなー。

 

告知

こんな感じの話とか批評とかを織り交ぜて1998年のことを語るイベントをやります!

われわれLL教室、久々のトークイベントです。

 

 

LL教室の試験に出ない1990年代シリーズ「1998年」編

2018年2月11日(日)

18時半開場/19時開演

1500円+1ドリンク

場所は、荻窪ベルベットサン

 

LL教室の他のメンバー(森野誠一さん、矢野利裕くん)にとってもそれぞれの98年があるし、さらに1998年といえばメジャーだけじゃなくてインディーズも同じように盛り上がっていたわけで、そのあたりのことをお伺いすべく、ゲストにはなんとあの元ビークルの日高央(ヒダカトオル)さんをお迎えします!

 

あまり大人数は入れないハコですので、予約はお早めに! 

当日はみんなの1998年も聞きたいですね。