森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

ミュージシャン/DJ目線で選んだサザンオールスターズ必聴プレイリスト21曲

2019年12月、突如としてサザンオールスターズの全アルバムと全シングル、さらにはメンバーのソロ作品までもが一気にAppleMusicやSpotifyといったサブスクリプションサービスに登場した。

 

サブスクのサービスが日本ではじまった当初は、他の大物アーティストと同様に音源を解禁してこなかったサザン。

しかし、松任谷由実井上陽水といった同時代の大物が続々と解禁になっていく流れに抗しきれなかったのか、解禁したほうがビジネス的においしいという見通しが立ったのか、ついに全面解禁という次第になった。

 

サザンといえば、日本人のほとんどが知ってる国民的バンドとして、「TSUNAMI」や「いとしのエリー」「真夏の果実」などの美しいバラードと、「勝手にシンドバッド」「マンピーのG★SPOT」「エロティカ・セブン」などのアッパーで猥雑な曲の2本柱のバンドって感じのイメージで捉えている人が多いんじゃないか。

いや、もはや「バンド」として認識されていないような気もする。良くも悪くも売れ線のポップスをやる大御所おじさんみたいな漠然としたイメージを持ってる人は多いんじゃないか。あまりに売れすぎて国民的な存在になりすぎて、逆に若い音楽好きからはナメられたりしてるかもしれない。

 

しかし、もともと青山学院大学の軽音サークル出身というインディーな出自をもつサザン。初期のアルバムは荒削りな魅力にあふれているし、また時代ごとに新しい音楽のモードを積極的に取り入れているミュージシャン好みのバンドでもある。

昭和歌謡からビッグビート、レゲエにテクノポップAORなど、曲ごとの振れ幅が異様に大きいことも特徴で、そんな多様な音楽的バックボーンのなかでも中心になっているのは、何といってもラテン音楽。正式準メンバーとしてパーカッショニストがいるっていうのも、もともとラテンをやるバンドだった名残りだったりする。

 

なので、偏見なしに素直な気持ちでアルバム単位で聴いていくと、おっ!と思うようなグルーヴィーな曲がちらほら出てくるんですよサザンって。

とはいえ、15枚のアルバムと55枚のシングルが一気にサブスク解禁されて、どこから聴けばよいのやらってなってる若い人は多いと思うので、そういった、ベースやドラムやパーカッションがかっこいい仕事をしてる曲でプレイリストを作ってみました。

 

TSUNAMI」や「いとしのエリー」じゃないほうの、「エロティカ・セブン」や「チャコの海岸物語」のほうでもない、ラテン音楽を中心にR&Bやファンクあたりの黒いサウンドを演奏する、サザンオールスターズというバンドの魅力をぎゅっと詰め込んだ21曲90分。

DJやってるときに近い気持ちで選曲してみた。

 

AppleMusicをご利用の方、どうぞお楽しみください(Spotify版は準備中)。

 

  1. 思い過ごしも恋のうち
    2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』(1979)に収録の高速ラテンナンバー。疾走感と哀愁の掛け算がたまらない、サザンで一番好きな曲。このアルバム以降サザンがこの路線をやらなくなってしまったのはほんとに惜しい。バラードが売れたためにそっちに音楽性を寄せていったと言われているが、しつこくこっち系もやりつづけていてくれたら、その後のJ-POPや邦ロックはずいぶん違ったものになっていたと思う。

  2. 匂艶 THE NIGHT CLUB
    1982年リリースの15thシングル。スラップベースとギターのカッティングがカッコいい上にホーンやストリングスまで入ってくる必殺ディスコチューン。後半サビ後のブレイクも効果的。

  3. HOTEL PACIFIC
    2000年リリース45thシングル。印象的な振り付けもあいまってライブの定番曲となった。サルサっぽいピアノ、ホーンやパーカッションが大活躍するラテンロックでありつつ、Aメロのフルートが昭和歌謡なメロを効果的に彩ってるキラーチューン。


  4. 8thアルバム『KAMAKURA』(1985年)収録。初期サザンには何曲かレゲエ曲があるんだけど、性急なビート感が印象的なこれが好き。ゆるくないレゲエはかっこいい。

  5. 赤い炎の女
    6thアルバム『綺麗』(1983年)に収録のラテンナンバー。地味な曲かもだけどギターソロなんかも哀愁があってかっこいいので好き。

  6. Hello My Love
    4thアルバム『ステレオ太陽族』(1981年)収録。アルバムのオープニングを飾るだけあってイントロがゴージャス。全体的にビッグバンド調のアレンジだけど要所要所でベースがかっこいい。

  7. 青い空の心(No me?More no!)
    1980年リリースの7thシングル「恋するマンスリー・デイ」のB面。アルバムには未収録なので気軽に聴けない時期が長かった。サザンはシングルをアルバムに入れない率が高く、B面曲はベストアルバムからも漏れるので入手困難になりがち。

  8. よどみ萎え、枯れて舞え
    7thアルバム『人気者で行こう』(1984年)に収録。AOR度が高いこのアルバムにおいて、リズム隊のキレのよさが目立つ。サビのハイハット、イントロや間奏のベースなど、かっこいいポイント多し。

  9. 女流詩人の哀歌
    5thアルバム『NUDE MAN』(1982年)収録。当プレイリスト上での前曲からのつながりがDJ的にハマった。似てる曲だといえばそれまでだけど。ハネたリズムに身を任せるだけで気持ちいい。

  10. タバコ・ロードにセクシーばあちゃん
    3rdアルバム『タイニイ・バブルス』(1980年)収録。もう1曲ハネたリズムの渋めのやつ。ベースに注目して聴いてみてください。

  11. 奥歯を食いしばれ
    2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』(1979)に収録。イントロのドラムと、続けて入ってくるピアノがとにかくかっこいい。サザンにおける最優秀ブレイクビーツ賞。

  12. ゆけ!!力道山
    34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」のカップリング曲。ブレイクビーツ部門の準グランプリ。スライ&ザ・ファミリーストーン的というかレニー・クラヴィッツ的というか、ヴィンテージ感のあるファンク。

  13. チルダBABY
    6thアルバム『綺麗』(1983年)の冒頭を飾る曲。ベースラインが印象的なのと、クリーントーンのギターがいい仕事してる。

  14. 真昼の情景(このせまい野原いっぱい)
    8thアルバム『KAMAKURA』(1985年)収録。いかにも80年代な、アフリカっぽいコーラスと硬質なファンクアレンジ。人力だと思うけどループものの気持ちよさもあり。

  15. 愛の言霊 ~Spiritual Message~
    1996年リリースの37thシングル。どこか呪文のような癖になるサビのメロディと独特の言語感覚が炸裂してる。とはいえ通好みな曲なので、サザンの数あるシングルの中で4番目に売れたのがこれっていうのが意外。

  16. PARADISE
    13thアルバム『さくら』(1998)収録。「愛の言霊」のラインの曲として。
  17. MICO
    6thアルバム『綺麗』(1983年)収録。昭和30〜40年代にパンチの効いた歌唱で活躍した弘田三枝子のことを歌っているらしい。

  18. 気分しだいで責めないで
    2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』(1979)収録。「勝手にシンドバッド」スタイルの高速ラテンナンバー。こういう曲は初期に数曲しかないんだけどぜんぶ好き。イギリスでファンカラティーナが流行するよりも早かったんだからサザンはすごい。

  19. 神の島遥か国
    2005年リリース51thシングルの両A面。TOYOTA『MORE THAN BEST』CMソング。ニューオリンズのリズムと沖縄民謡をぶつけた野心作。それでいてサビはしっかり王道のJ-POPでまとめあげられている。

  20. 愛は花のように(Ole ! )
    9thアルバム『Southern All Stars』(1990)収録。ジプシー・キングスにインスパイアされたとおぼしきフラメンコな曲。歌詞はすべてスペイン語

  21. 勝手にシンドバッド
    1978年リリースの記念すべき1stシングル。2018年の紅白歌合戦でも演奏された、サザンの原点にして日本語ロックの歴史をつくった偉大な曲。日本語の歌い方に革命を起こしたっていう文脈で語られることが多いが、サンバのリズムでロックするキラーチューンとして、リリースから40年たっても全然フレッシュだからすごい。ベタだけどこの曲でプレイリストを締めくくりたい。

