森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

走るひきこもりが日本語カバーに救われた話

ただのバンドマンくずれの会社員であるハシノが、今のような書いたりしゃべったりという活動の場を得たのは、マキタスポーツさんのラジオ番組がきっかけ。

 

ラジオ日本「ラジオはたらくおじさん」という番組で「カバー曲特集」のオンエア時、リアルタイムでハッシュタグでつぶやきまくっていたら、「そんなに詳しいならゲストで出てみる?」と声をかけていただいたのです(それ以前にはお互いのバンドで何度か対バンしていた程度)。

 

そして気づけば「非常勤講師」という名の準レギュラーとして何度か番組に呼んでいただき、番組終了後もそのときの縁からLL教室が結成されて現在に至るというわけ。

そのときから今もずっと、ハシノにとって「洋楽の日本語カバー曲」はライフワークなのです。

 

 

じゃあそもそもなんで日本語カバーを掘ることにしたのか。

今日はいままでどこでもしてこなかった個人的な話をします。

 

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走るひきこもり

10年ぐらい前、ずっとやってたバンドが解散し、同じぐらいの時期になかば衝動的に仕事も辞めて、しばらく実家に戻っていた時期があって。結構いい年だったのに、この先どうやっていくのか白紙になったことがあった。
 
たまに求人サイトを見て履歴書を送ったりする以外は家にいても気まずいし、かといってそんな状態だと友だちにも会いたくなく、すべてが億劫になっていくのが自分でもはっきり自覚された。
 
これ近所の人からすると完全にいま話題の中年ひきこもり状態だったと思う。 
 
それでもとにかく時間はあって、親の車もあって、少しだけ貯金もあって、でも誰にも会いたくない。 なので、ひとりで車でひたすら出歩いていた。
 
たとえば古戦場やマイナーな戦国武将の城やお墓を巡ったり。意味なく和歌山の山奥の那智の滝を目指したり、帰りにさらに遠回りして落合博満野球記念館まで行ったけど夜中だったので前を通っただけみたいな、そんなことをひとりで毎日毎日繰り返して。
 
高速道路は使わず、ポッドキャスト時代の「東京ポッド許可局」やエレ片タマフルなんかを聴きながら近畿地方のあちこちを走り回っていた。
 
走るひきこもりだった。
 

暇つぶしとしてのディグ

そんな暇つぶしの一環として、リサイクルショップを巡ってレコードをディグる活動もあった。 
 
同好の士にはわかってもらえると思うけど、リサイクルショップにレコードがあるかどうかは運次第。2時間ぐらいかけてたどり着いたけど空振りでしたっていうのもザラで。
また運良くレコードを扱っていたとしても、どこにでもあるようなムード音楽とかクラシック全集みたいなハズレしか売ってないこともよくある。
 
それでも飽きもせずに毎日ひたすらいろんな土地を巡って、レコードを掘った。
 
郊外の国道沿いの巨大な倉庫みたいなリサイクルショップの片隅で、平日の昼間にいい大人が必死になってエサ箱をあさって1枚50円〜300円ぐらいのレコードを数十枚買ってく。
 
今にして思うと、砂漠でコンタクトレンズを拾うような、暇つぶしとしてはうってつけの活動に没頭することで、押しつぶされそうになる感じと戦っていたんだと思う。
 
リサイクルショップでレコードを掘る人種のアンセム

鶏の口

座右の銘なんていうと大層だけど、まあそれ的なものとして意識してる言葉があって。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」というやつ。
 
牛の身体は大きいけどそんな牛の後ろのほうに位置するよりは、鶏のように小さくてもいいからトップになれって意味。大企業の下っ端でいるよりは起業して一国一城の主になれみたいな使われ方をすることが多い。
 
この言葉、別にサラリーマンの心意気だけじゃなく、人生のいろんな場面で適用できる。リサイクルショップでレコードを掘るときでさえ。
 
 
レコードコレクター道というものが、まあなんとなく存在していて。
ものすごい高値で取引されている貴重盤だったり、名盤とされているレコードだったり、そういうものを収集していくのが王道なんだけど。
そういう、すでに多くの人が取り組んでいるテーマに、今から参入するのはどうにも気持ちが乗らない。牛後っぽい。
 
それよりは、ものすごくニッチな分野でもいいからその道では日本一になるほうが鶏口っぽくていいなって。
それに何より、貴重盤や名盤はリサイクルショップではまずお目にかからないしな。
 
そこで選んだのが日本語カバーだったというわけ。
ひきこもりの暇つぶしに近い行為とはいえ、テーマやルールがあったほうがいいかなって。
 

日本語カバーを選んだ理由

日本語カバーって何?とか詳しいことはLL教室のnoteに書いたのでそちらを参照していただくとして、なんで日本語カバーを選んだかって話をします。

 
何より、幼少期から中学生までを過ごした80年代という時代は、日本語カバーの黄金時代だった。
 
ドラマの主題歌や歌番組で耳についた曲が実は洋楽の日本語カバーで、自分が知ってるバージョン以外に外国人が英語で歌ってる「原曲」があるっていう事実、小学生ぐらいの時分にとっては、何か裏事情にアクセスしたみたいなドキドキ感があった。
 
母親が家で流していたAMラジオの音楽番組とかでたまにそういう話題になって原曲がオンエアされたりして。
 
最初に原曲も聴いたのは、たぶん小林麻美「雨音はショパンの調べ」とか椎名恵「今夜はAngel」とかそのあたりだったと思う。それか「ジンギスカン」かな。
 
日本語カバー版を先に聴いた状態で原曲にも触れて、知ってる曲なのに知らない!みたいな、なんともいえない不思議な感覚になったことを覚えている。
 
その不思議な感覚の名残は、数十年たったいまも耳にかすかに残っていて、いまだに新しい日本語カバーを発掘するとドキドキしてしまう。
 

そしてLL教室へ

その後なんとか仕事も見つかり、家族にも恵まれ、おかげさんでぼちぼちやらせてもらってます。
 
ただ、この状態まで立て直せたのはほんとに運の要素が大きすぎるので、ひきこもり関係のニュースとかいまだに他人事とはまったく思えてないっす。
 
近所の人はもちろん、仲が良かった友だちや家族にすら、できるだけ顔をあわせたくないっていうあの感覚。世の中にどんどん背中を向けて閉じていくようなあの感覚。
たぶん、いまこの瞬間もあの感覚を味わってる人が数十万人単位で世の中に存在してるんだよな。
 
自分の場合は日本語カバーのレコードを掘るっていう行為に没頭できたおかげで、その状態をこじらせずに済んだような気がしてる。
いろんな会社に履歴書でハネられまくってても、折れずに求職を続けられたのは、明日はもっとヤバい日本語カバーが見つかるかもしれない!っていう前向きなメンタリティが保てたからなんじゃないか。
大げさじゃなくそう思ってます。
 
しかもそうやって暇な日々に地道に掘ったレコードたちがマキタさんのラジオで日の目を見て、リスナーの人にも伝わって。
 
別に具体的な見返りというか利益を求めてやっていた行動じゃないけど、何かニッチな分野で日本一を目指そうって漠然と考えたあの日の自分はグッジョブだと思う。
 
いちリスナーとしても大好きだった「はたおじ」は終わってしまったけど、そこでの出会いがきっかけでLL教室が結成され、イベントごとに日本語カバーを少しずつ紹介できたりしてる。
 
 
 
あ、そうそう。
今度そういうイベントやるんですよ。
時間が許す限り日本語カバーを紹介しまくるやつ。
 
よかったら遊びにきてください。
 
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LL教室presents『実習#1』
 
2019年7月12日(金)
新宿V-1
開場19:00 / 開演19:30
前売2500円 / 当日3000円
 
▼出演
4×4=16(落語×HIP HOP)
LL教室(日本語カバー曲特集)
MELODY KOGA(ピアノ弾き語り)
ナツノカモ(立体モノガタリ
 
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【大予言シリーズ】椎名林檎が次にコラボするのは誰?

最近、椎名林檎さんがコラボ活動を熱心にやられてますね。

 

 

目抜き通り(w/トータス松本

獣ゆく細道(w/宮本浩次

駆け落ち者(w/櫻井敦司

 

すでに発表されているこの3曲に加え、ニューアルバムには向井秀徳とのコラボ曲も入ってるそうな。

 

毎回「そうきたか」感と「さもありなん」感があってなかなかワクワクしているので、個人的には今後もぜひ続けてほしいなと思っています。

そこで、次はこの人とヤるんじゃないかっていうのを予想してみた。

 

「さもありなん」感強めの「本命」、「そうきたか」感強めの「対抗」、「ないとは思うけど夢あるね〜」な「穴」、「これが実現したら事件でしょ」な「大穴」と、思いつくままに挙げてみるとどれもこれも実現してほしいなっていうラインナップに。

 

そんなG1「林檎杯」の出走表とオッズはこちら!