ユニコーンの『服部』が30年後の日本のロックに与えた影響

はっぴいえんどの『風街ろまん』や、シュガー・ベイブ『SONGS』、サザンオールスターズの『熱い胸さわぎ』、ザ・ブルーハーツTHE BLUE HEARTS』、フィッシュマンズ『空中キャンプ』など、日本のロック史上にはいわゆる「名盤」とされる数々のアルバムが存在してきた。

 

何枚売り上げたかっていう尺度よりも、それ以降のロックの流れに決定的な影響を与えたということから、多くの人が名盤と称えることになったアルバムたち。

 

たしかにそういう意味で上記の並びに異論はないんだけど、それだったらアレも加えるべきではないかと強く主張したい1枚がありまして。

それが、今からちょうど30年前にリリースされた、ユニコーンの3rdアルバム『服部』。

 

服部

服部

 

 

この1枚が、当時13歳だったわたくしハシノも含め、数え切れない若者に影響を与え、音楽の道に連れ込んだのです。

 

ユニコーン『服部』のすごかったところ

ユニコーンは、1987年にデビューした広島出身のロックバンド。メインヴォーカルの奥田民生をはじめ実力とセンスとルックスを兼ね備えたメンバー揃いのバンドとして、当時のバンドブームの中でも頭一つ抜け出した人気を誇った。

 

デビュー当時はわりとシリアスなポップハードロック路線だったのが徐々に音楽性やキャラの幅を広げていき、いよいよ本格的に化けたのがこの3枚目。

このアルバムにはいくつものすごいところとおかしいところがあるので、以下かんたんに列挙してみますね。

 

ジャケットにバンド名やアルバム名の表記がなくメンバーも写っていない

今となっては当たり前になってるけど、当時は衝撃的だった。

レコード会社内でも大丈夫かと騒がれたらしい。

そもそもこのおじいちゃんが服部さんだと思ってる人も多いけど、この人は中村さん。

テレビ出演時にこのおじいちゃんも一緒に出てきた。

 

アルバムからカットしたシングル曲をメンバーではなく坂上二郎が歌った

アルバムではふつうに奥田民生が歌ってる「デーゲーム」って曲を、シングルバージョンではコント55号坂上二郎が朗々と歌い上げている。

ラジオやテレビでかかるのも坂上二郎バージョン。

手間ひまかけてわざわざそういうことをする意味がほんとうに謎。

 

メンバー全員が作詞や作曲をしてる

奥田民生という圧倒的なソングライターを擁してるのに、ビートルズみたいなバンドになりたいっていう奥田民生自身の意向でメンバー全員が作詞や作曲してる。

この次のアルバムからはさらに全メンバーが必ず1曲以上ずつメインヴォーカルをとるようにもなった。2008年の復活後もそこは変わらず。

 

アルバムに入ってる曲のジャンルがすべてバラバラ

フルオーケストラ、ボーイソプラノ、サンバ、レゲエ、アシッドフォーク、ハードロック、変拍子ジャズ、シンプルな弾き語りといった感じで、『服部』に収録されている14曲のジャンルは見事にすべてバラバラ。

バンドの音楽性の核みたいなものをあえて作ろうとしない姿勢と、どんなジャンルでもきっちり消化しきる技術力がないと、こんなことはできない。

というか普通に考えたらそんなことをする必要はない。

 

サラリーマンが歌詞の主人公

これも時代の空気を知ってるかどうかで伝わりにくい話かもしれないけど、ボウイなりブルーハーツなり当時のバンドブームのバンドが歌ってる世界観では、サラリーマンは死んだ目で満員電車に揺られてるつまらない存在で、あんなふうには死んでもなりたくないものとされていた。

 

ところがユニコーンは、そんな風潮に安易に流されることなく、その後の「働く男」や「ヒゲとボイン」などもそうだけど、サラリーマン目線の歌を歌っていく。

ユニコーンの代表曲となった「大迷惑」は、仲が良かったレコード会社の社員が人事異動で単身赴任になったことがきっかけで書かれたという。

 

 

他にも細かい話はいろいろあるけど、とにかくこのアルバムは、当時のロックバンドのセオリーみたいなものをことごとく外していた。しかもありえない角度で。

 

だけどもちろん、単に奇をてらっているだけではなかった。

名プロデューサー笹路正徳が渾身の仕事っぷりで取り組んだこともあり、音楽性は極めて高いし、アルバムチャートで3位に食い込み、47万枚を売り上げるという結果も残している。

このアルバムでユニコーンというバンドのオリジナリティが確立され、ここから1993年の解散まで名曲を残しまくることになる。

 

ザ・インサイド・ストーリー 

では『服部』はなぜ、あんなアルバムになったのか。

 

30年間ずっと好きで聴き続けたわれわれファンは、ずっとこの謎に向き合い続けてきたとも言える。

再生ボタンを押すたびに、なんでフルオーケストラのインストから始まるんだよ!なんで次の曲でガチのボーイソプラノにひどい歌詞を歌わせてるんだよ!っていう解けない謎を毎回突きつけられるんですよ。

 

そういう謎さがユニコーンの好きなところではあったんだけど、このたびついにその謎があらかた解けることになった。

 

謎を解いたのは、この「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー ユニコーンと当時のスタッフ、関係者が明かす名盤誕生の裏側」っていう本。

 

 

「ミルク」のモデルとなった赤ちゃんは誰?とか、「パパは金持ち」の最後で民生はなぜ「おとうと」と言ってるのか?とか、「人生は上々だ」はなぜ転調し続けるのか?とか、そもそもアルバムタイトルの『服部』はどこからきてるのか?とか、そういう細かい点ももちろんだし、何よりも、普通のロックバンドがやらないことをやりまくっているのはなぜ?っていう大事な部分がすごくわかる。

 

まじでみんなに読んでほしいので詳しくは書かないけど、まずは原田公一マネージャーと、マイケル河合ディレクター、笹路正徳プロデューサーの3人の存在が、やっぱりめちゃめちゃデカかったということがわかる。

 

地方出身の若いミュージシャンだったユニコーンに、ロック以外のいろんな音楽を聴かせ、歌詞を添削して深みを持たせ、成長を促進させまくった大人たち。

おかげでユニコーンは、ファン層の中心が10代の女子だったにもかかわらず、「このアルバムは大人じゃないと良さがわからない」みたいな発言(詳細うろ覚え)をするようになる。そして実際そういうアルバムだった。

 

ふつうは現場から出た突拍子もないアイデアをなだめる役割のレコード会社の人間が、率先してメンバーをそそのかし、枠をはみ出させていく。

もちろんメンバーの側も、若気の至りで屈託なく新しいことに挑戦し、全力でふざけ、慣れないジャンルに必死で喰らいついた。

 

そんな勢いが、『服部』というアルバムを特別なものにしたんだと思った。

メンバーの多くが「今はもうこんなのはできない」 って言ってるのもうなずける。

 

後の世代への影響

さっき挙げた『服部』の特徴のうち、いくつかはその後わりと当たり前のことになった。当たり前になったことって、当時どれぐらい衝撃だったかを想像するのが難しい。

だけどその後わりと当たり前のことになったってことは、ある意味『服部』がその後の方向性を形づくったと言い換えることもできる。

 

たとえばビートルズは、アルバムなんてシングルの寄せ集めでいいんだっていうそれまでのポップスの常識を覆し、アルバムというものを一貫したコンセプトをもった作品であると再定義した。そしてそれがその後の当たり前になった。

ユニコーンが『服部』でやったことは、それと同じぐらいのインパクトを日本のロック界にもたらしたんじゃないかと思っている。

 

そういえば2000年代の下北沢で活躍していた(70年代〜80年代生まれの)ミュージシャンの多くが、音楽を作る側になったきっかけとしてユニコーンの名前を挙げている。

 

リスナーに衝撃を与えたインパクトでいうと、たぶんブルーハーツがバンドブーム期では最強だろう。若者にギターを買わせたでいうとボウイの布袋が最強だろう。信者の信心深さでいうとXが最強だろう。売上でいうとプリプリが最強だし。

 

しかし、影響を受けて音楽を始めた若者が、その後ちゃんとミュージシャンとしてモノになった度合いでいうと、ユニコーンが最強なのではなかろうか。

 

ただそれがなかなか表に見えづらい。

なぜかというと、自分もそうだったし、まわりのユニコーン好きミュージシャンたちもそうなんだけど、ユニコーンに影響を受けて音楽を始めた人間って、ユニコーンみたいなことをやろうとはまず思わないから。

ユニコーンの表面的な音楽性ではなく、音楽に対する姿勢とかそういった部分を見習うから。

 

ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」を読んで『服部』を聴き返したら、今をときめくあのバンドもあのバンドも、そういえばユニコーンの精神を受け継いでるな!っていうことがわかってくるんじゃないでしょうか。

 

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『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』にみる「誠実さ」

「もう二度とツアーをやらない」という契約書を爆破する映像が話題となったモトリー・クルー

来年あたり再結成ツアーをやるらしいですね。

 

今回の再結成の機運が盛り上がったのは間違いなくネットフリックス限定で公開された『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』のおかげであろう。

 


『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』予告編 - Netflix [HD]

 

実際ストリーミングの再生回数はめっちゃ増えたらしいし、この映画をきっかけに多くの往年のファンがモトリーのことを思い出し、また多くの新しいファンがついたことは間違いない。

モトリー・クルーは伝記映像作品『ザ・ダート』の配信開始によってバック・カタログにも及ぶストリーミングとフィジカルの売り上げが急上昇しているという。現地時間3月29日に出された公式のプレス・リリースによれば、バンドのバック・カタログと『ザ・ダート』のサウンドトラックのストリーミング数の合算でスポティファイでは再生回数が570%増加し、アップル・ミュージックでは900%増加していると発表されている。また、iTunesでのダウンロード数は2027%増加しているという。

 

わたしとモトリー・クルー

健全な音楽遍歴をたどってきたリスナー諸氏にとっては、てゆうかモトリー・クルーって誰?ってな話だと思いますが、彼らは1981年にデビューした世界的なハードロックバンド。

同じ時期にロサンゼルスを拠点にしていたラットやガンズ・アンド・ローゼズなどとともに「LAメタル」と呼ばれるムーブメントの中心的な存在だった。

 

サウンド面の特徴としては、70年代のイギリスで流行ったグラムロックの妖しさと、パンクロック以降の激しさと、ブルースの要素などがブレンドされたロックンロール。

そして何よりルックスの華々しさが同時期のバンドの中ではずば抜けていた。

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特に中学生時代のわたくしを夢中にさせたのが写真左端のベーシスト、ニッキー・シックス。

のちに軽音楽部でコピーバンドをやるようになった際、ニッキー・シックスと同じサンダーバードっていうベースを買ったほど(本家ギブソンのモデルは高かったのでオービルっていうメーカーのやつだったけど)。

 

だいたいのハードロックやメタルのバンドにおいては花形はギタリストで、ベーシストは目立たない存在なんだけど、ニッキー・シックスはベーシストだけどリーダーで、作曲もする。あと弾いてるフレーズはすごくシンプルで中学生にもコピーしやすい。バカテクすぎて遠い存在って感じでもなく、親近感がわきつつ憧れの存在って感じだったんだよね。

 

ところが、そんなモトリー・クルーをはじめとするLAメタル勢が覇権を握っていたのは80年代までのことで、90年代になるとグランジやミクスチャーといった新興勢力に追いやられ、完全に時代遅れの存在になってしまう。

※そのあたりの経緯はここに書いてるのでよろしければ後ほどご覧ください。 

 

あれほどカッコいいと感じていたモトリーやその他のハードロックやメタルのバンドが、一気に色あせて感じられたもんだった。 

よく考えたら能天気でバカっぽすぎるよなって。それよかニルヴァーナダイナソーJrやソニック・ユースとかのほうがクールだしリアルだしなって。

 

そんな感じで多くのハードロックやメタルのバンドにとって厳しい冬の時代だった90年代。モトリー・クルーは音楽性の迷走や一時的なメンバーチェンジなどいろいろありつつも、なんとか生き延びてきた。

で時代が一周したいま、再び注目されてるというわけ。

 

『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』

ネットフリックスの『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』は、そんな彼らの結成から活動休止を経ての復活までを自伝の記述に基づいてドラマ化したもの。

 

ファンにはおなじみのあんな事件やこんな事件はもちろん出てくるし、ベースのニッキーはバンドの頭脳で、ドラムのトミーはフィジカルで脳天気だし、ヴォーカルのヴィンスはとにかくモテるし、ギターのミックは変わり者っていう、メンバーのキャラもしっかり描かれているし、すごく楽しめたよね。

 

一応ニッキー・シックスが主人公に近いポジションで彼の目線がメインではあるけど、メンバー4人それぞれが自分の目線で語るパートもわりと公平に分配されていて、そこもよかった点。この、ワンマンバンドじゃない感じがモトリーらしさだなと。

 

しかしですね、まあとにかくコンプラ的にひどいシーンが続く。

当時雑誌とかで日本のファンにもうっすら漏れ伝わってきた話はあるんだけど、それどころじゃないひどさ。

ミックは変わり者って扱いになってるけど、他のメンバーやまわりの環境のほうが狂ってるから浮いてるだけで、むしろただ一人だけのまともな人だったってことがわかる。

 

セックス・ドラッグ・ホテル破壊。

 

「芸の肥やし」っていう言葉があるけど、あの狼藉あってこそのあの音楽だとでも言いたいのだろうか。

少なくとも、この映画はそこを説明しようとしてない。

ただただ時系列にそってライブ、狼藉、ライブ、ドラッグの連続が描かれていて、そこに何か理由があるみたいな話には一切ならない。

 

同じく名声とドラッグとセックスにまみれたロックスターを描いた映画でも、トラウマや孤独感からの逃避として狼藉を描いた「ボヘミアン・ラプソディ」や「ロケットマン」とはそこが決定的に違う。

いい話に回収しようと思えばする方法もあったと思うけど、基本そういう描き方をしてないんだよね。

 

大河ドラマのつくりかた

大河ドラマが好きで、毎年できる限り最後まで通して観続けようと心がけてる。

龍馬伝」や「平清盛」「真田丸」「いだてん」など、近年でも印象的な作品はいくつかあったし、基本的には大河は好きです。

 

ただ、それでも最近どうしても気になってしまう描き方のパターンがあって。

「争いのない世の中をつくる」みたいな大志を主人公が抱いてるって設定なのが、どうにも嘘くさく感じられてしまうってのもそのひとつ。

 

信長なり家康なり西郷なり龍馬なりは、ほんとうにそんなことを考えていたのかって疑問に思うんですよ。

 

大河の脚本家がやることって、史料に残っている実際にあったことをつなぎあわせて、一年を通したストーリーを作ること。そして視聴者が感情移入して感動できる主人公のキャラクターをつくることだというのはわかる。

つまり、現代日本の視聴者の大多数がついてこれない価値観の持ち主にすることは不可能なわけで。

 

たとえば、一夫多妻制に関する価値観。

正室とは別に側室をむかえるにあたって、主人公である戦国武将はもれなくとまどう。主人公は別に望んでいなくて、世継ぎがほしい周囲の家臣たちがむりやり娶らせたみたいな描き方も多い。そうしないと、平気で二股かける最低な野郎っぽくなって視聴者の心が離れてしまうから。


その時代と現代とで価値観が違う要素は多々あるので、その時代の主人公は当時の当たり前のふるまいとしてやっていたことでも、現代人には不快に感じられるってことは多い。討ち取った敵の首を斬り落として持ち帰るとかね。

 

あとやっぱ人生ってずっと波乱万丈ってことはないし、ずっと一つのことを目指してまっすぐ進んでるって人は珍しい。だいたいの人生ってダラダラしてるし、あとから思えばまったく無意味なことしてた時期ってのもある。歴史に名を残すような偉人でもそんなに変わらんはず。

 

しかし大河ドラマとして描くにあたっては、一年を通して視聴者を惹きつけないといけないので、なんとかしてダラダラを回避するし、「なんとなく周囲に流されて気づいたら重要な役割を果たしていた」みたいな描き方もしない。