 

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本命

ここは本気で当てにいきたい。読んでてつまらなくていい。当てにいく。

 

斉藤和義

https://i.kfs.io/playlist/global/59171870v23/fit/500x500.jpg

逆になんで今までなかったのかっていうぐらいしっくりくるのでは?

これまでに木村カエラシシド・カフカといった人たちとコラボ曲をやってるし、歌番組のなかではもっといろいろやってきてるし。

この人の独特の秘めたエロさみたいなところも、椎名林檎さんの好物なんじゃないかとも思う。

フォーク・ロックなイメージが強い最近の斉藤和義のイメージをあえて覆すかのように、ジャズやR&Bな曲をあてがってくるとまたおもしろいことになりそう。

オッズ1.2倍の大本命。

 

チバユウスケ

https://monkeyflip.co.jp/wp-content/uploads/2018/06/132665327_o8.jpg

これもMステの階段を2人で降りてくるところが容易に想像できるよね。

ある世代にとってはカリスマ的な存在だし、満を持して登場!って雰囲気がすごく出そう。

基本的にバンドでやってる人をシンガーとして引っ張り出してくることでのスペシャル感っていうことでは、BUCK-TICK櫻井やエレカシ宮本と同じ路線だし。

かといってまったくソロ活動をしないかというとそうでもなくて、過去にはスカパラの曲でフィーチャリングされてたりもする。あ、てことは椎名林檎とはスカパラ繋がりってことにもなるな。

オッズ3倍の本命。

 

対抗

「そうきたか」感が強めだけど決して無茶な話ではないっていう人たちを選んでみた。

 

デーモン閣下

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企画会議ですぐに名前が挙がるものの、いやそれはさすがに安直では?ってなって却下されるライン。

ただ一周してありっていう気もする。

もはや散々こすられて手垢がついてきた悪魔っていうギミックを、あえて全面に押し出したような曲を作ってくるぐらいのことはしそう。「悪魔とデュエットできるなんて光栄じゃありませんこと?」とか言って。

デーモン閣下は結構カバーアルバムとかいろいろ幅のある活動もしてるし、ヴォーカリストとして色んな面を見せたいっていう欲がある人だと思うし。

オッズ20倍。スポーツ紙があえて推すあたり。

 

岡村靖幸

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これはヤバい。いますぐやってほしい。

 

岡村氏といえばDAOKOとの「ステップアップLOVE」も最高だったじゃないですか。あの感じかそれ以上の、クセの強い同士のバチバチのコラボが見られるんじゃなかろうか。

「獣ゆく細道」での、椎名林檎が歌ってるパートでのエレカシ宮本のあのアクションすごかったでしょ、あのパートに岡村さんのあのダンスがハマるところを想像してみよ。これはもうすごすぎて笑っちゃうやつだ。

オッズ30倍。現実味とロマンがどっちもあるライン。全財産つぎ込みたい。

 

ここは個人的な願望もかなり入ってる。かといってまったくの夢物語ってわけでもないっていう。

 

横山剣

https://www.townnews.co.jp/0113/images/a000780843_01.jpg

ありそうでなさそうでなさそうかも。

剣さんも椎名林檎さんも、どちらかというと自分の世界に連れ込みたい気質の人なわけで、その掛け合わせが吉と出るか凶と出るか。

あとどちらも「昭和」のカルチャーへの思い入れがものすごく強いわけだけど、2人の昭和観が実は全然違ってたっていう可能性もあるしね。

「あの人もロックバンドやってるって言ってたから話が合うと思う」みたいな雑な感じで引き合わされた人がゴリゴリのV系で、全然話が盛り上がらなかったみたいなね。うわ~そっちのロックか〜っていう。そこが懸念点。

ただ、横山剣といえば渚ようこ野宮真貴などとのデュエット実績はあるし、うまくハマれば無敵なコラボになると思う。

オッズ50倍ぐらい。

 

ROLLY

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椎名林檎さんともなると、「あんまりデュエットのイメージのないROLLYさんですが、92年にCharaさんと歌った「愛の自爆装置」っていう名曲がありまして、そのイメージでオファーさせていただきました」ってぐらいのことを言ってくれそう。

椎名林檎の一連のコラボ企画には、かつてものすごい輝きを発していた人にもう一度注目を集めてフックアップするような効果もあると思っていて。野村再生工場ならぬ林檎再生工場みたいな。

この人もミュージシャンとしてのポテンシャルはずっと一流なわけで、一貫したスタイルで音楽活動をしている中で、たまに世間の風向き次第で「笑っていいとも!」のレギュラーをやるような事態にもなったりしたということでしょ。

なので、もう一度そういう風が当たるとまたおもしろいことになるんじゃないかなと。

オッズ70倍。記念に100円でおさえておきたい馬券。

 

 

大穴

ASKA

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例の件ですっかりヤバい人枠になってしまったASKA

しかし実は音楽活動は再開しており、今年4月には武道館でのライブも行っている。すっかりアーティストとして現役バリバリに仕上がってきてるみたい。今までやってこなかったことにも挑戦したいっていう意欲もありそうだし、誘ったらOKしてくれるんじゃないだろうか。

福岡つながりっていうこともあるし。

毎年別の男と紅白に出てる椎名林檎、今年はASKAと一緒にってなると話題性抜群であろう。

オッズ100倍の万馬券だけどロマンのある馬券。

 

沢田研二

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これまでのコラボ相手は椎名林檎にとってはちょっと上の世代だったわけだけど、ここらで大ベテランに声をかけてみるっていう展開もあるんじゃないか。

かといって、加山雄三とかだと若手と組んでくれる人っていうイメージがもう定着しており、林檎再生工場のおもしろみはない。

 

そこでジュリーですよ。

 

お茶の間やネット的には、例のワイドショーネタで騒がれた昔の歌手の人でしょっていうぐらいの認知になってしまっている状態。ジュリー本人も今さら自分から頭を下げてテレビ界に出させてもらうつもりもその必要もない。

そこで林檎さんが三顧の礼でジュリーを口説き落とし、そしてこのために書き下ろした新曲を通じて、往年のジュリーを知らない世間に対してこの人はこんなにすごいんだよって見せつけるっていう。最高の展開じゃないですかね、これ。

この十万馬券には賭けてみたくなるっていうもの。

 

最後に

今回は書いてて楽しさしかなかったです。

そして、あながち無茶な話でもないなっていうギリギリのラインを突くことができたかなとも思ってる。

要するにこういうの考えるの大好きなんよね。

 

 

 

椎名林檎が次にコラボするのは誰なのか?みんなも予想してみて!

ベンジー以外で!

書評:「コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史」矢野 利裕

現役の教師にしてDJ、そして文芸批評の論客でもある矢野利裕くんの新刊「コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史」が出ましたね。

矢野くんとは一緒にLL教室という音楽批評ユニットをやっている仲でもありちょっと気恥ずかしいんだけど、できるだけ多くの人に読んでほしい本なので、詳しく紹介してみます。

コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史 (ele-king books)

コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史 (ele-king books)

 

どんな本かというと

本書は明治から平成までの日本のコミックソングノベルティソング)の流れを追ったものなんだけど、単なるディスクガイドではない。

 

日本のポピュラー音楽の歴史を見ていくにあたってなぜコミックソングが重要なのか、なぜ新しい音楽はいつも「おかしい」のか、そういったことが100年以上の歴史を追いながらわかるようになっている意欲作なのです。

 

ビートルズあたりから始まった、アーティストの自意識が重視される英米のロックを中心とした従来の歴史観ではなく、もっと多様で無意識で匿名的で雑多な音楽もちゃんと視野に入れるべきだろうという問題提起が込められていたり、さらには、J-POPというジャンルそのものがノベルティソングなのではないかという大瀧詠一が遺した大きなテーマを受け継いでいる本でもある。

  

また、本書はこれまでに様々な媒体やLL教室のイベントなどで語られてきた、矢野くんのポップミュージックや市井のリスナーに対する信頼というか愛というか、そういった目線で全体が貫かれていることも大きな特徴のひとつ。

 

流行歌を子どもがおバカな替え歌にして軽薄に歌い継いでいくことや、まだ世間になじみのない新しい音楽スタイルを歌手とバンドがおもしろおかしく歌い演奏することを、それこそが音楽が広まっていく姿として一般的であると位置づけているのである。

その価値観でもって、川上音二郎からエノケンクレイジーキャッツから美空ひばりからRADIO FISHやピコ太郎までが語られていく。

  