何かしら重要な契機があって、主人公は英雄的な決断をして、その結果歴史に名を残したっていう描き方が王道。

(「真田丸」の草刈正雄の場当たり的な対応は、そんな王道に対するカウンターとしておもしろかった)

 

つまり大河ドラマというのは、視聴者である現代人のコンプラ意識とか感情移入できるコードにそって、歴史的事実を組み合わせ、主人公の主体性を強調してつくられている。


1000〜150年前にいた首刈りの風習をもつ野蛮人(つまり武士のこと)の殺し合いの話を、どうやって感動のドラマにするか。

殺し合いには理由があることにしないとキツイし、その理由だって自分とその一族が滅びないためっていうものだとショボい。「争いのない世の中をつくる」ぐらいの大志じゃないと、凄惨な殺し合いと釣り合わない。

 

なので、1年を通して視聴率20%ぐらいを維持することが求められる大河ドラマにおいては、実際にはあったかどうかわからない大志ってものが求心力やエクスキューズの装置としてすごく大事になってくる。 

 

モトリーの誠実さ

大昔の血なまぐさい野蛮行為をそのまま描くとエグすぎるので、「争いのない世の中をつくる」という大志ゆえの必要悪として描く大河ドラマ

 

80年代のロックスターがドラッグまみれで手当たりしだいにセックスしまくる様子をそのまま描くとエグすぎるので、セクシャルマイノリティであることの苦悩や、家族との断絶と和解といった背景をもたせた「ボヘミアン・ラプソディ」や「ロケットマン」。

 

『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』は、大志も背景もなく、ドラッグまみれで手当たりしだいにセックスしまくる様子をそのまま描く。

狼藉に理由がない。もしくは釣り合わないほどショボい。

なので映画として著しく壊れているように感じられる。

 

ただ、だからこそ、「誠実」だなとも思った。

 

メンバー全員が監修に入ってるので、この描き方は不本意なものではない。

むしろお墨付きを得た上での…というかそもそも自伝の映画化だったわ。

 

「あの狼藉あってこそのあの音楽だとでも言いたいのだろうか」っていうさっきの問いにむりやり答えをだすなら、あの狼藉をなにかに理由づけして美化しない「誠実さ」あってのあの音楽ってことは言えるかも。

 

 

 

 

 

小沢健二『So kakkoii 宇宙』はよその子を祝福して北島三郎を更新する

小沢健二の歌ものオリジナルアルバムとしては17年ぶり(!)になる『So kakkoii 宇宙』がリリースされた。
So kakkoii 宇宙

So kakkoii 宇宙

 

1993年のソロデビューアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』、そして1994年の『LIFE』からの快進撃があり、1996年ぐらいにはちょっとした社会現象みたいになっていたオザケン

NHK紅白歌合戦にも出場してお茶の間にも知られるようになったんだけど、お茶の間というのはいつも雑なもんで、いわゆる「渋谷系」の王子様みたいな存在として、キャラ化して消費していく。

 

そんな扱いを受けつつも、ちょうど今でいう星野源のような感じで、キャラ化される自分を客観視しつつ軽やかに活動しているように見えていた数年間があった。

とはいってもやはりじわじわ消耗していたのか、1998年にシングルをリリースしたのを最後に渡米し、やがてJ-POPのシーンからは姿を消してしまう。

 

そこからの10年あまり、アメリカを拠点に世界を巡ったり結婚したりいくつかの文章を発表したりといった感じが続いた後、2010年からライブ活動を再開し、2017年には19年ぶりのシングル「流動体について」をリリース。
それ以降、日米を行き来しながらわりとコンスタントに新曲のリリースやライブ活動を行っている。

 

アルバム『So kakkoii 宇宙』には、2010年のライブで披露された久々の新曲「いちごが染まる」をはじめ、「流動体について」「フクロウの声が聞こえる」「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」などの復活後にリリースされた曲、そして新曲「高い塔」「失敗がいっぱい」「薫る(労働と学業)」の全10曲が収録されている。

(すなわち、2016年のライブで披露された「涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに)」「飛行する君と僕のために」「その時、愛」は未収録ということ)

 

帰ってきた小沢健二の特徴 

サウンド面でいうと、『So kakkoii 宇宙』は『LIFE』と『犬』の中間といった感じ。

ジャズに傾倒した『球体の奏でる音楽』やアーバンなR&Bの『Eclectic』とは似ていない。渡米直前の「ある光」から直接つながっているようにも思える。

 

そういう意味でははっきりとオザケン的ではあるんだけど、いろんな人が言ってるように『LIFE』やその前後の楽曲の圧倒的な輝きに比べるとちょっと物足りなく感じられるかもしれない。


たしかに、その時期の楽曲にあった圧倒的なキラキラ感や、一方でその輝きは永遠には続かないんだよなっていうほろ苦い刹那の美しさは、最新作では薄まっていると思う。

 

それでも、個人的には2017年以降の楽曲のほうにむしろ魅力を感じているんですよ。

少数派かもしれないけど、本当にそう思ってる。

 

なにしろ、2017年以降の曲の歌詞。

明らかに新しい境地に入ってるじゃないですか。

 

この劇的な変化、どう考えても2013年に長男「りーりー」が生まれて親になったことが大きいでしょ。

自分も2014年に長男が生まれて親になっていたので、「そうそう!そうだよなオザケン!わかるよーっ!」てな具合に響きまくっているわけです。

 

たとえば晩ご飯のあとの父と子の会話からはじまる「フクロウの声が聞こえる」は、混沌と秩序が一緒にあるような、わかりにくくてわかりやすく、優しくて残酷な世界に生きていく子どもたちを励ますような歌。

 

父親として、自分の子どもに対してこの世界がどんなものであるか伝えたい、背中を押したい、そういう気持ちに共感しまくってるのです。

奥田民生の「息子」「人の息子」も同じ理由で大好きなんだよな。

 

そして、直接的に父親の曲じゃなくても、親になったことで得られた視点がやっぱり入ってると思う。

たとえば歌詞に出てくる「きみ」の対象がそれまでと明らかに違う。

 

なにしろ親になると、自分の子どもがかわいいのは当然として、よその子もかわいくてたまらなくなる。

そしてその気持ちを掘り下げていくと、最終的に人類全体とかいうスケールで愛おしくてたまらなくなってきたりもする。

 

アルバム『So kakkoii 宇宙』においても、「都市」や「労働」みたいな人間のいとなみ全般に対して、人の親ならではの慈しむ気持ちが入ってきてるのを感じる。

 

つい数年前に全く無力な存在としてこの世に出てきた「ガキンチョ」が、あれよあれよという間に、道具を使いこなし言葉を使いこなし、人と関係して何かを作り出し、っていう感じで成長していく。

多くの親が感じるこの新鮮な驚きを、よその子全員(=全人類)にも感じてるんだなっていうのを、たとえば「薫る(労働と学業)」や「高い塔」から読み取ることができる。

 

このご時世に親になるということ

日本で一番知られた父と息子の歌といえば、北島三郎の「まつり」。

 

「山の神 海の神 今年も本当にありがとう」っていう世界において、「土の匂いの染み込んだ 倅その手が宝物」ってな具合で息子に語りかける。

代々受け継がれてきたものを伝えていく、自分が父親から教わったことを息子に教えていく、つまり「保守」の本領ですわな。

 

しかし、2019年の東京では、一応は近代的自我が確立された個人であるということでみんな生きてるわけでしょ。

見合いをしろとか早く孫の顔を見せろとか、自分が父親から教わったことをそのまま息子に教えていくわけにはいかないのがご時世。

「まつり」は、2019年の父と息子の歌としてはもう通用させられない。

 

そりゃあね、見合いをしろとか早く孫の顔を見せろとかの圧力がなくなるのは絶対的にいいことです。

だけど、その代わりになる生き方は誰も示してくれていない。

親になることが良いことなのかどうか、自分で判断しろっていう世の中。

 

かといって判断材料を求めてまわりを見渡せば、やれ満員電車にベビーカーを持ち込むなだの、子どもを育てて大学に入れるまでに数千万円かかるだの、コストや重圧ばかりが目につく。

 

まじめな人ほど、自分なんかが親になっていいわけがないと思いがちだし、そもそも自分ひとりが生きていくだけで精一杯でもあるし。

 

また、職業人とか趣味人とかアーティストとかとしての自己実現をストイックに追求するのって美しいじゃないですか。子育てなどという寄り道をしている暇はない。

 

そう。

この時代に自分らしく生きようとすればするほど、親になるっていう選択肢が魅力的にうつるタイミングが絶望的にない。

 

まさに、岡村靖幸の「祈りの季節」状態。

Sexしたって誰もがそう簡単に親にならないのは

赤ん坊よりも愛しいのは自分だから?