これらは一般的な音楽誌やメディアでの音楽の語られ方とは異なっていたりもするので、新鮮に感じる人も多いかもしれない。

ひとことでいうと、その楽曲でアーティストが何を表現したかったか、ではなく、その楽曲が世間にどうとらえられたか、を考えるというスタンスね。

 

気になった方はさらに文末に挙げられている参考文献をディグるとよいでしょう。

下記は特にわたくしからも激レコメンであります。

 

 

新奇なロックンロールとスパイダース

本書では、新しい音楽ジャンルとコミックソングの関係をこのように表現している。

 

大事なことは、新しい音楽は笑いとともにやってくる、ということだ。聴衆の目(耳)を引く新しい音楽は、滑稽さと違和感をはらんでいる。(略)

新しいリズムは芸能の場所で、好奇の目にさらされ、笑われ、マネされることによって、次なる時代に根づいていく。すぐれたコミックソングはなにより、日本のポピュラー音楽における新しさの体現でもある。

 

このあたりを読んで自分がまっさきに思ったのは、ザ・スパイダースのこと。

 

 

言わずとしれた、日本における最初期のロックバンド。

マチャアキと井上順というタレント性の高い2人のフロントマン、ムッシュかまやつというアンテナの高いアーティスト、大野克夫井上堯之といった職人ミュージシャンが揃っていたんだからすごい。さらには田邊昭知というのちに芸能界のドン的な存在になる人がリーダーっていう。

 

スパイダースは、まだビートルズがリアルタイムで活動していた1960年代中盤、ほぼ同時に日本人のオリジナルのロックンロールを自作自演(大作家先生の作品もあるけど)で演奏していたバンドなのです。

まだロックという音楽が海外においても若いジャンルで、スタイルや技術も固まっていないような時期に、見よう見まねでとにかくやってみるというイズムでいろんな曲を生み出していたわけで、ものすごいベンチャー精神だと思うし、また実際に生み出された作品もかっちょいい。

 

で、本書でも言及されているように、スパイダースがやっていたことはものすごく新しかったし、だからこそ珍しく、そしてコミックソングの領域に入ってくる。

つまりロックンロールの新奇さを、かっこよく、同時に笑いをまぶして伝えたバンドなんだと思います。

 

たとえば、「恋のドクター」「バンバンバン」「なればいい」といった曲にあらわれるムッシュかまやつのおかしみがにじみ出る言語感覚。

「エレクトリックおばあちゃん」などの曲でのマチャアキのデタラメなスキャットみたいなやつ。

「ロックンロールボーイ」における、キーボードソロでの「克夫ちゃん!」のかけ声。

www.youtube.com

 

スパイダースって、芸能人一家とかの、港区界隈の超ハイソな遊び人の集まりなわけで。1ドル360円の時代に海外を行き来するレーサーの友人がいたような、そんな超イケてる人たち。


まだ日本人の99.999%がロックバンドというものを知らないときに、スパイダースはイノベーターとして、カッコよさと同じぐらいおかしさを重視していたということ。

これは決してたまたまじゃないと思ってる。

 

すべてのJ-POPは‥

ロックンロールにおけるザ・スパイダースのように、日本ではあらゆる新ジャンルの黎明期にこういう存在がいたんじゃないかと思われる。

ごく少数の話のわかってる人で形成されたインディーなシーンの中では問題ないが、それ以上の規模になろうとするとき、どうしても話の通じないお茶の間と対峙するタイミングが出てくる。

キャズム」を超えて世間に広まっていくということはそういうことで。

 

キャズムのあっち側とこっち側の落差が大きければ大きいほど、新奇さが笑いにつながる。

今だとヒップホップ的なファッションや言動は、そのシーンの外にいる人からするとまだまだ新奇なものなので、お笑い芸人のネタにされやすい。

 

それが少なからぬ誤解のうえで成立しているとは言え、一発芸のネタでもなんでも、芸人・コメディアンはしばしば、ヒップホップの振る舞いをネタにする。

それは、日本におけるヒップホップが、そもそもノベルティソング性を抱えているからである。

 

これはヒップホップに限らず、これまでにもいろんな音楽ジャンルが紹介されるたびに起こってきたことである。

 

たとえばヘヴィメタルという新奇なジャンルを代表するX(X JAPAN)がお茶の間に出会った瞬間。

インディーズでパンクが大きなシーンになり、ついにブルーハーツがテレビの歌番組に登場したとき。

ハウスやインディーダンスといった海外の流行がある程度入ってきたタイミングで電気グルーヴが騒がしく登場したとき。

 

ここ最近でいうと、デスメタルのボーカルススタイルである「デス声」ね。これはキャズムを超えそうで超えないところにあるので笑いにつなげやすい新奇さがある。

 

そう。本書での矢野くんの説に依拠すると、なんとこれらもすべてノベルティソングということになる。

そして、この国では大衆音楽は常に英米から新しいスタイルを輸入して作られているということでいうと、「すべてのJ-POPはパクリである」し、「すべてのJ-POPはノベルティソングである」と言っても過言ではない。

 

もちろん、これはバカにして言ってるのではない。すべてのJ-POPがノベルティソングだったからといって、J-POPの価値は少しも落ちない。

 

軽薄ないじり

ある曲やアーティストが「売れた」かどうかの基準として自分が思っているのが、つくり手の意図を離れて軽薄に流通するようになったら一線を超えたなということ。

 

たとえ数百万枚の売り上げを誇っていても、それがすべて熱心な信者によるものだったら、その曲は世間には届かないし、替え歌にはならない。

 

しかし、たとえオリコンチャートの上位に入らなくても、そのへんの小学生が替え歌にしていたり、飲み会の席でイジるためのワードとして引用されたり、SNS大喜利のネタにされたりする曲がある。これが「売れた」状態だと思ってる。


それは「東京生まれヒップホップ育ち」であり、「ドラゲナイ」であり、「前前前世」であり。

その曲に何の思い入れもない人たちの耳に届いたからこそ、軽薄な替え歌やイジりが発生するわけで、飛距離を稼げば稼ぐほどその傾向は強まる。

 

その意味でいうと「もうgoodnight」大喜利が発生したサチモスは一線を超えて売れたんだと思いますが、最新作などを聴いてると、また線の内側に引っ込んだような印象もある。まるで、売れすぎないようにコントロールしているかのよう。

 

本書で矢野くんは繰り返し、音楽がアーティストの手を離れて軽薄に世間に流布していくさまを、愛しいものであると表現している。

さっき自分が使った言い方でいうと、その楽曲でアーティストが何を表現したかったか、ではなく、その楽曲が世間にどうとらえられたか。そっち側からも音楽を見つめてみることで、聴き慣れた音楽にもこれまでとは違った味わいが出てくるのではないだろうか。

 

次回作に期待したいこと

あとがきでも触れられていたりツイートでも語られてたように、コミックソングノベルティソング)のことを一冊にまとめるにあたって、抜け落ちた要素は多い。

 

とはいえ、単なるコミックソングのディスクガイドにしなかったところが矢野利裕の面目躍如って感じがする。つまり、ある一定の骨格でもって歴史を貫いてみるっていうやり方。「ジャニーズと日本」でもそうだった。

なので、もし本書の続編が書かれることになったとして、漏れた観点を拾い集めてもそれだけでは一冊にはならないであろう。

 

であれば、今回の背骨とはまた違うところに背骨を貫いてみたような矢野史観を期待したいと思う。


たとえばそれは、音楽と笑いが交差する「場所」という観点。
具体的には「お座敷」と「ダンスホール」と「路上」みたいな、場所によって音楽と笑い、ときには踊りが交差するかたちが違ってくるんじゃないかしら、とかね。

 

とくに「お座敷」はね、かつてはコミックソングの揺籃の地として圧倒的な地位を占めていたわけで。現在はキャバクラやホストクラブに姿を変えてるんだとしたら、五月みどりからゴールデンボンバーへ繋がる流れが見えてきたりするのかもしれないなとか。

 

みんなも読もう

やばい。

書評とか言いながら、本書に触発されてわいてきた自説の開陳に終始してしまった。

 

でもさ、いい本って読むと触発されて自分の考えがクリアになったり新たな疑問がわいたりと、脳が忙しくなる感じになるじゃないですか。

今まさにそういう脳の状態です。

 

みんなもぜひ読もう。

 

コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史 (ele-king books)

コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史 (ele-king books)

 

リテンションモデル化する音楽業界

今日は本職である会社員の側で得た知見を音楽ブログのほうに持ち込むこころみです。

ちゃんと途中で話がつながってくるので、とりあえず読みすすめてもらいたい。

 

リテンション・マーケティングとは

マーケティングの世界でここ数年流行ってる「リテンション・マーケティング」という概念。

ざっくりいうと、新しいお客さんを相手に商売をするよりも、既存のお客さんとの商売を深めたほうがいいよっていう話。

 

リテンション・マーケティングとは - コトバンク

 

たとえば携帯電話のキャリアは、他社から乗り換えてくる新規のお客さんに手厚くサービスしてくれる一方で、既存のお客さんには特になにもしないっていうのがこれまで当たり前だったんだけど、それだと愛想を尽かして出ていく既存よりも多く新規を獲得し続けないと実はビジネスモデルが成立しない。

今までのやり方が、穴の空いたバケツにとにかく大量の水を注ぎ続けるやり方だったとしたら、そうではなく、まずは穴をふさぐ努力をしたほうが、結果的にバケツに残る水の量(=お客さんの総数)は多くなるっていうね。

https://jp.images-monotaro.com/Monotaro3/pi/full/mono62971764-170630-02.jpg

13L スチール製バケツ【通販モノタロウ】

 

バケツに水を注ぐっていうのは、数億円かけてCMをうって、とか、はじめてのお客様限定キャンペーンで100万円が100人に!とか、そういうやつ。

そうやってガンガンやったら10万人ぐらいが新規会員登録してくれたとする。

でも、次の月には10万人のうち9万人がいなくなっていたとしたら、1億円かけて1万人しか定着させられなかったということになる。つまり1億÷1万人で1人獲得するために1万円もかかってしまったと。

 

そういう雑なやり方じゃなく、1ヶ月で9割がいなくなる原因を調べて、そこを改善することをまずやりなさいと。たとえば登録だけしてログインやサービス利用をしないユーザーに対して、割引クーポンを配ったり、使い方をレクチャーしたり。そうすることで1万人しか残らなかったのが2万人になったら、1人獲得するために必要なコストが半額になるわけです。

 

このリテンション・マーケティングっていう考え方が流行ってきたのは、最近いろんなサービスがサブスクリプション化してきたことが大きい。

自宅で映画を観るために、かつてはTSUTAYAでDVDを1枚300円で借りていたのが、Netflixに毎月950円払っておけば何本でも見放題っていう時代になったじゃないですか。最近ではラーメン屋やコーヒー店でも月額いくらか払えば飲み食いし放題になるっていう業態も出てきているっていうし。

こういうサブスクなサービスにおいては、企業としてはいかに長く継続してもらうかが勝負になってくる。商売のやり方がこれまでとは変わってきますよね、ってこと。

 

音楽業界でも

音楽業界においても、AppleMusicやSpotifyが上陸して数年のうちに、サブスクがすっかり中心になってしまった。

 

2018年の時点ですでにダウンロードよりもサブスクなどのストリーミングのほうが売上がデカくなっているらしい。

 

リスナーからしたら、お小遣いを貯めに貯めてやっとの思いで3,000円のアルバムを1枚だけ買っていた時代と比べると、一生かかっても聴き尽くせないカタログの中からほとんどタダみたいな値段でいくらでも聴けてしまう現代はもう天国かそれ以上って感じではある。

(あとは願わくば、音楽のつくり手の側に、これまで以上かせめて同等の収入が入るような構造になっていてほしいよねとは思ってる)

 

物理的に所有していたいという一部リスナーの思いはアナログレコードの復権というかたちで実現してるし、サブスク化の流れはもう止められないでしょう。

 

そうなると、商売としてはやっぱり、リテンションを意識したやり方になっていくのは必然かなと思う。

 

かつてのレコード会社の商売のやり方

レコードやCDといった音楽ソフトを売るという商売においては、かつては購入してもらうまでが勝負だった。

 

かっこいい広告、雑誌のインタビュー、プロモーション文脈でのライブ、これらはすべて、たった一点のゴールにむけた活動だった。

そのゴールというのは、レコードなりCDを購入してもらうこと。

レコード会社にとっては、お金が落ちるのはその瞬間。

それが最初で最後で最大の瞬間だった。

 

極端な話、たとえ次のリリースのときにファンが入れ替わっていても問題ない。

というか、ポピュラー音楽ってそもそも10代の若者のものだし、新曲が出る頃には「卒業」してるでしょぐらいの感じで商売をやっていた気配すらある。

 

そして、芸能界において流行歌手でいられる賞味期限もめっちゃ短かった。

一部の大スターを除き、歌手本人のパーソナリティが明らかになることもなかった。歌番組に出演した際に黒柳徹子に多少つっこまれるぐらいしか機会がなかった。

 

そう、その時代においてリスナーは単発の「歌」を消費してたんだと思う。

消費のサイクルに取り込まれたくない人たちは、テレビに出ないという選択をすることで、自分たちで時間軸をコントロールしようとしていたんだと思う。山下達郎とかそういう人たち。

 

サブスク時代の商売のやり方

一方、サブスク時代になると、レコード会社やアーティストにとって、収入は常に発生し続けていることになった。どこかのリスナーがAppleMusicやSpotifyで曲を再生するごとに、ごくわずかな金額が発生する。

一回の額はわずかでも、とにかく回数が多いし、また世界中からかき集めたらそれなりの規模になる。そういう商売に変わったのです。

 

となると、商売において意識するところは必然的にだいぶ変わってくる。

 

楽曲を手に入れるコストは限りなくゼロに近づいてるわけで、かつてはゴールだった楽曲の購入っていう瞬間が、いまはスタート地点でしかない。

あとは何回その曲を再生してもらえるか、アーティストとしてフォローしてもらって過去作や次回作まで聴いてもらえるか、それによって儲けが全然違ってくる。

 

平成元年、ラジオで聴いた曲が気に入った高校生はレコード屋でシングルCDを購入したとする。その曲にハマりまくろうがすぐに飽きようが、レコード会社にとっては1,000円の売上という点で同じ。

だけど、令和元年の高校生はラジオで聴いた曲をLINE MUSICで検索してお気に入りに入れたとする。この時点ではレコード会社には1銭も入ってない。その曲を折に触れて再生してくれてはじめて、累計で数十円なり数百円の売上が発生する。逆に結局1回しか聴かなかったわ、ってなったら売上は0.2円。

 

この差はデカいよね。

 

レコード会社の会議とかで使われる数字として、「ユーザー1人あたりの再生回数」っていう概念がもうそろそろ言われ始めるような気がする。

いや、もう言われてるかもしれない。

 

その数字を上げるためにどんなことができるのか。

 

キーワードは「フック」と「スルメ」

リテンション・マーケティングとしての音楽においては、楽曲の内容もとても重要。いや、そりゃもちろんいつの時代もいい曲は売れるんだけど、あるタイプの「いい曲」が成功(=メイクマネー)しやすくなると思う。

 

繰り返しになりますが、買い切りモデルの場合、売ったあとのことは基本的にお客の側の問題で1回しか聴かなかろうが1万回聴こうがアーティストの収入は同じだけど、サブスクにおいては再生1回と1万回では収入が1万倍違ってくる。売ったあとこそがキモ。


どういうことかというと、Youtubeで1回再生したときがピークっていうような曲しかつくれないアーティストは淘汰されていく。

いわゆるスルメ曲のほうが金になる。

 

ただしその一方で、1回の再生でよくわかんねーなって思われたらそれはそれでダメだろう。

昔の聴き手は1回聴いてピンとこなかったとしても、すでに1,000円ぐらいのまとまった金を払っている手前、もとを取るために何度か繰り返して聴いてくれた。

 

今はそれが通用しない。30秒ぐらい再生してピンとこなかった曲には、もう二度とチャンスは巡ってこない。なにせ一生かかっても聴き尽くせないカタログがサブスク上にあるわけで、代わりはいくらでもいる。

 

つまり、最初からある程度ピンとくるようなフックと、何度も聴きたくなるようなスルメ感の両方を兼ね備えた楽曲が生き延びる。

オリコンでは目立ってないサブスク独自の売れた曲、あいみょんとかは、それができていたってことでありましょう。

 

歌ではなく人をフォローしていく時代

流行歌っていう言葉があった時代が歌を消費していたんだとしたら、今は人をフォローしていく時代。

 

リリースされた楽曲を手にするところから始まる、アーティストとリスナーの関係性は、SNSでのアーティスト本人からの発信、フェスなどで生ライブに触れる、TikTokなどでの2次創作、といったかたちで強化されていく。

 

リスナーが楽曲を手に入れるコストはほとんどゼロなんだけど、そこからサブスクでの再生数、ライブ、グッズ、などなど細く長くお金を落としてもらうビジネスモデルになっていくしかない。

どれだけ途中で脱落させずに1人でも多くリテンションさせるかが勝負なので、アーティスト側にはマメであることが求められる。そういうの向き不向きあるだろうけど、まあ今はそういう時代。

 

一方、逆に一発大ヒットを狙う必要はないと言うこともできるんじゃないか。

 

最初の方で言ったように、新規開拓よりもリテンションのほうが低コストなわけで。

 