 

こち亀」をやめて親になった話

そんな、親になる圧力も理由もない現代に、それでもわたくし親になりました。

 

というのもですね、ある日「こち亀」をやめて「ドラゴンボール」に移行したくなったんですよ。

 

つまり、それまでの自分は、毎日毎日おもしろおかしく一話完結型で繰り返される「こち亀」型の人生を楽しんでいたわけ。

しかし「こち亀」の世界では登場人物は成長しないし、物語は一歩も前に進まない。コミックス何百巻になっても、両津は両津のままでしょう。

自分の人生がそんな感じであることに、突然めっちゃ飽きたんだよね。

 

それで、ためしに親になってみた。

そしたらおもしろいように「ドラゴンボール」型の、お話が前に進んでいく感覚になれたっていう。

 

これってものすごく自分勝手な理由なのかなと思っている。

自分の人間的実存のために子どもを利用したって言い方もできるかもしれない。

でもまあ、イエ制度の圧力がなくなった今、子どもを作る理由なんて自分勝手でしかないのでは?とも思うけど。

 

自分の場合はそうやって自分勝手を押し通して親になったんだけど、自分勝手じゃない多くの人たちにとって、親になるのはなんなら不自然なことになってしまってる。

 

そんな時代に、『So kakkoii 宇宙』はすごくフレッシュな視点をもたらしてくれた。

北島三郎 「まつり」が示す保守的なそれではない、新しい親としてのものの見方。

 

よその子(=人類)のいとなみを「宇宙」って言葉で表現し、その宇宙を「So kakkoii」と祝福してる。

このご時世に親であるってことはこういうことだと。悪くないでしょと。そんな感じですごく頼もしいんだよな。

 

真夜中、むにゃむにゃと寝言を言ってる子どもの寝顔。生きてやがる。こんなすごいものを妻と共同で作ってしまったんだという何度目かの(だけど常に新鮮な)驚き。不思議。そしてこいつがよその子と一緒に新しい時代をつくっていくのか。すごいな。So kakkoii 宇宙だな。

そんなアルバムです。

1997年の売れたいロックバンドが考えていたこと

批評家の矢野利裕くん、構成作家の森野誠一さんとわたくしハシノの3人でLL教室というユニットを組んでいまして。

90年代のJ-POPについて語るトークイベントを定期的に開催しているのですが、次回は11月10日(日)に1997年を中心に語る回をやります。

 

そこで今日は、イベントの予習みたいな意味もこめて、1997年の西宮の丘の上から見えていた景色のことをいろいろと。

 

私大文系3回生

1997年のハシノは関西学院大学社会学部の3回生。

私大文系のゆるい世界で、勉強もバイトもそこそこに、同じ学部のやつらと組んだバンドでの活動に夢中になっていた時期。


自分たちで曲を作ってライブハウスに出演してファンを増やして、っていう活動がそれなりに軌道に乗ってきて、当時拠点にしていた神戸スタークラブ(現在の太陽と虎)で自主イベントをやったりしていた。

 

活動が軌道に乗ってくると、たかが学生バンドマンではあったけど、いっちょまえに意識だけは高くなってくるわけで。

音楽に対する接し方として、純粋なリスナーというよりは同業者として考えるようになっていった。

 

リスナーとしても、大学生の特権を最大限に活用してライブハウスやクラブやレコード屋に入り浸り、カルチャーの空気を胸いっぱいに吸い込んでいたので、自分たちが時代の最前線にいるぐらいの全能感があった。

若さゆえの思い上がりが多分に含まれていることをだいぶ差し引いても、実際人生でもっともアンテナが高かった時期だったと思う。

 

当時やってたバンドは、1990年頃のインディーダンス(マンチェスター)の感じとケミカル・ブラザーズみたいなロックっぽい打ち込みを混ぜたみたいなUKな音を目指してた。

いかんせん技量やセンスの問題で、実際にアウトプットされていたものは結構違うものになっていたんだけど。

自分たちはストーン・ローゼズのつもりでやっていたことが、あるお客さんにインスパイラル・カーペッツみたいだねって言われたこともあったな。

これで伝わる人には伝わるかもしれない。

 


 

当時のトレンドは「洋楽を消化できてる」こと

当時の関西のライブハウス界隈はわりと泥臭いような、エンターテインメント色が強いバンドが目立っていた。

シャ乱Qがメジャーデビューしたのを追うように後輩バンドたちが同じく大阪城公園のストリートで活動していたり、吉本興業がアマチュアバンドの育成に手を出して今はなき心斎橋筋2丁目劇場で漫才の合間にライブをさせたり、そういう感じ。

われわれもみようみまねで大阪城公園2丁目劇場でライブやったりもしたんだけど、なかなか大阪的なノリが評価される場所では苦戦したもんだった。

 

ただいくら生意気なことを言ってても演奏が特にうまいわけでもなく、パフォーマンスに秀でているわけでもなく、ただただ、自分たちのセンスを過信してるのと、あとはルックスも武器になってるかな、ぐらいのところで戦おうとしていたんだから、今にして思うと頼りないことこの上なかった。

若さっていうのはほんとにおそろしいなと思う。

 

そして同世代や少し上のバンドには勝手にライバル意識を抱いていた。というより勝手に見下していた。
「こんなしょうもないバンドでもメジャーデビューできるのか」みたいな陰口はいつものこと。

 

あと新しく出てきたバンドが雑誌なんかでどのように評価されてるのかもすごく気になっていたもんだった。

それってつまり今のトレンドがどこにあるかを表してるわけで、そこに寄せていくつもりはなかったけど、とはいえ自分たちがハマっているかどうかにはどうしても敏感にならざるを得ないわけで。

 

だからすごくよく覚えてるんだけど、この時期の音楽誌に特有の評価軸として、「洋楽を消化できてる」「うたものロック」みたいなのがあったんですよ。

たとえばミスチルとかグレイプバインとかブリリアントグリーンあたりのバンドがそのような表現で褒められていた記憶がある。

 

どういうことかと言うと、洋楽ロックそのままの猿真似じゃなく、かといっていまだにバンドブーム臭のする古臭いドメスティックな音でもなく、日本人の琴線に触れるメロディと洋楽ロックのサウンドが上手にブレンドされてることが良しとされていたのです。

 

なるほど今はそういうのが評価されるのねって横目に見て、じゃあおれらがやってることもその路線に近いのでは?って思ってますます自信を深めたもんだった。

 

いやむしろ、そういうトレンドに対しても斜に構えていた気がする。洋楽ロック成分が多いとか言ってても実質単なるオアシスのパクリでしかないな!とか思っていたりした。

若さっていうのはほんとにおそろしいなと思う。

 

思い上がったまま関西の頂点へ

それなりに曲をたくさん作ったりライブをやりまくったりしたわれわれは、いよいよメジャーデビューとか音楽で食っていくとかそういうことを考えるようになった。

 

そして当時の関西でもっとも権威のあったバンドコンテストにエントリーする。

われわれが出場したのが第6回目で、それまでの歴代の優勝バンドはみんなメジャーデビューしているという、関西においてはこれ以上ない機会だった。 

 

東京と違って関西にはメジャーのレコード会社はなく、インディーズレーベルもそんなになく、だいたい当時はみんな自主制作でレコーディングするのが当たり前だった。

自主イベントやワンマンに100人ぐらい集める規模までいっても、関西で地道に活動している限りはそれ以上どうにもならなかった。

そんな時代だったもんで、このコンテストはメジャーデビューのほとんど唯一の機会のように見えていたもんだった。

 