リテンションが成功して忠誠心が高まったファンは昔よりも卒業しなくなってる。

昔と比べてアイドルやバンドの寿命が長くなったとよく言われますが、これ、いろんな要因があるとは思うけどビジネスモデルの転換によるところがかなり大きいのではないだろうか。ファンが卒業しないので長く商売ができるようになったんじゃないかと。

 

これからの時代に成功するアーティスト

大ヒットよりもマメに活動してファンの心を掴み続ける。

一度つかまえたファンはできるだけ卒業させないように何十年でも引き止める(リテンション)。

これが、リテンション・マーケティングの時代のアーティストに必要な素養。


そう考えると、リテンションモデルの偉大な先駆者の存在に気づく。

 

 

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そう、ジ・アルフィーである。

 

彼らはレコードの時代からずっと、地道にリテンション・マーケティングをやり続けてきた。全国津々浦々を丁寧にツアーで巡り、ファンとの絆を大事にして物販にも力を入れ。

国民的ヒット曲はもう何十年も出していないけど、アル中アルフィー中毒の略)と呼ばれるファンはみな忠誠心が高く、40年ぐらいずっと脱落せずにリテンションし続けている。

今こそこのやり方を日本中が見習うときがきているのではないだろうか。

 

 

リテンションモデルは買い切りモデルと比べ、より顧客中心になるとされている。

 

ここで音楽はどこまでビジネスか、アーティストはどこまで商人か、という命題にぶち当たる。

リスナー側に降りていって、ほしいものを与えるだけで本当にいいのか。誰にも媚びずに創作意欲のおもむくままに作品をつくって、結果としてリスナーが熱狂するっていうあり方が本来ではないのか。アーティストはその名の通り芸術家なんだ、商人じゃないんだ、とか。

ものをつくってる人間なら一度はこういうことを考え込んだことがあるでしょう。

そしてほとんどの創作者にとっては、どちらの極にも振り切ることが難しく、どうにか折り合いをつけながらやっているのではないか。

 

その点アルフィーは明快。

徹底した顧客中心主義を貫いてきたことで先駆者になれたんだと思う。

 

愛のままにわがままに僕は平成のJ-POPベスト10枚を選びました後編(2002〜2019)

いよいよ平成も終わりということで、この機会に平成のベスト10枚を選んでいます。 

こちらに続き、今回は後編。

 

あ、どれだけ売れたかとかどれだけシーンへの影響力があったかとか、そういうのは一旦すべて度外視して、個人史的にインパクトがデカかった10枚を、できるだけ30年間からまんべんなくセレクトするという趣旨でやってるよ。

  

あと年号の変わり目でひとくくりに語るのはナンセンスってのは百も承知ですが、たまたま平成元年は「J-POP」という言葉が生まれた時期でもあったわけで、またこの30年間で日本人の音楽との付き合い方が大きく変化したということもあり、平成のJ-POPについて考えることにはそこそこ意義があるはずって思ってやってます。

 

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Crazy Ken Bandグランツーリズモ』(2002年)

グランツーリズモ

グランツーリズモ

 

もともと歌謡曲が子供の頃から好きで。

特に1960年代後半から70年代前半に特有の、つまりグループサウンズや和製R&Bな人たちの、コクがある歌いっぷりやキレッキレのリズム隊だったりが大好物。

ただ自分がそういう音が好きっていうことは、10代を通じてあまり誰とも共有せずにきた。それよりもリアルタイムの英米の音楽シーンを追っかけるほうが楽しかった。

 

ところが90年代中頃に、そういった歌謡曲を「和モノ」とかいう呼称で再評価するムーブメントが若い世代で起こる。

過去の音楽を文脈から切り離してサンプリングするっていうノリが「渋谷系」の精神だとよく言われるけど、その参照元として、昭和歌謡は実はかなりのウェイトを占めていたと考えてる。

たとえばピチカート・ファイヴ小沢健二かせきさいだぁスカパラといった人たちには特に色濃く感じるし、その周辺でいうと、サニーデイ・サービスゆらゆら帝国デキシード・ザ・エモンズ東京パノラママンボボーイズなど、和モノ界隈との距離が近い人たちがたくさんいた。

 

クレイジー・ケン・バンドを初めて知ったのは、小西康陽がプロデュースしてるっていうことや幻の名盤解放同盟の人たちがめっちゃ推してるっていうところから。

 

いわゆる昭和歌謡の世界を、サウンドはもちろん精神の面からも再現しようとしてて、しかもそこには清水アキラ淡谷のり子を歌うときのような、リスペクトと批評が絡み合った独特の愛情表現になってて。

すぐに夢中になった。

 

このアルバムは、2002年リリースのメジャー流通第1弾。

ただの時間が止まったおやじバンドではなく、たとえば「夜の境界線」という曲ではスヌープ・ドッグを引用していたりと、フレッシュさと老獪さの両方を高いレベルで持ち合わせてるのがほんと唯一無二だなって。

 

やむにやまれず初期衝動に駆られて生まれた作品や、若くしていろいろ整いまくってる早熟の天才もすごいと思うけど、いい年になっても粘り強く表現し続けてる人や、やりたいことをやれるための環境を整えるのに数十年かかってやっと出てきたような人にむしろシンパシーを感じてしまうんですよ。こういうのなんて言うんだろう、初期衝動の逆のやつ。中年のしつこさの美学。

 

Perfume『Complete Best』

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

 

今や紅白歌合戦の常連であり、海外でもコーチェラ・フェスティバルに出演するなど、日本の先端テクノロジーな面を一手に背負ってるぐらいの存在になってしまってる感もあるPerfume

 

しかしみんなご存じの通り、Perfumeはかつて広島の売れないローカルアイドルだった。

爆風スランプパッパラー河合プロデュースでいかにもローティーンのアイドル然とした楽曲を何曲かリリースしたものの売れず、路線変更して仕切り直すべくプロデューサーとして選ばれたのが、今をときめく中田ヤスタカ大先生だった。

最初はかわいらしいテクノポップ路線からはじまり、徐々にゴリゴリのエレクトロなダンスミュージックにシフトして「ポリリズム」あたりでブレイクしていくんだけど、このアルバムが出たのはそんなブレイク前夜にあたる。

 

だいたい、デビューアルバムなのに『Complete Best』ってどういうこと?って話でしょう。

これ、中田ヤスタカ路線でも思ったような成果が出なかったので、アルバムを出したら店じまいするつもりだったのではないか、だからベストなんてタイトルだったんじゃないかと、まことしやかに言われてるよね。真相はわかりませんが。

 

そんな時期に、友人からPerfumeっていうアイドルがすごいって激推しされて。

聴いてみたらたしかに!ってなって、ライブにも通うようになったのだった。

 

ポリリズム」が出た頃でもまだ都内のライブハウス規模でライブを見られたし、持ち曲が少なかったのでパッパラー河合時代の「彼氏募集中」なんて曲もふつうにやってた。お客さんも、つわものアイドルオタク、音楽業界や広告業界っぽい大人、大学生ぐらいのおしゃれ女子といった層が混在していてなかなかにカオス。

ただ間違いなく言えるのは、当時のPerfume現場の客席で支配的だったのは、昔から支えていたオタクたちの空気。つまりPerfumeはブレイクしてからもしばらくは色濃くアイドルだった。具体的にいうと武道館ぐらいまではアイドルだった。

 

当時はAKB48も立ち上がったばかりの時期で、のちにアイドル産業がここまで盛り上がるなんて予想してなかったけど、その初期にPerfumeがいたことって、その後のアイドル界のありかたにけっこう影響を与えてるんじゃないかな。

たとえばPerfumeがいなかったら、アイドル現場における女性ファンの比率がここまで高かっただろうか、とか、楽曲のクオリティやエッジ感はここまでだっただろうか、とか。

 

でんぱ組.inc『World Wide Dempa』

WORLD WIDE DEMPA 通常盤

WORLD WIDE DEMPA 通常盤

 

というわけで、Perfumeが切り開いた、エッジな音楽性のアイドルっていう路線は、ももいろクローバー、さらにでんぱ組.incに繋がったと思っています。

 

秋葉原のディアステージっていうメイドカフェを母体に結成されたでんぱ組.incは、いわゆる萌えカルチャーを体現する存在として登場した。楽曲も、畑亜貴小池雅也といったそっち系ど真ん中の作家が手がけていた。

 

ただ、プロデューサーのもふくちゃんという人の感性のおかげで、かせきさいだぁ&木暮晋也に曲をオファーしたり、ビースティーボーイズっていう米ヒップホップグループの90年代の曲をカバーしたり、小沢健二の曲をヒャダインのプロデュースでカバーしたり、主催イベントに灰野敬二っていうノイズ・ミュージック界の大御所を呼んだり、メンバーの人間関係がギクシャクしてるさまを赤裸々に曲にしたりと、特定のジャンルにおさまらないことをいっぱい仕掛けていく。

しかもそれがいちいちセンスよくて、Perfumeももクロなどでエッジのたったアイドルの魅力に気づいた人たちがでんぱ組に一気に流れるということがあった。2012年頃。

 

わたくしも上記のような振れ幅にすっかりやられてしまい、ねむ推しとして現場に通うようになっていたのだった。そのあたり詳しくはこちらを参照。

『World Wide Dempa』っていうアルバムは、グループにとってはセカンドアルバムだけど、メンバーが固まって6人体制になって最初のアルバムでもある。

畑亜貴小池雅也かせきさいだぁ&木暮晋也、前山田健一といった豪華作家陣がそれぞれの持ち味を発揮しまくり、さらには玉屋2060%っていう新たな才能を起用して大当たりし、つまり収録曲のほとんどが代表曲になっている最強の一枚。

 

民謡クルセイダーズ『Echos Of Japan』

エコーズ・オブ・ジャパン

エコーズ・オブ・ジャパン

 

日本古来の民謡を、ラテンを中心としたグローバルな音楽性でアレンジして演奏するバンドのデビューアルバム。

「炭坑節」とか「会津磐梯山」とかの、日本人なら誰もが知ってる、しかしほとんどの人にとってはおじいちゃんおばあちゃんのカルチャーだと思われてる民謡が、めちゃめちゃフレッシュに蘇ってる。

 

もともとラテン音楽は大好物だし、河内音頭江州音頭のような地元の民謡も好きだった自分のような人間にとって、民謡クルセイダーズはよくぞ出てきてくれた!ってな俺得なバンドなのです。

 

しかも、ここがすごく重要なことなんだけど、ラテンに料理するセンスがずば抜けてる。

ラテン音楽って一口に言っても、街のサルサ教室のそれもだし、街角で「コンドルは飛んでいく」を演奏するおじさんバンドのそれもだし、いろいろある。

その中で、クンビアだったりブーガルーだったりといった、欧米のおしゃれレーベルがアナログで再発するような、そして気の利いたクラブでDJがかけるような、そのあたりの路線を選ぶセンスですよ。

その上、肝心の歌が民謡としてへたっぴだったら元も子もないし、頭でっかちなだけで演奏がしょぼくてもまた台無しなんだけど、そのあたりも実にちゃんとしてて、すばらしい。

 

われわれ日本人って、明治以降は西洋の音楽に完全にかぶれてしまってて、伝統的な民族音楽を日常から消し去って100年以上たってるわけだけど、そんな状況に違和感だったりもったいなさを感じる人たちっていうのは常に一定数いると思う。

 

だけどだいたいは長渕剛のように、日本の誇りについて考え続け、西洋のモノマネだけでいいのかって問題意識を持ってはいても、結局出してる音は日本の伝統的なものとは切断されてるってパターンが多い。

 

なかには、西洋の音楽に日本の伝統を接続して日本人のオリジナルの音楽をつくろうという試みに取り組む人たちもいる。古くはスパイダースの「越天楽ゴーゴー」とか岡林信康の「エンヤートット」とかね。

ただ、それも多くの場合あまりうまくかなかったり長続きしなかったり(沖縄は例外として)。ある程度のポピュラリティを獲得するケースもあるけど、音楽的な深みはなかったりする。たとえば、よさこいソーラン的なやつ。

ましてや世界の音楽好きを驚かせるようなことは過去に例がなかった。

 

民謡クルセイダーズは、これまで多くの日本のミュージシャンができなかったことを成し遂げるかもしれない。

そう、民クルは世界中でじわじわ評価されはじめてる。おそらく今後もっと評価されるし、来年あたりヨーロッパツアーをやって一大ムーブメントになっても全然驚かない。

 

 

 

90年代に映画『アンダーグラウンド』のサントラをきっかけにヨーロッパでジプシー音楽がめっちゃ流行ったぐらいの規模で、2020年に民謡ブームが起こっても不思議じゃない。そしたら浮世絵のときと同じ経路で日本人が民謡を再発見することにもなるであろう。

 

cero『POLY LIFE MULTI SOUL』

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

 

言わずとしれた、2010年代の日本を代表するカッコいいバンド。

ここ最近のいわゆる新しい「シティポップ」と呼ばれるような若手バンドたちの筆頭のように位置づけられることも多いんだけど、本人たちは特定のジャンルにとどまることなく勝手にどんどん進化しつづけてってるのがすごい。

 

前作『Obscure Ride』では黒人音楽に接近し、特にディアンジェロ的なわざとズラしたようなリズムを取り入れるなど日本では他の追随を許さない感じになってきていたcero。このアルバムも大好きだった。

なんと稲垣吾郎のフックアップにより「SMAP×SMAP」でSMAPと共演したりも。

 

で、そのまま世界水準の新しいソウル・ミュージックをどんどんやってくれてもよかったんだけど、3年ぶりにリリースされた『POLY LIFE MULTI SOUL』では、まったく新しいところに挑戦しており、きっちり度肝を抜かれてしまった。

 

今回は、変拍子ありアフリカ的な細かいビートあり、今どきのジャズの感じとかにもかなり接近してる。まあとにかく、あまり聴きなじみのないつくりの音。ひとつひとつの楽器のフレーズに耳をすますと、変なタイミングで鳴らしてるやつがあったりする。すごく気になる。

なんだけど、めちゃめちゃ踊れる。

でまたライブは特にすごいことになってるし。

 

60年代からの日本のロックやポップ音楽にはいくつかの系譜があると思ってて、ムッシュかまやつのラインとか大滝詠一のラインとか井上陽水のラインとか。で、細野晴臣のラインってあるじゃないですか。

ceroは間違いなくそのラインの正統な後継者であり、しかも先人の縮小コピーじゃなくてむしろ発展させてる感じがある。

 

長いこと音楽を聴いてると、このバンドと同じ時代を過ごせてることがうれしくてしょうがないことってあるじゃないですか。または、後追いで好きになったバンドについて、リアルタイム世代の話がうらやましくてしょうがないこととか。

たとえば1963年から69年のビートルズを同時代で体験したのとか、死ぬほどうらやましいじゃないですか。

 

ceroに関しては、結構それに近い感覚をもっていて。

毎回新しいことに手を出しつつどんどんヤバみを増していくバンドをリアルタイムで追えるよろこび。

30年後の若者たちをめっちゃうらやましがらせる現象を、われわれはリアルタイムで体験しているのだと思ってます。ありがたい話です。

 

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以上、わたくしハシノが愛のままにわがままに選んだ平成の10枚でした。

 

40歳も過ぎるとなかなか新しい音に反応できなくなってくるけど、ちゃんとアンテナを張ってれば、いつの時代もおもしろい音楽はある。

おのれのアンテナが錆びついてるだけなのに、「近頃はいいバンドがいない」とかなんとか軽々しく言うなよって思います。

 

AppleMusicのレコメンドのおかげで、おじさんは気を抜くとすぐに90年代に旅立ってしまうんだけど、できるだけ重力に負けずにいたい。

いつか令和の10枚を選ぶときが来たとしても、今と同じぐらいのテンションで、10枚に収めるの難しいぞなんてうれしい悲鳴をあげていたいものです。

 

愛のままにわがままに僕は平成のJ-POPベスト10枚を選びました前編(1990〜2001)

先日のLL教室イベントで、メンバーそれぞれの平成J-POPベスト10枚を選ぶという企画をやった。

どれだけ売れたかとかどれだけシーンへの影響力があったかとか、そういうのは一旦すべて度外視して、個人史的にインパクトがデカかった10枚を、できるだけ30年間からまんべんなくセレクトするという趣旨。

(「まんべんなく」のしばりがないと、10代の多感な年頃をすごした1990年前後だけで簡単に10枚いってしまうので)

 

 

いざ取り組んでみると、10枚に収めるのが難しく、たくさんの名盤を泣く泣く外すはめになってしまいなかなか辛かったんだけど、なんとか決めました。

 

愛のままにわがままに選んだ10枚はこちら。

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イベントではあまり丁寧に話せなかったので、この場で1枚ずつ解説していこうと思います。有名どころ中心のラインナップではあるけど、それまで名前は知ってたけど聴いてこなかったっていう音に触れるきっかけになってくれたら幸い。

 

今回は前編として、1990年から2001年までの間で選んだ5枚を紹介します。

 

ユニコーン『ケダモノの嵐』(1990年)

今では「奥田民生がやってた(る)バンド」として認識されてることが多いみたいだけど、実はユニコーンって、ひとりの天才に率いられたいわゆるワンマンバンドではない。

メンバー全員が作詞作曲するしメインボーカルもとるし、プレイヤーとしてもそれぞれすごい人たちなのです。

 