たしか予選みたいなのがあって、選ばれた8組ぐらいがライブハウスでの最終審査に進むことになったんだった。

さすがに最終審査ともなると、演奏は自分たちより全然うまいバンドもいたし、自分たちよりもオリジナリティたっぷりの音楽性のバンドもいたし、流行しはじめていたミクスチャーをいち早く取り入れたバンドもいた。みんないいバンドだった。

 

だけど、グランプリに選ばれたのはわれわれのバンドだった。

伸びしろも加味した上での評価だったらしいが、こんなことになってしまうと思い上がった学生バンドがさらに思い上がるのは仕方がない。

 

その日、某超メジャーレコード会社のA&Rとかいう人が名刺をくれて、何曲かつくって持ってきてとか言ってくれた。

その会社は有望な若手に声かけるだけかけてほぼ飼い殺しにされるっていう噂がまことしやかに流れていたけど、そんな噂は信じなかった。

 

友だちはそろそろ就職活動にそわそわし始める時期だったけど、このまま音楽で食っていけると完全に思い込んでいたので、いわゆる就職活動というものは一瞬もやらなかった。

 

甘くなかった

グランプリにはなったものの、そのA&Rとかいう人とは何度か会って曲を聴いてもらったりしたんだけど、そこから話が進む気配がない。 

関西で一番権威のあるコンテンストで優勝してもメジャーデビューできないとなると、もうこっちから東京に乗り込んでいっちょ大暴れするしかないなということで上京。

 

そころが東京のインディーズシーンの壁は厚く、必死に足場を築いてるうちに疲弊してしまい、1年ちょっとでそのバンドは解散してしまった。

 

 

若いロックバンドを「洋楽を消化できてる」みたいに評価する風潮も、あまり長続きしなかった。

そういう評価のされ方をしていたバンドのほとんどは、スペースシャワーやFM局にちらっとプッシュされただけでそれ以上ブレイクすることはなかった。

 

思えば90年頃のバンドブームが終わってからの数年間で、はじめてのトレンドらしいトレンドだったわけで、売る側の大人たちとしても何とか大きな流れにしたかったのかもしれない。

たしかに、ビートルズ〜オアシスに通じる大きなメロディは日本人も大好きだし、実際ミスチルブリリアントグリーンのようなメガヒットも生まれたわけで、狙いとしては悪くなかったと思う。

 

ただ、次世代を担うバンドたちは98年頃にはもう次のことをやろうとしていて、たとえばナンバーガールくるりクラムボンといった新しいバンドが中心となって流れを変えていくことになる。

97年といえばフジロックAIR JAMが始まった年でもあり、メロコアスカコア、ミクスチャーのシーンがここからめっちゃ盛り上がってくるし。

スペースシャワーやFM局を情報源にしてる若い人たちの志向もそっちに寄っていったのかもしれない。

 

「ロックバンドで売れる」をやるときの戦い方において、わりと大きなゲームチェンジがこのあたりで発生したのかなと思っている。

で、このとき生まれたモードが、現在も続いてるという認識。

 

イベントでお待ちしてます 

以上、あくまで関西から見えていた景色ではあるけど、1997年頃のロックバンドが何を考えてあがいていたかのサンプルのひとつとして見ていただけるとありがたいです。

 

このあたりのことも踏まえて、イベントではもっと掘り下げていくかもしれない。

森野さんが勝手に名付けた「ミスチルフォロワー御三家」も、興味ある方がいればイベント限定で教えますね。

 

あとなんといってもこの日はすごいゲストをお招きしているので、たっぷり語っていただければと思っています。

ゲストは、エビ中、V6、岡崎体育バナナマンバカリズム東京03といったすごい人たちへの楽曲提供、そしてあの「ゴットタン 芸人マジ歌選手権」の数多くの楽曲を作ってきた、「謎の音楽家」カンケさん!

 

カンケさんは1997年にアーティストとしてデビューされていて、そのあたりのこともじっくり伺いたいです。

 

ご予約は下記サイトからどうぞ。

こじんまりしたハコなのでお早めに!

www.velvetsun.jp

 

 

<おまけ> メンバーのその後

解散後のメンバーそれぞれの活躍っぷり。

学生気分のバンドはあそこで終わっといて正解だったのかもね。

   

 

 

 

 

実はたくさんあったビートルズの日本語カバーBest10+1(全部知ってたらすごい)

映画「イエスタデイ」が公開されたり、アルバム『アビイ・ロード』の最新リマスター版がリリースされたりと、久しぶりにビートルズが話題になった2019年秋。

 

 

そして来年(2020年)には解散から50年という節目を迎える。

 

これから世の中にいろんなビートルズ企画が出回ることであろうが、これは他ではやらないだろうという、ビートルズの日本語カバーの世界という切り口はいかがでしょうか。

 

ご存じの通りオリジナルの歌詞によるカバーはめちゃめちゃ多く、今も増え続けているんだけど、実は日本語の歌詞で歌われているものもあったりする。

 

現在では権利者の意向で歌詞を変えてリリースすることはNGになっているらしいので、新たにビートルズの日本語カバーがリリースされる可能性は限りなく低いんだけど、過去にはバラエティに富んだバージョンがたくさん存在した。

 

原曲がリリースされた数ヶ月語に出たというリアルタイムのものから、新しいものでは90年代まで。原曲に忠実なアレンジから、音頭まで。

 

個人的おすすめ度ベスト10をカウントダウン形式で発表!

 

 


 

 

第10位 近藤真彦「抱きしめたい」

マッチこと近藤真彦の17歳の誕生日を記念してリリースされた企画版「17バースデー」に収録された、「抱きしめたい(I want to hold your hand)」の日本語カバー。

自分が生まれた1964年にヒット曲したとして「抱きしめたい」をカバーしたという趣向である。

 

日本語詞は、原曲がリリースされた直後に出たスリーファンキーズによる日本語カバーバージョンと同じもの。

書いたのは、60年代前半に数々の日本語カバーの歌詞を手がけた漣健児。

 

当時、歌手デビュー2年目のマッチ。この年の「ギンギラギンにさりげなく」でレコード大賞新人賞を受賞するという、フレッシュな盛り。

ビートルズへの興味やリスペクトは正直特にありませんっていう若いノリがすがすがしい。

 

CDやストリーミングにはなっていないので、ほしい方はがんばってレコードを探してみてください。特に高値にはなっていないはず。 

 

第9位 田中星児「オブラディ・オブラダ」

「ビューティフル・サンデー」の大ヒットでも有名な、NHKおかあさんといっしょ」の初代うたのおにいさん。

 

「オブラディ・オブラダ」は、1974年にフォーリーブスNHKみんなのうた」で取り上げて以来、日本ではキッズ向けソングとしての性格が強い。

最近では杉浦太陽もカバーしてたりするんだけど、カリビアンな雰囲気がもっとも出てる田中星児バージョンで。

 
 

 

 

第8位 ガロ「ビコーズ」

1972年の「学生街の喫茶店」が世代を代表するヒット曲となったフォークグループ、ガロ。

グループサウンズからフォークへの時代の変わり目にリリースされた「学生街の喫茶店」は、タイガースへの楽曲提供で名を挙げたすぎやまこういちが作曲、編曲は スパイダースの大野克夫というGS人脈。

 

セカンド・アルバム『GARO2』において、『アビイ・ロード』のB面を美麗に飾る「ビコーズ」を、本家に負けじとカバー。

 

 

第7位 HIS「アンド・アイ・ラヴ・ハー」

細野晴臣忌野清志郎坂本冬美という、ジャンルを超えた異色の3人によって結成されたユニット、HIS(ほその・いまわの・さかもとのイニシャル)。

 

学生服に身を包んだ細野と忌野、そしてセーラー服の坂本冬美という衣装も印象的だったけど、細野晴臣っていう時代の最先端を行ってるような人が、演歌っていうダサいおじさんの音楽をやってる坂本冬美と組んだっていうことに当時かなりびっくりさせられたんだった。

 

1991年にリリースされた唯一のアルバム『日本の人』において、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」を日本語でカバーしている。

日本語詞を書いたのは忌野清志郎

 

第6位 大場久美子「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」

1978年の「コメットさん」役で大ブレイクしトップアイドルとなった「一億人の妹」大場久美子

「スプリング・サンバ」など初期のいくつかのシングル曲は、ロリータ感のある歌いっぷりとファンキーな編曲で今も人気が高い。

 