デビュー当初は、いかにも80年代っぽいシンセと8ビートのバンドだったユニコーン

たしかに作曲やアレンジのクオリティは最初から高かったけど、バンドとして本領発揮したのは2枚目3枚目とリリースするごとに音楽性がどんどん多様になっていってから。

ハードロック、ラテン、ニューウェーブ、レゲエ、アシッドフォーク、ハードコアパンクテクノポップ、ロカビリー、ビッグバンドジャズ、あげくクラシックやケチャまでも取り入れて消化していく貪欲さ。

軸がなさすぎて「ユニコーンらしい曲」っていう曲がどれなのかわからないほど。

 

また、インタビューでの受け答えやCDのスタッフ表記など、音楽以外の場所でも常にふざけていて楽しそうで、そういうところもめちゃめちゃ憧れた。

音楽を仕事にするって楽しそう!と中学生男子を勘違いさせてくれたおかげで、その後の人生がかなり決定づけられました(ユニコーンに出会うまでは落語家かラジオの構成作家になりたかった)。

 

その中でも『ケダモノの嵐』はリアルタイムで聴きまくった。

この時期のインタビューでユニコーンは「われわれの音楽は20代後半以上のおっさんにぴったりくるようになってる」みたいな発言をしていて、女子中高生がファン層の中心だった彼らがそういうこと言うのかっこいいなって思ったし、実際にそういう音だった。がんばって背伸びして聴きこんだ。

曲ごとに音楽性が見事にバラバラでありつつ、共通しているのは噛めば噛むほど味がしてくるスルメ感。数年前までキラキラなシンセ中心だったとは思えない、ビンテージな音づくり。

音楽遍歴の最初期にこんなアルバムに出会えたっていうタイミングの良さに感謝しかない。

 

「働く男」はダウンタウンが全国区でブレイクしたきっかけのひとつになった「夢で逢えたら」のオープニング曲だった。

 

筋肉少女帯『月光蟲』(1990年)

月光蟲

月光蟲

 

リスナーとしてもっともハマったのはユニコーンだったけど、自分のアイデンティティ形成のうえでもっとも大きな存在は、筋肉少女帯そして大槻ケンヂだった。

 

奥田民生ユニコーンの人たちって、当たり前だけどめちゃモテる側の人だし、まあオトナだなという感じもあり、感情移入する対象ではなかったんよね。

自分は他の人間とは違うのだ!と信じていたけどそれを表現する方法がわからず、男子校で鬱々とすごしていた当時の自分にとっては、大槻ケンヂという人の発言や筋肉少女帯が描き出す、猟奇的で孤高な世界がものすごくぴったりきた。

 

筋肉少女帯の音楽性は、メジャーデビュー直後は超絶技巧のピアノとハードコアパンクの融合っていう独特すぎるものだったんだけど、そこからメンバーチェンジを経て徐々にヘヴィメタル化していく(パンクな出自でメタル化するバンドって筋少に限らず大好物)。

1990年にリリースされた『月光蟲』というアルバムは、そんなヘヴィメタル化の絶頂期。攻撃的なスラッシュメタルを軸に、変拍子の男女デュエットやファンキーなハードロックや幻想的な小品まで自由自在に行き来しつつ、どれもこれも他のバンドとは一線を画すオリジナリティのかたまりになってる。またメンタルに波のある大槻ケンヂという人の歌詞もこのアルバムではキレッキレであり、アルバム冒頭から最後のインストまでバンドの勢いと才能が充満してる。

 

その後バンドにつきものの内紛の結果なんと大槻ケンヂ自身が脱退するなんて事態もあったけど、2006年に久々に「仲直りのテーマ」なんてタイトルの曲を引っさげて復活した筋少

自分は人とは違うと思いながらも現実世界では非力っていう子たちは、ネットの世界やオタクカルチャーの担い手として、当時よりもむしろ多くなってるかもしれない。数々のアイドルへの歌詞提供や声優とのコラボから見て取れる、その界隈との親和性の高さね。

筋少はPVもかっこいいのが多い。当時はオウムが事件を起こす前で新興宗教ブームとかいわれてた時代だった。

 

上々颱風上々颱風』(1990年)

上々颱風

上々颱風

 

JALの沖縄キャンペーンのCMソングになった「愛よりも青い海」で有名になった上々颱風

そのせいで沖縄のバンドだと思ってる人もいますが違います。

バンジョーに三味線の弦を張った楽器とかいろんな民族楽器なんかも駆使して、民謡やレゲエやファンクなどを幅広くミックスした「無国籍音楽」を標榜していた大所帯バンドであります。

 

当時の自分は、芸能山城組が手がけた映画『AKIRA』のサントラでケチャやガムランの不思議なカッコよさを知り、また母親が買ってきた細野晴臣監修「エスニック・サウンド・セレクション」っていうCD全集でさらに深淵を垣間見たりして、早熟にも十代前半でワールドミュージックへの興味が高まっていた頃。

そんなタイミングで上々颱風が登場したわけで、これだ!ってなったよね。

そんでしばらく夢中になって聴いてた。

 

のちにスタジオジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」では全面的に音楽を担当しており、これがまた最高のマッチングだった。狸たちが再会するエンディングのシーンで、しばらく無音が続いてから上々颱風の「いつでも誰かが」が流れ出すところなんてもう鳥肌。

落語への深い理解と愛情っていう語り口とか、「ぽんぽこ」は語りだすと止まらなくなるのでこのへんにするけど、高畑勲はほんとすごい。 

  

 

そんな上々颱風の1990年のデビューアルバムは、アジアなメロディと民謡マナーの歌いまわしに祭囃子のビートっていう独自性がすでに炸裂してる。特に聴きどころとしては中盤「仏の顔もIt's all right」における、桜川唯丸っていう大御所の音頭取りをゲストに迎えての江州音頭ファンク。

子供の頃から地元の盆踊りで馴染みがあった江州音頭が、こんな感じでバンドサウンドになったことにめっちゃ感動したものだった。

 

小沢健二『LIFE』(1994年)

LIFE

LIFE

 

いろんな人が平成や90年代のフェイバリットに挙げるこのアルバム。

例に漏れずわたくしもヤられたクチです。

 

それまで大槻ケンヂ的なアングラな価値観に居心地の良さを感じていたわけで、普通に考えたら渋谷系の王子様みたいな扱いだった小沢健二とは対極にいたと言っても過言ではないわけで。

しかしながら、そういう表層的なポジション取りの文脈を軽々と超える強さで『LIFE』は飛び込んできたのだった。

 

メタル畑の高校生だったため黒人音楽の知見がほぼ皆無の状態だったので、このアルバムの音楽的な背景や元ネタみたいなことは全然わかってなかったんだけど、それでも7分超えの大曲が普通のポップソングのサイズを大きくはみ出していることはわかったし、そのことによって生まれる永遠に続いてくような多幸感、そしてその裏返しの無常観みたいなものは伝わってきた。

 

あと影響を受けたのは、世の中に対する目線。

特に「ドアをノックするのは誰だ?」っていう曲の、「爆音でかかり続けてるよヒット曲」っていうフレーズには、それまでの意固地な音楽観がいい意味でぶっ壊されました。お茶の間むけのヒット曲は好きになれないしバカにしてるけど、ヒット曲がかかり続ける空間を愛することはできる!っていう気づき。これ、その後の人生での音楽の聴き方にものすごく響いた。

すべての音楽にちゃんと向き合おうって思うことができた。

 

2016年にものすごく久しぶりの新曲をリリースして以降、男児の父親としての目線での歌詞が増えた小沢健二。同じく男児の父親になった自分としては、最近の曲も刺さりまくるよね。

 

そういえば、対極にあると思っていた大槻ケンヂ小沢健二ですが、後に大槻ケンヂがソロアルバムで「天使たちのシーン」をカバーするっていう、俺得な交流が生まれるのであった。

 

電気グルーヴ『A』(1997年)

A(エース)

A(エース)

 

ピエール瀧の逮捕によって音源がサブスクからも店頭からも消えてしまった電気グルーヴ

 

サブカルヒーローとしても、テクノ音楽のパイオニアとしても、90年代における電気の存在はものすごく大きかったんだなと、ここ最近のいろんな人のいろんな発言を見ていてあらためて思った。

自分にとっても、電気はずっとアルバム単位で聴き込んできたし、何度もライブやDJで踊りまくってきたし、あと新しい音楽に出会うきっかけもくれたっていう意味でも大きな存在。

たとえば「テクノ専門学校」っていうコンピで海外の曲をレーベル単位でまとめてくれたり、あとはオランダ発のガバっていうエクストリームなサブジャンルや、韓国発のポンチャックっていうトラック運転手むけの脱力テクノポップを紹介してくれたり。