1979年にリリースされたベスト盤『Kumikoアンソロジー』の冒頭を飾っているのが、破壊力抜群の「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」および「With a Little Help From My Friends」の日本語カバー。そう、本家と同じ流れ。

 

原曲にないイントロに続いて、分厚いコーラスが特徴的な「Sgt.Pepper's〜」がはじまり、続いて「With a Little Help〜」からは大幅にアレンジが変わり、さらにもう一度「Sgt.Pepper's〜」に戻ってくるんだけど大場久美子はどっかに行ってしまいコーラス隊が最後まで歌い切るっていう構成。

 

ビートルズのカバーの話題になったときによくネタとして出てくるので、ご存じの方も多いだろうか。

 

 

第5位 小山ルミ「カム・トゥゲザー」

和モノDJが血眼になって探してるキラーチューン「あなたに負けたの」「グット,,がまんして!!」などで知られる小山ルミ。

さらにはカルト歌謡曲横綱スナッキーで踊ろう」のバックコーラスをつとめるスナッキーガールズの一員でもある。

 

そんな彼女が1973年にリリースしたのが、全曲ビートルズの日本語カバーという、その名も「ビートルズを歌う」というアルバム。

どの曲もすばらしいんだけど、特に原曲から遠く離れた日本語詞がイカす「カム・トゥゲザー」を選びたい。ヒッピーの彼氏を自慢するっていうオリジナルな歌詞を書いたのは千家和也

 

 

 

第4位 東京ビートルズ「キャント・バイ・ミー・ラブ」

ビートルズの日本語カバーの話になると外せないのが、この東京ビートルズ。 

 

「抱きしめたい」がアメリカのチャートで1位になったというニュースが日本にも伝わり、どうやらビートルズっていうのが人気らしいぞって話になるやいなや、嗅覚の鋭い芸能事務所によって結成されたグループ。

前述の漣健児による日本語詞でビートルズの日本語カバーを4曲リリースしている。

 

その中でも「買いたいときにゃ金出しゃ買える」の江戸弁がおもしろい「キャント・バイ・ミー・ラブ」を。 

 

第3位 上々颱風「Let it be」

沖縄の三線の弦を張ったバンジョーを弾くリーダーの紅龍を中心に結成された音楽集団。

沖縄民謡、レゲエ、江州音頭、ラテン、ルンバなど世界中の音楽を雑多に取り込んだ「ちゃんちきミュージック」は唯一無二。

 

映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の音楽やJALの沖縄キャンペーンソングなどでお茶の間にも知られた。

1991年のアルバム『上々颱風2』において、大ネタ「Let It Be」をちゃんちき感たっぷりに日本語カバー。 

 

第2位 金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」

紅白歌合戦にも出場した民謡歌手の金沢明子がこぶしを利かせまくって歌う「イエロー・サブマリン音頭」は、かの大滝詠一プロデュースによるもの。 

クレイジーキャッツ的なコミックソングビートルズを同じレベルで愛する大滝詠一だからこそ作り出せた、世界に誇る日本語ビートルズ

日本語詞を書いたのは、はっぴいえんど時代からの盟友、松本隆

 

 

第1位 桜田淳子「デイ・トリッパー」

オーディション番組「スター誕生!」からデビューのきっかけをつかみ、森昌子山口百恵とともに「花の中三トリオ」として一世を風靡した桜田淳子

10代とは思えない歌唱力、ドリフとの絡みもバッチリなバラエティ対応力、秋田弁という飛び道具もありで70年代に大活躍した。

その実力はライブアルバムではっきりと確認することができる。「マキタスポーツ ラジオはたらくおじさん」に出演させてもらったときにも紹介した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」での客いじりなんて、17歳とは思えない。

 

1976年の中野サンプラザ公演を収めた『青春賛歌 桜田淳子リサイタル3ライブ』では、英語詞の「ビートルズ・メドレー」や、日本語詞の「イエスタデイ」「ラブ」など聴きどころが満載。

特にすばらしいのが「デイ・トリッパー」で、バックバンドのキレッキレの演奏もあいまって最高なんですよ。

 

 

 

殿堂入り 松岡計井子「ハード・デイズ・ナイト」

1970年代から渋谷ジァン・ジァンを拠点に、ビートルズおよびジョン・レノンの日本語カバー専門で歌い続けている松岡計井子。

凄みのある歌唱と原曲に忠実なアレンジで、「ドント・パス・ミー・バイ」とか「アイヴ・ガッタ・フィーリング」といったあまり他の歌手が手をつけないマニアックな曲まで幅広く取り上げている。

この人の存在じたいが日本語ビートルズそのものということで、殿堂入りとさせていただいた。

 

いろいろ紹介したい曲は多いが、1曲となるとこれかな。

 

 

 

 

 

松岡計井子 ビートルズをうたう

松岡計井子 ビートルズをうたう

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

ビートルズマニアの諸兄姉にあらせられましても、もしかしたら未チェックのものがあったのではないでしょうか。新たな発見になっていれば幸いです。

 

また、これからちゃんとビートルズを聴こうと思われてるみなさまには、もしかしたら余計な寄り道をさせてしまったかもしれない。

だけど、寄り道がこんなに豊かになってしまってるのもビートルズの奥深いところ。間接的にでもそういうのが伝わっていれば幸いです。

 

 

ところで、ビートルズの奥深さといえば、なんと10年以上に渡ってビートルズしかかからないラジオ番組があって今も続いているという。

ラジオ日本をキーステーションに全国にネットされている「THE BEATLES 10」という番組なんだけど、毎週リスナーからのリクエストに基づいてベスト10を発表し続けてるんだよ!50年前に解散したバンドの!ベスト10を毎週!

(この記事がベスト10形式にしてあるのも実は「THE BEATLES 10」に敬意を表してのこと)

 

そんなヤバい番組のパーソナリティをずっと務めている「謎の音楽家」カンケさんをゲストにお招きして、トークイベントをやります。

 

 

テレビ東京「ゴッドタン」の「芸人マジ歌選手権」の数々の名曲の生みの親でもあるカンケさんと一緒に、バラエティ番組初のヒット曲が多数生まれた1997年のJ-POPをがっつり語ります。

あと1997年といえば、「アンソロジー」以降のビートルズ再評価ブームが、ミスチルやそのフォロワーたちを通じてJ-POPシーンに影響を及ぼしまくっていた時期でもある。

そのあたりについてもじっくりお伺いしたい所存。

 

マジ歌好きな方、ビートルズ好きな方、90年代J-POPが好きな方、ぜひお越しください!

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/14/Kanke_Picture.jpg/440px-Kanke_Picture.jpg

 

アイドルが結婚しても推せるか問題を上院公聴会のディー・スナイダーとか比叡山の沢田研二とかから考える

最近、現役アイドルが結婚を発表する事例が続いている。


Negiccoでんぱ組.incもどちらも現役バリバリの人気グループであり、おふたりとも立ち位置は真ん中の重要人物。

アイドルというビジネスモデルは、ファンが抱く疑似恋愛感情のパワーをマネタイズすることで回っているという側面が強いわけで、推しが人妻であるという事実は、ただでさえバランスを欠いた片思いの構造が一気にぶっ壊れかねない。

 

しかし、このおふたりのそれぞれのオタクたちの言動を見ていると、批難どころかむしろ祝福するムードが支配的だったりする。

 

これは一体どういうことなのか。

アイドルのあり方が劇的に変わりつつあるということなのか。

 

とある事情からアイドルと結婚というテーマに関しては一家言あるので、今回はこの件について考えてみたい。

 

昭和のピュアな視聴者

アイドルのあり方がこれから劇的に変わっていくかもしれないという話を考えるにあたり、参考にしたいのが、すでに劇的に変わった存在たちのこと。

 

たとえば、リングの上で卑怯な反則攻撃を繰り返していた昭和の悪役レスラーは、観客から結構マジで憎まれていた。

ダンプ松本率いる極悪同盟は、クラッシュギャルズのファンから生卵やカップ麺を投げつけられたとか。

アイドルを推す気持ちとは180度ちがうんだけど、どちらも舞台の上の虚構の世界に対して投げかけられる気持ちの強さを原動力にして成り立っているという意味では同じ。

 