 

そんな電気ですが、この1枚っていうとやはり1997年の『A』。

大ヒット曲「Shangri-La」が入ってるというだけでなく、アルバム全体を通しての流れがすごくいい。曲と曲の繋がりなんかも、くるべきところにくるべき音がくる、っていう気持ちよさが溢れてるよね。

ガリガリ君」「ユーのネヴァー」「あるなろサンシャイン」といったピエール瀧が大活躍する曲もあり、またこのアルバムを最後に脱退したまりんの功績も大きいと思うし、バンドっぽいアルバムでもある。

 

しかしこの夏はフジロックやその他の場所で電気が見られると思っていただけに、残念でならない。20代からコカインやってたらしいけど、それであの仕事量とクオリティを維持できていたんなら、もはや何が問題なのかって話だよね。どこにも支障をきたすことなく嗜んでこれたってことでしょうよ。暴力団の資金源がーっていうんなら、もうJTがコカイン売ってたっぷり税金とればいいと思う。

 

www.youtube.com

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やっぱり10代から20代前半までの間に出会った音楽についてはついつい思いがあふれて長文になってしまうな。

お付き合いいただきありがとうございます。

後編はもう少し簡潔にやりますので乞うご期待。

 

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 4/20追記

ぜんぜん簡潔にならなかった後編はこちら!

guatarro.hatenablog.com

 

「平成狸合戦ぽんぽこ」がもっと楽しくなる『落語』なキーワード7つ

高畑勲監督が亡くなってからちょうど1年にあたる今日、「金曜ロードショー」で「平成狸合戦ぽんぽこ」が放送される。

 

 

この作品、これまでも定期的にテレビで放送されてきたので、何度も観たという方も多いでしょう。

ただ今回はちょっと違う観点から観てみませんかというご提案。

 

そう、「平成狸合戦ぽんぽこ」っていう作品は、落語に関連するキーワードで読み解くとさらに楽しみが深まるのであります。

 

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71UI3BzrmtL._SL1000_.jpg

 

1. 語りが古今亭志ん朝

まず、物語の語りをやってるのが、古今亭志ん朝(ここんていしんちょう)

2001年に惜しくも亡くなってしまった落語会のサラブレッドにして大スターです。

 

大河ドラマ「いだてん」でビートたけしが演じてることでも知られる昭和の大名人、古今亭志ん生(しんしょう)の次男なんだけど、父の志ん生が破天荒な芸風なのと対象的に、端正でいて可笑しみもある芸風が特徴。


まず語り役に志ん朝が起用されているところに、何よりも「ぽんぽこ」が落語的であることがあらわれてると思う。

 

かつて、「落語の魅力は?」と問われたときに、志ん朝は「狐や狸が出てくるところ」と答えたという(これ落語好きがみんな大好きなエピソード)。

ものすごく深い心理描写ができる人情噺から大爆笑の滑稽噺まで、ほぼ無限の可能性をもつ落語という演芸を、ある意味で極めたような大名人が、落語の魅力をひとことで語る際に「狸」という言葉を使ってる。

ごく当たり前に狸が出てくるような、落語の世界を心底愛していたんだろう。

 

そういう発言をした志ん朝が語るおはなしなんだから、その時点で「ぽんぽこ」は落語であるって言ってしまっても過言ではないよね。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/412UiCVj0oL.jpg

 

いきなり結論が出てしまったけど、この作品が落語的である理由はこれ以外に6つもある。

 

2. 子狸が林家正蔵(九代目)(林家こぶ平

今では林家正蔵(はやしやしょうぞう)なんて大名跡を継いだわけだけど、公開当時は「こぶちゃん」なんて呼ばれて可愛がられるキャラクターだった。

この人もサラブレッドで、爆笑王と呼ばれた父・林家三平(はやしやさんぺい)と常に比べられることに悩んでいたというけど、まだまだ未熟だけどなんとかがんばろうと奮闘する子狸の感じが当時のこぶ平に最高にマッチしてる。

 

3. 長老が柳家小さん(五代目)

柳家小さん(やなぎやこさん)は、落語家ではじめて人間国宝になった人。柳家花緑(やなぎやかろく)のおじいさん。
戦前から活躍している大ベテランで、兵隊として二・二六事件に関わったというから、当時すでにかなりの高齢だったわけで、長老狸の役がものすごくハマってる。

 

4. 四国の大狸が桂米朝(三代目)と桂文枝(五代目)

昔から狸の本場は四国ということになってるんだけど、「ぽんぽこ」でも東京の狸たちが助けを求めて四国を訪ねる。

そこで登場する四国の大物を演じているのが、上方落語の大師匠たち。

戦後に衰退していた上方落語を発展させたいわゆる「上方四天王」のうちの2人である。

 

もともと文学を志していたという学者肌の桂米朝、音楽にのせたネタを得意とする桂文枝という2人の特徴が、狸のキャラ造形に反映されているようで、高畑監督の落語愛を節々まで感じる。

あと桂米朝が演じた金長狸という狸は神社に祀られているんだけど、桂米朝は神主の家系に生まれた人っていうつながりもある。

 

金長神社 - Wikipedia

 

5. 歌舞伎や講談のパロディとして

落語っていうのはそもそも歌舞伎や講談のパロディとして発展してきたという歴史がある。歌舞伎の設定やセリフを元ネタにしたギャグがたくさんある。

 幕末や明治の頃に庶民の娯楽の王様だった歌舞伎や講談をいじって笑いにつなげてきたわけで、ダウンタウンとんねるずがトレンディドラマやハリウッド映画のパロディをやったのと同じ。

 

さっきから落語家の名前に「◯代目」ってつけてるように、落語の世界では大きな名前を代々受け継いでいて、大々的に襲名披露公演をやったりもするんだけど、こういうことも歌舞伎界がやってることのパロディとしてはじまったとか言われてる。

 

そう考えると、自然破壊という重いテーマを、人間の代わりに狸を使って軽やかに語るっていうスタイルそのものも、とっても落語的に思えてくる。

 

「平成狸合戦」というタイトルも、明治時代に流行した講談の「阿波狸合戦」が元ネタになっており、まさに講談のパロディとしての落語なんだよな。

 

6. 「神経のせい」

後半、狸たちが化け学の能力を発揮して人間たちを脅かしまくるシーンで、こういうセリフが出てくる。

 

キツネの嫁取りだ キツネの提灯だって
神経がそう見えるんだねえ
ありゃ神経のせいだよ

 
真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」っていう、明治時代の大名人である三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)が創作した怪談噺がある。

 

当時は明治維新の後の文明開化の時代で、西洋文明をがんばって取り入れようとするあまり、古くからの言い伝えみたいなものはすべて迷信として片付けられていて、幽霊や妖怪みたいなものも、神経の作用で見えた錯覚であると言われていた。

 

そんな空気が支配する時代に、めっちゃこわい怪談噺を創作し、タイトルに神経をもじった「真景」をもってきたっていうね。さすが日本文学の言文一致体にも影響を与えたといわれる圓朝

 

このシーンのセリフはこれが元ネタになっており、眼の前で繰り広げられる化け学を神経のせいにしてかたくなに信じまいとする大人たちの正常性バイアスに対する皮肉にもなってるわけ。

真景累ケ淵 (岩波文庫)

真景累ケ淵 (岩波文庫)

 

 

7. 人間の業

人間が生きていく限り自然を破壊せずにはいられないっていうのは、「もののけ姫」や「風の谷のナウシカ」などのジブリ作品に共通するテーマ。


平成狸合戦ぽんぽこ」で無残に切り開かれてしまった多摩の自然が昭和の高度成長期に住宅地になり、そこが数十年後に「耳をすませば」の舞台になるわけで、つまりみんなが感動したあの坂道やあの工房の下には、狸の死体がたくさん埋まってる。

 

自然を破壊せずには生きていけないっていう、人間の背負った業。

そんな人間の業を否定せず、都合よく無視することもせず、ただ見つめ続けるっていうのがジブリ的なスタイルだと思っていますが、それと通じるような「落語とは人間の業の肯定である」という名言をある落語家が残してる。

 

その落語家というのが、語り役の古今亭志ん朝のライバルだった立川談志

 

https://www.bs-asahi.co.jp/wp-content/uploads/sites/27/2018/01/prg_031.jpg

 

志ん朝と談志という2人の天才落語家の関係性や落語観の違いを重ね合わせてみることで、落語好きは「ぽんぽこ」で号泣することが可能なのである。

 

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このように、「平成狸合戦ぽんぽこ」という作品はいろんな意味でものすごく落語なのです。

逆に、「ぽんぽこ」の世界観がなんだかいいな〜って思える人であれば、落語好きになれる可能性が高い。

ぜひこの機会に落語にふれてほしいです。

 

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