他にも、おもに悪役を演じることが多い俳優は、役柄上だけでなく人間性そのものからして悪そうだっていうイメージを身にまとっていたし、漫才コンビのボケ役に向けられる笑いは、こいつほんとにバカだなっていう嘲笑みたいな目線も多分に含まれていた。

 

それがいつの頃からか、悪役レスラーのほうが実は人格者が多いとか、コワモテの俳優がプライベートではファンシーな趣味を持ってるだとか、漫才コンビのボケ役がクイズ番組で博識ぶりを見せつけたりだとか、そういうのが当たり前になった。

 

平成の初期ぐらいだと、トーク番組でそういったプライベートの顔を同業者に暴露されたりすると、「おいやめろ、営業妨害だぞ」みたいな言い方でツッコミを入れる姿がまだ見られたもんだった。

つまり、コワモテのイメージが自分のブランディング上とても重要であり、ファンシーな面はそのイメージを毀損するから営業妨害だっていう共通認識が演者にも視聴者側にもあったからこそ、そういうツッコミが成立したわけ。

ツッコミとして機能するってことはこの時点でもう半分ギャグにはなってるんだけど、それでも前提となる共通認識はあった。

 

だけど、令和の世の中ではそういう暴露がブランディング的にマイナスだっていう、そういう前提すらもう通じない。

カズレーザーがクイズ番組で大活躍したからといって、なんだよバカだと思ってたから笑ってたのにほんとは賢いなんて騙された!なんてこと言う視聴者はさすがにいないよね。

 

またメタルの話してもいいですか

ヘヴィメタルという音楽ジャンルも、プロレスやアイドルとすごく近い構造を持っていると思っていて。

 

ヘヴィメタルは、悪魔崇拝だとか、暴力だとか、そういう不道徳なイメージを身にまとっていたからこそ、世界中のキッズを夢中にさせたことは間違いない。

 

ヘヴィメタルの生みの親のひとりであるオジー・オズボーンがステージ上で生きたコウモリを食いちぎった事件をはじめ、80年代のメタル黄金時代って、ふつうの良識ある大人が顔をしかめるようなイメージに彩られてる。

 

 

というか、大人たちは顔をしかめるにとどまらず、子どもたちから不道徳なものを取り上げようという動きも実際にあったほど。

 

1985年のこと。

アメリカのある上院議員婦人が政治家達を巻き込んで、過激な暴力や性的な表現のある歌詞をラベリングして子どもたちが触れないようにすることを目指し、PMRC(ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)という委員会を設立した。

 

PMRCは、プリンスやシンディ・ローパーやマドンナといったポップスターに加えて、ジューダス・プリーストモトリー・クルーやトゥイステッド・シスターといったメタルバンドたちも槍玉に挙げていく。

そしてついに、こういった歌詞をどう扱うべきかについて議論すべく、有識者を招いて公聴会が開催された。

 

その公聴会に出席したトゥイステッド・シスターのディー・スナイダーは、自分の音楽を吊るし上げようとする委員会のメンバーに対してこう自己紹介した。

 

「私は30歳の既婚者で、3歳の息子がいます。クリスチャンとして育ち、今でもこの教えを守り続けています。信じられないかもしれませんが、私は煙草も酒もドラッグもやらない。ヘヴィメタルに分類されるトゥイステッド・シスターというロックンロールバンドの曲を演奏するし、作詞もしている。私は先に述べた自分の信念に基づいて作詞している曲を誇りに思っています」

PMRC - Wikipedia

 

つまり、ヘヴィメタルバンドとして打ち出してる「不道徳な」世界観と、ひとりの人間としての自分のパーソナリティは別物で、それぞれに誇りを持っているということ。

こういうことわざわざ口に出すのって、まあ言ってしまえば相当に野暮なことなんだけど、わざわざ口に出さざるを得ないほどの状況だったということでしょう。

「言わせんなよ」って。

 

映画「レディ・プレイヤー1」でも効果的に使われた、彼らの代表曲。

 

このディー・スナイダーの話、今となってはなんてピュアな時代だったのかって思う。

当時も今もヘヴィメタルに顔をしかめる大人はたくさんいるけど、さすがに当時のような野暮な追求はされなくなってるでしょう。

 

ヘヴィメタルバンドのメンバーであることと良きアメリカ市民であることが両立しうることを疑うようなピュアな人はもうほとんどいない。

 

であれば、悪役レスラーやヘヴィメタルや漫才師の身に起こったことが、これからアイドルにも起こるんじゃないかなって。

NegiccoのNaoさんやでんぱ組.inc古川未鈴さんがアイドルという仕事の性質上振りまいている疑似恋愛的な世界観と、人妻であるということは別に矛盾しないと考えられる人が多数派になってくるはず。

 

ガチ恋」という概念

アイドルオタク用語に「ガチ恋」というものがある。

 

一般的なオタクがあくまでいちファンとしてアイドルを推しているのに対し、その一線を越えて、本気で恋愛感情を抱いてしまったヤバい奴またはその状態を指す言葉。

 

それが転じて、「推しが好きすぎてもう冷静でいられなくなってる俺」を自嘲する意味合いで使われるようにもなってきた。

これって象徴的だなって。

 

現在のアイドル文化に理解がない人ほど、アイドルオタクは全員ガチ恋だと思いこんでるフシがありますが、実際には圧倒的多数のオタクは節度をもって推しているし、一部の熱狂的なオタクであっても、ガチ恋化して距離感がおかしくなることはなく、ただただつぎ込む金額が増えていくだけ。

 

悪役レスラーは、与えられた役割通りに暴れてるだけであって、悪いのはこのリングの上だけなのだ、という当たり前すぎることも、昭和のピュアな観客は理解するのに時間がかかった。

平成のピュアなアイドルオタクも、恋愛禁止で清く正しく歌い踊っているこのアイドルは、24時間365日ずっと清く正しいわけではないということを受け入れるのが難しかったかもしれない。そもそも「清く正しい」をアイドルに求めるかどうかという問題も別であるんだけど。

 

しかし、ガチ恋を自認する強めのオタクであっても、いや、だからこそ、推しの結婚は祝福できるっていう、それが令和なんじゃないでしょうか。

 

比叡山沢田研二

最後に、現役アイドルのまま結婚を発表した事例の大先輩である、ジュリーこと沢田研二のエピソードをご紹介します。

 

60年代にグループサウンズの大ブームを代表するグループ、ザ・タイガースのフロントマンとしてデビューし、国民的アイドルとなったジュリー。

ソロに転じてからもあいかわらずスターだった彼は、1975年に京都の比叡山でやったフリーコンサートの際に、結婚についてファンに報告する。

 

そのときに語った言葉。

どうもありがとうございます。

6月の4日にわたくし結婚いたしました。

いろいろとファンの皆様方、いろんなふうにお受取りのこととお思いますが

これは事実、事実は事実としてみなさんには受け止めていただきたいし、かといって、僕自身が結婚ぐらいのことで変わるということはありえないということを、みなさんにはぜひぜひ信じていただきたいと思います。

別に、結婚したことなんてという具合に、別に僕の妻に対して無碍に扱うとかそういう気持ちは毛頭ありませんが、やはり、僕と妻との関係よりも、思い起こせばタイガースをスタートして、PYGそして現在まで、ファンのみなさんと僕たちのつながり、僕たちの関係というのは、妻にも犯しがたいものがあるんじゃないかと僕自身も思うんです。

ですから、これからも変わらず歌手である沢田研二、またジュリーを応援していただきたいと思います。

 

もちろんピュアな昭和のファンの中にはこれ聞いて号泣する子もたくさんいたであろう。映像でも確認できる。

「妻」っていう言葉に反応してキャーキャー騒いじゃったりしていて、それもなんていうか保健体育の授業をうけてる女子中学生みたいなノリなんだけど、それでもジュリー自身が伝えたいメッセージは、そこそこ届いたんじゃないだろうか。

 

これほんとNaoさんや古川未鈴さんの件でもまんま通じるいい語りかけだなーって思いました。

さすがジュリー。時代を先取りしすぎ。